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どうなることか、保育士復帰!

この年で就職活動というのは、非常に疲れる。
毎日ジャージの私が慣れないスーツを着て、ヒールのあるパンプスを履いただけで緊張してキャラが変わってしまいそうになる。
服に着られてオドオドしたくないので、「自信をもて!伊達に生きてきたわけじゃない」なんて気合いを入れて、鏡の前で姿勢を正し、締まった顔つきをする。
それで面接に行って、ある園では「アカデミックだねぇ」(←頭でっかちの意味)「保育士っぽくないねぇ。ほら、保育士ってもっと野暮ったいでしょ」とほめられてるのか、けなされてるのかわからないことを言われる。(←でも、この園、「話してみたら、キミいいよ」と気に入られ、即合格だった)
49年も生きてくれば、それなりにいろんな職歴もあり、出自が広告業界じゃなくても自分をある程度アピールする術を知っている。作品やら賞やら評価なども職務経歴書にはちゃんと書き込んであるし、しかも自分なりのセンスでパソコンできれいに作ってある。事務畑を歩いてきた人ならもっと上手に作れるはずだけど、こんなんでも保育畑では目立ってしまうようで、整った体裁と内容にみんな「すばらしい経歴で…」って一様にほめてくる。これが妙に嫌味に聞こえてしまう。

試しに映画で見る外国の面接みたいに(←昔から一度やってみたかったんだけど)、私が図書館時代に作った展示物、おはなし会の手遊び歌のプリント、企画した子育て講演会の書類一式なんかをファイルして園に持って行って、プレゼンみたいにやったら、完全に引かれちゃって(笑)。私の仕事にかけてきた情熱を見てくれるんじゃなく、個人の評価を気にするチームワークのできない“個人プレーヤー”と思われたみたい(笑)。
でもね、図書館では月まわりで一人で企画して展示の準備するんだし、そりゃぜーんぶ自分の色と力でやってましたよ。それが当時、のんきな公務員から民間に委託された指定館スタッフの心意気。みんな給料安くてもバリバリサービス残業して仕事してたんだから。
そういえば、その園からは「バリバリ、仕事がしたいんですか?」なんて訊かれたっけ。
ということで、パート合格の園あり、正社員落ちる園あり、正社員でも即合格の園あり、パートから始めていずれ正社員へという口約束(!?)の園ありで、いろいろ経験させてもらいました(笑)。ほんと振り返ってみると自分を見つめるいい勉強になった。

夫の家の近所に保育士募集があって、受かったら夫と一緒に住もうかなと思っていたけど、どういうわけか、そこは新卒でもないハローワーク出身の私にもピアノの実技をするというので辞退した。と書くと逃げてるみたいだけど、実は見学に行った際になんだかなぁと思う光景を見た。床暖房(!)だからという理由で、ネットが張られた担架みたいな強化プラスチックの簡易ベッド(床から20センチくらい浮いてる)を並べて、ネットにバスタオル敷いて、子供たちがお昼寝していて…。保育士に聞くと、おもらししても布団じゃないから替えるのがラク、週末週初めにやる布団カバーの取り外し、取り付けがなくなって親たちも助かっているんだって。いくら大人がラクになったといっても、子供たちの寝ている姿はとてもラクそうに見えない。担架のような身幅ちょっとのそんなに大きくないベッドでは、寝相が悪ければ、枠のプラスティックに頭や足が当たって痛そうだ。まるで、カプセルホテルのよう。昔のようにホールいっぱいに布団を敷いて、頭や足がはみ出たって誰かの布団がそこにあってくれるような、いっぱい遊んで疲れて大の字に寝られる気持ちよさをなくしてまで、大人のラクを優先させるのは違うなぁ、と思った。
それから、ちょっと早めに園に着いた私をどこかの部屋に入れて席をすすめるでもなく、ずっと玄関の隅に立たせたまま5分以上も待たせた対応の悪さというのもある。募集人数が5人というのも多すぎて、それだけ一度に一つの園から人が辞めるというのは、人間関係に何かあるのかもしれない、あやしい。
でもね、せっかく別居解消になるかと思っていたのに辞退してしまい、なんとなくこのまま離婚に繋がっていく運命なのかな、と暗くなった。

