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網戸のごしの声

連日の猛暑からようやく抜け出て、扇風機だけで冷房をつけなくてもいい夜を過ごしている。月がきれいだ。網戸の家は我が家だけではないようで、さっきから家族でワハハと楽しげに笑う声がする。テレビでも見ているのか、あるいは夏休みで遊びに来ている孫の一挙手一投足が可愛くて可笑しいのか、老若男女の賑やかな団欒の声に「そんなにも楽しいことがあるのか」と妙に感心して「そんなことが昔は我が家にもあったんだろうなぁ」と静かに思っている。なんというか、寂しくもなく懐かしくもなく羨ましくもなく、ああ、時が流れた、という感慨。
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by zuzumiya | 2018-07-26 21:55 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

驚愕のトイレ

帰宅して2階のトイレに座ったら、暖房便座かっ!っていうほど便座が熱かった。
尻も私も驚いた。熱中症になるわけだ。
しかし、一日中冷房三昧じゃ経済的にも大変なことになるので、夜の8時からの9時頃は部屋の冷房をいったん切って、外の風を入れている。すると、何処からかひっそりと虫の声が。いいものだ。蝉じゃなくて鈴虫やコオロギなんかの虫の声。冷房をかけてたら全く聞こえなかっただろう。












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by zuzumiya | 2018-07-23 21:37 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

かき氷のイチゴは思い出の味

かき氷のイチゴの話で思い出した。
昔、私がまだ小学生だった頃、ケチンボの祖母にどやされて呑気な祖父は昔大工だった杵柄を活かし、しぶしぶシルバー人材センターに登録させられ働かされていた。孫を何とか大学に入れて一人前に育てなければと意気込んでいた祖母だったから、自分のおかずを毎晩メザシ一本、タラコひと腹で我慢して、たまに叔母たちが外食に連れて行っても水しか飲まず、「何か注文しなよ」と言われると「それなら金を貰った方がいい」とのたまって座を白けさせたりする相当な倹約家だったが、全ては可愛い、そして母親に置いて行かれた可哀想な孫である私のためだった。今思えば、こんなふうに跡取りを放棄して、52歳で離婚するようなバカ娘になってしまって、ほんとにすみません、だ。
祖父は鼠年で庭を朝から晩までチョロチョロしては家とアパートの其処此処を直してみたり、さほど必要でもないものを作ったりしてたから、「孫のために遊んでるなら働け」と尻を叩かれたんだろう。祖父は毎朝、赤ん坊の頭ほどの巨大な、海苔をぐるぐる巻きにした梅の握り飯をひとつ祖母に作って貰って仕事に出かけた。子ども心におかずがないのが不憫で仕方がなかった。
あの日は現場が家から近所で、小学校から帰って友達と遊んで夕方ばいばいしてから、祖父が働いてる現場を覗きに行ったのだった。現場の先の郵便ポストを曲がった先に駄菓子屋が二軒あって、最初の駄菓子屋の方が店の造りが小綺麗だが、店のおばあさんが子どもの私にも分かる祖母や母の悪口を言うのであまり好きじゃなかった。奥の駄菓子屋は駄菓子屋らしく店の中は狭く薄暗く品数が多いんだが、ガラス棚に並んだ食べ物はみな不潔そうな気がした。おばあさんが「いくら持ってんの?まだ買えるじゃん」と子どもにせっつくのが強欲そうで嫌だった。そのくせ隙が多く、イタズラ坊主らによく万引きされていた。アイスぐらいなら奥の駄菓子屋まで行かずとも最初の店でよく買った。あの日もその店で赤城しぐれのイチゴのカップのかき氷を二つ買ったのだった。ひとつは私の、もうひとつは働いてる祖父のために買った。大人に囲まれて育った私は子ども心にこうすれば大人はきっと喜ぶという勘所が分かっていて、あの日も祖母に頼んで小銭を貰い、仕事終わりを見計らうように祖父にかき氷を差し入れたのだ。
二人で西陽の当たった材木に腰掛けて耳をつんざく蟬しぐれに囲まれて、木さじでシャリシャリやりながらカップのかき氷を無言で食べた。良いことをしている自分、いい孫を演じている自分、祖父と二人きりでいる自分がものすごく照れくさかった。思えば、あの頃からかき氷はイチゴ、それも赤城しぐれのカップのやつと動かし難く決まってしまった。人の味覚は思い出が作っていく。「あん時のアレ」をたくさん持ってる人生は幸福だ。夏は祖父母がともに亡くなった季節。今年の墓参りには言いにくい報告もせにゃならんなぁ。あーあ。



