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頑張ってみること

頑張っていればいいことがある、と思うようにしている。
実際、その通りになることは多い。
というか、たぶん、言葉に引っ張られて、何気ないことも“いいこと”に感じられることが多くなるみたいだ。そういう心持ちになれることが、何よりいい。
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by zuzumiya | 2016-06-27 21:56 | 降ってきたコトバたち | Trackback | Comments(0)

素敵なメロディ

最近はブルーハーツを聞きながら、一緒に口ずさむ。
お気に入りは「手紙」。とても素敵なメロディだと思う。
今日は娘の店を手伝うので、カラオケで歌ってみようと思っている。
いつか宮本さんにも歌ってもらえたらいいな。
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by zuzumiya | 2016-06-24 13:08 | わたしのお気に入り | Trackback | Comments(0)

ああ、ブルーハーツのラブソング

ブルーハーツの、夕暮れ、泣かないで恋人よ、ラブレター、君のため、ロマンチックなんかを聞くとあたたかい気持ちになって、いつの間にか元気が出てる。
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by zuzumiya | 2016-06-23 22:52 | ちっちゃい器で生きていく | Trackback | Comments(0)

夢で逢えたら

誕生日だったか、と寝床で気づく。
夢でもし逢えたら素敵なことね、と歌詞をつぶやいた。可愛らしくて健気な言葉たち。
そしたら本当に夢に見たけど、翌朝、すぐに忘れてしまった。

あなたもきっと、自分が50歳になったなんて信じられないことでしょう。
もう50。まだ50。この10年、と言える最後の年のような気がします。
心からおめでとう。誕生日、おめでとう。
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by zuzumiya | 2016-06-13 13:51 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

待ち遠しい雨の日

関東もいよいよ入梅。雨の日は運動がてら職場まで歩くようにしています。散歩の気分でちょっと遠回りをして帰ってきた日のこと。ビニールハウスの並ぶ入口に小屋を見つけ、覗くと切り花がバケツに入って売られていました。ひと束200円。バケツには花の名前を書いた紙も貼られています。ピンクや青、紫や黄色の小花がたくさんついた花には「スターチス」、薄紫の釣り鐘のような形のついた花には「カンパニュラ」と書かれています。売られていたのが野菜ではなく花だったことに感激して、今日はいい日になったと喜びました。どちらにしようか迷った挙句、色とりどりの「スターチス」の方を選んで木箱にお金を入れて帰りました。早速、大小の花瓶を揃え、ひとつは玄関にひとつは食堂に飾りました。花を飾ると部屋は清々しく、心は幸福な気分になります。そろそろまた小屋を覗きにいきたいところですが、それは雨の日だけの歩く楽しみとしてとっておいた方がいいでしょう。今度はどんな花が出ているかしら。
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by zuzumiya | 2016-06-12 15:45 | 日々のことづけ | Trackback | Comments(0)

サービスって何だろう

最近のスーパーではセルフレジを置くところが増えてきました。近所のスーパーにも導入されていますが、よくわからない機械と一人で格闘するより、従来通り店員さんにやってもらった方が安心なのか、無人機は何台も空いているのに店員さんのいる方に長蛇の列ができています。先日、午前中のすいている時間帯にスーパーに行く用がありました。いつも通り、店員さんのいるレジに並びました。私よりやや年配の女性でしたが、ベテランさんなのか慣れた手つきで次々と商品をレジに通していきます。その素早い動きと全身から漂う真剣なオーラは、早く正確にお客さんをさばくことに日々挑戦しているんだなと思わせました。仕上げの一打を打ってぴしゃりと「3013円です」と言われました。財布の中で小銭を探すのにもたついた私は彼女の「早くして」と言いたげな視線に急かされ、私の他に並んでいる人などいないのに焦る気持ちになりました。そして、これはおかしな話だぞと思いました。作業がどんなに迅速で素晴らしくても、お客さんに同じ流れを要求する空気を体から醸し出してしまっては、よいサービスとは言えません。彼女はレジ打ちの技術は優秀でも、最後のところでサービスマスターではありませんでした。多くのお客さんが無人機の機械より人の手を好み、並んでまで待つというのを思うと、とても残念なことです。
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by zuzumiya | 2016-06-11 22:04 | 日々のことづけ | Trackback | Comments(0)

