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それでも先生と人は呼ぶ

ここのところ、ある記事への度を越した閲覧数があって、下さったコメントを追って調べたところ、なんとある有名な方のツイッターに私の記事が紹介されているのが判明した。私自身はツイッターをやってないのでよくわからないのだが、アカウントやらを持つ知人に調べて貰ったら、私の記事を問題提議にして賛否両論の議論がツイッター上で展開されているという。このブログにはもちろん、著作権があり、私の同意がなければ転載は許されない。そう明記されている。有名な方で私なんぞに比べてはるかに地位と権力をお持ちであろうが、何故にひと言申し出てくれなかったのだろう。そういう感覚、忘れてしまわれたか。残念ながら礼儀に欠けてると思わざるをえない。実に不愉快で哀しい気持ちだ。
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by zuzumiya | 2018-02-20 00:06 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

人生は選択の連続で

おそらくは今日のイベントが終わった後の職員会議で、私の「家庭の事情で」姓が変わったことが園長より発表されたことと思う。小声で囁きあう「これって、熟年離婚?」の驚いた顔が目に浮かぶ。そして「何歳よ?」「たしか、園長とあんまり変わらないとか言ってたから52とかじゃない?」「すごいねぇ、どうすんの?これから?」と一瞬ざわつくかもしれない。呆れる顔、同情する顔、マジ〜?と面白がる顔、いろいろだろう。ああ、明後日からは面倒だが、それらひとつひとつから放たれる好奇の視線に晒されるのだ。でも、生きていかなくちゃいけないので「一人身なんで、自分で稼がなきゃならないんで、今までどおり頑張らせて頂きます!」とでも笑っておこう。
さて私、本当にここのところ出費で貯金が崩れていく。風邪など引いて休んでいる場合じゃないが、無理もきかなくなっていることは書いた。手取りを考えて、やはり今と同じ長時間働くしかないかな、と思い始めている。明後日、園長に相談に行くことにしよう。それとも小規模の乳児だらけの園にでも移って、正職をやるかだな。


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by zuzumiya | 2018-02-17 19:45 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

休んで病院へ

夕方からの微熱と一度始まるとなかなか止まらない激しい咳のため、睡眠がとれずにさすがに今日は仕事を休んだ。パートの皆に「今度はインフルAじゃないのぉ?」「こっち来ないでぇ」と冗談ぽく避けられ、「ハイハイ、どうせ私は病原菌ですよ」とふざけていても、Bばかり60人以上も出した園に初めてAを持ち込むことになったらどうしようと内心、不安であった。検査の結果は、白。ただの風邪であった。身の潔白を証明できてよかったが、クラスにはB罹患後に私と同じように咳に苦しむ子どもらもいて、子どもゆえに高熱も出て、実は「検査の結果Aだった」となるかもしれない。
確実に身体が弱くなっているのを感じている。年のせいか、更年期なのか、年々無理がきかなくなっている。たとえ微熱でも保育なんぞできるわけがない。体当たりで保育士に体を預けてくる(それも複数で)子どもらの生命の安全を確保しなきゃならないのだ。ウザったいなどと顔と態度に出せない。頭も感覚もぼんやりできない。体が本調子でない保育は隙ができ、子どもを危険に晒す。だから休むことは必ずしも我儘なことじゃない。それにしても正職の担任は休まないなぁ。精神的にも肉体的にも疲れているだろうに、ちょっとやそっとで休めないという強い意志が支えているのだろう。パートになって「パートなんだもの」という甘えがタガをゆるめてしまったか。
何となく気持ちが寂しくなって母に電話した。卒婚を慰めて貰いたかった。「いざという時には私もいるから」の言葉を内心聞きたかったのだが、出てきた言葉は「自分の子供に頼りなさい。こんな年寄りにおんぶに抱っこされても…」というものだった。金の無心じゃないのに。母には腐れ縁のような男がいて、そっちとうまくやっているから私がどうなろうと別段、関係ないのだ。私がせっかく一人身になったのに、頼ろうともしない。男がいると便利だの、利用しているだのそういう言い方をして、本当は惚れてるくせに親として見栄を張っているのだろう。それとも色ボケと言われた祖父と同じと思われたくないのだろうか。つくづく「子どもより男」の人生の人だったなぁと思う。話の流れでセコムの緊急連絡先の話、それから母が倒れた場合の動かせるお金の話や遺産相続の話になった。父違いの娘が四人もいるからきちんとしておいてもらわないと困るというただそれだけなのだが、最終的にお金の話になってしまい「違う、本当は違うのになぁ」という思いのまま軌道修正できず電話を切った。いつもいつでも互いの真意は伝わらない親と子だなぁとしんみりしてしまう。きっと母とは平行線のままなんだろう。『友達以上、不倫未満』読了。いずれ感想は書く。たまってた「anone」を観る。
道路に立つミラーがアスファルトに作る光の輪。自転車でそこを通ると頭の中にファンファーレが流れて、レベルアップすることに勝手にしている。それだけで、ちょっと楽しい。






