「子どもなんて」
最近は母と妙なところで気があうようになった。
それは「子どもは当てにならない」というところである。
母にとって私はまぎれもなく当てにならないところの子ども本人なのだが、だから私に対して充分な皮肉でもあるのだが、私が年をとってきて母の気持ち、親の気持ちが昔より理解できてきたこともあり、自分が子どもであることはいったん棚に上げて、我が息子、娘との関係を鑑みるに「子どもが当てにならない」が実感を伴ってよくわかるのである。
母が70代、娘の私が50代の、このうまい具合に互いが「老い」や「孤独」をそれぞれに意識できる年頃っていうのがミソなのだろう。この年頃になって、娘の私の方の子育てが終了して、息子も娘も親より恋人になり、なんとはなしに邪魔者扱いされてくる。息子の言動から将来は確実に親の私ではなく、嫁の意思を優先させるであろうことが情けないことにチラリとうかがえたりする。一生懸命育てた末が「年寄りは邪魔者なんかい」となり、茫然となる。その意気消沈したところに母がニタリと笑って寄り添ってくる。「ね、子どもなんていたってみんな生きていくのに大変で、ぜんぜん当てにならないでしょ」。なぜか私たちは手と手を取り合い「ほんとよね、子どもなんて苦労するばかりで、ぜんぜん頼りにならないわよねぇ」となる。それはもう母娘ではなく、同年代の近所のオバチャンのノリ、一致団結感なのだ。変だというのは頭の片隅で分かってはいるが、それでもこの共感がひどく嬉しい私は母をつかまえては「子どもなんて」と愚痴っている。
by zuzumiya
| 2018-05-06 18:27
| 日々のいろいろ
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by zuzumiya
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