暮らしのまなざし zuzumiya.exblog.jp

ふだんの暮らしに息づいているたいせつなもの、見つめてみませんか?


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懐かしい「家族の時間」

昔はiBookでブログの文章を書いていた。あいにく故障してしまい、仕事のからみでWindowsに切り替えた。以前のブログのコーナーに「家族の時間」というのがあって、文字通り、家族の何気ない日常の話を書き留めていたが、文章の出来とは関係なく、自分が好きな話がいくつかあって、最近になってどうしてもまた読んでみたくなった。内容はだいたい覚えているが、同じ文章は二度とは書けない。幸いバックアップしたディスクから何とか読み返すことができた。当時のことが思い出されてひどく懐かしいのと同時に、変わってしまった自分自身に、夫婦や家族の有様に、ちょっぴり心を痛めてもいる。このブログでもいくつか紹介させてほしい。

金色の塵

いつもの習慣で休日だというのに、7時には目が覚める。

黄色いカーテンが明るいから今日もきっと冬晴れのいい天気なんだろう。音をたてないようにそうっとカーテンを開ける。ここで音をたてると、猫も子どもも起きてしまう。本棚に手を伸ばして読みかけの1冊をとる。ページを開けば、白がまぶしい。頭のてっぺんに9階の強烈な朝日をうけながら、そろりそろりと読み出す。1行、2行、ああ、至福の時。

「あっ」

どうしてだか、ほんとにどうしてだかわからないけれど、うまくやったつもりなのに隣の部屋からごそっと音がする。寝返りであってほしいなと願いつつ、それでも本を伏せ息をひそめてじっと足元を見つめる。

やがて願いむなしく戸が開いて、やまんばのような娘がニッと笑って顔を出す。ここで、いつものようにすかさず本を閉じ、「来たのか~」とハイハイしてくる赤ん坊を喜んで迎え入れてやるような甘ったるい言葉をかけてやらないと娘はたちまちふて腐れる。朝からそれでは困る。

「来まちたよ~、ママ~」

もうすぐ5年生になるというのに、この朝の儀式の時の娘は赤ちゃん言葉だ。布団の端を持ち上げて早速入ってくる。娘の冷たい足が一瞬すねに当たってヒヤリとする。実はここからが面倒くさい。

