最近のお買い物から。

東京は真夏のように暑い毎日。午前中の仕事が終わり、疲れて帰ってきて、揺り椅子に座って午後のもわわんとした風にあたりながら読む本は、ここのところコマツシンヤさんの漫画である。『8月のソーダ水』の全編カラーの水色、夏っぽくて爽やかできれいです。『つるまき町夏時間』もぜんぶカラーの緑色にして欲しかった。『午后のあくび』も『睡沌気候』も同じくカラーで読みたかった。コマツさんの作品はお金がかかっても全てフルカラーにして出版して欲しい。そうしないと彼のやろうとしていることの良さが半減すると思うんだけどな…。お話は大人も楽しめる童話、ファンタジー。夏休みのプールにプカプカ浮かびながら間延びした時間に遊ぶめくるめく妄想のようなお話。真冬には読めないけど、季節を選ぶけど、彼の描く可愛らしいファンタジーが大好きです。
村山由佳さんの『風は西から』読了。ブラック企業を相手に自死した恋人の仇を討とうと奮闘する女性と彼の遺族のお話。会社組織と闘うのって死んでから3年もしないと決着つかないんだとわかってため息が出た。もうすぐ小池真理子さんの『死の島』も終わる。「脱血死」という死に方があるのを知って戦慄く。死に関わる本ばかり読んでいたので、18日に出る吉田篤弘さんの新刊が楽しみ。
音楽は夏らしくキューバのギター音楽とクラシックではフォーレの舟歌を購入。夜風に心地よくいい感じに憩える。母からお古のロッキングチェア(揺り椅子)を貰った。今週末は娘とインテリアショップを回って、チェアに合うクッションを買う予定。
NHKの番組でバイヤーが外国に買い付けに行くのをやっていて毎週見ているが、北欧の家具の回でスウェーデンの人は窓にカーテンを吊るさないというのを知って素敵だと思った。夜のスウェーデンの集合住宅の窓辺はどこもかしこもショップのように美しい。それを知ってからは私も電気代のことなんか忘れて間接照明をバンバンつけている。でも勇気がないのでカーテンはすぐ閉めてしまうが。
最近、運気を上げるために様々なものを購入したが、鯉の滝登りの絵柄の手拭いを見つけて買った。尊敬する作家の鈴木マキコさんが開運を願って鯉の滝登りの着物を買ったというので真似をした。手拭い額に入れて部屋に飾っている。
テレビは土曜の『植物男子ベランダー』を毎週楽しみにしている。いとうせいこうさんのファンなので。
見たい映画は画家の熊谷守一さん夫婦を描いた『モリのいる時間』と『万引き家族』。どちらも樹木希林さんが出ている。楽しみ。でももしかしたら娘とショッピングの帰りに『孤狼の血』を見ちゃうかも。はやく週末になんないかなー。



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# by zuzumiya | 2018-05-16 21:56 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

