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夜のドライブ

先日、久しぶりに夜のドライブに連れて行ってもらった。夫の運転で息子も一緒に。
向かった先は彼らの仕事場がある新富町や豊洲方面。東京タワーもスカイツリーも見られるきれいな夜景が広がっていた。
都心はコンビニにトイレを借りに入るにも大変なのだった。郊外のように店の前に駐車場がないので路上駐車しかできない。息子のいつも行っているコンビニの前にちょっとだけ停められる場所があるというので(もちろん運転席に運転できる人を置いて)交代でトイレに行くことにした。息子の案内で来たこともない、そしてこれからも来ることはまずないであろう道を車は進む。「そこの角を曲がって」と指示をしている道の先に、ふっと、昼間の、私の知らない見たこともないまるで他人のような息子の歩いていく後ろ姿が見えた。「あぁ、お前は昼間はここでこんなふうに私の知らない日常を一人で頑張って過ごしているのか」と思うと、なんとなく切なくなって胸が締めつけられた。
夫の職場のビルを見上げて「休日なのにまだ明かりがついてる」と感心しながら、よく一人で昼食をとりに来るという傍のビルの中に入って、「ここから噴水が出るんだ」とか「昼はこの辺いったい人で埋め尽くされるんだ」などと説明を聞くと、喧騒の中でやっぱり私の知らない見たこともない他人のような昼間の夫が一人、背を丸めて弁当を食べているのが見えてきて、その姿にふっと切なくなる。なんだか私は彼らを残してもう死んでしまって、霊魂だけになって、彼らの日常をやさしいまなざしで眺めているといった感じがした。息子も夫も、私はなんだか全てを知っているような気になっているが、実は昼間の、他人の中にいる彼らだけの日常を私は知らない。見ることができない。それはふだん考えたりしない当たり前のことだけど、どこか不思議な寂しさがあって胸に沁みる。こんなにもそれぞれが離ればなれで、一人だけで頑張っているのかと思うと。
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by zuzumiya | 2016-10-30 23:26 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