「郷に入っては郷に従え」

同僚の言葉に頭では分かっていても、気持ちの方がまだ付いていかずに悶々と日々を送っている。パートとしての立場の違いも今の園の保育のしかたも「なんだかなぁ」というあやふやな気持ちでいるから、事故を2件見てしまった。
1歳児がその場でぐるぐる回転していた。膝に子どもを乗せていたので「危ないよ」と声はかけたが、立ち上がることはなく何となく見守ってしまっていた。前の園で「ぐるぐるにゃっこ」だかわらべうたを歌いながら子どものその場まわりの遊びを容認していたため(本当は危なっかしいので好きではなかったが)、やめさせずに見守ってしまったのだった。だが、運悪くその後ドッシーンと正面衝突した。一人がすぐさま泣き出した。怪我はなかったがしばらくたってもグズグズ言っている子に担任のリーダーが「この子はなんで泣いているの?」と声を張り上げた。残った2人の若い担任からは何も声が出てこない。つまり、担任は3人もいるのに誰ひとり見ていなかったのだ。知らんぷりもできず声をあげたが、不覚にもぶつかったことは言えても、後ろ向きになっていた相手の子どもの名前が「○○くんだったっけかな…」とあやふやになってしまった。ちょっと苦手なタイプのリーダーの、見ていなかったことを責めるような強い口ぶりに少しひるんでしまったのもある。私のはっきりしない口ぶりに皆の前で「相手が誰だかはっきりしないと困るんだけど…」とさらに追い討ちをかけられた。見ていなかったくせにいちばん若い担任までもが同調した。残念だがその通りだ。でも、内心、担任のくせに見ていなかったあなた方はどうなの?という気持ちにもなった。
これまでクラスには入ってきたが担任の保育の仕方がなじめず、出ている遊具のお粗末さ(考えなさ)やそれゆえ子どもの遊べない姿に途方にくれていたというのが今回の下地になっている。それから、安全対策や部屋づくりについても疑問があった。食事の支度や掃除のために部屋の中央に柵(木製ではなく、強化プラスティック製?のもの)を使って子どもたちが入ってこれないようにしているが、どういうつもりか担任が見ているはずなのに毎回2、3人は出てきてしまう。柵が柵として機能していない。掃除機や机を運んでいるときにその中途半端さがとても迷惑だ。使い終わった柵は部屋の隅にくねくねと曲げて置いているようだが、その迷路のようになったくねくねの中にも子どもが入っていく。「先生、ここに子どもが入ってもいいんですか?」と尋ねると「ダメといっても入っていくから」と苦笑いする。「先生、この柵は倒れないんですか?」には「倒れます。でも、少しふくらませて空間を作っておけば大丈夫みたい」唖然とした。そういう危険がわかっているのに取り除かずにそこで私たちパートにも保育しろというのかという気になった。それならば、常に子ども見として柵前に大人が一人取られてしまう。
その後、やっぱり事故は起こった。子ども2人が柵に入ったまま、寄りかかった重みで柵が倒れてしまったのだ。怪我はなかったが、園長が飛んできた。「先生の大きな声でびっくりしちゃったのよねぇ」と泣いている子に担任は無事故を知らせるような声をかけていたが、大事はなかったことで何のおとがめもなく、そのまま柵問題は放っておかれた。
安全対策ではもう一つ、空のかごで事故が起きた。登園してきた際の荷物を入れるロッカーがないので、大きな洗濯かごにかばんを入れておくシステムらしいが、降園準備でかばんを移動した後にかごが空になったまま、子どもたちの手の届くところに置いてある。子どもたちが何度か触ろうとして、その都度担任が注意をしている。そんな声を前に聞いたことがあった。先日、私は件の柵の中に子どもが入っていたので、子どもを見ながら柵を押さえるようにして座っていた。気づくと離れた先に一人の子どもが洗濯かごをいじっていて、アッと思った瞬間、かごが倒れ縁が顔に当たって泣き出した。見つけたのと同時に事故が起きてしまった。後ろ姿だったのであの位置だと額にでも当たったんだろうと思ったが、実際は担任によると目の縁が切れたという。危なかった。
