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文章を読むことは会話なのかも

a0158124_14304713.png初めての川上未映子作品『愛の夢とか』読了。
噂に違わず、ほんとに一文が長い。書き写してみると読点もない。そして、ひらがなが多い。(これらが更にある種のくどさに繋がるのかもしれない)。
考えるそばから思いつく言葉を矢継ぎ早に口にして、あるいは、よりよく相手にイメージしてもらおうと躍起になって言葉を重ねて、気づいたら、一人でえんえんとしゃべって自己完結していく女友達の終わらない話を聞かされているかのような疲労感もあり。
文章を読むこともひとつの会話のようなものであること。読者を聞き手役ばかりに追いやらないことなど感じた。それでも、胸にくるいい表現はあり。

<こちらを少しもみることもなく後ろを通り過ぎられること。いつもとおなじ流れの中に、いつもとは違うもの、もう違ってしまったものがはっきりとまぎれていて、それがいちばんに届くこと。> 「いちご畑が永遠につづいてゆくのだから」より

<わたしはどうしていつも自分で自分を置き去りにして、すぐにそれを迎えにゆくような恥かしい真似を飽きもせずにこうしてくりかえすことができるのだろう。> 
「いちご畑が永遠につづいてゆくのだから」より

<ふいにどうしようもない淋しさがこみあげてきた。それはこれまで感じたことのある淋しさのいろんな部分が都合よく混ぜあわさった淋しさで、何がそんなに淋しいのか、自分でもよくわからなかった。わたしは何歳になっても、わからないことばっかりだ。それで、わからないことに安心しているのだ。そして、わからないと言いながら、ただこんなふうに淋しくなることだけがいつまでもできて、こんなことをただくりかえして、それで年をとっていつまでもこんなふうにひとりきりでおんなじ場所に立ち尽くしたまま、そうやって、わたしはいつまでだって、そうやっていくのだ。>
「日曜日はどこへ」より

<生きてるひとをすくうのは、すくえるのは、どうやったって生きてるにんげんでしか、ないんだった。だいじな人がいるなら生きていなければならないんだな。おなじところに、おなじようにいなければだめなんだな、はなれるとかわかれるとかっていうのはほんとうはこういうことだったんだな、ひとはつよくて、いきていくだけのかろうじてのつよさがあれば、そのうちいきているひとがだれか、だれかがきっと、またちからをくれて、ちからをきっとくれるだろう、いきていれば、いきているだれかが。>
 「十三月怪談」より


でも、得意の比喩がなんだかよくわからないで、さほどの効果なく終わることもある。

<それに知らない家の知らない女の人のまえに座って知らないソファにもたれて知らない話をきいていると、喉からへそにかけての何かがゆるやかになっていく感じもした。それは誰かにとっては自分だってただの知らない人なのだというそんなあたりまえのことを、手のひらをやさしくにぎってそこを指でなぞってそっと教えてくれるような、そんんなあてのないゆるやかさだった。> 「愛の夢とか」より

こういう比喩、あるいはもう少し考えてみればこういう比喩も可能だと、ひとつのことをまるで「ああ言えばこういう」的に畳み掛けていく文章は、言葉遊びの延長ようにうるさく感じられて、私はあまり好きじゃないけれど、詩人でもある川上さんの個性といえば個性なのかな。私はこの人の個性はそういうところじゃなくて、上で挙げた「わからないと言いながら、ただこんなふうに淋しくなることだけがいつまでもできて」のような、淋しさの本質みたいなものを見抜くそのなかにある気がするけど。
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by zuzumiya | 2014-02-24 15:01 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

