カテゴリ:ちっちゃい器で生きていく( 43 )

ここへきてわかった話

なんかさ、休日になるたび静かに、でも必死に、探している自分がいるのよ。
楽しいことないかって。んで思うわけですよ。創作することがいちばん没頭できて、楽しくて、幸福に近いんじゃないかって。想像ではね。自分を取り巻く世界の、既にあるものから探しに探して、あ、コレだと合致して見つけた時のうれしさも幸せだけど、そうそうそういうものを見つけ続けるのは難しいことなんだよね。それなら自分で作ってしまえ、とも思うんだけど。問題はさ、楽しく、自分に正直に、自分の満足のためだけに創作できるかってこと。それをしないと今度は苦しくなって来るんだよね、きっと。創作が苦しみになってしまう。苦しみはどこから生まれてくるかっていうと、人の目なんじゃないかな。自分の中に自分とは別の人の目を持って見ちゃうと辛くなる。楽しくなくなる。自分に正直に創作に没頭できる、これが出来れば人生のいちばんの幸福だとわかってるんだけどな。

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by zuzumiya | 2018-06-17 12:27 | ちっちゃい器で生きていく | Trackback | Comments(0)

夏が来れば思い出す怖い話

以前からずっと気にはなっていたが、考えないようにしてきたことがある。
夏になれば這い出てくる黒光りのアヤツのことである。そう、ゴキブリ。毎年、あの手この手で殺傷能力の高さを誇る新製品が出てくるが、我が家はここ数年はスプレータイプはゴキジェット、置き型タイプはブラックキャップで対処している。両方ともありがたいことに効果は抜群だ。
で、いつも不思議に思うのは、ブラックキャップを置くと確かにゴキブリの姿を見なくなるのだが、彼らはいったい何処へ行ってしまうのだろうか。いや、逃げていくのではなく、死んでいるのだとしたらいったい何処で死んでいるのだろうか。その場所が非常に気になる。つまりCMで「ゴキブリがいなくなる」とうたうのなら、何処か家の中に外に通じるわずかな出入口があるということになってしまい、そんなものがあるならゴキブリだけでなく他の虫たちも自由に出入りできてしまうことになり、考えると非常に恐ろしい。今いるゴキブリが全部出て行っても、ゴキブリ界に情報が行き渡らなければまた新たなゴキブリたちが入ってくることになる。そんなことよりその出入口を突きとめて塞ぐことが先決ではないか。それから「巣に持ち帰り巣ごと丸ごと一網打尽」とうたう製品、あれもよく考えると怖いものがある。その巣は果たして家の中なのか外なのか、そこが問題である。外であれば外なんだもの、巣ごとだろうと何だろうと死んでくれるからいい。でも、もし家の中に巣を作っていたら…。人の目の届かない手の届かないその巣でゴキブリの一家が何匹もヒックリがえって死んでいるとしたら、そんな死体の山が家の中の何処かにずっと存在しているなんて、考えたらたまったものではない。冷蔵庫の隅からワサワサ苦しまぎれに這い出てきて目の前で次々に裏返って死んでいくのも気色悪いが、実はそっちの方が何処でどのようにしてどれくらいの数、死んでいるのかがはっきりしていいのかもしれない。ゴキブリは見るのも嫌だから考えたくもないと都合よく棚上げして何もはっきりさせないまま「いつの間にかゴキブリ見なくなったわねぇ、よかったじゃない」で済ます方が実は怖いのではないか。

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by zuzumiya | 2018-06-12 21:22 | ちっちゃい器で生きていく | Trackback | Comments(0)

