カテゴリ:わたしのお気に入り( 205 )

阿久悠と宮本浩次

先日、テレビで阿久悠の特集番組を見た。その中で堺正章が歌った『街の灯り』が昭和らしいメロディと歌詞でいい歌だなぁと思った。ドラマ「時間ですよ」の挿入歌だったらしいが覚えていない。今度、カラオケで歌ってみようと思った。
「街の灯りちらちら あれは何をささやく
 愛が一つめばえそうな胸がはずむ時よ」
なんて、素敵な歌詞だろう。「街の灯りちらちら」が甘く切ないような、人恋しい気分に拍車をかけて、始まったばかりの恋心にしみじみと効いてくる。
昔は、エレカシの宮本さんもいい歌詞を書いていた。個人的には売れないエピックの頃の、若さゆえの老成めいた背伸びととんがった歌詞が好きで、中年の今読み返すとなぜかしみじみと心に来て更に深みを増している。私は以前、あの頃の宮本さんの歌詞を優れた随筆のようだと書いたことがある。私の好きな歌に『通りを越え行く』がある。歌詞だけ見ても、ほんとにいい。なんてことない日々の暮らしのワンシーンなんだが、たまらなく詩情に溢れている。
「ああ、町の音遠くにして
 寒き夜なら猶なつかし
 今朝のままなる我が部屋の」
文語調だから、なのではない。仕事を終えて帰ってきた部屋の、今朝出て行った時そのままの部屋の自分らしい温もり、安心感、そういったものが町の音が遠くかすかに聞こえてくるような空気の澄んだ寒い夜は、なおのこと懐かしくいとおしく心に沁みてくると書いている。この感性、ものすごく素晴しい。平凡な日常の中にある人の生のつつましやかな滋味深さ。歌詞全編とおして、うら淋しいなかにも、どこか生の温もりに満ちて、ささやかだけどしみじみとした幸福感がある。人がひとり生きていくことにやわらかな灯りのようなものがともっている。いい歌詞だ。


※「通りを越え行く」は『エレファントカシマシ5』の中に入っています。
[PR]
by zuzumiya | 2017-02-10 23:23 | わたしのお気に入り | Trackback | Comments(0)

荻原魚雷さん

荻原魚雷さんにはまっている。先日の『本と怠け者』に次いで『活字と自活』を読んでいる。魚雷さんはまたしてもこんなふうに書く。
<今日もまたとくに予定のない日にありがちなことをするだろう。つまり部屋を掃除して、洗濯して、食料品を買い物して、古本屋をまわって、喫茶店で本を読んで、酒を飲んで、家に帰ることになるだろう。あまりものは持ちたくないが、知らず知らずのうちにものが増えてゆく。>
私は酒が飲めないし、近くに行ける喫茶店もない。喫茶店で純粋に本だけを読むことは憧れでやってみたいことだが、コーヒー一杯で何時間ねばれるものなのか。小心者でそんなことに気を回していたら文章が頭に入ってこない気がするので、人待ちの時以外は試したことはない。それでも暮らしの質が、生活の芯のところが、そういうものだと自分に許している、ほどよく諦めたこのゆる~い感じがなんだか魚雷さんと私とは似ていて、天野忠とか黒田三郎とか辻征夫とか詩人の好みも同じで、彼の仕事や生活のまっ正直な悩みや告白にニヤニヤしながら読んでいる。〈好きな時間に寝て起きて、好きなときに酒が飲めて本を読める生活以上の望みはない。〉だなんて、ああ、そうね、そういうものよね。なんてステキなの。作家の名前や有名な作品が情報として知ってはいても、今までは触手が動かなかった。「フン、何さ」という私の天邪鬼な性格もある。好き嫌いが激しい。古本の世界は「読みたい本がたまたま古本にしかなかった」程度の素人からしたら、ガイドがいないと歩けないような鬱蒼とした森のようで、なんだか近寄り難かった。でも、魚雷さんに<何度も繰り返して読んでいる>とか<即買いした>と書かれると「読まなくっちゃ」と傍らのiPadを起動させ、ネットの古本屋や図書館に予約を入れまくっている。そう、私にとって魚雷さんは本の世界の扉をまた新たに開いてくれた大切なガイドだ。彼が「こっちにおいで」と手招きするなら、自然と行ってみようという気になる。もうそれはレンアイっぽい微熱を含んでいる。私も死んだ時のために、あまり本は増やしたくないと思っていた。でも、もういいやと思っている。
[PR]
by zuzumiya | 2017-02-05 17:06 | わたしのお気に入り | Trackback | Comments(0)