サービスってやつは。

今日トイレでひとり、サービスというものの本質をしみじみと考えた。
若い頃からの習慣で私はパンティライナーを愛用している。中年の今は身も心も枯れ果てて使い続ける理由なんぞないのだが、ああいう清潔に関わるものは一度使い始めるとやめる理由が見つからないものだ。いや、もう少ししたら、もしかしたら尿漏れ対策に少しは役立つかもしれないが。
で、今日もトイレでライナーを使おうとしたら、なんと台紙の余白に「たまには息ぬきしよう!」と書かれているのを見つけた。「おおっ、こんなところにこんなメッセージが!」と驚いた私は置いてあるすべてのライナーを一枚一枚調べてみた。すると「今日もすてきな一日になりますように」とか「笑顔でいることがキレイの近道」などと書かれているものが見つかった。メッセージは全部に書かれているわけではないようで、だいたい10枚くらいに1枚の割合で見つかった。このレア感がいい。私みたいにふとした時にひょっこり目にする。そういう時のメッセージは不意打ちなので心にストンと落ちる。考えてみると私はトイレでいちばんため息をつく。「あーあ」とため息をつきながらおもむろにライナーのパッケージを開いたら「たまには息ぬきしよう!」なんて文字が出たもんだから、心の底に沈めて素知らぬ振りをしていた疲労感や孤独感がじんわり浮き上がり、「そうか、いいのか、そんなに強がらなくても」という気になった。こういうささやかな、でもちゃんと人の気持ちを考えたサービスは実は素晴らしい。サービスって人をほんのささやかな幸せに導くことなんだよな、なんて思う。コアラのマーチの中に一個だけ違った奴がいるとか、見つけるとラッキーってうれしくなるあの感じ、あれは企業側からの立派なサービスなのである。
昔、シャンプーとか洗剤の取り替えパックの注ぎ口が改良されたというCMを見た時、「そんなささいなことより値段を下げろよ」なんて毒づいたことがあったけど、実際、取り替えパックの不便さ(液漏れと注ぎ切るまでの時間)はよーくわかっていて、風呂場でまっ裸でじっと注ぎ切るまで待っているのは悲しくなるくらい情けないものである。面倒くさい時は容器に移さずパッケージを折って洗濯バサミでとめていたほどであった。で、改良パックを使ってみると、ほんとうに注ぐのがラクなのである。注ぎ口をストロー状にする程度のささやかなサービスがこんなにもありがたいものとは、あの時も深く胸を打ったのだ。サービスとは大それたものでなくてもいいのである。日常にほんのちょっとのささやかな幸せを与えてくれさえすれば、私たちはまたにっこりと笑って前を向いて生きていけるのである。




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# by zuzumiya | 2018-05-10 21:49 | ちっちゃい器で生きていく | Trackback | Comments(0)

保育格差ってあるよね

以前、老人ホームで食事介助をしていた経験があるので、ここしばらく『誰も書かなかった老人ホーム』という名の新書を読んでいた。読み進めていくうち、あ、そうか、保育園について裏事情というか実態を暴露したようなものはないかと思いついた。ネットで調べてみると『ルポ 保育崩壊』、『ルポ 保育格差』を見つけたので即購入。その際に『ブラック化する保育』という本も見つけたので試しに図書館で借りることにした。
先日、このブログでも愚痴ったが、人手不足で園長の許可のもと懸命に働いたのに、法人から労働基準法と就業規則違反と言われ、処遇改善手当を全額支払って貰えなかったり、ほぼ一年間分の残業手当が出されてなかったりしたことがあった。ひとえに園長の認識不足、判断ミスで「ごめんなさい」じゃすまされないことで、働いたこっちはなあーんも悪いことはないのに大損した。まるでブラックじゃないかと腹だたしかったし、是正ということで労働時間数が減らされて身体は楽になったはずなのに、頑張るモチベーションがガクーンと下がってしまった。払うものを払わないなんてまるでブラックと思ったのでこれらの本を手に取ったわけだが、やっぱり人手不足、過重労働、低賃金のせいで現場の保育士の心がすさみ、保育の質が下がっていることが多々あるようだ。うちの保育園も延長時間帯に無資格者が何人かいるが、彼女らの時給が有資格者の昼間の派遣と同じくらいの値段で破格なのだが、そこまで値段を上げる必要があるのかと私は思っている。無資格者に破格の時給でしかも夏と冬にそれぞれ1ヶ月分ほどのミニボーナスがある園なんて聞いたことがない。そんな人件費の使い方をするなら、子どもに汚いブロックを使わせてないで新しいのを買ってくれと言いたい。確かに人がいない。でも、そこでいくら子育て経験があるからって無資格者を入れることは「だれでもいいから来てくれ」であり、それで成り立つ保育なら国家資格の保育の専門性などいらない。世間に「保育士なんていらないじゃん」となり、ますます「子どもと遊んでいるだけ」となって保育士の評価が下がる。自分で自分の首を絞めているようなものだ。じゃ、無資格者に独自に園内研修でもして教育しているかといえばそんなこと忙しくてできないのである。まるっきりの放し飼い状態である。で、やれてることは最低限の命を守ること。事故を起こさないように(それは当然だが)怒らなくてもいいところで怒ってばかり、やっちゃダメの制限ばかりの否定語の多い怒鳴る保育である。それでいいと思って、しっかり仕事をしている気でいるのだから、保育の質などほど遠い。はっきり言って無資格者の時給を下げて有資格者の時給をもっと上げてやればうちの園でも人はくるのではないかと思う。非常勤を慮っているようで、変なところで金を落としている。
どちらかの本で、一斉保育をやめた園がいくつか紹介されていたが、それには大いに頷けた。私は大賛成である。今日も担任の指示でそれぞれが集中して遊んでいた外遊びをやめさせてまで「ホールで楽しいことするんだって」とホールに誘って強制的に連れて行ったが、やってみると「はあ?」と目を疑いたくなるほどの大人の自己満足な企画で、しかも準備不足で「これでいったい何を育んだ気でいるのか」「ひとりひとりの発達にどう関わっているのか聞いてみたい」と呆れてしまった。どうしてこうみんなで一斉に何かをしなきゃ集団でいる意味がないとか、集団でやっていけない、そぐわない人間になってしまうと思ってしまうのか。法人内だけで研修なんてしてないで、あらゆる形態の園に見学に行ってうちの園に取り入れたい長所をレポートに書かせるみたいなことさせればいいのにと思う。そうすると人が逃げちゃうからやれないのか。保育園というところは実に保守的である。毎年、研修で作文を書かされるが、たまには「あなたが園長ならどんな園を作りたいですか」ぐらいぶっ飛んだ、でもいちばんその人の保育観のわかるテーマで自由に書かせてみたらいいんじゃないか。
ま、保育関係の本を読むとそれなりにイライラ、ムラムラ来ちゃうのであった。