猫の流儀

あぁ、また悩ましい季節が来てしまった。
ほらね、やっぱり去年のボーナス貰っていた金のある頃に「エイヤッ」とやっておけばよかったのだ。でもなぁ、ドイド(近所のホームセンター)の工事に頼んで5万はちょっと高すぎるよなぁ。迷って当たり前だよなぁ。あぁ、でもでも金のなくなった今となってはもう致し方ない。耐えるしかないのか、この絶え間ない腹筋背筋運動に…。
何の話かというと、猫ドアの話なのである。部屋のドアをくり抜いて猫が頭で押して入ったり出たりできる猫用のペコペコドアをつけるというアレである。我が家は私の部屋が猫部屋で、餌を食べたり、その辺に寝転がったり、猫タワーをガガガとよじ登ったりできるのだが、強烈なウンコ臭と砂が飛び散るのがどうにも嫌でトイレだけは窓があって換気ができる廊下に2箱置いてあるのである。
夏場はいいのだ。冷房するとき(うちの猫は冷房があまり好きでない)以外は私の部屋のドアは朝も夜も常に空いているから、猫どもも外との行き来が普通にできる。問題は寒くなってくる秋から冬である。工事費込み5万にびっくりして猫ドアを付けなかったために、私は机でパソコンに向かっていても、こたつで本を読んでいても、ベッドに寝転がってiPadをいじっていても、いちいち立ち上がって猫の「開けてくれ、トイレ行かせろ」催促にドアを開けてやらねばならないのである。これが結構、しんどい。特に冬の朝はつらい。ただでさえ寒くて起きたくないのに、まずは餌の催促。それに続く排尿、排便。猫ども2匹がそれぞれのタイミングで催促してくるので、その度にもぐり込んだ温かいベッドからガバッと起き上がり、腕をウグーッと伸ばして腰まで浮かせてドアの取っ手を掴んで開けてやらねばならないのである。これがちょっとした腹筋背筋運動みたくなるのである。それにドアを開けたら廊下の冷気がスーッと入ってくるから、猫が出たらすぐに閉めて温かい布団にもぐり込む。で縮まっていると、今度は用を足し終わった猫が「開けてくれ、入れてくれ」と催促してくる。チッと舌打ちしながら、またガバッと起きてウグーッとやってドアを開ける。すると、猫がシャラシャラとフローリングに爪を鳴らしてゆっくり歩いて入ってくるので「わざとか、このアマっ!」と睨みつけながらしばらく待ってやるのである。この繰り返しに疲労困憊して、夜に猫が排便を済ませたのを確認してからトイレをひとつ、部屋に入れることにした。これで朝のトイレ出入り問題は解決になった。
はずだった、去年までは。
今年はどういうことか、猫トイレをひとつ部屋に入れてあるのに、朝方、夢うつつに砂の上にジョロジョロと猫の排尿の音まで聞いているにもかかわらず、毎朝「開けろ」と鳴いてせがむのである。さっき意を決して起きてあげた餌も冷たい廊下にヨロヨロと出て持ってきた新鮮な水もある。トイレもある。はて、何のためか? もちろん、2匹それぞれのペースでせがまれるから、「ガバッ」「ウグーッ」「ギイ~」(ドアの開閉音)の腹筋背筋運動が連続して行われる。そして続く、不毛な待ち時間。休日の朝のお楽しみである寝床で読書なんてぜんぜん進まない。つい頭に来て、文庫本をドアに投げつけ、朝っぱらから「何なんだよ、おめえら!」「いったい何しに行くんだよ」と怒鳴ってしまうこともしばしば。飼い主の突然の変貌に驚いてガガガと猫タワーに駆け上がり丸くなる猫たち。揺れるタワーをぼんやり眺めながら、私は冷静になる。ほんとうに猫どもは何しに出て行くのか。
ある朝、聞き耳を立てていると、ももの方は階段を下りていく音がするので、おそらくは朝の見回りと廊下にある爪とぎで一度は爪を引っかかないと落ち着かないのではないかという結論に達した。問題はももの妹分のチビの方である。あやつは部屋にトイレがあるにもかかわらず、廊下のトイレでも用を足しているようなのだ。なぜに? もしかして、猫って2つあるトイレを使い分けている? どっちにもウンコがしてあるが、あれはひょっとしたらどちらかはもものでどちらかはチビのであったのか。とすると、ふだん、部屋に入れているのはもも専用のトイレなのだろうか。部屋のドアが閉まっちゃっているから仕方なく、ももの了解を得てもも専用のトイレにオシッコしてきただけだったのか。うーむ。真実はわからんがどうなんだろう。
ま、朝の見回りやら爪とぎやらトイレの使い分けやら、それぞれ人間にはわからない猫の本能、猫の流儀ってものがあるのかもしれない。ならば、やっぱり猫が猫らしくすごせるよう猫ドアは必要だったのではないか。工事費込みで5万は高いと思っていつも躊躇してきたが、冬の朝のあのつらい腹筋背筋運動が痩せるためとか猫への無償の愛とかどうにもポジティブには考えられないのなら、決断するしかなさそうである。ふぅ~、でもあのペコペコに5万は高い、よね、皆さん。
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by zuzumiya | 2016-10-30 09:32 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

今度こそは、と。

中年夫婦の多くはひょっとしたら、これから離婚をして他の異性と出会って再婚することより、今の相手と結婚当初のようなまだ何も知らない起こらない仲睦まじい姿に戻って今度こそはとやり直せたら、と思っているのではないか。だがしかし、それは時が戻らないように絶対に無理な話なのだ。アーメン。
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by zuzumiya | 2016-10-25 22:35 | 降ってきたコトバたち | Trackback | Comments(0)