本と映画と怠け者

この週末はいっさい家を出ずに本と映画を見ていた。
お腹にくる風邪の次にまたしても喉風邪にやられている。声がガラガラで咳も少し出てきた。本はYaccoさんをようやく読み終わり、荻原魚雷さんの『本と怠け者』を今日一日で読んでしまった。早川義夫さんのエッセイに巡り会った時のようなすがすがしさがある。正直に誠実に戸惑う、悩む、分からなくなることのすがすがしさ、いつでも自分自身であろうとするすがすがしさ、とでも言おうか。本の中に自分のモヤモヤを助けてくれる何かがあると信じて、そういう本を作家の言葉を生き方を探さずにはいられない熱情に思わず微笑んでしまう。いわゆる“古本もの”は初めてだが、私の好きな作家さんの知らなかったエピソードや未読の随筆など、読んだことはないが興味を持った作家さん(神吉拓郎など)増えて、図書館にガンガン予約している。これからは井伏鱒二と尾崎一雄に行く。
映画は『シングストリート』が良かった。自分も80年代、ロックのミュージックビデオに憧れて日芸の放送学科に入ったことを懐かしく思い出した。

※荻原魚雷さんのブログ「文壇高円寺」もどうぞ。





[PR]
by zuzumiya | 2017-01-29 22:41 | わたしのお気に入り | Trackback | Comments(2)

のんびりというささやかな贅沢

先日、読み終わった川本三郎さんの随筆『あのエッセイこの随筆』のあとがきで川本さんはこんなことを書いている。

<随筆はのんびりしていればいるほどいい。
政治や経済、社会的な大事件といったなまの現実からは少し遠去かる。天下国家を論じることはないし、流行を追うこともしない。大仰に自分を主張することもないし、たけだけしく他者を難じたりもしない。
「不易流行」という。コラムというものが「流行」を題材にするとすれば、随筆は「不易」を語る。変化する時代にあって相も変わらぬ日常の小さな出来事、事実を大事にする。
随筆は、いわば日なたぼっこや、散歩のようなものである。無為の時間のなかに心を遊ばせる。日々の暮しのなかに、日だまりのような時間を見つける。(中略)
「夏炉冬扇」という。「夏の炉と冬の扇」つまりは、あまり役に立たないもののこと。随筆のいいものは、たいていは「夏炉冬扇」の精神を持っている。現実社会のなかではあまり役に立たないものをひそかに大事にする。
あれはどこの古書展のポスターだったか、いつも古本と猫を組み合わせた写真が使われているものがある。のんびりとしていていい。あのポスターの良さは、随筆の良さと通じ合うものがある。>

なるほど、本文の中にも鶯亭金升(おうていきんしょう)という明治から昭和にかけて活躍したジャーナリストのことを“「ひまダネ」をよく書いた文人、粋人”とし、その随筆『明治のおもかげ』は「時間の流れがゆったりとして一気に読み終えてしまうのが本に対してもったいない」と書いて絶賛している。川本さんといえば散歩好きの永井荷風ファンだから、もともと随筆についてはそういう心根(「のんびりというささやかな贅沢がある」と書かれている)を持ち合わせていたんだろう。
実はこの川本さんと真逆のことを以前、松浦弥太郎さんから言われたことがある。あの頃の松浦さんは暮しの手帖の編集長になったばかりだったせいか「随筆は実用である」と言い切っていた。「ああ、そうか。私の文章は何の役にも立たないという意味か」とひどく落ち込んだ。『くちぶえサンドイッチ』が好きだったのに、その後、彼はどんどん書くものが啓蒙チックで実用書っぽく傾いていった。彼にそう言われても、自分では好きな随筆・エッセイというものが日々の暮らしの中で見つけられる些事で、今昔問わず、どちらかというとおっとり、ゆったりしているテイストのものばかりなのでどうにも仕方がなかった。でもそういう松浦さんだって、ライフワークバランスを大事に考え「日々の暮らしを丁寧に」と主張していたのに、著書『正直』のなかでは堂々と「日々とは仕事である」と真逆のことを言い出したりするので、ま、そうそう落ち込むこともなかったかと今では思える。今回、川本さんのこのあとがきを読んで、心強い味方を得たとうれしくなった。
[PR]
by zuzumiya | 2017-01-28 22:18 | わたしのお気に入り | Trackback | Comments(0)

