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降ってきた読点

うたた寝から目覚めたら視界の中で何かが違う。何だろうと見回すと窓に何かが張り付いている。猫のチビも両足で立って見上げている。「うわっ」すぐにメガネをかけた。見ると、運よく蛾やヤモリのような生き物ではなかった。ガラスの中央に墨の毛筆で書かれたような5センチくらいのシュッとした点があった。「句読点?」と思った。いや、正確には読点(ヽ)なんだが、書道で言えばその最後を「止め」でなくシュッと「はらい」で流したような点だ。そういうのがガラス窓に残されてあった。量といい、その勢いといい、すぐにカラスの仕業だとわかった。この辺を縄張りにしているカラスの一羽がわざわざ猫のケージのある方の窓に向かって空から糞を飛ばしたんだろう。まったく、もももいい加減バカにされている。
とはいえ、その読点もどきの点をぼんやり見つめていると、なぜだかすぐに掃除して消さなくては、という気にならない。糞だし汚いしバイ菌あるかもしれないし、ケージのあるベランダは狭いし寒いし、面倒で億劫ではある。でも、それだけではないような。暇人な頭がいきなり現れたその点に何かカラスの糞以上のものを感じ取ろうとしている。
昔、子どもがまだ幼い頃、千葉から東京までよく車でドライブをした。ちょうど浅草のあたりでアサヒビール本社の金色の巨大なオブジェが見えると、子どもが「神様の落っことしたウンコだ」と騒いで「ウンコビル、ウンコビル」と笑った思い出がある。糞つながりでそんな楽しかった家族の昔を思い出した。昨日読んだ白石公子のエッセイに<ぼんやりという言葉が好きなのは、その瞬間、なにかを忘れていたり、なにかを思い出していたりするからだ。※>というのがあったが、ほんとうにそうだと感心する。
単なるカラスの糞であることをひとたび頭の隅に押しやって、いきなり天から降ってきた「読点」として、神様からのメッセージをあえて考えてみる。「まだまだ続く」なのか、ここらでひとつ「区切りをつけよ」なのか。するとまたしても私の思考は離婚話へとつながっていく。いやいや、もしかしたら「読点」なんかじゃなく神様は「ペケ」のつもりか「チェック」のつもりでマーキングしたのではないか。だとしたら、どうだ?なんとなくもうこの夫婦の行き着く定めは決まっていて「ハイ、終了」という感じか。そういえば“お墨付き”という言葉もあるじゃないか。ああ…。
ベッドにぼんやり座っていると、チビが膝に飛び乗ってきた。「にゃーん」と鳴いたその目は「ありゃ、カラスの糞だね」と言っていた。

※『はずかしい』白石公子 白水社


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by zuzumiya | 2017-03-12 21:28 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

エレカシの「喝采」に寄せて

私は何でも人より先んじるより遅れをとる方だが、エレカシの宮本さんの歌うちあきなおみの「喝采」をようやくネットで見た。ちあきなおみの歌を歌う情報は知っていて、それが「喝采」であって、間違っても私の好きな「黄昏のビギン」なんかじゃないことは少し残念ではあったが、見てみて吃驚した。歌の上手さにほんとうに惚れ惚れした。二番めの歌詞に「喝采」を選んだわけがほの見えて「ああ、そうか」と納得もした。マイクを強く握りしめ、真剣に丁寧に歌う姿に、久しぶりに「私はやっぱり、この人が好きだったんだ」と心底思え、あの頃感じていた愛おしさとそこへ帰ってきた懐かしさに頬がゆるんだ。ファンは水ものと言っていたが、寄せては返す波のようだね。
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by zuzumiya | 2017-03-11 18:40 | わたしのお気に入り | Trackback | Comments(0)

