<   2018年 09月 ( 6 )   > この月の画像一覧

好きなおもちゃで自由に遊べない

今日、こんなことがあった。
早番で、ある子ども(2歳児クラスのすでに3歳になっている男の子)がミニカーで遊びたいと言い出した。早番でのクラスは最初に幼児も乳児も3歳児クラスに集合し、しばらく遊んで乳児が増えてくるとその後、幼児と乳児に分かれて保育する。乳児の早番は1歳児クラスに移動となる。玩具は当然のことながら1歳児用のものしかない。絵本、井形ブロック、レゴブロックなどである。ミニカーはあるがトミカのようなものではなくプラスティックの大きめのはしご車やらトラックやらで赤ちゃんぽいものである。
男の子は最初の3歳児クラスで遊んでいたトミカでもっと遊びたいのであった。
3歳児クラス以外には一時保育の部屋にそのトミカがあった。どうして彼がそれを知っているのかといえば、遅番に限って2歳児クラスは一時保育の部屋に玩具を借りに行っているのである。トミカだったり、プラレールだったり、トーマスだったり。私は最初、彼にパトカーが欲しいとねだられた時、てっきり3歳児クラスのトミカだと思っていた。それに、彼が早番時に乳児クラスに移動になる際に、お気に入りのパトカーを手離さない時には「持ってっていいから。あとで返してね」という対応をして泣かずに行かせてきた。彼の「ミニカー欲しい」にはこういう背景がある。
で、ここのところ、毎日早番時にミニカーで遊びたいと主張して、遊べるなら泣かずにすんなり母親とも離れられ、ねだられている私は毎回、早番の正職の先生に「ミニカー持ってきてもいいですかねぇ」とお伺いをたてていた。先生によっては「いいよ。〇〇クラス(一時保育)のミニカー持ってこよう」とすんなりなり、子どもにねだられていた手前、ほっと胸をなでおろしていた。ミニカーがあるため、彼だけでなく他の子もうまく親と離れられ、朝の機嫌も良く、さほどのケンカもなく遊べていた。
で、今日。いつものように彼がミニカー欲しいと言い出し、早番担当にもOKを貰い、一時保育の部屋にトミカを取りに行った先の廊下で2歳児クラスの担任にばったり出くわした。担任は「えッ?早番の時も借りに行ってるの?そんなの知らなかった」と驚いた様子。早番の先生に承諾を得ている旨を説明しても不服な顔をして「トミカは〇〇組のおもちゃだよ。なんでお部屋のおもちゃで遊ばないの!」と怒り出した。当然の事ながら彼は泣き出してしまった。私が「とりあえず、今回はOK貰っているので持っていくって事で、毎回じゃないことはもう〇〇先生(早番の先生)と約束してきましたからすみません」ととりなしてトミカを持って行った。
部屋に着いて、彼が泣いてる件の話を早番の先生に伝えると「担任の〇〇先生には私からも言っておくからね、大丈夫だよ」と彼は慰められ、早速トミカで遊びだした。ところが、いつも彼とトミカを走らせたり、ブロックで駐車場を作ったりして遊ぶ私が今日に限って他の子に膝に乗られ絵本を何冊も読まなければならなかった。そのうち彼と友だちたちは自分のTシャツにトミカをたくさん入れて持ち運ぶ遊びをやり出して、その姿をたまたま見かけた先ほどの担任が「そんな遊び方は違うでしょ。走らせたり、駐車場作ったりするんじゃないの?そんなことしてるんなら、トミカ返してくるから」と怒った。早番も「ごめんごめん。先生、そういう遊び方してたとは知らなかった。〇〇先生の言うとおりだわ。ハイ、トミカしまって」と同調した。そして大人2人によって決められた事は絶対で、有無を言わさず片付けとなった。今度は涙も出ていない。
このやりとり、保育士だったり、保育補助だったり、保育の学生だったり、はたまた保護者だったりのそれぞれの立場でどう思うか聞いてみたい。私は正直、彼が可哀想になった。好きなおもちゃを部屋に持ってくるまでにも文句を言われ、ようやく遊べたと思ったら今度は遊び方が違うと言われ、結局、取り上げられる。一緒に遊んでいた他の子どもたちもとばっちりをくっている。遅番で使っていて、どうして早番には使ってはいけないのか。その違いは何なのか、子どもにキチンと説明できるのだろうか。2歳児クラスだが本人はもう3歳児の発達段階の子が早番クラスの1歳児のおもちゃで、しかも毎日同じもので遊べというのはどうなんだろう。大人の私だってマンネリで、ブロックで何か新しい刺激的なものができないかと毎日頭を悩ませているのに。これまで幼児クラスで遊んでいたことやパトカーを持たせて対応されてきた背景だってある。それにおもちゃでどう遊ぼうが子どもの勝手じゃないのか。シャツで何台包んで持てるか、それだって彼が発見した遊びであり学びである。子どもの遊びはどんどん変わる。その後の遊びで先生お望みの駐車場作りが出てくるかもしれない。
もちろん、正職2人がガチッとスクラム組んでおもちゃを取り上げにかかれば、非常勤の私が「それってあんまりじゃないですか」とは言えない。燻りながらも従わざるをえなかった。何となく気のせいか、子どもに言われるがままにトミカを持ってきた私が考えなしというような空気が漂ってすごく嫌だった。私には彼がわがままなのではなく、大人の場当たり的な判断と大人の都合としか考えられなかった。保育っていろんな意味でホント難しい。




