人とはどこか一点で合えば、それで繋がっていけるものです。

昔、知人の旦那さまの口癖に「いろんな人がいるよねえ」というのがありました。年を経た最近になって、本当にそのとおりだとこの言葉の深さをしみじみ感じながら、よくは知り得なかった彼の人柄に思いを馳せています。「いろんな人がいるよねえ」の言葉には文字通りの「世の中にはいろいろな人がいる」という単純明快な事実と共に、人の様々な価値観に触れ、それらをたとえ自分のものと合わなくても、そういう物の考え方もあるんだと存在をまず認めている謙虚さと大らかな肯定を感じます。人の気持ちは複雑で時に相手を好きであればこそ、何もかもを同じに感じてほしいと思う傲慢さを持ってしまいます。でも、生きてきた道筋も抱えてきた物語も違うのが人です。人とはどこか一点で合いさえすれば、それで繋がっていけるのだと気楽に考えましょう。価値観の違いを隔たりと捉えずに認め合う寛大さを持って、その上で関係を続ける工夫を怠らないようにしましょう。
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# by zuzumiya | 2010-02-10 09:03 | 日々のことづけ | Trackback | Comments(0)

健やかなる人・石田千

a0158124_8494385.jpg石田千の随筆『店じまい』。
いつもながら彼女らしい風味のある、遊び心のある文体。つっかけで水たまりをひょいと飛び越えるような自由な比喩。選んでくる題材もいつだって日向の匂いのする懐かしいものばかり。それらが合わさって文章全体から彼女らしいおっとりした空気が漂う。でも、その穏やかさの底には芯の強さ、しっかりと育ってきた健やかな骨格みたいなものを感じる。
「文は人なり」というけれど、彼女の書く文章は彼女の風貌そっくりだ。
どちらかというと素朴であたたかみのある、恋人よりお母さんが似合いそうなこざっぱりとした顔立ち。手足が長く背も高く、よく笑い、よく歩き、よく食べる体育会系。
随筆の文章だけはどうやっても人柄が出てしまう。
あるがままの自分を自分で嫌いとか駄目だとか、そんな風にばかり思っていたら、物語が転んでいくような、登場人物がひとりでに語り出すような、そんな助けのこない随筆というジャンルは、シビアすぎて書けなくなってしまうだろう。
自分を好きでいること。大らかに認めて否定しないこと。信じてあげること。
そういうことが芯からゆるやかにできてるから、文章は書いていけるし、伸びやかな文体のまま行けるんだろう。そんなふうに自然に思わせるところが、実に健やかなんだよな。表現の世界では、きっと根の健やかな人だけが残っていけるんだろう。

a0158124_850593.jpg※千さん始めなら、『月と菓子パン』からどうぞ。
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# by zuzumiya | 2010-02-10 08:54 | わたしのお気に入り | Trackback | Comments(0)

心の安定と充実のためにこそ、お金を使いましょう。

この世界はすべて自分の心のありようで見え方が変わってきます。そして、その心は瞬間ですぐに移ろってしまうほど儚いものです。その移ろいゆく心にすべてを任せれば、自分で自分を常に振り回すことになります。大切なお金を使うなら、その移ろいやすい心をなるべく安定に繋ぎ止めてくれるものに使う方がよいと思います。流行に左右されず、人間性を引き出してくれるシンプルな服。何度でも繰り返し味わうことのできる本や映画、画集や写真集や図鑑、アロマや音楽、生きている世界を直に教えてくれる旅。そして、いちばん良いのは自分から何かを創作したり、表現したりの面白味に気づくこと。着飾ったときの晴れ晴れしい自信も、いずれは服に飽きてしまうと同時に薄れてしまうし、変身を繰り返してみてもその実、あなたは一人なのです。ゆるぎない自信はやはり、あるがままの自分を見せられること。そして、そうなるために内面を安定させ、充実させることです。
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# by zuzumiya | 2010-02-09 09:59 | 日々のことづけ | Trackback | Comments(0)