「待って、待ってよ、栞ぐらいはさませて」

せっかく読んでいた本をため息まじりにベッドから落とす。それすら待てないのか、布団のなかで今か今かと子犬のように娘がはねている。

「よちよちよち、めるちゃん、おはよう、よちよちね~」

抱きしめると、娘の体ぜんぶから嬉々とした興奮がくうーっと立ち上がる。そういう気のようなものが確かに毎回見えるのだ。

「どーどーどーどー、ああ、よしよし」

もしゃもしゃの髪が鼻先に、熱い吐息が小さく首筋にあたってくすぐったい。

「ママ~、来たよ、めるが来たんだお~」

「わかってるよ、わかってるから、足をばたつかせないで、布団が落ちちゃうよ」

間近で見る娘の額は素直に広く、眉毛は丁寧に1本ずつちゃんと生えていて、瞳は、瞳といったらもう朝の光を吸ってこんなにきれいにきらめいている。だからつい、

「めるちゃんって、かわいいね」

とつぶやいてしまう。しかし、それは娘を余計に興奮させ、ばたつかせる言葉なのだ。

「かあ~いい? めるってそんなにかあ~いい?」

「うん、かわいいよ」と笑って頷くと、

「ああ~ん、ママ、しゅき、しゅき~」

またもや体を弾ませ、ぎゅぎゅっとしがみついてくる。寝起きだっていうのにこれじゃ体がいくつあっても足りない。

「でもね、ママもかあ~いいんだお、すご~く」

「えー。じゃ、ママはどこがかあ~いいのかな?」

「……歯肉!」

「歯肉? こんにゃろめ、歯肉ってなんだよ、こいつ~、このこのこのーっ」

調子づいてギャグをとばした娘の、いつまでたっても細っこい脇腹をお約束のとおりにめいっぱいくすぐってやる。

こんなわかりきっている遊びのどこがいいのだか知らないが、足をばたつかせ、身をよじって、娘はきゃあきゃあ喜ぶ。

布団はずり落ち、毛布はもかもかと波打って、娘のやわらかい髪の向こうに、朝日を浴びて金色の塵が無数に舞っている。

もし私が死んで、天国の門番に「覚えているしあわせの光景をひとつ言ってごらん。そしたら入れてあげる」と言われたら、迷わずこれを答えるだろう。

ふと、そんなことを思いながらくすぐりの手をたこのように動かしている。



今思えば、私はひどい母親だった。子供と一緒に寝ると夜中に子供の寝相のことが気になって何度も起きるので睡眠不足になって仕事に支障がでるからと私は隣の部屋に一人で寝ていたのだ。子供は夫と寝ていた。母が恋しかった娘は目覚めるとすぐさま私の部屋にやってきたのだった。そして、私の布団の中でめいっぱいじゃれついた。その時、朝日の中に舞い上がって金色に光る塵がすごくきれいに見えた。そう、スノーボールの雪のきらめきのように、幸せが光って二人に降ってきたのがわかった。



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by zuzumiya | 2016-11-28 22:32 | わたしのお気に入り | Trackback | Comments(0)

物欲を止めるもの

自分で書いておいてなんだが、たしかにクリスマスのある12月はあれもこれも欲しくなる物欲の月だ。ネットショップにはどこもクリスマス特集がされてスクロールする指が止まらない。読書をしていて、ちょっと言葉の意味を調べるはずが、いつの間にやら美術館のショップに行き着き、ダリの髭が動く腕時計やらマグリットやギルバート&ジョージの皿を嬉々として見ている。ああ、楽しい。時を忘れて、気づけば空が白んでいた。さほど高価でない細々とした飾り物をあれもいい、これも素敵で買い揃えても、ふと、もし私が死んだらと思うと「子供たちが遺品整理で面倒になるな」と思いついた。いや、別に死ぬ予定はないのだが。本もそうだ。いまの住居へ引っ越してくる際に思い切りよくかなりの量を売ってしまった。6段の背の高い本棚ひとつに入るだけに選別した。今となっては「画集まで売ることはなかったな」とやや後悔する日もあるが、今でも老後にこれなら再読するだろうという本しか置かないように心がけてはいる。本棚を覗けばその人物がだいたいわかるというが、そうやって選ばれた私の本棚は詩集とエッセイがほとんどを占め、漫画と絵本が少々、小説の類は読んだらよほどでないかぎりすぐに売っている。気に入った本しか置いていないのでまさに「これらの本を読んでもらえば母であり妻である私という人間がホントはどういう人だったのか、あなた方が知っている以上に見えてくるはずよ、ふふふ」と見るたびに満足して思うのだが、時々、さっきのようにふと遺品整理のことが頭を過る。「こんなに本を残されても趣味が合わなきゃただの紙屑だ。夫も子供もきっとさっさと売ってしまうか、捨ててしまうのだろうな」と。「本を読んでまで、死んでしまってもういない私のことを更に深く知ろうとしてくれるだろうか。もともと本などさほど読まない夫と子供達じゃないか」と。そして「結局は人間は自分の脳みそに蓄えた思い出だけでその人を形作ってしまうものなんだろうな」とまで思う。残されても困る、ただの自己満足のなれの果てを私は貯金を切り崩してせっせこ買い求めているだけなのかもしれない。ここに思考が至ると、悄然としてくる。本棚の本が、自慢のCDだって飾り物だって、私以外の人にとってはさほど価値のないガラクタなのかと思うと集めてとって置く意味がない。で、物欲にようやくセーブがかかる。はあ、これが生前整理ってやつに繋がるんでしょうか。







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by zuzumiya | 2016-11-27 09:16 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(1)