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by zuzumiya | 2018-02-15 20:45 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

日常の沼

このブログに書くべきことではないだろうし、一度たりとも私の本を読んでくれた方々にどう書けばいいのか、申し訳ない気持ちもあり、しかしこれが人というものでもあり、変わらないものなどないなどと心の中は乱れている。平日はいい。仕事に追われているし、仕事上の悩みだってある。ただこのように休日が続くと時間と自由を持て余し、考えなくてもいいことを考えてしまう。読んでいる本もいけない。「死の棘」の島尾ミホの評伝である。私もミホのように問い質したいことはいくらもあり、その歪んだ欲望とその無意味さに暗く沈んでいく。ああ、早く出て行って欲しい。そうしなければ私の新しい出発はない。この家に住まわせてあげているのは私の温情、ただひとえにそれだけある。彼は何も悪くないと開き直っているだろうが、明らかに妻であるこの私を傷つけたことに謝りの言葉もなかった。ここに居られることは婚姻関係が終わったのだから、権利でもなく何でもなく、ただの占拠である。ありがたいと感謝されてもいいはずだし、自分が男として情けないはずだ。これがあと半年も続くのかと思うとこちらの精神の安定が心配である。ミホのように気がふれるわけにはいかない。ただ心のなかに暗い沼があって、そのヘドロのなかに入りたくないはずなのに何故か自分から近づいて行って足を取られそうだ、とも思う。
午前中、近くのホームセンターでアイビーとシュガーバインの苗と、ガラスの細い一輪挿しを二本購入。水栽培で綺麗な窓辺が出来上がったはいいが、「だから何?」という気になる。日常のいろいろを忘れたくてジタバタするのも金を使うのも致し方ないと自分を許しているが、気持ちのアップダウンに身体まで引きづられるように少し体調が悪くなってきた。これでは相手の思うツボではないか、とまたしてもそういう気になる。インフルエンザAではないように。ネットばかり見ているので「友達以上、不倫未満」などという本を見つけてしまう。セカンドパートナーだと。暗い気分になる。



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by zuzumiya | 2018-02-12 17:15 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