理想のふたり

理想の老夫婦像として、ああだこうだと細かく口にせず、庄野潤三の晩年シリーズを夫にそっと差し出せばいいと思いついた。今、たまたま庭にメジロやシジュウカラが来ているので私は『メジロの来る庭』から読んでいて、夫には『鳥の水浴び』にしようか。シリーズの何処からでも何から読んでも同じ心持ちになれる。ゆったり、ほっこりとした読後感。毎日つつがなく同じことの繰り返しで暮らしていけることの大いなる幸福。
[PR]
by zuzumiya | 2017-01-12 14:37 | わたしのお気に入り | Trackback | Comments(0)

鼻笛

時々、何かのかげんで息をするたび、ピーピーと小さく可愛らしく鼻が鳴る。
「あ、鼻笛だ」と可笑しくなる。しばし、自分で息を調節して笛の音と遊ぶ。ピーィと伸ばしたり、ピッピッとスタッカートをかけて鼻笛を演奏してみる。どうやら鼻笛は息を吸う時だけ鳴って、吐く時は鳴らないようだ。今までいつも吸う時だけだったのかどうか覚えはないけれど。
私は自分の鼻笛だけじゃなく、誰かの鼻笛を聞くのも好き。眠っている幼い子ども、小さな犬猫、恋人や夫。愛おしい者たちの温まった顔にそっと頬を寄せると寝息とともにかすかに聞こえてくる小さな鼻笛。その規則正しい音の可笑しみと生きているんだなぁという深々とした平穏とでこちらもしあわせに満ちてくる。鼻笛にはそんなかすかな音まで逃さないほど誰かに寄り添っていた頃の、甘くしあわせな思い出がついてまわる。
と、書いているうちに一瞬、息を吸い込んだら鼻の中の栓が取れた感じがして私の鼻笛は聞こえなくなってしまった。ああ、残念。

[PR]
by zuzumiya | 2017-01-09 11:53 | わたしのお気に入り | Trackback | Comments(0)

遅まきながら、ウェス・アンダーソン!

映画監督のジム・ジャームッシュが新作「パターソン」のインタビューで、同じアメリカの監督のウェス・アンダーソンの作品が好きというのをネットで知って、それならば、と遅まきながら見ることにした。私は厄介な性分で、皆がいいと絶賛している時はプイと横を向いちゃう天邪鬼なのだが、情報だけは頭の隅に残しておいて、時間はだいぶズレるが最終的にはこうやって見ることになる。
『ムーンライズ・キングダム』、話も映像も実に可愛らしかった。とぼけたユーモアもあって、インテリアやセットがいちいちお洒落であった。なんとなくジャームッシュというよりティム・バートンが好みそうな気がした。今日は『グランド・ブダペスト・ホテル』である。知ってはいたが、「今までそういう気分じゃなかったのよねぇ」とだけ言っておく。
一方、読書ではもう何度目かの波だが、詩人の天野忠にハマっている。古書で『夫婦の肖像』を購入した。今は詩集『掌の上の灰~日に一度のほっこり~』を読んでいる。随筆『春の帽子』は図書館で借りた。天野忠がらみで山田稔の随筆も読む予定。心が緩む。まさに日に一度のほっこり、だ。
[PR]
by zuzumiya | 2017-01-08 09:23 | わたしのお気に入り | Trackback | Comments(0)

