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ふだんの暮らしに息づいているたいせつなもの、見つめてみませんか?


by zuzumiya
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母の日=妻の日

子どもが小さい頃は母の日に威力があった。子どもも夫も家族中がお母さんを讃えた。感謝された。母の日は家族の一大イベントだった。しかし、子どもが大きくなると夫は「母の日は本来、子どもたちがやるもの」とイチ抜けたとばかりに関係ない素振りをしだした。自分の母(私にとっての義母)へのプレゼントだけで手いっぱいのようだった。まぁ、夫の言うのがいつだって正解で難癖はつけられないが、なんだかなぁと虚しく思う。そうでなくても妻にサプライズ的なプレゼントなどしたことないし、誕生日やクリスマス、結婚記念日などもこちらが先に匂わさなければ目立ったアクションは起こさない。クリスマスなど「面倒だし、金もかかるから互いにやり取りはやめないか」と言われた年もあった。夫だけじゃなく、世の夫族はおそらく本音では似たようなものじゃないかと思うが、ここで言いたい。子どもが大きくなっても、母の日は妻の日として捉えて、子どもとは別にこの機会に妻へプレゼントを贈ったらいいんじゃないか。きっかけがないとなあんにもできない、したがらない男たちへ。
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# by zuzumiya | 2017-05-14 18:37 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

ランチョンマットの食卓

よくドラマや映画の食事シーンでランチョンマットが敷かれた食卓が出てくるが、あのランチョンマットというのは、そんなに一般家庭の食卓でデフォルトのものなのだろうか。若い頃、ふらりと入ったお洒落な雑貨屋さんで何か欲しいのだけれど財布の中身と相談しながら何を買おうか迷っている時にとりあえずランチョンマットを買ったりした。同棲時代や新婚当初に気どって使ったこともあったが、食卓にのぼったのはほんの2、3回で、後はトースターやノートパソコンのホコリよけとして掛けていた。ランチョンマットがなくなれば、自ずと箸置きというのもなくなった。ランチョンマットも箸置きも無きゃ無いで別段、不自由しない。所詮は食卓のお飾り程度のものなのだ。その無くてもいいお飾りをあえてやるというのが、その家の主婦の美意識、食へのこだわり、心のゆとり、ひいては経済のゆとりということなのだろう。
で、あなたはもし、招かれた家の食卓にランチョンマットが敷かれていたら、どんなふうに思うだろうか。
実はこの連休中に息子の彼女が泊まりにきた。朝は、ワンプレートにスクランブルエッグ、ボイルドウインナーかベーコン、薄切りのトースト2枚。ブルーベリージャムとオレンジママレード。ミニサラダと刻んだ苺やキウイの入ったヨーグルトにコーヒーというメニューで出してみた。ここでランチョンマットを敷くという手もあるが、ワンプレートがすでにちょっとカフェ風で洒落っ気がある上に、なんだかそれでは凝りすぎている、格好つけすぎている、あるいはお客に媚びている、そんな気がする。自分がもし彼氏の実家に行って、ダイニングの食卓にランチョンマットが敷かれていたら「うわっ、この家、いちいちランチョンマットなんか敷くんだ…」と内心引いて、「これは毎回なのか、それとも来客仕様の今日だけのスペシャルなのか」と考える。そんでもって背筋を伸ばしながら「もしこれが毎回なら、結婚したら、この格好つけの姑さんにはずいぶんと気を遣うんだろうな」と警戒するはずだ。そんなふうにもし息子の彼女から思われたりしたらたまらない。話す前からランチョンマットの見栄でへんな溝を作りたくはないのである。私はどっちかっていうとジャラジャラと箸立てを掻き回し、めいめいが自分の箸をひょいとつまみとるそんな気楽で大雑把な家庭が好きだ。そういう人なのだよ。


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# by zuzumiya | 2017-05-14 01:11 | ちっちゃい器で生きていく | Trackback | Comments(0)