クラスには2人の若い担任と私を含めたパートが2人。充分な大人の頭数はいたが、私以外はまた誰も見ていなかった。今回の場合もなぜか私が“発見者”となった。発見者であって“ぼうっと見ていた”わけではないので責められることはなかったのだが、その場の空気が発見者の私の証言頼りになっていく。私としては見ていたわけでなく、見つけたのと同時に事故なのだが、見ていたのに止められなかったかのような空気が流れ始めた。担任が報告に行ったのですぐさま園長が飛んできた。私の状況説明と苦言で意を決したらしい。「昨日も柵が倒れたでしょ。倒れるなら、調乳室にでも入れておいたらいいじゃない」「それからかごだって、『いけない』と言ってもやるのなら、どこか別の場所に置くしかないでしょう」園長の鶴のひと声で若い担任がサッと動いて柵も洗濯かごも片付けた。スペースがないない言っているが、実は片付けられるのである。
いくらパートとはいえ、事故を発見するわりに止められなかったという保育者としての負い目は誰に責められなくてもここ数日、私を暗い気持ちにしている。パートである(しかも日中、長くいるパートではない)という立場の中途半端さによって、保育にどこまで関わっていくべきかわからないでいる。前の園はどちらかというと保育自体にパートは関わってほしくない、担任が全責任を負えというスタンスだった。でも、今の園はパートの数も多く、その分、パートに雑用だけでなく子ども見もお願いするスタンスなんだろうが、パートが入れ替わり立ち替わりクラス固定でないために担任や子どもとの関係、コミュニケーションがより中途半端な感じになっている。まだ6月という時期ではあるが、どのクラスに入っても、担任が声を張り上げていて、ワサワサとした空気がある。
前の園では大人が一緒に遊びすぎると全体が見えなくなるし、子どもが大人を頼って自分で遊べなくなると注意をされた。不用意な声かけ、発達を飛び越した大人からの発想、アイデアの提供も厳しく注意された。牛乳パックの靴を洗濯バサミで挟んで電車に見立てたことが「今、この子らにとってそういう洗濯バサミの使い方を知るべきことだろうか」と主任に注意を受けた。“見守る保育”をすすめるにあたっては何と言っても遊具の充実(高価なもの、キャラクターのあるなし、数ではない)、発達に即していて、子どもの自由な発想を促すいろんな見立てができる幅のあるものであることが必要不可欠だ。そしてそれらの遊具が子どもの手に届く場所にあって自由に遊べること。大人がことさら力んで遊んであげなくても、子どもの方から自由に見立てて子ども自らの発想で遊び込む。たしかにそういう姿を見てきた。でも、今の園では遊具が発達に即してない。井型のはめ込みブロックが1歳児の6月という時期に平気で出ているのだ。子どもらはスプーンすらうまく握れないのにブロックなどで遊べるはずはないのだ。結局、箱の中身をジャラジャラやるか、大人が幾つかつなげて「電車よ」とか言って渡してやるにすぎない。大人の援助なくしては子どもが自分から遊べないこと、それゆえクラスがなんとなく落ち着かないことを担任はどの程度気づいているのだろう。遊びの中からも心だけでなく身体や指先など機能訓練、すなわち発達も促せるというのに。園の保育の違いからくる戸惑いや疑問やパートという出過ぎたまねができない立場がわだかまりのようにあるから、保育中も心身が動かず上に書いたような事故を発見はしても防げないのだろうと思う。
先日、パート全員と主任、園長で行う会議があったが、その席で一人ひとつずつ、現在困っていることを言うように言われたので、立場のこと、発達に即した遊具が出ていないこと、先生方の声が大きいことを告げた。発達なんて言葉を出して「偉そうに」と思われたかもしれない。「パートのくせにうるさい人」と目を付けられたかもしれない。でも、私がたとえ1年でも正規としてあれだけ嫌な思いまでしてみっちり保育に携わり学んだことが次に生かせないというのは一体どういうことだろうとも思ってしまうのである。
「郷に入っては郷に従え、よ」と新人の同僚は笑って言う。そうだろうと思う。こんな話も半年もたてば出なくなるだろう。「パートなんだから」「出る杭は打たれるから」と自分に言い聞かせるうちにパートらしく身をわきまえ、“うまく立ち回れる”ようになるんだろう。でも、それでいいの?と問う自分がいる。そういう自分がいるかぎりは、付き合ってやるしかないようだ。
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by zuzumiya | 2016-06-11 08:36 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