[PR]
by zuzumiya | 2018-09-13 23:53 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(3)

子どもの何を育てたいか

仕事のことはあんまり書きたくはないんだけれど、どういうわけか読者にはよく読まれているらしい。乗せられて今日はちょっと書く。
保育士の先生が子どもの興味をぐいっと引っ張る一斉保育の素晴らしさは見事なものだ。先生がマイバックをゴソゴソしながら「お話読むよ〜」と叫べば、一斉に1歳児が集まる。それも「ちょっと前に来すぎ〜」と先生から文句が出るほど食いつくように見ているのである。1歳児が、である。もちろん、絵本選びも読みもうまい先生なのであるが、この集中、いつも惚れ惚れしてしまう。ああ、こうやって先生の話は面白いもんだ、先生の話を聞いてみようと自然に調教していくわけか、と納得する。
例えば、保育士の夏休みでいつもより人手がちょっと足りない時、そういう先生は自由遊びを選ばない。「お話読むよ〜」とひと声かける。自分一人で一気に子どもを引きつけて、その隙に他の先生に雑事をやらせてやる。自由遊びだと必ず喧嘩があちこちで始まり、一人では見きれないからだ。この判断、確かにうまい保育だと思う。と同時に、いかにも先生ありきの一斉保育らしいと思う。

私が昨年から引き続き、メインでいるクラスは3歳児。今度の担任は一斉保育の園には珍しく遊びを中心に考えてくれる保育士である。もっと言えば、躾より遊びの充実を優先するタイプである。普通の、というか昨年度の担任なら、椅子を子どもたちがワンサカ出して遊ぼうもんなら、危ないとか出す数の制限にかかるとこだが、やりたいようにやらせている。食事の後もパジャマに着替えさすことより遊ばせる。食事の後片付けでどんなに大変でも子どもは布切れをヒラヒラさせて呑気に「せんせい、マントして〜」と来る。内心、マントじゃねえだろ、パジャマだろと思っても、担任はパジャマを着せるを選ばずに自由に遊ばせるのである。自由遊びであるから気づくとマントもあれば、ままごともパズルもブロックも出ていてクラスはオモチャでひっちゃらけている。これが昨年度の先生だったら、ひと声「絵本だけにして」で済んでいた。この違い。
確かに片付けている大人からしたら、片付けたそばからで椅子を再び出されて電車ごっこで並べられるのは徒労感ハンパない。でも、よくよく考えてみれば絵本だけという遊びの制限をかけるのは大人の都合なのである。子ども本来の姿ではない。担任が夏休みで休んだ時に他クラスの先生が手伝いに来て「すごいわね、このクラス」と半ば呆れた顔をしていた。パートも「オモチャまた出していいの?」と驚いている。
統制がとれない、ヒッチャカメッチャカのクラスに見えるかもしれない。しかし、ままごとの流し台の向きを変えて、水道を電車の運転レバーに見立てて絵本を運行表に見立てて遊ぶ発想を見せてくれたのは今のクラスの子どもだけである。「これはおままごとの水道だからおままごとで使って」などと言っていたら、絶対出てこない発想である。やりたい遊びのためなら、イメージの実現のためなら机の裏面だって椅子だってなんだって使おうとする、大人に机を出してもらう時間も惜しいまま床でどんどんパズルを始めちゃう。つまりはやりたい遊びと実現の欲求に忠実で、何としてもそれをやり遂げようと自ら考え動く力がガンガンに養われているということなのだと思う。やりたいことを今やりとげたいという欲求の強さは子どもといえど逞しさがある。躾の面ではパズルは机について椅子に座って、と言いたいところだが、そんなことお構いなしに始める姿は実に子どもらしく無条件に輝いている。見方の問題なのだろうが、もともとは躾意識の強い一斉保育の園なのでこういう自由遊びに重きを置く変わり種の先生がいても面白いんじゃないかと思って見ている。彼女に対して「〇〇先生は怒らないから」と批判めいたことを言う経験3年目の保育士がいるが、ここで道を間違えてほしくないなと思う。やりたい遊びをやり遂げようとするあのがむしゃらなパワー、そこから生まれる発想力、創造力。大人の自分たちにも欲しい力じゃないか。躾として先生の怒号一発でその萌芽を摘んでしまうことは実は容易なのである。子どもの何を育てたいか、今の担任にはそれがはっきり見えているのだろう。そう理解する。
最初は違いに驚いて担任の指導によってこうも子どもが変わるのかと思ったが、今は大変だけれど、発想力のある頭の柔軟な面白い子どもたちに尊い魅力を感じている。

