暮らしのまなざし

我が家の灯りを目指して、家族は帰ってくるのです。

買い物帰りに住宅街を歩いてくると、玄関の灯りにほのぼのとさせられます。玄関ポーチの壁面や天井に、あるいは門柱に、日が暮れるとそれぞれの家が小さな灯りをともして、帰ってくる家族を待っています。今は子どもでも塾や習い事があり、家族全員が忙しいものですが、早く帰った誰かが自分の用をやる前に、必ず忘れずに玄関の灯りをともしてくれているのでしょう。
「ほら、家はもうすぐですよ」「家の中には夕飯の支度をして待っている家族がいますよ」「賑やかで和やかな暮らしが今夜も続いていますよ」と、通りを歩いてくる家族に向かって合図を送っています。遅い時間に目にすれば、それは「まだ仕事から帰っていない家族がいる灯り」だと、ふと気がつきます。
そう思って見てみると、あの小さな灯りは家族を思いやる愛おしさそのものなのです。マンション生活が長いので、こういう小さいけれどほのぼのとした暖かい灯りがあることを忘れていました。
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# by zuzumiya | 2010-01-13 00:42 | 日々のことづけ | Trackback | Comments(0)

『口笛とウクレレ』 関口和之 featuring 竹中直人

a0158124_15235027.jpg突然ですが、「口笛」吹けますか?
小さい頃は吹けていた覚えがあるのに、いま、わたしは吹けません。いつの頃からか吹けなくなりました。夫に聞いてみると夫もそうだといいます。いったいどうしたことでしょう。大人になってわたしは口笛を失していたんですね。心がしんとしてしまいました。
あなたは最近、誰かが口笛を吹くのを聞いたことありますか? 
街角からも口笛は消えてしまいました。世の中がどんどん暗く、厳めしい方向へ向かっているようで、残念です。
ところが、面白いCDを見つけたのです。なんと、その口笛がメインのCDです。
うれしいことに、大人になっても口笛がすこぶる上手な人が残っていたんです。あの俳優の竹中直人さんです。ははん、と納得しませんか? いかにもと、ニヤついてしまうでしょ?
サザンオールスターズの関口和之さんとのコラボレーションなんですが、関口さんがウクレレを担当して、竹中さんが「口笛奏者」なのです。タイトルはそのまんまの『口笛とウクレレ』。曲は「雨に濡れても」とか「ムーンリバー」とか「私の青空」とか、みんながよく知っているナンバーばかり。聞いているとつい、一緒に口をすぼめてしまいますが、出るのはひゅうひゅうというかぼそいすきま風なのです。
彼の口笛はほんとうに上手です。俳優のせいか、口笛にも表情がある。伸びやかでおおらかに弾んでいたかと思うと、少しせつなく寂しげに漂ったりもするのです。わたしはいつも家で洗い物などをしているときにこのCDをかけていますが、今日は車で出かける用事があったので、車に持っていってかけてみました。
雲ひとつない冬晴れの空。日曜日の午前中のベランダからは色とりどりの布団や毛布が垂れて、混んでいない道路は、ただのほほんとまっすぐに伸びています。はるかかなたの煙突からはふかふかと白い煙がたなびいて、ビルや行き交う車の輪郭がきらきらと光る筋を放ちます。自転車に乗ったおまわりさんの背中も、ファミレスの店先で幟を立てているおねえさんの顔も、うららかな日差しを吸ってなんだか明るく、健やかな感じです。
車でちょっとそこまでのはずが、気がついたらとても素敵な、充実したドライブになっていました。これも竹中さんの口笛のおかげだと思います。
優れた音楽は世界を変えずにディティールの美しさを際立たせてくれるものです。音楽があればわたしは日々の世界にしばしば目を見張ることができますし、いまここに生きていることが素直に楽しくなって、幸せに引き寄せられるのです。
暖かくなったらやってみたいこと。
それは車の窓をあけて、思うさま彼の口笛をそよ風にのせて、意気揚々と走ってみたいです。口をすぼめて、ね。