ドラマ「ハンニバル」のクラシック音楽を探すには

a0158124_11591917.png人生は暇つぶしの連なりと思っていたが、ほんとに人って次から次へと暇つぶしのネタを探しだすものなのだ。今、私がハマっているものはアメリカのドラマ「ハンニバル」である。我が家はhuluに入っていてドラマも映画も月980円だかで(夫が支払っているから詳しくは知らない)見放題なんだが、どっかのテレビ番組でそのhuluのドラマでいちばん人気なのが「ハンニバル」というのを知ったのだ。アメリカのドラマの質が映画並みに高いのは知っていたが、飽きっぽいのでシーズンが続くとじきに付いていけなくなる。「プリズンブレイク」なんかはシーズン1は寝食を忘れて夢中になって見て、シナリオの巧さに夫と熱く舌戦を繰り広げたものだったが、シーズン2の途中かなんかで、たぶん3には達していないと思うが、どういうわけか急に見飽きてしまった。シリーズ化していくうちにドラマのどこか、制作側の心理かどうかわからないけど、上手に保っていた緊迫さがたるんでいくような、おそらくは「この辺でやめておけば」という頂点を視聴率への慢心や続ける使命が見失わさせ、迷いながら新たに始めた展開で前作にはない微かな違和感と冗長さがあり、ついていけなくなっていくんだと思う。そういうのが「ハンニバル」にあるのかないのかわからないが、飽きないうちは日々の娯楽、人生の暇つぶしとして存分に楽しんでいようと思う。
アンソニー・ホプキンスの「羊たちの沈黙」から既に私はどういうわけかハンニバル・レクター博士に惹かれていて、映画の方も3部作は全て見ている。私は世の女性の好みには大雑把に分けて、マッチョで野性的な狼男派と知的でハンサムな吸血鬼派とがあって、私は断然、吸血鬼派なんだが、レクター博士は吸血鬼派に属するだろう。孤高な外科医であり精神科医であり、すこぶるインテリで芸術に造詣が深く、美食家で貴族的な品のあるお方なのである。ただ食するその肉が人を殺めた人肉であり、人肉を自ら料り食することに最も生の愉悦を感じてしまうサイコパスなのだ。で、今回のドラマのレクター博士はマッツ・ミケルセンという金髪のデンマークの役者なんだが、この人の毎回のスーツ姿も惚れ惚れする(すべてオーダーメイドらしい)が、料する時のワイシャツ姿の腕まくりなんかはすこぶるセクシーで、その肉が人肉であることを忘れるほど見とれてしまう。博士は人知れず殺人を犯し、その人肉を使った料理で食事会を開き、時にFBIの捜査陣をも招くが、その際にかかるクラシック音楽が毎回素敵で、美しくて物憂い感じのピアノが低く流れる。レクター博士といえば映画でもバッハの「ゴルドベルグ変奏曲のアリア」が有名だが、ドラマではネットで調べてみるとバッハだけでなくモーツァルトやショパンもかかっているようだ。「この曲いいな」と思ってもクラシックに詳しくない私はタイトルに行き着けない。それで毎回とても悔しい思いをしてきた。特にシーズン2の第3話「八寸」の中の始まって37分だったか35分だったか、食事のシーンではないのだが、レクター博士やFBIの捜査官のジャックや囚われ身のウィルがそれぞれの場所で物思いに耽るシーンで流れるアンニュイなピアノ曲がとても好きでタイトルが知りたいが、いくらネットで調べてもそこまでオタッキーなものは出てこない。夫に相談するとスマホのアプリで「はなうた」というのがあって、鼻歌で歌えばその曲のタイトルを見つけて教えてくれる便利なものなのだそうだ。試しにそのシーンのテレビ画面にスマホを向けて音楽を流してみると、しばらく経って、曲のタイトルと収録されているアルバムの画像が出た! ショパンの「24の前奏曲(プレリュード)」の中の第4番ホ短調だということがわかった。わかったときはもう嬉しくて嬉しくて。早速、アマゾンでCDを検索し、試聴すると短調はどの曲もいい。購入を決めた。その際、ショパンのこの「24の前奏曲」がバッハの「平均律クラヴィーア曲集」に影響されていることを知り、YouTubeでバッハの方を聞いてみると、なんとバッハの方がより私好みだとわかり、そちらも買おうと思っている。こうやって、好みのドラマから好みの音楽へと行き着くのはとてつもない達成感がある。運命のようなものを信じたくなる。人生がたとえ壮大な暇つぶしであると分かっていてもこの深みにどっぷりハマることこそまやかしだろうと快楽なんだと、これぞまっとうな金の使い方なんだと思ってしまう。
レクター博士の部屋のしつらえも素晴らしい。特に白地に赤の太いラインのカーテンなど見る者に静かな恐怖を与える。ああ、こんなこと書いていられない、続きを見なくては。
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by zuzumiya | 2016-10-23 12:08 | わたしのお気に入り | Trackback | Comments(0)