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# by zuzumiya | 2018-05-08 23:03 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

キュアな戦士

すごいCMを見た。またしても小林製薬なのである。「アオキュア」という名のスキンケア商品で、いわゆる「青タン」内出血の痣の青みを薄くしていくという治療薬だ。風呂に入っていて「あれ?いつの間にできた?」という内出血の痕。保育士にとってはよくあることだ。
で、このCMの設定がすごい。デートの席で彼氏に「どしたの、それ」と指摘されるのだが、そのキレイに着飾った彼女のスカートから出ている片膝がもうハンパなく青い。ガーン。まるでDVにあったかのような惨たらしい酷い青あざなのである。この設定があんまりすぎて、もう可笑しすぎる。小林製薬らしい単刀直入なわかりやすさである。
ネットで調べてみると先行商品の傷痕を薄くしていく「アットノン」の売れ行きが絶好調(発売から13ヶ月で約12億円の出荷見込み)らしいので、スキンケア商品の開発にも自信を持ったのだろう。どんどん商品が出ている。
同じく保育士の悩みとして膝の黒ずみがある。どうしても正座したり、膝立ちしたり、膝をついて床掃除したりするので膝頭が黒く色素沈着してしまう。乳児保育を3年もやれば、若くしてスカートが履けなくなるのである。この黒ずみを薄くする商品も実は出ていて、名前はもちろん「クロキュア」なのである。プリキュアならぬアオキュアにクロキュア。悩める保育士の心強い味方である。さあ、買いに行こう!

