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続フレンドリーな猫

昨日、ついに凄い事が起こった。
私は性懲りもなくベランダのケージに猫を入れていた。だって、馬の額にぶら下げた人参みたいに部屋からケージは見えてるし、ゆえに外へ出たがるし、出してやれるのは週末しかないからである。で、ケージに入れてやった。私はベッドに寝っ転がって本を読みつつ、時々は横を向いて猫の様子を見ていた。が、あろうことかウトウトしてしまった。気づいたら、カラスの声がした。「いかんいかん」と顔を向けると例の電線に1羽見えた。「来たな」と枕から頭を上げたらもう1羽が見えた。「つがいか?」と思って体を起こしたら、なんと電線に点々とカラスがとまっていた。数えると15羽もいた。「いつの間にこんなに」と恐ろしくなった。最初に見えたカラスがボスみたいでひときわ大きな声で鳴き、周りがそれに呼応して鳴く。急いでベッドから飛び起きて窓に駆け寄ると同時に2羽がバサバサッと羽音を立ててベランダ近くまで飛んできた。怖い。完全に襲うつもりだ。 猫を見ると別段怖がる様子もなく、興味ぶかげにカラスの方を見ている。丸めた茶色い尻が野うさぎのようで情けない。本能的に恐怖を感じないとはやっぱりうすらトンカチなのか。網戸をガラリと開けて人間が此処にいるぞと両手をあげてアピールしたが、気の弱いやつが3羽ほど飛び立っただけで残りは電線にいるふてぶてしさだ。そんな状況でもバカ猫はケージから出たくないと両足を踏ん張ったが、剥ぎ取るようにして部屋にいれた。それ以後もカラスは我が家の付近にいて、カアカア声を立てて鳴いている。本格的に見つかってしまった感がある。






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by zuzumiya | 2016-08-28 10:33 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

なんだか、お掃除したてのいい香り

a0158124_166250.jpgできれば、いい匂いのする部屋にいたい。猫が2匹いるので余計にそう思う。
空気が乾燥する冬はデフューザーにオイルを垂らしたアロマをその日の気分で楽しむ。
夏の今は蚊取り線香の流れを汲んで、お香なのである。
引越しでミニ仏壇を押入れにしまいこんでしまった。ぴったりの置き場がなかったというのもあるが「そもそも仏壇などなくてもいいのではないか」という気になった。本物のお位牌は母の家のでーんとした仏壇にあり、母によると私の家のミニ版はどうもニセモノらしい。ならば「いらぬ」と決めたが、仏壇を捨てるに捨てられず、ハンマー振り上げてやたら解体もできず、とりあえず、ということで押入れの奥にいて頂いている。
仏壇などなくとも洒落た小ぶりの写真立てに祖父母の写真や父の写真(ほんとうは父の生死はわからないのだが)を入れて本棚に置き、一輪ざしで楚々と花を飾り、先日買った和紙でできた可愛いお地蔵さんも置いて(保育士なので)毎朝、手を合わせている。ただ本棚なので、丈のあるお線香があげられない。で、お線香のかわりにお香というわけである。
今日は主任の手違いでたまたま有給休暇がとれた。マジよ。それならばと眼科の後に、かねてから欲しかったお香を買いに行った。
株)大香というところから出ている“りらく”のシリーズ。皆さん、ご存知か?コルクの蓋の細い瓶に6センチ程度のお香が15本入っている。値段は540円とお手頃なのである。香りはすずらん、すみれ、りんどう、らべんだー、ばら、ひのき、沈香、白檀、みんと、緑茶、ざくろ、じゃすみん、あじさい、すいれん、きんもくせい、さくら、しらうめ、ゆずの18種類もある(そうだ)。お香はアロマと違って、いぶすと結構きつく香りが出るので慎重に選ぶ必要がある。人によっては頭痛になるほどである。迷ったのがすずらん、りんどう、じゃすみん、みんとだったが、一番のお気に入りの上品で優しいがしっかり存在感のある香り、すずらんは売り切れだった。猫の匂いが強いのでイチかバチか“みんと”なんぞを購入して帰る。
早速、家でたくと、台風後の大風に乗って爽やかに匂い立った。
掃除もしていないのに部屋中の拭き掃除を今しがた終えたような清々しさが満ちた。これはいい。すごくいい。しかし、香りだしてから猫が2匹とも姿をくらましたが大丈夫か?
みんと、大いに気に入ったゾ。店主によると週末にはすずらんが入荷するという。楽しみが増えた。
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by zuzumiya | 2016-08-23 16:09 | わたしのお気に入り | Trackback | Comments(0)

