暮らしのまなざし

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ああ、母親ってソン!

娘が週末からアニメのワンピース関連の友人たちと大阪に旅行に出かける。
日頃、部屋をだらしなくしているのでコスプレ衣装のパーツがひとつ見つからない。仕方なく、先日、駅前の洋裁屋に作ってもらうことになった。「3000円もかからないですよね」「そぉんなにかからないわよ」そうおばあさんは答えたくせに、出来上がった今日行ってみると「寸法を間違えて、もいちど布を買い直した」だの「意外と小さいものなのに丸一日かかった」だの言われて、挙げ句の果てに消費税が乗っかって3024円を請求された。悔しかったが、それでもどうしても必要なものだったので、言い値のまま買い取ってきた。
今日一日、美容院でめいっぱい立ち働いてきた娘は用意した夕飯も食べず「シャンプーで肩が痛いから、シャワーじゃなく風呂にしたい」と言い、「浴槽は自分で洗うから」と言うが、娘に任したところできちんと隅ずみまで洗えるとは思えないので、結局私が自分で洗うことにした。食後のひと段落ついた、いちばん落ち着いてるその時に。
ひと夏、シャワーで済ませていた浴槽は使っていないのにシャンプーだのボディーソープだのの石鹸滓がへばりついていて、洗うのに力がいった。洗いながら「娘はきっと後で思い出すときは楽しい旅行のことばかりで、私が仕事の合間に自転車で洋裁屋へ駆け込んだことや兄貴が何だかんだで2万も貸したことや、こうやって言われるがままにまだまだ入らなくてもいい風呂を洗って沸かしてやったことや、明日の5時起きに付き合わされることなんか、み~んな忘れちゃうんだろうな」と思った。
で、「自分で洗うと言った娘に素直に洗わせればよかったのに、なんでこうして自分でやっちゃうんだろう、だからストレス溜まって疲れるのに」と思った。
考えてみるに、ひとつは、休み時間もなく、持って行った小さなおむすびすら全部食べ切れずに帰ってきた娘が憐れで可哀想というのもある。もうひとつは、私がいつでも“やさしい理想のお母さん”になりたいがためだ、とわかっている。
私には母親がいない。私を産み落とした母はいるが、育てたのは高齢の祖母だった。愛情は祖母がくれたが、母がくれたものはお金だけだった。自分がなりたい母親は自分が欲しかった普通のお母さんだと思い、我が子を見るたび「ああ、この子には今、目の前に母親がいても、そういうお母さんがいないなんて可哀想だ」そう思い直して、どんなに面倒でも、疲れて嫌だなと思っても子供の要求を受けて立ち動いてきた。
でも、でもね、と今は思う。どんなに愛情をかけて育ててきても、娘が結婚して子供をもたない限り、私の大変さを、母親というものの逃げ場のない大変さを心の底から思い知って、私に感謝することはできないんだろうと思う。それから、娘はよく「年をとったら、お母さんの面倒を見るから」などと口では可愛いことを言ってはくれるが、老人ホームで働いてみると「私もこういう末路を迎えるんだろうな。いや、まだ施設にいられるだけマシかもしれない」なんて自分の老後を思う。正直言って、ホームの世話が(人手不足の介護業界だから自分の職場に限らないんだろうが)決して素晴らしい、理想的なものとは言えない。女性介護スタッフの感情にまかせた激しい怒号を耳にすることはしばしばある。いくら世話をかけている身といえど、お金は払っているのだし、家族でもない赤の他人に、人生の辛苦なんてまだこれっぽっちも分かりもしない小娘にあそこまでキツくなじられるのは、ほとほと嫌になるだろうな、と思う。度々続くなら、言葉の暴力として虐待として、人間としての尊厳が傷つけられ、生きていてもしょうがないと生きる意欲まで奪っていってしまうんだろうな、と想像できる。
どんなに面倒を見ると言ったとて、子供たちも働いて生きていかねばならず、手のかかる老人の私を、もしかしたら認知症になっているかもしれない私の日常の世話を働きながら十分にできるわけがないのだ。結局は施設の、他人の世話になる。そうして、人手不足の過剰労働で疲れているスタッフにああして怒鳴られるのだ…。ああ、そんなんだったら早く死にたいな。でも、実際はそう簡単には死ねないんだよな…。
浴槽をゴシゴシ洗いながらここまで考えて、げんなりした。今やっていること、今までやってきたことが何ら報われない未来だと思うと、結婚なんてしなけりゃよかった、面倒なだけの家族なんて持たなきゃよかった、という気になった。ああ、だから、最近の若い子たちは結婚しないのか、と納得してため息が出た。
シャワーで浴槽を洗い流して、湯はりを始める。洗面所の戸棚から娘のお気に入りの浴用剤をひと袋出して置いておく。
やれやれ、終わったとつぶやきながら、洗面所の鏡を見る。年相応にやつれた女が淋しい目をして写っていた。私はこれからどうなるんだろう…。
「悔しいから、お母さんも風呂入るからねっ」娘の部屋に向かって声を張る。
「もっちろん!ありがとー!」あっけらかんと娘の明るい声がした。
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by zuzumiya | 2014-08-30 21:52 | ちっちゃい器で生きていく | Trackback | Comments(0)