原田知世の朝

休日でも朝は6時半には目が覚めてしまう。それは毎日の習慣でもあり、「休みだ、さて何して遊ぼう」とワクワクして寝ていられない性質は子どもの頃からである。で、最初にうるさい猫どもに餌をやる(どうして猫は人間の半睡と覚醒の区別がつくのだろう)。それから休日に朝寝をしていたい夫には申し訳ないが、7時には1階の雨戸をガラガラと開けてしまう。天気がいいのを確かめるとすぐさま洗濯機を回す。その後、私はパンを買いに出る。
家から自転車で10分程度のところに近所で評判の美味しいパン屋があり、7時半には焼きたてのクロワッサンが並ぶのである。私はまだ顔も洗っていない状態だが、ボサボサの髪をニットキャップで隠し、スエットはジーンズに履き替え、財布だけ持って自転車に飛び乗るのである(一応、園の保護者に会うことを考えての着替え)。
“休日の朝、自転車でクロワッサンを買いにいく”お洒落な感じに酔いしれてしまっている私は、だいたいいつも道を間違える。通勤の道を通ってしまうのだ。「なにも休日にここを走らなくても」「明日はもうこの道を走るのか…」ときまって暗い気分になる。
でも、今朝はいいことがあった。たまたま、あるマンホールの上を自転車で通ったのだが、一瞬だが、シャラシャラと金属を触れ合わせたようなきれいな水音がした。“休日の朝、自転車でクロワッサンを買いに行く”に何としても酔い戻りたい私は、たかが下水の流れを「水琴窟!」と感じ取った。我ながらすごい聴覚、すごい曲解である。
パン屋は早朝なのにトレイを持った客でごった返していた。今回も保護者に会うこともなく、無事、ふかふかの焼きたてクロワッサンを6つ確保できた。
帰りはコースを間違わないように意識して自転車を走らせる。間違っても水琴窟のマンホールには近づかない。あれは「あくまで水琴窟でなければならない」と酔いしれた脳が命じてくる。玄関のドアを開けると、洗濯機が「ピーッ」と絶妙なタイミングで終了の音を鳴らした。コーヒーをたてながら、洗濯物を干し、すべてを終えると私は原田知世のような笑顔で休日の朝の食卓に向かうのである。
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by zuzumiya | 2016-10-16 14:28 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