ちょっとずつ楽しくなれ

卒婚に関わる苗字の変更で役所や銀行、保険、年金、携帯、ライフライン関係、墓地などありとあらゆるものの手続きを行っている。これが結構、大変だった。手続きのため、今しばらく健康保険証なしに過ごさなくてはならない。風邪もひけない。旧姓に戻らなくともいい選択肢はあるのだが、籍が抜けたのだから相手の苗字のままになっている(同じ苗字だが全く別の戸籍となる)のはなんとなく結婚生活を引きずっている気がして嫌だった。旧姓とはいえ結婚まえの娘時代の感覚ではなくて、もう母でも妻でもなく、誰のものでもない自分だけの新たな人生を最後に送りたい、ただそれだけだ。後は車の処分とそのお金で夏までとは言わずなるべく早く元ダンが家を出て行ってくれることを望んでいる。手続きの話でさっき元ダンの部屋を覗いたら、床に書類やら食べ物の袋なんかがとっ散らかっていて、足の踏み場もなかった。派遣の契約が3月末に切られるというから、精神的にもかなり荒んでいるのかもしれない。薄気味悪かった。でも、正直、憐れみはない。私だってこの年で女のひとり暮らしになるのだ。以前書いた小さな砂時計も抱えている。こっちだって相当大変なのだ。
今日は国分寺へ行く用があって、昼にはひとりで蕎麦屋に入って鴨南うどんを食べた。蕎麦屋のオヤジさんが魚屋のように威勢のいい声で「いらっしゃい」と言うのが妙ちきりんだった。その声で奥で「鴨南蕎麦?、え、うどんなのぉ?」とやられ、「悪いかよ、今日はうどんの気分なのっ!」とひとりごちた。花屋でヒヤシンスの球根を見つけた。水栽培用にあらかじめ深皿に張った水に浸けてあり、白い根が長く伸びている。球根を買いそびれていたのでうれしかった。家に帰って早速、ガラスのデキャンタに乗せた。春になると光がきれいに感じられるので、土物より窓辺にガラスの瓶や器を並べて水栽培がしたくなる。ポトスやアイビー、シュガーバインなんかはとっても簡単。そうだ、明日、天気が良くなったら、アイビーとシュガーバインを買いに行こう。こんなふうに毎日、ちょっとずつ楽しくあればいい。





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by zuzumiya | 2018-02-10 23:30 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

発表会

前にも書いたが、私のいる3歳児クラスには今年度どういうわけか多動や自閉などの発達障がい児やグレーが多く、特別な配慮の必要な子どもが26名中、7、8名はいる。なのに担任2人と非常勤のパート2人で保育をしている。ただでさえ手のかかる3歳児なのに人手不足の昨今、事務所側も「4人でやれ」と譲らない。
時は発表会のシーズンである。カナータイプで知的遅れもある自閉の子どもははなから参加は無理。周りも求めていない。問題は多動児の方である。音楽や歌や絵本のお話が決して嫌いではない子だが、ステージの上での練習を日によって皆と一緒にやれたり、やれなかったりがある。自閉児は教室で自閉児なりに好きな遊びをしてその時間は過ごすことを許されている。多動児はそこへホールから出される形で(騒がしくしてしまったり、走ったりしてしまうのだろう)入ってくる。自閉児を教室で見ている私は多動児の興奮(棚の上に上ったり奇声をあげたりする)を鎮めるためにオモチャを出したり遊びに誘い込む。その方法で多動児とマンツー的に遊んでいることが多かった。それについて、担任から小言やこうしてほしい的な発言はなかったのである。
ところが明日は発表会の総練習。発表会当日に向けての様々な段取りを確認し合う日である。残念ながら多動児の親と担任の折り合いは最初からうまく行ってない。そういうところにもってきて発表会というハレの舞台に親が見ている前でどういうタイミングで多動児を(言い方が悪いが)引っ込めるかが心配の種であった。最近もいろんな誤解や曲解で担任たちは親対応にほとほと疲れ果て、対応は園長がするようになった。そんななか、担任や園長や主任らがどうするかを話し合ったとは思う。今日、改めて練習日当日の多動児の対応について担任から私に話があった。
「本来はやれる力がある子ども」という理由と「知的な遅れはないので、教室に行けば先生が好きな遊びで楽しく遊んでくれることが分かってしまうズル賢さがある」ため、私の対応はいつもとは真逆のものを求められてしまった。すなわち、「今は発表会の練習の時間なのだから、教室に来ても先生はあなたとは遊べません」と毅然とした態度で跳ねつけろとの指示である。いつもは楽しく遊んでいて、である。つまり、そのいつもというのは言うなれば、健常児の練習をクラスとしてきちんとまとめ上げたいという気持ちが担任に優先順序として先にあって、その和を乱す者はとりあえず出て行って、ということで教室に戻されていたにすぎないのだと思う。何とかクラスを見栄えよくまとめ上げた今になってようやく、戻された多動児の対応の方に気が向いたのであろう。多動児に対するいつもの対応とは全く真逆を、遊んでくれてた先生が遊ばないと言い切るいささか冷淡な対応を急にせよというのだから、私も多動児も混乱するのは目に見えている。嫌だなぁと思う。それなら最初からそういう風に指導すべきだったのではないか。「主導権を子どもに譲らない」とは担任のよく口にする言葉であるが、私もここのところはいつも迷うところである。自由保育出身の私には何となくどこかが違うような気がする。でも、まだうまく反論できない。多動児といっても多動に包まれた独特な我儘さがある子どもだとは思う。すべての問題行動を多動のせいにできない、という気はする。大人が言うなりになってはいけないのはようく分かっている、納得できる。その反面、発表会のハレの姿を作り出そうと躍起になるあまり(それは担任の指導力の見せ場でもある)またいつものように一斉保育の「みんなと一緒に早く同じようにする」の悪い癖が出てしまっていないか、とも思うのだ。本当なら障がい児を受け入れ、奇声を発しようと歩き回ろうと統合保育を胸を張って実践しているのなら、親も子もこれもしょうがないことと思って見守る必要がある。どこかに無理強いはしないと表向きはしつつも、和を乱す者は隠せ的な気持ちがあるような気がしないでもない。
親がたくさん見にくる発表会。園としても見せ場であることは充分に分かっている。こんな中途半端な気持ちでは憂鬱なばかりだ。