繁茂する緑と人間の心性

住宅街で見かけるゴーヤや朝顔の緑のカーテン。もうすっかり日本の夏の風物になった。一階のプランターから二階の窓まで長々と吊るされたハンモックのような網を蔓葉たちが勢いよく這い登ってワサワサと繁茂している様は、まるで家が半分、緑に占拠されつつあるようで見ていると可笑しい。そう思ってあたりを見回すと、ゴーヤや朝顔だけじゃなく、お馴染みのアイビーやツルニチニチソウ、ジャスミンの類、ワイアープランツまでもが鉢からあふれ、家の塀を壁を這い上がり、垂れ下がり、縦横無尽に伸びていく様を見つけて、その勢いにこれまた可笑しくなる。緑にこんなにも自由に為すがままに蔓延らせて、この家の住人たちはよく平気でいるものだなとその鷹揚さに思わずクスッときてしまう。
ああいう緑が好き放題に繁茂したままの家々を見ていると、人間は植物が成長し伸びていくことに実に好意的なんだなと思ってしまう。ルーズさとか手入れの面倒さとか、理由を挙げればそれなりにあるんだろうが、そういうことじゃなく、もっと人間の根本の心性として植物が豊かに育つことに無条件に悦びを感じているようなところがあってそのままにしておく、そこに私はのほほんと微笑ましいものを感じる。明日もきっとゴーヤに乗っ取られそうな家の前を通るたび「あ~あ、こんなになっちゃって」と笑うんだろう。
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by zuzumiya | 2014-08-29 22:07 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

ZUZUとエリンと猫の夜(&追記)

a0158124_0112175.jpga0158124_011349.jpgときどき、実に女らしいというか、女のコらしい夜を過ごす。
たとえば、私の部屋は白と水色とベージュがメインなんだけど、そこへラベンダー色のカーテンなんかどうだろうとか、キルティングのベッドカバーが猫の爪で台無しになったから何かいいのに買い換えたいなとか、間接照明に素敵なものはないかなとか、インテリア雑誌のかわりにiPadを指でめくってネットをウロウロする。
それに飽きると、ZUZUこと安井かずみの昔のエッセイのページをめくり、彼女があんまりにも女として正直に可愛いらしいこと書いてるのを見つけて、ひとりニヤニヤする。

<いくら仕事のスケジュールが忙しい時でも、仕事はやっぱり仕事というように、私の心の、体の空間がどこか空いていて、その空間だけは男でしか埋められなくて、いくらおしゃれの極致を尽くしても、お金の山をみても(まあ、みなかったけれども)、いくら素敵で贅沢な旅をしても、仕事が日本一と評価されても、その代わりにはならなかったし、充足されなかったのは事実だったのです。> 
                             『たとえば好きたとえば嫌い 安井かずみアンソロジー』より

これは「ある女の表情」というエッセイからの引用だけど、あとがきによるとちょうど加藤和彦さんと結婚したアツアツの頃に書かれたものらしい。このエッセイの最後なんか、ほんとに幸せそうな微笑ましい一文で終えられていて、でも、実際、女の表情というのは彼女の言うとおりに作られると私も頷く。

<実に私は私ですけれど、でも最近、私の表情は私が作るのではなくて、彼と私の間のあいだに作られている気がしているのです……不思議です。つまり、自分の顔を作り上げるものが何かということが、少しわかってきたのではないかと思うのです。>

ZUZUってバリバリに仕事のできるハイセンスな自立した女だけじゃない。ある面では実に頼りなげな、「男が居てくれなきゃまるでダメなの」という、か弱くて可愛らしい女だったんだとクスッと笑ってしまう。ま、和彦さん命のZUZUだったもんなぁ。
本を読んでいると、猫のももが本の角っこに顔をすりすりしてきて、遊べって催促する。
数ページ読んでは中断して、ベッドの上で猫じゃらしで遊んでやる。その間、ネットや読書の時からずうっと部屋に流れているのは、ピンボケの赤い傘が可愛くてジャケ買いしたエリン・ボーディーの『リトル・ガーデン』。ノラ・ジョーンズが先頭切って走って道を作ったジャジー・ポップ、アコースティック・ポップの類の音楽。特にエリンの声やメロディはノラよりずっと女の子っぽくキュートで明るい。ほんとうは夜じゃなく、天気のいい昼間に窓を開けながら流すような音楽だけど、なんかこういう可愛らしい女の子らしい音楽をかけて夜を過ごすのも、女子大生や若い独身OLみたいな気分になって若返る。ベッドでペディキュアなんか塗ってみたりしたらもっとよかったのに。でも、そこは持ってないんです、ハイ(笑)。


