暮らしのまなざし

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絆創膏と一杯の水

先日、子供と外で遊んでいて、いきなり「ここ、痛い?」と訊かれた。
見ると私の指先は、ささくれがとれて跡が少し赤くなっていた。
「ひーちゃんも、ほら」と見せてくれた小さな指には、可愛らしいキティちゃんの絆創膏が巻いてあった。思わず「可愛いねえ」と笑うと、「これ、ママが貼ってくれたんだよ」とまるで指輪でも見せつけるように自慢げに手を揃えてにっこりした。
ああ、そういえば子供って、絆創膏を貼ってもらうの、なぜか嬉しがるんだよなぁ。
あれはどうしてだろう。
痛いのを治してもらうのはもちろんなのだけど、きっと、誰かにケアされて大事にされた“証拠”を自分で見たい、他の誰かに見せつけたい、そういう甘やかな心理が働いているのだろうか。勲章というわけではないが、傷があることより、やさしくされた、愛情をかけられたことの“特別感”のようなものが子供の絆創膏には漂っている。傷の痛みより、ケアしてもらった喜びと満足で心がやんわり弾んでいる。
園でも保育士が貼ってくれる絆創膏より、看護師が貼ってくれる絆創膏の方が子供たちはより喜ぶという。いつもの先生じゃなく、“看護婦さん”というところにより特別感があるのだろう。
朝、子供を送ってくる保護者のなかに喘息持ちなのか、激しく咳き込む方がいる。
玄関の方でコンコンコンコンと苦しそうな深い咳が聞こえてくると、園の看護師がすっと立って、紙コップに水を入れて持って出る。そばにいた保育士は「ほとんど毎朝なのよ」と苦笑いした。そう聞いて思い出すと、玄関の前に職員室があるにはあるのだが、職員室のドアの前あたりでいちだんと長く激しい咳き込み方をしたように思えた。保育士によると、最近は子供のことより「お母さん、大丈夫?」と言いたくなるような、心のケアが必要な保護者が多くなったという。
それにしてもドアが閉まった職員室で、知らぬ存ぜぬで済まそうと思えば済むものを、毎朝、ちゃんと立って一杯の水を持ってケアしに行く園の看護師を私は素敵な人だと思う。
看護師は傷を処置して治してくれるから看護師なのじゃなくて、ケアしてくれるから看護師なのだと思う。
もっと言えば、そういうオーラを放って仕事をする人、なのだろう。絆創膏の話からなぜかあの咳き込むお母さんを思い出したのも、きっとあの何でもないただの一杯の水があのお母さんにとって、特別な絆創膏なんだろうな、と思ったからだ。
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by zuzumiya | 2015-02-20 15:24 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(1)

アドラーに学ぶ

ちょっと前からアドラー心理学に興味があって、今、『嫌われる勇気』を読んでいる。保育の勉強の合間に読んで、いつの間にか寝入ってることもあるんだが、なかなか面白い。ベストセラーらしいが、天邪鬼の私でも読み進めちゃうほどだから、買ってよかった。トラウマや過去に囚われがちな私にピッタリだ。子育てに関する本もあるらしい。興味深い。
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by zuzumiya | 2015-02-17 23:10 | わたしのお気に入り | Trackback | Comments(0)

ゆったり、おだやかに

書かないといいつつ、また仕事の話を書いてしまうが、子育て全般に言えることのように思えるので書いておこうと思う。
今度の研修園の1歳児クラスは入った時から、どことなく雰囲気がワサワサしていた。
前の研修園の1歳児がクラスとしてはとても落ち着いていて(それでも数名、癇癪を起こしたり、大げさに泣いてみせたり、どうにも気の強い子はいた)、何が違うのかを考えながら見ていたが、単に子供の性質とか男女や月齢の比率の違いの問題でなく、どうも子供に接する保育者の声の大きさじゃないかと思えた。
前の園では叱るために話をするにしてもトイレや外遊びに誘うにしても、観察者の私が「え?今、何て囁いたの?」と耳を澄まさないと聞こえないほどの小さな声で、ほんとに子供と保育者と一対一で、当事者にだけわかる声で実にプライベートに話をしていた。
観察者としては保育者の援助の仕方がわからないので、後で「あの時、何て言ってたんですか?」と質問しなければならず大変だったが。
今の園では、噛み付きはもちろん、“やられたらやり返す”しぶとさを子供たちみなが一様に持っているようで、クラスのあちらこちらでトラブルがあり、時折、保育者の鋭く大きな声が矢のように飛ぶ。当然、遊んでいる子供たちもハッとして手を止めて、今度は誰が叱られているんだろうと顔をあげて探してしまう。ある子は私が「どうしたのかなぁ」と思わずつぶやいたら「また誰か怒られたんだよ」と素っ気なく答えて、そんなことよりさあ、遊ぼうよとばかりに気にも止めない様子だったので、少し驚いた。つまり、それが日常化していて、子供たちがどこかでそんな騒がしい日常に慣れきってしまっているということだ。
前の園では0歳児にしても1歳児にしても、“子供の遊びを中断させない”ということをよく言われた。その工夫として、保護者のお迎えにしても、帰る用意が全部整ってからドアの丸窓から顔を出してくれれば保育者が対応するということで徹底されていた。たしかドアの開け閉めの音すらも大事なことだと教えられたと思う。
保育者の立ち居振る舞い、声の大きさやトーン、話し方とそのスピード、そういう些細なものからこそクラス全体の雰囲気は決まっていくんじゃないだろうか。一度、走り出してしまったら、なかなかもとには戻れない。どんどん加速して進んでいってしまう気がする。クラスに入ったら、いつのまにか私も声を張り上げていたらしく、喉が痛くなっていた。
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by zuzumiya | 2015-02-17 00:37 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(2)

