たまには駅まで旦那さんを迎えに行きませんか

私が勤めていた頃の話です。改札を出ると突然の雨。私は折り畳み傘を広げて行きましたが、しばらく歩くと男物の傘を握りしめたエプロン姿の奥さんとすれ違いました。駅の側のコンビニに寄ればビニール傘がすぐ買えるのに、今どき奥さんを呼びつけるとはサザエさんの漫画のような古風な家だと思いましたが、何だか懐かしい気持ちになりました。
雨は意外にもすぐに止んで、奥さんがちょうど駅に着く頃には傘など用なしになってしまいました。それでも、あの夫婦はきっと苦笑しながら束の間の夫婦の散歩を楽しんでいるのだろうと想像して、心が温まりました。それ以来、一日家に籠って仕事を片付けていたという日には、夕方駅まで夫を迎えに行くことにしています。改札の混み合う人の流れの中に疲れた夫の顔を見つけると、家の玄関で言う以上に実感を伴って「お疲れさま」の言葉が出てきます。駅に待っている人がいる夫の方も嬉しいのか、照れているようです。
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# by zuzumiya | 2010-04-19 18:59 | 日々のことづけ | Trackback | Comments(0)

哀しみの先にあるもの

テレビでバッハの「マタイ受難曲」を少し聞く機会がありました。人間には喜怒哀楽の感情があることがとても幸福に思えます。そして、中でも特に哀しみの感情が実は人間の人間たる情感を最も強く深く育んできたのではないかと思えました。哀しみをなければいいものとして忌み嫌うけれど、こういう美しい宗教音楽を聞くと、実は古の昔から哀しみこそ、最も人間が執着して手放さず、時には溺愛さえしてきた感情ではないかと思えるのです。叙情という言葉にはどこか拭いきれない切なさがあります。人間の生と死のように、出会いと別れのように、一方が光り輝くほどにもう一方の存在も強まってしまう切なさの中に生きて、無常ゆえに永遠を乞い願ってしまう。その悩ましさ痛ましさが宗教や芸術に託され、特に芸術には叙情の美を与えてきたのでしょう。哀しみをただ怖れてはいけない。哀しみこそ、何か美しいものを心に生み出す種になるような、そんな思いがします。

※いろんな芸術作品に触れましょう。音楽でも絵画でも美しさを支えているもののなかに憂いや苦悩、哀しみのような一抹の陰りがあって作品を深いものにしていることがわかります。喜怒哀楽、どの一つも要らない余計な感情などないのだと、人間らしい豊かさに立ち帰って、あたたかな気持ちになります。
※哀しみがたとえ負の感情であっても、負のままで何も生み出さずに終わることはないのだと信じましょう。
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# by zuzumiya | 2010-04-18 16:14 | 日々のことづけ | Trackback | Comments(0)

最近、誰かに思いっきり手を振っていますか

電車の中で座っていたら、斜め前の女性が懸命に外に向かって手を振っています。人の視線も気にせず伸び上がって手を振り続けるので、思わず後ろを振り返ってしまうほどでした。ドラマでも、若い男女が電車の中とホームでやはり手を振り合うシーンを見ました。そういえば、最近誰かに手を振るということをしていません。いつから手を振らなくなったのかと考えて少し寂しくなりました。電車が発車する前から、そして相手の姿が見えなくなるまでずっと手を振り続けていたいような、別れるのが惜しくてたまらない、その事を伝えたくてたまらない、そういう濃密な人と時間のなかに自分は生きていないのかと思う寂しさでした。今日という日はもう戻らない、この瞬間のこの人も同じです。まさに一期一会の積み重ねの中にそれとは意識せずに日常を生きています。だからこそ、別れの際は別れを惜しんで、心惜しみなく手を振る。そういう単純さが時には輝いて見えます。


※朝、家族が出かけていく際も、時には玄関から一緒に出て「いってらっしゃい、頑張って」と手を振って送り出してみてはいかがでしょう。出かける方は背中に温かい眼ざしを感じてうれしいものです。
※笑顔と同じように、まずあなたから手を振りましょう。そして、手を振られたら、照れて会釈するのではなく、手を振り返してあげましょう。
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# by zuzumiya | 2010-04-17 14:34 | 日々のことづけ | Trackback | Comments(0)

