放っておいてやれないのか

ノーベル文学賞の騒ぎがちょっと不快だ。毎年、村上春樹の受賞を待ちわびて「今年こそ」という感じでテレビが騒ぐが、残念ながら受賞に至っていない。あれは作家本人にとってどうなんだろう。「もういいから、追っかけないでくれ」と言うに言えない状態じゃないだろうか。いつも春樹ファンの店長の書店だかカフェだかの場所に信奉者たちが集まって発表を今か今かと待つ姿が流れるが、年々その数が少なくなっている気がする。今年はたった4人しかテレビに映らなかった。作家本人じゃなくてもああいうのを見るとすごく哀しい気持ちになる。書店もディスプレイに大変で、カズオ・イシグロが決まったら、ばーっと店頭に著作を並べるわけだけれど、紀伊國屋だったと思うが、カズオ・イシグロのそのすぐ下に村上春樹本を並べてあるのが映った。「用意はしてあったんだけど、すぐに二段目に下げた」というのが見え見えで、ああいうのも哀しくなる。そうっとしておいてあげるのもファンの優しさだと思うけどな。
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# by zuzumiya | 2017-10-08 21:46 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

斜め掛けからの卒業

鞄は肩からの斜め掛けが好きで、今までそういうショルダータイプばかりを買ってきた。両手が空いて元気よく見えるし、鞄をちょっと後ろに回せばお尻もなんなく隠せる。ところが、先日、街のショーウィンドーに映る自分の姿を見てギョッとした。何とも言えずそこはかとなくだらしなく見えたのである。原因を考えてみると、たぶん、胸の前を横切るストラップが胸の谷間(と書くほど溝はない)に喰い入り、片側だけ垂れた胸の位置をまるまるあらわにしてしまったからだと思う。若い頃はスレンダーといえば聞こえがいいが、悲しいくらいの貧乳だった。中年になって肉付きがよくなって腹とともに脂肪の塊である胸も以前よりは大きくなった。が、時すでに遅しで若い頃のようなハリがないぶん膨らんだものを支えきれず、小さいなりに垂れてしまった。バストの位置が下がれば、それだけで少し太って見え、間の抜けて締まりのない情けない体型に映るのである。はっきりと年齢を感じた…。
年齢を感じるといえば、斜め掛けにおける鞄本体の位置問題もある。若者はみな、ストラップを調節して背中の中央あたりにまで鞄を吊り上げている。あれじゃ、どうやって中身の定期や財布を取り出すのか。いちいち鞄をくるりと前に回すのだろうが、そしたら高く抱えすぎたギターみたいになって今度は探すのに厄介じゃないか。しかも、電車の中でスリにあっても背中のあの位置じゃ体感として何もわからない。そんな不便きわまりない位置にどうして鞄を追いやるのか、それがどうして若者にカッコいいと、流行として支持されているのかアラフィフの私にはまるでわからない。ほぼ背中の中央部に鞄がくるようにするなんて、まるで昔の海外旅行へ出かける際のシャツの下のパスポート隠しみたいとしか思えない(発想が本当にオバサンだ)。肉付きのいい体でどうやってくるりと鞄をまわせというのか。じゃ、今の時代、アラフィフのオバサンたちは、いったいショルダーの長さ、鞄の位置はどの程度にするのが好ましいのだろう。正解は、斜め掛けは残念ながらもう卒業せよ、ということだ。どうしても両手を空かせたいならリュックしかないのである。ここへ来て世の中のオバサンたちが軒並みリュックを背負っている理由がわかった気がする。若い頃と同じ感覚で何にも考えず鞄を斜め掛けにしていたら大変なことになるのである。落とし穴はいたるところにある。


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# by zuzumiya | 2017-10-04 23:42 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

バッハ好き

a0158124_21374781.jpg給料が入ったので欲しかったアンヌ・ケフェレックのピアノの「J.Sバッハ作品集〜主よ人の望みの喜びよ」のCDを買った。素晴らしい。やっぱり私はモーツァルトよりドビュッシーよりバッハが好き。そして、うちの猫たちもそうにちがいない。バッハは孤独への慈しみにあふれている。



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# by zuzumiya | 2017-10-01 20:55 | わたしのお気に入り | Trackback | Comments(0)

インディアン、嘘つかない?

学生時代の勉強癖で、何か覚えなきゃならない時、私はたいてい語呂合わせかメロディをつける。たとえば、今回は運動会の徒競走で子どもたちが走る順番。メモを見ないでササッと並ばせたらカッコいいではないか。で、家でメモを見ながら子どもたちの名前をメロディにのせて順調に覚えていった。
ところが翌日、徒競走の練習で昨夜覚えた順番が出てこない。メロディに乗せたはずのそのメロディが何だったか忘れてしまったのだ。童謡か何かに乗せたはずだが、記憶がまったく抜け落ちている。ガビーン。で、再び家で覚え直し。とりあえず思いついた『10人のインディアン』に乗せてみたが、どうも最後の三人の名前の据わりが違う。こういう終わりじゃなかったような…。でも、他にこれといって童謡は思いつかない。どうにもメロディへの違和感とどこへ消えてしまったのか記憶のショックで、もう名前を覚えるどころではなくなってしまった。見栄をはるとだいたい失敗する。

