<   2018年 03月 ( 10 )   > この月の画像一覧

もうすぐ新年度

新年度の各クラスの正職員配置は決まり、正職の足りない枠を非常勤が埋める方向で行くにしても、扶養内勤務の希望者が多く、曜日や時間数がまちまちで園長がクラスに振り分けるのに大変だという話は以前書いた。
ま、私自身も前園で正規を辞めてからは書類を一切書かない非常勤という我を貫いている。それでも早番遅番の時間帯には時給が跳ね上がるし、夏冬のボーナスが資格の有無に関わらず非常勤にも1ヶ月分ずつ支払われるので待遇のいい園ではある。今年度は年度末に全職員に処遇改善手当も出た。ありがたいことである。
正規へのお話は園長から年度末になるたびに受けてきたが断っている。正規でやるなら一斉は好まない。個別保育、自由保育で特徴のある園に入ってみたいという希望は胸のうちに変わらずある。
体の大きい力のある多動児にいい悪いを教えるために強い口調と時には手出し(友だちにしたことをわからせるために突き飛ばす等)の指導をした若い保育士が保護者からの名指しのクレームを受け、クラスを持ち上がらずに辞職した。保護者が子どもへの服薬をどうしても望まない上に怪我が多いだの、腕に人が掴んだ痕のような痣があるだの、日中の保育に原因があって夜泣きが始まっただの、食事は全部摂らせろだの要求が多く、障がいを心から認められずに皆と同じことをさせたいと強く望んでいたために保育士側と保護者との間に溝が出来てしまった。保護者も我が子の障がいを分かってはいるものの(毎日の送迎時に他児との比較を目の当たりにしていたはず)、なるべくなら服薬ではない環境整備の中で何とか園がうたっている統合保育をお願いしたいと思っていたんだろうが、実際はたまたま今年度はクラスにグレーゾーンを含めた障がい児があまりに多く、人手不足で加配の人数にも制限があり、また保育の質を考えずに「この人数でできるだろう」という従来の古く甘い見方を園長主任がしていたり、保護者があまりにうるさいので保護者対応慎重児として担任自らが関わらざるをえず、加配はいても加配として本来の意味で機能できていなかった。確かに書類を書かない私が人手不足で加配として入ってもその他雑用と化していくのは致し方なかったのかもしれない。そこへもってきて多動児が昼寝ができなかった。担任が書類書きを諦めて、1時間半かけて寝かせようとして頑張っても寝なかった。寝ないので午後はまた多動の傾向が一段と強まり、園庭を走り回る、怪我や痣を作る、保護者が不信がるの繰り返しであった。
今年度の最大のミスは園長主任の事務所側にある。これだけ障がい児の多いクラスなのだから、規定に拘らずもう一人正職を加え、何としても非常勤を連れてくるべきだった。前代未聞だと言われようが5人でも6人でもいいからクラスに入れればよかったのだ。若い保育士は担任としてそれでもいちばん多動児に関わり、保護者の批難の一切を受けて立った感がある。年度の途中からは「いいよ、私が悪者になる」と聞こえよがしに言っていた。一斉保育としてクラスを纏めあげ、口だけで子どもを動かすのが上手で、多動児が休みの時には私など必要ないとみなされて他クラスの応援に行かされたりもした。あれが若さというのか「私はデキる」とひとえに自信家であった。保育に正解はないので、多動児が突き飛ばされて泣いても他の担任も非常勤も誰も何も言えなかった。他の子どもと共にただ凍りついたように固まって見ていた。それでは、お前にあの子の問題行動が止められる力量があるのかと問えば、「ああするしかないのかなぁ、どうしたらいいんだろう」とそっちもうーんと固まってしまうしかない日々だった。ただ「ああいうの見たくないな」という思いがいつもあった。そのうち「あれが正解なら、私は先生というものに向かないな、なりたくないな」と思っていった。そういう気持ちは以心伝心するらしく、私は加配でも雑用とされ、彼女は保護者そっちのけで「私しかこの子をコントロールできないのよ」と言わんばかりに面倒を見て、よくやっている感を周りにアピールして行った。同じクラスにあっても4人の職員の連携は、保育について話し合う腹を割った本音の連携は、最後まで取れなかったように思う。で、結果、彼女は去り、来年度はもう一人の担任は3年もみたので乳児に行き、家の都合で非常勤だったベテラン保育士が正規になり(この方は長く主任経験者で今年度は非常勤も経験したため正規と非常勤の両方の立場や気持ちがわかる貴重な人材だ。非常勤の頃を忘れないでいてくれればいいのだが)持ち上がることになった。私は書類を書かないのでクラスをはなれ、キャリアの長い、障がい児も保育してきた見るからに落ち着いたしっかり者の非常勤が新たに入園し、もう一人の非常勤も来月には来てクラスは新体制となる。私はといえば、全てのクラスに入る全体フリーとなった。生活のために毎日8.5時間は働けるようにしてもらった。そしてなお且つ隔週で土曜日も働くことになった。頑張って働いて細々と暮らして行けば何とか食べていけるだろう。
若い保育士の自信満々の言動と保育に私も「保育ってなに?」と随分悩んで落ち込みもしたが、結局は保育士の人柄、人間性で、それでもって保育するしかないのである。私は私の保育しかできないと、それでいいんだと今は思っている。それは開き直りでも向上心がないでもなく、結局はこの世の中にはいろんな人がいて、そのいろんな人に出会っていろんな人と接して人や自分というものを知っていくことが生きていくことだからだ。