部屋着にもシャツブラウスを着ませんか

部屋着は何を着ていますか? 動きやすいジャージの上下やお腹とお尻をふんわりカバーしてくれるチュニックにレギンスでしょうか。そして、それはもしかしたらパジャマとも兼用だったりもしませんか? 先日、あんまり天気がよくて風が気持ちいいので、なんとなくシャツブラウスを着てみたくなりました。シンプルでオーソドックスな形の細いブルーのストライプのシャツです。他にギンガムチャックや小さい男物の白い無地のシャツを持っています。それにジーンズやチノパンを合わせて一日家で過ごしたら、背筋がしゃきっと伸びて、気分も溌剌としてきました。やはり、衿のあるものというのは適度な緊張感を生みます。家に居るときはのんびりとしていたいわ、というのもわかりますが、家と外の姿に差があり過ぎるのは、自分を演じて疲れているということ。家の気もどんより沈んでしまいそうです。休日でも衿のついたものをサラリときて、行動的に楽しみましょう。
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# by zuzumiya | 2010-04-16 13:16 | 日々のことづけ | Trackback | Comments(0)

音楽と詩

a0158124_044811.jpg今朝、引出しからふと手に取った一枚のCD。
フランスの夫婦デュオで「クリンペライ」の『トリステ』というアルバム。
いつ買ったのだか思い出せない。
「トリステ」の意味はたしか、哀しみだったかしら、と頭を傾げる。

ジャンルはトイ・ミュージック(玩具音楽)。
ほとんどがインストゥルメンタルで、
たまにハミングのような、鼻歌のようなものが入るけれど、
ピアニカやハモニカ、アコーディオン、トイピアノやたて笛やギター、タンバリンに
鉄琴、木琴のような素朴な楽器で演奏されている。
2分程度の、時にはもっと唐突に短い曲が、全部で41も入っている。
まるで、音楽の玉手箱。色とりどりのウィスキーボンボン。
それらの音楽は、たとえば、
街角の人形劇の小さな恋物語のような、
大道芸人の作った愛らしい風船の犬のような、
手品師の細長い指の間の嗤うジョーカーのような、
ささやかな影のようなドラマをもう孕んでいる。
アンビエント・ミュージックよりもはっきりと舞台が設えてあって、
音楽がそこに主人公とシナリオを求めて待っている感じがする。

a0158124_2253037.jpgそんな音楽に誘われて、一冊の詩画集を手にした。
私の好きな漫画家、やまだ紫の詩画集『樹のうえで、猫がみている』。
詩の一編ずつに淡白な、風のような人物と、
やけに存在感のある濃い猫の挿絵が描かれてある。
音楽が流れる。
目で文字を追う。
頭の中で静かに女の声が語りだす。




「うすあかり」

腕枕をし
好きな男が眠っている
わたしは嬉しくて眠れない
あっちやこっちへ寝返りをする
天井の豆電球を見つめてたりする

男がよく眠っていると
その胸に手を当てて心臓のリズムを読む
耳をつけて音を聴く
足をからませたり
横顔を見ていたり
くたびれて眠くなるのを待つ
こんなわずかな灯が欲しかっただけだ

その昔 わたしは
極寒の暗くて何も見えない憎しみばかりつのる
どろどろした沼の中で生きていたことがある




寝転がった猫が伸びをする。目が合う。
不思議なことに黙読するペースと一曲分がちょうどぴったりだった。
そして、面白いと、ひとり微笑んだ。
ページを捲る。
音楽もついてくる。
文字を目で追う。
再び、女が淡々と語りだす。




「くだもの」

くだものはたいてい
食べる気のおこらない固い皮をしている
皮を剥ぎ 小さく切り 幼い子に与える
くだものの味を覚えた子は
次からくだものの固い皮を見て欲しがる

男友達は くだものは
女が切り分けてくれるものと信じて
つま楊枝をもって待っている

好いてもいない相手に
子供のようにくだものを切るのは
不貞のようで腹立たしい

男友達は腹立たしい実を
またたく間にたいらげた




日差しが陰る。ふいに甘い匂いが増してくる。
音楽をかけながら、こうして詩を読むのも悪くないな、と思う。
どうして気がつかなかったのだろう。
音楽と詩。


(※「うすあかり」「くだもの」/やまだ紫『樹のうえで、猫がみている』より)
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# by zuzumiya | 2010-04-15 00:08 | わたしのお気に入り | Trackback | Comments(0)