働くゾンビ

年をとって私に残っている欲は食欲だけになった。
知識欲なんてものはもともと少ない。好きなこと、興味のあることにしか湧かないし、そんなに長く続くものでもない。性欲は所詮、相手がいないと収拾つかないものなのでしぜん諦めもつく。食欲だけが誰に迷惑かけるじゃなし他人を要せず自分で解決できる問題なので健康ならば最後まで残る。ふだんは死んでるくせに生きてる人間がそばに寄っただけで食欲に突き動かされて襲うゾンビがどうにも今の自分に重なって感慨深いものがある。
私にとって、生きててうれしいなと実感できるのは美味しいもの、いや、自分の好きなものに無我夢中でむしゃぶりついているその時である。
我が家は夫と私と息子の三人家族だが、みな仕事を持っているので夕食は週末以外はそれぞれ自分勝手に食べることになっている。その日の腹具合、懐具合で好きなものを自分で買ってきたり、外食したりする。当初、このシステムを導入する際は主婦として家事は免れるにしても、家族じゃなくなるみたいでちょっと寂しい気持ちになったが、慣れた今ではウハウハである。だって、毎日、家族のことを気にせずに、誰にも気兼ねせずに、自分の好きなものを好きなだけ食べられるのだから。
仕事が終わって夕暮れの町に自転車をこぎ出す時、「ああ、今夜は何にしよう」としみじみうれしく思う。隣で自転車をこぐ同僚はたとえ同じセリフが浮かんでいても、きっとそれは憂鬱な問いである。ストレスである。主婦として家族の栄養・健康問題を一手に引き受ける責任から免れてマズいかなと思わないでもないが、自分ひとりで好きなものが好きなだけ食べられる自由にかなうわけがない。瞬時に忘れる。「みんな一人前の大人なんだから、自分の健康は自分で守れ、ばかものよ!」と茨木のり子になってしまう。そうやってますます食欲に支配される私ができあがっていく。
ちなみに今夜のメニューは、とうもろこし2本(結局1本しか食べられなかったが)、ステーキと迷ったが半額に惹かれてローストビーフ1パック、きゅうりの浅漬け3本、いんげん1パック、オランジーナ1本、8分の1に切った西瓜であった。ごはんは食べない。野菜中心だが結構な量だと自覚はしている。でも、ぜんぶひとりで食べた。そしてその食べ方も自分ひとりだと大雑把になる。かねてからやってみたかったのだが、浅漬けきゅうりをまな板でチマチマ切らずに1本丸ごとにしてかぶりつくのである。うれしくて台所でニタニタ笑ってしまった。河童になってもいいとさえ思った。大好きないんげんも茹でた山盛りを家族に気兼ねなくぜーんぶ平らげた。とうもろこしも茹でるたびに「2本食べたいな」と腹の中で思ってきたが、1本で我慢しているので今日は自分用に2本買ってみたのだが、いんげんときゅうりにやられて食べられなかった。皿の上に残ったツヤツヤのとうもろこしを見て、さすがの私も「欲かいたな」と思った。しかし、反省はない。
自分で稼いだ金で自分の好きなものを好きなだけ買って食べることをして、アホな私はようやく「食べるために働く」が心の底からわかった。「好きなものを好きなだけ食べるために、働こう」と頭の回路が切り替わってからはストレスや悩みがあってもなんだか長続きしなくなった。皆さん、そういうものよ。時々、うまいものを頬張っている時なんかは世の亭主族が「誰のおかげでメシが喰えてると思ってるんだ」と怒鳴る気持ちもわかる。自分の稼いだ金で自分の好きなものも買えずに家族を優先して辛抱する苦労は大変なものだろう。今日は肉の気分なのに刺身がいいと家族に言われた時の辛抱に重なる。でも同時に「誰のおかげで札びらがメシになって食卓に並ぶと思ってんのよ」と怒鳴りたい奥さんの気持ちもよーくわかるのである。難しいね。
話が逸れた。最後のシメの西瓜は食後のひと眠り(いつも食べたら牛のようにダウンしてしまう)の後に「あ、そういえば西瓜が買ってあった」とはね起きて、台所へいそいそと下りていって食べた。大胆な私は流しの上で8分の1の西瓜にそのままガブッとかぶりついた。食べづらい。「結局、これが食べやすいのか」と端から切って食べては流しに種を吐き飛ばす。自分の働いた金で買ったのに、夜の台所でひとりジュバジュバいわせて西瓜にかぶりついていると、なんだか後ろめたい気分になるなとか、昔、小学校の給食で出た西瓜を皮の際まで食べてた男子が貧乏たらしくて嫌だったな、などと思い出していた。すると2階に帰宅している息子の存在が頭を過ぎった。息子にやるか、それともこのままぜんぶ自分で食べるか。一瞬、迷ったが、真ん中のいいところを2切れ皿に置いて2階へ持っていった。これが夫だったら迷わず食べる。母親は息子に弱いのだ。コンコン。「西瓜、食う?」パソコンの画面を見ていた息子がチラッとこっちを見て「いいよ、食べて」。なんだよ、と思いながら、でも、ヤッター!うれしい。ドスドス階段を下りて、厚く切った真ん中のいいところにかぶりつく。何かに許された気分は西瓜をさらに甘くした。スーパーの袋に皮をいれて夫に見つからないようにサッサとゴミ箱に捨てる。自費といえども西瓜が1切れも残ってないのを夫が見たらいい気はしまい。
いやァ、それにしてもよく食べた。そして幸せだった。食欲にバンザイ!なのである。
年に1度の海外旅行に行く贅沢よりも私は日々の暮らしのささやかな喜びを選ぶ。とはいえ、実はそっちの方が金がかかることもうっすら気づいている。
働こう。私には欲がある。
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by zuzumiya | 2016-08-20 07:13 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