12月はショッピングの月

もうすぐ12月だ。毎年、12月になると「そろそろ来年のカレンダーや手帳を買わなきゃな」という気になる。「来年1年間、なるべく楽しい事が起こりますように」の希望を託すわけだから、見た目のデザインや桝目の大きさ等、選ぶのも慎重になる。だが、だからこそそんな買い物はワクワクしてうれしい。最近はカレンダー選びのためにわざわざ休日に家族で出かける。それぞれ自分の部屋のものは好き勝手に自分のセンスで選ぶのだが、リビングに吊るすものは一応家族それぞれの意見をうかがう。でも、最終決定権は主婦であるこの私にある。あれやこれや悩んで息子にうんざりされるが、それもまた家族の良き思い出になるだろうと笑って飲み込む。
車のなかで「年賀状どうする?」と夫に訊くと、年々、送る枚数が少なくなっていく。「昔は親父に来た年賀状が分厚くて、それだけで凄いなって尊敬してたのにな」と懐かしむ夫の話も今年もまた繰り返されるだろう。
カレンダーや手帳を買い終えると、次はクリスマスのプレゼント購入に家族それぞれが秘密裡に動いて忙しくなる。

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by zuzumiya | 2016-11-26 11:20 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)
カーサブルータスの特集は「居心地のいい本屋さん」。素敵な表紙に吸い寄せられて手に取る。うん。観葉植物が其処彼処にあって、ディスプレイもお洒落で素敵な本屋さんばかり。でもね、こういうお店にいるとほんとに本がどれもこれも良さげで買いたくなるけど、で、実際2、3冊奮発して買っちゃうんだけど、服と同じで家に持ち帰るとなんだかお店でのあのワクワクやキラメキがもう失せちゃってるのよねえ。そういうこと、本でもある。あの場所にあったから、あそこに置かれていたからこその、全体の調和としての輝き、魅力みたいなの、あるんだよねえ。だから、私は考えた。自分の部屋をなるべくあの素敵な本屋さんのように近づけたらいいと。自分なりでいい。自分が心地よくなる部屋で好きな本のページを捲るゆったり落ち着いた幸せ。灯りや音楽やアロマの香りにもこだわって。最近、欲しいものは、読書に浸れる一人掛けの椅子。欲を言えば、本棚だって北欧調のいいものが欲しい。そうなるとデスクだってそれに揃えなきゃならない。考えてみればベッドもちゃちいじゃないか。ああ、物欲がまた首をもたげてきた。いつでもそんなこんなでページを捲る手を止め、iPadをスクロールしてしまうから肝心の読書の方が全然進まないのだ。
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by zuzumiya | 2016-11-21 21:57 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

出会いはラジオで。

思えば、ハナレグミの「家族の風景」という曲もラジオで知った。
忙しい朝は支度をしながらラジオを聞く。時々はハッとするような曲に出会う。
今朝もラジオで素敵な曲に出会った。通勤の自転車に乗りながら、頭の中で歌詞の「ずっと君を想っていた」がリフレインした。年を重ねて渋く淡々と、でも何処か艶っぽさのある大人の男性の声だった。大人の恋。大人だけが味わえる、大人だからこそ浸れる恋。歌い手は誰だろう。そこは運悪く聞き逃してしまった。「ずっと君を想っていた」あんな素敵な声で何かの拍子にサラリとまっすぐ言われてみたいな、なんてちょっと思ったりして、冬の朝の澄んだ日射しが気持ちよかった。
でも、すぐに年のことを考えた。あの渋い声にそんなふうに言われる相手の女性はいったい何歳だろうか。30代なら言われることもあり得るだろう。40代前半ならギリギリセーフ。でも50の声を聞いたら、さすがにオバサンである。老いらくの恋っ気が出てきてしまう。あり得ない。自分は気持ちばかりは若いが、実はもう50代の押しも押されぬオバサンなのだ、ついにとうとうオバサンになってしまったのだ、とあらためて思った。
夜になって、ラジオ番組の過去のオンエア曲の中からその歌を見つけ出した。
佐野元春とザ・コヨーテバンドの「或る秋の日」。恋の歌なのに気取りのない、こざっぱりした、でもだからこそ洒落たタイトルではないか。佐野元春はあまり好きじゃなかったはずなのに、と不思議に思う。ラジオだとこういう出会い方があるから面白い。






