カテゴリ:ちっちゃい器で生きていく( 48 )

上流か下流か

夏のイベントによく見かける流しそうめん。
竹の中を流れる水に乗ってやって来るそうめんを人々がそこここに立って自らの箸でひょいと掬って食べる。清涼感と日本情緒たっぷりの食べ方である。うまく掬えないとそよそよと流れていってしまう軽やかなスリルも楽しいらしい。
だが、私はあれが苦手だ。
まず、第一に竹の中を流れる水が川を想起させ、よって上流と下流とを意識してしまう。なんだか上流の方が流れる水もそうめんも新鮮で清潔感があるように思える。多くの人々の箸に突かれ、絡まって落とされ、捕まり損ねた残骸が水を含んで下流の方に流れてくるようで嫌なのだ。それでは自分の立ち位置を上流の方に陣取ればいいかというとあらたに別の問題が浮上する。下流でそうめんを待つ人々のために、自分はどの程度掬ってどの程度流すかという食欲と体面の問題である。腹が減っているのでごそっと掬い取ってしまいたいが、下流で箸をカチカチさせて今か今かとこちらを見上げて待っている人々がいるとそうそう勝手なこともできない。彼らのために幾らかは取り損ねたていで「流れちゃった」と流してやらねばならない。その辺の自由度や量の按配が面倒くさいのだ。そう書くと竹の川の上流と下流がそのまま階級意識に重なって、上流階級たるものあくまで上品に、知性的に、下々に良心的に、なんて体面や見栄を考えて箸を離さねばならないからやたら面倒だ。食べた気がしないではないか。
なんでみんなあんな不自由な食べ方に喜んで参加したがるのか、ほんとに不思議である。

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by zuzumiya | 2018-08-11 21:28 | ちっちゃい器で生きていく | Trackback | Comments(0)

背中合わせで歩み寄る

離婚してもうすぐ元夫が出て行く期限の月末が来る。1月のある晩、離婚をするに至って元夫は自ら指を折って数えて考え、今月の月末に出て行くと皆に約束し宣言した。なのに、3月末で派遣の首切りにあい、ショックでかいきなり網膜剥離が始まって入院手術し、5月に退院したものの世界はぼやけて回復するまで働けなくなり、ついに出て行くと約束した今月の4日になってようやく就職先が決まったのである。しかも都内の保育園の用務員だという。何でまた私と職場が被るかね〜。ふふん。あのトンカチなど握ったこともない細長い指で建具なんか直せるのかね〜。鋸引かせりゃ、びよよよんと波打って楽器になっちゃうあの不器用が桜の枝を切れるかね〜。パソコン睨む無愛想な顔が毎朝毎夕「おはようございます。おはよう、〇〇ちゃん」と保護者と子どもにイイ人ぶって作り笑いしているのかね〜。「おはよう、〇〇せんせい」と呼ばれてその‘せんせい’という響きにニヤついてんじゃねえだろうかね〜。まあいい。暑い中でも頑張っている保育士の姿を見ても、それがちゃんねーってだけで元妻の頑張る姿にはどうやったって結びつかないカチコチの石頭だからね。で、失業保険やら年金基金の金と還付金も入ったらしいし、保険金も降りたろうし、職を得て毎月の給料があるってことで、間に入った娘の説得や顔をたてて、出て行くつもりになっているという。世界がぼやけて職もなく離婚されてこの先コマッタコマッタの時期は、離婚は成立してるのにもかかわらず何としても私からなけなしの金を奪い取ろうと企んでいたらしいが、こちとらだって息子も娘も産んで育てたはずなのに当てにはならぬと悟った52の独り身オバサン、猫に看取られ孤独死もアリと定めを背負う覚悟の身、金は私が来る日も来る日も作り笑いし、汗水たらして赤子の世話して作った金、絶対渡すものかと目尻に涙を浮かべて仲介人の娘に抗議した。そしたら用務員の元夫、家具を貰って行ければ金はいらないと譲歩した。ぬぬぬ。別居した際は我が母に50万パンッと出して貰って出て行って、その金で家具家電を揃えたくせに、それを自分で稼いで買ったがごとき返せという言いっぷり。あの男は我が母が私を育てなかった罪悪感から出す金で毎度毎度助けて貰い、父親としての顔を立て、いい思いをしてきたくせに最後の最後までおんぶに抱っこの図々しい厚顔なまでの甲斐性無し。ああ。頭にきてイヤだと騒いだら、仲介人の娘がそれでは振り出しに戻る、裁判する?と怒り出す。私には「お母さんの気持ちがわかるよ」と言って、元夫には「お母さんの性格がアレだからね」とでも言ってんだろう。別居先から持ってきた家電家具はまあいい、「くれてやらあ」だが、仲介人の娘によれば息子と私と夫で金を出し合って買ったものもくれと主張しているらしい。ふざけるな!である。どこまで情けない奴なんだ。この家のおおよそのものは私の当時の夏のボーナス30万すべてを使って買い揃えた。だが、何を私が買って何をみんなで買ったか経済に疎く新生活に浮かれていた私はほぼ忘れてしまった。覚えているのはその当時も押入れにレシートをコソコソと溜め込んでいた夫の姿である。引っ越してきた当初からまさか夫はゆく先の離婚を視野に入れて、新生活にかかった費用を振り分け、いつか動かぬ証拠として私に突き付けようと準備していたんだろうか。目下、衣類乾燥機は私が買ったのか、みんなで買ったのか、どちらだか覚えがなく非常に心配である。息子にラインしても「わかんない」で、まあほんとにまったくつくづくことごとく子どもは当てにならない。まず洗濯機と電子レンジ、エアコン一機は持って行かれる。と思うとやたらに洗濯機のメンテに気を配ってカビ取りしていた夫がまたもやもしやと思ってしまう。元夫を出て行かせるための金は出さないが家電は買わなきゃならないわけで出費はある。忌々しい。クソ喰らえ、だ。エアコンだって何だって持って行ってもいいが、後の壁の修復だけはキチンとやって貰おうと思う。元夫は2階の猫が猫タワーから飛び降りたり暴れたりがうるさいと天井を突っ張り棒で突いたら、ベキッと穴を開けてしまったことがある。夫婦でいるうちはニコニコして「もう〜」なんて見逃してやっていたが、そうだ、アレを修復していってもらおうじゃないか。え、用務員さんよぅ。