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# by zuzumiya | 2017-10-01 06:33 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

皮肉なポスター

買い物がえり、道を歩いていたら公明党のポスターを発見。
「希望がゆきわたる国へ」
このキャッチ、直さなくていいんですかねぇ(笑)。別に支持者じゃないけれど。

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# by zuzumiya | 2017-09-30 18:23 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

一緒にいる理由2

昼を食べながらテレビで芸人たちの運動会を見ていた。競技は障害物競走。
ふと夫が「こういうの、どうしてオリンピックでもやらないかなぁ」爆笑。
オリンピックで障害物競走。こういう発想、ほんと尊敬する。




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# by zuzumiya | 2017-09-30 17:22 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

ある日のトイレで

トイレはホッとする。笑顔の仮面を脱いで一人になれるわずかなひととき。オシッコとともに「心にうつりゆくよしなしごと」(by吉田兼好)まで流れ出て、ため息をつきながらぼんやりと思いをめぐらす。「あーあ、嫌になるなぁ」
ふと、手洗いの隅にある白い小さな一輪差しが目に止まった。ピンク色のなでしこが一輪差してある。世の中には奇特な人がいるものである。玄関でなく応接室でなく、わざわざトイレの水場を選んでそっと一輪飾っておいてくれている。誰に褒められるわけでも、ありがたがられるわけでもないだろう。見返りを求めないささやかな善行とはこれである。「そういう人もいるんだなぁ」と妙に我が身を振り返り、頑張ろうと思った。


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# by zuzumiya | 2017-09-30 17:07 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

猫を見ろ

人はつらい時、上を見ないで下を見ることでなんとか気を取り直して生きる。
ふと、傍を見ると我が家の猫たちが丸くなって寝ている。ああ、飼い猫のこの安らかなかわいい寝姿よ。今日、たとえばもし、大地震がおきて家族が全員、勤務先から帰って来られなくなったらこの猫たちはどうなるのだ? 災害じゃなくても、私がもしプイと餌をやらなくなったり、猫たちがダンボール箱に入って遊んでいる時、急に蓋をテープでとめたい衝動にかられたとしたら? そんでもって外に捨ててしまったとしたら? 気がふれて電子レンジでチンしてしまったとしたら? もう猫たちは生きてはいけないのである。なのにすべてを信頼しきって大事な生命を人任せに悠々と腹まで出して眠ってしまっているこのいたいけな姿よ。次の瞬間、飼い主の気がどう変わろうと何が起ころうと今を信じて今しかない猫の姿よ。作家の穂村弘が風邪で熱にうなされた時、冬を越す野良猫の逞しさを尊敬したように、一抹の不安や心配すら抱えずに飼い主を信じ切って生命を投げ出し、運命を捧げている飼い猫の度量に私は畏怖を感じる。野良猫の生への貪欲さも凄いが飼い猫の肝の座り方も凄い。ここまでくると私の落ち込みなんて大したことない、と思えるのである。





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# by zuzumiya | 2017-09-30 00:37 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

しがない夫婦

雨の朝、自転車でなくバスにするという夫が「バスは混むんだけどなぁ」とボヤく。
「この間買った宝くじ、当たったら、駅前のマンションにでも引っ越せるのにね」
と言ってからすぐ気がついた。
「そもそも当たったら、行く必要もないってか」爆笑。
そんな会話を玄関先で幾度となく繰り返して来たしがない夫婦である。

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# by zuzumiya | 2017-09-28 14:03 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

保育士あるある3

「せんせー、見て〜、ゴキブリが…」と泣きそうな声の担任。
「ちょ、ちょっと待ってください」すばやくティッシュを丸めて駆けつける私。
「こんなところで…」とゆっくりカーテンの裾を捲る担任。
「し、死んでるの」
「なぁんだ、もう死んでんじゃないですか」
(忙しいのに、死んでるゴキブリぐらい自分で何とかしろよ)内心毒づく私。
「はいはい、取りましたよ」
「わ〜、すごい!ありがとうございます」と喜ぶ担任。
「先生、私ね、この間、外の洗濯機の洗濯槽にゴキブリがいたんだけど、もちろん、生きててチョロチョロ走り回ってたんだけど、中で潰すわけにもいかず、どうしようかと迷った挙句、エイヤッて、丸めたティッシュでこう上に跳ね上げて落ちたところをガンッてふんずけましたよ、考えられます?スゴイでしょ?」
「うそ〜、し、信じられなぁ〜い!せんせって、すごいですね」と感心される私。
後日。園庭にて。
「せんせ〜、見てぇ」と満面笑みの担任が握りこぶしを開くと
「うわっ、うそっ!」
そこにはうどんの太麺ほどもあるミミズがのたうち回っていた。
保育士とは不思議である。死んだゴキブリが怖くて生きてるミミズは平気で掴める。なんなんだよ、この差は。

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# by zuzumiya | 2017-09-24 12:22 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)


ふだんの暮らしに息づいているたいせつなもの、見つめてみませんか?


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