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# by zuzumiya | 2018-05-06 21:02 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

「子どもなんて」

最近は母と妙なところで気があうようになった。
それは「子どもは当てにならない」というところである。
母にとって私はまぎれもなく当てにならないところの子ども本人なのだが、だから私に対して充分な皮肉でもあるのだが、私が年をとってきて母の気持ち、親の気持ちが昔より理解できてきたこともあり、自分が子どもであることはいったん棚に上げて、我が息子、娘との関係を鑑みるに「子どもが当てにならない」が実感を伴ってよくわかるのである。
母が70代、娘の私が50代の、このうまい具合に互いが「老い」や「孤独」をそれぞれに意識できる年頃っていうのがミソなのだろう。この年頃になって、娘の私の方の子育てが終了して、息子も娘も親より恋人になり、なんとはなしに邪魔者扱いされてくる。息子の言動から将来は確実に親の私ではなく、嫁の意思を優先させるであろうことが情けないことにチラリとうかがえたりする。一生懸命育てた末が「年寄りは邪魔者なんかい」となり、茫然となる。その意気消沈したところに母がニタリと笑って寄り添ってくる。「ね、子どもなんていたってみんな生きていくのに大変で、ぜんぜん当てにならないでしょ」。なぜか私たちは手と手を取り合い「ほんとよね、子どもなんて苦労するばかりで、ぜんぜん頼りにならないわよねぇ」となる。それはもう母娘ではなく、同年代の近所のオバチャンのノリ、一致団結感なのだ。変だというのは頭の片隅で分かってはいるが、それでもこの共感がひどく嬉しい私は母をつかまえては「子どもなんて」と愚痴っている。





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# by zuzumiya | 2018-05-06 18:27 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

尽くされてみたい

沼田まほかるさんの原作で映画「凶悪」の白石和彌監督が撮った「彼女がその名を知らない鳥たち」を見た。「ラストを見ればあなたの恋愛観が変わる」がキャッチフレーズだったと思うが、陣治役の阿部サダヲさんの迫真の演技、すごかった。嫌われても嫌われても相手に尽くしていく。見返りを求めない。あれは恋愛というより、親子の愛情だった。でも、胸を打った。そんでもって「あんな風に尽くされて愛されてみたい」と思ってしまった。若かったらそうは思わなかったかもしれないが、年をとり、熟年離婚した今は率直にそう思う。昔の人がよく言ったけど、女は愛すより愛されて嫁に行った方が幸せになるっていうのはそうかもしれない。
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# by zuzumiya | 2018-04-30 12:12 | わたしのお気に入り | Trackback | Comments(0)

断捨離とハルジオン狩り

最近の金運の危うさに私は焦っている。4月だけはハンパない給料が入ったがこれを最後に来月からは勤務時間が減らされるため、減る一方だ。このゴールデンウィーク、時間はあるが、なるべく金は使いたくない。本は3冊の並行読みである。映画も見たいものは見た。あと残るは断捨離まがいの掃除である。入院した元夫が息子に下着の替えを持って来させた際、彼のタンスを覗くときちんと間仕切りがしてあり、女性のパンティのようにトランクスがきちんと畳まれて整然と並んでいたのには驚いた。もし私が入院となったら、娘は私のタンスの中身を見て腰を抜かすだろう。そうならないように全て購入させてしまう手もあるが、金がかかるし、娘の買ってきた下着と好みが合わない可能性もある。そう考えて一念発起、タンスの整理をした。靴下とパンツなどスーパーの袋3個分の下着を燃えるゴミに捨てた。これで面子が保たれる。年をとるといつ何時倒れてもいいようにボロでない下着を身につけ、タンスの中身も整理整頓なのである。
掃除が終わり、ふとベランダから庭を見下ろすと、雑草が一面はびこり、名前の知らないアザミかタンポポ系の草花が我が物顔に背丈を伸ばしている。金木犀やハナミズキの傍らには、あろうことか「貧乏草」と呼ばれるハルジオンがひっそり身を隠すように咲いている。あ、もしやこの金運の悪さはあいつのせいだったか。私はゴム手袋をして庭に立つと片っ端から容赦なくハルジオンを抜いていった。ふと顔を上げると隣接する市道にもハルジオンがぐるりと咲いている。風に揺れている姿はこちらを嘲笑っているかのようだ。我が家は知らないうちにこんなにも貧乏草に囲まれていたのだ。どおりで働いても働いても貧乏の圧が強かったわけである。許せない。私は鼻息荒く関係ない市道まで出て行って全てを引っこ抜いた。どうだ、人間様に勝てるわけないだろう。久々にやり切った晴れやかな気分であった。これで少しは金運が上昇するのではないか。そう願うばかりだ。