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by zuzumiya | 2018-07-22 19:13 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

背中合わせで歩み寄る

離婚してもうすぐ元夫が出て行く期限の月末が来る。1月のある晩、離婚をするに至って元夫は自ら指を折って数えて考え、今月の月末に出て行くと皆に約束し宣言した。なのに、3月末で派遣の首切りにあい、ショックでかいきなり網膜剥離が始まって入院手術し、5月に退院したものの世界はぼやけて回復するまで働けなくなり、ついに出て行くと約束した今月の4日になってようやく就職先が決まったのである。しかも都内の保育園の用務員だという。何でまた私と職場が被るかね〜。ふふん。あのトンカチなど握ったこともない細長い指で建具なんか直せるのかね〜。鋸引かせりゃ、びよよよんと波打って楽器になっちゃうあの不器用が桜の枝を切れるかね〜。パソコン睨む無愛想な顔が毎朝毎夕「おはようございます。おはよう、〇〇ちゃん」と保護者と子どもにイイ人ぶって作り笑いしているのかね〜。「おはよう、〇〇せんせい」と呼ばれてその‘せんせい’という響きにニヤついてんじゃねえだろうかね〜。まあいい。暑い中でも頑張っている保育士の姿を見ても、それがちゃんねーってだけで元妻の頑張る姿にはどうやったって結びつかないカチコチの石頭だからね。で、失業保険やら年金基金の金と還付金も入ったらしいし、保険金も降りたろうし、職を得て毎月の給料があるってことで、間に入った娘の説得や顔をたてて、出て行くつもりになっているという。世界がぼやけて職もなく離婚されてこの先コマッタコマッタの時期は、離婚は成立してるのにもかかわらず何としても私からなけなしの金を奪い取ろうと企んでいたらしいが、こちとらだって息子も娘も産んで育てたはずなのに当てにはならぬと悟った52の独り身オバサン、猫に看取られ孤独死もアリと定めを背負う覚悟の身、金は私が来る日も来る日も作り笑いし、汗水たらして赤子の世話して作った金、絶対渡すものかと目尻に涙を浮かべて仲介人の娘に抗議した。そしたら用務員の元夫、家具を貰って行ければ金はいらないと譲歩した。ぬぬぬ。別居した際は我が母に50万パンッと出して貰って出て行って、その金で家具家電を揃えたくせに、それを自分で稼いで買ったがごとき返せという言いっぷり。あの男は我が母が私を育てなかった罪悪感から出す金で毎度毎度助けて貰い、父親としての顔を立て、いい思いをしてきたくせに最後の最後までおんぶに抱っこの図々しい厚顔なまでの甲斐性無し。ああ。頭にきてイヤだと騒いだら、仲介人の娘がそれでは振り出しに戻る、裁判する?と怒り出す。私には「お母さんの気持ちがわかるよ」と言って、元夫には「お母さんの性格がアレだからね」とでも言ってんだろう。別居先から持ってきた家電家具はまあいい、「くれてやらあ」だが、仲介人の娘によれば息子と私と夫で金を出し合って買ったものもくれと主張しているらしい。ふざけるな!である。どこまで情けない奴なんだ。この家のおおよそのものは私の当時の夏のボーナス30万すべてを使って買い揃えた。だが、何を私が買って何をみんなで買ったか経済に疎く新生活に浮かれていた私はほぼ忘れてしまった。覚えているのはその当時も押入れにレシートをコソコソと溜め込んでいた夫の姿である。引っ越してきた当初からまさか夫はゆく先の離婚を視野に入れて、新生活にかかった費用を振り分け、いつか動かぬ証拠として私に突き付けようと準備していたんだろうか。目下、衣類乾燥機は私が買ったのか、みんなで買ったのか、どちらだか覚えがなく非常に心配である。息子にラインしても「わかんない」で、まあほんとにまったくつくづくことごとく子どもは当てにならない。まず洗濯機と電子レンジ、エアコン一機は持って行かれる。と思うとやたらに洗濯機のメンテに気を配ってカビ取りしていた夫がまたもやもしやと思ってしまう。元夫を出て行かせるための金は出さないが家電は買わなきゃならないわけで出費はある。忌々しい。クソ喰らえ、だ。エアコンだって何だって持って行ってもいいが、後の壁の修復だけはキチンとやって貰おうと思う。元夫は2階の猫が猫タワーから飛び降りたり暴れたりがうるさいと天井を突っ張り棒で突いたら、ベキッと穴を開けてしまったことがある。夫婦でいるうちはニコニコして「もう〜」なんて見逃してやっていたが、そうだ、アレを修復していってもらおうじゃないか。え、用務員さんよぅ。