凝りの原因

先日、美容院に行って若い兄ちゃんに肩をマッサージしてもらったら「凝ってますねぇ」と言われた。ま、肩という部位は「凝ってますねぇ」が褒め言葉、お世辞みたいなものである。
肩が凝っていないでフニャフニャだとまるで日頃怠けて暮らしているみたいで、肩が凝っていればいるほど仕事や家事を頑張っていて真面目な証拠だと無意識にみんな思っているのではないか。なぜなら、美容院の兄ちゃんはその後「お仕事、大変なんでしょう?」とかぶせてくる。で、私の場合はその凝りの原因が仕事や家事でないところが情けないので、兄ちゃんにも「ああ、そうですね」としか返せない。凝りの原因はおそらく仕事30%、残りの70%が猫なのである。
冬場、猫たちは寒いので私の布団の中に潜り込んでくる。ももちゃんは私の右隣、妹分のチビは左隣か足元中央。こう書くと「ふうん、可愛いね」なんて思われるだろうが、私にとっては「つらい」のひと言である。ももちゃんは幼い頃、まるで男性が恋人にするかのように私が片手で布団を押し上げ中に誘い、腕枕をして、胸の鼓動を子守唄のように聞かせて育てた。夏場以外は布団の中でしばらくそうして眠る。熱さか呼吸がつらくなってそのうち這い出て、私の顔の真横、同じ枕に顔を乗せて両手を投げ出すようにしてぷんすか眠る。尿意でこちらが目が覚めたりすると、薄暗闇に縞の顔のドアップが見えてドキリとすることがある。チビはももに習って、横向きの私の背中側の隙間から布団に侵入してくる。チビはへんな猫で、昼寝の時も体は横向きだが顔だけうつ伏せにして寝るのが好きで、息が苦しくないのか布団の中に頭から入っても方向転換しない。だから私たちの寝姿はもも・私・チビの川の字を狭いシングルベットの上に書いている。
私は自分の子どもにも腕枕はしてやったことがない。猫でやってみて、ほとほと世の男性が褥でどれほどの労苦に耐えているのかがわかった。可愛い恋人とはいえボーリングのボールのような人の頭。しびれを我慢し、嫌な顔ひとつせずお喋りにつき合い、よくぞ乗っけているものだ。腕枕はそんなに太っていない成猫のももでも10分も経たないうちに腕がしびれてきて、私は手を引っ込める。しかし、背中にぴたりとデブ猫のチビが張り付いていて、私は寝返りが打てないのである。人は寝返りを打つことで、血液やリンパの流れをよくしているのだという。寝返りを打たないことは身体にものすごく悪いのである。ついに我慢ができなくなって寝返りを打つと、息の続くチビがもぐらの移動のように足元にぐんぐん潜って行くのはいいけれど、私の左足を越えて両足の間に落ち着いてしまうとこれがまた厄介なのである。最初は久々に仰向けになれて気持ちがいいが、これが続くと今度は腰が痛くなってくる。なんとしても左側に寝返りが打ちたくなってくる。しかし、寝返りばかりを打って右側のももの安眠を妨げたくはない。ももが「とてもじゃないが寝てられない」と出て行ってしまい、しばらく経って寒さにふるえて布団の中に入り直し、冷たい毛を私の背中にすり寄せられては今度は私の安眠を妨げるからだ。うう、どうしよう。でもやっぱりつらい。で、左に寝返りすると思った通りにその拍子にももが布団から這い出てしまう。もういいやと目をぎゅっと閉じると、しばらく経って今度は枕がぐんにゃり潰れてきて(私の枕はウォーターピローである)、嫌な予感がする。左側に向いた私の鼻先にももの冷たく濡れた鼻が触れて、布団に入る隙間を探しているのがわかる。つまり、ももという猫は私の横向きになった腕のなにしろ腕枕を望んでいるのである。ああ。
そうやって私は寝返りを打っては両腕を痺れさせ、足元にいるチビを蹴り飛ばすことのないように仰向けになっても両足をベッドの端に寄せ、そのために枕に対して体勢が斜めになっているので首にも負担がかかっているのか、朝、目覚めても首やら肩やら腰やら、身体中が痛いのである。職場では苦笑いして「0歳児クラスに入るとこれだから…」なんておんぶやら抱っこのせいにしているが、実は毎晩の猫との添い寝のせいだとはとても人様には言えないのである。


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by zuzumiya | 2017-03-11 12:43 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

ブログの自由

いやぁ、びっくりした。
昨日、書きかけて眠ってしまった文章を直そうとブログに行っていじっていたら、“ブログジャンル”というのが気になっていろいろな方のブログを見ていたんですけど、中にブラウスの前をはだけて小玉スイカのダブルのような豊満な胸をあらわにした露出趣味の方のブログに出会ってしまい、「な、な、なんだこりゃー」と慌てふためき、部屋に自分ひとりなのをいいことに朝っぱらから中学生の男子のようにドキドキしながら思わず見入ってしまいました。世の中にはいろんな趣味の方がいるんですねぇ。私は女性ですけど、重力に逆らえなくなった中年といえどもかなりの貧乳なため、まるで男性のように豊満な女性の胸にはいつも釘付けになってしまいます。ま、心の内は「どうやったら、こんなに育つんだ?」ですけど。結局、書くことがみんなすっ飛んでしまい、胸の鼓動を鎮めるために逃げる猫をひっつかんで撫でまくっていました。今日が3.11だっていうのに、私ってどうしてこうなんだ?
思い出したらまた書きます。