いい男がいない

最近、不思議だなぁと思うことがある。
若い頃に比べて、まわりにいいと思う男がいないのである。
10代の頃は友人と遊びに行って街を歩くたび「ねぇ、あの人、カッコよくない?」と囁きながら「指さしちゃダメっ!」などと叱られつつ、きゃあきゃあ騒いでいた楽しい記憶がある。通学の電車の中でもカッコいい人を見つけると、気になって文庫本を読み進めることができず、全然、頭に入ってこなかった。
今思えば「モテキ」というのは確かにあって、大学の頃から社会人になりたてぐらいまではこの私でも二股をかけたりできていた! 今となってはとても信じがたいが、冷静に考えれば、あれはやっぱりどんなメスでも輝いて見える「発情期」にすぎなかったんだろう。
ま、その発情期に何とか一匹のオスの目をだまくらかして結婚して、出産して子育てして成人させて、ようやく子離れできて、やれやれ、ふぅと安堵のため息をつきながらゆっくり世間を見回してみると「アレ?いい男ってこんなにいなかったっけ?」なのである。
世の中には子育て中にも浮気できる奥さんがいたり、中年になって突然好きな人ができて熟年離婚に踏みきる奥さんもいるというのに、私の目はたしかに緑内障ではあるが、いつからこんなに視野が狭く、曇ってしまったんだろう(って、緑内障は曇りません!)。
街を歩いていても、電車に乗っていても、デパートでも、エレベーターの狭い箱の中でも、いいなと思う男が見えてこない。別にこの年になってどうこうしよう、どうこうできるわけでないのに、そんな「ただ遠くから見つめて少しだけ胸躍らせる機会」にさえ恵まれないのは、何というか、人生つまらないではないか。若い頃にはできていて今できないというのは、もしかしたら「いい男」の「いい」は体の発情(女性ホルモン?)とか人生経験(人生の垢とも言える)と深く関係して変わっていってしまうものなのか。
私はこれでも自分をわかっているつもりである。51歳のオバサンが自分の息子ほどの若い男の子に「いい男ねぇ」と目を瞬かせるわけがない。親として息子のツラと比較してしまう。30代も若い。40代後半ぐらいになって「男感」が漂い出てくる。どうしても同じ年代の男を目が探す。すると残念ながら額の方が後退していたり、お腹の方が前進していたり、あるいはなんだか体全体にアイロンをかけたいくらいヨレヨレ感が出ていたりで、とても「いい」とは思えないのである。そうでない人とエレベーターかなんかで隣合わせになり、「もしも、私がこの人と結婚していたら?」と一瞬の妄想はしてみる(私はこの一人遊びをよくする)が、すぐに「やっぱりないな」と思ってしまう。かといって、自分の夫がいちばんいいとも思えないのである。「よっぽどいい男が出てくれば別だが、そうじゃないなら面倒くさいから夫でいいか」ぐらいの落ちである。
この辺が「人生の垢」で、「どんな男と一緒になっても人生、山アリ谷アリで喜びも悲しみもあるんだろうよ」と達観めいた、諦念めいた冷静さに覆われてしまう。もう一度、人生をかけて互いを知ろうと躍起になって互いの違いしか分かりえない暮らしを「そんなはずないだろ」と何度も期待をかけながらぶつかって、次第に「そういうものか」と諦めて「ま、いいか、これで」と静かに収まっていく暮らしをそんじょそこらの男とドタバタと繰り返そうとはどうしても思えないのである。疲れる。面倒である。人生もう一回繰り返せって、考えてみてよ、絶対、疲れるよ。
愛っていうのはこういう結末だって迎えてもいいのかもしれない。「よっぽどの」と言いながら実は何も待っていないくて、垢にまみれてボロボロだけど手放すにはなんだかさみしいタオルケットに包まれて、「くせぇ」だの「ボロでさみぃ」だのぼやきながら、消極的で、一度しかない人生に対して決して前向きとは言えないんだろうけど「ま、いいか、もう少し寝とくか」とゆるいナアナアのもやもやの温かさの中で手足をゆっくり伸ばしていく感じ。そんな体たらくを許される居場所が作れただけでもよかった。
でもある日、そんな私にジリジリと鳴り響いて空気を引き裂く目覚まし時計のようないい男が現れて、跳ね起きちゃう人生もないとも限らないのである。って、宮本浩次の夢か、それ(笑)。
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by zuzumiya | 2016-10-10 08:17 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

