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シャララと生きていく

a0158124_7491153.png昨夜、結構、ロウな自分を吐露してしまったと、今朝目覚めてベッドで反省していたら、ふと「ひまと酔狂のくりかえし」という言葉が浮かんで、エレカシの歌詞は歌詞なんだけど、さて何の歌詞?とすぐにわからず、検索かけたら、「シャララ」であった。入っているアルバムはあの『エレファントカシマシ5』である。さすがエピック時代なんだけど、20代ですでにこんな心境を書いていた。ということは基本は今でも変わらないんだろうか。「熱い想い」「熱き涙」とか叫んでいる裏に、ほんとは通奏低音のようにずっと流れてるのかな。
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by zuzumiya | 2015-05-09 07:49 | わたしのお気に入り | Trackback | Comments(0)

低温なわたし

こんな書き方すると、たぶん引かれちゃうんだろう。でも、最近、つくづく思ってる。
これが更年期特有のウツかもしれないんだけど(苦笑)。
ああ、人生って大いなるひまつぶしなんだなって、思う。今の私には。
本を読んでも映画を見ても、音楽聞いても美味しいもの食べても、それから仕事をしたり恋愛したり、結婚して家族なんかを持ってみても、みんなみんな生まれて死ぬまでの間のひまつぶしにしか思えない。なんか、一過性というか、瞬間的というか、みんなこの身をただ通りすぎていく感じ。この毎日をなんとか前向きに生きていくために必死になって楽しいこと、うれしいこと、熱くなれること、しあわせになれること探して、湯水のようにお金を使って、あらゆるものに手を出すんだけど、手に入れたとたんに何かがすーっと冷めていく。それで、残ったのはもとの空っぽな空洞の自分で、何にも変わっちゃいない。で、またこんなんじゃだめだって探して、時間もお金も消費して…。こんなことばっかり何十年も繰り返して生きてきた気がする。仏門とかに入らない限り、この先もそう変わらないんだろうなって(笑)。
最近は、もしかしたら、もうこのまま誰も愛せないまま終わるんじゃないか、と思ってる。で、哀しいかと言えばそうでもなくて、だって、人生はひまつぶしなのだから、それならそれで仕方がないかなあ、と淡々と思ってる自分がいる。“一回こっきりの人生”って言葉にも火がついた試しがない。
私の中には、こういう低温な自分も、正直、いるのである。
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by zuzumiya | 2015-05-08 23:33 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(3)

サドルをちょっとだけ上げたら

自転車のサドルというのは何ですぐに切れてしまうんだろう。
100均でサドルカバーを買う。クッションが薄くついたタイプで、乗った時ちょっとだけ視界が高くなった。それだけで世界が違って見え、広々として少しだけ気が晴れた。
見上げれば樹々の鮮やかな新緑が続いてる。
「そうだよな、いいところに住んでるんだよな」
自転車のサドルをちょっとだけ上げてみるのもいいかもしれない。
そんなことでも心に爽やかな風が吹き抜ける。















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by zuzumiya | 2015-05-05 21:34 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

高浜寛と出会う

a0158124_1425359.pnga0158124_14294440.png同世代の詩人をネットで探していたら、あるサイトに彼らが勧める本という企画があって、高浜寛という海外で評判の高い女性漫画家の存在を知った。
昔、薄っすらと新聞か何かで日本よりアメリカですごく評価された漫画家がいると読んだ覚えがあるが、それが彼女だったのかもしれないが、その時は別段読んでみようとは思わなかった。情報なんかこんなものだ。出会うべきものとは出会うべき時に芯から出会える。魂が呼び合うのかもしれない。
とはいえ、いくら黄金週間に何処にも行かなくても買い物し過ぎだ。大酒飲みをうわばみというが、今の私は飲んでも飲んでも酔えずにじらじらする憐れなうわばみだ。いっときでも心から酔えたらいいのに。










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by zuzumiya | 2015-05-05 10:42 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