サービスってやつは。

今日トイレでひとり、サービスというものの本質をしみじみと考えた。
若い頃からの習慣で私はパンティライナーを愛用している。中年の今は身も心も枯れ果てて使い続ける理由なんぞないのだが、ああいう清潔に関わるものは一度使い始めるとやめる理由が見つからないものだ。いや、もう少ししたら、もしかしたら尿漏れ対策に少しは役立つかもしれないが。
で、今日もトイレでライナーを使おうとしたら、なんと台紙の余白に「たまには息ぬきしよう!」と書かれているのを見つけた。「おおっ、こんなところにこんなメッセージが!」と驚いた私は置いてあるすべてのライナーを一枚一枚調べてみた。すると「今日もすてきな一日になりますように」とか「笑顔でいることがキレイの近道」などと書かれているものが見つかった。メッセージは全部に書かれているわけではないようで、だいたい10枚くらいに1枚の割合で見つかった。このレア感がいい。私みたいにふとした時にひょっこり目にする。そういう時のメッセージは不意打ちなので心にストンと落ちる。考えてみると私はトイレでいちばんため息をつく。「あーあ」とため息をつきながらおもむろにライナーのパッケージを開いたら「たまには息ぬきしよう!」なんて文字が出たもんだから、心の底に沈めて素知らぬ振りをしていた疲労感や孤独感がじんわり浮き上がり、「そうか、いいのか、そんなに強がらなくても」という気になった。こういうささやかな、でもちゃんと人の気持ちを考えたサービスは実は素晴らしい。サービスって人をほんのささやかな幸せに導くことなんだよな、なんて思う。コアラのマーチの中に一個だけ違った奴がいるとか、見つけるとラッキーってうれしくなるあの感じ、あれは企業側からの立派なサービスなのである。
昔、シャンプーとか洗剤の取り替えパックの注ぎ口が改良されたというCMを見た時、「そんなささいなことより値段を下げろよ」なんて毒づいたことがあったけど、実際、取り替えパックの不便さ(液漏れと注ぎ切るまでの時間)はよーくわかっていて、風呂場でまっ裸でじっと注ぎ切るまで待っているのは悲しくなるくらい情けないものである。面倒くさい時は容器に移さずパッケージを折って洗濯バサミでとめていたほどであった。で、改良パックを使ってみると、ほんとうに注ぐのがラクなのである。注ぎ口をストロー状にする程度のささやかなサービスがこんなにもありがたいものとは、あの時も深く胸を打ったのだ。サービスとは大それたものでなくてもいいのである。日常にほんのちょっとのささやかな幸せを与えてくれさえすれば、私たちはまたにっこりと笑って前を向いて生きていけるのである。




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by zuzumiya | 2018-05-10 21:49 | ちっちゃい器で生きていく | Trackback | Comments(0)

実は不眠症

たぶん、もうずっと前から(と言っても40代後半ぐらいからなのかなぁ)夜中や朝方に目が覚めてしまう不眠症になっている。最近は9時半から10時頃に読書もできないくらい眠たくなってしまい、一度ダウンして夜中の1時や3時に目が覚めてしまう。再度眠るのに苦労する。ストレスだろうとは思う。内科でルネスタ2mgを出してもらって飲んでみたが、昨夜の記憶を無くすぐらいストンと眠りに落ちても、やっぱり朝方に起きてしまう。緑内障を患っているので眠剤には注意する必要がある。最近は公私ともどもストレスフルなので落ち込みやすく、不安感が増し、自己肯定感が弱くなっている気がする。単なる更年期障害かもしれないが、一度心療内科に行って診てもらってこようと思う。考え事をしている時はこうやって起きていられるんだが…。


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by zuzumiya | 2018-03-29 22:34 | ちっちゃい器で生きていく | Trackback | Comments(0)

