孤独を楽しむって。

ちょっとブログを書かないうちにいろんなことがあった。いや、いろいろあってブログが書けなかった、が正しい。全てが悩ましいことでガックリきている。
ひとつ、同居している元夫が職を失い、どうやら自分が宣言した7月末に出て行くというのが経済的に無理なようであるということ。
ひとつは、昨年度末に貰った処遇改善手当という名のミニボーナスの計算が間違っていて、実労働時間より大幅に減らされていたこと。これを園長から法人事務局に伝えてもらったところ、逆に労働基準法と就業規則に違反していることを指摘され、園長が厳重注意され、1年間週に実働42.5時間働いていたにもかかわらず、差額は週39.5時間までしか支払われないこととなった。且つ今期、労働時間を大幅に減らされて契約させられることになった。契約書はなぜか前々年度の契約時間数の7時間で交わしていたが「人が足りないから働いてくれると助かる」と週に8.5時間も口約束で働いていたのであった。給料も、それに基づいて計算されるボーナスもきちんと実労働時間で計算されて支払われていたため、契約書が7時間のままであったことなど大して気にとめていなかった。だが、処遇改善手当だけは契約書に基づいて支払われていたため週35時間分しか支払われていなかったのである。園長は最初、違反を理由に「今回の手当の差額は諦めてくれ」と私に言ってきたが、昨年度のあの大変なクラスで頑張ってきた1年を無駄働きにされてたまるかと事務局に直談判したら、39.5時間分まで支払われることになった。で、足りない金で騒いだ私は、今後は契約時間が週39.5時間となり、給料もボーナスも今後は減らされて、結果的に金を失くすということになった。何故、この処遇改善手当の金額違いに気づいたかというと、もともとは飲み会の席で知りたがり屋の同僚に「いくら貰った?」と訊かれて、その時、7時間しか働いていない彼女と同じ金額だったことで間違いに気づいたのであった。その彼女が後日「騒いだこと、後悔してない?」と訊いてきた。金額が足りないことを私が指摘しなければ、法律や規則に疎い園長は今も働かせすぎに気づかず、これからもいい給料やボーナスが貰えたのである。うーむ、と唸るところだが、いずれは法律や就業規則に違反していることが発覚したであろう。とは言いつつも、離婚に踏み切ったのは8.5時間働けて何とか1人でもやっていけると踏んだからでもあった。元夫の居座りも、今回の仕事の件も、とんだ番狂わせであった。
もっと言えば、労働基準法では8時間を超えて働かせた場合、残業となり、時給が1.25倍になるそうである。その事も本来なら事務局に突っ込めることだが、もういい加減交渉ごとが面倒になってきた。辞めるなら労働相談センターみたいな所も入れて派手な喧嘩もできるが、辞められない身である。時給もいいし、ボーナスももらえる珍しくいい園なのだ。
昔から家にあった蛇の置物を南東に向けて置き直し、触れればお金の音に聞こえる中国の銅製?風鈴を部屋にぶら下げて下を通るたびにわざと頭をぶつけて頭上でチャラチャラと音を出し、ド派手な黄色い財布に買い替え、中に白蛇のお守りを入れて金運を高めたつもりだったがこの有様である。
それからさらにもうひとつ、元夫が網膜剥離で入院した。職なしに加え、弱り目に祟り目、入院騒ぎでますます家から追い出しづらくなってしまった。手術すれば治ると分かっていたし、面倒を見るのは子供たちがやってくれていたので、ようやく訪れた我が家を我が家らしく自由に行き来し使えることに心弾み、3日ばかり立て続けに台所で肉を焼いて食べたりした。1階の大画面テレビで好きな映画を見もした。自由を満喫した。
で、このゴールデンウィークが始まったのである。仕事の金銭的なトラブルで一時は殺人の夢まで見て、今も何かにつけ身体に蕁麻疹が出やすくなっている私はゆっくり休もうと思っている。 昨日は髪を染めに行った。今日はひとり自転車をこいで隣町へ行き久しぶりに本屋でじっくり本を選び、美味しいパン屋でパンを買い、花屋で花を買って帰ってきた。夕食はステーキであった。月曜日に元夫が退院してくるため、台所を使えるだけ使っておきたかったのである。 元夫が帰って来れば、また私のテリトリーは2階部分となり、セブンイレブンの弁当やヨーカドーの惣菜が夕食となる。
