暮らしのまなざし

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いいよね、あの曲!

エレカシのデビュー25周年記念のドキュメンタリーDVD(山下敦弘監督)を先日ようやく購入して、毎日見ている。中に新曲の練習風景があるんだけど、たぶん、「メランコリアー」とか後半に歌いあげるやつ。あの曲はすごく陰鬱で退廃的で、洋楽っぽいんだけど、カッコよくて、歌入りのを聞いたわけでもないから、歌詞の内容とかまったくわからないんだけど、だから失礼な言い方かもしれないけど、あの曲はもうインストの段階で欲しいくらい(スイマセン…)。あの曲聞きたさに何度も見てる。いいよね、あれ。
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by zuzumiya | 2014-01-31 16:18 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

野島伸司、だったのね

日テレのドラマ『明日、ママがいない』の過激な内容にスポンサーがビビって腰が引けてるらしいが、私はそんなことより、あの本を書いたのが野島伸司であって、坂元裕二でないことの方が驚きである。私は出演してる子役やテーマからも、てっきり坂元さんの『Mother』『Woman』ときての三部作だと思ってた(笑)。いろいろ言われてる見たいだけど、最後まで見なきゃわからんでしょ、ってことで、今日ショボい飲み会で見逃した2話の再放送を見ます。
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by zuzumiya | 2014-01-26 13:58 | わたしのお気に入り | Trackback | Comments(2)

BOSSの宇宙人ジョーンズ「マンション篇」ってどう思う?

このブログでも二度にわたって取り上げてきた缶コーヒーBOSSのCM。
今度はレインボーマウンテンブレンドの方。おなじみ「宇宙人ジョーンズ・地球調査シリーズ」の最新作、「マンション篇」について、少し書かせていただく。
サントリーのサイトへ行くと30秒と60秒バージョンのCMを見ることができるが、どちらもストーリーはだいたいこうだ。
風間杜夫扮する先輩マンション管理人と新人のジョーンズの二人。共用廊下の蛍光灯を取り替えている。「この惑星では定年の後も働かなくてはならない」いつものジョーンズによるナレーション。管理人室で弁当を食べながら「手に職があるわけでもなし、何の取り柄もないんですよ」と愚痴る風間。そこへ住民からのクレームの電話。「音がうるさい?」
行ってみると、玄関口には縄跳びを手に息を荒げている太った男。「縄跳びは外でやっていだだけますか?」と風間。次はベランダでもうもうと煙を出してバーベキューをやっている外国人たち。「ベランダ、バーベキュー、ノー!」とカタコト英語で必死に懇願する風間。自転車置き場では天井にできた蜂の巣を箒で払おうとして蜂の襲撃にあう。ジョーンズが不思議な力で蜂を蝶に変えて風間は難を逃れる。夜になり、再び管理人室。テレビからはSMAPの中居くんが調子はずれな声で歌ってる。「この人たち、何だかんだで、よく頑張るよなぁ」と風間。すると、管理人室の小窓から親子が声をかける。「今度は何ですか」と厳しい顔で立ち上がると「管理人さん、蜂の巣、助かりました」「いつもありがとう」の言葉。思わず、風間の顔に笑みが。「ただ、この惑星では、どんな仕事も誰かの役に立っている」とジョーンズのナレーション。
(※このナレーションはすべて30秒バージョン)

