幸福はただ私の部屋の中だけに

久しぶりの更新です。昨日は園の発表会も無事終わって、疲れてはいましたが娘と立川まで遊びに行きました。本屋さんでたくさんの本を買って娘と奢り奢られしつつ、楽しい時を過ごしました。その翌日の今日、コタツに入って早速、読み始めています。ストーブの薬罐のシュウシュウ沸く音、急須でひとり分のお茶をいれる時のコポコポという音、遠くで洗濯機の回る音、障子越しに明るくなっていく日差し、庭をよぎるシジュウカラの澄んだ鳴き声、ストーブの真ん前のコタツにもたれていつしか眠っている猫。誰にも邪魔されず『ねことじいちゃん』の最新刊を捲っているともうそれだけで幸福です。そういえば、森茉莉さんのエッセイで『幸福はただ私の部屋の中だけに』(ちくま文庫)というのを見つけて即買いしました。まったく同じ気持ちです。
# by zuzumiya | 2019-02-17 10:43 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

中高年小説、老年小説

内館牧子さんの小説の最新作『すぐ死ぬんだから』がもうすぐ読み終わります。文句なく面白い。いやぁ、最近の内館さん『終わった人』といい、いい調子ですね。今だからとことん本音で書けるテーマばかり見つけて当ててきてますね。毒舌が小気味よい。で、今日はもう遅いので何も書けませんが、気になるセリフがあって、そうだなぁ、うまいなぁと頷いて、そんでもって自分のことに置き換えて、すごく考えさせられました。今度、その辺を書いてみます。中高年小説というより老年小説っていうジャンルかもしれませんが、桐野夏生さんの『猿の見る夢』といい、面白いものありますね。
# by zuzumiya | 2019-01-27 23:57 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

