暮らしのまなざし

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心の姿勢をなおす

先日、初めての給料日だったのだが、雇入れの事前打ち合わせで園長と話していた金額から基本給が1万違っていて「アレ?」、それから住宅手当も賃貸、持ち家にかかわらずたとえ数千円でも出るはずなのに、0円。試採用だからなのだろうか? 
就業規則は頂いてあるのだが、まだきちんと本契約を書面で両者捺印で交わしたわけではないので、はっきりとした手当等の金額表示が口頭だけだったわけだから出なかったのか、これから何かが変わるのか、う~む、ちょっと気持ち悪いし、考えると不安である。お給料のことは、まさに今の自分の評価、能力の値段であり、お金にがめついみたいでなかなか言い出しにくいものだが、何か機会を見つけて訊いてみようと思う。疑心のまま、仕事を続けたくない。
でも、それでも、今まで契約やパートで働いてきた額面が今回は手取りの金額になっているので、やはりお金がたくさんもらえるのはうれしい。助かったなぁと思う。
で、今まで家のために(特に私が12月、脇腹打撲であまり働けなかったので)子供たちがお金を出していてくれたので、私からの感謝の気持ちということで二人にお小遣いを渡した。夫には誕生日プレゼントをはずんで、それからご飯をご馳走した。
どうしても仕事を始めると、頭が仕事のことでいっぱいになり、疑問や不安や、さらには愚痴や批判が出てきて、ついついブログにも仕事のことを書きたくなるが、やっぱりやめようと思う。なぜかというと、ここにぜんぶの事情を書けるわけではないので。消化不良な後味の悪いものをわざわざ公表する必要も価値もない。
仕事の具体から離れたところでも、この毎日に何かをつかめるか。そのためには“意識して”心に余裕を作ること。すなわち、心の在り方、姿勢を正すことだろう。そうしなければ、毎日は見えてこない。
今日、駅のそばで信号待ちをしている時、道路脇のお地蔵さんに心のなかで挨拶した。
「お久しぶりですね。今日もよろしくお願いします」
出かけて行って帰ってきた際にも「今日もありがとうございます、無事に帰ってきました」
ただそれだけだけど、駅を使わなくなって自転車通いの毎日では、何かに感謝すること自体を忘れてしまっていることに気づく。毎日の暮らしに、大げさでなくほんのちょっと心のなかで手を合わせて、にっこり微笑むような、そんなひとときを持てる人でありたい。
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by zuzumiya | 2015-01-27 19:28 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

