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不眠症かも…

10月は行事が続いて気が休まらず、年齢の影響もあるのかこの頃は不眠に悩まされている。でもよくよく考えてみると、珈琲を一日に5杯以上と飲みすぎていたり、夜に多く水分を摂っていたり、不眠の原因になりそうなことをしていた。なので、思い切って珈琲は朝と昼間1杯ずつだけにして、夜はハーブティーに替えてみることにした。Aroma Bloomに行って、柑橘系のリネンミストを買ったり(枕にシュッとかけてます)、2種類のハーブティーを買ったり、鼻風邪の予防に“イージーブレス”というエッセンシャルオイルを買った。これでダメなら不眠症外来にでも行くつもりだ。そろそろ、お香からアロマディフューザーにかえる季節。猫たちがお香もアロマも好きじゃないのは分かっているけど、ごめんね。
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by zuzumiya | 2017-10-28 21:53 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

謝り癖

自分の短所というか嫌だなぁと思うところはいっぱいあるけど、特に気になるのがひとつ。直したいなぁと心から思っているがなかなか直らない。癖のようなものだ。
曲がり角なんかで自転車同士ではち合わせした時に、思わず「すみません」とか「ごめんなさい」とか、私がすぐに謝ってしまうところ。どちらが悪いというわけじゃなくお互い様なのに、すぐに詫びの言葉を口走ってしまう。で、だいたい相手の方は無言である。謝られたので私が悪いんだと思い込み、ムッとされたこともある。謝った後でいつでも「なんで、自分だけ謝らなきゃいけないんだ?」とちょっと悔しい気持ちになる。「次は謝るもんか」と心に決めても「思わず」なので、もう反射的に謝っている。悪くもないのにすぐに謝るのは自分に自信がなかったり、人からよく思われようとしているのに違いないと思う。そういう深層心理がわかるから尚更、嫌だ。

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by zuzumiya | 2017-10-25 22:09 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

母の孤独、私の孤独

桐野夏生さんの『だから、荒野』や『魂萌え!』を50代になって再読して、連日ひとりで唸っている。アマゾンの読者コメントで知ったアメリカの作家の『歳月の梯子』も、同じように家族からはみ出てしまった主婦の逃避行を描いた篠田節子の『逃避行』も手元にある。小説の影響か、最近は一人暮らししている母の自由気ままさや自棄や私を含めた不出来な子どもたちに頼れない孤独感や不安感、焦燥感、あるいは諦念の揺れを夫婦関係のうまく行っていない自分の今や子どもたちに頼れそうもないこれからの老後に重ね合わせてみたりして、勝手に母に女の人生の戦友めいたシンパシー、同情のようなものを寄せている。この年になって、私は先を行く母の孤独がしんみりとわかるのだ、心では夫も子どももいない独り者として。いや、母の口癖の「人間、みんなひとり」に同調する一人の人間として。母にはまだ経済的にゆとりがあるが、それゆえ纏わり付いてくる真偽のわからない人の心とか人間関係の面倒がある。金のない老人になるであろう私なんぞ、世間も家族も早く死んだ方がいいんだろうなと思ったりする。この世は先に逝ったもん勝ちなのかもしれない。そう思えてならない。
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by zuzumiya | 2017-10-22 15:11 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

男たちの話

電車で30代とおぼしき営業マン二人組と隣り合わせに座った。どうやら年はさほど変わらないが先輩と後輩のようで、いきなり先輩の方がスマホを取り出し、料理の写真を後輩に見せながら喋りだした。
先輩「この間、乾燥トマトと手羽元を煮込んでカレールーを通常の半分ぐらい入れてハヤシっぽいのを作ってみたんだよね。俺さ、煮込みが好きでさ」
後輩「いいっすね。俺、トマト好きなんすよ。トマト缶、家に箱で買ってあるんすよ。トマトって言ったら、やっぱ鶏ですよねぇ」先輩、深く頷く。
先輩「じゃあ、豚とかだったら何にする?」
後輩「豚とかだったら…、豚炒めるとにおいが出るから、やっぱ俺なんかは和風か、それか中華っすね」
先輩「中華っていったら、何?」
後輩「最近なら、黒酢かな…。挽肉だったら、挽肉とごぼうを白ワインと塩コショウで炒めて、それを小袋にとって冷凍しておいて、トマトと合わせてパスタにもしちゃうとかね。帰ってからだと料理なかなかできないっすから」先輩、ふんふんと聞いている。
先輩「そういえば、あそこ営業行った?」
ようやく仕事の話になったところで電車を降りて行った二人であった。
食品会社かなんかの営業マンだろうか。できればそうであってほしい。こんな奴らが旦那だったら、さぞかし妻は大変だろう。出されたものを旨いも不味いも言わずにテレビ見ながら食べてるような夫でよかった。背広にネクタイ姿でこうも料理話に盛り上がられては、隣でボケーっと聞いてる主婦の私は立つ瀬がない。




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by zuzumiya | 2017-10-16 17:16 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

よだかがここにもいた

今日、早見和真さんの『イノセント・デイズ』を読み終わって、これに似た話を私は知っている、と思った。辻村深月さんの解説まで読み進めて、自分では宮沢賢治の『よだかの星』だと確信した。自分が以前書いた『よだかの星』の感想(2010年の2月25日)を再び読んでもみた。深月さんと同じく「美しい」という言葉も使っていた。主人公田中幸乃の最期の姿は星になろうとするよだかのように私には思える。『よだかの星』の物語を大事に想っている方々に『イノセント・デイズ』をおすすめしたい。

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by zuzumiya | 2017-10-15 17:15 | わたしのお気に入り | Trackback | Comments(2)

休んでも忙しかったってどういうこと?