「なんでもできる人になろう」

うちの法人のパートさんはみんな人がいい。
おまけに手先が器用で、頼まれれば手作りおもちゃでもクッションカバーでも、人形の洋服でも何でも作ってしまう。縫い物でも編み物でも工作でも何でもござれだ。
正規の職員はそんなパートさんたちのおかげで、作り物に時間を取られなくて保育に専念できる。
これはほんとに凄いことだと、私なんかは思う。
今日は人のいい年配の(勤務歴17年!)のパートさんに穴落とし用の“ビーズ棒”の作り方を教えてもらった。
前の研修園ではそういうものは一切やらなかったが、今の園では雑務というかたちで作り物を頼まれる。
研修初日だったか、フェルトの魚の形をした“ボタンつなぎ”のおもちゃを頼まれたが、工作ならまあ何でもやれる私だが、縫い物には恐れをなして、しかも“ブランケット・ステッチ”を知らなかったので(たぶん、小学生時代にマスコット人形を作って以来だ)、「ちょっとチクチクものは…」と研修生の身なのに及び腰になって、断るかたちになってしまった。私に頼んだ先生は「あ、それならいいです。パートさんに頼みます」とすぐさま引っ込めた。「フェルトを切るだけでもやってもらえば?」という他の先生の声にも耳を貸さずにそのまま出て行った。
ムッとしちゃったのかもしれない。
そのことがすごく心に引っかかって、情けなくて、恥ずかしくて、申し訳なくて…。
それからしばらく経って、もう一度彼女に雑務として砂場の網を直す仕事を頼まれたときは、もちろん、そんなことはやったことがなかったけど、ハイとすぐに引き受けた。一人で砂場に座って漁師のように網を直しながら、あの時私は強く思ったんだ。「器用貧乏だっていい。なんでもできる人になろう」
それから休日は買ってきたフェルトと刺繍糸でネットの画像を見ながら“ブランケット・ステッチ”の練習をした。
ひと針縫うごとに、フェルトを持って去って行った彼女の横顔が浮かんだ。
そして、今日は手芸屋に行ってとじ針を買い、いまさっき、ようやくまともな“ビーズ棒”が作れた。
自分の仕事をさしおき、私に懸命に教えてくれた笑うと目がなくなっちゃうパートのおばさんの顔が浮かんだ。みんなみんな、憶えていようと思う。
パートさんたちの陰の努力に支えられて職員が気持ちよく力を発揮できていることを。
感謝の気持ちを。
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by zuzumiya | 2015-02-12 23:13 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

一日の帳尻

買い物がすべて終わって、自転車に荷物を乗せたところでメールが入る。
「たばこ、買ってきて」と娘。
なんだよ、今帰るところなのに。自分で買ってくりゃいいじゃんか。
しかもアイス持ってんのに!カチンと来る。
サービスセンターに荷物を渡して預かってもらい、慌ててレジに並ぶも長蛇の列。
アイスが溶けやしないかと気を揉みながら、ようやく私の番。
「すいません、たばこの9番!」
慌ててよろめく私の足が前のパパさんの足を踏んでしまい「すみません!」
たばこを受けとり、荷物を受け取り、自転車をこいで帰る。
マンションの廊下でエレベーターに先に乗った人が今にもドアを閉めそうかな、と思ったら、
私の足音に気づいて、ドアを開けたまま待っていてくれた。まだずいぶんと距離があったのに。
「すみません、ありがとうございます。あ、9階、お願いします」
7階でその人がおりる。「ありがとうございました。助かりました」ともう一度お礼。
9階の廊下を歩きながら、ふと思った。

人のわがままにカチンと来て、バランス崩して人の足を踏んづけて、
それから、また別の人に助けてもらう。
やられたり、自分が(故意じゃなくても)嫌なことやってしまったり、また人の好意に助けられたり…。
嫌なこと、いいことが一日のなかにちょこっとずつ、ぐるぐるまわってたしかにある。気づかないだけで。
なんか、ほんのちょっとの間なのに、うまいこと感謝に終わっていて、不思議だけど帳尻が合ってる気がして笑ってしまった。
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by zuzumiya | 2015-02-11 21:01 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