出会うべきものにはきちんと出会うを自信にしましょう

例えば、自分の愛する音楽や本、絵画や映画や人物、身の回りのすべてものに思い巡らしてみると、あまたある情報や人間、物の中から、よくぞきちんと私に選ばれて私の元に来てくれたものだとあらためて驚きます。その私の選ぶ判断基準は、好き嫌いの源は何なのか、どうしてそうなったのか、結局のところよくわかりません。私と奇跡的な縁で結ばれているとしか言いようがないのです。「これが自分だ」と言葉で説明しきるのは不可能で、ただ言えることは、私という人間は選んだそれらから確実に滋養を得てできあがった複合物で、喜ばしいことに生きている限り可能性を秘めた未完成品だいうことです。愛する作家やアーティストの新作に出会うたび、込み上げてくる懐かしいほどの親しみ。家族や友人たちの中で受け入れられている安らぎ。出会うべきものには出会えてきたと確信し、人生そのままを肯定しましょう。そして、これからもまだあなたは出会えるのです。
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# by zuzumiya | 2010-02-08 08:50 | 日々のことづけ | Trackback | Comments(0)

愛する人に特別なことのできる特別な存在なのです。

大事なことですが、とても照れる話をします。夫はわりと子煩悩で、誘われるままゲームをしたり、こたつに入って娘と仲良く話込んだりしてくれます。子どもにジェラシーを感じているようで変ですが、ある日、あまりに自分だけが夫から放って置かれて少し寂しくもなったので、ふざけて夫にキスをしてみたのです。そのときにふと「ああ、自分だけがキスというものを自由にしてもいい存在なんだ」と気がつきました。考えてみると実はとても特別なことで、恵まれていて、尊いことなのだと思います。相手が生きていてそばにいてくれるからこそ、妻であるからこそ、気まぐれに笑ってしても許される行為なのです。他人にこうはいきません。欧米の文化ではないので、ともすると、キスや触れあいの大切さを忘れやすく軽んじやすくもなりますが、人は愛する誰かに、特別なことのできる特別な存在なのだということ、その恵みと誇りと喜びをきちんと憶えておきたいです。
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# by zuzumiya | 2010-02-07 12:39 | 日々のことづけ | Trackback | Comments(0)

エプロンを新しくして、春を迎えましょう。

立春を過ぎました。先日覗いた婦人服売り場は、とうに春が来ていて、服の布地も色味も薄くなって、マネキンたちは卒業、入学用のスーツを晴れやかに着こなしていました。そんななか、売り場の隅にはエプロンも並んでいました。そのエプロンも明るい色や柄のものがとり揃えられており、見ていると気持ちが弾みました。エプロンはいわば家の中の仕事着なので、洋服ほどには気にかけない方も多いかと思います。でも、冬場はエプロン一枚のあるなしでお腹と腿の暖かさがだいぶ違いました。外出しない日は、気がついたら一日中エプロンをしていたこともあり、思いのほか活躍してくれました。そのエプロン、洗濯をしてみてわかったのですが、意外とシミがついていたり、漂白剤が飛んでいたり、糸がほつれていたりするものです。たまには洋服よりもエプロンにこだわってみませんか。新調して、溌剌とした気分で、軽ろやかに春の家事をしましょう。
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# by zuzumiya | 2010-02-05 16:37 | 日々のことづけ | Trackback | Comments(0)

たまにはヘッドフォンをはずして歩いてみましょう

買い物に行く途中、住宅街を通るとそこここで、ぴちゃん、ぴちゃんと小さな水音が聞こえます。先日、東京にも降った初雪の雪解けの音でした。雨の音とも違い、雪解け水の滴る音は、雪国でもないのにぐっと春めいて新鮮な気分にさせてくれました。庭の梅のほころびにも自然と目が行きました。小学生の賑やかなお喋りの声、道端の固い雪を無邪気にカシャーンと蹴飛ばす音、それに驚いたヒヨドリがきぃきぃと鳴き騒ぐ声、どこかのお宅から珍しい木琴の音、空の高さを教えるような遠い飛行機の音。聴覚が敏感になると視覚にも働きかけて、気がつけばいつもの街の風景の中に、春の兆しを懸命に探していました。時にはヘッドフォンをはずして道を歩いてみましょう。音楽だけに囲まれていることも閉じた世界なのかもしれません。今ここに流れている様々な音、暮らしの音、季節の音に耳をあずけて、見過ごしていた風景やあらたな風景を初々しく発見してみませんか。
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# by zuzumiya | 2010-02-04 10:06 | 日々のことづけ | Trackback | Comments(0)

