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車と持ち主

夫と住宅街をぶらぶら散歩していると、ふいにこんなことを言う。
「車ってさ、番犬みたいだね」
言われてみると、そう見える。家々の玄関付近にいつも鎮座していて、ライトである目をキリリとつり上げ、バンパーの上のギザギザがキッと歯を剥いて威嚇しているように見える。車種によってはバンパーの下がさらに突き出て、まるで下あごを突き出したブルドッグのような、ものものしい面構えである。ガレージは犬小屋、蛇腹の柵がぴったり閉じられて、まさに猛犬注意の趣がする。
「いつの頃から、車の目がこんなにつり上がったんだろうね」
「いやだねえ。こんな怖い顔ばっかで、どけだの、遅いだのって走ってるんだから」
金喰い虫の車を手放して、もうずいぶんと経つ。
「でもさ、わたし、車の後ろのテールランプがへの字になってて、ニッコリ笑っているようなのも見かけたよ」
ああいう車の正面の顔はやっぱり笑い顔だったか、垂れ目だったかは覚えていない。
もし、後部だけ「いい顔」しているとしたら、「頼むから、オカマは掘らないでくれよ」と言って、取り繕った笑顔を振りまいているようなものである。ずるい。
それにしても、家々の住民は皆そろってつり目の車を選んでいる。
まあ、それが車の顔の流行ということだろう。しかし、対向車線につり目の車ばかりを無意識に何台何台も見ていると、人間の心も荒んでくるのではないかと思える。
うちの初代の車は、カローラで、ボディーの横に黒い線が走ってるようなものすごく古いタイプのセダンであった。しかし、子供の小さいうちは保育所の送り迎えや病院や行楽や帰省の長旅と、家族の足となってずいぶんとよく働いてくれた。
あれはおそらく母から譲り受けた車だったと思うが、夫が選んだものではなかったのに、ひどく夫にふさわしいというか、いかにも夫の車、夫が持ち主で正解!という風情を全身から漂わせていた。
横に細長い目の、どこまでも涼やかな優しいまなざしは、公明正大、清廉潔白、理知的で争い事を好まない平和主義者といった趣で、悪く言えば、何と言うか主張のない、欲のない、毒気の欠片もない、影の薄い顔であり(あまりに格差がありすぎる言い方だが)、実は私はこのカローラに「万年平社員」というあだ名をつけていた。聞いた夫も吹き出すほどに、ぴったりであった。
スーパーの駐車場で遠くから見ると「万年平社員でも、僕はしあわせです」と微笑んで、私たち家族の帰りを静かに待っているそのいじらしいほどの柔和な佇まいに、思わず「そうだよね」と言いたくなる。何かあの澄んだ落ち着いた瞳で、見栄をはらない白い平凡なボディーで、いつでも無言で私たちに「清貧」を指し示してくるのである。あの目で見つめられると、いつでも私と夫はいろんな意味で心のなかで頭を垂れてしまうのであった。
この「万年平社員」のカローラはその控えめなつつましい風情のために、路上では常に割り込みをされた。というか、乗り手の夫がきちんと車間距離を守って走るために、他の車が入り込もうとするのである。そして、それをいつでも夫はすんなり譲ってやる。挨拶もされずに。
世の中には家族を乗せていても、いちいち右に左に進路変更して、5分でも早く目的地に着こうとするせせこましい男もいるが、夫はそういう男ではない。うちのカローラの「万年平社員」もその精神を「善きこと」「美しきこと」として大いに喜んでいるように感じた。
高速で流れに乗ったために、たまに「ピコンピコン」と激しく警告音がなると、子供たちはウルトラマンの3分間タイマーを思い出してヒヤヒヤし、私は働かせすぎでいつエンジンから煙が上がって過労死するかとヒヤヒヤする。「万年平社員」は猛烈社員の器ではなく、出世レースなど似合わないのである。「清貧」の旗を風になびかせて、のんびり持てる力で走って行けばいいのだ。
その後、ややガソリン喰いのファミリーワゴンに変わったが、その車も横長の一重の涼やかな目をしていた。夫の選ぶ車はどうも、ギラギラとして他を威嚇するようなつり目でなく、おとなしく控えめで温和な目つきである。でも、その乗り手と車の素晴らしい相性のおかげで、事故にもあわず、危ない目にもあわず、家族はこうして今でも元気に散歩ができているのである。
「車に乗るとどうも性格が荒っぽくなるのよねえ」という男は、横長の一重の涼やかでおっとりとした目つきの車に、一度乗り換えてみるといいのではないか。
貧乏になるかどうかは、知らない。
by zuzumiya | 2010-08-25 17:46 | 日々のいろいろ | Comments(0)
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