私の吉田さん2

詩人のくせに花が嫌いと言ったのは白石公子だったか。あれは切花だったかもしれないが、花の捨てどきがわからないというのが嫌う理由の一つだったと記憶している。
昨日、恐ろしいものを目撃してしまった。
以前に我が家の隣人としてブログにも登場したことのある心やさしい腰の低い吉田さん。彼がまたしても朝早く(連休なのに寝ていられない人なのだ)庭にしゃがんで何かしている。見ると咲き終わったチューリップを葉がまだ青々と勢いづいてとんがっていたにも関わらず、端からバシバシ引っこ抜いていた。球根の類のものは上手に育てれば翌年も咲いてくれるものとは知っていたが、私もめんどくさがりで咲き終わったヒヤシンスを数日迷った挙句、ついに先日、みんな引っこ抜いて見ないようにしてゴミ箱に捨ててしまっていた。同じことをしている吉田さんの姿を見て「ああ、吉田さんも翌年まで育てられないタイプなのね」といつにも増して親愛の情を深く抱いた私であった。
しかし、翌朝、とんでもないことが発覚した。いつもの出窓から何の気なしに吉田家の庭を見ると、咲き終わったチューリップだけでなく、昨日までわんさか咲いていたはずのパンジーまですべて引っこ抜かれ、更地化していたのである。
「なんでまた、パンジーまで!」と思わずつぶやいた。
実は我が家の玄関脇にもパンジーの鉢植えがある。そういう種類なのか、パンジー専用の肥料が残ってもしょうがないと園芸素人の私はやたらにあげていたら、ぐんぐん背丈が伸びて、伸びたからにはだらしなく垂れ下がり、たしかに花は付いているのだが葉がぼうぼうですこぶる見栄えが悪くなっている。時々、忙しさにかまけて水やりを忘れると、色が紫だけにまるで「花のお岩さん」のような恐ろしい姿になる。おそらく吉田さんは毎朝、我が家のパンジーの有様を見て「ああはなりたくない」と思っていたのかもしれない。それとも、チューリップ前夜にあの気の強い奥さんに何か酷い言われ方をされて、とてつもなく悔しい目にあったのかもしれない。あの優しそうな吉田さんがきれいに咲いているパンジーまでむしり取る(何故か表現がキツくなっている)とは、どうしても思えないのである。そうせざるをえない何か大きな事件があったに違いない。それとも、去年の夏に花壇がいつの間にかナスときゅうりとプチトマトの菜園化したので、強引な奥さんの命で、咲いているにも関わらずパンジーを泣く泣く(今度は泣いている)抜き取らされたのかもしれない。それとも、それとも、吉田さんは私が思っているような善良な吉田さんではないのかもしれない。実はそう考えるのがいちばん、わくわくするのである。
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# by zuzumiya | 2017-05-07 16:21 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(1)

