2018年 02月 04日 ( 2 )

立春ですよ、ららら。

節分が過ぎ、今日は立春だと知ったら居ても立っても居られなくなった。
ちょうど昨日からhuluで「山のトムさん」を見ていたのどかさも手伝って、部屋に流す音楽を森ゆにの「シューベルト歌曲集」にして、玄関の節分用のしつらえの鬼とおたふくのお面と豆の入った枡を片付けた。小風呂敷のタペストリーも紅白から春らしい桃色地のものに替え、金屏風に小さな雛人形やぼんぼりを飾り、隣に造花の桃の花を飾った。なんとなく春らしい黄色の色味も欲しくなり、「そうだ、菜の花を買いに行こう」と思い立つ。国分寺のマルイにはお気に入りの吉祥寺菊屋もThree little song birdsも入っている。ついでに久しぶりに本屋も覗いてみようと家を出た。卒婚をしたことで、これからは自分のほんとうに好きな器だけを買い集めて、ランチョンマットなんか敷いちゃって、ひとりでご飯を作ってちゃんと食べようと思った。バスを待つ間、そんな暮らしを考えて少しだけウキウキした。
雑貨屋さんをいくつか覗くともう桜のグッズが売られている。桜の花びらの可愛らしいキーホルダーを見つけて、今月、息子と同棲する彼女に鍵を渡す際にこれに付けてあげようと思い立つ。喜ぶ顔が浮かんでいい買い物をしたと思った。
菊屋に行くとさすがに菜の花も黄水仙も売っている。菜の花を手に取ると値段は900円。しかし、茎は何で切ったらいいのか、かなり太い。葉も野菜のように逞しい。菜の花とはそういうもんだけど、代わりにミモザの小枝が売られていて大いに迷う。でも、桃の花と対にして合うのは菜の花のような気がして、でも小さな花瓶には合わないし、花瓶まで買うのはなぁと店頭でひたすら迷う。で、購入を断念。菜の花目当てに電車に乗ってまで来て、買わないのだから女の買い物って厄介だ。
紀伊國屋の本屋を覗くと、益田ミリちゃんが新作のエッセイを書いていた。『永遠のおでかけ』ミリちゃんのエッセイは素直だから、これを読めば私もまたムクムクと書きたくなるかも。で、即購入。ノンフィクションのコーナーで『安楽死を遂げるまで』(宮下洋一著、小学館)に食いつく。それと最後にすんごくすんごく迷って梯久美子さんの『狂うひと 「死の棘」の妻・島尾ミホ』を購入。知っていたけど、賞もとったけど、1冊3000円もするんだもん。卒婚した私にとっては今読んでおきたい本である。
菜の花目当てで来て6000円以上も本代に使ってしまったが、最終的にはこっちもいい買い物をしたと満足感がある。昼を挟んだが、倹約をして外食せずにチョコレートドーナツ1個を買ってバスに揺られて帰ってきたのだった。





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by zuzumiya | 2018-02-04 16:30 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

歌人と凡人の小さな砂時計

歌人で作家の穂村弘さんは私と同じ40代で会社の健診で緑内障が見つかった。彼の講談社エッセイ賞受賞作の『鳥肌が』の「小さな砂時計」を読んでそれを初めて知った。
緑内障というのは原因はわからないけど視神経がダメになっていく病気で、いずれ視野がどんどん欠けていき、最終的には失明してしまう今のところ不治の病いなのである。私も穂村さんも眼圧を下げるための点眼をして、なんとか進行を抑えている。でも、60代だろうか、70代だろうか、80代だろうか、いずれは視野が欠けていき、それも彼の文章によると鼻側から(できればそんな中央部からでなく、端っこから欠けてほしかった)欠けていくらしいが、見えなくなる運命がもう決まっている。河瀨直美監督の『光』という映画で視力を失うカメラマンの役を永瀬正敏さんが演じていたが、見えなくなるとは真っ暗になるんじゃなくてぼんやり乳白色に染まっていくものだと知った。世界が徐々に乳白色に包まれて昼だか夜だかわからない。障子の穴のようにほんの小さく空いた隙間から懸命に今を覗き見る感じ。ああ、こうなるのか…と少しショックを覚えたが、今はまだ両眼で視力を補って見えているので、穂村さん同様、そんな深刻な病気になった気がしない。穂村さんは書く。
【死までの時間を刻む大きな砂時計は、万人が持っているから、通常はほとんど意識されることがない。でも、私にはもう一つ、失明までの時間を刻む小さな砂時計がある。そちらの方が大きな砂時計よりも先に落ち切ってしまわないか不安だ。】
失明より自分の寿命が先に来てしまえば、病気から逃げ切ったことになる。40代発症ケースはほんとに微妙なレースなのだ。なんとなく、なんとなくだが、私は寿命の長い女性だし、逃げ切れないような気がする。白い杖をつく老後が待っている気がする。
【小さな砂時計はオプションで与えられたものだから、御飯を食べていても、本を読んでいても、誰かと話していても、いつも意識のどこかにある。逆に云えば、そのために丈夫な目の持ち主よりも世界が少しだけ綺麗に見えているはずだ。】
穂村さんの文章は文章としての終わり方は歌人らしく素敵だが、ここを読み返すたび、「ホントか」って自分に問う。いずれ見たくても見えなくなることがわかっているのに凡人の私は毎日、空も見上げることなく忙しく過ごしている。そんな瑞々しい生き方、してないなって。でも、穂村さんのこの世界の見え方のくだりと小さな砂時計がいつも頭の隅にあって消えないのだ。恋でもできたら、この世界はまた美しく色づいてくれるだろうか。


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by zuzumiya | 2018-02-04 09:21 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(1)


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