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by zuzumiya | 2016-11-17 23:32 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

季節に合わせて

最近になって本の再読をするようになった。
昔から季節に合わせた小説を選んで読むのが好きで、今もずいぶん前に買った小川糸さんの『ツバキ文具店』の秋をようやく読み終えて、冬の章の冒頭がお正月から始まっているのを確認して本棚に戻してある。小説の進行に合わせてお正月の休みにでもまた読み始めるつもりだ。冬になると読みたくなる本に『つむじ風食堂の夜』がある。夜が舞台で静かであたたかい小説が恋しくなるのだ。吉田篤弘さんはピッタリだ。風呂上りに小さくバッハのピアノを流してベッドに寝転んで読んでいる。

赤いテーブルランプ、購入しちゃいました!



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by zuzumiya | 2016-11-15 22:48 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

間接照明って大好き。

冬になると何故か赤い色のものが欲しくなる。コートやセーターや帽子、マフラーなど身につけるものはもちろんのこと、インテリアにおいても赤い照明が気になりだす。
私の部屋の出窓はサンキャッチャーやガラス細工のモビールと共に茶色やベージュの抑えた色味のコットンボールのガーランドライトを吊るしてある。その下には赤やオレンジを基調とした暖色系のモザイクライト。猫の寝床や観葉植物3鉢や小さな置時計もあってぎゅうぎゅうだが、なんとか整理してここに赤いテーブルランプを置きたい。外から帰ってきた時に、冬場の窓越しの赤い光はいっそう暖かく部屋を素敵に見せるだろう。夫も帰宅時に家の灯りが見えると見えないのとでは気持ちが違うと言っていたっけ。ただ、赤いランプにシンプルで素敵なのが見つかってない。ランプシェードだけ赤にする手もある。さあ、どうしようか。クリスマスまでには決めないと。
自分の部屋をきれいに飾って心地よくして、アロマの匂いと静かな音楽に包まれながら傍に猫をはべらせ、読書したり、文章を書いたりしてるのがいちばんリラックスする。



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by zuzumiya | 2016-11-14 22:21 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