母の凄さ

昨日、母の家に息子カップルと一緒に行ってきた。母の部屋をぐるりと見回すと、つくづく母はほんとにすごいセンスの持ち主だと思った。母は植物を育てるのに長けているので部屋中に大小様々な観葉植物がある。しかも「これって何?」と名前を訊きたくなるような葉の形が不思議なものがあって、いつも行くたびに新種が増えていて驚いてしまう。母がすごいと(自分の母親自慢をしているようで申しわけないが)思うのは今のように「エバーフレッシュ」や「モンステラ」がファッション雑誌のページを飾って流行るうんと以前に家で大きく育てていたことだ。もしかしたら今人気の「フィカス」あたりも前に育てていたかもしれない。植物だけでなくとにかく何でも、流行になる前に母は自分で気づいて暮らしの中にお気に入りとして取り入れる先見の明のある人なのだ。なにせ、ディスコが火のつくうんと前に神奈川の246沿いで今では伝説となった某ディスコを始めたママさんなのである。
母の家のインテリアは凄い。鏡張りの部屋でTVの取材も来たこともあったが、とにかく和洋折衷どころの話じゃない。外国旅行が趣味だった時期もあり、部屋はあらゆる国の土産物と雑貨で埋まっている。あっちの棚には仏像が、こっちの棚には天使とベネチアングラスが、壁にはエジプト柄の絵皿も北欧っぽいのも並んであり、トルコのタイル壁画に、バリ島の目をひん剥いた鬼のようなお面も飾られている。午年の人だから馬の像がいたるところにあり、そこへ「できるだけ苦労をしたくない」と梟が加わり、好きな猫となぜだが成金趣味の豹と象まである。息子が「あれ、何?」と訊いた先には水牛の角が2本おったっていた。縁起がいいからとインド旅行で蛇を首にまいた写真を自分の油彩の絵の隙間に飾っている。ベネチアングラスや江戸切子、アンティークっぽい紅茶のカップ、様々な瓶、バカラのような高そうなグラスの類が鏡ばりの壁一面に並べられ、間接照明にもこだわるタイプなので足元にはアジアンっぽい籐や絵柄のフロアライト、棚にはステンドグラスやガレとかアールヌーヴォー調のテーブルランプ、そうかと思うと女神が筒状の電灯をもたげているようなえらくヨーロピアンなフロアランプもあり、本も新聞も読まないくせにアルコランプがにょっきりぶら下がっていたりする。昔、母から「これ、高かったんだよ~」のふれこみで貰った寝椅子が、めったやたらに猫に爪とぎされて邪魔になり粗大ゴミに出したところ、あとからル・コルビジェのシェーズロングだったとわかり、愕然とした。どうも母という人間の性格が胡散臭いせいで、持っているブランドがすべて偽物、まがい物のような気がしてしまい、娘の私は粗末に扱ってしまう。今でも必ず母に思い出され怒られるのは、母から貰ったプチダイヤのネックレスが幼い娘が遊んでいた庭の砂場に無造作に放られていたことだ。価値のわからない私にくれるものはどうせ偽物だろうと勝手に思い込んでいて、娘の遊び道具になっていたのだった。今思えばそういうわけで娘はブランド好きなのかもしれない。母はアクセサリーや腕時計の類もごまんと持っていて、うん百万する腕時計もアンティークっぽい猫脚のキャビネットにそれらしく飾ってあるのだが、価値の分からない私はいつでも素通りである。
とにかく母はありとあらゆるテイストの家具や雑貨や照明が観葉植物とともに部屋中にごっちゃに飾り立ててあるのだが、それが不思議と違和感がなく、どれかひとつが浮き立つこともなく、全体が調和してシックに見えるのだから凄い。アジアンもアンティークもレトロもインダストリアルも北欧もアメリカンもみんな一緒こたなのにきれいに収まって、例えていえば、インテリアショップや雑貨屋さんの様相なのである。そういう中でアイランドキッチンのカウンターにこしかけてインスタントラーメンをすすっていたりする。凄い。私はそういう母の遊び心というか、感性を血の半分は引き継いでいるので、たしかに母に似てインテリアや植物、映画、音楽、アート好きだが、センスはまだまだ母の足元に及ばない。あんなにあらゆるテイストのものを置きながら、ごちゃまぜ感を出さずにオシャレにまとめている配置能力が自分にはない。
私も照明が好きで、下心を持ちながらベッドにあったガレの黄色いランプを褒め、アジアンにも和にもレトロにもなれそうな陶器のテーブルランプをちらちら眺めていたら、なんと母がくれた。聞くと母の自作のランプだという。一時期、母は陶芸もやっていたのだ。意外といいものを作るのでマジに驚いた。離婚を繰り返し、子供は誰ひとり育てず、仕事は水商売一筋で、今ではお客や従業員にカリスマと言われている母。置いていかれた子供としては人間性はハテナだが、美意識、センスだけはおおいに褒めてあげられるのである。
で、そういう母であるからして母の日のプレゼントほど悩ましいものはない。何をあげても既に持っているか、ダサいと言われるかしかない。でも、柄がネッシーの長い首の形になっているカラフルなお玉を「これ、かわいいでしょ」と見せてきて、「ほら、鍋やると鍋からネッシーが…」と子供のように喜ぶ母なので、変わったものならなんでもいいのかもしれない。しかし、帰り際、母から「母の日は観葉植物ね」と催促されてしまった。何をあげていいのか、母が喜びそうな変わったものがあるのか、値段は手頃か、これからネットで探しまくりの日々である。
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# by zuzumiya | 2017-05-07 15:00 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

無難にまとまるな。

デスク届く。ウォールナットのシンプルな北欧とも昭和ともとれるもの。引き出しはあるが取っ手すらない。取っ手を何にするかでアンティークになったり、インダストリアルになったりしそう。デスクライトでアジアンにもなる。茶色の幾何学模様のベッドカバーともよく合う。猫どもはサラサラのリネンの感触にうっとりとして横になっている(このカバーだけで9000円近くした)。猫毛が付くのが嫌でカバーリングしたのにもう抜けた毛が束で付いている!アームチェアに爪研ぎされないように猫どもが気づかぬうちにお洒落な布でもふわりとかけておきたいが、はてさてベッドカバーとの兼ね合いでまた悩む。イメージは畳の部屋ではないが、北欧と昭和の和洋折衷でシックなブックカフェ風(笑)。買い残ったのは本棚ひとつとラグマットと読書椅子のためのフロアランプ、最後にできればペンダントライトまで買い替えたい。インテリアは無難にまとめようと思えば楽である。インダストリアル風なら木製とアイアンを外さずに、みたいに全てがパズルのピースを埋めるがごとく決まって行く。でもいろんなテイストのものをそこここに配置しても全体的にいい感じに、その人らしく個性的にまとまっている部屋が素敵だと思う。それがデザインだ。センスだ。どこまで遊べるか。
息子の彼女が2泊してくれたおかげで夫と会話が戻った。昨日はみんなでお好み焼きを作ってビールで乾杯した。今日は歯医者と観葉植物の鉢の植え替えをする。眼科と髪のカットは明日かな。なんだか忙しく暮らしている。