はじめて見たとき、正直、ムッとした。
どこにムッとしたかと言えば、最後のナレーションのコピーワークにである。
「『どんな仕事も』の“どんな”ってなんだよ! けしからん!」と思ったのだ。
「どんな仕事も」の「どんな」という言葉づかいには、実は非常に差別的で、上から目線的なニュアンスが含まれている。「どんな」は単純に「あらゆる」という意味には置き換えられない。「あらゆる」は「ありとあらゆる」であり、価値の大小を比べず、あくまで横一列にすべてが並列、平等である。でも、「どんな」という言葉にはもっとピンからキリまでのニュアンスがあって、「些細な、取るに足りない○○でさえも」というようなマイナスな要素をどうしても含んでしまう。「どんな仕事も」と言われた仕事は、世間的にはあまり好ましくない、いい評価を得られていない、人気がない、というような仕事であったりもするのだ。言葉選びの感性みたいな話なのだが、微妙な話でうまく伝えられていない気がするが、私の言いたいことがわかってくれるだろうか。
嫌味だなと更に思ったのは、その「どんな仕事も」と言われた代表選手が管理人職で、中高年がリストラされて、再就職先にいちばんに思いつく仕事だったりするわけで、だからこそ、風間にセリフで愚痴らせてもいるのだが、作り手側は「そんな中高年を励ましたいという願望を込めた」とでも言い訳しそうだが、見ている方は、ホワイトカラーのクリエイターの若造たちから「それでも大事な仕事なんですよねえ」とただ見下されているような、嫌味な感じしかしないのである。もっと言えば、例えば風俗業のような仕事をもってして、「どんな仕事も誰かの役に立っている」という映像だって作れたわけで、そういうことはさすがにヤバイという感覚が働くくせに、マンションの管理人には平気で「どんな仕事も」という言葉をやすやすと当ててくる、その感性が偽善ぶってて、嫌味だと思う。
いつも書いてきたが、一人のクリエイターが作った企画やコピーでも、必ず会議で何人ものチェックに晒される。関所みたいなところをいくつも通って、ようやくオンエアーされるのに、どうして誰もこのコピーワークの“蔑んだニュアンス”に気がつかなかったのか。それだけクリエイターたちや企業のお偉いさん方は誰もが別の場所にいて、驕り、お高くとまっていることに気づかないものなのだな、とも思ってしまう。「どんな仕事も」と言って、一瞬救っているようだが、実は貶めていることにちゃんと気づいてほしい。
ただ、30秒バージョンはこのコピーワークだが、60秒バージョンは違っている。
「ただ、この惑星で働くことは誰かの役に立っている」できちんとしめている。「どんな仕事も」でなく「働くことは」になっているのだ。もともとはこちらの意味、ニュアンスだったのだろうが、30秒も絶対これでいくべきだった。短くしなければならないからといって、最も重要な最後のコピーを失敗しては台無しだった。そのことを付け加えておく。
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by zuzumiya | 2014-01-25 21:24 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(2)

『最高の離婚』の再放送で

『最高の離婚』といえば、坂元裕二の脚本で、瑛太の嫌味なほど細かい、こだわり夫ぶりが面白かったが、坂元裕二といえば、あの『東京ラブストーリー』から始まって、『Mother』『それでも、生きてゆく』とヒット作を立て続けに出して、毎回、役者泣かせの長セリフがあり、今いちばんセリフを書かせたら上手いと思える脚本家だ。

今日見たのは第三話。真木よう子演じる上原灯里の長セリフが見どころ。
灯里が大学時代同棲していた瑛太演じる濱崎光生と別れたワケをついに告白するシーン。
お父さん子だった灯里が漁師だった父をサメに襲われて亡くして、悲しみの渦中に出会った曲で、何千回となく聞いてきて、そのうち、自分もひそかに歌手を目指すようになった大切な曲を、当時同棲してた光生が聞くなり「何?このくだらない歌。安っぽい花柄の便座カバーみたいな音楽だ」と一笑して、さらに間の悪いことに、彼はその時、『ジョーズ』の映画を見ていて「サメに食われて死ぬのだけは嫌だよね」と笑ってしまったという。灯里は翌日、何も言わずに家を出た。そういう経緯があっての最後のセリフ。

