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今年はいろいろありました。

今年はほんとうに激動の一年でした。
年女で、年頭には久しぶりに何かが起こりそうだとワクワクしてたんですけど、まさか自分が離婚を言い出して、別居することになるとは思っていませんでした。
職場にとても気の合う年上の女性が入ってきたんですけど、彼女が若かりし頃の私の母に憧れていて、それがきっかけで今、母の店で働いているとか、加藤和彦さんファンの方と出会えて、私のことをズズと呼んでくれたこととか、クリスマスを過ぎてようやくエレカシの『あなたへ』を聞いて、三日に渡って感想を書いて、ふと空を見上げたら「また、どこかで出会えるかも」と強烈に思えたことなど、不思議な縁を感じる年でもありました。
数ヶ月前には思いもしなかったことが急に実現するような年でしたから、これからも何が起こるかほんとうにわかりません。それゆえ、怖いような楽しみなような、生きていなきゃな、という気がします。
来年は、身体を鍛えて少しシェイプアップしたいです。それから、やっぱり人に対してもモノにたいしてもいい恋ができるといいな。

今年一年このブログにお付き合いくださり、ありがとうございました。
来年もよろしくお願いします。
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by zuzumiya | 2013-12-31 23:59 | ごあいさつ | Trackback | Comments(0)

エレカシの『あなたへ』に想いをよせて

a0158124_1347422.jpgエレカシの新曲『あなたへ』は、とにかく美しいメロディーに深い歌詞で、なにか取り憑かれたように何度も何度も繰り返し聞いている。聞くたびに、気づきがあって、またどんどん惹きつけられていく。
昨日も書いたが、聞いているうちに、心が慈愛に満ちて、澄んでいくような気がする。
「あなたへ」の「あなた」に特定な誰かをあてはめるなんていう想像は、野暮なことじゃないか。なにか、人知れず覚悟があって、自分をここまで生かしてくれたすべて(人やものや時間やすべて)に、この人生の在り方に、ただただ感謝していると聞こえる瞬間もある。
病床で、というのがもし本当ならば、ありあまる時間の中で、今までの生きてきた人生を一人でただゆっくり振り返ってみたからこそ生まれた作品なんだろう。耳がもしこのまま聞こえなくなって、使いものにならなくなるとしたら、いくらベートーベンをはじめ音楽家たちの逸話をもってしても、ぬぐいきれない不安があって、そうでなくてもいつだって自分のすべてを出し切りたい、まだまだだ、使い尽くして死にたいと願うように生きてきた人だから、その人生の不全感、悔しさや絶望は、今まで何度か味わってはきたものとは比べようもないくらい、計り知れない打撃となっただろう。
「シグナル」でどうせ道半ばに命を燃やすと歌って、頭では分かっていたはずのことが、ほんとうに人生の中途で我が身に起こってみれば、皮肉なことだけど、やはり冷静ではいられまい。
でも、その「シグナル」ですでに「その日まで咲き続ける花となれ」や「心の花咲かせる人であれよ」と花という言葉が出てきてもいる。きっとどんな人生を歩むことになっても、誰もが認める大きな仕事をやり遂げて何者かになっていなくても、ひとりの人間として、誰かの心にそっと寄り添い、癒せるような花のようなものに、自分はなっていたい、なれていればそれでいいと当時から思っていたのかもしれない。宮本浩次という男には「ドーンと行け!」と自分と周りを常に煽動し鼓舞する自分と、過剰なくらい繊細な弱さを持つ自分がいて、そんなちっぽけな(失礼!)自分をも決して否定せず、また嫌いでもない気がする。
ある時、振り返って、自分の思い描く歌い手としての人生がここで終わってしまうとしても、たとえ、清志郎のようにほんとうに生命の方が燃え尽きて死んでしまうとしても、自分の生きてきたすべてが音楽として結実して存在し、これからも存在し続け、ひとりでに誰かの未来に光となって届いていくんだってことの、運命の凄さにふと気がついたのかもしれない。いい時も悪い時も生きてきたすべてでもって作り上げたそれらひとつひとつが、花束となって、感謝とともに「あなた」という存在ひとりひとりに手渡され、「あなた」の生きていく命や人生を照らす何ものかになっていくその素晴らしさ、出逢いとして選び選ばれたことの喜びを噛み締めて、もしも、また歌える時が来たなら、真っ先にその気持ちを歌おうと心に決めていたんじゃないかと思った。それが『あなたへ』という覚悟の歌じゃないかと、今日は、感じた。