あの頃の空気には

よく言われている長年一緒にいて慣れ親しんだ夫婦の、空気のような互いの在りかたについて。私が話をしたいのは「空気がなければ生きていけないでしょ」というあるなしの価値の話じゃなく、ほんとにその場の空気というか雰囲気の話だ。
今日はたぶん夫は宿直明けである。別居前は普通に彼が帰宅して、最近は眠らないというから、おそらくはパソコンの前に座り、メールやいくつかのネットやニュースを見たり、郵便物や机の簡単な整理(いつも最後までしない)をしたりして、彼なりに自分を取り戻すためのお約束の時間を費やし、だんだんと馴染んでいき、私はやはり日常の細々とした家事をぱたぱたと片付けた後、それぞれの時間を乱さない程度の静かで温和な音楽をかけ、同じくパソコンに向かったり、読みかけの本を開いたりする。同じリビングの向こうとこっちで。
ストーブの上の薬缶がシュウシュウしだせば、それをきっかけにどちらかがコーヒーを入れに立ち上がったりする。いくつかの言葉を交わすこともある。例えば、私が文章を書いているとしたら、「ねえ、あれって、何て言ったっけ?」とど忘れした物の名前を聞いたり、「この使い方で合ってる?」と、今しがた書いた一文を読み上げることもある。彼の方は面白いニュースがあれば話しかけてくるが、たいていの場合は黙っている。
今考えれば、この、なんということもない二人の時間に流れていた空気。二人をやわらかく自然に取り巻いていた空気。あの自由で、許されていて、緩んでいて、静かで、ほのぼのとしていて、淋しくもなく、退屈でもなく、不安でもなく、安らかに満ちていた空気。そういうものに自分は何不自由なく存分にくるまっていたんだと、今日、ふと気づいた。
淋しさというのは、たぶん、この目に見えない空気それ自体のことだ。
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by zuzumiya | 2014-02-24 13:05 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(2)

今日はじめて

癒された、と思った。
もう喋らない動けない、されるがままの車椅子の老婆の、
私に促され、静かに開いた片眼のなかに、瑠璃色に澄んだ小さな泉があったこと。
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by zuzumiya | 2014-02-24 10:46 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

そろそろ、飽きてきませんか?

カフェっぽいソファとテーブルのあるカフェっぽい色合いの部屋で、おそらくはカフェっぽいやわらかで軽快な音楽が流れ、カフェっぽい装いと髪型とエプロンをかけた奥さんが、カフェっぽいごはんをテーブルに出して、旦那様と犬と猫と一緒に、カフェっぽい子育てを楽しんでいる。
そういう写真がいっぱいの、本、ブログ、世の中にありすぎます。
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by zuzumiya | 2014-02-23 17:28 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

無い無いだらけの今日

眼鏡も買ったし、今日は図書館から届いた本をひたすら読むはずが、気がついたらベッドに寝ていて、すぐに外から「家に帰りましょう」のメロディーが流れてきて、それはふだん私が仕事に出かける時刻を知らせる音楽で、つまりは、昼の間中、ずーっと寝ていたということで、その事実に愕然とした。
疲れていたのだろうか。本がつまらなかったのだろうか。
面白い本ならのめり込むはずだから、本のせいにしたくなるが、図書館で長く順番を待った人気の本ばかりである。たぶん、違うだろう。目が見えなくなったから読めないと思って、お手元眼鏡も買った。でも、それでも、なぜか本が読めない、進まない。どうやら字を読んでいく“根気”そのものがないようなのだ。映画ばかり見ていたせいなのだろうか。それもある。でも、もしかしたらこれが、「年をとった」ということなのかもしれない。

仕方なく夕方遅くに買い物に出た。
新刊本(←なおも本にこだわっている!)を買うためにわざわざ本屋のあるスーパーへ向かった。花屋の横に可愛らしいスウィーツのワゴンがあった。
すべてがひと口で食べられそうなプチサイズ。「買っちゃおうかな~」とよく見たら、“ワンちゃんのごほうびケーキ”と札に書いてあってびっくりした。
カップに入ったプリンやカラフルなタルト、直径5センチ程度の丸ケーキやロールケーキもある。値段も人間様のスウィーツと同じぐらい。痩せたいくせに、どれどれと覗いてしまった自分の根性を嗤われているようで恨めしい。