立場の垣根を越えられるのか

どこの園でも同じかもしれないが、正職とパートの“立場の垣根”というものがあって、両者の意思疎通というのは実に難しいものがある。
私もずっとパートや契約の方の立場で仕事をしてきたので、正職とパートはいわば“主従関係”にあり、正職の言うことが絶対で、パートは正職の言動に疑問を抱いても反対意見は言えずに従うのみで、時にそれが腹立たしかったり、呆れたり、最後は仕事を失いたくないために“大人の対応”という体のいい諦めの境地に至ったりと、越えられない垣根の高さを私も身にしみて知っている。
私は今回、単に観察者であり、クラスに居ても保育者としては存在しない、いわば透明人間で、それゆえ漫然だろうが何だろうが、保育を、ありとあらゆる出来事を、関係を見つめてきた。
入ってすぐにパートさんの動きがイマイチだな、と思った。
子供のなかにひとり、癇癪持ちがいて、わざとやって欲しくない行動をとって、大人の気を引こうとする子がいる。保育者はその子に対して、どうしても注意をすることが多くなってしまい、マイナスの事柄を起点にした関係性ばかりになるのを防ぎたいのか、時にはサラリと見て見ぬ振りをすることもあるようだ。それはわからなくもない。
でも、「どう見たってこりゃ危ないぞ」とハラハラすることが見ていてあったのだが、その時間保育を任されているパートさんが、何も注意をしないのにはびっくりした。重ねて言うが、私の立場はあくまで観察者であり、保育者として手数に入っていない。手出しはできないのである。子供はうまくジャンプで着地して事なきを得たが、パートさんの保育の能力を疑ってしまった。そのまま見ていると、正職の担任が後でパートさんを呼んで「○○ちゃんがあそこに乗っているから注意して見てて下さい」と言葉をかけていたが、担任だって、見ていた、知っていたわけである(ま、担任は食事の準備で忙しく“見切れない”状態で、だからこそパートさんに任せていたのだが)。
こういう「あれ、注意しないでいいの?」「それ、どけておかなくて大丈夫?」というハラハラ、ヒヤヒヤが結構あって、担任に「観察なので見ているだけで、触れないで下さい」とピシャリと言われている私は何もできないので、「いいのかなぁ?」「大丈夫なのかなぁ?」と内心気を揉んで、こっそり足で床に落ちている布やチェーンを除けたりして、それだけでもかなり疲れた。
で、やっぱり、件の子供だけじゃなく、入ってほしくない狭いところに子供が入って頭から落ちてゴツン、今日も子供が指をサッシにはさんで泣いているのに担任とパートの2人の大人がいても何で泣いているのかわからず気づかなかったり、子供が4人しかいない時間帯でさえ、低い棚に腹ばいで上った子供が頭から落ちた。
なんか何かがおかしいな、うまく回っていないなと感じてはいたんだが、思い切って担任のいないところでパートさんにやんわり話しかけてみると、なんと彼女は園に10年以上も勤めている大ベテランだった。保育の資格を取らないのかと訊いても、「取らなくてもいい」「(保育を)知らなくてもいい」という返事が苦笑いと共にかえってきた。
「昔に比べて随分(保育の)やり方が変わったんですよ。昔は『入っちゃダメ』って子供にきちんと注意してたんです」という彼女は、どうも、園の保育のやり方、担任のやり方に疑問を持っているようだ。その辺の事情はここでは詳しく書けないが、外部から来た私にも“特殊”に感じる時がある。担任に質問すれば、それなりのごもっともな言い分で返されてしまうが、おそらくはパートさんたちも「なんでぇ?」と感じているところが多々あるんだろう。つまりは、正職とパートがきちんと保育というもので合致していない、意思疎通ができていないことがここ数日間、私が見た保育のちぐはぐさの原因である気がする。10年選手のパートさんの保育能力がないなんてわけがなく、「え、ほんとにこれでいいの?」と思いながらも「はいはい、わかりましたよ」と“従う保育”、“受身のでしゃばらない保育”をしているから、傍から見たら、「なんだかなぁ」という残念な動きにしか見えないのだろう。ちょっと気の毒な話である。
で、今日も透明人間の観察者の私は「やばい!危ないな」と思ったが、女の子4人だけの保育で見切れないわけがないと思ったし、担任の視線を確認して、「ほら、今危ないんじゃないですか?」とアイコンタクト送るのも偉そうだから、あえて担任の目は見なかったのだが、見てるはずと思っていたら、見ていなかったらしく、子供が頭から落ちてしまった。
おバカな私は、いつもの気性の激しい子だったので「あえて、ちょっと痛い目に合わせて危ないことを知ってもらおうとしたのか?」とまで担任の意図を深読みしてしまった。恐ろしいことである。後で考えたら「んなわけねーだろが!」なのだが、そう勘違いさせてしまう絶対担任主導型の空気がある。パートさんも内心、入って欲しくない狭い場所に子供がわんさか入ってきて、それを担任に「そこに子供が入っているので注意して見てて下さい」と指示され、今日は「じゃ、ここから落ちてくるのを支えればいいんですね」と冗談めかして返していた。この皮肉をわかった私は苦笑いしてしまったが…。
で、今日になって上からの指示で、私は幼児の観察はせずに乳児、特に0歳児に戻って今度は観察ではなく、実際の保育に入るように言われた。せめても2歳児の観察まではさせてほしいと主任に頼んだが、今考えてみて、日数は少なくていいので、このまま幼児の観察までさせてほしいと頼み直そうと思う。乳児が育ちを重ねてどんなふうな幼児になって、やってきた保育が花開くのか見届けなくてはいけないんじゃないか。
それにしても、不安である。私は今度はパートではないし、資格もあり、少ないながら経験もあるわけだが、どういうスタンスでどういう感じで担任たちに接すればいいのか(と言ったところで新人なので平身低頭に変わりはないが)わからない。前にも書いたが、人数が足りているところを雇ってもらった身である。園の掲げる保育に馴染んでいかねばと思うのみだ。
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by zuzumiya | 2015-01-17 02:06 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

むずかしいですな

保育士研修。0歳児から今度は1歳児クラスへ。観察の日々。さすが1歳児、キーキー、キャアキャア予想通りにやってくれる!半日の観察の後、先輩保育士(クラスリーダー)にいろいろと質問させて頂く。外部から、しかもブランクをへて来た私のような人間には、園が目指してる保育と現実の姿と少し矛盾しているのでは?と思えることもあるにはあるんだが、そんなことはとても口に出来ない雰囲気。基本的に保育士というのは保護者対応も心得ているので口もたつ。職業病のようにああ言えばこう言うタイプなのだ。それに、経験に裏打ちされた自分の保育を批判されてるように受け取られたら、えらいこと。私はこの年で正社員として雇って貰えた身であるからして(しかも、保育士の人数は足りていたらしい)、私の方からこの園に馴染んでこの園の保育士になっていくしかないのではないか。となれば、自ずと話すことは限られてくる。その辺が、モヤモヤしてなくもない。