印象の悪い園もあれば、ものすごーくいい園もあった。
よく言われることだけど、電話対応。これが職場を判断するときにわかりやすい。就職活動で不安と緊張を抱いたままかけた電話の先の声がぱっと華やいだ感じに明るく、しかも相槌の語尾に柔らかな共感と同情があって、「なんとかしてあげたい」という気持ちの発露を感じた園があった。一瞬にして「この園はいい!」と確信した。対応してくれたのは主任なんだが、私は思わず「主任、電話の対応が今までのどの園よりもよくて、ほんとにすばらしいです!」なんて口走ってしまった。電話という目に見えないやりとりで、心のガードをゆるめる、しかもうれしさを伴って、というのは最高のホスピタリティだと私は思う。ふいにかかってきた電話ですぐにそれが表せるというのは、園の教育が行き届いているのと同時に、日頃の保護者対応もよくできているということであり、さらに想像すれば、主任自身の人柄だけじゃなく保育士同士もわりと円満な人間関係が築けているのかもしれない。実は先の保育士研修でお世話になる実習先がこの園と同じ法人系列園で、研修の時にいらした園長先生の話が素敵だったので、同じ系列なら行ってみようと家から近いこの園を選んだ。

研修の時の園長先生も熱い人だったけど、この園の園長先生もすばらしく熱い人柄だった。
なんというか情のある、情の濃い人。私の好きなタイプの人間。最初はただの見学のつもりだったけど、念のため持参した私の履歴書と職務経歴書に目を通したとたん、「あなた、熱い人ねぇ」ときて、「あなたがそこまで熱い人なら、なんとか応えてあげなきゃ」とあらゆる資料を引っ張り出してきて、それから延々2時間以上も園長と話まくり!
いちばん良かったのは、法人の理念というか、トップの理事長夫妻(なんと研修の園長先生は理事長の奥様だった!)の保育にかける思いを書いた文章を読めたこと。ここでは詳しくは書けないが、そういうパンフレットには普通、抽象的な美辞麗句が並ぶけど、ここの法人のトップの書く文章には「嘘がないな」と感じた。と同時に、私のような人間でも保育の世界で生きていていいんだ、入れてもらえるかもしれないという、人を包み込むような懐の広さを感じた。ネットで調べて後でわかったことだけど、研修の園長先生(理事長夫人)の園紹介コメントが私が志望動機で書いた保育に対する考え方と同じで、これまた驚いた。よくよく縁のある園なんだろう。
見学の最後には園長先生と抱き合って、手を握り合って、なんだかうっすら涙まで滲んじゃう感じで、すごいパワーをいただいて帰った。

それからというもの、合格した園は断り、新たに面接の約束も辞退し、実は今日も新宿の方まで面接に出向く予定だったが、辞退するつもりでいる。すべての園が色あせてみえ、応対する保育士の笑顔が作り笑いに見える。新たな園を考えるたびに、抱き合って涙したあの園長先生の顔が光って浮かんできて、あの時の園長先生への恩をないがしろにできないな、と思ってしまう。
昨夜、今日面接に行くはずの園の紹介をネットで見ていたら、それぞれの園は非常に(たぶん、ダントツに!)頑張っているものの、法人のトップ、理事長の保育への思いにどうしても共感できなかった。これも書き方ひとつなのかもしれないが、でも、やっぱり、そういう言葉を選ぶのは違う、疑念をぬぐえないと思った。家からも近いし、正職員だし、待遇面もすごく良かったが、それでも私は受けるのをやめる。それでいいんだと思う。
今まで、法人の理念、法人のトップがどう考えていようと、現場にはあんまり関係ないやと思っていた。でも、どうせ働くならトップを尊敬したいし、そういう素晴らしい人の下で働きたい。そう信じたい、そういう自負をしたい。それが愛社精神というもの。正職員になったら、同じ法人系列園に転勤もある。でも、きっとみんなトップの考えに賛同したいいところなんじゃないか、と思える(「思える」だが)気持ちがあること、それが何より大事じゃないかと思う。とはいえ、11月に実習をして、12月から年度末まではパートだ。
パートでへたばって「正職員になんて、ならなくてもいいや」と諦めてしまわないようにとだけは思っている。


さらに、とはいえ…。
実は就職活動している際に見つけたんだけど、東京都のある離島で保育士を募集している。
どうにもならない夫との関係も、自立できるのに親に頼るパラサイトな子供たちも置いて、猫だけ連れてひとり島に渡ってしまうのも、人生一度しかないし、面白いかな、と思ってしまう。人生変わるよね~。すごく興味があって、実は問いあわせもしている(笑)。
熱い園長先生と人生を変える島の保育士との狭間で揺れちゃったりして…。どうなることか。来年、お正月にどこにいるのかさえ、わからない私(笑)。
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by zuzumiya | 2014-10-24 08:27 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

子離れはできてもペット離れはむずかしい?