[PR]
by zuzumiya | 2018-03-31 10:26 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

実は不眠症

たぶん、もうずっと前から(と言っても40代後半ぐらいからなのかなぁ)夜中や朝方に目が覚めてしまう不眠症になっている。最近は9時半から10時頃に読書もできないくらい眠たくなってしまい、一度ダウンして夜中の1時や3時に目が覚めてしまう。再度眠るのに苦労する。ストレスだろうとは思う。内科でルネスタ2mgを出してもらって飲んでみたが、昨夜の記憶を無くすぐらいストンと眠りに落ちても、やっぱり朝方に起きてしまう。緑内障を患っているので眠剤には注意する必要がある。最近は公私ともどもストレスフルなので落ち込みやすく、不安感が増し、自己肯定感が弱くなっている気がする。単なる更年期障害かもしれないが、一度心療内科に行って診てもらってこようと思う。考え事をしている時はこうやって起きていられるんだが…。


[PR]
by zuzumiya | 2018-03-29 22:34 | ちっちゃい器で生きていく | Trackback | Comments(0)

帯に短し襷に長し。園長の決断は…。

人手不足である。思いもよらぬ正職が辞め、同僚パートが辞める。
あんなに実習生を受け付けてきたのに、なんと来年度は人が辞めるばかりで新入職員が誰ひとり入ってこない。驚きである。保育業界はより取り見取り。少しでも待遇のいい所があればそっちへ流れてしまう。
園長は出て行った職員の穴を非常勤で埋めると決断した。そもそも応募はあるのだろうか。年度末になってわかったことだが、今現在いる資格持ちの非常勤の多くは扶養内を希望しているらしい。今年度は仕方なく扶養から出て働いたが(毎年、人手が足りない)来年度はどうしても家庭の諸事情から扶養内でお願いしたい、などと3人もの非常勤が新たに扶養内勤務を希望しているという。ただでさえ人が足りないのに、誰も彼もが「扶養内で」じゃ園長はお手上げ状態だろう。
私自身は離婚もあって稼がなければならないので、来年度も今年度と同等かそれ以上に働かせて貰わねば、と思っている。もともとの契約が7時間だったが、今年度は8.5時間働いた。クラスが進級して食事の時間が若干変わるため、勤務にも変化があるだろう。「大変でしょう」と変な気を使われて、勤務時間数を減らされたら稼げなくなる。心配だ。なのに、今日の今日まで園長は面接をやっている。非常勤全員がどこのクラスに配属されるかこの期に及んでわからない。金の計算があるから早く決めて発表して欲しい。土曜日出ていた非常勤が辞めてしまい、その穴もまだ埋まってない。土曜日に出ると週6勤務になる。金は欲しいが、体も心も疲れてしまう。ギリギリまで声をあげるのをやめておこう。


[PR]
by zuzumiya | 2018-03-26 19:58 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

