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ふだんの暮らしに息づいているたいせつなもの、見つめてみませんか?


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阿久悠と宮本浩次

先日、テレビで阿久悠の特集番組を見た。その中で堺正章が歌った『街の灯り』が昭和らしいメロディと歌詞でいい歌だなぁと思った。ドラマ「時間ですよ」の挿入歌だったらしいが覚えていない。今度、カラオケで歌ってみようと思った。
「街の灯りちらちら あれは何をささやく
 愛が一つめばえそうな胸がはずむ時よ」
なんて、素敵な歌詞だろう。「街の灯りちらちら」が甘く切ないような、人恋しい気分に拍車をかけて、始まったばかりの恋心にしみじみと効いてくる。
昔は、エレカシの宮本さんもいい歌詞を書いていた。個人的には売れないエピックの頃の、若さゆえの老成めいた背伸びととんがった歌詞が好きで、中年の今読み返すとなぜかしみじみと心に来て更に深みを増している。私は以前、あの頃の宮本さんの歌詞を優れた随筆のようだと書いたことがある。私の好きな歌に『通りを越え行く』がある。歌詞だけ見ても、ほんとにいい。なんてことない日々の暮らしのワンシーンなんだが、たまらなく詩情に溢れている。
「ああ、町の音遠くにして
 寒き夜なら猶なつかし
 今朝のままなる我が部屋の」
文語調だから、なのではない。仕事を終えて帰ってきた部屋の、今朝出て行った時そのままの部屋の自分らしい温もり、安心感、そういったものが町の音が遠くかすかに聞こえてくるような空気の澄んだ寒い夜は、なおのこと懐かしくいとおしく心に沁みてくると書いている。この感性、ものすごく素晴しい。平凡な日常の中にある人の生のつつましやかな滋味深さ。歌詞全編とおして、うら淋しいなかにも、どこか生の温もりに満ちて、ささやかだけどしみじみとした幸福感がある。人がひとり生きていくことにやわらかな灯りのようなものがともっている。いい歌詞だ。


※「通りを越え行く」は『エレファントカシマシ5』の中に入っています。
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by zuzumiya | 2017-02-10 23:23 | わたしのお気に入り | Trackback | Comments(0)

龍見物

今日は風が強かった。これから春になって暖かくなっていくのはうれしいが、自転車こぎの私にとっては風の強い日が多くなるのがつらい。でも、今日は面白いものを見た。
道にパトカーが止まっていて、お巡りさんが二人、無線機で話しながら上を向いている。学校帰りの小学生も後ろ歩きをしてまで空を見上げている。見ると、マンションの4階くらいに相当するような大木に(後で“万年けやき”だと同僚が教えてくれた)黒い長い帯のようなものが巻きついて、鯉のぼりの吹流しのように悠々と風にたなびいている。どうやらどこかの畑の苗に被せてあった黒いビニールが風に飛ばされて引っかかってしまったらしい。黒くやたらに長いのが風に乗って大いにのたうち回る姿はまるで龍のようで勇壮だったりするから、なるほど見甲斐がある。住民からの通報でお巡りさんが呼ばれたのだろうが、大木の上空はごうごうと風が鳴り、人なんぞ弾き飛ばしてしまいそうな猛々しい勢いでビニールの龍は自由自在に泳いでいる。どうしていいものやら困り果てている姿は申し訳ないが可笑しかった。お巡りさんは市民生活を守るためにこんな仕事もしなければならないのである。消防のはしご車でも呼んでくるのだろうかと思いながら、事の顛末を見届けずに職場に行かねばならないのが惜しまれた。
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by zuzumiya | 2017-02-07 21:57 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

荻原魚雷さん

荻原魚雷さんにはまっている。先日の『本と怠け者』に次いで『活字と自活』を読んでいる。魚雷さんはまたしてもこんなふうに書く。
<今日もまたとくに予定のない日にありがちなことをするだろう。つまり部屋を掃除して、洗濯して、食料品を買い物して、古本屋をまわって、喫茶店で本を読んで、酒を飲んで、家に帰ることになるだろう。あまりものは持ちたくないが、知らず知らずのうちにものが増えてゆく。>
私は酒が飲めないし、近くに行ける喫茶店もない。喫茶店で純粋に本だけを読むことは憧れでやってみたいことだが、コーヒー一杯で何時間ねばれるものなのか。小心者でそんなことに気を回していたら文章が頭に入ってこない気がするので、人待ちの時以外は試したことはない。それでも暮らしの質が、生活の芯のところが、そういうものだと自分に許している、ほどよく諦めたこのゆる~い感じがなんだか魚雷さんと私とは似ていて、天野忠とか黒田三郎とか辻征夫とか詩人の好みも同じで、彼の仕事や生活のまっ正直な悩みや告白にニヤニヤしながら読んでいる。〈好きな時間に寝て起きて、好きなときに酒が飲めて本を読める生活以上の望みはない。〉だなんて、ああ、そうね、そういうものよね。なんてステキなの。作家の名前や有名な作品が情報として知ってはいても、今までは触手が動かなかった。「フン、何さ」という私の天邪鬼な性格もある。好き嫌いが激しい。古本の世界は「読みたい本がたまたま古本にしかなかった」程度の素人からしたら、ガイドがいないと歩けないような鬱蒼とした森のようで、なんだか近寄り難かった。でも、魚雷さんに<何度も繰り返して読んでいる>とか<即買いした>と書かれると「読まなくっちゃ」と傍らのiPadを起動させ、ネットの古本屋や図書館に予約を入れまくっている。そう、私にとって魚雷さんは本の世界の扉をまた新たに開いてくれた大切なガイドだ。彼が「こっちにおいで」と手招きするなら、自然と行ってみようという気になる。もうそれはレンアイっぽい微熱を含んでいる。私も死んだ時のために、あまり本は増やしたくないと思っていた。でも、もういいやと思っている。
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by zuzumiya | 2017-02-05 17:06 | わたしのお気に入り | Trackback | Comments(0)