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by zuzumiya | 2018-07-22 14:13 | ちっちゃい器で生きていく | Trackback | Comments(0)

カラオケあるある

カラオケで中年のおばちゃんが島倉千代子の『人生いろいろ』を高らかに歌うのを見るたび、やたらに「開き直ってる」感がして、嫌いだ。
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by zuzumiya | 2018-07-07 19:42 | ちっちゃい器で生きていく | Trackback | Comments(0)

近くて遠い人

ティッシュ配りのオジサンと信号待ちをしている。隣にいるのに私は彼のターゲットではないらしい。くれないつもりか、と思う。いつになく赤信号が長く感じる。
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by zuzumiya | 2018-07-01 15:24 | ちっちゃい器で生きていく | Trackback | Comments(0)

じぶんと仲良く

結局、人生で一人占めできるものは自分自身のこころと体だけなんだ、と気づいた。


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by zuzumiya | 2018-06-30 08:13 | ちっちゃい器で生きていく | Trackback | Comments(0)

ここへきてわかった話

なんかさ、休日になるたび静かに、でも必死に、探している自分がいるのよ。
楽しいことないかって。んで思うわけですよ。創作することがいちばん没頭できて、楽しくて、幸福に近いんじゃないかって。想像ではね。自分を取り巻く世界の、既にあるものから探しに探して、あ、コレだと合致して見つけた時のうれしさも幸せだけど、そうそうそういうものを見つけ続けるのは難しいことなんだよね。それなら自分で作ってしまえ、とも思うんだけど。問題はさ、楽しく、自分に正直に、自分の満足のためだけに創作できるかってこと。それをしないと今度は苦しくなって来るんだよね、きっと。創作が苦しみになってしまう。苦しみはどこから生まれてくるかっていうと、人の目なんじゃないかな。自分の中に自分とは別の人の目を持って見ちゃうと辛くなる。楽しくなくなる。自分に正直に創作に没頭できる、これが出来れば人生のいちばんの幸福だとわかってるんだけどな。

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by zuzumiya | 2018-06-17 12:27 | ちっちゃい器で生きていく | Trackback | Comments(0)