春らしく春を楽しむ。

なんだろう、春の陽気につられてやたらと花が欲しくなる。
玄関に百合を、門の脇には白沈丁花を思いきって移動させた。それぞれ自分の部屋の出窓と2階のベランダに置いてあったものだ。出窓には新たにピンクのペラルゴニウムを買った。我が家では花の金さえ家計から自由にならなかった。私が欲しいと思えば自分の稼ぎから買わなければならなかった。玄関に飾ったのは同居人が実家から帰って来た時の、彼に対するひとつの意地のようなものかもしれない。花を飾り、部屋を整えるのが好きな女だったと。訪問客などめったにない家である。誰に見せるのでもなく、そうやって気持ちよく生きることをよしとして貫いた女だったと。

[PR]
by zuzumiya | 2018-03-25 17:23 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

自由っていいな

同居人が帰省して留守なので、彼のテリトリーである一階の台所も居間も使いたい放題で気が楽です。ああ、自分の家なのに自由がないってほんとにストレス。久々に自炊して焼肉したり、ようやく大画面でドラマや映画が見られた。映画は二日間で四本も見た。『僕のワンダフルライフ』『ボブという名の猫』『エル』『マザー!』です。
今日は辞めていく正職やパートの同僚たちへのお疲れさまの品を買いに出掛けた。人にプレゼントを選ぶのは楽しくて結構好きなのだ。保護者対応で悩んで辞める先生にはアジアンなドリームキャッチャーを選び、夫婦円満で吉祥寺によく行くというおそらくは雑貨に目の肥えた先生には春らしい椿っぽい花の箸置きとそれに合わせたコースターを、食いしん坊の同僚には黒胡椒の豆菓子と緑茶のティーパックを、一年間同じクラスで今後もお世話になる先生にはご飯に合いそうな梅ひじきと焙じ茶のティーパックを選んだ。きれい好きでお花の好きな大先輩にはハーバリウムを贈る。
ついでに自分にも春らしいオレンジや黄色、ピンクのエプロンを四枚も買ってしまった。でもこれで新年度は気持ちを新たに頑張れる。それとアジアンなお店で二匹の猫がブランコに乗っている置物を(幸せになるって書いてあったので)ついつい買ってしまった。それと本当はジャスミンの石鹸とかフリージアとかすずらんのルームフレグランスとか、陶器の小鳥のブローチ、黄色いトートバックも気になったりしたなぁ。私は自炊をしてないのでエンゲル係数が高く、本くらいしか楽しみがないので毎月ガツンと買ってしまい、おまけに猫たちにも贅沢させているのでほんとにお金が出て行く。来月は布団やクッションのカバーも春っぽい明るいものに替えたいし。白沈丁花と窓辺のオレンジの百合が咲きました。明日もドラマと読書三昧です。天気が良ければ散歩して、フリージアを買いたいな。







[PR]
by zuzumiya | 2018-03-24 22:50 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