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# by zuzumiya | 2018-04-30 11:52 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

脚より腹のメディキュット

昔から履いてみたかったのである。娘が履いてて実際に脚のむくみが取れ、キュッと絞られ細くもなっていたのである。で、今回、給料を貰っていの一番に薬局に駆けつけた。ほら、あの、履くと足首から太腿までそれぞれに適した圧がかかって美脚効果と最新のは美尻効果まで出るタイツ。ドクターショールのメディキュット、だ。普段、そういう美容系のものには疑ってかかり、金を出したがらない私だが「リンパの流れを良くし…」の文言に一気に惹かれて、たかがタイツに3000いくらも出したのである。
ときどきだが、仕事をしていて脚がつることがある。板の間に靴下で抱っこにおんぶなので脚の冷えか疲れかだとは思うが、「イタタタタ…」と始まると子どもなんぞ内心「どっか行ってろ!」になるから大変困っている。毎夜、タイツをパジャマのズボン代わりに履いて寝るだけで脚の血行を良くしてむくみや疲れを取ってくれるならとっても楽チンで助かるのである。ましてやどういう仕組みかヒップアップまでやってくれるというのである。
で、履いてみた。それぞれの部位に適した圧がかかっているという脚の方はぜんぜん苦にならない。ちょうどいい感じで締まっていて「リンパの流れ」の効果を期待できるうれしい予感がした。だが、予想外の問題が起こった。美脚だけでなく美尻効果まで求めた欲深さがいけなかったのか、ちゃんとLサイズを買ってきたはずなのにウエストのゴムがやけに食い込む。キツイ。ゴムの上から溢れた脂肪がでれーんと垂れた。それでも我慢すれば美尻になるのだと思い、じっと耐えた。しかし10分もしたら、モヤモヤと腹が痒くなってきた。ただでさえ最近は職場のゴタゴタで精神的にもやられ、ちょっとしたことで蕁麻疹が出やすくなっている。締め付けられたウエストが痒い。ああもう痒い。ただ痒い。ゴムをひん伸ばして手を入れて思う存分腹を掻きむしりたい。ああ。
痒さを忘れるためにお菓子をつまみ、テレビを見た。垂れた脂肪を思いながら「ああ、今自分は真逆のことをしている」とわかってはいたが、優先されるのは脂肪より痒さなのであった。
我ながらよく我慢したと思うが、朝方の4時になんと痒さで目が覚めた。そんな目覚め方は今まで経験したことはなかった。3000いくらも出したタイツだが、脚には全く問題がなかったのに、まさかあわよくばの美尻効果の方でこんなことになるとは思ってもみなかった。悔しいが、太腿までのやつをもう一度買ってこようと思う。すごい出費だ、バカやろうだ。泣く泣くタイツを脱ぐと、緩まったとたんに脚やら腹やらからブワーッと何かが放たれた感じがして、もしかしてこれぞリンパの流れ?と笑ってしまった。結局、ひと晩でタイツは懲りた。娘にあげようと思う。



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# by zuzumiya | 2018-04-30 06:02 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