夏が来れば思い出す怖い話

以前からずっと気にはなっていたが、考えないようにしてきたことがある。
夏になれば這い出てくる黒光りのアヤツのことである。そう、ゴキブリ。毎年、あの手この手で殺傷能力の高さを誇る新製品が出てくるが、我が家はここ数年はスプレータイプはゴキジェット、置き型タイプはブラックキャップで対処している。両方ともありがたいことに効果は抜群だ。
で、いつも不思議に思うのは、ブラックキャップを置くと確かにゴキブリの姿を見なくなるのだが、彼らはいったい何処へ行ってしまうのだろうか。いや、逃げていくのではなく、死んでいるのだとしたらいったい何処で死んでいるのだろうか。その場所が非常に気になる。つまりCMで「ゴキブリがいなくなる」とうたうのなら、何処か家の中に外に通じるわずかな出入口があるということになってしまい、そんなものがあるならゴキブリだけでなく他の虫たちも自由に出入りできてしまうことになり、考えると非常に恐ろしい。今いるゴキブリが全部出て行っても、ゴキブリ界に情報が行き渡らなければまた新たなゴキブリたちが入ってくることになる。そんなことよりその出入口を突きとめて塞ぐことが先決ではないか。それから「巣に持ち帰り巣ごと丸ごと一網打尽」とうたう製品、あれもよく考えると怖いものがある。その巣は果たして家の中なのか外なのか、そこが問題である。外であれば外なんだもの、巣ごとだろうと何だろうと死んでくれるからいい。でも、もし家の中に巣を作っていたら…。人の目の届かない手の届かないその巣でゴキブリの一家が何匹もヒックリがえって死んでいるとしたら、そんな死体の山が家の中の何処かにずっと存在しているなんて、考えたらたまったものではない。冷蔵庫の隅からワサワサ苦しまぎれに這い出てきて目の前で次々に裏返って死んでいくのも気色悪いが、実はそっちの方が何処でどのようにしてどれくらいの数、死んでいるのかがはっきりしていいのかもしれない。ゴキブリは見るのも嫌だから考えたくもないと都合よく棚上げして何もはっきりさせないまま「いつの間にかゴキブリ見なくなったわねぇ、よかったじゃない」で済ます方が実は怖いのではないか。

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by zuzumiya | 2018-06-12 21:22 | ちっちゃい器で生きていく | Trackback | Comments(0)

サービスってやつは。

今日トイレでひとり、サービスというものの本質をしみじみと考えた。
若い頃からの習慣で私はパンティライナーを愛用している。中年の今は身も心も枯れ果てて使い続ける理由なんぞないのだが、ああいう清潔に関わるものは一度使い始めるとやめる理由が見つからないものだ。いや、もう少ししたら、もしかしたら尿漏れ対策に少しは役立つかもしれないが。
で、今日もトイレでライナーを使おうとしたら、なんと台紙の余白に「たまには息ぬきしよう!」と書かれているのを見つけた。「おおっ、こんなところにこんなメッセージが!」と驚いた私は置いてあるすべてのライナーを一枚一枚調べてみた。すると「今日もすてきな一日になりますように」とか「笑顔でいることがキレイの近道」などと書かれているものが見つかった。メッセージは全部に書かれているわけではないようで、だいたい10枚くらいに1枚の割合で見つかった。このレア感がいい。私みたいにふとした時にひょっこり目にする。そういう時のメッセージは不意打ちなので心にストンと落ちる。考えてみると私はトイレでいちばんため息をつく。「あーあ」とため息をつきながらおもむろにライナーのパッケージを開いたら「たまには息ぬきしよう!」なんて文字が出たもんだから、心の底に沈めて素知らぬ振りをしていた疲労感や孤独感がじんわり浮き上がり、「そうか、いいのか、そんなに強がらなくても」という気になった。こういうささやかな、でもちゃんと人の気持ちを考えたサービスは実は素晴らしい。サービスって人をほんのささやかな幸せに導くことなんだよな、なんて思う。コアラのマーチの中に一個だけ違った奴がいるとか、見つけるとラッキーってうれしくなるあの感じ、あれは企業側からの立派なサービスなのである。
昔、シャンプーとか洗剤の取り替えパックの注ぎ口が改良されたというCMを見た時、「そんなささいなことより値段を下げろよ」なんて毒づいたことがあったけど、実際、取り替えパックの不便さ(液漏れと注ぎ切るまでの時間)はよーくわかっていて、風呂場でまっ裸でじっと注ぎ切るまで待っているのは悲しくなるくらい情けないものである。面倒くさい時は容器に移さずパッケージを折って洗濯バサミでとめていたほどであった。で、改良パックを使ってみると、ほんとうに注ぐのがラクなのである。注ぎ口をストロー状にする程度のささやかなサービスがこんなにもありがたいものとは、あの時も深く胸を打ったのだ。サービスとは大それたものでなくてもいいのである。日常にほんのちょっとのささやかな幸せを与えてくれさえすれば、私たちはまたにっこりと笑って前を向いて生きていけるのである。