夫婦の終わらせ方〜『おめでたい女』を読んで〜

夏石鈴子改め鈴木マキコさんの離婚私小説『おめでたい女』読了しました。
帯であの佐藤愛子さんが1度読んでから再読したとか、タイトルの「おめでたい女」はいけないとか書いてありましたが、やっぱり再読したくなりました。それにタイトルですが、私は「おめでたい女」で断然いいと思います。なぜならほんとうにおめでたいからです。生活費は入れない、家賃は払わない、息子の学資に手をだし、毎日20万ずつ引き出して飲み食いに使う、挙げ句の果てに「金は出した方が負け」と開き直り謝らない、離婚したくてもハンコ押さない、養育費の調停にも来ない、そんな極悪人の元旦那と何とか別れて、この辺までは被害者として怒りや悔しさをバネに筆が進んでいたようですが、そのうち元旦那が病に倒れてからは途端に憐れみ、後悔の感が押し寄せて、ものすごく酷いことをされてきたあの怒りはヒョイと棚上げされて、どうしよう、可哀想にといつの間にか夫婦としての情が蘇り溢れてくる。25年連れ添ったといいいますが、夫婦とは相手が病に倒れたり死んでしまうとなったらこんな風に180度心情がすり変わってしまうものなのかと驚きました。あれだけのお金を返して貰えずにまんまと死なれてしまったその後になんと墓まで買ってあげちゃうんですから、これはもう「おめでたい女」で私はいいと思うんです。
マキコさんの場合は怒りながらも呆れながらも、仕事人としての元旦那を(息子もそうですが)ことごとく尊敬していました。はい、作品名をあげれば誰もが知ってるすごい映画人です。仕事で成功するならば、とその一点で生活費を入れないことも家賃を払わないことも、金策に困って自分の母親にも借金することもぜんぶ、「映画が当たれ!」「当たればすごいことになるから」の願いで何とか目を瞑ってきたんです。息子さんなんか離婚の際に自分の学費にまで手をつけたと分かっても、父親に付いて行ってしまうんですから。そういう意味ではマキコさんはどんなに忙しくても悲惨でも子供の教育には成功したと言えます。というか、マキコさん本人が、人間としてでなくあくまで仕事人としてですが、本心からすこぶる尊敬していたからでしょう、そういう母親だったから伝わるんです。普通は母を苦しめて家族をバラバラにした「最低な極悪人」として子供の心に残りますから。元旦那にあそこまでされても「死ぬ」となったら、怒りと悔しさで封じ込められてた人のいい面や思い出がふわりふわりと浮かんでくるものなんですかね。夫婦の歴史を恨みと憎しみで終わらせなかった、という点でも「おめでたい」でいいんだと思います。いろいろあったけど、確かに私はあなたと一緒に生きてきましたと、ある種のハッピーエンドが漂う感じがね。
はてさて、自分はというとマキコさん家みたいな悪いことはされていませんが、離婚したいうことはそれなりに傷ついているわけです。怒りや悔しさはおおよそ通り過ぎましたが、後悔もありませんが、残念な思いはあります。一緒に歩く老夫婦なんかを見ると「ああなれなかったなぁ」と。それと今後は誰も好きになれないような、恋愛感情そのものが失せてしまった気がしています。元旦那が病に倒れたら、と想像するとマキコさんのように「息子を助けるために」私も病院に出向くのでしょうか。マキコさんの場合は付いて行った息子さんがまだ高校生だったことは大きいでしょうが、マキコさん自身「会いに行かねば」という気が心の本音であった気がします。彼のためでも、息子のためでもなく、マキコさん自身の人生のケジメのために。私の家の場合は息子も娘も成人していますので、彼らに任せておくと思います。今現在の気持ちですが、どう心が揺れて変わっていくかはその時になってみなくてはわかりません。
離婚が夫婦の終わりじゃない、やっぱり所詮「紙っきれ」なんでしょうか。相手の死があってようやく今生での夫婦が終わる。でも、どうもマキコさんの本の終わり方にしても詩人の茨木のり子さんの亡き夫への詩集を読んだ時も、そこからまたアチラとコチラで繋がった新しい絆の夫婦ができあがる気がして、「夫婦の終わりって何だろう」といろいろ考えさせられる本でした。


[PR]
by zuzumiya | 2018-03-21 09:08 | わたしのお気に入り | Trackback | Comments(0)

うれしいな

春の朝のまっすぐな日差しに机の上のアロマと珈琲の湯気が白い渦を巻く。
控えめにピアノがほろほろ鳴って、手には読みかけの本。
休日の朝。


たくさん読みたい本があって、どんどん読んでいきますぞ。

[PR]
by zuzumiya | 2018-03-17 07:52 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

あと何回会えるのだろう。

中学時代の友人に10年ぶりぐらいに会ってきた。花粉症のマスクの上の目元にくっきりとシワがあって、開口一番、「年とったねぇ」と言ってしまった。
スタバで珈琲のおかわりをしてオバちゃん同士、えんえんと話した。「そんなことがあったんだ」話しても話しても話したりない、聞きたりない。彼女は職を失い、私は結婚生活を失っていた。二人ともが緑内障になってしまっていた。途中でトイレに立って鏡を見れば、「こっちこそ年とったなぁ」と苦笑した。珈琲でぽかんぽかんの腹を抱えて、駅ビルで二人の名前のイニシャルのKのキーホルダーを記念に買った。「何かあってもこれ見て頑張ろうね」と互いに頷きあった。
新宿の雑踏の中で「じゃあね、バイバイ」と互いに手を振って別れる。瞬間、中学の制服を着たあの頃の彼女がだぶって、ものすごく寂しくなった。こうやって何度も通学路で別れてきたんだよなぁ。時間は本当に取り戻せないんだなぁ。中学のあの頃から遥か遠くに歩いてきてしまったんだなぁとしみじみ思った。歩きながら、あと何回私たちはこうして会えるんだろうと、ふと思った。大病もしないで、大きな怪我もしないで、元気で、それほど不幸な出来事にもあわずに、こうしてまた笑って会えるだろうか、と考える年にいつの間にかなってしまった。
人付き合いは年と共にどんどん億劫になるだろう。でも、「毎年会おうね」とメールした。「これからも、よろしく」と。