伝達の大切さ

久々に仕事のことを書こう。
担任と保育補助の連携の基本はひとえに伝達にある。担任が会議や親から知り得た情報を一緒に組む保育補助にどこまで伝えるか、どう伝えるか。ほんとに担任の人それぞれで、もっと言えばそこに担任の人間性まで仄見える。そして伝達のしっかりされて情報が行き届いているクラスは大人が共通理解と配慮で動いているので連携が実によく、当然クラスの雰囲気もいい。ある乳児クラスの担任は毎朝、リーダーが連絡帳をチェックして気になること(健康状態や家庭のことなど)をその場で保育しながらみんなに伝える機会を持っている。その場にいるのは担任のサブや雑だけでなく、昨日はお休みだったり、午前中までしか勤務していなかった、あるいは昨日は他クラスのお手伝いをしていた保育補助などがいる。固定の担任だけじゃなく日々変わる流動的なパートの保育補助にもきちんと「今日一日の保育に対しての注意事項」として彼女は伝達を怠らない。そして加えて「今日の活動」の概要を話し、補助して貰いたい動きの勘所を伝える。そういう大人のための朝の会のようなものを保育をしながらでも意識して設けているのである。そういう姿勢はチームとして協力して働く意識を高め、保育の流れをイメージしやすくスムーズにさせる。担任同士はあうんの呼吸や勝手知ったるで通せるところでも、時間で働いているテンポラリーな立場の保育補助にとっては、聞いてない、知らなかった、動きがわからないことだらけである。正職の担任の役割として、保育に協力してもらわなければならない保育補助たちをどう動かすか、みんなのモチベーションを上げていい保育を目指すために何に気をつけ、どんな言葉がけをしていったらいいのか、それを考え実行することも重要なことだと思う。つまりは人を動かす、それも気持ちよく動かせる能力が必要だと思うのだ。先の乳児クラスのリーダーの彼女はそこが素晴らしい方である。補助で数時間だけクラスに入って、帰る時には必ず子どもたちに「〇〇せんせいが帰るからありがとう言おうね」と仕向ける。そういう言葉がけをして彼女自身もありがとうと笑って手を振る。帰るこちらも感謝されてとてもいい気持ちでクラスを後にできる。伝達の丁寧な心がけといい、今日の保育の流れの見通しのしやすさといい、帰りがけの挨拶といい、実に一緒に仕事をして気持ちのいい先生である。この先生のためなら、という気にさせる。現に私は彼女の下に付いた1年間を彼女を助けたいという一心で一日8.5時間も働いていた。私が担任の人間性と書いたのにはこういうわけがある。
多くの保育園ではまだまだ縦社会で、立場や人間関係は園長を頂点とした不動のピラミッドになっている。正職はパートの保育補助を見下し、パートの有資格者は無資格者を見下す風潮はいまだにある。職員会議があってもメモも書き込みもないただのレジメだけポンと渡されて(渡されるだけまだマシ)、何の伝達もない。園内研修のクラスへの評価や意見も知らされない。クラスに入っても今日何をするかを教えてくれず、いきなり活動の前に「椅子を並べて」と言い出され、何をするための椅子の配置なのかわからずにただ言われた通りに慌てて並べる。会にどんな出し物をするのか、散歩にどこまで行くのか、当日のその場になるまで知らされない。子どものお休みの伝達も病気なのか私的都合なのか言わない。何事も全てこちらが訊かなくては担任から伝えようとしない。残念ながらこれらは私のいる今のクラスでの話である。毎日午前中いっぱいクラスに入って一年間共に過ごしていくというのに、これでは自分はチームの一員なのか、ただの手伝いなのかわからない。こちらが聞かなければ教えてもらえない、つまりは教える必要のない人員だと思われていることにひどくモチベーションが下がる時がある。ま、担任ではないので仕方がない、子どもに好かれていればそれでいいやと諦めるが、あまりいい気持ちはしない。先の乳児クラスの担任が自分のクラスの数時間しか働かない保育補助に保育中でも丁寧に会議の伝達をしているのを羨ましく見ていた。聞き耳を立てて初めて知り得た大切な情報もあり、自分のクラスに戻って伝達を待っても何もないので仕方なくこちらから話を振った。かといってうちのクラスの担任が補助を見下す悪い人間だということではないから面倒だ。保育自体はやりやすい人たちで、気を使いすぎることなく自由に伸び伸びとやらせてもらっている。ただ伝達についてだけ、配慮がないのだ。つまりは保育補助には担任としての責任はないのでいちいち細かいことを伝える必要はないとでも思っているのだろう。そこに他意はない、悪気がない気がする。でも担任の意識の違いでこんなにも一緒にやる補助は振り回され、モチベーションが左右されるということに気づかずにいる。気づく余裕もないのかもしれない。そしてそういう正職の下に付いた新人は園の正職とパートの関係を「そういうもの」として捉えて伝達にさほど重要性を感じなく育っていく。
子ども以外で誰かのために心底力になりたいと思えたのは先の乳児クラスの彼女だけで、今でも彼女の気配りにはほんとに頭が下がるし、気持ちがいいし、ありがたいし、その分頑張ろうと力が漲る。付く人、組む人によって仕事の幸福も学びも大きく変わる。機会があったら園長に彼女の人間性の素晴らしさを伝えよう。彼女こそ上に立つ器であると思っている。


# by zuzumiya | 2019-01-24 23:26 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(3)

冬の夜のマジック

戸建てに移ってからは雨戸を閉める。マンションに住んでいた頃は9階だったのでベッドに寝転ぶと空の上に浮かんでいるようだった。雲も月もきれいに見えた。特に冬の月は冴え冴えとして白く美しかった。湯上りにバスタオルを干しにベランダへ出ると決まって夜空を見た。唯一知ってる星座のオリオン座はすぐに見つかった。瞬く星もきれいに見えた。前に何も立ってない、すこーんと抜けたマンション生活のいいところは空が近かったことだった。
今日、読書をしていたら、何やら外でゴーッとモーターのような物音がした。ひとり暮らしなので不安になってそっと雨戸を開けて外を見たら、息を飲んだ。月がきれいに光ってる。遠くのビルの灯りがチカチカきらめいている。冬の夜気の冷たさがすべての光を結晶のように凛々しく尖らせていた。遠くを走る電車の車輪の音がよく聞こえる。何やらこの世界ぜんぶから地響きのように音という音がゴーッと湧いて立ち昇っている感じがした。冬の冷気のすべてを透明にシャープにありありとさせてしまうこのマジック、雨戸を開けるまで忘れていた。