クリスマスソングの魔法

次の約束まで時間がぽっかり空いたので手近なファストフード店に入った。
こういう時、文庫本があればいいが、あいにく仕事帰りの鞄には最低限の携帯しかない。
しかも私はいまだにガラケイ。ネットもゲームも音楽も何もできない。
でも、メールできる相手はいつも何人かは思いつくものだ。
「久しぶり、元気?」だの「昨日はどうも」だのの書き出しで二人とやりとりする。
店内は早くもクリスマスソング。流れてくるのは毎年お馴染みの曲ばかりだが、耳にするとそれでも心が浮き立つ。ぽっかり空いたひとりの時間に本でもゲームでもネットでもなく、仕方なくメールを選んだはずなのに、いつの間にか誰かを想って言葉を綴ることにあたたかで安らかなものを感じている。
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by zuzumiya | 2016-11-13 11:08 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)
a0158124_831927.jpg芸術の秋。文化の日に息子のマスタングで千葉の市川の方まで家族で展覧会に行った。
私よりひとつ年上の山本高樹(やまもとたかき)さんというジオラマ造形作家の「昭和幻風景」という作品展である。彼のジオラマ作品はNHKの朝の連続テレビ小説「梅ちゃん先生」のオープニングに使用されたり、雑誌『荷風!』の表紙にも使われていたので目にしたことのある人も多いかと思う。私の場合は夫と行った青梅の小旅行でたまたま「昭和幻燈館」という久世光彦さんが喜びそうな名前の薄暗い館に足を踏み入れて出会った。後にそこは山本さんが開設したギャラリーだとわかった。今回はその青梅から作品を持ってきているのか、25点ほどが集められ、その他にも旅をしながらのスケッチ(漫画家の滝田ゆう、つげ義春の影響を強く感じた)なども紹介されていた。
彼のジオラマは昭和の街とそこに住む人々のレトロな暮らしをリアルに再現というより、彼自身の想像や願望を加えたひとつの物語のような、心象風景のような情緒豊かな作品である。そこには失われてしまった過去への懐かしさだけでなく、クスッと笑いたくなるユーモアやのほほんとした人間味への愛おしさがよく表れている。そして、街中を案内してくれるのは、あの散歩の達人、永井荷風である。絵本『ウォーリーを探せ』のウォーリーのように必ず目印のように荷風は街のどこかにいて、探し出すのはいつも楽しい。
彼のジオラマ作品の特徴というか、最高の良さは情感と郷愁を掻き立てる「灯りの風情」だと私は思っているが、今回の市川の展示室では部屋全体の照明がやや明るすぎた感がある。一体一体違う顔の表情や壁に貼られたポスターなど細密な作りをきちんと見せようと配慮したのだろうがもったいなかった。「昭和幻燈館」の方は暗幕をかき分けて入って行った記憶があるので、ほんとうに中は暗くて、そこにジオラマの建物の小さな窓や路地の外灯や連なる提灯の灯りがぼうっと浮かんで見えて、まさに幻のような別世界に迷いこんだ心地がした。
「昭和幻燈館」を見てジオラマそのもののファンになった。小さな、愛おしい世界をそっと覗き込むあの感じ。かがんで人形と同じ目線になって見つめる先の風景。「ここに入って暮らしてみたい」という酔狂な思いがジワジワくる。私は巨人でも優しい巨人なのだ。世界は壊したくない。そしてジオラマといえば、私にとってはもう山本高樹の、昭和ジオラマなのである。題材の選び方、風景の切り取り方、灯りの使い方、妄想の勝手な育み方…もうどこをとっても私のツボ。大好きなのだ。でもって山本さんは「やりすぎだよ」と言うかもしれないが、できれば灯りのついた窓の幾つかに内側から薄黒く人影があってもいいかなと勝手に思っているんだが、保育士らしくやっぱり影絵か人形劇みたいか?
ぐるりと見て回って、最後に家族それぞれがマイベストを教え合うということになった。
夫は夫らしく緻密な軽井沢の旧駅舎の風景を推した。息子は意外にも、ひなびた長野飯山の大根干しの冬支度がいいと言う。私に言わせれば、緻密さやリアルさより、もっとこう、胸をぐっと突き上げてくるような情緒が欲しい。私は夢町楽天地のヌード劇場の舞台裏や墨東の色町向島のような、遊び心ある伸びやかなエロチックなものが実に昭和っぽくて好きだし、つげ義春も好みそうな隠れ里の温泉の男女も好きだし、不忍池や見世物小屋の縁日の連なる屋台の灯りや提灯に子供のようにワクワクしてしまうが、やはり山本高樹は抒情の人だと思う。
両側から庇が突き出る狭い階段をトントントンと下りていけば、玄関先にぽつんと井戸があり、石畳には浴衣姿の匂い立つような湯上りの女性。路地奥の井戸広場、本郷。いるのは荷風とその女性だけ。あとは二人を包む温かな家々の窓の灯り。最低限にして最高な完璧さとそれゆえ醸し出される情緒と詩情たっぷりな世界。私は彼のいちばんには本郷の路地奥の井戸広場を推す。
三人三様で見事に好みが分かれたが、息子も加えた家族三人で芸術鑑賞ができたことは我が家にとっては初めてであり、これもまたいい思い出になった。次は覗きつながりで是非ともスコープ作家の桑原弘明さんの展覧会に二人を連れていきたいと思う。

※市川市文学ミュージアム企画展「山本高樹 昭和幻風景 ジオラマ展」11月27日まで。市川は山本さんの出身地で永井荷風が最後に住んだ地です。
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by zuzumiya | 2016-11-06 08:42 | わたしのお気に入り | Trackback | Comments(0)