「違うの。別に誰かが悪いとかじゃないの。
誰かにとって生きる力みたいになってるものが、誰かにとっては便座カバーみたいなものかもしれない」

「みんな他人だから…」(と、光生の元妻である尾野真千子演じる濱崎結夏がつぶやく)
「はい。別の場所で生まれて、別の道を歩いて育った他人だから」と灯里はこたえる。

灯里と光生のようなズレって、実はどうしようもなくある。
私にもこれに近いことを最近、経験した。
ある人との場合は私が灯里になったり、また別のある人との場合は、私がはからずも光生になったりしていると思う。
もうそれは運というか、そういう星回り、縁だったというか…。
だからこそ、見えてくる。どこか一点でも(ぜんぶじゃなくていい)「そうそう!そう思うよねえ」と手を取り合って感激しあえる何かがある相手が人生においてどれほど貴重か、ということが。
あるいは、自分の感性を信じてつきあってくれて、「なるほどね」とわかってくれる人っていうのは、どれほど有難いか、うれしいかということ。
別の場所で生まれて、別の道を歩いて育った他人同士だからこそ、そういう人と巡り会えたら、やっぱり簡単に手放しちゃいけないんだろう。
今日はそんなことを考えてた。
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by zuzumiya | 2014-01-23 22:16 | わたしのお気に入り | Trackback | Comments(0)

罪と罰

母親との複雑に絡まった愛憎の関係を誰かに分かってもらおうなんて、ムリだと分かってたはずなのに、困り顔で俯いて、また相手の話を聞いているフリをしてしまう。
親切そうな顔の、まっとうな意見。私はいつでも、幼い子供のまま、らしい。
誰の言葉も残らない。
いちばんの味方を自分で遠くへ追いやってしまったと、そのことだけに胸が塞がれて。
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by zuzumiya | 2014-01-23 06:31 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

正真正銘のラヴァーズ!~『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ』~

a0158124_0312118.jpgジム・ジャームッシュの4年ぶりの新作『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ』を見に行ってきた。実に私好みの世界でうっとりさせてもらった。

何世紀も生き続けてきた吸血鬼のアダム(トム・ヒドルストン)とイヴ(ティルダ・スウィントン)のラヴァーズ。アダムはアメリカの荒廃した都市デトロイトに住み、アンダーグラウンド・シーンでカリスマ的人気を誇る伝説のミュージシャン。ヴィンテージ・ギターをこよなく愛し、名前を伏せて作曲活動をしている(実は何世紀にも渡って)。でも、最近は地球にはびこる人間たち(“ゾンビども”と呼ぶ)の蛮行にほとほと嫌気がさして自殺を考えるほどブルーになっている。片や永遠の恋人であり、妻である吸血鬼のイヴは、モロッコのタンジールに住んで、16世紀末に死んだとされているイギリスの劇作家クリストファー・マーロウ(ジョン・ハート。彼もまた吸血鬼)から上物の血液を手配してもらいつつ、文学に耽溺しながら生きている。アダムもイヴも現代においては、人間の血液はもはや汚染されていて、むやみに人を襲うことはせず、医師から極秘のルートで血液を手に入れて何とか生き続けている。
二人は離れていても現代に生きる吸血鬼らしく、iPhoneを手にし、PCを駆使してSkypeで話をしたり、YouTubeを愉しむ。
落ち込むアダムを慰めようとイヴがタンジールからはるばるデトロイトにやってきて、二人は自分たちだけの、浮世離れした(吸血鬼だから当然だけど)、自由で悦楽的な日々を過ごすのだが、そこへ、イヴの奔放な妹、エヴァ(ミア・ワシコウスカ)がやって来て、二人の穏やかな世界は乱されていく…。

このアダムとイヴのラヴァーズぶりが、もう私の理想そのものである。と書くと、いかに自分がスノッブであるかバラしているようなものだが。
アダムは翳りのあるハンサムな顔立ちのミュージシャンで、彼が聞くもの奏でるものはぜんぶ趣味がいいし、ヤスミンを発見したときのように本物を聞き分ける耳を持っている。文学やファッションだけじゃなく、科学にも精通していて、いかにも繊細なロマンチスト。イヴもまた恋人アダムの収集するヴィンテージ・ギターを一目見て、その名を言い当てるほどの博識ぶり。
何世紀も生きてきた二人は、上物の血液を小ぶりのアンティークグラスに入れてゆっくりと味わう。全身に染み渡る快感に恍惚の笑みを浮かべて牙をあらわにしながらのけぞる瞬間は、ものすごくエロティック。思わず、観客の誰もが吸血鬼の五官を羨むだろう。あるいは、イヴが作った血液を凍らせたアイスキャンディー(なんとチャーミングなアイデア!)を舐めながらするとめどない会話(チェスをしていたのはこの時だっけ?)。残念ながらこの辺の会話なり、そこここに散りばめられた偉人の名前や皮肉めいたユーモアや洒落っ気などは知識も教養もないのでまるで分からず、悲しいかな、右から左で、後でパンフを買って調べなければならなかった。