ランチョンマットの食卓

よくドラマや映画の食事シーンでランチョンマットが敷かれた食卓が出てくるが、あのランチョンマットというのは、そんなに一般家庭の食卓でデフォルトのものなのだろうか。若い頃、ふらりと入ったお洒落な雑貨屋さんで何か欲しいのだけれど財布の中身と相談しながら何を買おうか迷っている時にとりあえずランチョンマットを買ったりした。同棲時代や新婚当初に気どって使ったこともあったが、食卓にのぼったのはほんの2、3回で、後はトースターやノートパソコンのホコリよけとして掛けていた。ランチョンマットがなくなれば、自ずと箸置きというのもなくなった。ランチョンマットも箸置きも無きゃ無いで別段、不自由しない。所詮は食卓のお飾り程度のものなのだ。その無くてもいいお飾りをあえてやるというのが、その家の主婦の美意識、食へのこだわり、心のゆとり、ひいては経済のゆとりということなのだろう。
で、あなたはもし、招かれた家の食卓にランチョンマットが敷かれていたら、どんなふうに思うだろうか。
実はこの連休中に息子の彼女が泊まりにきた。朝は、ワンプレートにスクランブルエッグ、ボイルドウインナーかベーコン、薄切りのトースト2枚。ブルーベリージャムとオレンジママレード。ミニサラダと刻んだ苺やキウイの入ったヨーグルトにコーヒーというメニューで出してみた。ここでランチョンマットを敷くという手もあるが、ワンプレートがすでにちょっとカフェ風で洒落っ気がある上に、なんだかそれでは凝りすぎている、格好つけすぎている、あるいはお客に媚びている、そんな気がする。自分がもし彼氏の実家に行って、ダイニングの食卓にランチョンマットが敷かれていたら「うわっ、この家、いちいちランチョンマットなんか敷くんだ…」と内心引いて、「これは毎回なのか、それとも来客仕様の今日だけのスペシャルなのか」と考える。そんでもって背筋を伸ばしながら「もしこれが毎回なら、結婚したら、この格好つけの姑さんにはずいぶんと気を遣うんだろうな」と警戒するはずだ。そんなふうにもし息子の彼女から思われたりしたらたまらない。話す前からランチョンマットの見栄でへんな溝を作りたくはないのである。私はどっちかっていうとジャラジャラと箸立てを掻き回し、めいめいが自分の箸をひょいとつまみとるそんな気楽で大雑把な家庭が好きだ。そういう人なのだよ。


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by zuzumiya | 2017-05-14 01:11 | ちっちゃい器で生きていく | Trackback | Comments(0)

ドンマイな日々

バレーボールの試合で、大事なところでサーブをミスしても「ドンマイッ」と仲間に向かって声を張り上げ、顔色ひとつ変えずにコートへ戻って行く。観ているこちらは「ドンマイじゃねえよ、どうすんだよ」といつも思うが、ああいう選手の図太さがほしい。
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by zuzumiya | 2017-04-10 14:36 | ちっちゃい器で生きていく | Trackback | Comments(0)

私の吉田さん

朝からカランコロンと金属の触れ合う音がする。うちのバカ息子がデートに乗っていくアメ車をまたいじりまわしているのかと思って窓から覗くと、朝日に照らされた吉田さんのハゲ頭が見えた。
「吉田さん、頑張ってるな」
吉田さんがスタッドレスタイヤを外していた。それだけで季節感のわかるいい旦那様と私の中でポイントが上がる。シジュウカラが高らかにさえずっている。
吉田さんは向かいの家のご主人である。よく気づく働き者で、毎朝、洗濯物は干すわ、ゴミは出すわ、庭に出て草むしりはするわ、年末なんぞ隣近所でどこよりも早く網戸を洗っていた。私が引越してきた当初、あまりの働きぶりに奥さんが病弱なのかと思ったほどだ。
朝、出勤する時間が私と重なっていて、お互いが玄関の扉を開けて目が合うと、ほぼ間違いなく吉田さんの方から笑顔で「おはようございます」と挨拶してくれる。腰の低いいい人だ。年は60代の中頃か。小柄で痩せていて頭は見事に禿げ上がっているが、まるで福祉関係にでも勤めていそうなおっとりとした物腰で優しい声音で話す。
しかし、しばらくして奥さんは対照的にものすごく気の強い人だとわかった。しょっちゅうガミガミと小言を言う声が外まで聞こえてくる。吉田さんは何やら抗弁しているようなのだが、気が弱いのか小さな声でモゴモゴと喋っていて、聞き耳を立てている私はいつも歯がゆい。「吉田さん、頑張れ!もっと大きな声出せ!」なんぞと心の中で応援している。
去年の夏は酷かった。吉田さんが庭で植え替えをしていて、その姿をリビングから仁王立ちした奥さんが見ていて何やら指示を出している。
「だから違うでしょ、そこに植えてどうすんのよ、もっと右よ右っ!」
しゃがんだ吉田さんがせっせこ言われた通りに直し、これでどうでしょうかと後ろを振り返ると
「だからさ、言われないとわからないわけぇ?いっつもそうじゃん」
と言い放って窓をピシッと閉めた。奥さんのあまりの剣幕に私は「ひょええ~」と仰け反ったが、子どものようにしゃがんでいつまでも土をいじっている吉田さんのハゲ頭に「何を思っているのやら…」と哀れに思った。しかし、次の瞬間「吉田さん、今はあんな風だけど、ありゃきっと、昔浮気でもして、よっぽど奥さんを怒らせたんじゃないか」と思えてきた。私にとっては毎朝、出勤前にベランダに洗濯物を干す天気予報がわりにもなる見上げたご主人でも、もしかしたら奥さんにとっては過去に酷い仕打ちをされたどうしようもないダメ亭主なのかもしれない。そうでなきゃ、あんなに隣近所にまる聞こえの大声で夫をなじるわけがない。「吉田さんとこは奥さんが頂点のカースト制なんだな。あれが世に言う“モラハラ妻”というやつで、うちとは逆だな…」と妙に感慨に浸ったのだった。
うちは吉田さんとこみたいに夫婦の一方が大声でなじるということはなく、やり合う時には日頃のストレスが爆発して、双方が大声を出し大喧嘩になる。夫は女のように口の立つ理論派で、すべて自分が正しいと思って譲らない自信家なので、情というものや「人間だもの」のゆらぎやしょうがなさを認める私のような感情的な人間は歯が立たない。正しさには情の入る隙間がなく、そのうち自分の方が悪いという気にさせられてしまう。
私は妻にうまく言い返せない吉田さんをひそかに配偶者のモラハラと闘う同志とみて、何か事あるごとに二階の窓から覗いては、いつでも優しいまなざしと声援を送っているのである。
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by zuzumiya | 2017-04-02 10:43 | ちっちゃい器で生きていく | Trackback | Comments(0)