鏡を見る

台所でアイスキャンディーを舐めていたら、夫がのっそり出てきて言った。
「俺、頭にガムテープ付いてた。ガムテープ付いてるの気づかないで買い物行ってた」
「え?マジ?」
「やっぱり、鏡見る習慣ないからかなあ」と夫。
「ガムテープなんて、いつどこで付いたの?何色?まさか茶色の?それとも透明な養生テープ?」
「透明な養生のほう。たぶん、冷蔵庫の上から落っこちたやつ」
「猫の罠に置いといたの?」
「そう」
「ベロンと長いやつを頭から垂らしてたの?」
「ううん、短かったから気付かなかった」
夫は何処へでも上りたがる猫のために養生テープをハエ取り紙のように裏返しにして罠のようにあちこちに仕掛けている。猫でも犬でも実は生温かい毛を触りたいだけでほんとうは生き物は好きじゃない。特に言うことをきかない猫なんぞは可愛げがないと餌代も出さない。まったくの自分の気まぐれで触りたがるので猫の方はめったに寄り付かない。私は世話好きでメダカでも猫でも植木でも、子育てが終わったというのに保育士として他人の子まで面倒見ているというのに。それで朝の4時に猫が毛玉を吐くのにえづいたら、ちゃんと飛び起きてビニール手袋と消毒スプレーでもって対処してやるし、どうして此処にと首を傾げるほど猫砂のトイレから外れた所にうんこがコロンとしてあっても怒らずに片付けてやる。だから、夫は天罰が下ったんだと腹の中では思っていた。
「でも、この間も俺、襟の所にMサイズのタグつけたまま会社行ってて、しばらく誰も教えてくれなくて、電通映画社だった奴が付いてますよって教えてくれて。何で教えてくれないのかねえと言ったら、此処はそういう会社ですよだってさ」と夫。
ハハハと笑って、「鏡ぐらい見なよ」と私は言った。でも、そうは言っておきながら、私は夫の出がけに「行ってらっしゃい」と言いに出て行くことはあるが、そのようにしようと朝努力はしているが、きちんと夫の身なりを頭のてっぺんから爪先まで見ていないことに気づいた。あれは遠回しに「妻なんだから夫をもっとちゃんと見るべきだ」と言っているのだろうか。まさか、私の責任だと?
私は日に何度か鏡を見てる。意識しているわけではないが、考えてみると見てる。
それでもって鏡の前で最後に笑っている。こう書くとうす気味悪いが思い出すとそうである。でも、そんなことは夫には言えなかった。




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by zuzumiya | 2016-08-14 18:11 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