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# by zuzumiya | 2017-05-06 08:28 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

連休、満喫。

a0158124_1744563.jpg連休中にやろうと思っていたことのひとつ、庭の草むしりは終了した。
それから、私の部屋の観葉植物を置いてあるミニチェストのペンキ塗り。ガーリーな薄いピンクだったが、部屋の雰囲気が変わったので、紙ヤスリをかけてウォールナット調のダークブラウンに塗り替えた。アンティークっぽく変身して大満足。110センチ幅のホワイトのデスクは夫にあげて、新たなデスクが今週中に届くのを待つ。
今日は息子の彼女が泊まりに来ている。大画面でみんなで映画を見るつもりが私が眠たくなってしまった。そういうこともあろうかと、夕方、ひとりで「写真家ソール・ライター、急がない人生で見つけた13のこと」を見ておいてよかった。カラー写真がすごくいい。雨粒のついたガラス窓越しのNYの街の風景が素敵。写真集が欲しくなった。今、渋谷のBunkamuraザ・ミュージアムで写真展がやっているが、せめてもポストカードとか売ってるかなぁ。職場の友人と来月に行く予定。明日はベッドカバーが届く。息子と彼女と母のところに顔を出すつもり。この連休中に髪をショートにしなくては。


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# by zuzumiya | 2017-05-04 22:38 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)
黄金週間に息子カップルに車を出してもらってIKEA立川に行ってきた。読書椅子として、定番のポエングという一人掛けチェアーを買った。アームはダークブラウン、座背面は布製でデニムのような色合いのダークブルーにした。革張りだと、もしも猫の爪研ぎの餌食になった場合、悲惨なことになるのである。大きな椅子なので座り心地はいいのだが、予算の関係でフットスツールまで買わずにきたが、やはりあった方がもっとリラックスできる。ひとつ椅子を買っただけで部屋の雰囲気はガラリと変わり、前より大人っぽくメンズライクになっている。早速、椅子が映えるようにベッドを動かし、引っ越してきて以来の模様替えを行った。ここのところ、毎日、ネットで買い物をしている。一生懸命働いて稼いではいるが、家に金も入れつつ一人暮らしなみに保険や衣食の全てを自分の金で賄っているので、ギリギリの予算内でやりくりしなくてはならない。フットスツールを諦め、アームランプやラグマットを諦めて、CD用の棚を買い、変わってしまった部屋の雰囲気に合わせたベッドカバーを買い、今さっき悩みに悩んで在庫1点につられてついにデスクを買ってしまった。ウォールナット材のシンプルな飽きのこなさそうなデスク。ベッドを動かしたためにデスクを小さくしなければいけなくなった。しかし、引き出しがひとつしかないため、デスクまわりの小物や書類を収納する方法を新たに考えなければならなくなった。頭が痛い。当初の予定ではデスクを取り払って本棚を並べるつもりだったが、家庭内別居の続く中、デスクは食卓も兼ねる重要アイテムだと再認識した。猫たちには申し訳ないが、母から貰ったツリーハウスのような猫タワーを処分して空いたスペースに今後は本棚を置く予定である。デスクは買ったがチェアは諦め、今あるもので我慢し来月にまわす。先月今月とインテリア関係の買い物が続く。のめり込むとそれしか見えなくなるタイプで、肝心の読書は進まず、インテリアのネットサーフィンに飽きるとhuluでドラマばかりをみている。アメリカのドラマにサラ・ジェシカ・パーカー主演の「Divorce(離婚)」いうのがあって、複雑な気持ちで見ている。見終わった後はなんとなく暗くなるので宮沢りえ主演の方の「グーグーだって猫である」を見るようにしている。猫ものを見ていると、うちのももちゃんがテーブルに乗って一緒に見だすのが不思議だ。連休まえに歯の詰め物が取れてしまった。歯医者通いでまた金がかかる…。
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# by zuzumiya | 2017-05-04 00:15 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)