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by zuzumiya | 2018-07-22 14:13 | ちっちゃい器で生きていく | Trackback | Comments(0)

いろんなものを食べてきたけど

年をとってくるとふと「最近、とんと食べてないなあ」という食べ物に思い当たる。
私の場合、鰻と枇杷とかき氷である。小さい頃、祖父母に育てられた私は祖父の好物だった鰻をよく食べさせられた。子どもに鰻なんて贅沢な、と思う方もいるだろう。ドケチだった祖母だもの、鰻と言ったってスーパーに並んでる安い養殖のパックの一枚鰻である。小さい頃はそれをほんのひと切れご飯に乗せてもらったが、甘いタレだけが美味しくて鰻の方は食感が嫌で、鰻の姿形を知ってからは蛇みたいでなおのこと嫌いになった。自分が嫌いなものは母となっても食卓に上らない。値段も高い鰻はなおさらである。だから夫も息子も娘も土用といったって鰻、鰻とは騒がない。スーパーの作戦に引っかかって鰻より牛肉を欲した。だからこのまま死ぬまで鰻との関係は平行線のままであろう。枇杷もそう。枇杷は童謡の歌こそ歌うが、おそらく学校給食以来、食べていない気がする。果物を水菓子と呼んで好んでいた祖父だったから、小さい頃は枇杷も旬の時期には食後のデザートに出てきた。薄い皮を丁寧につるーっと剥いたり、茶色の種が異様に大きくてびっくりしたことを覚えている。味にもばらつきがあって、剥いた労苦に値しない薄甘いだけのぼんやりしたのに当たるとがっかりした。枇杷やさくらんぼなんかもそうだが、意外と果物は値のはるものが多い。家庭を持ってからも旬なので子どもに食べさせたいと思いつつ、ついつい水菓子よりも子どもが喜ぶ駄菓子の方に流れた。今でもスーパーでパックにこじんまり枇杷が二つ、三つ並んでるのを見かけると祖父母のいたあの家を思い出す。
かき氷。これも子どもの成長と共に消えていった食べ物である。子どもの小さいうちは電動かき氷機でかいてシロップだのカルピスだのをかけて毎夜、家族で食べていた。アイスクリームを買うより経済的だったのだ。最近では氷の薄い、滑らかでふうわりとしたかき氷に、イチゴをジャムのように煮詰めた本格シロップがかかったやつが人気があるそうだ。確かに美味そうである。ふうわり溶けていく食感には憧れる。でも、私にとってのかき氷はあの安っぽい、食べると舌が真っ赤になるイチゴのシロップのかかった氷粒の粗いジャリジャリのかき氷がほんものなのである。本格じゃなくほんもの。食べて育って大人になった思い出に裏付けされた、ずっと信じてきた安心の味、自分の中心に存在する正真正銘の味、それがほんもの。かき氷のイチゴはこうでなくっちゃ、というほんもの。
今日、スーパーに車で出かけるという元夫に、それならばかき氷を買ってきてと頼んだ。長年一緒に暮らしてきたのだから、私がかき氷はイチゴ派だと当然知っているし、赤城しぐれのカップのかき氷でも買ってきてくれるものと信じて待っていた。ところがぎっちょんちょん。冷凍庫を覗くと買ってあったのは息子の好きなレモン味のサクレであった。おーい、違うだろ、かき氷は買うならだんぜん赤城しぐれのイチゴだろ!と思ったが、頼んだのは私である。かき氷とだけしか言わなかった私がいけないので、怒るわけにもいかない。食べたいと思ったものが食べられないと妙にネジくれる。離婚した夫にさらに「こんなこともわからないのか!」と恨みを募らせてしまう。ああ、明日、自分で買いに行くしかない。ネジくれた感情はとりあえずサクレで冷やして…。