恐るべし、おばちゃんたち

身近に「こういう風に年を取りたいな」と尊敬の念や憧れのようなものを持てる年長者がいる人は幸せである。仕事で一緒に組むおばちゃんたちに私はいっつも呆れ返ってばかりである。
今日なんぞ、わざわざ賞味期限を過ぎた月餅を大事に持ってきて「生菓子じゃないからいいかと思ってサ」と笑いながら私にくれたのである。私も瞬時に今日の日付がわからず、パッと見て賞味期限が何日過ぎているのかがわからなかったのだが、なんとなーく「これは過ぎてるかも…」とは思っていた。その後、同僚に話をして見せたら、なんと5日も過ぎていることが判明し、「なんなのそれ!」と大爆笑された。ひとしきり笑った後、二人で顔を見合わせ、「賞味期限が5日も過ぎてるものを人に渡すかぁ?」と今度は深々と呆れ返った。
前日、そのおばちゃんは仕事で私の行為にひどく感動して「私、涙もろいのよ」と言いながら涙を滲ませていた。たぶん、相当うれしかったのだろうが、そのお返しの気持ちが賞味期限の5日も過ぎた月餅なのである。オイオイ。たしか貰った時「私、甘いの好きなのよ。今日は1つ食べちゃったから明日もう1つ食べようと思ってんの」とまで言っていた。ということは、さらに賞味期限が1日過ぎて6日も経ってしまうことになるが、おばちゃんは食べるつもりでいるらしかった。さらに呆れ返った。
これが私より15も年上の立派な年長者のすることだろうか。年を取ればみな、ちゃんとした常識を備えた大人になるもんだと思って生きてきたが、ここへきて「そりゃ、嘘だわな。人によるわな」という気になっている。
もうひとり仕事で組んでいるおばちゃんは0歳児を担当しているが、これがまあ動かない。動かざること山の如し、なのである。「○○ちゃん、危ないわよ。こっちおいで」と言っているだけで、自身は床にドテンと尻をついて座っているだけで全然動かない。「おいで」と誘ってこちらへ動かすその時にこそバランスを崩して床にゴツンと頭が当たるかもしれない体勢なのに、そのことに全く気づいていない。それでも何年か託児所のようなところで保育をしてきた経験と自負だけはそびえる山の如くあるらしい。たった2時間しか働かないのに、雨が降ると「頭が痛い」「腰が痛い」で保育の体制に関係なく急に休む。特に台風は決まって休む。おそらく雪の日も休むだろう。意味もなく子どもを抱き(すなわち遊べるものを遊ばせないで)その結果、寝かせてしまう(寝落ち!)。おそらくそれは一人を抱いていれば両手がふさがっているとして他の子の面倒を見なくても済むとでも勝手に思い込んでいるのだろう。担任や私が歌を歌っても一緒になって歌わない。立ち上がって遊戯をしても参加せずにただ座って手を叩いて見ている。絵本の読み聞かせ中なのに保育と関係ない話(私語)をまわりに話しかける。「ふふん」と常に何の歌だかわからないが鼻歌を歌いながら浮かれ調子で、両手がカラなのに子どもを引き寄せて遊んだり、膝に乗せてあやしたりせずに、とりあえずただにこにこ笑って座ってしまう。その真向かいに私がいて、よだれを垂らして笑いながらはいはいで突進してくる赤ん坊3人に今まさに肩に肘に背中に手をかけられ、つかまり立ちをされていくぞっていうのに、「あら、みんな先生が好きなのね。先生のところにみんな行っちゃった」だと。笑ってねえで、一人受け取れよ。何しに来てるんだよ、仕事しろよ、なのである。
極めつけは、4月からそのおばちゃんは働いているのに(私は5月)、いまだに懐かない子がいて、その子が延長の時にはオムツ替えをわざわざ2歳児クラスにいる私のところまで「やって」と頼みに来るのである。たった2時間とはいえ毎日来ているくせに、半年も経つというのに、まだ子どもに毛嫌いされているというのはどうかと思う。0歳児とはいえ、懸命にあやして、懸命に表情を作って、懸命に遊んであげないと子どもは懐かないものなのである。だから、懐かないというのは保育士としてちゃんと仕事をしていない、努力していないということになる。その上、内線電話が鳴ってもただ座っているだけなのに、これがまた取らないのだ。子どもに絵本を読み聞かせている私に向かって「2歳児の名前がわからないから、先生取って」だってよ。おめえはオウム返しもできないのかよ。
とまあ、思い出すと腹が立ってくるのでこの辺でやめるが、私の周りにいる年長者のおばちゃんには呆れ返ることばかりで、残念ながら尊敬だの憧れだのはこれっぽっちも芽生えた試しがない。ただ、先の月餅おばちゃんはもう少しで勤続20年をむかえるという。20年というのは普通なら大いに尊敬に値する。でも、賞味期限を5日過ぎたものを平気で人に渡す鈍感さや6日目に喰らいつける、喰らいつくことを笑って公言できる図太い神経の持ち主だからこそと思えば、20年という数字も地に落ちる。その長さにただ呆れ返ってしまうのである。
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by zuzumiya | 2016-10-08 04:41 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

大人のつきあい

真夜中、ふと目を覚ますと、かすかにメロディが聞こえてくる。息子の部屋からだ。
ドリカムの「LOVELOVELOVE」だ。モゴモゴと台詞らしき声も聞こえる。
ドラマ「愛していると言ってくれ」を見始めたようだ。
母がすすめた作品をどれどれと見てくれる、そんなちょっとのことがうれしい。
「お前にこの良さがわかるかな」という年長者のエラソーな気持ちとわかって「うん、イイと共感してもらいたい」期待の気持ちと両方が膨らんでベッドの中でほくそ笑む。それは親子というより、人対人の大人のつきあいができるようになったという証。成長したんだな、としみじみ実感できる瞬間。