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by zuzumiya | 2018-05-10 21:49 | ちっちゃい器で生きていく | Trackback | Comments(0)

実は不眠症

たぶん、もうずっと前から(と言っても40代後半ぐらいからなのかなぁ)夜中や朝方に目が覚めてしまう不眠症になっている。最近は9時半から10時頃に読書もできないくらい眠たくなってしまい、一度ダウンして夜中の1時や3時に目が覚めてしまう。再度眠るのに苦労する。ストレスだろうとは思う。内科でルネスタ2mgを出してもらって飲んでみたが、昨夜の記憶を無くすぐらいストンと眠りに落ちても、やっぱり朝方に起きてしまう。緑内障を患っているので眠剤には注意する必要がある。最近は公私ともどもストレスフルなので落ち込みやすく、不安感が増し、自己肯定感が弱くなっている気がする。単なる更年期障害かもしれないが、一度心療内科に行って診てもらってこようと思う。考え事をしている時はこうやって起きていられるんだが…。


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by zuzumiya | 2018-03-29 22:34 | ちっちゃい器で生きていく | Trackback | Comments(0)

ランチョンマットの食卓

よくドラマや映画の食事シーンでランチョンマットが敷かれた食卓が出てくるが、あのランチョンマットというのは、そんなに一般家庭の食卓でデフォルトのものなのだろうか。若い頃、ふらりと入ったお洒落な雑貨屋さんで何か欲しいのだけれど財布の中身と相談しながら何を買おうか迷っている時にとりあえずランチョンマットを買ったりした。同棲時代や新婚当初に気どって使ったこともあったが、食卓にのぼったのはほんの2、3回で、後はトースターやノートパソコンのホコリよけとして掛けていた。ランチョンマットがなくなれば、自ずと箸置きというのもなくなった。ランチョンマットも箸置きも無きゃ無いで別段、不自由しない。所詮は食卓のお飾り程度のものなのだ。その無くてもいいお飾りをあえてやるというのが、その家の主婦の美意識、食へのこだわり、心のゆとり、ひいては経済のゆとりということなのだろう。
で、あなたはもし、招かれた家の食卓にランチョンマットが敷かれていたら、どんなふうに思うだろうか。
実はこの連休中に息子の彼女が泊まりにきた。朝は、ワンプレートにスクランブルエッグ、ボイルドウインナーかベーコン、薄切りのトースト2枚。ブルーベリージャムとオレンジママレード。ミニサラダと刻んだ苺やキウイの入ったヨーグルトにコーヒーというメニューで出してみた。ここでランチョンマットを敷くという手もあるが、ワンプレートがすでにちょっとカフェ風で洒落っ気がある上に、なんだかそれでは凝りすぎている、格好つけすぎている、あるいはお客に媚びている、そんな気がする。自分がもし彼氏の実家に行って、ダイニングの食卓にランチョンマットが敷かれていたら「うわっ、この家、いちいちランチョンマットなんか敷くんだ…」と内心引いて、「これは毎回なのか、それとも来客仕様の今日だけのスペシャルなのか」と考える。そんでもって背筋を伸ばしながら「もしこれが毎回なら、結婚したら、この格好つけの姑さんにはずいぶんと気を遣うんだろうな」と警戒するはずだ。そんなふうにもし息子の彼女から思われたりしたらたまらない。話す前からランチョンマットの見栄でへんな溝を作りたくはないのである。私はどっちかっていうとジャラジャラと箸立てを掻き回し、めいめいが自分の箸をひょいとつまみとるそんな気楽で大雑把な家庭が好きだ。そういう人なのだよ。


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by zuzumiya | 2017-05-14 01:11 | ちっちゃい器で生きていく | Trackback | Comments(0)


ふだんの暮らしに息づいているたいせつなもの、見つめてみませんか?


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