[PR]
by zuzumiya | 2018-09-09 23:10 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

夜を描いたいい絵本

みやこしあきこさんと言えば木炭で描いた絵本『もりのおくのおちゃかいへ』が有名だけど『よるのかえりみち』っていう絵本を見つけて、これがまたすんばらしいの!
「私、こういうの探してたのよ」と思わずつぶやいたもん。うさぎの坊やがね、母さんの背中におぶられて、夜の帰り道を歩きながら通りの家々の窓を覗いていくのよ。その窓からいろんな暮らしが一瞬垣間見えるわけ。そういう窓の外側から額縁のように切り取られた暮らしを見るって、どうにもこうにも幸せしか見えないのよねぇ。
時々、夜歩いてて、網戸越しに蛍光灯の煌々とついた窓からテレビの野球中継かなんかチラリと見えてさ、テレビの反対側にはやっぱりっていう感じでランニング姿のおじいちゃんがのんびり座ってたりしてんのが見えて「ああ、ここにも小さな幸せがあるなぁ」なんて思いながら、他人事なのにしみじみいい気分になったりしたことある。ああいうの、窓の内側にいると日常だからさほど気づかなくて、窓の外側から客観的にあらためて見ると不思議とどの家だって幸福そうに見えちゃうんだよね。本当はいろいろ問題も抱えているのにさ。そういう窓の外側から見つめる、想像する日々の暮らしっていうコンセプトがもう本当によくて、私好みなのよね。ほら、エッセイを絵本にしたようなのが好きなの。あんまり事件のない、日々の暮らしをありがとうってやつ。Amazonのコメント欄にひとりだけ動物じゃない方がもっと共感できるって書いてた人がいて、私もその意見には同感で、その人がすすめた絵本にイブライスの『おやすみなさい』というのがあって即買いした。絶版で市内の図書館になく中身を点検できなかったけど賭けてみた。たぶん、いい絵本だろう。今から楽しみだ。


[PR]
by zuzumiya | 2018-09-08 19:00 | わたしのお気に入り | Trackback | Comments(0)

手研ぎ男、保育園に現る

今日、園庭遊びの追いかけっこで手研ぎ男になってみた。
手研ぎ男とは私の本『夫婦いとしい時間』の中で元夫が子供たちと戦いごっこをする時に登場させた片手が鋭く長い刃物の怪人である。
子供たちを追いかけ、ジャングルジムに追い込む。ジャングルジムの升目を障子の升目に見立てて手研ぎ男の鋭いナイフがグサッと刺していく。グサッ、ズボッとやるたび子供たちが奥の方に尻込みしながら「きゃあああ」と嬉しいんだか怖いんだかわからない悲鳴をあげる。そのうち、勇気のあるのが一人、出口から逃げ出す。「シャキーン」と言いながら手研ぎ男がナイフの手をこれ見よがしに研ぎながら追いかけていく。「ザッ、ザバッ」途中で空を切るアクションも忘れない。子供はぎゃあぎゃあ言いながら必死に逃げていく。カマキリの鎌のように片腕を振り上げては逃げていく子供に切りつける。必死に走って子供はまたジャングルジムに逃げ込む。逃げ込むたびにジャングルジムの横棒におでこを2度もぶつけているが泣いてる暇はない。

「そんなこんなですんげー疲れた。でも子供にはウケるよ」
と元夫に笑って言ってやりたかったが、言えなかった。深い意味などないのだけれど。






[PR]
by zuzumiya | 2018-09-06 21:45 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