あけまして、初買いでございます。

a0158124_1323150.jpga0158124_13273855.jpg京都の本屋さんに恵文社というのがあって、スタッフの感性で新旧のセンスのいい本や雑貨が取り揃えてあるのだが、オンラインショップをよく覗く。そこで今日は素敵な手帳を見つけたので即買いした(「って、また物欲かい?」の声が聞こえてきそう)。ちょうど年末のテレビ番組で暮しの手帖の大橋鎭子さんが企画のネタ帳として、昔、私の祖母が銀行から貰っていたような小さな黒い手帳を使っていたことを知ったので、私も鎭子さんに習って今年はパソコンに頼らず、思いついたことをすぐさま手書きでメモしようと決めたのだ。で、なにかいい手帳はないものかと思っていたら、ぽーんと向こうから来た。その名も「わたしの手帖2017」マーマーマガジン発行。税込1512円。服部みれいさんという方のミニエッセイ付き、らしい。帯の宣伝文句が傑作で、「あたらしい気づきと良質な知恵をいつもポケットに。本来の“わたし”がうつくしく目覚める手帖です。」ときた。花森さん、ごめんなさい(笑)。マジなのか冗談なのかわからないが、とにかく名前と宣伝文句が面白いので買ってしまった。
それと、オンラインショップのトップページにあった『ふゆのいえ』というイラスト集。女の子の部屋をテーマにイラストを描いている井田千秋さんというイラストレーターの作品集なのだが、どこかの街の高台の平屋住まいの女の子の冬の暮らしが白黒の線画で細かく描かれているという。最後にはその架空の家の間取りまで紹介されているらしくてインテリア熱の高い今はもう即買しようと思ったが、残念ながら品切れ中だった。Amazon他のネットショップも見て回ったが恵文社にしかないようで、井田さんの本では『わたしの塗り絵BOOK憧れのお部屋』があったので、とりあえずそっちを買うことにした。私としては珍しく恵文社に再入荷のメールを希望した。しかし、仕事の保育が浮かんで「今さら、塗り絵というのも」と思ったが、まぁ、気が向いたらやるだろう。『ふゆのいえ』、ネットの画像で調べてみるとものすごくいい感じ。欲しかったなぁ。本もCDも「冬に読みたい」「冬に聞きたい」などと何かとほざいているので、もしかしたら、私は私が思っている以上に冬という季節が好きなのではないかと思いはじめている。夜が長いっていうところもいいし、外に遊びに出るより家が好きで籠るタイプなのでそうなのかもしれない。
a0158124_13235692.jpg←欲しかった『ふゆのいえ』
[PR]
by zuzumiya | 2017-01-04 13:27 | わたしのお気に入り | Trackback | Comments(0)

宮本さんからのクリスマスプレゼント!

エレカシの宮本さんがテレビドラマに出るという。それも主役だ。しかもクリスマスの深夜。このニュースにほんとうにびっくりした。だって、音楽活動に専念することを理由にテレビの活動を控えていた時期があったから。でも、ファンとしては実は素直にうれしい。昔出演していたドラマ「フレンズ」をこっそりYouTubeで見ては、にんまりする女性ファンも多かったのではないか。ステージで歌う宮本さんは神がかっていてほんとうに手の届かないロックスター、雲の上の人だけど、演じている姿はそういう役どころなんだろうが、ごく普通の、生活感漂う人という感じがして、セリフを喋る宮本さんはまるで目の前にいる友人のようで不思議な親近感に包まれる。それはMVでもインタビューでさえも漂ってこないある種の“素のような空気”を孕んでいて、バカみたいだけど「こんなふうに喋って、こんなふうに歩いて、こんなふうに台所に立って、街の片隅でこんなふうに暮らしてるのかな」なんて、細かな仕草に乙女心が大いに刺激され錯覚してしまう。もちろん「扉の向こう」のような映像作品も見ているんだけど、あれはあくまでロックスターの音楽を作る上でのドキュメンタリーだから、纏ってる空気がまたちょっと違う。なんにせよ、50になっても怖じずにいろんなことに挑戦する姿をファンに見せつけてくれてありがたいし、励まされる。私の中の石のような諦念にも少しはヒビが入ってくれるかな。


※「俺のセンセイ」12月25日 25時~ フジテレビ


[PR]
by zuzumiya | 2016-12-17 11:39 | わたしのお気に入り | Trackback | Comments(0)

懐かしい「家族の時間」

昔はiBookでブログの文章を書いていた。あいにく故障してしまい、仕事のからみでWindowsに切り替えた。以前のブログのコーナーに「家族の時間」というのがあって、文字通り、家族の何気ない日常の話を書き留めていたが、文章の出来とは関係なく、自分が好きな話がいくつかあって、最近になってどうしてもまた読んでみたくなった。内容はだいたい覚えているが、同じ文章は二度とは書けない。幸いバックアップしたディスクから何とか読み返すことができた。当時のことが思い出されてひどく懐かしいのと同時に、変わってしまった自分自身に、夫婦や家族の有様に、ちょっぴり心を痛めてもいる。このブログでもいくつか紹介させてほしい。

金色の塵

いつもの習慣で休日だというのに、7時には目が覚める。

黄色いカーテンが明るいから今日もきっと冬晴れのいい天気なんだろう。音をたてないようにそうっとカーテンを開ける。ここで音をたてると、猫も子どもも起きてしまう。本棚に手を伸ばして読みかけの1冊をとる。ページを開けば、白がまぶしい。頭のてっぺんに9階の強烈な朝日をうけながら、そろりそろりと読み出す。1行、2行、ああ、至福の時。

