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『安井かずみがいた時代』

『安井かずみがいた時代』_a0158124_17274422.jpg安井かずみという人は大雑把に言って、人生が二つの時代に分けられる。夫である加藤和彦に知り会う前と後だ。
前半は売れっ子の作詞家で、親友の加賀まりこやコシノジュンコらとつるんで、時代の最先端を行くファッションに身を包み、颯爽と外車を乗り回し、六本木のイタリアンレストラン「キャンティ」や赤坂のディスコ「ムゲン」で派手に遊び回っていた時代。最初の駆け落ちのような結婚と離婚。孤独を恐れて恋人が欠くことがなかった恋多き女の時代。
後半は運命の男、加藤和彦と出会って、ゴージャス&スタイリッシュ&インテリジェンスなワーキングカップルになり、メディアに“洗練された今をときめく理想の夫婦像”として君臨した時代。自ら青春に終わりを告げ、つきあう友人もファッションも生活様式も仕事のしかたもすべてを一変させ、“夫婦単位”で行動した時代。そして晩年は肺がんを患い、55歳の若さで亡くなった。
この本はそれぞれの時代のそれぞれの安井かずみを知る著名人たち26人がインタビューにこたえて、自身の目に映った安井かずみ像、そして安井かずみと加藤和彦の夫婦像を率直に語っている。二人ともがもういないこと、そしてここまで時代が変わってしまい「あんな時代があったんだよね」と懐かしく振り返られる今だからこそ秘密を明かした、という体の発言もある。
前半部では、独身時代の安井かずみの風貌やらパーティ三昧の暮らしぶりやら、そのスタイルのぶっ飛んだカッコよさ、数々の武勇伝、そして売れっ子作詞家が人気絶頂のジュリーに密かに恋愛感情を抱いて仕事していたらしいところが面白く読めた。中でも最初の結婚のお相手、新田ジョージさんのインタビューが読めたことは貴重だった。安井かずみは生まれも育ちもよく、才能豊かであったが、出会う人にもほんとうに恵まれていた。
そして、後半部は夫として人生のベストパートナーである加藤和彦との結婚生活の光と影、内実、とでも言えばいいだろうか。
本書では“ロールモデル”という言葉が出てくるが、安井かずみが生涯を通して、三十年にもわたって人々の憧れを誘う“時代のロールモデル”であり続けたことは驚くべき事実だが、感性豊かで何が最先端か面白そうかの鼻が利き、審美眼があり、器用で非常に聡明な彼女も“ロールモデル”とした女性たちがいたようだ。本書には安井の著作としてこう書かれてあった。

<日本に手本になる人間がいなかったゆえに、ファッションはフランスの「VOGUE」誌から、料理はアメリカのタイムライフ社の雑誌から、結婚はボーヴォワールやジェーン・フォンダから、住まい方はイタリアの「domus」誌からあるいは旅行先のパリの友人宅から盗んだ>