今が聞き時、旬なアルバム

雨と休日さんからCDが届いた。これがまたいい感じ。カーテンを揺する晩夏の夜風と虫の声とそこに滑らかで艶やかなギターとゆったりしたオルガンの音色がふうわり溶けていく。柔らかな灯りに包まれて揺り椅子に凭れて読書する極上のひとりの時間よ。やっぱり、寺田さんっていいセレクトしてるよなぁ。ほんとにこの人が居てくれてありがたい。頼りきってるもん。

※今回購入したアルバムはジャマイカが誇る国宝級ギタリストのアーネスト・ラングリンのインストルメンタルアルバムの復刻版『Softly with RANGLIN』です。今の季節にぴったり。これより暑いと冷房の部屋でいい塩梅に外の虫の声が聞こえないし、どっちかっていうとキューバのフィーリンの方が合う。これより涼しいと秋っぽくなりすぎて、ギターの音色が夏の気配を引きずり過ぎてて浮いてしまう。晩夏の今だよ、最高な聞き時は。そういうジャストフィット感、寺田さん凄い!ボヤッと灯るネオンのような音色のエレキギターのトレモロがまたいい。


[PR]
by zuzumiya | 2018-09-05 20:15 | わたしのお気に入り | Trackback | Comments(0)

最近の悩み事

ああ、悩ましい。
ここのところ、ずーっと部屋に飾る絵のポスターのことで悩みに悩んでいる。
最終的には今の私の部屋が寝室のみになる予定なので、穏やかな絵がいいかなと思ってピカソの『夢』かオディロン・ルドンの『目を閉じて』に絞られている。ピカソはメジャー過ぎてへそ曲がりの私はちょっと嫌なのだが、椅子に座って居眠りしている絵がなんとも穏やかでいい。ネットでこのクッションカバーを見つけてから気に入っている(残念ながら素材が麻で、購入を断念した)。赤を主体にした色合いもパンチが効いてて茶系の部屋に彩りを加えてくれる。ただ、ほんとうに、有名なピカソの有名な絵を飾っているという一点でどことなくダサくて迷いに迷っているのである。
その点ルドンはピカソよりかはメジャーでない。ただ『目を閉じて』は水面のような場所から女性の首が出ていて、そっと目を閉じているという絵で、実に穏やかで静謐な絵なのだが口の悪いうちの娘が遊びに来たら絶対「あれ、幽霊みたいじゃん」か「死体みたいで気持ちわるーい」と言うだろう。そういうナンクセが付くともうそうとしか見えなくなるのが私の芯の弱さで、情けないのだがこちらも迷っているのである。ピカソは額装でも6000円台、ルドンは大きいのにしたいので14000円以上になる。たったそれだけの金額を迷ってしまうのは、元夫が出て行き、模様替えを済ませてから購入した方が物の場所が決まるからいいのではという思いもあるからだ(理性がちゃんと残っている)。早く欲しいという物欲と模様替えで絶対に買わなきゃいけない優先物(電子レンジとかカーテンとか猫タワーとかテーブルとか)の出費とのせめぎ合いなのだ。絵のポスターはいわば贅沢品である。だからこそ躊躇する。今月は絵本も本もCDもすでに買ってある。出費は抑えなければ。今日、京都の恵文社から届いた『庄野潤三の本 山の上の家』やら先日買った『日本の小さな本屋さん』を開くと、素敵なインテリアに部屋を飾りたくなり、テレビで医学番組や保険のCMをみれば、老後のためにできるだけお金を貯めておかねばと堅実的になる。ああ、今夜もネットの購入するボタンの手前で指が振るえ、止まる。ああビンボー人ってこれだからいやよね、なんてひとりごちるが、さっきから台風の大風で家がバキバキ言ってるし、微妙に揺れている時もある。んなこと呑気に悩んでたらこの木造家屋が倒壊して、無一文になるやもしれぬ。ごめんなさい、神様。現実をみます。


[PR]
by zuzumiya | 2018-09-04 21:30 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)


ふだんの暮らしに息づいているたいせつなもの、見つめてみませんか?


by zuzumiya

プロフィールを見る
画像一覧

S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30

※このブログの無断な転載はご遠慮願います。

最新の記事

岡村ちゃんと宮本さん
at 2018-11-09 23:15
お久しぶりです
at 2018-10-31 23:29
好きなおもちゃで自由に遊べない
at 2018-09-13 23:53
子どもの何を育てたいか
at 2018-09-09 23:10
夜を描いたいい絵本
at 2018-09-08 19:00

検索

ブログジャンル

画像一覧