憧れのふゆごもり

a0158124_2261861.jpg『ぽとんぽとんはなんのおと』(神沢利子・作、平山英三・絵)には、もわっとするほどの温かみを感じてしまう。かあさんぐまの大きな横腹の体温、そこに寄り添うこぐまたちのやわらかい毛、呼吸するたびにそれぞれの山が静かに上下する。こぐまが伸びをして見せるまだ肌色の足裏にはやわらかく皺になったところにうっすら土がついている。少し冷たく黒々と湿っている鼻、その鼻先で呼吸と共にかすかに震える落ち葉。狭い穴ぐらには三匹の匂いとしっとりとした土の匂いが満ちている。
自分たちの体温と息だけで温かく湿っている穴蔵はなんと落ち着くことだろう。そんな穴蔵で「おっぱいをのんではくうくうねむって」大きくなったふたごのこぐまが、ふと目覚めたときに耳にした外の音、春への足音をかあさんぐまになんども尋ねるお話だ。
この外の音の聞こえてくる感じの距離感が妙に親しいのは、たとえば、温かなふとんの中にいて半睡半醒のまどろみの中で耳にしているあの音の感じと同じだからだろう。「聞こえる」というのは、周りがではなく自分の内部が静かになっていてはじめて「聞こえる」ことなのだと思う。私がこうして今、静かになっていられるのは、まさにこの本の醸し出す平和な空気のおかげだ。
本の中のこぐまたちも周りではなく自分たちが穏やかにゆったりと静かであるからこそ、雪降る夜のしみ入るような静けさに気がつくのである。そして、こぐまたちを安らかに静かにさせているのはかあさんぐまの体温と匂いと「ふたりともかあさんにだっこであさまでおやすみよ」という語りかけである。本を読んでいると、母親である大人の私でもすんなりこぐまになっていってしまう。
大きくて温かく湿ったかあさんぐまにぴたっと寄り添って、かあさんぐまの肌の下の血の流れでなんだかむず痒くなってしまうほど、鼻の穴にかあさんぐまの毛まで吸い込んでうつらうつらしていたい。いとしいものにはこれぐらいくっついていたいのだ。そして「なんのおと?」とたまに尋ねては、かあさんぐまの教えてくれる外の世界を想像する。
今はまだかあさんぐまの体温や匂いから片時も離れたくはないけれど、春になったらちょっとだけ外を歩いてみようかな、などと思いをめぐらす。そして微笑みながらまたいつのまにか寝入ってしまう。ああ、いいなあ、ふゆごもり。いとしい人とする休日の朝寝のよう。

a0158124_2264788.jpg『たのしいふゆごもり』(片山令子・作、片山健・絵)には、おっとりした暮らしの温かみがある。ふゆごもりの準備のために費やされる晩秋の森での豊かな時間が美しく愛らしい絵で描かれている。本を見ている私もいつしか一緒に森の落ち葉を踏みしめて秋の匂いを吸いながら歩いていくことができる。
ベッドにひとりで眠れないこぐまのために、ぬいぐるみを作ってあげる約束をしたかあさんぐま。翌朝こぐまが目覚めてみると、オーバーを羽織ったかあさんぐまは「雪が降ってくる前にふゆごもりの仕度をしなくては」と、こぐまを急かして森へ連れ出す。揃いの青いオーバーを着たくまの親子が、白い息を弾ませながら山の斜面を下りていく見開きの風景はいつ見ても清々しく、心が浮き立ってくる。

木の実とりではリスの親子に、蜂蜜とりではおじいちゃんぐまに出会う。川ではかえるの親子と魚をとり、綿畑ではやまねの親子と綿つみをして、最後はきのこをとりながら家路につく。夕ご飯には大きな魚や木の実やきのこで作った料理がたくさん。そして、かあさんぐまはこぐまの小さくなったオーバーでぬいぐるみと新しい枕を作る。今日出会ったかえるやリスやおじいちゃんぐまややまねの形をしたぬいぐるみが出来上がり、親子は満足して蜂蜜入りのお茶を飲む。
窓の外には冬を知らせる初雪。ページを捲ると、見開きでしんしんと降る雪の夜の静かな風景。玄関の扉を開けて黄色い灯りの中に棒立ちになって雪を見つめるくまの親子がいる。この見開きは、ほんとうに美しい。私の心も暗闇のこちら側でうっとり佇んでいる。雪にただこの世界を包まれていく、この静寂、この充実、この安らぎ。
暖炉の前で居眠りをしてしまったこぐまは、ふと気がついて「さっきはねむっちゃった。でもこんどはずーっとおきてようね」とぬいぐるみに話しかける。でもそんなこぐまも、この何もかも満たされた静かな雪夜には、どんなに頑張ってもじきにとろとろと寝入ってしまうんだろうな、と思わせる。ちょうど、クリスマスや大晦日の晩のこどもたちの可愛い挑戦のように。