前々からドラマや映画でお洒落な人だなぁと思っていたのだが、最近、「おかしの家」というドラマでだんぜん好きに傾いてしまった。オダギリジョー。彼の出演作をざっとネットで調べてみたが、このドラマがすごく自然体な気がして、もわっとした温かみとシャイで煮え切らないダメダメな優男感がいちばん出ていて、好きだ。でも、年々、目の下のクマが濃くなっているような気がするが、大丈夫だろうか。
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# by zuzumiya | 2017-04-30 06:59 | わたしのお気に入り | Trackback | Comments(0)
a0158124_1629599.jpg黄金週間が始まったが、日頃のストレスと変な疲れで朝の4時台に目が覚めてしまい、ちょうど東京が悪天候の頃に昼寝をしていた。夜は息子の部屋でhuluでドラマ三昧(私の部屋にはテレビがない)だ。
昨日はペイデイで正職時代より高給になっていてびっくり。頑張ったかいがあった。階下でポップコーンを頬ばりながら「湯を沸かすほどの熱い愛」を見た。ここのところ、読書は進まず。
huluにはいくつか興味のあるドラマがあって、マイリストに入れておき、毎日仕事が終わるとご飯を食べながらチビチビ見る。今は漫画「吉祥寺だけが住みたい街ですか?」の実写版があって、不動産屋さんの物件見るの好きだし、街紹介が楽しいので見ている。雑司が谷、住みたい町だなぁ。私も重田姉妹に相談するとしたら「気持ちのいい図書館やお洒落な本屋さん、緑が豊かで、昭和な雰囲気の商店街や喫茶店の残る町」がいい。毎回、街紹介の最後に重田姉妹がようやくという感じで物件に連れてくる。空っぽの部屋を見せると、なぜだか借り手のお客さんの心のネジが緩んで、ポツリポツリと今までのつらかった人生を語り出す。姉妹はそれをじいっと聞いてやる。そんなこんなで借り手は思いも寄らなかった街の新しい部屋と新しい暮らし、新しい自分を手に入れる。不動産屋さんって、新しい人生の導き手なんだなって思った。結構、毎回、さりげなくセリフの中でいいことを教えてくれる。「生活が停滞すると人生も停滞する」とか、「失敗は終わりじゃない、始まりだ」とか、「人生は欲しいものがひとつひとつなくなっていく道。欲しいものはないけど失いたくないものはある」とか…。面白いことに猫たちもテレビを見るのが好きなようだ。何かというと飼い主の私にひっついて居るんだけど、飼い主の私が真剣に見ていると、一緒になって見ているところがカワイイ。音楽の趣味も、バッハとか静かなピアノ曲とかうっとりとした顔で聴いている。たぶんこの私がそうやって育ててきたのかと思うと笑ってしまう。
二匹の猫を代わる代わる撫でながら、好きな時に好きなものを食べて、のんびり好きなドラマや映画や本を見てるだけで何処にも行かなくてもぜんぜんいい日々なのである。


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# by zuzumiya | 2017-04-29 22:22 | わたしのお気に入り | Trackback | Comments(0)

家の表情

通勤で通る道に新築の家が売られていた。
幟がはためいて、玄関脇の駐車スペースのコンクリも真っ白なピカピカの家を見ながら、最近になってインテリアに凝りだした私は「いいなぁ。私だったらどんな風に住むかなぁ」とぼんやり考えながら自転車を走らせていた。いつ売れて、どんな人たちが引っ越してくるのかが楽しみで、なんとはなしに気にかけていた。ある時、立っていた幟がなくなって「アレ?もしや?」と思って庭側に回ってみると、リビングのサッシにレースのカーテンが掛けられ、庭に押し手つきの三輪車と子ども用のちっちゃな青い長靴が転がっていた。「ああ、幼い男の子のいる家族が引っ越して来たんだな」と思った。去り際にもう一度家を見ると、吊るしたカーテンの一方の裾がめくれてクシャっとしていた。それだけでもう、今まで見てきた新築の家のあのしんとしたちょっと冷たい建物の感じがなくなって、急に家全体が所帯じみた野暮ったさとひと気のある雑多な温かさに包まれて、なんだか「どんな風に住もうか」と考えていた自分が妙に馬鹿らしく可笑しくなってきた。とにかく「ああ、よかった、よかった」とうれしくなったのだった。

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# by zuzumiya | 2017-04-29 09:14 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)