※8月28日追記
安井かずみという人は、作詞にしろ著作にしろ、仕事をないがしろに軽く見ていたわけではないけれど、どこか学生のホームワークのようなその場その場の“やらねばならないしかたのないもの”として捉えていて、「ホームワークが済んだから、さっさと遊びに出かけましょう」的なノリのスタンスだったんじゃないかと思える。
想像だが、あくまで彼女にはもっと大きな人生の課題がずーっと心にあって、それが“異性とのパートナーシップ”、それに尽きるんじゃないかと私は感じている。そこが私が安井かずみを好ましいと思ういちばんの理由だ。私も人生の課題を抱えているから。
仕事は大事だけど、自分の全てじゃない、全てになんてなりえない。そういうところが男勝りのバリバリのキャリアウーマンであってキャリアウーマンでない、逆にそういうのは女性の幸福にとって損失でしかなく、実にもったいないこと、としか考えていないような、キャリアは積んでも自分のなかの女性性をとても尊んだ生き方を提示してみせた粋な人だったと思う。
女性誌を見ると仕事へのスタンスとして"バリキャリ”、“ゆるキャリ”なる言葉が出ているが、「肩肘張った“バリキャリ”は傍から見たら窮屈で、ぜんぜん優雅じゃないわよ」というZUZUの声が今にも聞こえてきそうで、あの当時、やっぱりZUZUは進歩的だったんだなと思える。と同時に現代は、恋愛なんて面倒くさいと感じる若者も多いので、今彼女が生きていたら「なんと、情けない、不幸なことか!」とため息をつくだろうなとも思う(笑)。
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by zuzumiya | 2014-08-27 00:18 | わたしのお気に入り | Trackback | Comments(0)

ENOを聴いて芭蕉を想う夜

a0158124_2225130.jpgここのところ、わりにハイテンションな音楽を好んで聞いていたので、その反動で今夜はアンビエントを流している。もちろん、アンビエントといえばB・ENO。今夜はシリーズ最初の『MUSIC FOR AIRPORTS』を選んだ。好きなアルバムだ。
最近は涼しいので夜は冷房をつけなくても網戸でいられる。繰り返すメロディーの単音単音のぼおぅとした余韻の合間に、網戸の外から、すいすい、るーるーと虫の鳴く声がする。ああ、もう虫がこんなに鳴いているのか。今夜はじめて気がついた。音楽と自然の音との融合。アンビエントを環境音楽とはよく言ったものだ。かの松尾芭蕉も降り注ぐ蝉の声に囲まれて静寂を詠った。音を聴く、音によって生まれてくる静寂を味わう、その相反する沈静作用の不思議なからくり。アンビエントの醍醐味だ。
いつの間にか、スピーカーの前で猫のももが気持ちよさそうな顔をして眠っている。
やはり、我が家の猫は飼い主がそう育ててしまったので、穏やかで静かな音楽の方を好む。
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by zuzumiya | 2014-08-25 22:27 | わたしのお気に入り | Trackback | Comments(0)

Jack White「I’m Shakin’」に

a0158124_15294443.jpgノリのいいロックを聞いていると、ふいに「人生は試練なんかじゃない。楽しむためにある」と思えた。今日も明日も明後日も、一生かかって自分を楽しませる方法をああでもない、こうでもないとただ探っているだけ。それが人生。



※写真はジャックの初ソロアルバム『ブランダーバス』
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by zuzumiya | 2014-08-24 15:32 | わたしのお気に入り | Trackback | Comments(0)

「流れ星のやうな人生」と彼は歌いました。

48歳にして、いまだハンカチを忘れる。
48歳にして、いまだ出会い頭に「すみません」と謝る。
48歳にして、いまだ首にあせもを作る。
48歳にして、いまだ金が貯まらず。
48歳にして、いまだ1年後の自分すら想像できない。
何にも変わっちゃいない。何にもわかっちゃいない。行き当たりばったり。蝉が鳴く。