※追記(12月30日)
この歌はやっぱり、歌詞の持ってる懐の広さというか、解釈の仕方で、こう遥か末広がりに広がっていくところが凄いんだろうな。広く深く大きく愛を語ってるよね。
宮本浩次が自分を見つめて自分のことをまず歌っているんだけど、それだけじゃなくて、この世界でこの日常で生きているすべての人「あなた」に対して、その一人一人が生きてそれぞれの人生の山あり谷ありを一生懸命、日々、悩んで苦しんで戦って生きてきたことに対して、それらがすべてきっと他の誰か(大切な人だけじゃなく周りの誰彼にも)に笑顔をもたらす花になれているんだよと、歌ってくれている気もする。今日、介護施設で働いてたら、「みんなきれいな花だぜ」って思えたんだ。


※追記2(1月6日)
この曲は、私にとってエレカシのベスト1。人生で忘れられない一枚になりました。
と言っても、またこれからも素晴らしい曲を生み出して行くのでしょうね。





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by zuzumiya | 2013-12-29 13:39 | わたしのお気に入り | Trackback | Comments(5)

鳴かない鳥

今までで初めてだ、と思う。
大事なものは、必要なものは、今までなりふり構わずちゃんと、自分から動いて
この手で取ってきた。
それが今はみな、急ぎすぎだと、考えなしだと、口を揃えて言う。
たしかに強引だった。掴むためには誰かを傷つけてもきた。
でもね、みんながみんな一緒に幸福になんてなれないよって、切り捨ててきた。
初めてなんだ。そんなやり方。
ただ待つことを、時間をかけることを、ひたすら自問する日々を、
こんなにも今、まっとうなことのように強いられるなんて。
今までの私のあり方、生き方を180度変えてしまうような、
私が私じゃなくなってしまいそうな、有無を言わさぬ厳しさで牛耳る人。
この先に、いったい何があるのやら。
いつだって、駆け出してしまいそうな逸る心を鎮めるのに、
こんなにも苦労してるのに。
ああ、無様だ。人を求める心は。
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by zuzumiya | 2013-12-28 23:47 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

花束の人

クリスマスのプレゼントにエレカシのCD『あなたへ』を貰った。
ようやく、ほんとうにようやく、聞くことができた。
「病床にいる時、着想を得た」と何かで読んだ気がするが、なるほどと思う詩的でどこか哲学的ですらある歌詞だった。ストリングスがまた美しい。自然と目を閉じて、やわらかに息を吸い込み、心がすうーっと澄んでいくような、なにか浄化されていくような、そんな遥かな心地がした。あきれるくらい、ほんとに純粋で繊細な人なんだなとあらためて思って、そのことが信じていたとおりで、しみじみとうれしくて微笑んだ。
聞いているうちに、これは勇敢なる覚悟の歌だと思えてきて、愛しい男がこんなにも「あなた」という誰かに向かってはっきりと正々堂々、祈るようにその切実な想いを歌っているのに、他のどの歌の時よりもその清らかな歌詞のせいで、むやみやたらに切なくも哀しくもなく、かえって純粋な美しさは増して、何度も聞いているうちに、いつしか私自身のなかにも同じバイブレーションが流れて、同じ覚悟が生まれた。
人を欲し、人を愛そうという覚悟。前だけを向き、もう一度、まっすぐ向き合おうという覚悟。
覚悟というのは、諸刃の剣。自ら深く傷つくことも同時に引き受けなければならない。

「すべてあなたへ すべてあなたへ
ぜんぶぜんぶ わたしの生命は繋がっているのです」

「あなたを愛して わたしを愛して
 ぜんぶぜんぶ すべてはあなたとわたしから始まる」

迷いの欠片もなく、強く高らかに歌われて、「何があっても、もういいや」と思えた。
宮本浩次の愛の歌を聞いて、ジェラシーや寂しさの雑念が心をよぎることなく、我が身の愛に素直に置き換えて、真摯な歌声に背中をぐっと押されるなんてこと、初めての経験だった。