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by zuzumiya | 2018-02-08 21:06 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

立春ですよ、ららら。

節分が過ぎ、今日は立春だと知ったら居ても立っても居られなくなった。
ちょうど昨日からhuluで「山のトムさん」を見ていたのどかさも手伝って、部屋に流す音楽を森ゆにの「シューベルト歌曲集」にして、玄関の節分用のしつらえの鬼とおたふくのお面と豆の入った枡を片付けた。小風呂敷のタペストリーも紅白から春らしい桃色地のものに替え、金屏風に小さな雛人形やぼんぼりを飾り、隣に造花の桃の花を飾った。なんとなく春らしい黄色の色味も欲しくなり、「そうだ、菜の花を買いに行こう」と思い立つ。国分寺のマルイにはお気に入りの吉祥寺菊屋もThree little song birdsも入っている。ついでに久しぶりに本屋も覗いてみようと家を出た。卒婚をしたことで、これからは自分のほんとうに好きな器だけを買い集めて、ランチョンマットなんか敷いちゃって、ひとりでご飯を作ってちゃんと食べようと思った。バスを待つ間、そんな暮らしを考えて少しだけウキウキした。
雑貨屋さんをいくつか覗くともう桜のグッズが売られている。桜の花びらの可愛らしいキーホルダーを見つけて、今月、息子と同棲する彼女に鍵を渡す際にこれに付けてあげようと思い立つ。喜ぶ顔が浮かんでいい買い物をしたと思った。
菊屋に行くとさすがに菜の花も黄水仙も売っている。菜の花を手に取ると値段は900円。しかし、茎は何で切ったらいいのか、かなり太い。葉も野菜のように逞しい。菜の花とはそういうもんだけど、代わりにミモザの小枝が売られていて大いに迷う。でも、桃の花と対にして合うのは菜の花のような気がして、でも小さな花瓶には合わないし、花瓶まで買うのはなぁと店頭でひたすら迷う。で、購入を断念。菜の花目当てに電車に乗ってまで来て、買わないのだから女の買い物って厄介だ。
紀伊國屋の本屋を覗くと、益田ミリちゃんが新作のエッセイを書いていた。『永遠のおでかけ』ミリちゃんのエッセイは素直だから、これを読めば私もまたムクムクと書きたくなるかも。で、即購入。ノンフィクションのコーナーで『安楽死を遂げるまで』(宮下洋一著、小学館)に食いつく。それと最後にすんごくすんごく迷って梯久美子さんの『狂うひと 「死の棘」の妻・島尾ミホ』を購入。知っていたけど、賞もとったけど、1冊3000円もするんだもん。卒婚した私にとっては今読んでおきたい本である。
菜の花目当てで来て6000円以上も本代に使ってしまったが、最終的にはこっちもいい買い物をしたと満足感がある。昼を挟んだが、倹約をして外食せずにチョコレートドーナツ1個を買ってバスに揺られて帰ってきたのだった。