「あっ」

どうしてだか、ほんとにどうしてだかわからないけれど、うまくやったつもりなのに隣の部屋からごそっと音がする。寝返りであってほしいなと願いつつ、それでも本を伏せ息をひそめてじっと足元を見つめる。

やがて願いむなしく戸が開いて、やまんばのような娘がニッと笑って顔を出す。ここで、いつものようにすかさず本を閉じ、「来たのか~」とハイハイしてくる赤ん坊を喜んで迎え入れてやるような甘ったるい言葉をかけてやらないと娘はたちまちふて腐れる。朝からそれでは困る。

「来まちたよ~、ママ~」

もうすぐ5年生になるというのに、この朝の儀式の時の娘は赤ちゃん言葉だ。布団の端を持ち上げて早速入ってくる。娘の冷たい足が一瞬すねに当たってヒヤリとする。実はここからが面倒くさい。

「待って、待ってよ、栞ぐらいはさませて」

せっかく読んでいた本をため息まじりにベッドから落とす。それすら待てないのか、布団のなかで今か今かと子犬のように娘がはねている。

「よちよちよち、めるちゃん、おはよう、よちよちね~」

抱きしめると、娘の体ぜんぶから嬉々とした興奮がくうーっと立ち上がる。そういう気のようなものが確かに毎回見えるのだ。

「どーどーどーどー、ああ、よしよし」

もしゃもしゃの髪が鼻先に、熱い吐息が小さく首筋にあたってくすぐったい。

「ママ~、来たよ、めるが来たんだお~」

「わかってるよ、わかってるから、足をばたつかせないで、布団が落ちちゃうよ」

間近で見る娘の額は素直に広く、眉毛は丁寧に1本ずつちゃんと生えていて、瞳は、瞳といったらもう朝の光を吸ってこんなにきれいにきらめいている。だからつい、

「めるちゃんって、かわいいね」

とつぶやいてしまう。しかし、それは娘を余計に興奮させ、ばたつかせる言葉なのだ。

「かあ~いい? めるってそんなにかあ~いい?」

「うん、かわいいよ」と笑って頷くと、

「ああ~ん、ママ、しゅき、しゅき~」

またもや体を弾ませ、ぎゅぎゅっとしがみついてくる。寝起きだっていうのにこれじゃ体がいくつあっても足りない。

「でもね、ママもかあ~いいんだお、すご~く」

「えー。じゃ、ママはどこがかあ~いいのかな?」

「……歯肉!」

「歯肉? こんにゃろめ、歯肉ってなんだよ、こいつ~、このこのこのーっ」

調子づいてギャグをとばした娘の、いつまでたっても細っこい脇腹をお約束のとおりにめいっぱいくすぐってやる。

こんなわかりきっている遊びのどこがいいのだか知らないが、足をばたつかせ、身をよじって、娘はきゃあきゃあ喜ぶ。

布団はずり落ち、毛布はもかもかと波打って、娘のやわらかい髪の向こうに、朝日を浴びて金色の塵が無数に舞っている。

もし私が死んで、天国の門番に「覚えているしあわせの光景をひとつ言ってごらん。そしたら入れてあげる」と言われたら、迷わずこれを答えるだろう。

ふと、そんなことを思いながらくすぐりの手をたこのように動かしている。



今思えば、私はひどい母親だった。子供と一緒に寝ると夜中に子供の寝相のことが気になって何度も起きるので睡眠不足になって仕事に支障がでるからと私は隣の部屋に一人で寝ていたのだ。子供は夫と寝ていた。母が恋しかった娘は目覚めるとすぐさま私の部屋にやってきたのだった。そして、私の布団の中でめいっぱいじゃれついた。その時、朝日の中に舞い上がって金色に光る塵がすごくきれいに見えた。そう、スノーボールの雪のきらめきのように、幸せが光って二人に降ってきたのがわかった。



[PR]
by zuzumiya | 2016-11-28 22:32 | わたしのお気に入り | Trackback | Comments(0)


ふだんの暮らしに息づいているたいせつなもの、見つめてみませんか?


by zuzumiya

プロフィールを見る
画像一覧

S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

※このブログの無断な転載はご遠慮願います。

最新の記事

せんせいのポケット
at 2018-06-19 00:54
ここへきてわかった話
at 2018-06-17 12:27
夏が来れば思い出す怖い話
at 2018-06-12 21:22
自然の音もいいもんだ
at 2018-06-09 19:46
今週の買い物
at 2018-06-06 20:32

最新のコメント

検索

ブログジャンル

画像一覧