その後にもサガンやドルレアックの真似をしたと名前が出てくる。私はサガンの伝記映画もサルトルとの生活を描いたボーヴォワールの映画も見ているが、安井かずみの華やかな交友関係や消費三昧の暮らしぶり、恋愛体験と重なる部分があって「あ~、なるほどなぁ」と思えた。ジョン&ヨーコの名前が本書では出てこなかったが、安井の“ロールモデル”の1つではなかったのだろうかと不思議だった。音楽家であり夫の加藤和彦の口からだったら、二人の名前は出ていたのだろうか。
私が本書を手にとった最大の理由は、若い頃、私にとっても安井かずみと加藤和彦の夫婦が“理想の夫婦”として、憧れのロールモデルだったこと、そしていちばん知りたかった「どうして加藤和彦は安井かずみが死んですぐに再婚してしまったのか」の疑問を解きたかったためである。私にとって夫婦というのは、生涯をかけて何なのだろうと考えていくいちばんのテーマだ。あれほどまでに二人一緒にいて最高のカップルに見えたのに、1周忌を待たずに再婚した(本当は再々婚だが、再婚と書きたくなってしまうほど安井との夫婦のイメージが強い)というのが、当時はショックだった。そしてそれはやはり二人を知る人々にも同様にショックを与えていたらしい。
本書は安井かずみが病を得て亡くなるまでの加藤和彦の献身ぶりも、亡くなった後、彼のとった行動が周囲の目を疑うような大胆なものだったこと、ふと漏らした言葉も隠さずに書かれている。安井かずみがメインの本なので、加藤和彦側のごく親しい人物、夫婦単位で付き合ってきた人物以外の、昔からの友人とかひそかに気持ちを吐露できていたような人物(束縛の強い安井かずみだったから、そんな人が果たして加藤和彦に残されていたのだろうかとも思う)、それから例えば再々婚相手の中丸三千繪などへのインタビューが(断られたのかもしれないが)掲載されていないのが残念だ。ミーハー的と思われようが、安井かずみが死んで、加藤和彦が中丸にどう言ってどう接近していったのか、何を求めていたのか、彼女との5年の結婚生活は安井かずみとのそれと何が同じで何が違っていたのか、そしてなぜ終わってしまったのかを知りたい気もする。
再々婚が離婚に終わった後も、「会うたびに違った女性が傍らにいた」という加藤和彦だったが、2009年には軽井沢で「ただ消えたいだけ」と遺書を残して自死を選んでしまった。死の前には安井かずみの眠る青山墓地を訪れていたという。ほんとうのことは誰にもわからない。本人たちにしかわからないのだろうけれど、あれだけの影響力のあった夫婦であったのだ、どうしてもさまざまな憶測が浮かんでくる。
本書の数々の証言のように、私も安井かずみと加藤和彦夫妻は自分たちなりに夫婦というものを楽しみながら演じていた、と思う。楽しみながら、というのは喜怒哀楽を味わいながら、という意味である。自分たちの「こうしたらステキなんじゃない?」の理想があって、それに自分たちを合わせていって(経済的にも精神的にも合わせていけたところが凄いのだが)、そんなある種の“二人でする知的でゴージャスな試み”がいつしかメディアに大々的に取りざたされ、その“型”から時に疲れることはあってもはみ出ることが許されなくなった、演じ続けることが求められたのではないかと思う。外国のように“夫婦単位”がフツーでそれが幸福になる時代のさきがけ的存在になろうという自負もきっとあって、そうやって振舞うことは嫌いではなかったし、幸せだった、ということじゃないか。
安井かずみは恋多き女であったという。でも加藤和彦という夫を得てから、大胆に人を切り捨てて排他的な生活をしたぐらいだから、「私はこれでほんとうに身も心も幸せになる!」と覚悟を決めたのだろう。そうやって最後まで、安井かずみ像を自分で作って、自分で守っていったともいえる。
一方で加藤和彦はどうだろう。ジョンがヨーコに憧れたようにまずは安井かずみへの仕事ぶりに対する“尊敬”があっただろう。彼自身、「自立した強い女性が好きだ」とも言っている。安井かずみにとってもジャンルは違っても音楽業界におけるプロデューサー「トノヴァン」の仕事ぶりには一目置いていたはずだ。
“尊敬”とは身の引き締まる堅苦しい言葉である。林真理子は本書で「家庭は楽屋」と割り切って語っていたが、たとえ初めは尊敬で結びついた夫婦でも、生活していくうちに互いのダメな部分も見えてきて、隠すことより見せ合う気軽さと惰性を愛と書き換えて、普通はさっさと捨て去るものだ。安井かずみと加藤和彦の夫婦はそれを手放さなかったのか。
おそらく、安井かずみが8歳も年上で年収もキャリアも格上、というのが夫婦のなかにいつまで経っても“尊敬”の一線を残させたのだろう。知識でもセンスでも社交でも、安井かずみが破格に凄い女性だったために加藤和彦も大いに影響を受け、面白く学びながら、それは今までのどの女性からも得られなかった知的好奇心を大いに満足させる喜びを伴っていた、ということだろう。