# by zuzumiya | 2019-01-23 23:08 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

離れては引き寄せられる縁のこと

同僚が録画してくれたエレカシの武道館新春コンサートを見る。
「新しい世界へキミと」とか「絆」とか「桜の花舞い上がる道を」とかあの頃の曲の方がメロディーが断然良かったな、などと思いながら当時を思い出して懐かしく聞く。
セットリストを調べようと何気なく見たネットで今夜フジテレビで始まる「後妻業」に宮本さんのソロとしての初めての歌が主題歌で使われると知りびっくりする。よりによって「後妻業」とは!!
「後妻業」は私が好きな鶴橋康夫監督が先に映画化した「後妻業の女」のドラマバージョンである。鶴橋作品では小夜子を大女優の大竹しのぶが、柏木を豊川悦司が演じ、ドラマの方は小夜子を木村佳乃が柏木を高橋克典が演じている。高橋は映画俳優としての厚みがあるので大阪弁も上手いし見ていて安心できるが、木村佳乃の小夜子はどうも安っぽく軽く感じてしまう。大竹しのぶの後だけに木村佳乃のプレッシャーもすごかったんだろう。なんというか、木村佳乃も、彼女らしからぬハッチャケぶりで頑張っているが、どう転んでも抜けきれないもともとの品の良さがあって見ていてつらい。いいとこの奥様、バリキャリ堅物上司的な役が多かったのでそれが抜けきれないで邪魔をする。大竹の欲深でふてぶてしいんだけど、でもどこか可愛らしくて憎みきれない、実は情の深い小夜子の多面性が今のところ「軽み」だけでしか表現できていない気がする。回を追うごとに小夜子の過去が描かれて、何が小夜子をそうさせたかがわかっていくんだろうが、その時の小夜子の裏の顔をどこまで演じきれるか、楽しみだ。それにしても、宮本さんが主題歌とはまたしても縁を感じてしまう。「冬の花」の歌詞をじっくり見てみたい。


# by zuzumiya | 2019-01-22 23:20 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

思い出せない。

「えーっと、あの曲のグループは何て言ったっけ? 」
ラジオで流れたハスキーボイスの歌に、昔好きだったロックバンドの黒人ボーカルを思い出した。解散したけどまた活動し始めたのかもと調べてみたくなった。今は便利だ、スマホやiPadで検索すればすぐにわかるとタカをくくって始めたが、検索ワードを「イギリス 80年代ロック 黒人ボーカル 」とか入れても、全く思い当たるバンド名が出てこない。たしか〇〇ズという名前だったことしか思い出せない。調べていくうちにどこかのサイトで親切にも80年代のUKチャートが出ていて「you drive me crazy」という曲を見つけ、たしか歌詞の中に「drive me crazy」と歌っていたよな、で、そこの部分のメロディーははっきり思い出したんだが、これかなと思ってyoutubeで調べてみると白人のシンガーで全然メロディーが違う。「イギリス 80年代 黒人シンガー ハスキーボイス 」とやっても今度はソロシンガーばかりで引っかからない。そのうちほんとにイギリス出身だったのかな、とか、80年代だったよな、とかいろいろ不安になってきて、確実なのが黒人ボーカルだったことしか自信が持てなくなる始末。あんまり売れてなかったからなぁと、何度も諦めかけてはネットの時代に探し出せないなんて自分の検索の仕方が悪いんじゃないかと悔しくて意地になった。冷静に、初心に戻って「 ユードライブミークレイジー」とだけ入れて、画像検索して、ようやく探していた黒人ボーカルの顔写真を見つけた。信じられないことに検索して2時間以上経っていた。バンド名はファインヤングカニバルズ。曲名は「she drives me crazy」であった。私はこの曲をイヤフォンで聞きながらバスに乗って、友人と多摩美のヨーロッパの美術館巡るツアーに参加していたのだ。そのCDも売ってしまってもう手元にない。懐かしい。でも、懐かしさにどっぷり浸る心のゆとりはもうなかった。検索で心は擦り切れて音楽はすでにどうでもよくなっていた。しっかし、年は取りたくないね、思い出せないんだもん、曲名もバンド名も。ワンフレーズの鼻歌ばかり口ずさんで部屋の中をウロウロして、わかっているのにどうにもならないもどかしさって、ほんと苦しかった。でも、よかった、これで眠れる。