※追記(9月20日)
『流れ星の「や」うな人生』でしたね。失礼いたしました。訂正させて頂きました。ホントに何もわかっちゃいません、ハイ。

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by zuzumiya | 2014-08-23 07:45 | ちっちゃい器で生きていく | Trackback | Comments(0)

ごめん、のかわりに

例えば怖い夢を見たとき。はっと目覚めて、最初に見える夫のつむじ。
笑っちゃうくらいヘンな形で情けないけど、ものすごく安心する。
例えば、朝早く夫が出かけていくときの、あの玄関で鍵をかけるカシャリという音。
布団のなかの私には、大事なものを守ろうとしているように響く。
例えば、なんとなく二人がそういう気分になった夜。夫の爪を切る音。やさしい音だなって思う。
時として、言葉よりそんな小さな些細なことどもが私を正す。
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by zuzumiya | 2014-08-23 06:49 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

Marie Fisker&スライド・ギターで、音に漂う

a0158124_23465231.jpg最近は音楽づいてます。ちょっと前まで美術・アートづいていて展覧会にもよく足を運んでいましたが、バルテュス展以来、残念ながら経済的理由によりどこにも行けていません。ほんとうは“ヴァロットン展”に行きたいんですが、9月23日までなんで、行けるかどうか。
そうこうしているうちに、音楽運が巡ってきて、ここのところいい音楽に出会っています。ワンダ・ジャクソンもそうですが、たまたまYouTubeでMarie Fisker(マリー・フィスカー)なるデンマークの女性歌手を見つけまして、今CDが出回ってないか調べています(手に入らなそう…)。マイナーな人みたいです。
このマリーさん、実に気怠くて渋い、いい声をしています!
そして、何よりスライド・ギター!
マリーさん、スライド・ギターが好きみたいで、彼女の声のバックに、ぼおおんとネオンの光のように漂い響いてきて、気怠さに甘さと色気の余韻をつけてくれてます。マリーさん、ご自分の声をいちばん引き立たせてくれる楽器をよくわかっていらっしゃる。
私もスライド・ギターが大好きで、いくつか効果的なアルバムも持っていますが、何なんでしょうね、あのクラックラするような酔いは。スライド・ギターは脳みそを酩酊させるというか、腑抜けにさせる効果がありますね(笑)。マリーさんの気怠い声に絡みつくスライド・ギター。この絶妙なブレンドを是非、YouTubeじゃなく、CDとして手に入れたい。ヨッシャ、いいものを見つけた!この巡り合わせに感謝です。
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by zuzumiya | 2014-08-20 23:49 | わたしのお気に入り | Trackback | Comments(0)

最高にクールでグラマラス!ワンダ&ジャックお見事!

a0158124_15571224.jpgもう一曲目からリズムとりっぱなし!
久しぶりにウキウキ楽しくなりました!
アルバムがんがんかけながら、夜のドライブへダーリンと行きたい感じ。
どの曲も片っ端から好きだという、ほんとに見事なアルバム。
こういうアルバムの良さをわかる男がいないかなぁ。
ジャックのプロデュースということは、ジャックの手腕が凄いのよね。
こういうのはなんて表現すればいいのかわからないけど、妙にハズしてくるところ、肩すかしが実にお洒落だし、クールとかグラマラスとかだけじゃなくて、アレンジにユーモアがあって、ものすごくキュート。ワンダの声って不思議で、舌っ足らずであどけない幼女っぽく聞こえる時もあるし、魔女か性悪の老猫が凄みをきかしてるみたいなダミ声の時もあって(笑)、アクが強くて、すごくアニメや漫画的にも感じるし。そこをチャーミングに捉えて曲をふくらませてる感じが実に今っぽいというか上手いと思う(3曲目なんて特にユーモア感じる)。
やっぱり「ジャームッシュが好きな(映画の中でジャックを天才と褒めてるからかなり好きなのだと思う)だけあるわ、ジャック」と思った。でも、映画人っでいったらもしかしたらティム・バートンなんかもこういうユニークなアルバム好きかもね。
6曲目は、なんだか日本の昔の歌謡曲を思い出しました(笑)。
ほんとにほんとにオススメです!
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by zuzumiya | 2014-08-19 15:58 | わたしのお気に入り | Trackback | Comments(0)

女が惚れるとき

女は男にいつでもわかってもらいたいと思っている。
男のわかろうとする姿に、女は心を揺さぶられる。
「お前のことは俺がいちばんわかってる」
そんな嘘っぱちを鼻で笑いながらも、どこかでうれしかったりする。
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by zuzumiya | 2014-08-18 11:19 | 降ってきたコトバたち | Trackback | Comments(0)

ふだんの暮らしに息づいているたいせつなもの、見つめてみませんか?
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