保育関係の本をネットで1万円以上も注文した。
フリーで動いてる先輩保育士の「保育士の声かけ、対応ひとつで、子供が変わってしまう」という言葉に胸を掴まれて、マジに勉強したくなった。
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by zuzumiya | 2015-01-15 00:46 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

こうして部屋で寝転んでると…

a0158124_10205296.jpg今日、たまたま家事をしながら、一人だったもんで、エレカシの「スターティング・オーバー」のアルバムを流していたんだけど、3曲目の「こうして部屋で寝転んでいるとまるで死ぬのを待ってるみたい」を聞いて、うわぁ、この曲凄いかったんだぁ、とあらためて思った。私はエレカシに関しては“最新”を重視してて、昔の古いアルバムを引っ張りだしてきて聞くことは実はあんまりしない。なんでだろ、どんどん進化していくバンドだから、昔を振り返らないっていうか、「もうここにはいないんだろうな」っていう感じを勝手に持っちゃうのかな(笑)。そうは言っても、昔のアルバムを聞いてみると、通奏低音のようにずっとエレカシらしさが、メロディのコードだったり、盛り上がり方だったり、ギターの入り方とか音のひずみ方だったり、歌詞のフレーズだったりにあるんだけど、そして「やっぱり、エレカシの世界だな」と、にやりとするんだけど。
この「こうして部屋で…」の歌詞も「死ぬのを待ってるみたい」「この部屋ごと地の底に沈みそう」なんて、総じてもの凄く暗い孤独な歌詞なんだけど、メロディには「シグナル」を彷彿とさせるような美しさがある。背後で美しいギターがひそやかに鳴っててくれる。気持ちが盛り上がっていって、ぶわーっとギターも煽情的に力強く鳴り出して、最後に「君にあいたい」と叫ぶところ、「ああ、この歌はここに強く希望が光ってるんだな」って思える。そう思えると「ああ、エレカシらしい愛の歌だな」なんて、苦笑いしてしまう。
なんていうかな、いろんな感情が混ざり合って、暗くて重くて澱んでいて、苦しくて切ないんだけど、でもその渦巻く感情の重なった厚い雲の奥の奥には、たったひとつの希望が一生懸命、最も美しいかたちできらめいている。そういう世界を見せてくれる。暗くて美しい曲がこんなにも上手に書ける人はいないんじゃないか、と思います。でも、今日の私はこうして部屋でブログ書いてる場合じゃなく、お出かけせねばなりません(笑)。
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by zuzumiya | 2015-01-11 10:23 | わたしのお気に入り | Trackback | Comments(0)

精神的に深呼吸

a0158124_22232373.jpg保育士の研修の日々。頑張ってますよ、と一応伝えておきます。
家に帰ってわらべうたのCD聞いて必死に覚えたりして…。

でもね、今日はあまりに疲れたから(だってお正月の郵便局のバイトから一週間連続勤務になるんだもん)、映画見ちゃいました。
「ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ」大好きな映画です。もう何度目かな?サントラCD持ってるくらい好きです。
見終わって、精神的に深呼吸ができた気分になりました。自分らしいなって。自分がかえってきたなって。
「私はこういう映画をすこぶる好きっていう人間なの!」なんて、心で叫んでみたりして(笑)。
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by zuzumiya | 2015-01-09 22:24 | わたしのお気に入り | Trackback | Comments(0)