いろいろ見えてきた

新しい園に朝夕のパートとして入って、もうすぐひと月になる。
最近、思うことだが、保育士もやはりひとつ所にずっと勤めているのでなく、積極的に他へ移っていろんな園や保育の仕方を知った方がいいように思う。同じ園に10年勤めているという話も聞くが、保育士として同じ職業を続けていることはご立派なことだが、同じ場所に居続けて「保育とはこういうものだ」と思い込み、他を何も知らないということは気づきや進歩を妨げているようにも思えないか。
私も前の園から離れてみて、前の園の保育の良さをわかったし、私が最後まで納得できなかった「0、1歳児に絵本は必要ない」という園の考え方はやはり違うという結論に至れた。
ただ今の園と前の園を比較してみて、保育に対する考え方としては前の園の方がはるかに素晴らしかったと思える。今の園は私が保育士になりたてのほぼ16、7年前とほとんど変わっていない。懐かしさを感じるとともに、その旧態依然さに唖然として疑問を感じてしまう。たった1年間の担任だったが、前の園で得たもの、体と頭に染み込んだものは私に大きく影響を及ぼしているのだろう。特に乳児の発達については実に注意深く指導も細かったので、今の園の遊具のあり方、子どもとの距離の取り方、立ち居振る舞い、パートの保育への参加の仕方など、「これで大丈夫なのか」と口をあんぐりさせてしまうことが多い。
あまり書くと悪口のようになってしまうが、比較として1歳児を見てみると今の園は子どもの発達を考えて遊具を選んでいるのだろうかと思う。6月のこの時期に井型のブロックダンボール箱ひと箱と絵本、タッパウエア、マジックテープつきの既製の野菜やケーキ等のおままごと玩具と皿類、プーさん等のぬいぐるみぐらいしか出ていない。設定保育だからか外に出ている遊具が少なく、子どもが自由に出し入れして自由意思で遊べる遊具があまりにもない。子どもの手が届くところに引き出しがある(中には小さなボールが入っていた)くせにそこから遊具を取り出すことは許されていない。なぜなら、指を挟むからだそうである。それって本末転倒、おかしくないだろうか。先生が引き出しに養生テープを貼っていたがやっていることをよく考えてほしい。呆れてしまった。
子どもたちがなんだかワサワサしていたり、やたらに絵本ばかりを持ってきて「読んで」という仕草をする。絵本については子どもからの欲求が強くあり、集中もあるのでやはり絵本は保育室の子どもたちの手の届くところに置いておくことは間違っていないと思った。でも、よく考えてみると、要は遊べていないということじゃないかとも思う。月齢の幅はあるから低月齢児はまだ床に遊具を散らばしたりするが、高月齢児はそれなりのイメージを持って遊べるはずだ。なのに十分な遊具と数が揃っていない。手指の発達のことを考えたら、握って入れたり出したり、お玉やれんげなどの道具を使って移したりの時期でもあるのに、そういう発達を促す観点で遊具を選べていないのだ。前の園ではほとんどが手作り玩具で、チェーンやお手玉の大小、ザルやお椀やお玉やれんげ、ペットボトルやパスタ筒などがすべて棚の中に並んでいて、子どもたちがいつでも取り出せてすぐに遊べることができていた。高月齢児はイメージを持って何かに見立てて遊び、低月齢児はまさに入れたり出したりで手指の機能訓練を知らず知らずのうちに繰り返していた。つまり、食事と睡眠以外はすべて自由に自発的に子どもたちが遊んでいられたのだ。だからこそ、「見守る保育」が成り立った。今の園は子どもに積極的に関わって遊んであげているから、子どもから「先生、○○して」と来る。子どもがまわりの大人に目もくれず、じっくり遊び込んでいる姿があまり見られない。先生という大人との遊びをあてにしているという気がする。
それに1歳児15人を3人の保育士で見ているが、恵まれていることにパートが1名ないしは2名も入っている。なのに、動きが落ち着かない。見るたびにてんてこ舞いなのだ。前の園では11名を2名の保育士で見て、よほどのことがない限りはパート1名すら入れなかった。朝夕の送迎時や排泄の時すら2クラスでパート1名の取り合いになっていたのはどうかと首を傾げたが、それだけキビシイ状況でも気を張り、事故なく頑張っていたのだ。今の園は大変恵まれた環境だと職員が認識した方がいい。
スペース上のこともあるのだろうが、粗大遊具や壁面遊具が部屋の中にひとつも出ていないというのも不思議な感じがした。部屋作りといった観点がないわけはないと思うのだが設定保育にこだわるからだろうか。
衛生面でも首を傾げることが多い。今は0歳児クラスにいることが多いのだが、いまだに便でも手袋も使わず、消毒液も置かず、部屋の隅にキルティングマット!(せめてもお風呂マットにしてほしい。後頭部が痛そうだ)を敷いて排泄を行っている。基本的には紙オムツだが、布オムツの子もいて、付着した便は保育士が取り除き、下洗いして家庭に返す(16年前と同じ)。ミルクを吐いてもティッシュで拭くだけ。0歳児でも消毒液のピューラックスの出番はほとんどない。1歳児と2歳児クラスの間のトイレにもすぐに使えるように棚のなかに薄めたピューラックスをペットボトルに常備しているなんてこともないようだ。
0歳児で怖いなと思うのは皆がはいはいやずり這いで動きまわるのに、驚くべきことにスポンジマットが1歳児よりも少ないこと。それからサークルで囲わないので、はいはいしたり、つかまり立ちの子が何人もいると保育士が抱っこしながらそれぞれあちこちについていくという効率の悪さがある。危なっかしくてしょうがない。お尻が真っ赤になれば洗いはするが、ワセリンで対応するなんてこともない。
経済的にもスペース的にも問題はあるのだろうが、もう少し知恵やアイデアでなんとかならないものかと思う(100均の生活用具でも遊具になる)。パートの数ばかりいるが、保育の質的なことにきちんと還元できているのだろうか。それもこれもみんなひょっとしたら他園の保育を知ろうともせず、我が道を行くことにこだわった末なのではないかとちょっと思ったりする。
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by zuzumiya | 2016-06-02 00:03 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)


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