※現在、関口和之さんの『口笛とウクレレ』シリーズは第二弾も出ていて、口笛奏者に前作の竹中直人さんの他、2007年口笛世界チャンピオンの分山貴美子さんを迎えてパワーアップしております。そちらもお試しあれ。
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# by zuzumiya | 2010-01-12 15:39 | わたしのお気に入り | Trackback | Comments(0)

胸を張って堂々と生きましょう。あなたはあなた自身でいいのです。

歌の中で「胸を張って生きよう」という言葉にぶつかるたびに、自分のような何も達成していない、ちっぽけな人間が「胸を張れ」と言われても、どうしてできようかと思ってきました。でも、先日あるコンサートでそう歌われた時、ふと「わかった」と思えたのです。賞讃の拍手の中で、ステージの彼は同じ人間なのに私とはまるで別世界の、輝かしい価値ある存在でした。でも、この世をよく生きようとして、生きている証をこの手に握りしめるために真摯に探し求めている、この一点に関しては私と彼はまったく同じであり、臆することなく対等なのです。人間として生きて行く道の中では何かがわかるタイミングやきっかけや手段の違いはあっても、いずれは皆が必ず気づくように仕組まれているように思えます。だからこそ、共感や共有ができるのでしょう。私しかできないことはあるんだろうかと悩む前に、私がやるからあるのだと思えば、しっかり胸を張れるのです。
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# by zuzumiya | 2010-01-11 12:43 | 日々のことづけ | Trackback | Comments(0)

人とのつながりにおいて、可能性を諦めないようにしましょう。

今日、駅のベンチで老夫婦と隣り合わせになりました。会話を聞きながらふと、この穏やかさに私たち夫婦も至ることができるだろうかと思いました。
子育てを終了し、定年を迎えてから離婚を選ぶ夫婦が多いと聞きます。心のすれ違いが度重なった結果でしょうか。しかし、このすれ違い、もともとは結婚して夫婦が仕事と子育てに追われ、互いに身を削るようにして、家族のために役割を果たし、辛抱し続けてきたそのストレスフルな環境下でこそ起きたものです。夫婦二人だけに戻った時、もはや未熟な新婚時代の二人ではなく、人生の荒波を幾つも乗り越え、苦楽を共にしてきた思い出と許しあってきた夫婦の歴史がある上でのリスタートです。互いに生きてきた人生の感慨と知恵と宝で、もう一度二人の関係を作り直すよい機会が与えられたのだと解釈したいです。あの老夫婦の穏やかさは二人だけに戻ったその時からこそ、ゆっくりと育めるようになったのかもしれません。
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# by zuzumiya | 2010-01-10 09:16 | 日々のことづけ | Trackback | Comments(0)

眠る前は、自分をやさしくいたわりましょう。落ち込んだままではいけません。

朝、目を開けてすっきり気持ちよく起きられた時の充足感ほど、素晴らしいものはありません。明るくなった天井を見つめながら、体の奥からむくむくと押し上げてくるやる気を感じて、始まったばかりの今日一日をいかようにも生きられる可能性と自由に心が弾みます。でも、そんな幸福な目覚めは一年にどれほどあるでしょうか。休日しかないのでは悲しすぎます。
私の個人的な経験からですと、朝の目覚めの良し悪しは夜の睡眠前の精神状態と関係しているように思えます。落ち込んだ否定的な気分のまま眠りにつくと、翌朝は身体もだるく頭も重く、うまく起きられないばかりか、眠気がなかなかとれません。
明日の自分の元気のために、夜は充分、自分自身をケアしましょう。お風呂上がりに、アロマやゆったりした音楽、良い香りのするクリーム、ほのかな灯り、大好きな本、ハーブティー、すべてのお気に入りを総動員して、幸福な気持ちになってから眠りましょう。
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# by zuzumiya | 2010-01-08 12:53 | 日々のことづけ | Trackback | Comments(0)