安井かずみは年収差などより、年齢差の方をひどく気にしたようだった。加藤はハンサムで知的でスマートでジェントルマンで、愛妻家の男性である。モテないはずはない。年下の夫に捨てられないように、毎朝ストレッチして体型維持にも気を配っていたらしい。そして、彼女は本来は良妻賢母をよしとする教育を受けた世代の女性だ。青春時代は恋多き女であったが、それはきっと「愛する人とただ仲睦まじく暮らしたい、愛されたい」という無意識の安定志向、結婚願望が強くて、取っ替え引っ替え生き急いだという感じが私にはする。本来は夫を立てて、素敵な旦那様に寄り添って生きていたい、という孤独を嫌う甘えん坊な女性なのだと思う。加藤和彦は強い女性のなかにある可愛らしい弱さをプライドを傷つけずに上手に愛せた人だったのではないか。
本書を読んでいると「支配され、支配する」という言葉が出てくる。考えてみればどこの夫婦もこの関係にある。でも、安井かずみと加藤和彦夫妻ほど、このバランスが良かった、傍目にはそれを“素敵に”見せることができた夫婦はいない。
切ないのは、安井かずみが亡くなった後の加藤和彦という人間だ。実際には1周忌も待たずに次の恋人中丸三千繪と再々婚を果たしている。散骨を終えたその足で恋人である中丸に会いに行ったとか、中丸との新しい暮らしのために家を全面改装し、安井かずみの持ち物をすべて一枚の写真も残さずにゴミとして処分したとか、葬儀までの4日間、遺体を霊安所に置いていたとか、いろいろと書かれている。
同時に、余命1年の妻をケアするために1年間すべての仕事をキャンセルした、安井のためにカウンセリングの本を30冊以上読んだ、夫婦で教会に通い、夫婦揃って洗礼を受けた、分厚い旧約聖書を抱えて毎日読んでいた、最初の呼吸停止から亡くなるまでの40日間を病院に泊まり込んだ、最期の時は夫の祈りの言葉を聞きながら安井は息を引き取った、などとも書かれている。仕事の面でも、安井が亡くなってからは一枚のソロアルバムも出していない。その理由は後の2004年に「安井にかわるべき作詞家がいない」「モチベーションがない」と語っている。仏教の通夜に当たる前夜式に加藤は「妻が神のもとに旅立っても、私はいまだに夫婦だと思っています。悲しくなんかありません。ただ淋しいけれど」とスピーチした。その加藤が1周忌を待たずに結婚した中丸との記者会見では「安井とのことは完結した」ときっぱり語ったそうである。
夫婦をよく知る近しい人々からさまざまな証言が飛び出て、“理想の夫婦”の影の部分を知ってしまって、少なからずショックを味わったが、みな最後は口々に「あんなに頑張って看病して、精魂込めて捧げ尽くしたんだから、もう仕方がない」と語ってしめている。
たしかに安井が亡くなった当初は、「夫婦であり続けたい」と加藤も願っていたのかもしれない。私も昔、茨木のり子さんの「歳月」についてエッセイで書いたように、夫婦の片割れが亡くなっても、あの世とこの世とで夫婦の恋物語は続くと書いた。でも、この夫婦の場合はそれができなかったと思う。あまりに夫婦二人きりで、二人きりの世界を見事に美しく完成し尽くしてしまったために、片割れがいなくなったら、自分の存在価値がまるでわからなくなった、意味のないものになってしまった、もう物語ができなくなったのだろう。おそらくは加藤和彦には、安井かずみと暮らした時間と歴史が体中に染み込んでいて、何をするにも何処へ行くにもZUZUの影がチラついたのではないか。それは加藤を見る周りの目もそうだ。加藤を見れば傍らにいるべき安井の不在がどこかで“欠けたもの”としてついて回ったに違いない。そういう自分を消し去ろうと努力すればするほど、「果たして自分はどこにいる?」「自分ってなんだった?」となったのかもしれない。その姿は相手の女性にも痛いほどわかっただろうし、かといって、どうしてあげることもできなかっただろう。結婚生活がよく5年ももったものだと思う。
またしても「支配され、支配する」という言葉が蘇る。安井かずみが亡くなったことで、加藤和彦はより完璧に彼女に支配されてしまったのかもしれない。バランスは崩れた。一人の男、加藤和彦でいるにもかかわらず、もはや“一人で立っていられなくなった”んだろう。そんな彼の自死はある意味、頷けるものじゃないか。
濃密な夫婦の絆と歴史はこんなふうにその後の片割れの人生を追いやってしまうこともあるんだと、夫婦というつながりの凄みを思い知らされて、今はしみじみと切ない。
by zuzumiya | 2013-03-31 17:31 | わたしのお気に入り | Comments(4)
Commented by olive at 2013-08-10 07:02 x
はじめまして。