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by zuzumiya | 2018-07-21 22:57 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

顔面クールビズと更年期

夏、つくづく男女は不平等だなぁと思う。男性にはクールビズと言ってネクタイしなくてもいい決まりがある。でも背広姿ってネクタイしないとパッとしない。特に中年のワイシャツ姿。ネクタイしてないと第1ボタンは外してるし、腹の出っ張りが隠せないからすんごくルーズに見える。そんな姿で真面目にエラソーな事言ってる政治家をテレビで見たりすると笑ってしまう。でもいいよね、社会がそうやってルージーなだらしない姿でも良しとしてくれるんだもの。やっぱり社会はまだまだ男性にとって生きやすい男性社会よね。それに比べて女性は大変。紫外線やらクーラーの乾燥やらで肌の手入れから、暑さ対策でファンデーションに冷却機能がついたり、なんならボトルごと冷蔵庫で冷やしちまえ!というメーカーも出て。なんでこのクソ暑いのに女性だけはきちんとメイクしてなきゃいけないのか。それこそ顔面クールビズ、許してほしい。
というのも、保育士やってるといくら念入りにメイクしてってもこの夏の暑さで園に着く前に信号機の前あたりでほぼ半分は取れてしまう(自転車通勤なもんで)。園に着いてもこの時期、プールやらシャワーやらが待っていて、タオルでガシガシ拭くから残りの半分がきれいさっぱり取れてしまう。真夏の炎天下、プールで完全にハイテンションになった26人の子どもに一人一人せっせとシャワーしてたら、もう、顔面から頭から背中から滝のような汗でっせ。こっちがシャワーしたみたいに大汗でブラもパンツもびしょびしょでっせ。なのになんで女性は我慢して化粧しなきゃいけないんでしょうね。身だしなみとして? 女性として綺麗でいるために? 誰のために?男性にために?くそ喰らえ!!「こちとら保育士じゃけぇ、この年季の入ったドカタ焼き、よう見とけよ」Tシャツの袖まくって啖呵はりたい気持ちである。どうせ取れてしまうメイクではないか。ならば思い切って顔面クールビズにしてくれ。身だしなみなんて言わないで。頑張ってるねって言って。
ってこれも中年のオバサンの更年期だからこその話。更年期に突入してからの顔面からの大汗は野外のロックフェスのボーカルなみである。子どもに「せんせいの顔から雨がふってる」と叫ばれたこともある(ポエムな子!)。顔面土砂降り。土砂崩れ。で、私と同じ年の同僚も顔を合わすたび、額に玉の汗をかいている。えも言われぬ親しみで、つい笑ってしまう。しかし、彼女はまさしく更年期である。額を埋め尽くす玉の汗もそうだが、困ったことだが子どもへの言葉がけにそれが出ている。3歳児相手に「さっき、話きいてた?違うでしょ、水着を着てからさっき着ていたTシャツをも一回着るの。わかるぅ?」「だからぁ、なんでそこで水着脱ぐかなぁ、頭ダイジョウブ?、日本語通じてる?」という具合である。最後の「頭ダイジョウブ?日本語通じてる?」は、いくらなんでもない。イライラが言わせてる。完全に感情的になって、自制できていない。先日はあるグレーゾーン男児に翻弄されて「もう嫌、このクラス入りたくなーい!」と叫んだ。いくら資格持ちじゃないといっても、言っていいことと悪いことがある。最近は夏の暑さか、個人的な問題でも抱えているのか、イライラがさらに増しているようで、疲れを隠そうともせず仏頂面をしている。ああ、哀しいかな、更年期!と私は思う。彼女を見て、人の振り見て我が振りなおせ、である。意識して殊更に優しい声音、ゆっくりな話しかけで子どもに言って聞かせる。わからなければ何度でも繰り返す。否定語は使わない。プロとして。
更年期の大汗は所かまわず流れるままだが、言葉は流れるに任せない。そう自覚する。


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by zuzumiya | 2018-07-21 15:41 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