試聴音楽で世界をぐるり

本屋さんで本を探すように、ネットの中で好みの音楽を探してみるのも、ひとしきり楽しい旅だと思います。好きなアーティストから同じ系列のアーティストへ、もしくは「この商品を購入した人はこちらも購入しています」へと辿っていきます。試聴ができるものはどんどんしましょう。一つ、二つ、必ず興味を引くものが見つかります。普段は聞かないジャンルのものから始めてみれば、旅先もぐんと広がり、新鮮な出会いがあるかもしれません。今日はいつのまにか「玩具音楽」のサイトへ行き着きました。そこで素晴らしい発見をしたのです。「子供たちが歌うシャンソンの特集」をしていて、どれもこれも試聴ができました。フランス語で歌う昔からの童謡、素朴な手遊び歌。舌ったらずなモゴモゴとした発音で、弾むように懸命に歌う幼い声にいっぺんに魅了されてしまいました。生活の中にフランスの絵本のような、映画のワンシーンのような風がふわっと流れ込みました。


※映画でも「不思議の国のアリス」が話題ですが、この摩訶不思議で愉快な物語をシュールに音楽に仕立てたものがあります。フランスの玩具音楽のデュオ、Klimperei(クリンペライ)の『ALICE IN WONDERLAND』です。クリンペライはまるで人形アニメーションにつけた音楽のような不思議で愛らしい趣の作品をもう何十年も作りだしてきました。例えて言えば、サーカスのテントの幕が翻って一瞬中が見えてしまったかのような、古いオルゴールを開けたときのような、生活のなかに突然ぽんっと物語が始まる、白昼夢のような危うい面白さが味わえます。
※いろんなジャンルの音楽でもって、あなた自身と生活を豊かに演出しましょう。文中で紹介した「子供の歌うシャンソン」は「NOVEL CELL POEM ,INC 」のオンラインショップで試聴できます。
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# by zuzumiya | 2010-04-14 13:26 | 日々のことづけ | Trackback | Comments(0)

今日は「おばあさんの日」それとも「女の子の日」?

ラジオで若い頃好きだったバンドが解散するらしい話を聞きました。ふと懐かしくなってその頃好きだった音楽のCDをごそっと出して来て、順に聞いてみました。音楽にはいろんな思い出が寄り添っています。イントロから一瞬にして風景がガラリと変わり、そのうちに懐かしい顔も現れ、思い出にひたりながら「長い時間が経ったのだな」としみじみ感じました。いつの間にかボーカルの入らない静かなジャズやクラシックのピアノに好みが転じた私には、今聞いてみるとサビの部分は少々世界が明るすぎて眩しすぎて、あの頃の若さのようにはしゃいで力強く、青空の向こうに希望が通じているばかりの清々しい広がり方です。でも、聞いているうちにメロディに合わせて体を揺らしていました。好きだったよなあ、と自然に笑みが浮かんできます。たまには、自分の10代後半から20代の頃好きだったCDを聞いてみるのもいいものです。忘れていた女の子パワーが漲ってきます。


※女性には極端ですが「おばあさんの日」と「女の子の日」が一定のサイクルで訪れるような気がします。おばあさんのように来し方にゆとりを持って微笑むような、日だまりのような静かな日。そして、少女のような夢と希望にあふれて、何でも挑戦したくなる好奇心にあふれた、心でスキップしたくなるような勇敢な日。若い頃の好きだった音楽を聞くと一瞬で今日が「女の子の日」になるような気がします。
※旦那様と若い頃好きだった音楽を交換して聞いてみてはいかが?
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# by zuzumiya | 2010-04-13 13:49 | 日々のことづけ | Trackback | Comments(0)