今日の悲しみの果て

自分が思いもよらなかったことで誤解されているというのはものすごく辛いものだ。
今日、ある人にひどい誤解をされていることに気がついてものすごくショックで心外だった。「そんなことはないです。ぜんぜん違います」「誤解です。そう思わせてたならごめんなさい。でも違うんです」と必死に誤解を解こうとしても「いや、絶対そうだ」と言ってガンとして譲らず、こちらの言い分は聞き入れてもらえなかった。
心外なのだが詫びる態度に出ているのに、少しもそれを認めようとしない頑なさによほどのことだったのかとゾッとしたが、人にずっとそんなふうに思われていたなんて、あまりのショックで、ただでさえプライベートでいろいろあるのに50過ぎにもかかわらず思わず涙が滲んでしまった。
最近、ネットでエレカシの宮本浩次を検索すると、同時に「発達障害」やら「薬」やらのワードが並んで出てくる。おそらくは先日の「ワイドナショー」などの場違いな番組での印象なのだろう。確かに音楽番組ですら質問やコメントを振られた際に、例のいつもの髪を触ってグシャグシャにしたり、話が質問からずれてあらぬ方向へ飛んでみたり、興奮して思わず立ち上がってしまったり、ファンであっても「ああ、またやってるけど、大丈夫かなぁ」と思わずその外しっぷりや周囲からの浮き加減にドキドキハラハラしてしまう。若い頃はまだそれでも「チャーミングで面白い人だな」と周囲には思われていただろうが、50を過ぎた中年の今は、やはりバンドの歴も長い大御所なのでもう少し年相応に貫禄を見せて落ち着き払っていてほしいというファンもいるだろう。いわゆる「いじる」方にもそれなりの敬意を含めて発言してもらいたいな、と思ってしまう。人によっては「多少オーバーに面白おかしく、天才の奇人キャラクターを作ってわざと注目を浴びるようにやっている」という見方もあるが、たしかに見られる商売なのでそういう計算みたいなものがあるのかもしれないし、一度ついたキャラクターの仮面は容易には剥がせず、周囲に求められるキャラクターをそのまま演じきるしかないのかもしれないが、彼の場合は「思わず」や「何気ない癖」が多くを占めているんじゃないかとも思う。それなのに「発達障害」やら「薬をやっている」なんてネットに書き込まれたりして、本人や友人、親族が何かのはずみで目にしたらほんとうに辛いだろうな、可哀想だなと他人事でも思ってしまう。
今日もMステでバンド紹介のVTRのところで、お客に「バカヤロ」と言ってイキがっていた若気の至りの頃のコンサートが流れて、ワイプの中の宮本さんの表情が少しだけ暗くなったように見えた。ラジオなんかでもいまだに女性DJに切れた話を蒸し返されたり、そういう過去の失敗、たぶん思い出したくもない自分の至らなさをメディアがエレカシ宮本というと必ず出してくる、ついてまわるのを本人は上辺では「逆に話題作りになってアルバムが売れてよかった」などと笑い話にかえてはいても、やっぱり内心はいい気はしなくて、自分の身から出た錆とはいえ、いつでも後悔していて反省もあって辛いし、できれば触れてほしくない嫌な話題なんじゃないかと思う。メディアはそういう人の失敗、汚点を面白おかしく取り上げたいのだろうが、実に意地悪だなと私なんかは思ってしまう。覚せい剤をやったとか詐欺をしたとかはすぐに忘れて復帰させるくせに。
それにしても今日の宮本さんの歌唱力は素晴らしかった。VTRやタモリさんのコメントやジャニーズのガキタレのチャチャも含めて、ああいう前フリがあったからこそ、「歌で真正面から真剣勝負した」というふうに見てとれた。テレビの前でヒヤヒヤしていたファンも「どうだ、これがエレカシだ!」と大いに溜飲を下げたのではないだろうか。それにしてもどんな人でも、人に誤解されるというのは嫌なものなんですよ。
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by zuzumiya | 2017-04-01 09:26 | ちっちゃい器で生きていく | Trackback | Comments(0)