濃密な夫婦の絆と歴史はこんなふうにその後の片割れの人生を追いやってしまうこともあるんだと、夫婦というつながりの凄みを思い知らされて、今はしみじみと切ない。
凄い!な。 こんな文面を書かれていらっしゃるzuzumiyaさん
今、初老の夫(再婚ですが)に 想う徒然
貴女様の記事に ふと、、足跡をの残すべし、、。
また 寄らせてくださいませ。

Commented by zuzumiya at 2013-08-12 22:03
はじめまして。コメントを残してくださり、ありがとうございました。
夫婦については、人生を送るうえでいちばんのテーマといっても過言ではありません。赤の他人どうしがくっついて、家族という強い絆(あるいは縛り?)を作る。年をとるに従って、若い頃とはまた違ったいろんな感慨を覚えます。あなた様の「想う徒然」なども是非、拝見させて頂きたいです。また、お話しましょう。今後ともよろしくお願いします。
Commented by Thelonious at 2015-09-15 03:33 x
はじめまして。素晴らしい内容だったので、コメントさせていただきます。

私は今年で33歳になるのですが、いまだに独身です。しかし、今は私のような独身男性や独身女性は、まわりにも多いです。なので、結婚とは何か、友情とは何かを真剣に考えてしまいます。

そんな時に、この本に出会いました。私は安井さんと世代が違うので、加藤&安井夫婦がどんなイメージで当時の世間に捉えられていたのか、正直なところ実感がつかめません。

ただ、とても興味深かった点は、安井さんが加藤さんとの結婚後に人間関係を大きく変えたところにあります。つまり、最初の結婚が失敗した原因は、独身時代からの遊びの付き合いをそのまま継続させたことにあると、彼女なりに認識していたのではないか?ということです。

だからこそ、加藤さんと結婚してからは、あそこまで徹底的に生き方や関係性を変えたのではないでしょうか。私はそう思っています。つまり、結婚生活はそれまでの交友関係を犠牲にしないと、継続させるのはとても難しいと。

長文すいません。これは私なりの結論です。
Commented by 通りすがりです。 at 2016-07-28 14:29 x
今ごろになって、安井さんの「30歳で生まれ変わる本」というのを買い占めている人がいる?のでどうしてだろう。という疑問がわいて、こちらにたどり着きました。
アマゾンで、売られていたこの本が、急に在庫0になったんです。実は私も出品していた一人でした。初めは、30代になって生き方に迷う女性が買うのかなと思いました。でももしかしたら、彼女のような生き方に対する反発から、買い占めたのかも・・・手放す前にもう一度読み返してみました。相手が加藤和彦とは知らず読みました。
知ると、正直「蓼食う虫」と思いました。結婚、結婚という考え方も、今の時代ではどうなのかな?とも。生まれつきの事情で結婚できない人もいるし、するとその人は、女でいる価値がない。という事になってしまうから。そういう人が、買い占めたかしらと、いろんな想像がかけめくります。
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