本屋で中高年が読みそうな啓蒙書の類のところに行くと、決まって孤独について書かれた本が多い。それも孤独であることを豊かに楽しもうというやつである。私はそういうまやかしに騙されないようにしている。孤独はどうやったって孤独である。いつの頃からか、孤独のヤバさの片鱗に気づいた。文化系インドア派の私はインテリアに興味があり、読書と音楽や映画鑑賞が最大の趣味という内向的な人間である。部屋を整え、照明や香り、植物で飾り、好きな音楽をかけ、そういう自分好みに作り上げた部屋で本を読んだり、雑誌をパラパラめくったり、写真集や画集を楽しんだり、好きな映画を見たりが至福の時なのである。それでいいのである。なのに、ある時、読みたい本も見たい映画もない時があって、私は唖然とした。部屋は既に出来上がってしまっている。これ以上、家具はいらないし、観葉植物も置けない。インテリアはこれ以上いじくれず、興味がなくなっている。もはやハードの面は充足したのでソフトの面なのだが、本も映画もピンと来るものがない。そうなって初めて、退屈というものを感じた。今まで若い時からずうーっと退屈などという気分を味わったことがない。いつも自分にはやりたいことややるべきことがあって時間が足りない、忙しい感じで生きてきた。休日だって朝早く起きて動いていた。なのに、頼みの綱の本や映画がないときたら、もうどうしていいのかわからなくなった。仕事を取りあげられた定年後のオヤジのようにうろたえた。その時、ふと退屈が孤独と握手した。さみしい。退屈=孤独となった。そんなことがあってから、私は給料の中から本や映画にたくさん金を使うことに罪悪感を持たなくなった。時間を持て余す退屈が孤独を連れてくるのが怖いのである。豊かな孤独。ひとりを楽しむ。それは結局のところ、趣味に没頭できるということである。そんなことわざわざ本に書かなくても知っている。だから、今日も必死になって本を探してきたのである。読みたい本数冊と見たい映画の情報が知りえた。ホッとしている。





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by zuzumiya | 2018-04-29 21:31 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(1)
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Commented by paison at 2018-08-27 16:40 x
「孤独」がやばいのではありませんし、何かに没頭して寂しさを紛らわすものでもありません。定義はいろいろあるますが「孤独」は一つの状態です。「寂しさ」は数ある感情の中の一つの感情にすぎず、感情自体に良いも悪いもありません。「退屈=孤独=寂しい=やばい」は、あなたが「寂しさ」をやばいと思っているから出来上がる方程式であって必ずしもそうではありません。「孤独=自由=最高」の人もいるのです。あなたが「孤独」を恐れ「寂しさ」を何かでごまかしている限り、「孤独」や「寂しさ」はこれからもあなたを苦しませることになると思います。「孤独」とは良いとか悪いとかいうものではなくじっくりと自分の感情と自分自身と向き合うためにあるもの、と私はそう思います。そしてそれは誰しもが嫌でも向き合わなければならないときがいつか必ず訪れるということです。「孤独」や「寂しさ」は決して心地良い感情ではありませんが、一度じっくりその感情を味わい「孤独」「寂しさ」と本気で向き合ってみのもいいかと思いますよ。きっと恐れていた「何か」が発見できると思います。偉そうなこと言って申し訳ありませんでした。もしまたあなたに孤独や寂しさが訪れるようなことがあれば参考にしていただけたら幸いです。
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