まずは、あけましておめでとうございます。

今年もまたここでたくさんの人との出会いが生まれるのを楽しみにしています。
よろしくお願いします。
そして、ついに行ってきました! 3日に行われたエレカシの新春武道館、初日です。
実は今回は「珍奇男」が大好きな夫と一緒だったんですが、そもそも夫とは映画や美術館には行くけれど、コンサートは初めてで、しかも私の特別にお気に入りのエレカシというのは、なんというか、複雑なところもありました(笑)。
宮本くんをじいーっと見つめている私の横顔を夫が見てやしないかと、はたと気づくと変に意識して…。この「じいーっと」なんですが、私の場合は女性陣のするようなニンマリ顔というより、眉間に皺を寄せて睨みつけるように見てしまうんですね、「ハナウタ」以外は。だって、宮本くんもメンバーも凄い気迫でしょ、ついつい聴いてるこっちも真剣にその波動を受けて立とうって気になっちゃって(笑)。もう闘いですよ、ある意味。私、たぶん、もの凄いコワイ顔してるんじゃないかな。
でも、うれしかったですね。やっぱり、好きな曲、聞きたいなと思ってた曲を歌ってもらえると。一発目に「部屋」から始まるコンサートなんて、素敵じゃないですか。すごくフレンドリーで。「ああ、そういうつもりなんだ」って、勝手に解釈してるんだけど(笑)、ファンとしてはとてもうれしい和やかな気持ちになりますよね。
うれしかったのは、「季節はずれの男」。好きなんですよ、あの「言い訳するなよ」っていう歌詞。いろいろとまた行き詰ってしまっている、いわば「季節はずれの男」である夫の胸にも響いたんじゃないかな(笑)。
それからもちろん、「彼女は買い物の帰り道」。前にこの曲についてはここでも書いたと思いますが、「でも、わたしは~」の「でも」が素晴らしいんですね。「でも」にゆるしも肯定も希望もすべて含まれている。いつ聞いてもよく考えられたいい歌詞だと感心しちゃいます。
「シグナル」からの「あなたへ」の流れもよかったですね。どちらも深く繊細な歌詞で内容的に重なるところがある。彼は文学青年ですから、上っ面でももしかしたら格好つけて書けそうな、ある意味ベタな表現でもあるんですが、でも私はどこかで確信を持って宮本浩次という男の本質というか、一面は、きっと「シグナル」や「あなたへ」で歌われているとおりなんだろうなと思っています(笑)。まんまとだまされてますか?(笑)。
「赤き空よ!」もいい歌ですよね。メロディアスで、昭和の男らしい曲。なぜか小林旭が浮かんでくるけど(笑)。「ズレてる方がいい」も大好きです。「かりそめの夢でもないよりはマシさ」という歌詞に、「やっぱそういうもんかなぁ」なんて考え込んじゃいました。
「桜の花、舞い上がる道を」歌ってくれましたね、武道館ですもんね。私はこの歌が大好きで、正月そうそう縁起でもないんですが、自分の葬式にはこの曲で送り出してもらいたいなんて考えちゃうくらい好きなんです。特にあの、歌詞とメロディが合致して「見ろよ、大いなる花」と高く指差す時があるじゃないですか、あそこがたまらないですね。
エレカシはよくスケールのデカイ歌を歌いますが、「デカイよなぁ」と聞くたびに惚れ惚れします。
そして、「なからん」からの「雨の日も晴れの日も(※仮タイトル)」で「明日を行け」までの3曲の流れ。びっくりしました。実はちょっとこの辺の曲の情報に疎くて、「ああ、これがいわゆる『なからん』ってやつか」と気づいたくらいで(笑)。でも、やってくれましたねぇ、素晴らしい仕上がりです。身を乗り出して固まって聴いていました。
私は以前にDVDを見て「メランコリア?とかなんとか歌っているやつがカッコイイ」って書いた覚えがあるんですが、好きなんですよ、ああいうどっちかっていうと暗くて重い陰鬱なんだけど、破壊的な威力のある曲。「悪魔メフィスト」からの流れでしょうかねぇ。でも、「なからん」として出来上がったものを通しで聞いたら、やっぱりその新しさに圧倒されて「エレカシって確実に進化してるんだなぁ」と思いました。「グットモーニング」でしたっけ? あの頃もある種の破壊的な強さは印象としてうけたけど、あの頃は若さのエネルギーばかりでした。中年の今とはまた違う。
驚いたのはその歌詞。ドキドキしてたし、あんまりよく聞き取れていないんですが、なんとなく「もう楽しいことなんてないんじゃないか」っていう歌詞ですよね。最近、偶然にもそんな気持ちになることがあって、ここにもつい書いてしまいましたが、やっぱり、同じ中年としてそういう気持ちになることがあるんだな、なんて思っちゃいました(笑)。
コンサートで披露されるとほんとにありとあらゆるタイプの曲があって、あの振れ幅の広さはやっぱり素晴らしい才能だな、とつくづく思います。約束の歌「FLYER」も聞けたし、自分はやっぱりエレカシのファンなんだな、と心から感じることができた大満足のコンサートでした。いつか夫に生の「珍奇男」を聞かせてあげたいです(笑)。
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by zuzumiya | 2015-01-05 00:48 | わたしのお気に入り | Trackback | Comments(0)

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by zuzumiya
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