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by zuzumiya | 2018-02-04 16:30 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

歌人と凡人の小さな砂時計

歌人で作家の穂村弘さんは私と同じ40代で会社の健診で緑内障が見つかった。彼の講談社エッセイ賞受賞作の『鳥肌が』の「小さな砂時計」を読んでそれを初めて知った。
緑内障というのは原因はわからないけど視神経がダメになっていく病気で、いずれ視野がどんどん欠けていき、最終的には失明してしまう今のところ不治の病いなのである。私も穂村さんも眼圧を下げるための点眼をして、なんとか進行を抑えている。でも、60代だろうか、70代だろうか、80代だろうか、いずれは視野が欠けていき、それも彼の文章によると鼻側から(できればそんな中央部からでなく、端っこから欠けてほしかった)欠けていくらしいが、見えなくなる運命がもう決まっている。河瀨直美監督の『光』という映画で視力を失うカメラマンの役を永瀬正敏さんが演じていたが、見えなくなるとは真っ暗になるんじゃなくてぼんやり乳白色に染まっていくものだと知った。世界が徐々に乳白色に包まれて昼だか夜だかわからない。障子の穴のようにほんの小さく空いた隙間から懸命に今を覗き見る感じ。ああ、こうなるのか…と少しショックを覚えたが、今はまだ両眼で視力を補って見えているので、穂村さん同様、そんな深刻な病気になった気がしない。穂村さんは書く。
【死までの時間を刻む大きな砂時計は、万人が持っているから、通常はほとんど意識されることがない。でも、私にはもう一つ、失明までの時間を刻む小さな砂時計がある。そちらの方が大きな砂時計よりも先に落ち切ってしまわないか不安だ。】
失明より自分の寿命が先に来てしまえば、病気から逃げ切ったことになる。40代発症ケースはほんとに微妙なレースなのだ。なんとなく、なんとなくだが、私は寿命の長い女性だし、逃げ切れないような気がする。白い杖をつく老後が待っている気がする。
【小さな砂時計はオプションで与えられたものだから、御飯を食べていても、本を読んでいても、誰かと話していても、いつも意識のどこかにある。逆に云えば、そのために丈夫な目の持ち主よりも世界が少しだけ綺麗に見えているはずだ。】
穂村さんの文章は文章としての終わり方は歌人らしく素敵だが、ここを読み返すたび、「ホントか」って自分に問う。いずれ見たくても見えなくなることがわかっているのに凡人の私は毎日、空も見上げることなく忙しく過ごしている。そんな瑞々しい生き方、してないなって。でも、穂村さんのこの世界の見え方のくだりと小さな砂時計がいつも頭の隅にあって消えないのだ。恋でもできたら、この世界はまた美しく色づいてくれるだろうか。


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by zuzumiya | 2018-02-04 09:21 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