# by zuzumiya | 2019-01-19 23:16 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

日々感謝

幸せか不幸せかといえば、私は幸せだ。
毎朝、自転車に乗りながら冴え渡った冬空を見上げて思う。
家から10分とかからない場所で、さほど人間関係も悪くなく、パートのくせに夏冬のミニボーナスもあって、担任じゃないので面倒な書類書きからも逃げられて、こうして毎日働ける職場があることに本当に感謝している。身体が動く限り、勤めあげようと思う。働ける職場があって、働ける身体があることに日々、感謝。神様、ありがとう。
先日、テレビで芸人の明石家さんまが宝くじを一切買わない、というのを知った。自分のツキ(大きな意味で仕事運だろうか)を宝くじみたいなもので使いたくないそうである。これには私も大いに賛成だ。私も宝くじはまず買わない。どうせ当たらずに公共事業に寄付することになるんだろうなと思い込んでいるからだが、宝くじで凄い金額を当てたら、その後の自分の運やツキを使い切ってしまいそうな気がする。そんなことしたら、日々の中でよくある「危なかった、あともうちょっとでぶつかっていた」というようなスレスレ事故みたいなものにまともに遭ってしまうかもしれない。日々、「セーフだったぁ、神様ありがとうございます」とホッとできる「ちょっとの幸運」をちょっとずつずーっと受け取っていたほうが私はいいと思う。いや、くじが当たらない負け惜しみじゃなく、ね。

# by zuzumiya | 2019-01-15 21:39 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

遅ればせながら、今年の抱負!

先日の健康診断で悪玉コレステロール値がビヨーンと上がってしまい、離婚のストレスから食べ過ぎているのは分かってはいたものの青ざめた私は、ようやっと今年の抱負たるものを思いついた(正月に今年の抱負がまるで思い浮かばなかった)。
1、野菜中心の食生活にする。肉メインは週末のみ。肉の代わりに魚と豆。
2、間食の菓子を食い過ぎない。←「食べない」はムリ。
本当は「運動をする」をいちばんに入れなくてはいけないのだが、運動は大嫌いなのだ。無理な目標を掲げても無駄というのは学生時代からよーくわかっている。
お家が大好きなインドア派で、だからインテリアに興味があったり、その自分流の居心地のいいお家でのんびり読書や音楽を聞いたり、80型の大画面で映画を観てるのが大大大好きなのである。外見の洋服のオシャレよりクッションカバーをオシャレにしたいタイプである。外に出歩くのは通勤と図書館と買い物だけになってしまった。しかも、せっかちで時間が惜しいので歩くより自転車に乗ってしまう。ただでさえ更年期なので脂肪が付きやすく体重はなかなか落とせない。なのに、食べることがこれがまた大好きなのである。仕事から帰って、食べたいものを食べたいだけ食べられるひとりご飯にマジに幸せを感じてしまう。で、引き続きテレビを見ながら気がつくとスナック菓子をひと袋食べ切っていたりする。コーヒーもいつの間にかブラックでなく砂糖とミルクの入ったスティックコーヒーを一日数本飲んでいた。しかもチョコ付きで。
たぶん、ダメだろうなと思っていたが、やっぱり結果はダメであった。あれだけ食べて体重増加が二キロで済んでいたのは不幸中の幸いであった。
早速、図書館でコレステロールを下げるレシピ本を借りてきて、今日は一日キッチンに立っていた。大量のポトフにがんもどきや牛蒡を使った煮物、ピクルス、ナムルと作ってほとほと料理が嫌になった。誰のためでもない料理はいつでも止められるからいけない。野菜中心の野菜生活、続くんだろうかとちょっと不安になる。とりあえずお菓子は小袋入りしか買わず、読書や映画中の小腹はシュガーレスガムと緑茶で満たして行こうと思う。猫のほうが私より間食してて羨ましい。

モビール届いて飾ってみて満足。もう一つ、虹と白鳩のを縁起が良さそうなので購入。
インテリアにお金かける分、菓子代は本気で節約しようと思う。更年期脂肪を減らすCMの生薬のサプリメント、心惹かれる。