連休最後の昨日から喉が真っ赤に腫れ、いち早く市販薬を飲んで大事をとったが、朝起きたらすっかり出勤する気をなくしていた。同じく昨日、掃除をしようとした夫がぎっくり腰になってしまった、というのもある。クラスには今日から実習生が入る予定だったため、大人の人数は足りているし、休みの電話を入れた。隣町まで自転車をこいで耳鼻科に行く。出るはずの抗炎症作用のトラネキサム酸は出ず、単なる痛み止めのカロナールなんかが出て、アテが外れてガッカリする。ダイエーの自転車売り場で電灯を見てもらう。「接続のかげんですね」と言って一度は点灯したが、すぐに消えた。兄ちゃんの手元に切れた配線が…。「あ」と思ったが、「もしかして、今あんた、壊した?」とは言えなかった。で、まるまる総取っ替え。これで2度目。4000円近く取られた。ダイエーにて30分の時間つぶし。病欠なのに後ろめたくて困る。文庫本を2冊買ってしまう。家に帰って、夕食の豚汁の豚肉の買い忘れに気づく。ちょっと休んで昨日の「ネコメンタリー」の録画を見る。村山由佳さんって、二度も離婚したんか。午後、再び買い物に近所のスーパーに行った帰り、自転車の後輪の異変に気づく。「ダイエーの兄ちゃんに空気も入れとけって言っておいたのに」と怒りながら空気ポンプ出す。しかし、空気入れの金具のどこからか、シュウシュウ漏れている。またしても自転車屋へ。今度はダイエーでなく近所。タイヤがツルツルに擦り切れてるのでタイヤごと替えでまた4000円。さらに時々ペダルが空回りする不調を伝えたら、「自転車一台買い替えた方がいいくらいの金額になるね」「えーっ、今日電灯買い替えたばかりなんです」すったもんだで中古品の車輪を付け替えて貰ってさらに1000円。結局、6000円近くふんだくられる。しかも、最初のタイヤの修理に30分、次の車輪そのものの付け替えで30分の時間つぶし。居場所がなく神社の境内の公園に。お参りの10円が賽銭箱に入らず落ちる運のなさ。病欠してるのになぜにこう人目につく所にウロウロしていなきゃいけないのかと落ち込む。結局、トイレに行きたくなってトボトボ歩いて家に戻った。仕上がりの時間がきて家を出ると、前から犬を散歩させてるオジサンが歩いてきた。いきなり「こんにちは」と声をかけられる。「え?知らない人なのに?」と思ったが、こちらも「こんにちは」と挨拶する。考えてみると、知らない人から挨拶されるというくらいしか、今日一日でいいことはなかった。頭にきて自転車屋の近くのスーパーで豪勢に寿司を買うが、わさび抜きばっか。おまけに豚汁の鍋の蓋でヤケドした。休んでもこれだもんねぇ。



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by zuzumiya | 2017-10-10 21:37 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

ネコメンタリー、いいよ。

NHKのEテレでやっている「ネコメンタリー 猫も、杓子も。」がすごくいい。
作家と飼い猫の暮らしのドキュメンタリーだが、先日放送されて録画しておいた「吉田修一さんと飼い猫の金ちゃん銀ちゃん」を今しがた見てきた。まず作家の住まいが見られるのは興味深いが、カメラもお構いなしの飼い猫とのいつもの自然な風景が見ているこちらをほっこりさせてくれる。
吉田さんは白黒写真が飾られた都会的で洗練されたインテリアのマンションに一人で住んでいて、ほとんど猫たちに話しかけないで過ごす。自由気ままに歩いたり寝転んだりする猫たちを時に見ながら、時に横にはべらせながら、ゲラのチェックや読書なんかをする。その互いに何にも縛られず自由でいて、それでいて親密な静寂は猫だからこそ生まれるもの。犬ではこうはいかないだろう。名付けて、猫がくれる「猫時間」。この画面から流れてくる猫時間の心地よさを共有できるから、是非見て欲しい。次回は村山由佳さん。今夜、11時からの放送である。春に養老孟司さんと角田光代さんが放送されて大反響だったというが見逃してしまった。今後は週一ぐらいで続けていってほしいくらいだ。

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by zuzumiya | 2017-10-09 16:00 | わたしのお気に入り | Trackback | Comments(0)