保育の現場と保育補助

以前、ここで書いた「先生が辞める時」という文章にコメントを下さった方がいます。その方は無資格で保育補助をしているとのこと。一斉保育の園での正職の先生との保育観の微妙なズレ、それに伴う連携の難しさを書かれていました。この問題については私もこの1年で随分と考えさせられ、悩まされ、漏れ聞こえてくる園長、主任の対応などから園としての長年の変わらぬ、ガンとして変えたがらない気風を感じ、そして52歳という年齢や卒婚して1人で生きていかなければならないこともあり、正直に言って1年かけてようやく心穏やかに平らかに諦めの境地に達したところです。生きるために、細く長くこの職場で働けるよう、自分の仕事への向き合い方に折り合いをつけました。これも以前書いたと思いますが、時間帯によって資格者と無資格者が混在している場合の保育の現場で、仕事に必要なのは資格だろうか、それとも無資格でも子育ての経験があって長年いろんな子どもを見てきた経験があればいいんじゃないのか、と疑問に思ったことはあります。もっと言うと、正職のする保育以外の補助の仕事に学問的な資格なんてさほど必要じゃないんじゃないか、子育ての経験と人間としての常識や今何が必要か、求められてるかという一般的な仕事の動きの勘、段取りの勘みたいなものあれば誰でもできる仕事じゃないかと現場で働いていて思ったりします。
保育の現場もきっちりとピラミッドがあって、結局は正職の思い描く保育を進めるため、補助は単なるフォローであって、その程度の仕事しかハナから求められていないし、させて貰えないというところが現実です。保育補助とはそういう立場なんだと思わざるをえません。分かりやすく言えば、正職が週案で今日はクレヨンでお絵描きさせようと考えたなら、補助は人数分のテーブルや椅子を出して机が汚れないようにカバークロスを掛け、お絵描きが済んだ子どもの手洗いを見たり、給食に備えてクロスや床を掃除してきれいにすることなのです。こういう雑務に資格もクソもないでしょう。パッパと動けばいいだけです。日誌も書かなければ、連絡帳もお便りも書かない。月案や週案、児童票はもちろん見せて貰ったこともない。子どもたちの親の職業だって知らない。会議や研修も参加させて貰えない最下層に位置します。そういう立場の人と正職とほんとの意味の腹を割った連携なんてとれるはずがないのです。では保育の補助に最低限、何が求められているかといえば、生命の保持、怪我をさせないでいてくれたらそれでいいのです。勉強や研修をしてきた資格者なら子どもへの言葉掛けや仲立ちの重要さを分かっていますが、無資格者にそこまでは求めていません。昔そこいらに居た近所の世話焼きおばちゃん程度のダメ出しの多い気さくな言葉掛けでも耳に入っても概ね聞かぬふりをしてくれます。そんなものなのです。本気で子どもと(そして延長線上にいるその親とも)関わりたいのなら、正職になることをおすすめします。貰うであろう給料以上に仕事は精神的にも肉体的にも大変です。態度を改めない親に暖簾に腕押し感もハンパないでしょう。園長や主任がいつでも理解があって味方について守ってくれるかどうかはわかりません。そして子育て同様、努力の結果は浅いものは見えても何十年か先にしか現れてきません。1年ごとに変わるクラスの担任も人間だから合う合わないもあります。苦手な先生との1年はそれだけでキビシイものがあります。どうでしょう? 脅かすわけではありませんが、保育士不足や潜在保育士の多さにはそれなりに理由があるのです。私も立場的には非常勤保育士で保育補助ですが、資格者で正職の経験もあり、これでも少しは抗おうとしましたが、これがこの園の長年の風土なんだな、新しい風は求めてないのだな、と分かってからは自分を園に合わせる方へシフトしました。求められていないところに求めろと迫ってみてもカラ回りしてモチベーションが下がるだけです。補助は補助として立場をわきまえ、正職の求める保育に従い、正職がやりやすいよう最大限のフットワークでよく気づき、よく動くことだと思っています。





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by zuzumiya | 2018-02-03 23:26 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

ラブソングなんてしばらく聞けないな。

先日、ついについに卒婚しました!
今はまだ戸籍の移動中で苗字が宙ぶらりんな状態です(笑)。
手続きが忙しいのと諸々の事情から元夫と半年は同居となるためまだ実感はありません。夏からは晴れて独身となる予定。第三の人生、やりたいことはやっていこうと思います。


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by zuzumiya | 2018-02-01 13:36 | ごあいさつ | Trackback | Comments(0)


ふだんの暮らしに息づいているたいせつなもの、見つめてみませんか?


by zuzumiya

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