灯油屋との戦い

さっき、久しぶりに灯油の移動販売車から灯油を買った。
いつもなら夕飯の買い出しのついでに、夫と一緒に例の安いガソリンスタンドで買うのだが、今はまたしても家庭内離婚の真っ最中でここ数日間は口もきいていないのである。夫は夫で何を考えているのか知らないが、今さら漢字検定の試験だそうで今日は午後から外出している。ま、人それぞれ価値観が違うわけだから、私は何も言わないでおく。
灯油の移動販売車とは苦い思い出ばかりである。
彼らは通常、玄関先に置いてある赤いポリタンクを目印にやってくるので、何も置いていない路地は運ちゃんが一瞥してスッと行ってしまう。私のようにいつもは買わないけれど、今日は急に必要になった人にとっては販売車を捕まえるのはひどく難しいのである。遠くからキンコンカンとメロディが聞こえたら何をおいてもすぐにポリタンクを持ち、玄関から飛び出る。音を頼りに走って販売車を見つけるや、ポリタンクを高らかに掲げてサイドミラーに恥知らずな姿を映し、ミラー越しに運ちゃんと目が合わないと前出のようにスッと行ってしまうので買えないのである。
9階に住んでいたマンション時代はひどかった。メロディが聞こえて、私がベランダへ飛び出てマンションの下で給油を始めたのを確認し、「お父さん、灯油屋が来た!」と夫に知らせるやいなや、夫はポリタンクと財布を握りしめて慌ててエレベーターに乗る。1階に着くと、既に車は先の交差点の角を悠々と曲がって行く。膝の抜けたジャージとサンダル姿で手には赤いポリタンクを握りしめた夫は道の真ん中でどれほど落胆したことか。帰るなり「タンクをぶん投げてやりたくなった」と嘆いた。夫だけじゃなく私も挑戦したが、余裕があるように見えてエレベーターが曲者でまんまと逃げられた。なるべく多くの住宅街を回って早く灯油をさばきたいのか、10階建てのしかも老人が多いマンションの前に止まっておきながら、彼らはほんとにあっさりしていて客につれなかった。
今回は音が聞こえてすぐに(音の遠近を判断しているとまんまと逃げられることが多い)読んでいた本をほっぽり投げて玄関から飛び出たために無事、車を捕まえることができた。が、金の用意をしていなかった。18リットル1580円はここのところ変動なしだが、玄関先にタンクを置いたまま、部屋に戻って「1000札2枚かな、いや待てよ、どっかに500円玉があったはずだ」と親切心で探して玄関に戻ったら、もう既に運ちゃんが「まいど~」とニッコリ笑いながら灯油の入ったポリタンクを置きに来ていた。いつもの18リットルのあたりに灯油が透けて波立って見えた。しかし、今回はポンプで吸いきれなかった少しの量が残っていたはず。だとすれば、もう少し上のあたりまで灯油が来ていてもいいのでは。さては、私が金を取りに戻っている隙に17リットルあたりで給油を止めてしまったのではないか、と疑念が湧いた。灯油屋との過去の苦い思い出から、私はどこか彼らを信じていない。買う時には必ず運ちゃんの傍に付いて18リットル入ったか、メーターの数字を確認するようにしている。ところが不覚にも今日はそれができなかった。せっかく車を捕まえても、運ちゃんにまたしてもしてやられた気がして、なんだか落ち込んでいる。
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by zuzumiya | 2017-02-05 15:41 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

贅沢って何だ?