※ジャンルが「日々の出来事」から「つぶやき」にかえました。50代にはかわりはないけれど。

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by zuzumiya | 2017-03-11 09:57 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

日々の泡

人に言われた言葉が妙に頭に残って自分の行動を縛るいうことがある。
「糖尿病のオシッコは泡が立つというから、いつもオシッコした後見ちゃう」
この言葉を友人にふいに言われてから、私は便器に座るたび、目の前のドアにトイレでオシッコを確認する彼女のかがんだ姿が浮かんでくるようになってしまった。で、自分も流す段になってオシッコをまじまじ見るようになった。どうか、この泡がすぐに消えますようにと願いながら。
年をとると不安や心配はトイレまで追ってきて、ちっとも落ち着かせてくれないのだ。

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by zuzumiya | 2017-03-11 08:58 | ちっちゃい器で生きていく | Trackback | Comments(0)

暇つぶし

読書や映画鑑賞や文章書きが好きだが、それを暇つぶしだと思ったことはない。じゃあ、自分にとって暇つぶしとは何だろうと考えたら、あったあった。小さい頃から好きだったのはチラシの不動産広告を見ること。あの部屋の間取り図を見るのが好き。ここは何の部屋にしてどういう家具を置こうか想像するのが楽しかった。今はネットで不動産屋さんのサイトを見て、住みたい街で検索をかけると間取り図だけでなく部屋の写真や動画が出てくるので、楽しくて時間を忘れて見入ってしまう。そして、はたと気づく。私にはもう一生住むべき家が決まってしまっているんだと。今の家は税金の関係でまだ母のものだが、いずれ私のものになるはず(相続で揉めなければ)。私は病院や老人ホームへ入る以外はもうここを離れることはないのだと将来が決まりきってしまっていることは、なんだか贅沢だが安心なようでつまらない。私はほんとうを言えば、西荻窪や阿佐ヶ谷あたりに一度暮らしてみたかった。だからネットの検索にもそのへんの町を入れてみる。すると家賃の相場がわかり、「ふんふん、今の給料じゃ1Kもきついのか…」などとわかって暗くなるのだが、それで想像がおしまいになるのはつまらないから、あてもないのに一緒に暮らす誰か(あえて同性とも異性とも決めないで、深く考えないでおく)がいることにして、すると部屋の選択範囲がぐっと広まり、想像上の相手と部屋の割りふりなんかを考えたりして、また楽しくなってくる。あえていえば、これが本にも映画にも見放され、なあ~んにも書く事が見つからない時の暇つぶしである。
それからもうひとつ。雑誌の街紹介の特集号を買って眺めること。
今日も『HANAKO』の吉祥寺の特集を買ってきた。先だっては『OZ』の雑貨の特集号でいろんな街の雑貨屋さんが出ていたのでつい買ってしまった。で、ページをめくって眺めては「いいなあ、コレ欲しいな」「こういうとこで食べてみたいな」「ここ、行ってみたいな」と思っている。思うだけで、実際はまず行かない。先日の内田樹さんの『困難な結婚』に母親というのは行動範囲が狭くなって、娘がその範囲から遠くに出て行ってしまえば追いかけることはないと書かれてあったが、私も若い頃に比べて行動範囲がえらく狭まっている。渋谷や池袋なんてのはもちろん、電車一本で座って行ける新宿にすら行こうとは思わない。面倒なのだ。なので、本当は雑誌に紹介されている吉祥寺も自分ひとりでは行かないし、せいぜい娘か友人を誘って行くかどうかだが、娘を誘えば飯を奢らされるし、友人はオバサンで疲れやすく、喫茶店でだべるだけなら別に地元でいい。でも、「もしかしたらいつか行くようなこともあるかもしれないから、その時のために買っておいてもいいかな」という思考がつい働くのである。この「いつか」の夢や希望のために私は何度も出費してきたし、事実、どこへも行くことなく雑誌は資源ゴミに出され続けた。でもやめられないのである。自分でも面白いなと思うのは、同じ街特集でも京都や沖縄、ハワイなんて号には絶対手を出さないのである。想像上で街歩きすればいいのだが、「もはや完全に行くことはない」とわかりきっている場所ゆえに気持ちが乗らない。


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by zuzumiya | 2017-03-09 13:36 | ちっちゃい器で生きていく | Trackback | Comments(0)