なじみの店

常盤新平さんのエッセイを読んでいるせいか、最近はやたらと喫茶店で珈琲が飲みたくなる。珈琲なんぞ実は夫がいいやつを毎月、通販で買ってあるので、家でいくらでも本格珈琲が飲めるのだが、家から出て外で味わってみたいのである。たかが一杯の珈琲をわざわざ外でね、文庫本なんかコートのポケットに入れてね、出かけて行きたいのである。影響されやすい私はすぐに地元の歩いて行けるくらいのところにある喫茶店をネットで探してみた。以前、車で通って「もしかしたら喫茶店?」と見かけた場所をGoogleMAPで調べてみるとたしかに喫茶店であることがわかった。ネットに写真が掲載されていて見たが、天井が高くてゆったりと広く、ダークブラウンの色調の木の内装が落ち着いていて、とても雰囲気のあるいいお店であった。もちろん、チェーン店ではない。ケーキも種類があってどれも美味しそうだ。モーニングもきっと期待できそうである。なんとか歩いて行ける距離なので(本当は自転車出したいくらいなんだけど)、休日を利用して是非とも行ってみたい。そして、できればそこが私の人生初の「なじみの店」になれたらいいな、もう50過ぎたんだから今度こそなじんでみてもいいのかな、なんてドキドキしながら夢見てるのである。
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by zuzumiya | 2017-03-25 20:57 | ちっちゃい器で生きていく | Trackback | Comments(0)

萎れたビオラ

朝、見たときは元気に咲いていたのに、昼過ぎに見たらクシャリとぜんぶ萎れていた紫のビオラ。慌てて水をやった。霜をかぶっても強い花だと聞いていて、実際にそうであったが、あんなに萎れていると無事にもち直してくれるか心配だ。花ってこういう裏切り方をする。いや、潔い死に方というべきかな。
昨日、離婚届をもらってきた。窓口の職員がなぜか声を小さくして書き方の説明をしてくれた。用紙をもらってきただけなのに、なぜか気分が落ち込む。たぶん、別居前、一度、私が差し出した離婚届に夫は判を押していたという過去の事実がそうさせるのだ。あの時、すでに二人は終わっていたんじゃないかと何度も考えてしまう。
日曜は母の家に行く約束になっている。電話をかけると「今ある(金のある)私は私の行いでこうなった。(貧乏な)アンタはアンタの行いが悪かったからだ」と言われた。子どもを4人も生んで捨てて自分のためだけ考えて生きてきたくせに、そのすべてが「よい行いだった」と捨てた子どもに言わしめたいのか。金は貰えたが、金以外の方法で愛情は貰えなかった。「そんなんだから、私はあなたをいまだに心の底から信じれないでいるのよ」と言いたかった。日曜に行くのに気が重い。





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by zuzumiya | 2017-03-17 13:39 | ちっちゃい器で生きていく | Trackback | Comments(0)


ふだんの暮らしに息づいているたいせつなもの、見つめてみませんか?


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