穴を掘る私

暮らしの中でささやかでも心打つ美しいもの、素敵な事柄を拾い集めたいと清らかな心掛けで始めたブログであった。だが、どうだ。年をとるごとに心掛けとは正反対の愚痴や悪口ばかりを書いている。もともと面と向かって他人にバンっと意見を言えない弱気な人間である。昔、編集者に「自己評価が低すぎますね」と冷たく言われたこともある。ほんとうだ。ずっとふらふら生きてきたから、他人に何かを言えるほど自分に自信がないのである。でも、腹の中ではいろいろと考えに考えているのだ。最初は“王様の耳はロバの耳”の話のように、地面に穴を掘ってその中に私は喋っているつもりだった。でも、ひょんなことから暗い穴は水道管のように四方八方に繋がっていることがわかってびっくりした。ネットは穴ではなかったのだ。当たり前だが。でもきっと、今だに多くの人がネットは自分一人が掘った何処にも通じていない暗い穴だと思っている。じゃなきゃ、あんなにいろいろブチまけない。私は言うべき人に言うべきことを言うべき時にきちんと言えないから、仕方がないから穴に吐いてきた。きれいな心掛けでいなきゃと思いつつ、体面や見栄ばかりじゃなくそういうエッセイや文章がほんとに好きなんだよと思いつつ、弱さに負けて全く反対の素敵じゃないことを書いてきた。でも、どこかでこれが人間的なんだよと知りながら。
で、前置き(言い訳)が長すぎた。わけがわからなくなる前に書いておこう。うちの斜向かいの家のオヤジが毎朝、5時頃にシャワーを浴びる。朝早いのはまあ、いいだろう。私も早い。嫌なのは必ず大きな咳をして必ずガラガラと痰をからませるのである。それも何回もだ。腹の底から、いや肺の底から、いや気管の壁のヘリから身体全体を震わせて粘りつく痰を「ガラガラぺッ」と剥ぎ取り吐き出している感じで、私はそのやけくそとも思える力強い咳が大嫌いなのである。なぜだかその度に「ああ、今出たな」と吐き出された痰のことが浮かんでしまう。水に流しているのか、ティッシュに取っているのかまで考えてしまう。気持ちが悪い。そして、奥さんや家族のことを思いやる。ああいう男の、ちょっと野卑な、ああいう咳にいつものことと慣れてしまっているのだろうか、と。私は絶対、慣れないな、と。たぶん、うちの風鈴がうるさいと言ってきたのはあの家である。たしかに大風の日に風鈴をぶら下げっぱなしにしていたのは悪かった。だが、あんたの家の亭主の咳も耳障りなもんだよと言ってやりたいが、言えないので今日も穴を掘ったしだいである。私は何処へ向かうのだろうか。









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by zuzumiya | 2016-08-14 09:35 | ちっちゃい器で生きていく | Trackback | Comments(0)

発見

夫がテレビでオリンピックを見ながらつぶやいた。
「どうして卓球選手のガッツポーズって、あんなにちっちゃいんだ?」
脇をギュッと閉め、背中を丸めて「小さく『ヨッシャ』っていう感じだろ?」
笑ってしまった。そういえばそうだ。大きくバンザイして喜ぶ姿なんて見たことがない。私は考えた。
「闘うフィールドがちっちゃいからなんじゃない?サッカー選手なんて走り回った末に股間に手をやってバカみたいに踊り出すもんね」
「そっか。畳一畳ぐらいのとこで闘ってるからか」

なんだかんだ言ってもこういう会話ができる相手だから、私は夫と離婚に至らないのだ。





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by zuzumiya | 2016-08-14 01:12 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