二人とも超インテリであり、共通の趣味嗜好と美意識(サングラスはともかく、吸血鬼が革の手袋してるなんてエレガント!)があり、それは彼ら二人だけに通じる言語で世界を完全に閉じてしまっているという意味で甘美だし、世紀を越えて宇宙的に、永遠の分身、唯一無二の存在であり続けるというのがため息がでるほど羨ましい。アダムとイヴの美しいラヴァーズは、二人だけの空間で口にするのは美酒のような血液をほんの少し。それだけで高貴に純潔に生きながらえてきたというのも、すごくいい。
アダムとイヴがあれだけオンリー・ラヴァーズの閉じた甘美な世界にいられたのは、血液の供給源が確保されていたからである。迷惑なエヴァの出現によって、彼女のしでかした事件のために(イヴが「よりによって音楽業界の男なんて!」と毒づくのには大いに笑ったが)ついには自分たちで血液を求めて、この21世紀のタンジールの夜の街をさまよい歩かねばならなくなった。この時、私は“恋人たちのジレンマ”というものを思った。二人だけの世界を守るために他をぜんぶ遮断してそこだけで生きようとしても、実際はお金がなければ、働かなければ食べてはいけない。二人だけで片時も離れず、したいことだけしていたいのに、お腹が空くから生きるためには、したくないこともしなければならない、そのジレンマ…。
これと同じことが現代を生き抜く吸血鬼のアダムとイヴに起こっているのに気づいて、可笑しかった。もはや一滴の血液もなくなったあの時、はじめてアダムもイヴも自分たち以外の、外の野蛮な世界へ、しぶしぶ働きに出ていったのだと思う。
そこまで追い詰められなければ、彼らは永遠にいつまでも自分たちだけのオンリー・ラヴァーズな世界にツンとすましてどっぷりと浸かっている。その徹底ぶりに、これぞ正真正銘のラヴァーズの在り方だと、惚れ惚れするのだ。



※またしても映画のハシゴだったんですが、『永遠の0』を先に見て、不覚にも涙してしまったために、『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ』は大好きな世界のはずなのに、ちょっと眠気が襲ってきて、セリフを聞き逃したところもありました。マーロウ(キット)が「どうして二人は一緒に住まないのか」とイヴに質問したシーンがあったと思うんですが、その時イヴは何と答えたのかと気になっています。一緒に行った夫も聞き漏らしていてわかりません。どなたか知っている方がいたら、教えて下さい。
映画の後は夫の部屋で過ごしたのですが、疲れて昼寝をしている傍らで私は読書をして、夜は音楽にCorinne Bailey Raeの気怠い声を聞きながら、ストーブに鍋を乗せてそまつなキムチ鍋をつつきましたが、どちらも自由で自堕落で、「お父さん」「お母さん」の役どころを外してみれば、実にラヴァーズ的な気分が戻って満足でした。
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by zuzumiya | 2014-01-08 22:53 | わたしのお気に入り | Trackback | Comments(0)

