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『困難な結婚』読んでも気楽になりませぬ

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なんども書いてきたが家庭内でいろいろあって、もうひと月以上も夫と口をきいていないし、顔も見ていない。そんな中、写真家で『かなわない』や『家族最後の日』の著者でもある植本一子さんが好きだと書いていた本『困難な結婚』(内田樹・著)を読んでみた。それなりの発見も確認もあって、読んでみてよかったと思う。とはいえ、今の家庭内離婚の危機的状況がすぐに解決に向かったというわけではない。「どうしよっかなぁ」はいまだ続いている。
内田さんは本書で<それをすることがあなたにとって、ほんとうにたいせつなことなら、それに相応しい「勢い」があります。>と書いているから、グズグズしている今はまだ結論を出すべき時ではないということだろう。
さて、本書では驚くべき発見があった。<配偶者が変われば、あなたは別の人になる>というところ。ここは読んでいて「嘘でしょ?」と思った。私は今の夫と別れたら、もう誰とも結婚しないだろうと思っている。夫という他人と暮らして家族を作って、もうすぐ子どもも巣立とうとするところでなんだかひどく倦んでしまって、もうこれ以上他人と暮らすのは面倒だと感じている今となっては、私が再び別の男と結婚して嬉々としてその暮らしを楽しむなんてことがあろうはずがないと思う。
内田さんによると<人間の中にはいろんなタイプの「配偶者特性」が潜在的には眠っているということです。だから、どんな人と結婚しても、「自分がこんな人間だとは知らなかった」ような人格特性が登場してきます。いってみれば、配偶者が変われば、結婚しているあなたは別人になるんです。どの人と結婚しても、そのつど「その配偶者でなければそういう人間ではなかったような自分」になります。それはいわば配偶者からの「贈り物」みたいなものです。>ということらしい。
いくら新しモノ好きな私でも、25年以上も結婚生活をした後じゃ「出てくる自分なんてもうないよ、出し切ったよ」とボロ雑巾のように卑下したくもなるが、夫ではない別の男とまた一緒に暮らせば、「え?これがワタシなの?」と瞬きしたくなるようなまだ見ぬ新しい自分が顔を出すのだろうか。スルメかだし昆布のように。でも、なんとなく行く手に希望の光がチラチラ見えてくるようで、悪い気がしないのも事実だ。反対に夫が新しい配偶者を得たとしたら、彼にも「新しい自分」が出来て、それはついぞ私がどんなにこの人生で努力しても出会うことができなかった彼ということで、そう思えばなぜだか少し哀しい気にもなる。
で、あとひとつ。夫婦の倦怠期の話で、内田さんは書く。<自分自身の人生が楽しいと、倦怠期が起きても、それほど致命的なものにはなりません。「倦怠している」人たちというのは、ある種の自己倦怠を病んでいるからです。自分で自分自身のありようにうんざりしている。そして、その倦怠を自分の周囲の人間関係全体に拡大している。自分自身が日々新しい発見にわくわくしながら暮らしていたら、選択的に配偶者についてだけ「倦怠する」ということにはなりません。>
なんかこの<倦怠とは自己倦怠にほかならない>というのは今回いちばんグサッときた。たしかに自分の感じ方なので、自分の心の持ち方のほうに責任がないか、不調はないか、夫婦ともに更年期なのだ、注意すべきところである。この文章の少し前に内田さんはこうも書いている。
<危険なのは、自分自身が社会的にうまくいかないことを結婚関係とリンクさせて説明しようとすることです。「この人と結婚さえしていなければ……」と仮想して、配偶者の無理解や無能を自分自身の不幸の原因にすると、もうダメです。だって、たしかにあらゆる自分の不調は配偶者の無理解と無能で「説明できる」からです。(中略)ほんとうは自分の心身の不調には配偶者以外にもいろいろな原因があるんです。(中略)でも、そういうさまざまな微細な「不調」が加算されて、水がコップのふちからあふれそうになったときに、「最後の一滴」となるのが、だいたい家の中のいさかいなんです。(中略)僕の経験から申し上げるなら、自分の心身の不調は無数の微細な不調の算術的総和によるものです。だからひとつひとつほぐしてゆくしかありません。(中略)配偶者のことは脇において、自分はそれ以外のどういう条件がクリアーされると機嫌がよくなるか、それを考える。そして、それが実現するようにこつこつ努力して、「心ない一言」で「コップから水があふれる」ような危険水域に自分を持ってゆかないことです。>
内田さんは、風邪で寝込んでいる妻に夫が自分の夕飯は支度しないでいいと言ったことで「私のご飯はどうなるのよ」とブチ切れて離婚した知人の話を引き合いにだして上記のことを説明している。妻の腹具合にまで気がつかなかった夫の想像力の欠如はたしかに不愉快ではあるけれど、妻の方がある程度自分の体調を予測して動いていたら、夫を当てにせずに自分の非常用の食料を自分で用意しておくことをデフォルトにして暮らしていたら、離婚に至るような致命的なダメージにはならなかったのではないかと書いている。
うーん、そうだろうか。このあたりは、自分のものは自腹で買って記名してストックしておく今の我が家のやり方みたいで、「まあね、自分が食べるんだから理にかなっているわね」とは思うけれど、ほんとはそうスパッと割り切れない侘しさがある。正しいのだけど正しさにはどことなくやさしさがない、にじむ情がないのだ。男の人はどうも正しいことには気づきやすいが、やさしいことを第一優先にしない。きっと世の中の多くの妻は「風邪で熱があるのに、結婚していて一人暮らしじゃないのに、なんで台所に立ってレトルトお粥をチンしなきゃいけないのよ」と思うんじゃないか。病気なのに気にかけてもらえていない寂しさを「これが私が思い描いていた結婚生活?」と悔しく虚しく思うに違いない。心から納得してそういう準備万端な自立の生活をデフォルトにできていればいいのだが、通常でなく、いざという時に一緒に暮らしている人を当てにしない、できないっていうのはやっぱり女には堪える。「大人らしく自分のことは自分で」という正しさと「それでもやっぱり相手に甘えたい、頼りたい」という情の依存の矛盾が結婚生活には渦巻いているから難しい。
どんなに本を読んでもドラマや映画を見たとしても、自分の結婚にすべてが当てはまって「ああそうか」と思えるものはない。正解が見えてこない。内田さんじゃないけど葛藤のネタが増えただけである。<「葛藤すること」のうちに、最も現実的なソリューションがあるんです。>の言葉を信じて、まだまだ頭を抱えるしかないようだ。ふぅ~。



by zuzumiya | 2017-03-05 00:10 | 日々のいろいろ | Comments(0)
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