猫は犬に比べてわがままで気ままで、必要以上に人間に媚びないというイメージがあるが、実は犬以上に甘えん坊でどこへ行くにも始終、飼い主にくっついてきて、足にまとわりつき、膝に乗ってきて、意外にウザイ動物である。少なくても、うちのももちゃんはそうだ。
その点、人間の子供は自分から親離れしたがるし、振り返ってみると親にべったりの時期は短い。私がベッドに寝っ転がればすぐさまベッドに上って足元にいるし、食卓に座れば椅子の背に飛び乗るももちゃんを見るにつけ、我が子以上に後追いが激しく、子供子供してるな、と感心してしまう。実は子供との愛着関係より、ペットとの愛着関係の方が成功したのでは、とふと思う。
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by zuzumiya | 2014-10-11 22:15 | わたしのお気に入り | Trackback | Comments(0)

19日で、49歳。四苦八苦の新たな私…。

前回はちょっと疲れていたのか、マイナスな雰囲気のものを書いてしまった。
正直なところ、人間はいつでも前向き、生きているのが楽しい!というわけでもないし、私の場合、頭でっかちで何事も難しく考え込んじゃう傾向があるから、人生は無常で虚しいというのも実に本音であって、たまにはしょうがない。
実は今、職場に内緒で就職活動をしている。
図書館に勤めていた頃には司書に、特養に勤めている今は介護士にならないかと行く先々で誘われてきて、それはそのまま私の働きぶりへの高評価として素直に嬉しく思ってきたが、その度に新たに資格を取ることには抵抗があった。なぜなら私には保育士の資格があるからで、今回、40代最後の年を迎えることもあり、眠っている資格を生かして保育の現場に戻ろうかと思っている。
で、今日、立川でブランクのある保育士の現場復帰を目指す研修というやつに出た。明日もある。研修が終わると、希望者には3日間の保育実習があるのだが、自己紹介でみんながみんな保育士として再就職したいと言っていたにもかかわらず、なんと20数人のうち実習希望者は私を含めて4人しかいなかった。どういうことなんだ?
実際、せっかちの私は、もう面接を1社受けている。今月だけでまだ2社受ける予定だ。来月にも就職相談会がある。介護も保育も需要はあって、特に保育は待機児童を減らさねばならないという国策があって、保育士復帰は難しくないはずなのだが、年齢と経験年数、ブランクの長さが不安の種。年齢に関していえば、若い保育士にない人生経験からくる精神的な落ち着き、みたいなものがウリになるはずだが、いまだ、若さを可能性、可塑性とみて、そっちの方が教えやすいと望む園もある。
若い子は保護者との対応で行き詰まりやすく、お母さんに「先生は学校で保育のお勉強をされてきたけど、実際に子供を生んで育ててないから、本当のところ、私の気持ちなんてわからないのよ」と言われてしまって、言い返す言葉がなかったりする。若い子はそれでプイとやめてしまうことが多い。年齢を重ねて、向こう見ずな若気の至りがなくなった分、踏ん張る力、粘る力はあるはずなんだが、それがうまく面接で園に伝わるかである。というか、人を年齢で見て、その段階で「先がない」「先が知れた」と切るような園は、もっといえば「面接に呼んでこの人の生きてきた人生で得たものの話を聞いてみようじゃないか」と人間を面白がれない園は、子供に対してもどこかで同じ価値の切り方をすると私は思う。保育や教育や、上っ面の耳障りのいいもっともな理想論を言うことは楽だ。園舎もきれいでいかにも親ウケを考えた感じの園もある。研修でもびっくりしたのだが、2つの園がきて、やっている保育がまるで正反対なので、いくら地域に根ざした保育とはいえ、ハイソな地域とそこそこの地域とで育てられた子供の成長のスピードと内面は大きく違うんだろうなと不安に思ったりする。待機児童を減らすために、大小さまざまな規模の園がある意味、乱立していく時代になって、園によって保育の理念、やり方みたいなものが千差万別になっていく今、保護者のように保育士も園を選ぶ確かな目が必要だと感じた。保育士として入ってはみたものの、園の考え方と合わない、なんて不幸なことがないよう、見極めていきたいが、通勤時間や賃金などの諸条件も関わるから、ほんとに探すのは難しい。50を前に今更こんなことになるなんて、何やってんのかとため息が漏れそうになるけど、でも、一人で生きていくことも考えたら、頑張るしかない。はい、明日もまた、頑張ります。
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by zuzumiya | 2014-10-11 21:51 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