新刊本、置いてなかった。
売り場が雑誌と漫画ばかりに占領されて、小説の類が端っこに追いやられていた。しかも文庫本がメインで、単行本はほとんど置いてなかった。頭にくるからチェーン店名を書いてやる。「アシーネ」という本屋だ。ダメだよ、こんな売り場にしたら…。本は文化の担い手なんだよ。それとも、この町の人間がもはやこういうものしか買わないということか。
「ここで諦めたら私の一日がほんとにムダになる」と思い、駅の方まで自転車を走らせた。が、駅前の本屋にもなかった。アルバイトの学生風な兄ちゃんが頼りなくて、「ほんとに無いの?よく探した?」とにじり寄りたくなった。角田光代の『私のなかの彼女』だよ、マイナーな作家じゃない、なぜに無い?
不思議なのは、窪美澄の新刊『よるのふくらみ』があったこと。『ふがいない僕は空をみた』の窪さんの真骨頂たる本で、即買いだが、今の自分が読みたいのは、まずは角田さんの方なのだ。結局、窪さんの本を買って帰った。
小説を選ぶ目安というか、どんな風に選んでいるかというと、私の場合は絶対“共感”である。だから、ファンタジーやSFとか、もう年齢的に過ぎてしまった青春学園ものとか、歴史もの、半沢直樹みたいなビジネスものとか、そういう今の私の現実からかけ離れたものはなかなか手に取らない。ミステリーだけは例外で、いつでも突如として読みたくなる。この趣味について、世界が広がらないから良くないなと思うのだか、どうしてもダメだ。やっぱり誰かに今の自分や自分の抱えてる気持ちを代弁してもらいたいんだろう。自分が書くのがいちばんいいのかもしれないが、書くというのはとても怖いし辛い作業である。

買い物帰りに花屋で、落ち込んでる自分のためにサクラ草でも買おうと思ったら、またしてもいいものが無く(←無い無いだらけだ、まったく!)、でも、沈丁花の鉢を見つけた。
値段も手頃である。沈丁花の鉢が置いてあるなんて、ほんとに珍しい。これを逃したら、出会うことはないだろうと思ったが、でも、ベランダでちゃんと育てていけるか自信がない。すぐに枯れてしまいそうだ。ずいぶん悩んだすえ、買うのをやめた。

今日は、百田尚樹原作のボクシングドラマでも見て、うさを晴らそう。
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by zuzumiya | 2014-02-22 20:52 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

初恋の相手は、デビルマンだった。

子供の頃からへそ曲がりな私は、悪魔(デーモン)出身でありながら、なぜかヒーローというちょっと特殊でダークなキャラが好きだった。その後、やはり私は白昼輝くスーパーマンより夜の闇に舞うバッドマンを好むようになる。
最近、テレビからそのデビルマンの主題歌がやたらと聞こえる。しかも、格調高いオペラ風にアレンジされて、せつなく耳に残る。ソネットの新しいインターネットサービス「NURO」の告知CMだ。文字だけで構成されているバージョンの頃から、センセーショナルで強気な文面に気にはなっていたが、最近では赤目を光らせた実写のデビルマンが登場してくれる。で、そのデビルマンだが、よく見れば顔が、頭が、やや大きい。なんと、ピエール瀧ではないか。
私は、悲しい。悲しいよ、やっぱり…。なぜにもっとカッキイ男にしなかったんだ!
ただ、ゴッサムシティーを見下ろす孤高のバッドマンように、最後のカットでデビルマンがマントを翻しながら、街へと落ちていく。あの白黒のワンカットが素晴らしいので許すけれども。
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by zuzumiya | 2014-02-21 15:43 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

湯船でアイスクリームを

やさしい猫撫で声で辛抱強くいい人ぶったり、答えの出ない問いを毎日延々と考えていたら、ついに頭痛になってしまった。
痛み止めを二回飲んで、なんとか仕事は休まずこなせたのである。
そんな自分へのご褒美にチョコレートたっぷりのアイスクリームを買って帰った。
お風呂の湯船に浸かりながら、アイスクリームをほおばる。
今夜はそれでチャラにしよう。







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by zuzumiya | 2014-02-20 21:30 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(2)

丸眼鏡、買いました!