これがないと、或いはこういうことをしてないと、生きてるのがつまらない、毎日がつまらない、人生に張り合いがない。どっちかっていうとしんどいことばかりの人生を仕方なくこれからも生きて行くために、自分で頑張って働いて稼いだ金で、他人に頼らず自分自身を喜ばそうとして、買ったり、やったりしていることに対して、そういう必要極まりない奥深い心情を知らない他人が「贅沢だ」のひと言で切り捨てるというのは失礼千万じゃないか。人の心の生き死に何がどれほどかかわっているかはわからないからこそ、価値観の違いとして言葉をわきまえるものだ。
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by zuzumiya | 2017-02-05 07:38 | 降ってきたコトバたち | Trackback | Comments(0)
先日、NHKの番組でノンフィクション作家の沖藤典子さんの亡き夫の介護のお話を知った。
沖藤さんは結婚以来、あることがきっかけでずっと夫を恨んできた。夫の方も「顔も見たくない」とはっきり罵るほどで、妻だけでなく子どもにも冷淡で、家庭そのものを毛嫌いしていた。何十年も互いにただの同居人のように過ごし、夫婦仲の冷え切った老夫婦の片割れがある時、病に倒れたとしたら、その老夫婦はどうなるのだろう。これまでの恨みつらみが爆発して「あんたの面倒なんか見るもんか!」とこの時とばかりに離婚するのだろうか。目の前で痛みに顔をしかめている病人に離婚届を叩きつけることができるだろうか。実はこの問題は今すごく私自身が将来を見据えて深く考えていることなのだ。沖藤さんは長年憎み嫌っている夫の介護を老妻として引き受けた。子どもをアテにできない老老介護である。夫婦の介護の話は心温まる美談が多いなか、沖藤さんのところは大嫌いな夫の介護をする葛藤する老妻という立ち位置で始まるのでひどく興味が湧いた。私も今のままでは沖藤さんのようになるだろう。沖藤さんの葛藤の中身が詳しく知りたい。結局、沖藤さんの夫は亡くなってしまうのだが、その後の心境を彼女はどんなふうに説明してくれるのだろうか。で、『老妻だって介護はつらい 葛藤と純情の物語』を読んだ。読んでいて「何故、熟年離婚を選ばなかったのだろう」と何度も思ったが、実は60歳の時点で一度離婚していたが、3年後に復縁しているらしい。どうやら「出て行く」と啖呵を切った夫の方が出ていかなかったようだ。でも、惜しいことにその辺の詳しいことは書かれていない。同居人のようだとはいえ、一緒に夕飯を食べたり、テレビを見ては政治家の悪口を言いあったり、買い物にも行ったり、時には孫も連れての家族旅行にも行っていたと書いてある。おそらくは日々の暮らしというレベルでは、互いに自室を持ち逃げ場があったので、同じ屋根の下に住んでいてもさほど苦にはならず、それぞれが仕事の忙しさにかまけていれば問題にならなかったのだろう。長年連れ添えば、ある程度の諦めが普通になり、一人同士という感覚が育ち、気楽だと思えていたのだろう。マンションでなく戸建てとなってからは、我が家も家庭内離婚がスムーズにできるほど見事にすれ違える。このまま離婚して、夫が出ていける貯金ができるまで同居人でもいいかと何度も考えた。沖藤さんの本の存在を知る前から、はやく離婚の決心をしないと夫が倒れてからは離婚できなくなるな、となんとなく思っていた。目の前で苦しむ人を足蹴にはできるほど鬼ではない。夫に助けられた恩情もある。しかし、それだけで微笑んで慈しんで介護できるほど自分の結婚生活と妻としての人生に納得ができてない。私にも沖藤さんのように夫に言ってやりたい、言わねばならないことがあるのだ。『夫婦いとしい時間』という本が足枷になって書くこともできない鬱屈した想いが実はある。若い頃のように大っぴらに喧嘩ができたらいいのに。いや、もうそうなったら本当に終わりのような気がする。
沖藤さんは書いている。〈問題の根は、自分の力で突き進むべきことを、夫に頼り、それがかなえられなかったと、一生恨んだことだ。〉これは大いに私にあてはまる。でも、これが分かったからとて今、夫が生きている今、自分の罪として贖罪の意識から目の前の暮らしや今後の人生がぱあっとひらけていくものだろうか。グジュグジュしたこの悩みや葛藤はなくなるものだろうか。正直、そうとも思えない。そこにはやはり沖藤さんが書くように“死”という〈永遠の不在〉だけが〈胸の荒野をあの世に持っていく〉ものなのではないか。
切ないのは沖藤さんが夫の病気を契機として〈人生最後の夫婦の日々〉があると望みを持っていたことだ。たぶん、そこがタイトルの“純情”なのだろう。私も前に書いた。若い頃は結婚に憧れ、中年になると仲睦まじく歩く老夫婦に憧れるものだと。女とはこれほどまでに純情なのだ。介護のなかにも穏やかさを見つけ、人生最後の夫婦の日々をひそかに心に描いていた老妻、沖藤さん。この言葉にこんなに揺さぶられるのだから、私の心の何処かにもまだ薄ら明るい希望があるのだろうか。
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by zuzumiya | 2017-02-04 23:20 | ちっちゃい器で生きていく | Trackback | Comments(0)