[PR]
by zuzumiya | 2018-03-11 22:32 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

本が楽しくてしょうがない

何の本がきっかけだったんだっけ。『狂うひと』はまだ読み切ってないし…。
とにかく今は小説やエッセイなんかよりノンフィクションやルポの面白さに目覚めてどんどん本を読んでいる。今手元にあるのは
『自死は、向き合える』、『死刑でいいです』、『長生き地獄』、『発達障害』、『息子が人を殺しました』、『誰も書かなかった老人ホーム』、『ひとりで死ぬのだって大丈夫』、『おひとりさまでもだいじょうぶ。』、あ、思いだした、最初に読んだのは『安楽死を遂げるまで』だった!←面白かったのよ、この本。橋田壽賀子さんが安楽死を望んでいるという話もこの本で知った。スイスのライフサークルっていう自殺幇助の団体に日本人の会員もいるらしい。金持ちなら会員になりゃいいじゃないの。私は貧乏人だから孤独死だろうと思ってる。覚悟まではいかないけど、病院だろうと介護施設だろうと自宅の床だろうと死ぬ時きゃひとりだとは思ってる。痛い苦しいはいちばん嫌で、末期がんになるとモルヒネすら効かなくなる時期が来る、なんていうのを読むとビビって本当に死に方が悩ましいんだけど、スイスの自殺幇助なんか毒薬入れて5分もしないで眠るように死んじゃうんだって。羨ましいね。この眠るように死ぬを選びたいねぇ。
話が逸れた。で、今日は保育士らしく『本当は怖い小学一年生』を図書館に予約し、ノンフィクションやルポじゃないけど、離婚私小説ということで私の大好きな夏石鈴子さんがペンネームを打ち捨てて鈴木マキコさんとなって書いた本『おめでたい女』と、アスペルガー症候群との違いを知りたくて『サイコパス』を一緒にたった今ネットで注文したところ。『おめでたい女』は私もバツイチなんですんごく楽しみ!
あまのじゃくだから世間の流行に知ってて乗らず、後になってひっそり読むのが多い私。漫画の『あなたのことはそれほど』も面白かった。元ダンがテレビのある階下に陣取っているため、いまだに何も見られないので読書ばかりしています。


[PR]
by zuzumiya | 2018-03-10 21:32 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