フレンドリーな猫

引っ越してすぐにやたらカラスの多いことに気がついた。もともと農家が多く畑や昔からの巨木が悠々と立ち繁っている地域で、まるで鬼太郎の家の近所みたいだ。たぶん、同じ市内でもカラスのねぐらに引っ越して来てしまったんだろう。
で、今日は猫の話である。うちの猫は外を眺めては、家々の屋根や電線にとまっている鳥という鳥に、雀でも鳩でもカラスでも「カッカッカッ」と変なふうにわざと声を作って短く鳴いて、まるで話しかけているようなのである。凄いぞと思っていたが、ある時ネットで猫というものがみんなそうすることが分かってガックリきた。馬鹿親みたいに自慢しないでよかった。朝っぱらから「カッカッカッ」という声に起こされて「どれどれ」と窓を覗くと、うんと遠くの電線にひっそり小さく鳥影があって、あんなものに必死に声を発していたのかと思うと健気になった。飼い主に似て、フレンドリーなのである。
この夏、3年ぶりに猫を洗うことに決めた。それでベランダに2段の棚板があるケージを買った。何とか洗い終わってもドライヤーで乾かしたら飛び上がってそれこそ心臓麻痺で死んでしまうだろうから、天日干しにするのである。さぞや体からドス黒い水が流れ出るだろうと思ったが、案外きれいだった。猫の舌の洗浄力はアタックよりも凄いのだ。
で、ケージに入れると夏の熱風ですぐに乾いた。居心地がいいので気に入ったらしく、それからは朝早くの日差しが強くなる前と夕暮れ時に入れてやるとのんびり棚板に横になり、外を眺めている。ときどき「カッカッカッ」と鳴いては、無駄なのに鳥たちに一方的に話しかけているようだ。
先日、洗濯物を干していると猫が鳴きだしたので、見るとそう遠くもない電線にカラスがいた。おお!と思った。すると、突然「カアアー」と鳴きはじめた。そして、それにつられて遠くから幾羽もの仲間の声がした。なんとなく何かを伝え合っている感じがした。
しばらくして「バサバサッ」と羽音がしてカラスが飛び立ち、私も猫も同時に空を見上げた。「行っちゃったね」と暢気に笑って猫に話しかけていたら、ややあって頭上からひときわ大きく「カアアア~」と声がした。どうやらうちの屋根のどこかにいるらしい。
瞬間、すべてがわかった。狙われている。怖くなって、ケージから猫をすぐさま出した。おそらくカラスは猫が逃げられない檻に入れられているのを知って、仲間と共謀して襲おうとしたのではないか。最初の「カアアー」は「あんなところに猫がいるぜ。いっちょ、みんなでからかってやろうぜ」だったに違いない。うちの屋根にとまって「ここだよ、ここにいるぜ」と知らせたのだ。ったく、今書いていても、屋根で羽を広げて踊ってみせるカラスの姿が想像できて頭にくる。悔しい。うちの猫は邪心のかけらもなく、ただただフレンドリーなだけだったのになんという悪意か。
それ以来、カラスどもには用心している。飼い主の心知らずで今朝もカラスに「カッカッカッ」とフレンドリー光線を送っている我が猫を情けない、と思う。間抜けとはこのことだ。
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by zuzumiya | 2016-08-13 11:16 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

女と男の更年期

もともと汗かきだったけど…とワンクッション置いてから、女たちは更年期という言葉を出す。顔中から噴き出す物凄い量の汗をいろいろ差し引いたとしても、ただならぬものとして心底ビックリしているのだ。自分も含めて。
連日、凄まじい暑さである。夏が好きだとほざいた自分を「お前はバカか」と蹴り飛ばしてやりたい。夏場の保育は地獄だ。ちょっと掃除をしただけで額から顎から尋常じゃない汗がしたたり落ちて首に巻いたタオルはすぐにビショビショになる。水遊び前から既に下着のパンツは濡れて用をたした後も素直に上がらない。そんな状態で冷房なんてされたもんなら、今度は急速に冷えて寒気を帯びてくる。風邪をひいた。それに懲りて最近は度たび着替えさせて貰っている。私以外の先生方はみな、炎天下のプールであっても、なぜか化粧も乱れず澄まし顏のように見える。たしかに異常気象の夏だが、そこへ更年期が重なれば“歩く熱帯雨林”のような気持ちになってくる。
先日、テレビで男にも更年期があることを知った。ネチネチと怒りっぽくなるらしい。まさにうちの夫である。今もリオのオリンピックのバレーボール戦を見てはテレビに向かってひとり怒っている。私が買ったソファに踏ん反り返って、私の母がくれた100万以上もする80型の巨大テレビを見ながら、日の丸を背負って必死に戦っている選手の失敗に「何やってんだ、バカ!」を連発している。いいご身分である。こういう姿を見るたび、げんなりする。石原裕次郎の妻が入院中の夫にしたように「私はこの男の糞を我が手で掴めるか」と思う。そして、ややあって、哀れさに辿り着く。仕事や社会ではあんなに踏ん反り返っていいように人を罵ることなどできないのだな、家の中の、しかも借り物の中に囲まれてでしか威張れないのだな、ウサを晴らせないのだな、と思い至って、そんな男の情けなさも切なさもひっくるめて哀れな情が出てしまうのだ。女の包容力とはこの“男を遠くから眺める時に漏れ出る哀れみ”なのではないか、とさえ感じてしまう。そんな古女房の心のため息など知る由もなく、監督以上に監督ぶって鼻息を荒げている夫である。私の汗もぶざまだが、あの姿も相当なものなのに。



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by zuzumiya | 2016-08-11 13:11 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)


ふだんの暮らしに息づいているたいせつなもの、見つめてみませんか?


by zuzumiya

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