2018年 03月 10日 ( 2 )

本が楽しくてしょうがない

何の本がきっかけだったんだっけ。『狂うひと』はまだ読み切ってないし…。
とにかく今は小説やエッセイなんかよりノンフィクションやルポの面白さに目覚めてどんどん本を読んでいる。今手元にあるのは
『自死は、向き合える』、『死刑でいいです』、『長生き地獄』、『発達障害』、『息子が人を殺しました』、『誰も書かなかった老人ホーム』、『ひとりで死ぬのだって大丈夫』、『おひとりさまでもだいじょうぶ。』、あ、思いだした、最初に読んだのは『安楽死を遂げるまで』だった!←面白かったのよ、この本。橋田壽賀子さんが安楽死を望んでいるという話もこの本で知った。スイスのライフサークルっていう自殺幇助の団体に日本人の会員もいるらしい。金持ちなら会員になりゃいいじゃないの。私は貧乏人だから孤独死だろうと思ってる。覚悟まではいかないけど、病院だろうと介護施設だろうと自宅の床だろうと死ぬ時きゃひとりだとは思ってる。痛い苦しいはいちばん嫌で、末期がんになるとモルヒネすら効かなくなる時期が来る、なんていうのを読むとビビって本当に死に方が悩ましいんだけど、スイスの自殺幇助なんか毒薬入れて5分もしないで眠るように死んじゃうんだって。羨ましいね。この眠るように死ぬを選びたいねぇ。
話が逸れた。で、今日は保育士らしく『本当は怖い小学一年生』を図書館に予約し、ノンフィクションやルポじゃないけど、離婚私小説ということで私の大好きな夏石鈴子さんがペンネームを打ち捨てて鈴木マキコさんとなって書いた本『おめでたい女』と、アスペルガー症候群との違いを知りたくて『サイコパス』を一緒にたった今ネットで注文したところ。『おめでたい女』は私もバツイチなんですんごく楽しみ!
あまのじゃくだから世間の流行に知ってて乗らず、後になってひっそり読むのが多い私。漫画の『あなたのことはそれほど』も面白かった。元ダンがテレビのある階下に陣取っているため、いまだに何も見られないので読書ばかりしています。


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by zuzumiya | 2018-03-10 21:32 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