もがき続ける私

昨日、本屋で買ってきた可愛らしいパソコンの素材集で気がつくと結局、今月生まれの子のお誕生日カードを作ってしまっていた。これは仕事か勉強か趣味か!?
依然として、園の夢を見ている。休みというのに…。
自分を取り戻すのにさらに必死になってきた。またしてもAmazonでCDを買う。
エレカシの『復活の野音』。しみじみと歌詞を聞いて「わかるなぁ」と唸ったのは『なぜだか、俺は禱ってゐた』。宮本くんの場合は出会えた人々に感謝だけれど、私の場合は、夜のドライブが好きで、どこへというわけもなくただ道路をひたすら走ってもらって、見える街のコンビニやファミレスやマンションや家々の窓の灯りに、なんだか気持ちが少しだけせつなくやわらいで「みんな幸せに…」なんて、妙に素直にストレートに願う瞬間がある。そんな気持ちとどこかがちょっと似ている気がした。
そして、『あなたへ』。久しぶりに聞いたけど、やっぱり心に染み入る歌詞で(ここまで書けたって凄いよな)、発売された頃の空を見ながら何度も何度も聞いていた日々を思い出して少しだけ涙した。
『なからん』が好きで、もう一度聞きたくてこのDVDを買ったのだが、ものすごくカッコイイ曲だと思う。ライブもいいけどこの曲は『明日への記憶』みたいにCDでその深みのある仕上がりをじっくり聞いてみたい。それにしても石くんを見るたび、初期のENOを思い出す(笑)。私は個人的には『悪魔のささやき』に見られるような宮本浩次のダークサイド(暗澹たる情緒の音世界)が嫌いじゃないので、この『なからん』もたぶんその延長線上にあるものだと思うので、アルバムの収録曲として迷わず入れていってほしいと思う。
そして、『悲しみの果て』。彼はきっとこの歌をずっとずっと大切に歌い続けるんだろうなと思ったら、とてつもなくありがたい気がして、涙が出た。きっと誰にも、私にも「悲しみの果て」はある。そう思えた。
映画はショーン・ペンの『ギター弾きの恋』、ウィル・スミスの『七つの贈り物』がよかった。
本はあんまり進まない。老眼のせいかもしれないし、品行方正なエッセイばかりもさすがに飽きるのかもしれない。あ、そうだ、こういう時こそ詩集がよかったのかもしれない。今更ながら、吉田篤弘の『レインコートを着た犬』を買っておけばよかったかな、と思う。心が静かな時にしかチャレンジできない本だから。
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by zuzumiya | 2015-05-05 01:40 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

いまの私に必要なのは

a0158124_171044.jpga0158124_174626.jpg連休をお給料の減る心配なく休めるのは正社員ならではだ。ありがたい。
とはいえ、うたた寝で見る夢はどれも保育園の夢。早く日誌を書かねばならないのに、どうしてもひとりの子どもの様子が思い出せずに頭を抱えている。首元にうっすら汗を書いて深夜に目覚めたときの気持ちは、体中の血管に砂が詰まったようなどんよりと重たいもの。ストレスという言葉が頭を過る。
何とかして気分を変えねば、自分らしい自分、本来の自分に戻らねば、そう思って本屋に出かけた。しかし、どの本をとっても読みたいという気分にならない。ものの数行も読めずに置いてしまう。
写真集もダメ、漫画もダメ、絵本もダメ…。何も心に響いてこない思いのほか重症な自分に驚き、落ち込んで諦めかけた頃、「すてきなあなたに」のポケット版(文庫版よりやや大きいサイズ)が新しく暮しの手帖社から出ているのを見つけた。出ている4冊ぜんぶを大人買いした。小説のような長い物語はもう読めない。ベッドに寝転がって手にとって、その時たまたま開いたページから読んでいけるごく短い小品。しかも、このいつもの日常を書いたささやかでつつましやかなエッセイであること。私が書きたい世界は、いつだってそういうもの。
日常のなかの小さな豊かさ。幸福になれるかどうかはこの世界のものの見方でしかない。夢と呼べる夢はなくなったが、なりたい自分は変わらずにある。そこだけはまだぶれていないようだ。
この連休はhullで映画と「すてきなあなたに」を読んでいこう。それとCDと本の断捨離と花の植え替え。それから、エレカシの『復活の野音』。
「雨と休日」のオンラインショップから素敵なCDを買った。以前にも紹介したが、Essie Jainの「Until The Light Of Morning」。大人のための子守唄といっていい。気持ちがとても落ち着く。我が家の猫も娘もこのCDをかけているといつのまにか、すやすや寝入ってしまう。なんていうか、今の私には寂しくもなく悲しくもなく、ただ静かで穏やかに時がゆったり流れるこういう音がいい。特に7曲目のピアノの曲は、遠い日の記憶という言葉が浮かぶ(何かを思い出すわけではない)。なぜだか惹かれて繰り返し聞いている。自分を立て直す、そのことだけに私は人生でほんとうに多くのお金を使ってきたとつくづく思う。
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by zuzumiya | 2015-05-04 01:10 | わたしのお気に入り | Trackback | Comments(0)

かばんを持ったら、さよならだよね

毎日朝7時半に家を出て、夜の8時、9時に仕事が終わる。早番だろうが遅番だろうがこれじゃ同じである。書くべき書類の数々、それらの注意、直し…。書類ばっか書いてて疲れてしまい、実際の保育がなおざりになりはしないのかな、なんて思ったりする。

私が上がる時間がきて、さあ、帰るかとかばんをクラスのロッカーから取り出すと、
必ず子どもたちが寄ってきて、バイバイと言って手を振る。それがなぜだかとてもせつない。別れというもののどうにもならなさを毎朝、繰り返し母親との別れで知ってる保育園児だからか、今の今まで一緒に遊んでいた1歳4ヶ月の子どもでも笑って「もう行く時間なんだね。じゃあ、またね」とつぶらな瞳で“見送って”くれるのだ。この「かばんを持ったら、さよならだよね」の気持ちの切り替えどころが、なんとも健気というほかなく、胸をきゅんとつかまれる。
保育園に来て、大人に足をすくわれるけど、子どもに助けられている。
今日も子どもたちに会いに行こう。










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by zuzumiya | 2015-05-01 05:53 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)


ふだんの暮らしに息づいているたいせつなもの、見つめてみませんか?


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