本屋さんで「美術館ごっこ」をしませんか

お金をかけない休日の過ごし方に「大きな本屋さんへ行く」というのがあります。私はバスに乗って行きますが、このバスというのもポイントです。ちょっとした遠足気分を味わえるのです。晴れた日にぶおおん、ぶおおんと巨体を振るわせ、おばあさん達の会話に微笑みながらのんびりと行くバスの心地よさ。本屋さんに着いてからは、すぐにアート関係の書籍のところに行きます。そしてここで腰が痛くなってギブアップするまで、片っ端から立ち読みをして過ごします。写真集に画集、イラスト集、デザイン集、ビジュアルブック…。気に入ったものはすぐさま携帯にメモして、後でもう一度図書館で借りてじっくり見ます。情報収集が本来の目的なのですが、3時間もいてページを捲っていれば、まるで美術館にでもいたような気分になって、お気に入りも見つかります。本屋さんに併設されたラウンジで珈琲を飲んで休憩するときは、「いい一日だったなあ」と満足しています。
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# by zuzumiya | 2010-04-12 12:20 | 日々のことづけ | Trackback | Comments(0)

「写真デート」に出かけませんか

写真は見るのも撮るのも好きです。活字の気分ではない時、日常で何か気分転換したい時、手に取るのは写真集だったりします。好きな写真の傾向は実にはっきりしていて、写真家が自分の家族や恋人を撮った写真が何より好きです。被写体である家族や恋人のまなざしや仕草がとても自然で温かくて、カメラという機械を通してでも両者のさりげない幸せな関係が伝わってきます。どんな時も互いが愛しい人を見つめる目をしている。本当はカメラなど放って、すぐさま抱きしめたくなる何か温かいものが仕草から立ち上っている。そういう瞬間が切り取られていて、ページを捲るこちらがいつしか写真家の目になり、全くの他人であるはずの家族や恋人を慈しんで見つめてしまうのです。出かけた折りに記念に写真を撮るのではなくて、たまには「家族や恋人の写真を撮るのが目的の日」があってもいいと思います。愛しい人のいい表情、いい仕草はあなたにしか撮れません。


※うちでは季節ごとに自然のなかで夫婦で写真を撮り合っています。「著者近影ごっこ」と名付けて楽しんでいますが、一種の「写真デート」です。お互い口に出しては言いませんが「いい写真があればお葬式に使ってもらおう」が本音でしょうか(笑)。
※撮ってきた写真をテレビにつないでスライドショーにすれば、家族みんなが見られて楽しいものです。合間に入る何気ない風景や植物のショットも趣を添えてくれます。
家族や恋人の「いちばんいい瞬間を」という気持ちは、不思議にきちんと写真に出るものです。
※<お薦めの写真集>
荒木経惟『荒木経惟写真全集3 陽子』
藤代冥砂『もう家へ帰ろう』
上田義彦『at Home』
植田正治『僕のアルバム』
吉場正和『あき』
中村泰介『妻を撮ること』
森友治『ダカフェ日記』
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# by zuzumiya | 2010-04-11 00:57 | 日々のことづけ | Trackback | Comments(0)

「親の巣立ち」「親の羽化」の発想を忘れないでいましょう

人の成長に関する言葉に「巣立つ」や「殻を破る」というのがあります。先日、長男が自立して家を出て行った後、どうしたことか物寂しくなって、力が抜けていくのがわかりました。もう一人下に娘がいるので「空の巣症候群」というわけではないのですが、やがては「空の巣」になることがわかって、しみじみとしてしまったのではないかと思います。考えてみるに、子供が巣立つ時というのは同時に親の巣立つ時でもあるのです。役割が終わった古巣に座っている必要はありません。あるいはまた、子供を育てているというのはある種の蛹の状態で、子供が自立したら、そこから殻を破って本来の自分の羽が初々しく伸びて空へ飛び立っていくということも考えられます。大事なのは親の巣立ち、親の羽化という発想を忘れないことでしょう。その目標を持って子育てに心身ともに忙殺され尽くさないことです。その時が来て飛び立つ意欲と場所をしっかりと持っていたいものです。

※夢は年齢と共に変わっていくものです。「社会的に認められ成功する」といった狭義なものからより生き方の根本に結びついてきて「どう生きたいか」というような広義なものへと変わっていくのです。夢の解釈が広くなればなるほど、選択の余地も広くなるという意味で、だから年齢が高くなるにつれて「楽になる」「自由になる」発言が聞こえてくるのです。人生の高い経験値をもってしていろんなことに挑戦できる楽しい意味なのです。どんなに子育てで時間を食ったとしても、だから大丈夫なのです。
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# by zuzumiya | 2010-04-09 17:42 | 日々のことづけ | Trackback | Comments(0)


ふだんの暮らしに息づいているたいせつなもの、見つめてみませんか?


by zuzumiya

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