「この世は最高!」とキミは歌うけれど

今日、新しくおばあさんの入居者がきた。
彼女が娘さんに車椅子を押され、部屋へ案内されている間、同じく車椅子の旦那様が食堂にひとり残り、テーブルの人たちと談笑していた。
「私の家内なんです。どうぞよろしくお願いします」
ふと聞こえたその言葉に、なぜだか胸を掴まれた。
年をとり、互いが車椅子になって、旦那様の方はうちのホームには入れないようだから、娘さんが面倒を見るのか、はたまたどこか別の施設に入居するのかはわからないが、人生の最後の最後にやむなく離れ離れになるという選択をしたふたり。それでも、妻の身を案じて、どうぞよろしくと笑顔を作って頭を下げている老夫を見ていると、なにか、しみじみとした気持ちになる。微笑ましいのと同時に、私の老後はたぶんあんなふうにはならない、私はもうなくしてしまったんだ、という思いが胸をよぎり、うっすらと淋しいような、孤独を感じた。

賽の河原というけれど、この世の人生だって、積んでは崩れ、積んでは崩れの繰り返しじゃないかと思う。少なくとも私はそうだった。頑張って積み上げたはずのものを一瞬で崩してしまう。あるいは崩すハメになる。何もかもが中途半端。仕事もそう、人との関係もそう。そもそも執着というものが人より薄いのだろうか。幼い頃、あんなに求めていた家族さえ、この手で壊してしまった。
何かを成すために、何かをわかるために、この世に生まれてきたのだとしたら、その何かとはなんだろう。私は無常というものの虚しさ、それに尽きる気がする。
全てはとどまることなく流れていく。いいことも悪いことも、ぜんぶがぜんぶ。
変わっていくことに新鮮さや希望を見いだせて胸躍らせるのは若さゆえなのだ。今の私は、変わっていくことに、とどまれない時間の流れに、ただただ呆然としてため息が出る。人生の持ち時間の多い少ないじゃない。これから長く生きても予想外に短くても、私はきっとこの世は無常であるという真実とそれゆえの滲みるような虚しさに打たれるだけだ。
なんだか仏教徒みたいになってきたな(笑)。
でも、すべては変わりゆくという無常を受け入れ、心に止め置くことさえできれば、きっと孤独をも我が物にできる、そんな気もする。
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by zuzumiya | 2014-10-07 21:40 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(2)

二度とは行けないあの秘密の場所

ちょっとした旅をしているみたいで、グーグルマップのストリートビューを見るのが好きだ。でも、なにせ方向音痴なものだから、いつでも迷子になってしまう。友人にこっそり一度だけ連れて行ってもらった、一人では二度とは行けないあの秘密の場所へ、ストリートビューでならと、おぼろな記憶を頼りに出かけてはみるけれど、あのときは夜だったし、ドキドキしてたしで、やっぱり今日も見つけられない。こっちから来たはずなのに、どの角を曲がったんだっけ、目印のセブンイレブンのあたりでいつもうろうろしてる。
現実にあの駅におりたってみても、もうたぶん、たどり着けないんじゃないか。途方に暮れて公園のベンチで哀しい時を過ごして帰ってくるだけだろう。それでも試してみたい気もするが、そんなことをしている自分が憐れで自己嫌悪になる。ストリートビューで迷子になりながらも、同じ風景を見れていること、今、近くにいるんだってことがなんだか嬉しい。もうそれだけでじゅうぶん。
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by zuzumiya | 2014-10-04 23:31 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(1)


ふだんの暮らしに息づいているたいせつなもの、見つめてみませんか?


by zuzumiya

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