毎日、寒いですねぇ。もう雪はこりごりです。
今日は昼の仕事が早く終わったので、バスに乗って立川へ行き、グランデュオの6階のJINSで“お手元眼鏡”を作ってきました。私が以前にも書いた“文豪眼鏡”と呼んでいる昔ながらの“丸眼鏡”です。ひと頃流行ったスクエアなタイプより、最近は丸いラウンドタイプに人気が移ったようで、中でもジョニー・デップやキムタクがドラマでかけていたようなドラッドなボストンタイプが人気なようですが、私の買った眼鏡は純然たる丸、大正時代のような古風なまんまる。例えばアラーキーやら大江健三郎、永井荷風なんかがかけているタイプです。JINSは驚くべきことにレンズつきで7990円とお安いうえにツートンカラーのタイプが売っていて、気に入りました。
眼鏡はほんとに安くなりました。昔(20代の頃とか)は眼鏡を作るといったら、財布に5万は用意をして行ったものです。フレームもレンズも高くて、特にレンズを薄くするとさらに料金が加算されたりしました。それでも化粧っ気のない私は眼鏡が唯一のお洒落、眼鏡道楽だったので、ありとあらゆるタイプの眼鏡を試して、飽きては買いを繰り返したものです。丸眼鏡といえば、当時、ゴルチエが好きで、度付きで小さめの丸のサングラスを持っていました。たしか、メグ・ライアンが映画でそういう丸いサングラスをしていて(ジョン・レノンもしてたっけ?)、真似をしたのです。最近、テレビでまた三上博史が同じようなまん丸のサングラスをしているのを見かけて懐かしくなり、丸眼鏡欲しさに拍車がかかりました。
で、私がかけてみると、なんというか、真面目で純朴な昔の書生さんか、定吉と呼びたくなるような丁稚さんの印象です(笑)。
そこはかとなくユーモラスで、でも洒落っ気もあります。色はマットダークカーキとクリアネイビーのツートンです。もともとかけている眼鏡のフレームがスクエアなタイプのネイビーなので、顔に占める色の印象は変わりません。はっきりとした色の方が私には似合うことが今回わかりました。というのも、あまりにも“お手元眼鏡”が安くあがったので、普段かけている遠くを見る用の眼鏡も思い切って買い換えたんですが、髪色に合わせて明るいブラウンで作ってみたものの、家に帰ってあらためてかけてみると、あんまりよくないんですよ、これが。ネイビーより顔が優しい感じになるのはいいんですが、なんだか芯がない、ぼやけた印象になる。お店の鏡でチェックしている時には気にならなかったんですが、仕事の時間を気にして、ちょっと急ぎで選んでしまったかな、と反省しています。眼鏡を作るときはできれば一人で行かずに、家族や友人と行く方がいいでしょう。かけたときにどちらが似合うか、正直な意見を言ってくれます。もしくは、店でiPadか何かで眼鏡をかけた時の顔写真を撮って、その場で見せてもらえるサービスがあるといいですね。目が悪くてお店の鏡じゃ近くに寄りすぎて、顔全体がよく見えないものです。
ま、でも、ネイビーにほんとに飽きたら、ブラウンのもまたかけてみます。今日は久しぶりに楽しい買い物ができました。時間があれば隣の「オリオンパピルス」(お洒落でこだわりのある本屋さん)をもっとじっくり見たかったなぁ。詩人の小池昌代さんの散文集を見つけたんですが、高かったので図書館に頼むことにしました。散文集はエッセイですが、最近はまた詩が読みたくなっています。春に近づくとムラムラと詩が読みたくなるのはどうしてだろうといつも不思議に思っています。童話屋さんのコンパクトな詩集が好きなんですけど、辻征夫さんの『船出』も買いたかったなぁ。
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by zuzumiya | 2014-02-18 23:13 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

結婚したくなるCM

私も好きな写真集『もう、家に帰ろう』(田辺あゆみ・著、藤代冥砂・写真)の帯だったか宣伝文句かに「結婚したくなる写真集」とあった気がするが、うまく言ったものである。たしかにあの写真集を開けば、二人でいる日常が生み出す何気ないハピネスに世の中の女子は(なぜか、既婚女子でさえ)こぞって「結婚したいーッ!」と叫んだに違いない。
先日、テレビを見ていて、この写真集と同じ効果を生み出しているCMがあることに気がついた。

リリー・フランキーと深津絵里が夫婦役で演じている大和ハウスのCM。
「ここで、一緒に」シリーズとして始まって、「野党」篇と続き、今、3作目は「初雪」篇が流れているはず。大和ハウスのサイトへ行けばすべての作品が見られるので、まずは見てきて頂けると話が早いです(笑)。