孤独を楽しむって。

ちょっとブログを書かないうちにいろんなことがあった。いや、いろいろあってブログが書けなかった、が正しい。全てが悩ましいことでガックリきている。
ひとつ、同居している元夫が職を失い、どうやら自分が宣言した7月末に出て行くというのが経済的に無理なようであるということ。
ひとつは、昨年度末に貰った処遇改善手当という名のミニボーナスの計算が間違っていて、実労働時間より大幅に減らされていたこと。これを園長から法人事務局に伝えてもらったところ、逆に労働基準法と就業規則に違反していることを指摘され、園長が厳重注意され、1年間週に実働42.5時間働いていたにもかかわらず、差額は週39.5時間までしか支払われないこととなった。且つ今期、労働時間を大幅に減らされて契約させられることになった。契約書はなぜか前々年度の契約時間数の7時間で交わしていたが「人が足りないから働いてくれると助かる」と週に8.5時間も口約束で働いていたのであった。給料も、それに基づいて計算されるボーナスもきちんと実労働時間で計算されて支払われていたため、契約書が7時間のままであったことなど大して気にとめていなかった。だが、処遇改善手当だけは契約書に基づいて支払われていたため週35時間分しか支払われていなかったのである。園長は最初、違反を理由に「今回の手当の差額は諦めてくれ」と私に言ってきたが、昨年度のあの大変なクラスで頑張ってきた1年を無駄働きにされてたまるかと事務局に直談判したら、39.5時間分まで支払われることになった。で、足りない金で騒いだ私は、今後は契約時間が週39.5時間となり、給料もボーナスも今後は減らされて、結果的に金を失くすということになった。何故、この処遇改善手当の金額違いに気づいたかというと、もともとは飲み会の席で知りたがり屋の同僚に「いくら貰った?」と訊かれて、その時、7時間しか働いていない彼女と同じ金額だったことで間違いに気づいたのであった。その彼女が後日「騒いだこと、後悔してない?」と訊いてきた。金額が足りないことを私が指摘しなければ、法律や規則に疎い園長は今も働かせすぎに気づかず、これからもいい給料やボーナスが貰えたのである。うーむ、と唸るところだが、いずれは法律や就業規則に違反していることが発覚したであろう。とは言いつつも、離婚に踏み切ったのは8.5時間働けて何とか1人でもやっていけると踏んだからでもあった。元夫の居座りも、今回の仕事の件も、とんだ番狂わせであった。
もっと言えば、労働基準法では8時間を超えて働かせた場合、残業となり、時給が1.25倍になるそうである。その事も本来なら事務局に突っ込めることだが、もういい加減交渉ごとが面倒になってきた。辞めるなら労働相談センターみたいな所も入れて派手な喧嘩もできるが、辞められない身である。時給もいいし、ボーナスももらえる珍しくいい園なのだ。
昔から家にあった蛇の置物を南東に向けて置き直し、触れればお金の音に聞こえる中国の銅製?風鈴を部屋にぶら下げて下を通るたびにわざと頭をぶつけて頭上でチャラチャラと音を出し、ド派手な黄色い財布に買い替え、中に白蛇のお守りを入れて金運を高めたつもりだったがこの有様である。
それからさらにもうひとつ、元夫が網膜剥離で入院した。職なしに加え、弱り目に祟り目、入院騒ぎでますます家から追い出しづらくなってしまった。手術すれば治ると分かっていたし、面倒を見るのは子供たちがやってくれていたので、ようやく訪れた我が家を我が家らしく自由に行き来し使えることに心弾み、3日ばかり立て続けに台所で肉を焼いて食べたりした。1階の大画面テレビで好きな映画を見もした。自由を満喫した。
で、このゴールデンウィークが始まったのである。仕事の金銭的なトラブルで一時は殺人の夢まで見て、今も何かにつけ身体に蕁麻疹が出やすくなっている私はゆっくり休もうと思っている。 昨日は髪を染めに行った。今日はひとり自転車をこいで隣町へ行き久しぶりに本屋でじっくり本を選び、美味しいパン屋でパンを買い、花屋で花を買って帰ってきた。夕食はステーキであった。月曜日に元夫が退院してくるため、台所を使えるだけ使っておきたかったのである。 元夫が帰って来れば、また私のテリトリーは2階部分となり、セブンイレブンの弁当やヨーカドーの惣菜が夕食となる。
本屋で中高年が読みそうな啓蒙書の類のところに行くと、決まって孤独について書かれた本が多い。それも孤独であることを豊かに楽しもうというやつである。私はそういうまやかしに騙されないようにしている。孤独はどうやったって孤独である。いつの頃からか、孤独のヤバさの片鱗に気づいた。文化系インドア派の私はインテリアに興味があり、読書と音楽や映画鑑賞が最大の趣味という内向的な人間である。部屋を整え、照明や香り、植物で飾り、好きな音楽をかけ、そういう自分好みに作り上げた部屋で本を読んだり、雑誌をパラパラめくったり、写真集や画集を楽しんだり、好きな映画を見たりが至福の時なのである。それでいいのである。なのに、ある時、読みたい本も見たい映画もない時があって、私は唖然とした。部屋は既に出来上がってしまっている。これ以上、家具はいらないし、観葉植物も置けない。インテリアはこれ以上いじくれず、興味がなくなっている。もはやハードの面は充足したのでソフトの面なのだが、本も映画もピンと来るものがない。そうなって初めて、退屈というものを感じた。今まで若い時からずうーっと退屈などという気分を味わったことがない。いつも自分にはやりたいことややるべきことがあって時間が足りない、忙しい感じで生きてきた。休日だって朝早く起きて動いていた。なのに、頼みの綱の本や映画がないときたら、もうどうしていいのかわからなくなった。仕事を取りあげられた定年後のオヤジのようにうろたえた。その時、ふと退屈が孤独と握手した。さみしい。退屈=孤独となった。そんなことがあってから、私は給料の中から本や映画にたくさん金を使うことに罪悪感を持たなくなった。時間を持て余す退屈が孤独を連れてくるのが怖いのである。豊かな孤独。ひとりを楽しむ。それは結局のところ、趣味に没頭できるということである。そんなことわざわざ本に書かなくても知っている。だから、今日も必死になって本を探してきたのである。読みたい本数冊と見たい映画の情報が知りえた。ホッとしている。