今あるこの私は誰が作ったか

うまく書けるかどうかわからないけれど、とにかく考えながらでも書いてみようと思う。
夫婦にはいくつものステージがある。恋人同士の二人が結婚して、新婚時代があって、やがて子供が生まれて、子育てに躍起になってる時代があって、なんとか子供が社会へ出て働けるようになって、子供の自立とともに子育てが終わる。そしてまた夫婦二人だけに戻る。
今、私たち夫婦はどの辺にいるのかといえば、子育てが終わって、また夫婦二人だけに戻った時点だ。でも、この子育てが終わって二人に戻った夫婦というのは、ほんとうのところ、もとの夫婦の何に戻れているのだろう。
戻ったというのは形態だけのことで、長い時間を経てきて、夫婦のそれぞれの中身の話となると、決して“戻った”というわけにはいかないんだろう。
私たち夫婦は、いや、私たち夫婦だけじゃないかもしれないからこそ、こうして書いているのだけれど、この子育ての時代にやはり多くのエネルギーを費やしたと思う。
子供を家庭の中心に据えて、良き父、良き母であるために、答えのない道を、はじめての道を迷いながら、悩みながら、傷つけ合ってそれでも懸命に走ってきた。
いつのまにか子供たちは両親や家庭より自分で見つけ出した友人を、恋人を優先して家にいなくなり、気がつけば夫婦二人だけが家に取り残されている。子供はいないのに、互いに呼び慣れた「お父さん」「お母さん」とだけは呼び合って。
子供がもういないのなら、「お父さん」「お母さん」と呼ばなくたっていいはずなのに、長年の癖は治らない。呼称だけの話じゃなくて、もうすでに相手のことを「お父さん」「お母さん」としか見られなくなっている。「あなたは私の妻」であり、「あなたは私の夫」であるという響きが醸し出すほのかに甘い感覚ですら、長年の義務や責任に塗り替えられて、失われている。欧米のように若いベビーシッターを雇って、夜、夫婦でいそいそと出かけるなんていう習慣のない真面目な国、日本では、子育てに何よりも犠牲(強い言葉だが、敢えて言う)になるのは「夫婦ふたりの時間」「夫婦ふたりの愛」なんだろう。
子育てが終わって、夫婦二人に戻ったときに、「わーい!また新婚時代に戻れた!」と叫ぶか「はてさて、我々はどうしたものか」と困惑するか、結局は二者択一になる。
私たち夫婦は、子育てとそれに伴う厳しい家庭運営に実は疲弊していたんだと思う。
夫はもはや呼称のとおり「お父さん」でしかなくなり、夫にとっても私は何より「お母さん」になってしまっていたんじゃないか。それほど頑張ってきたということだけはよくわかるし、いいチームだったと手を取り合って互いをたたえ合うこともできる。
でも、もう子育ての時代は終わった。これからは何を目標に、何で手を取り合って協力して生きていけばいいのかを、なんと、“考えなくては”いけなくなった。「お父さん」「お母さん」ではなく、何て呼んでいいのかも既にわからなくなっている相手というものに愕然としながらも、もっと真摯に“考えなくては”ならなくなった。
「それぞれが好き勝手にやりたいことをやって生きていけばいいのよ」と笑い飛ばす人もいるだろうけど、私はそれはそれでもう、無自覚なのかもしれないが、夫婦として何かが失われている、終わっているとしか思えない。
だから、今は別居してみて、「お父さん」でなくなった夫のことを、「夫」ですらなくなるかもしれないあの人自身そのものを、見つめ直している。私は馬鹿で不器用だから、そしてたぶん変に恵まれてもいて、夫とわざわざ別居するという大胆な方法をとらなくては、それができなかった。
ここには詳しく書けないが、最近は私にもいろいろとあって、離れてしまえば関心も薄れていくと思う時期もあったけれど、その出来事がまた夫を“一人の男”として浮かび上がらせ、考え直すきっかけにもなった。夫もたぶん、私と子供たちと離れて独身生活を送っているわけだから、自分にとって家族とは何だったんだろうとか、私を「お母さん」でも「妻」でもなく、一人の人間として、女として、捉え直していることと思う。もっと言えば、自分にとって必要な人間なのかどうか、考えていると思う。