『たのしいふゆごもり』の中には自然の恵みが充ち満ちている。それは木の実や蜂蜜などの収穫物だけをいうのではない。そもそも「ふゆごもり」をするいのちの体内時計のありかたそのものが、もうまったくの自然の恵みだと嬉しくなる。深まりゆく秋の森の中で、昨日まではいつものように暮らしていたはずが、今朝からは「ふゆごもり」に向けて準備を始めなくてはならないとわかるその境目とはいったい何なのだろう。
陽のやわらかさ? 踏みしめた落ち葉の湿り気? 朝の空気の冷たさ? 空の色? 雲のかたち? 木肌のざらつき? 自然の中で生きているあまりにも動物的な、細やかでいてしかも大らかな感性としか言いようがないもの。私たち人間が持っていたのに忘れていく、薄れていかざるをえない感性。
私がこんなにも「ふゆごもり」に憧れるのは、それが、いとしいものの温もりと匂いに満ちた平和な閉ざされた世界であること、そしてその中でこんこんと眠ることがただの自然の営みで、生きていくための本能でしかないことの、そのこのうえない幸福にあるのだろう。
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# by zuzumiya | 2010-02-03 22:08 | わたしのお気に入り | Trackback | Comments(0)

愛おしいものに「愛してる」と言葉で伝えましょう。

長田弘さんの詩の中に「いつからだろう。ふと気がつくと、うつくしいということばを、ためらわず口にすることを、誰もしなくなった。そうしてわたしたちの会話は貧しくなった。うつくしいものをうつくしいと言おう。」という文があります。この「うつくしい」を「愛する」に替えると勇気がわきます。歌の中ではよく使われているのに、実際の会話で口にすると照れくさく、残念なことに頻繁に口にする人ほど嘘くさくて、浅薄な印象を人に与えてしまうようです。「愛する」という言葉ほど、国語辞典以上にそれぞれの心の中で意味深長なものも珍しく、大切にしたい言葉なのでしょう。私は単純に「心から大切に想うこと」と理解しています。もっと素直に惜しげもなく、でも初々しく「愛してる」と言おうと思います。「愛する」の解釈で人とぶつかっても、互いを深く知るチャンスですし、迷いながら人と関わって生きて行くことが、人生の滋味になると思うのです。
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# by zuzumiya | 2010-02-03 10:22 | 日々のことづけ | Trackback | Comments(0)

あなたの夫婦の「かすがい」は何ですか。

昔撮ったホームビデオを整理しながら、家族で見る機会がありました。特別なイベントを撮ったものより、家族がこたつに入ってお喋りしているような、ふだんの何気ない生活を撮ったものの方が不思議に愛おしく心に沁みてきました。見終わってすぐに夫に「今まで一緒にいてくれてありがとう」と耳打ちしてしまいました。昨今の離婚の多さに「子はかすがい」がもう死語になりつつあるのかなと思えます。だとしたら、ビデオに映っているあどけない子の姿は、それをほほえんで見守る夫や妻の姿は、あの頃の家族の和やかな時間はどうなのでしょう。ビデオを見た直後に、私がとても素直な気持ちで夫に感謝でき、夫婦二人ともを頑張ったと思えたように、これも「かすがい」になりえるのではと思います。時には家族で昔のビデオを見て、歩いて来た道と大事に育んできた絆を、笑いながらそれぞれの胸でそっと確かめあうような、そんなやさしいひとときを持ちましょう。
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# by zuzumiya | 2010-02-02 06:53 | 日々のことづけ | Trackback | Comments(0)


ふだんの暮らしに息づいているたいせつなもの、見つめてみませんか?


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