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# by zuzumiya | 2018-04-29 21:31 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

最近、花を買ってます?

満島ひかりが出ている洗顔フォームのCMに面白いセリフがあった。
設定は閉店間近の花屋の前、隣は惣菜屋である。「花を買うのをもったいないと思うようになった。花よりコロッケか、チェッです」というもの。いいねぇ、この自然な感じ。共感しまくりな女子も多いだろう。例えば、500円玉1枚しか財布になくても、昔の私だったら迷わず花を買っていたのである。ブログにもそう書いたと思う。だが、いつの頃からか「花に金をかけたって…」と思うようになってしまった。というのも花は買って持ち帰るその帰り道こそがいちばんハッピーで誇らしいのであって、花瓶にいければ3、4日で萎びてしまい、捨てるに捨てられず、どこをどう切って捨てるか花は非常に悩ましく面倒な存在になってしまうからだ。だが、それでも玄関に(自分の部屋は観葉植物のみと決めてある)切り花の飾ってある家というのは素敵な家で、家人の人柄もちゃんとしてて、私の理想の家なのだ。
だからほんとうに近所のスーパーへ行くたび、必ず毎回生花のコーナーを覗く。覗いて買おうか買うまいか、実際に買うと決めたり買わなきゃいけない時(お彼岸とか記念日とか客人のある時など)でさえ、あっちの花束を取ったりこっちの花束を手にしたりでかなりの時間迷うのである。花束の色合いや花の趣味もある。が、値段とそれに見合う花のもちを考えてひどく迷っているのである。
以前は何かいいことがあった時に実に素直に「今日は花を買おう」と思いついた。最近はいいことがそうそう起こらないため、逆にうんと腹の立つことがあった時に花を買おうと思っている。先だってからそう決めたのだった。花束を選びかねているうち、怒りもだんだん収まってくるのである。



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# by zuzumiya | 2018-04-17 20:53 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)


ふだんの暮らしに息づいているたいせつなもの、見つめてみませんか?


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