# by zuzumiya | 2019-01-14 18:40 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

死にかけのシクラメン

シクラメンという花は厄介だ。暖のない部屋に置き去りにされて可哀想と、せめても今日は直射日光にあててやろうとレースのカーテンをちょっと開けておいたら、茎がみんなくんにゃりダラーンと伸びて倒れてしまった。な、なんだよ、なんだよ、この見るも無残な姿は! 冬の直射日光ごときに殺られるなんて、弱っちいなぁもう。だいたい「シクラメン」なんて名がいけない、半分死んでるじゃないか、忌々しい!
なんてぶつくさ言いながら、弱々しく倒れた茎を二、三本引っこ抜いた。このままどんどん引っこ抜いていったら、枯れてもいないのに花が無くなってしまうことに気づいてやめた。とりあえず、鉢底になかった水を足して「見なかったこと」にして部屋を出た。ダメならダメで捨ててやる!と息巻いて。
夕方、雨戸を閉めに二階へ上がってびっくり。くんにゃりダラーンの死にかけのシクラメンが見事、茎がぜんぶ元どおりに立ち上がっていた! ひょええー! 寒くなって元気になるとはアレ不思議。人の思い込みって迷惑なのね。


# by zuzumiya | 2019-01-14 17:47 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

ラフマニノフのヴォカリーズ

小説の中で出てくる音楽は気になると聞いてみることにしている。
今更なんだが(買ってあっても中途で挫折していた。同じ内容を江國香織か井上荒野が書いていたらつまづかずすんなり読めたと思う。白石一文あたりでも行けた。つまりは文体なのかしら)「マチネの終わりに」を読み始めて、〝アンナ・モッフォが歌うラフマニノフのヴォカリーズ〟にピンと来て、早速、YouTubeで聞いてみた。うん、歌詞のない澄んだソプラノは確かにいい。心揺さぶられる。AmazonでCDを探し当て、何度か視聴する。そのうち、な、なんと飽きてしまった。なんというか、悲しく寂しく辛くあまりにもドラマティックに情が溢れ、垂れ流される感じがした。美しいは美しいんだが、さほど悲しくないのになんとか涙をこさえようと躍起に張り上げている声のように聞こえてきてしまった。これならピアノだけがいい。そう思ってヴォカリーズのピアノバージョンだけのCDを探し出して購入した。「ラフマニノフのピアノ作品集」。私にとって音楽は、音楽でなく私が主人公でなければならない。私が欲する以上に勝手に響いて勝手に誘導しようとしてもらっては困る。あくまで脇役としての抑制の効いた節度が欲しい。静かなピアノ。悲しみであっても、ひそかに底深く静かに湛えている。その時々で解釈の、感情の、思考の、見えてくる世界の、揺らぎや広がりを受け止めるゆとりのあるものであってほしい。すべては私の自由のために。
午前中の春を思わせる陽光で、ついにダイニングのラグを替えた。黄色と白とブルーグレーの縞模様。ホワイトオークの丸テーブルによく映えて、部屋全体がグッとフレッシュになって明るさを増した。気をよくしてフレンステッドの黄色のモビール(フローイング・リズム)を購入した。これで大ぶりのガラスの花瓶に蝋梅でも生けてあれば最高だ。玄関には鬼とお多福のお面と豆を入れた枡を飾って節分の設えをした。でもまだ雪が降るんだろうなぁ。今年は寒くて石油ストーブと電気ストーブまで購入した。もうすぐ離婚して1年になる。



# by zuzumiya | 2019-01-13 19:23 | わたしのお気に入り | Trackback | Comments(0)


ふだんの暮らしに息づいているたいせつなもの、見つめてみませんか?


by zuzumiya

プロフィールを見る
画像一覧
更新通知を受け取る

S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28

※このブログの無断な転載はご遠慮願います。

最新の記事

幸福はただ私の部屋の中だけに
at 2019-02-17 10:43
中高年小説、老年小説
at 2019-01-27 23:57
伝達の大切さ
at 2019-01-24 23:26
冬の夜のマジック
at 2019-01-23 23:08
離れては引き寄せられる縁のこと
at 2019-01-22 23:20

最新のコメント

はじめまして。初めてブロ..
by りんご at 19:51
ANOTHER GREE..
by Koichinishiyama at 22:19
zuzumiya さま..
by kuro at 16:41
kuroさん、初めまして..
by zuzumiya at 14:07
伝達の大切さ、とても良く..
by kuro at 22:51
コメントありがとうござい..
by zuzumiya at 09:14
はじめまして。 私..
by 保育園の元保護者 at 17:45
私は今保育士をしています..
by ひろ at 23:36
ロボット様、コメントあり..
by zuzumiya at 00:29
おもちゃに限らず、子ども..
by ロボット at 18:47

検索

ブログジャンル

画像一覧