失敗か成功か

今朝の日曜美術館で陶芸家、川喜田半泥子という人の特集をやっていた。
銀行の頭取の傍ら、趣味で陶芸を始めて、後に“偉大なる素人”と呼ばれた陶芸家だそうだ。“雪の曙”という代表作の紹介時に、たしかナレーションで「普通なら失敗と捉えてしまうものも…」という言葉があって、ハッとした。この作品は縁が切れてしまっているし、碗の腹には支えた指のあとがきっちり残ってしまっている。でもそれが雪の上の足跡のようにも見え、縁のやわらかな切れ目は雪溶けのやわらかさを想起させる。何より命名のセンスが素晴らしい。で、何にハッとしたかといえば、芸術家にとって、失敗か成功かは何より自分で決める、ということだ。他人はそこに一切介入しない。それにすごく自由さを感じて、「ああ、そうだった、そういうものだった」と心が洗われた気がしたのだ。
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by zuzumiya | 2015-02-08 16:44 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

手押しアイロン

仕事の話は書かないと決めたけど、憶えておきたいことをひとつだけ。
園は今時珍しい布おむつを使っている。肌触りがいいこと、濡れた感じが子供にすぐにわかって不快なことを保育士に知らせたり察知できたりして、保育士が何度でもそれを取り替えてあげることで愛着感、信頼感が増していくというのが狙いなのだろう。
自分の子供にも布おむつは使ったことがなく、研修時に私はたたみ方すらわからなかった。
直属の先輩に教えてもらって、トイレ前の廊下でおむつをたたんでいると、隣のクラスの年配の担任が子供をトイレに連れてきた際に、さっと座布団を差し出してくれた。
「自分のカラダは自分で守らなきゃ、この仕事やってられないわよ」
それだけ言って子供の用を済ませに行ったが、帰り際、私のたたむ手元を見ていたのだろう。
「あのね、おむつはね、こうやって…」と私のたたみかけの一枚を取ると、自分の膝に持って行き「おむつはね、こうやって、丁寧に手でアイロンをかけるみたいに伸ばしていくと意外とシワが取れるものなのよ。ね、こうやって、“手押しアイロン”するの。そうすれば、赤ちゃんも当てた時にゴワゴワしなくて気持ちがいいでしょ?」
私は恐縮して「はい」と返事した。でも、なぜだか、自分がたった今、たたみ方を注意されたのだという嫌な気持ちにはならなかった。
「教えていただきありがとうございます。まずはおむつをきちんとたためるところからですよね」と私は笑った。私の膝の上にぽんとシワが伸ばされたおむつが戻された。
彼女のたたんだきれいなおむつに手をそっと乗せると、ほのかに人の手の暖かさを感じた気がした。それからは「手押しアイロン、手押しアイロン…」と心のなかで唱えながら、その言葉の温もりに微笑みながら、励まされながら、膝の上でおむつを懸命に手で伸ばした。
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by zuzumiya | 2015-02-08 16:00 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

おばさんがおばさんを語るときのおばさんっていくつ?

よく何の気なしに年配の女性を総じて「おばさん」と書いてしまうが、考えてみると私自身がもうすでに世間から見たら「おばさん」の年なのに、その私が「おばさん」と書くときは、いったいどの年代の女性を指しているのかといえば、実は同年代の女性(アラフィフ)なんかではなく、もっと年配の、「おばあさんと呼ぶほどヨボヨボではないがおばさん枠の人」なんだってことに気がついて、愕然とした。つまり、書いているときの私はどうも年を超越している、というか、もしかしたらいつまでも若くて、自分が「おばさん」である立ち位置にいないんだってことに、ふと気づいて、「すげぇ~」と驚いたのである。
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by zuzumiya | 2015-02-06 23:27 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

「おはよう」の街角

研修園が変わり、毎朝通る住宅街の十字路には近くの小学校のPTAが交代で黄色い旗を持って立っている。人によっては、自転車のただの通行人にすぎない私にもちゃんと「おはようございます」と声かけしてくれる。最初はいきなり笑顔で挨拶されて、突然のことにはっとしたが、すぐにこちらも「おはようございます」と声が出た。後で何だかうれしいような照れたような、ほやほやとあたたかい気持ちになった。もう少し大きな道路に出ると、ダミ声のおじいさんが横断歩道で旗を広げて、「おはようさん」と子供たちに声をかけている。子供たちもおじいさんをまねて「おはようさん」と返すが、その少しおどけた感じに仲間とおじいさんが笑って、見ていて微笑ましい。そこを越えると、今度は“スクールパトロール(←すみません、うろ覚えですが、たしかこんな名前だったような)”と書かれた揃いの赤いベンチコートを着たおばさんたちが登場する。彼女たちも小学生だけじゃなく、すべての通行人に「おはようございます。いってらっしゃい」と丁寧に声をかけてくれる。私はこの「いってらっしゃい」がなんだかうれしくて、心のなかでようやく「さて、今日も頑張るか」という気になる。そして、いいあんばいに職場に着く。
毎朝、通る道々にこれだけの人のやさしさがある、気遣いがある、背中を押してくれる言葉がある。ここ数日通ってきて、なぜだか今日になって、澄み渡った青空のように、その尊さに気がついた。
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by zuzumiya | 2015-02-06 23:03 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

ふだんの暮らしに息づいているたいせつなもの、見つめてみませんか?
by zuzumiya
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