いろいろと考えてました

ブログを非公開にしてみましたが、どうやら無意味らしいことがわかりました。そういうところ、分かっているつもりでしたがネットはやはり怖いですね。先生という立場の人が私に確認しにきたり、謝罪もないのはどうかと思いますが(だって、知らないところでネタにされて勉強会だか議論され、当の私の詳しい話は何も聞いてこないんですよ、誰だって嫌じゃありませんか?)、あまりに一方的で、これでは仕事の悩みや話は今後書きづらくなるなと思っています。
私は元保育士じゃなく、現在も仕事を続けているのであんまり騒がれるのも困りものなのです。
確かに現在の保育業界は問題だらけですが、よくよく考えてみると保育園がいい悪いじゃなく、園の先にある学校教育の世界や価値観が変わらない限りはダメなんだろうな、なんて最近は考えるようになりました。ってまた書いてますけど、一斉保育、設定保育をしている園の目指すところは結局は何だかんだ言っても「小学校へ行ってはみださないように、困らないように」だからで、小学校がまさに時間割が決まった教科を一斉に教えるところだからです。給食もみんなで揃って一斉に「いただきます」だからです。そう思えば、運動会での一糸乱れぬ行進や発表会での合奏に必死な形相でハッパをかけ怒り出す保育士も「ああ、そうか」と思えます。
では、先に小学校が控えているにも関わらず一斉を選んでいない園があるのは何故なんでしょうね。私が思うに、一つは保育園は「生活をする場所だ」という所を大事に忘れずにいようとしているのではないでしょうか。毎日朝は園が開く7時から、閉まる夜の7時まで週5で来ている子どももいます。その子にとって園はもう生活の場、暮らしの場ですよね。家より園にいる方が長い。以前にこのブログにも書いたと思いますが、園の床に寝転がって遊んでいる子どもに「ここは保育園なんだから、お家じゃないんだから、寝転がらないで起きなさい。座って遊んで」と注意した保育士がいて、最近では「正職が言ってたから」と何も考えずに真似をして言っているパートもいてびっくりしました。こういう言葉がけはないと思うんですよね。せめて「寝転んでるとお友達が通った時につまづいて両方が怪我しちゃうよ」くらいにしてほしい、せめてよ、せめて。私の一斉保育の好きじゃない点はこのしつけ意識の強い方へ傾きがちになるところです。保育所保育指針にも書いてあると思いますが、保育園はその子の家の代わりになる場所でくつろげる場所でなきゃいけないはずなんです。そのために環境整備してなきゃならない。できてないなら、せめてもっと共感性のある言葉を選んで言葉がけぐらいはしてほしいと思いますね。おっと、言葉がけも環境整備か(笑)。話が逸れそうですが、保育園に養護より教育の視点が強く入って来て以来、園がどんどん小学校を目指したプレスクール化して、本来の「もう一つの家としての暮らしの場」の意味合いが薄くなっているように思えます。保育士が長時間労働で疲れているように「遊んでいるけど目の前のこの子だって長い時間預けられてて疲れてるんだろうな」という共感性があれば、もしかしたら「疲れてるなら、あっちの隅にならゴロンとしててもいいよ」などとかける言葉が変わってくるかもしれません。
私が考える一斉を選ばない園があるもう一つの理由は、本当の意味での「個性を大事に」の実践でしょうか。お題目としてみんな唱えていても一斉ではやれるはずがありませんよね。いくら統合保育をやっています、といっても20数人の中に発達に障害のある子どもが混じっていて、先生の話を聞いている設定で、まず立ち上がってフラフラしだしたら「他の子の集中の邪魔になる」という理由で教室から出されます。自閉児が教室の隅で玩具で遊んでいても音がちょっとでも出るものは取り上げられます。多動児に対してもみんなで「ごちそうさま」を言うまで椅子に座っていることを強いられます。「みんなで一緒に」の一斉保育には常に子どもをまとめることで精一杯だという印象を私は受けます。それについて来られない子どもはゆくゆく小学校に行ってからも困るだろうから、と強い口調で𠮟られ厳しく躾けられるのです。知的な遅れはないものの、すごくマイペースでみんなと一緒にすぐに動けない、でも自立はしているのんびり屋さんの女の子がいます。ADHDののび太くんタイプかもしれないのですが、このタイプは障害なのかこの子の個性なのか判断が難しいような気がしています。どちらにせよ大きな括りで特性や個性といったものが際立っていますが、正式に障害と名がつかない限り、のんびり屋の彼女は一斉の保育士にはだいたい早く早くと急かされて怒られてしまうんじゃないでしょうか。「みんなと同じように早くやる」を良しとして、そればかりに意識を持っていかれると子どもの特性や個性といったものを悪いもの、厄介なものと捉えることになりかねません。
書かないと言いつついろいろと書いてきてしまいましたが、日本ではほとんどの園が一斉保育なんですから国民性というのもありますよね。それに働くお母さんの第一希望は保育内容より自宅から近い場所ですからね。よほど変なことをしない限りは預かってくれればいいという声も聞きます。ただ、自分の育児経験も含めて「将来の子どもの学資のため、家のためで頑張って働いているんだろうけど、今目の前の子どもといっぱい触れ合っておかないと学資もローンも結局は無駄になる事態になるよ」と思ったりします。脅かすつもりはないんですけど(笑)。保育園の頃ってすごく大事なんだな、と最近しみじみ思います。そこに関わっている自分への自省も込めて。長くなりました。それでは、また。

[PR]
by zuzumiya | 2018-03-10 11:13 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)


ふだんの暮らしに息づいているたいせつなもの、見つめてみませんか?


by zuzumiya

プロフィールを見る
画像一覧

S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

※このブログの無断な転載はご遠慮願います。

最新の記事

せんせいのポケット
at 2018-06-19 00:54
ここへきてわかった話
at 2018-06-17 12:27
夏が来れば思い出す怖い話
at 2018-06-12 21:22
自然の音もいいもんだ
at 2018-06-09 19:46
今週の買い物
at 2018-06-06 20:32

最新のコメント

検索

ブログジャンル

画像一覧