些細な事でいいのです。次の人のことを考えた思いやりを持ちましょう。

デパートや駅などの公衆トイレに入ると、ときどきトイレットペーパーがきちんと三角に折り畳まれていることがあります。掃除が済んだ直後なのかもしれませんし、前の方がわざわざ折って出て行かれたのかもしれません。若い頃はそれがどこか上品ぶっていて、そこまでしなくてもと感じていましたが、最近になってふと、この方が確かに引っ張りやすいのだと気がつきました。実際に自分で作ってみると、ペーパーが一重で薄かったり、切るべき点線で切られていなかったりすると、三角にきれいに折るのが意外と大変だとわかりました。引き出しやすいちょうどの位置に巻き戻すのも忘れてはなりません。どなたかが次を使う人のためを思って、ちょっとの手間を惜しまず、お礼も言われずやっている、その匿名の思いやりなのだとあらためて感じました。「自分がされて嫌なことはしない」はマナーであり、「自分がされてうれしいことをする」が思いやりなのだと思います。
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# by zuzumiya | 2010-01-07 11:09 | 日々のことづけ | Trackback | Comments(0)

信仰のあるなしや相違に関係なく、暮らしに感謝すること、祈ることを加えましょう。

外国映画を見ていると、食事の際に家族みんなで目をつむり、祈りの言葉を唱える場面が出てきます。私は宗教を持たない人間で、いつも何気なく見ていましたが、よく考えてみると、あのように何かに対して頭を垂れて感謝する暮らしの習慣がありません。「いただきます」とは口に出しても、忙しい中、主婦として自分で料理し出した食べ物に、家族から感謝されることはあっても、私自身が食べ物を恵みとして与えられたことに感謝する気持ちは湧いていませんでした。そもそも誰かに何かをしてもらって「ありがとう」と言うことはあっても、自然やもっと大きな、私たちを生かしてくれているすべての繋がりのようなものにまで思い巡らして、感謝することができていません。やはり、そこを忘れては人間として謙虚で慎ましくいられません。日常の中にそういう大きな繋がりに対しても言葉に出して、感謝する生活習慣があること。素晴らしいこと、羨ましいことに思います。
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# by zuzumiya | 2010-01-06 11:09 | 日々のことづけ | Trackback | Comments(0)

自分をいたわるひとときは、誰かを想うひとときです。

ハンドクリームを塗る姿を見るのが好きです。自分で自分を愛おしむような、ひとりの静かで丁寧な時間がそこには流れています。手をこすり合わせるのが祈りの姿に似ているからかもしれません。
幸運にも荒れ性でないため、指先を気にしたことはないのですが、心のどこかで血の通った身体の一部というより、道具の延長にすぎない扱いをしてきた気がして、少し侘びしくもあります。考えてみれば、子どもが大きくなるにつれ、気恥ずかしさもあって、手を握ったり、肌をさすったり、撫でたり、温め合うことをもうずいぶんとしていません。
それでもふつうに暮らしてはいますが、もしかしたらもっと笑顔に、もっと幸せになるチャンスをわたしの指先は逃しているのかもと思います。
ハンドクリームを擦り込む姿の、あのつつましい穏やかさは、自分自身を慈しむことの先に誰か体温を分かち合う大切な人の存在をほのかに想像させるから、こんなにも心惹かれるのでしょうか。
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# by zuzumiya | 2010-01-05 10:21 | 日々のことづけ | Trackback | Comments(0)

冬の定番、雪の絵本。

雪の絵本をいろいろと探してみました。
始まり方は大きく分けて二通りあって、雪がいままさに降っているパターンと、昨日の夜に降って朝目覚めたら銀世界のパターンとがあります。
前者は家にいて雪に降り込められている静の世界、後者は積もった雪景色のなかに飛び出していく動の世界。そして、共通して雪の絵本のなかには、雪がある外とストーブのある暖かな家という対比が上手に描かれていて、それはそのまま外では冒険活動、内ではお母さんがいてくれる安心休息につながり、どの季節の絵本に比べても、よりじぶんの家やお母さんの暖かさ、やさしさというものに「守られている」ことを自然と実感できるようになっています。