いろいろと考えてました

ブログを非公開にしてみましたが、どうやら無意味らしいことがわかりました。そういうところ、分かっているつもりでしたがネットはやはり怖いですね。先生という立場の人が私に確認しにきたり、謝罪もないのはどうかと思いますが(だって、知らないところでネタにされて勉強会だか議論され、当の私の詳しい話は何も聞いてこないんですよ、誰だって嫌じゃありませんか?)、あまりに一方的で、これでは仕事の悩みや話は今後書きづらくなるなと思っています。
私は元保育士じゃなく、現在も仕事を続けているのであんまり騒がれるのも困りものなのです。
確かに現在の保育業界は問題だらけですが、よくよく考えてみると保育園がいい悪いじゃなく、園の先にある学校教育の世界や価値観が変わらない限りはダメなんだろうな、なんて最近は考えるようになりました。ってまた書いてますけど、一斉保育、設定保育をしている園の目指すところは結局は何だかんだ言っても「小学校へ行ってはみださないように、困らないように」だからで、小学校がまさに時間割が決まった教科を一斉に教えるところだからです。給食もみんなで揃って一斉に「いただきます」だからです。そう思えば、運動会での一糸乱れぬ行進や発表会での合奏に必死な形相でハッパをかけ怒り出す保育士も「ああ、そうか」と思えます。
では、先に小学校が控えているにも関わらず一斉を選んでいない園があるのは何故なんでしょうね。私が思うに、一つは保育園は「生活をする場所だ」という所を大事に忘れずにいようとしているのではないでしょうか。毎日朝は園が開く7時から、閉まる夜の7時まで週5で来ている子どももいます。その子にとって園はもう生活の場、暮らしの場ですよね。家より園にいる方が長い。以前にこのブログにも書いたと思いますが、園の床に寝転がって遊んでいる子どもに「ここは保育園なんだから、お家じゃないんだから、寝転がらないで起きなさい。座って遊んで」と注意した保育士がいて、最近では「正職が言ってたから」と何も考えずに真似をして言っているパートもいてびっくりしました。こういう言葉がけはないと思うんですよね。せめて「寝転んでるとお友達が通った時につまづいて両方が怪我しちゃうよ」くらいにしてほしい、せめてよ、せめて。私の一斉保育の好きじゃない点はこのしつけ意識の強い方へ傾きがちになるところです。保育所保育指針にも書いてあると思いますが、保育園はその子の家の代わりになる場所でくつろげる場所でなきゃいけないはずなんです。そのために環境整備してなきゃならない。できてないなら、せめてもっと共感性のある言葉を選んで言葉がけぐらいはしてほしいと思いますね。おっと、言葉がけも環境整備か(笑)。話が逸れそうですが、保育園に養護より教育の視点が強く入って来て以来、園がどんどん小学校を目指したプレスクール化して、本来の「もう一つの家としての暮らしの場」の意味合いが薄くなっているように思えます。保育士が長時間労働で疲れているように「遊んでいるけど目の前のこの子だって長い時間預けられてて疲れてるんだろうな」という共感性があれば、もしかしたら「疲れてるなら、あっちの隅にならゴロンとしててもいいよ」などとかける言葉が変わってくるかもしれません。
私が考える一斉を選ばない園があるもう一つの理由は、本当の意味での「個性を大事に」の実践でしょうか。お題目としてみんな唱えていても一斉ではやれるはずがありませんよね。いくら統合保育をやっています、といっても20数人の中に発達に障害のある子どもが混じっていて、先生の話を聞いている設定で、まず立ち上がってフラフラしだしたら「他の子の集中の邪魔になる」という理由で教室から出されます。自閉児が教室の隅で玩具で遊んでいても音がちょっとでも出るものは取り上げられます。多動児に対してもみんなで「ごちそうさま」を言うまで椅子に座っていることを強いられます。「みんなで一緒に」の一斉保育には常に子どもをまとめることで精一杯だという印象を私は受けます。それについて来られない子どもはゆくゆく小学校に行ってからも困るだろうから、と強い口調で𠮟られ厳しく躾けられるのです。知的な遅れはないものの、すごくマイペースでみんなと一緒にすぐに動けない、でも自立はしているのんびり屋さんの女の子がいます。ADHDののび太くんタイプかもしれないのですが、このタイプは障害なのかこの子の個性なのか判断が難しいような気がしています。どちらにせよ大きな括りで特性や個性といったものが際立っていますが、正式に障害と名がつかない限り、のんびり屋の彼女は一斉の保育士にはだいたい早く早くと急かされて怒られてしまうんじゃないでしょうか。「みんなと同じように早くやる」を良しとして、そればかりに意識を持っていかれると子どもの特性や個性といったものを悪いもの、厄介なものと捉えることになりかねません。
書かないと言いつついろいろと書いてきてしまいましたが、日本ではほとんどの園が一斉保育なんですから国民性というのもありますよね。それに働くお母さんの第一希望は保育内容より自宅から近い場所ですからね。よほど変なことをしない限りは預かってくれればいいという声も聞きます。ただ、自分の育児経験も含めて「将来の子どもの学資のため、家のためで頑張って働いているんだろうけど、今目の前の子どもといっぱい触れ合っておかないと学資もローンも結局は無駄になる事態になるよ」と思ったりします。脅かすつもりはないんですけど(笑)。保育園の頃ってすごく大事なんだな、と最近しみじみ思います。そこに関わっている自分への自省も込めて。長くなりました。それでは、また。

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by zuzumiya | 2018-03-10 11:13 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)


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