思えば、私を書くことへ誘ってくれたのは私ではなくて(自分自身だとばかり思っていたが)夫だった。どんなものであれ、書くことで私は「お母さん」や「妻」だけでなく「私」でいられる場を持てた。私の好きな映画や音楽や本や芸術のすべてのチョイスも、あの宮本浩次に至ってさえも、夫はすべて自由に、好きなようにさせてくれた。実に寛容だった。
考えてみれば、私は自分で、自分だけで、今あるこの私を作ってきたと思い上がっていたのかもしれない。でも、ほんとうは夫との共同作業で作ってきたのだった。夫がいたからこそ、夫でなければ、今のこの私にはなれていなかった。しょうのかずみだって生まれていなかった。そのことの価値と幸福を、そしてそれはとてつもない愛だということを今、少しずつ思い出している。
同時に私は、今ある夫という人間をほんとうに一緒になって作ってきてあげられたのだろうかと不安になる。今ある自分をそれでもなんでも「好きだ」と彼は肯定できているだろうか。私はいつでも否定してきてしまったんじゃないか。私が私であろうともがいている間に、押し通すうちに、そんな恵まれた環境であることも知らずに、彼を独りにしていたんじゃないか。彼にだけは「お父さん」であり、「夫」である役目と責務を、この私が、いつまでも押し付けていたんじゃないか。

不安や後悔や反省はいくらでもあるけれど、とにかくいちばんに伝えたいことは今見つかっている。それだけは伝えなくちゃならないと思っている。そして、今、夫がどこへたどり着こうとしているのか、ゆっくり話を聞いてこようと思う。



※追記
私が今朝、気がついたことは、私の夫だけでなく、もっとみんなに知ってほしいと思う。
あなたが今ここにあるのは、決してあなた自身の努力の結果だけじゃない。
必ず、誰かがあなたの気がつかないところで、気がつかない方法で、あなたをずっと支えてきた。誰かの愛で今のあなたの良さはあなたの中でむやみに摘み取られずに、大事に今の今まで育まれてきたことをどうか忘れないでほしい。人生で人にそういう愛を捧げられることこそ、何かで成功したとか、お金持ちになれたなんてことより、ずっと尊いことなんだと思う。
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by zuzumiya | 2014-01-04 10:38 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

自分に正直に

「自分に正直に、自分に嘘をつきたくない」ということのエゴを
  その時はぜんぜん気づけないものだ。

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by zuzumiya | 2014-01-04 00:04 | 降ってきたコトバたち | Trackback | Comments(0)

悲しみの果てにあるものは

エレカシの歌詞は何度も聞いたり、口ずさんだりしているけど、ある時、ふっと、もの凄い勢いで心に迫ってくる時がある。サラリと歌われているし、こちらもサラリと歌ってしまっているんだが、ある瞬間、ある出来事が人生の中で起こってみると、実はこれ以上でも以下でもない真実が歌の中にきちんと存在しているとわかって、立ちすくんでしまう。
たとえば、『悲しみの果て』

<悲しみの果てに
何があるかなんて
俺は知らない 見たこともない
ただ あなたの顔が
浮かんで消えるだろう>

ほんとうにそうなのだ。
悲しみの果てに、もはやただ浮かんで消えてゆくのは、“あなたの顔”でしかない。
そして、もう一丁。

<涙のあとには
 笑いがあるはずさ
 誰かが言ってた
 ほんとうなんだろう
 いつもの俺を
 笑っちまうんだろう>

そう。そうやって人はきっと涙を笑いに変えていく。
悲劇を喜劇にして、何とか終止符を打つ。

いつでもエレカシの歌には助けられてきたけれど、ほんとうのことを難解でも大袈裟でなく、こんなにサラリと歌いとばす宮本浩次という男を、私はやっぱり愛さずにはいられない。
この男のためなら…と何度思い描いてきただろう。
そのたびに強く、強く、思う。
エレカシのファンであることを本気で誇りに思う。胸を張って、そう言えると。
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by zuzumiya | 2014-01-03 21:59 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(1)

出せない手紙

出せない手紙の中の自分はほんとに素直で饒舌だ。
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by zuzumiya | 2014-01-03 14:46 | 降ってきたコトバたち | Trackback | Comments(0)

ふだんの暮らしに息づいているたいせつなもの、見つめてみませんか?
by zuzumiya
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