a0158124_18303885.jpg静の世界の代表選手は、『ゆきがやんだら』(酒井駒子/作)です。
彼女の作品はすでに欧米やアジアの国々で翻訳出版されています。新聞や雑誌など多くのメディアで取り上げられ、賞賛されてきました。他の作品ですが、すでにフランスやオランダでは賞も獲っており、先日は今作でアメリカのニューヨークタイムズ紙が選んだ「今年の絵本ベスト10」にも選ばれました。絵本ばかりでなく、書籍や雑誌の装画や挿画、映画や芝居のフライヤー、現在は朝日新聞の「七夜物語」の挿画を担当するなど、活躍の場は幅広く、彼女の絵の人気のほどがわかります。今、わたしの最も好きな作家さんのひとりです。
物語はささやか。雪が降って幼稚園に行けなくなった「ぼく」と買い物をやめにしたママの、しんしんと雪に降り込められた静かな一日のお話です。

雪の絵本のなかにはわたしが個人的に「どうしてもこれがなくっちゃ」という外せない場面があります。それは、必ず「見開き」で、「主人公が雪景色を眺めている姿」です。
主人公の姿は遠景で小さければ小さいほど味が出るというか、大きな雪景色のなかにすっぽり包まれるように、ぽつんとただ佇んでいてほしいのです。大好きな、いまだかつてこれを越した絵本を見つけたことがないという、わたしにとって最高の冬の絵本『たのしいふゆごもり』にも見開きで、降りつもる雪を親子の熊がただ静かに見つめている場面があってくれます。

このしんしんと音もなく、雪に白く白く降り込められている静寂の感覚こそ、雪の絵本の醍醐味だと思っています。単に絵柄として美しいとか雪の絵本らしいとか、そんなものではなくて、問題はその静寂の意味をどれだけ繊細に、どれだけ大切にその作家さんが思っているか、にあります。わたしは、絵本は実はとても立体的なものだと思っていて、匂いや音や温度、そういった視覚だけではない感覚も刺激されて立ち上がってくるのが絵本の世界なのだと思います。『ゆきがやんだら』の見開きの雪景色には聴覚だけでなく、目に見えない体内時計の「静まり」までもが感じるのです。雪や雨というのは、本来、地上の人間たちにこの「静まり」の感覚を呼び起こさせるための機会なのではないでしょうか。世界を見つめることで、自然を見つめることで、おのずと静まりゆく内を身体に持っていること、そのささやかなしあわせを作家さん自身が実感として持っていないとこういう場面は描けません。

物語のなかにとてもささいなところですが好きな場面があります。酒井さんの芸の細かさとでもいいましょうか、愛情深くて繊細さがよく出ています。「ぼく」に風邪を引くから雪がやむまで外へ出てはいけないときつく言っていたママですが、パパが雪で飛行機が飛べなくなり帰れないと受けた電話の後に、心配そうな遠い目をして腕を組みながら、ぼんやりベランダへ出てしまうのです。ここではふっと微笑んでしまいました。有名な「ぼくとママしかいないみたい、せかいで……」は多くのファンが口々に素敵と誉めるところですが、パパが帰れないという流れのあとに出てこそ、生きてくる深みがあります。
                                    

a0158124_18311938.jpg動の世界の代表選手としては『ゆきがふったら』(レベッカ・ボンド/作)です。
大きめのサイズで、表紙の絵も雪山に立つにぎやかで色鮮やかな子どもたちの姿です。ページをめくってみると、動の選手の名にふさわしく、紙面いっぱいに大胆なうねるような動きのある絵で、深々と積もった雪を描いています。この躍動感あふれる絵がこれから起こる楽しいことを予感させるのです。