1度の天国と地獄

暑い!暑いと言ったら100円取るっていう小学生みたいなゲームをやったらゆうに100万円は超えてるのではないだろうか。とバカな考えが発酵の泡粒のように浮かんでくるほど脳内まで暑い!
2匹の猫と私はひと部屋に集まって朝から冷房をかけてじっとしている。私は読書をし、猫どもはふん伸びて寝るか、水を飲んでいる。冷房をしていて空気が乾燥するのだろうか。設定温度は27度の風量は自動である。外は35、6度いっているのではないか。ずーっと冷房の効いた部屋の中にいると温度の感覚がわからなくなる。ちょっと足が冷えてきたので(私が履いているのは女性版ステテコのようなものである)温度を1度上げてみた。28度である。そうしたら本を3ページばかり読み進んだところで、むおおっと暑くなってきた。同時に汗が耳脇からタラ〜リ。「なんだよ、たった1度上げただけでこうなのか!」と叫んであわてて27度に戻した。エアコン設定に27.5度というものはなぜにないのか。この1度の差、凄い。

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by zuzumiya | 2018-07-21 13:38 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

猫あるある

いつの間にか点いている。いつの間にか風量がリズムに変わっている。いつの間にか首が回っている。いつの間にか消されている…。
これぜんぶ、猫が扇風機の本体スイッチの上を歩いたせい。

いつの間にか開いている。開けたのなら閉めてほしい。冷房が逃げる。暖房が逃げる。
素知らぬ顔して寝てないで。

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by zuzumiya | 2018-07-16 17:04 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

心配かける飼い主

親バカ、猫バカ話をもう一つ。
不思議なことに(って、飼い主にとってはいつものことだから不思議という意識はあんまりないが)我が家の猫は飼い主の居るところに一緒に居たがる。同じ空間に居ようとする。私が冷房の効いた自分の部屋から隣の部屋に用事で行けば、そこがどんなに暑かろうが一緒についてきて「なんじゃ、ここはやたらに暑いニャ〜」と思いながらも床に寝そべっている。用事が済んで部屋に戻ろうとすると「エイヤッと」と猫たちも重たい体を起こしてのそのそついて来る。特にももは隣の部屋の窓際のワゴンの上が好きで、私がそのワゴン横の座椅子に座ると目線が同じ高さになる。そこへ座ってテレビを見たり、食事をとったりするのだが、真横にももが寝そべるかたちでも侍っているのが可愛くてうれしくて愛を感じてしまうのである。
今朝、録画してあったドキュメンタリーを見て、感極まり静かに涙した時、私に背を向けてすやすや寝ていたももがふっと首を回して起き上がった。私の様子をじいっと見ている。猫というものはあまり飼い主と目を合わせるのを好まないと聞いているが、「どうした、なんで泣いてるニャ?」と言わんばかりの困惑の色が見てとれた。「どうしたらいいニャ?」言葉は無くともそんなももの愛情にまたしてもつつーっと涙が流れた。
ももと私はずーっと一緒に暮らしてきた。引越しも子どもの独立も離婚も人生の大きな節目を一緒に経験した。もうすぐ6年になる間柄である。飼い主である私のちょっとした心の動きも、それがきゅううと涙に変じていく波長を敏感に察知できてしまうようだ。ありがとう、ごめんね、もも。


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by zuzumiya | 2018-07-16 13:34 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

ねこのための音楽〜Music for Cats〜

先日、NHKの「ねこねこ55」という猫好きが見る番組で得た情報なんだが、猫のためにわざわざ作曲されたCDがあるという。その音楽はなんでも猫が喜ぶ時に出すあのゴロゴロ声と波長が合うらしく、音楽を聞いた猫の中には喜びのあまりスピーカーに体を擦り付けてくるものもいるという。我が家の猫たちと私は常日頃から音楽の趣味嗜好が合うはずなので、あえてそんなCDはいらないはずだが、ちょっとどうなるかの興味があってネットで購入してしまった。でも、ポチッと購入ボタンを押した後にすぐ後悔が押し寄せてきた。猫の心地よさを知る術など、所詮は伸びて寝ている姿を見るだけのことである。つまりはいつもと変わらない。もっと言えば、猫はどんな音楽を飼い主が聞いていようとそのうち寝る、のである。ああ、親バカ、猫バカもいいとこだ。それともCDラジカセを床に置いてほんとにスリスリしにくるか実験してみるか?
まあ、いい。今回はももへの誕生日プレゼントということでよしとしよう。

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by zuzumiya | 2018-07-15 19:27 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)


ふだんの暮らしに息づいているたいせつなもの、見つめてみませんか?


by zuzumiya

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