この企画を考えたプランナーが果たして女性か男性かはわからないけれど、女心に(おそらくは男心にも)きゅんとくるさりげないセリフ回しが実に見事だと思う。役者の演じる姿や声が醸し出すぬくもりのような役者側のチカラだけじゃない。まず企画として、こういう言葉の掛け合いをさせたらいいよね、という企画者のセンスとチカラがあるわけで、そちらを私は何より評価したい。こういう夫婦がいて、この夫婦に何を言わせたらいいかというのはまずは紙の上、机の上でプランナーがたった一人で考え、判断するからだ。そこから全てが始まっていく。

さりげないと一言で書いてしまったが、秒数的にも最小限という制約がある言葉のなかで、その言葉以上の、そこに収まりきれないはみ出た夫婦それぞれの想いというか、時には見栄とか可愛らしい強がりだったり、試すようにちょっと意地悪してみたくなるその気持ちだったり、それとわかってサラリとかわしてみたり、すべてを知っていて相手を慕う本当のぬくもりだったりが言外に漂っていて、そういう男女の心の機微のさじ加減、“全部を言わせずして、全部とそれ以上を感じさせる”テクが見事で、天晴れだと思う。日常の自然な映像とセリフをうまくマッチングさせることで、微笑ましく可愛げのある夫婦像を作り上げているところもいい。

この夫婦のCMを見るたび、きゅんとして、なごんで、どこか微かにせつなくもなって…。
30秒ほどの僅かな時間が日常を立ち止まらせるチカラを持っている。何だかんだあるにしても独身女性には結婚へのさらなる憧れを、既婚女性には懐かしさや失ってはいけない大切な何かを思い出させてくれる。そんでもってみんな、あの深津絵里の、リリー・フランキーの、互いに交わす満面の笑みで、今一度誰かを想うときのやさしい気持ちを取り戻すのだ。
いいCMはCMであることを忘れさせるような、引き込むチカラを持っている。さらに余韻という影響力で日常をちょっと変えてみせる。大和ハウスのCM群(役所広司の出ているシリーズも好きだ!)の最近の頑張りようは実に素晴らしいと思う。
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by zuzumiya | 2014-02-15 16:25 | わたしのお気に入り | Trackback | Comments(0)

街角で宇宙飛行士

昨日は凄い雪だった。今朝は(朝帰りの娘の話によれば)、うちのそばの街道が氷の浮かぶ冠水状態だったらしい。昨日の夜は7時すぎに職場を出たが、通りの塀を見ると20センチ以上積もっていた。一台通っただけの車の轍を頼りに、轍の幅でバランスをとりながら細々と歩いて行ったが、角を曲がろうとしたら、そこにもはや轍はなく、おもむろに目を上げたら、外灯に照らされた一本道はただ静かにやわらかくうねった白い平原だった。
まるで白い砂の惑星に漂着した宇宙飛行士になった気分。思わず、「おお」と声をもらした。
期待と不安。一抹の寂しさ。死ぬなら雪山できれいに…なんて想像していたことがふと頭をよぎって笑ってしまう。ほんとの大雪を知らない東京人の甘い戯言だけど、雪の日の、まさに雪が降ってる真っ白な最中を、キュッキュッと音を鳴らして歩いていくのは嫌いじゃない。
昼間は住宅街を歩いて帰ってきた。雪道で誰かのつけた足跡を見ながらただひたすら歩く。同じ方向に歩いていく人、向こうから来てる人。犬の足跡を見つけるとなんであんなにうれしくなるんだろう。途中から、もの好きにも後ろ向きに歩いて、今しがたつけた自分の足跡を見ながら帰った。雪の日はそんなふうな楽しみもあるけど、翌朝は大嫌い。滑るから。ユーモアもへったくれもない。凍った雪に足元をスルッと取られるたび、アイススケート選手のトリプルトゥループだのダブルアクセルだの、氷上の技の数々がすげえーと身にしみて思える私である。
音楽はなぜか雪景色にU2。でも最近、ジャック・ホワイトに興味あり。
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by zuzumiya | 2014-02-15 12:14 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)


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