フケ顔読書

先日、中年における鞄の斜め掛けの無様さついて書いた。若い頃から何気なくやっていたことが中年になると命とりになることは他にもある。
ベッドやソファに寝転がっての読書である。私の休日のお楽しみのひとつである寝起きからの読書をしていて、ふと気がついた。なんだか息苦しいなと思ったら、私は文庫本を胸の上わずか3センチ程度のところに浮かし、顎をぐっと引いて目線を下げ「どれどれ〜?」と読んでいたのである。息苦しかったのは肉付きのいい二重顎に気管を潰されていたからだ。しかも、私はいくぶん鼻の下を伸ばして口角を下げ「ほほう〜」と老人が頷く時のように頬の肉をブルドッグのように下げに下げて読んでいたのである。文庫本を持つ手が疲れてだんだんと下がって行き(腕の筋力も落ちているってことだ!)、目線が下に行くからどうしても顎は引かれて二重顎に、顔はブルドッグになってしまうのだ。世の中年は「リフトアップ」とか言ってさかんにマッサージして口角や頬の肉を吊り上げているっていうのに、読書にかまけてわざわざ自分から真逆にこんな顔を続けていたとは。慌てて枕にクッションを当ててみたり、文庫本を持つ手を上げ、鏡を見るように顎を上げてみたりした。しかし…。時すでに遅し。毎週末、数時間も、私は自分に「フケ顔」を強いていた事実。ガビーンである。中年の皆さん、ベッドに寝転がっての読書もダメです、卒業です。


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by zuzumiya | 2017-10-09 08:05 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

放っておいてやれないのか

ノーベル文学賞の騒ぎがちょっと不快だ。毎年、村上春樹の受賞を待ちわびて「今年こそ」という感じでテレビが騒ぐが、残念ながら受賞に至っていない。あれは作家本人にとってどうなんだろう。「もういいから、追っかけないでくれ」と言うに言えない状態じゃないだろうか。いつも春樹ファンの店長の書店だかカフェだかの場所に信奉者たちが集まって発表を今か今かと待つ姿が流れるが、年々その数が少なくなっている気がする。今年はたった4人しかテレビに映らなかった。作家本人じゃなくてもああいうのを見るとすごく哀しい気持ちになる。書店もディスプレイに大変で、カズオ・イシグロが決まったら、ばーっと店頭に著作を並べるわけだけれど、紀伊國屋だったと思うが、カズオ・イシグロのそのすぐ下に村上春樹本を並べてあるのが映った。「用意はしてあったんだけど、すぐに二段目に下げた」というのが見え見えで、ああいうのも哀しくなる。そうっとしておいてあげるのもファンの優しさだと思うけどな。
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by zuzumiya | 2017-10-08 21:46 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

斜め掛けからの卒業

鞄は肩からの斜め掛けが好きで、今までそういうショルダータイプばかりを買ってきた。両手が空いて元気よく見えるし、鞄をちょっと後ろに回せばお尻もなんなく隠せる。ところが、先日、街のショーウィンドーに映る自分の姿を見てギョッとした。何とも言えずそこはかとなくだらしなく見えたのである。原因を考えてみると、たぶん、胸の前を横切るストラップが胸の谷間(と書くほど溝はない)に喰い入り、片側だけ垂れた胸の位置をまるまるあらわにしてしまったからだと思う。若い頃はスレンダーといえば聞こえがいいが、悲しいくらいの貧乳だった。中年になって肉付きがよくなって腹とともに脂肪の塊である胸も以前よりは大きくなった。が、時すでに遅しで若い頃のようなハリがないぶん膨らんだものを支えきれず、小さいなりに垂れてしまった。バストの位置が下がれば、それだけで少し太って見え、間の抜けて締まりのない情けない体型に映るのである。はっきりと年齢を感じた…。
年齢を感じるといえば、斜め掛けにおける鞄本体の位置問題もある。若者はみな、ストラップを調節して背中の中央あたりにまで鞄を吊り上げている。あれじゃ、どうやって中身の定期や財布を取り出すのか。いちいち鞄をくるりと前に回すのだろうが、そしたら高く抱えすぎたギターみたいになって今度は探すのに厄介じゃないか。しかも、電車の中でスリにあっても背中のあの位置じゃ体感として何もわからない。そんな不便きわまりない位置にどうして鞄を追いやるのか、それがどうして若者にカッコいいと、流行として支持されているのかアラフィフの私にはまるでわからない。ほぼ背中の中央部に鞄がくるようにするなんて、まるで昔の海外旅行へ出かける際のシャツの下のパスポート隠しみたいとしか思えない(発想が本当にオバサンだ)。肉付きのいい体でどうやってくるりと鞄をまわせというのか。じゃ、今の時代、アラフィフのオバサンたちは、いったいショルダーの長さ、鞄の位置はどの程度にするのが好ましいのだろう。正解は、斜め掛けは残念ながらもう卒業せよ、ということだ。どうしても両手を空かせたいならリュックしかないのである。ここへ来て世の中のオバサンたちが軒並みリュックを背負っている理由がわかった気がする。若い頃と同じ感覚で何にも考えず鞄を斜め掛けにしていたら大変なことになるのである。落とし穴はいたるところにある。


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by zuzumiya | 2017-10-04 23:42 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)


ふだんの暮らしに息づいているたいせつなもの、見つめてみませんか?


by zuzumiya

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