ひと晩じゅう降った雪。さあ、町には除雪車の出番です。雪を押して固めて山にして、どんどん積み上げていきます。子どもたちは除雪車の音を聞くともう大騒ぎ。あわてて支度を始めます。除雪車は子どもたちみんなのヒーローなのです。なにせ大きな雪山をただでプレゼントしてくれるのですから。巨大な雪山を前に、集まった子どもたちは考えます。
「このゆきのやまをどうしよう? なにをつくればいいのかな?」
この楽しいことを考えるということが、どれほどわくわくしてしあわせなことか、そのひとときを絵本はわたしたちにも分け与えてくれるのです。

何ページにもわたって子どもたちの懸命な分担作業が続きます。そんなにぎやかな作業のなかにも、作者はふっと詩的な表現を差し入れてきます。
「スコップでしろいゆきをすくって、
 レモンいろのゆきをすくって、
 みずいろのゆきもすくう。」
日向だったり、日陰だったり、当たった光の加減で変わる雪の色をていねいに表現してみせるのです。たいへんな作業はみんなで協力し、模様をつけたり、飾ったりする細やかな作業はひとりずつ真剣にやっています。それぞれがそれぞれの持ち味とアイデアで気持ちをひとつに動きます。そして、巨大な雪山はどんなふうになったでしょうか。できあがったときの子どもたちの、光をあびてのけぞるその晴れ晴れとした輝かしい笑顔! 
わたしはこの絵本のなかでこの絵がいちばん好きです。そして、みんなでつくった雪山の遊び場の素晴らしさ!

最初にわたしが書いたように、動の世界を描いた絵本は徹底的に雪と遊びます。
子どもたちにとっては砂浜の砂と同様、空から降ってくる雪は自然の最高のプレゼントです。掴んでも痛くないし、ふわふわ軽いし、変形自在、もとは水だから口にも入れちゃう。でも、暖かくなれば溶けて消えてしまう儚さもある。自然は口はきけないけれど、なんてうまくできているんでしょう。

最高な素材を貰って、徹底的に遊んだ後は、暖かい部屋と夕ごはんが待っています。
動の世界の絵本は特にその対比がしっかりとして、家のなかが至福の場所のように描けているのです。そしてそこに読者もほっとひと息つけるのでしょう。冒険と休息と。単純なことのようですが、車の両輪のようなこのふたつのバランスを、大人のわたしたちはないがしろにしてしまいます。
「くらくなったら、おうちにかえって、あったかいごはんをにぎやかにたべて、すきとおったよるをしずかにながめる。」
この単純さ、この幸福。ここへ、この暮らしの原点へ戻りたいといつでも強く思います。
ああ、また雪が降らないかなあと、子どものようにぽかんと口をあけて空を見つめてしまいます。実際の雪が見られるまで、絵本のなかの雪の世界をどうぞたっぷり楽しんでみて下さい。
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# by zuzumiya | 2010-01-04 18:32 | わたしのお気に入り | Trackback | Comments(0)

誰かの役に立つことを今一度気づかせてくれる場所、それが台所です。

仕事が始まる前に新ブログの準備をしたいのに、大掃除と家族の用事で進まず、台所に立ってしぶしぶ洗い物をしていました。その時ふと「何かができなくとも私は今、人のためになっている」と思いました。そして、自分の価値がきちんと守られている幸福をあらためて感じました。私にとって台所は、自分に果たす役割のあることとその尊さを思い出させてくれる場所であり、気分転換でアイデアがひょいと浮かぶ場所であり、汚れ物をきれいにしてストレスを発散できる場所でもあります。働いているいないにかかわらず、女性に家事を任せっきりにするのは平等でないという声もありますが、私は少なくとも自分以外の誰かのために役立つことのできる(しかも無償で毎日)、いちばん立派な仕事を放擲する必要はないと思います。「こんなことは私でなくても誰でもできる」ではなく、大きな意味のあることを日々「私がしている」ことの誇らしさと喜びを再認識しましょう。
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# by zuzumiya | 2010-01-04 00:00 | 日々のことづけ | Trackback | Comments(0)

ふだんの暮らしに息づいているたいせつなもの、見つめてみませんか?
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