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by zuzumiya | 2016-10-03 22:36 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

私のイライラ・落ち込み撃退法

イライラしたり、失敗して落ち込んだりした時に自分をどう立て直すか。
私の場合はスーパーへ行って好きな食べ物を買い、腹いっぱい食べる。そして眠たくなったら即、寝る。それに尽きる。
先日、スーパーで自転車をとめていたのがたまたま宝くじ売り場の横だった。看板の「オータムジャンボ5億円」の文字が目に入った。で、気分を変えるために買ったかというと、私は買わない。くじ運がないことがわかっているので今まで宝くじを買ったことがないのである。恥ずかしながら、買い方だって知らない。でも、この宝くじで5億当てる人が確実にいるのである。「人生ひっくり返っちゃうだろうな」などと想像する。何とかジャンボなる宝くじはいっぱいあって、年中誰かしっかが大金を当てていて、そう考えると世の中億万長者だらけじゃないか、と思ったりする。
で、妄想が始まるのである。5億あったらどうするか…。
まず私は「5億なんていらないよ」と慎ましやかに思うのである。「そこまで欲はかきません」と一応遠慮する。「でも、当たっちゃったんならしょうがないか」とすこぶる鷹揚な気分で思考を進める。で、肝心の金の分配が始まる。「1億は娘にやろう。1億ありゃ、マンションだって戸建だってローン組まずに買えるよな」。今住んでいる家はゆくゆくは息子にやるつもりなので「この際、あいつが欲しがってた車庫付きの家にどーんと建て直すか」となり、おっと名義が母なのを思い出し、「ハワイ旅行でも連れていって親孝行してやらなきゃな」と進み、「いやいやヨーロッパだろ」となり、「長野の両親も連れてかなきゃな」と申し訳なく思い、さらには「お義兄ちゃんからの借金を倍返しできるな」と過去の悪事の精算へ移っていく。所ジョージが宝くじのCMで「金があれば世の中の面倒なことのだいだいが片がつく」みたいなことを言っていて、そのとおりだと当時も思ったが、今ものすごく実感している。で、七福神の乗った宝船の船長にでもなった気分の私は更に思うのである。「今まで世話になった園に100万ずつ寄付しよう」。所詮は棚ぼたの金である。宝くじは買ったことがないのに気持ちの上で昔から「もし当たったら、寄付はしますからね」と誓ってきた。「だから、神様、私に当ててね」とも添えたが。
で、自分ら夫婦はどうするか。「金を渡して離婚するか。老後が困らないほどの金があるなら夫婦別れずバリアフリーのマンションにでも引っ越すか」。これが不思議と大金を持っていると離婚には傾かないのである。小金じゃダメなのである。大金だと所ジョージっぽく「まあ、いっか」と相手への不満も憎しみも精算できるようである。なんだかすべて金で片がついて、すべてがまあるく収まって、気づくと自転車をこぎながらニンマリしている。腹を満たす前なのに。
で、思った。イライラしたり落ち込んだりしたら、とりあえずスーパーへ向かう、は変わらない。が、自転車は必ず宝くじ売り場の真横につける。ウン、これで決まりである。
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by zuzumiya | 2016-10-01 10:36 | ちっちゃい器で生きていく | Trackback | Comments(0)

言葉を持つもの、持たないもの

随筆家、岡部伊都子さんの言葉に「花は、真剣に生きている」というのがある。「自分も花に劣らぬよう、いっしんに生きようと願う」と続くのだが、実に岡部さんらしい生真面目さと誠実さに溢れている言葉だ。
世の中に言葉を持たない生き物がいることは、言葉を持つ私たち人間が彼らと向き合う時に思わず口をついて出る言葉こそ、ほんとうのありのままの自分であると知らせるためなのだと思った。
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by zuzumiya | 2016-10-01 08:38 | 降ってきたコトバたち | Trackback | Comments(0)


ふだんの暮らしに息づいているたいせつなもの、見つめてみませんか?


by zuzumiya

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