晴れより曇り

小さい頃、私は晴れより曇りの方になぜか安心した。朝、晴れてしまうと、もうそれでその日の運を使い切ってしまって、いいことが何にも起こらないような気がしていた。先日、山田稔さんの詩人天野忠について書かれたエッセイで、「過善症」という言葉を知った。山田さんも実は天野さんのエッセイ(『余韻の中』)で読んで知ったのだが、〈しあわせだと、次に来る不幸が心配になる、むしろ悪い状態にいる方が次にくる良い状態を思うことで気がまぎれるといった、「禍福を逆にうけとる形のちょっと複雑な心理状態」〉をいうらしい。ここを読んだ時にまさしく私も「過善症」だと笑ってしまった。ソンなタイプである。今日はトビアスのピアノが似合う薄灰色の曇り空。窓辺に立つと遠くの欅の枝が海の中の珊瑚のように手を広げている。さほど寒くもないこんな春の曇り空はコーヒーを手にぼんやりするのにちょうどいい。晴れるとやることを作ってわざわざ動いてしまい、どことなく気ぜわしいものだが、こんな曇りの方が何かを諦めたような眠ったいような気持ちになってゆったりできるものだ。寒さが緩む春だからなおさらのこと。ほら、やっぱり曇りもいいもんだ。

※〈 〉内は山田稔著 『北園町九十三番地 天野忠さんのこと』より

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by zuzumiya | 2017-03-06 13:24 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

ドテンしてぇ

ももちゃんの妹分であるチビの愛くるしいところは、私が本を持ってベッドに横になると、待ってましたとばかりにベッドに飛び乗って私の太もも辺りに向こうをむいて座り、次の瞬間、ドテンと体ごと私の足にもたれ掛け寝転んでしまうところ、である。そのチビの体の重みと温みに全幅の信頼と深い愛情を感じ、癒され、ぼけっと座っているだけでいつまでもドテンが来ないと待ちわびて「ドテンは?」とつい催促するぐらい好きなのである。おそらくはこちらに背中を向けているチビの心の中では「せーの」という掛け声があってのドテンであるような気がして、その無音の「せーの」がまた健気でうれしいのである。いやはや、かわええ。
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by zuzumiya | 2017-03-05 22:44 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

生きるよすが

横文字のゲームクリエイターなんぞと言っても安月給なのに、25の若さで借金ヒィヒィこさえて燃費の悪いアメ車を買って飾り立て、19の彼女に入れ込んで千葉まで送り迎いに往復し、甲斐性あるとこ見せようと飲食代は全て持ち、親の顔見りゃ「金がない!」と言いやがる。聞くとクジ運ないのに毎月宝くじなんか買って、数千円も公共事業にまんまと寄付をして、困りに困ってネットの懸賞やらお茶の俳句にまで応募したという。なんでまた息子がよりによって俳句なんだろうとしばし考え、そういえば昔中学の頃、国語で作らされた七夕の俳句が先生に褒められたことがあったなぁとニンマリ思い出した。そうだそうだ、私もあの時うんとこさ褒めたんだっけ。褒めるってやっぱり凄いことなのねぇ、25になっても覚えてたのねぇ、生きるよすがなのねぇと思いつつ、仕方なく息子に一万貸す。
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by zuzumiya | 2017-03-05 18:29 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

独り者にも春がきた

だいぶ春らしい陽気になった。自転車を出すのもひと頃より億劫でなくなった。毎日、通勤で走る道の脇に古い木造のアパートがある。名前はわからないが、ペンキの剥げた外階段のついた、いかにも昭和の「○○荘」といった感じのアパートで、駅からも遠く、車二台がすれ違えない狭い道路沿いに背の高い竹やぶが覆いかぶさるようにあって、いつでも薄暗くジメジメした所である。窓側を見ると六部屋あるが、そのどれもがいかにも男の独身者か高齢者の一人住まいといった感じの茶色や黒の野暮ったいカーテンを吊るしていて、どの部屋も少しだけ開いたカーテンの隙間から室内干しの洗濯ピンチが覗いている。道路沿いのブロック塀の中、ちょうど一階の端の部屋の窓脇に、背の低い木が植わっていて、冬場はここに木があることすら気づかなかったが、この木に白い花がチラホラついて白梅だとわかった。大家さんが昔植えたものだろうか。よく見るとあまり道路にはみ出さないように剪定した跡もある。一階の端の窓もカーテンがほんの少し開いていて、中にしなびた茄子のような黒い靴下が侘しくぶら下がっている。あそこの住人もカーテンを開けるたび、あの小さな白梅を目にしているはずである。時には窓を開けて、その匂いをそっと胸中に吸い込んだりするのだろうか。そうやってまた今年も春が来たことをなんとなくひとり噛み締めていたりするのだろうか。ああ、春だ。春が来た。


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by zuzumiya | 2017-03-05 16:14 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)


ふだんの暮らしに息づいているたいせつなもの、見つめてみませんか?


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