「わたしの日々 わたしの努力
 わたしの希望 わたしの全部
いつしかあなたを彩る花束になるのです」 

いい時も悪い時も、生きてきた道のりのすべてでもって、今の自分は作られ存在し、大切な誰かにそっとやわらかな微笑みをもたらせるような、誰かの生を心から祝福したくなるような、そんな花束の人に、私もみんなも、いつかなれますように。

※「 」内は歌詞です。
2012年12月17日の記事「統合されていく力」も併せて読んで頂けるとうれしいです。

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by zuzumiya | 2013-12-28 12:11 | わたしのお気に入り | Trackback | Comments(0)

ほんとうに時に任せてしまっていいんだろうか

二人でいた頃、互いの中に出来上がってしまっている先入観が崩せなくって、それが二人の歴史の産物かと思うと悲しくって、投げやりな言葉で相手を傷つけて、気がつくといつだって素直になるにはもう遅すぎて、二人でいるのにどうしようもなく一人って思う時があった。あの時の孤独と全身から力が抜けてくような諦めも、今でもたしかに憶えているけれど、離れて暮らしてみて、互いが互いの暮らしに精一杯になって、日常の細々としたことで相手の意向を気にしなくなることや、すれ違いを知らしめる会話もないから、むやみに争わなくて済む一人の気楽さに慣れてしまって、いつしか心のなかに相手の存在の重みがまるでなくなっていることに気づいた時、その時のやるせなさと諦めと、どちらがより堪えるのだろう。
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by zuzumiya | 2013-12-23 09:12 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

とりとめのない話

夢を見た。もの凄い嫉妬の夢だった。
自分の中にこんなにも人を愛して、独占して、それゆえ人を呪うような激しさがまだ残っていたとは驚きだった。すごく悔しくて惨めで不快な目覚めだったけど、冷静になるにつれ、自分の中に漲る生命力のようなものを感じた。何だろう、嫉妬というのは、女の、女だけの独特な生命力の放出でもあるのかな。でも、何であんな夢を見たのか、まだ好きなのだろうか。
今となってはよくわからない。
新聞の見出しに「関東、大地震の確率上昇 30年内に震度6弱」とあった。
そうか、あと30年のうちにみんな死んでしまうかもしれないってことか、と思った。
それって凄いことだよな、あと長くても30年の生命って分かってしまってる。
私はもういつ死んでもいいけど、子供たちは可哀想だなぁ。親として言えることは「誰にも遠慮しないで、やりたいことをどんどんやっておけ」ってことだけだな。
なんて、ぼんやり考えてたから、変な夢を見たのかもしれない。あの激しい嫉妬の夢からは、いつ自分が死んでもいいだなんて、そんな醒めたこと、ほんとは思ってないんじゃないかと訝ってしまう。自分が思ってる以上に私の生命はちゃんと生きたがってる、まだまだたぎろうとしているのかも…。
                            *
本が4冊もたまっているのに、ぜんぜん読めない。窪美澄の『雨のなまえ』、楽しみにしてたのに、読んでるとすぐに眠たくなってしまう(内容のせいではないと思う)。荒野さんの『ほろびぬ姫』は最初の「あなたはあなたが連れてきた」から始める「あなた」攻撃に頭がついていかなくなった。
そのかわり、huluではまたドラマを見て楽しんでいる。トヨエツの『愛していると言ってくれ』
もう何度目だろう。大好きな北川悦吏子さん脚本のドラマ。この頃のトヨエツがいちばん飾らなくてカッコイイ。北川さんのドラマは役者がみんな生き生きしてるような気がする。そうさせる何かが本にあるんだろうな。
                             *
映画に行きたい。
ジャームッシュの最新作『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ』。超カッコイイんだろうな。なにせ、あの白い陶器の女(私が名付けました)、ティルダ・スウィントンがインテリ吸血鬼の役で出てるんだもの。「吸血鬼のアダムとイヴのラヴ・ストーリー」だなんて、もう最高にクール! 
ジャームッシュ作品は音楽も渋いから、そっちも楽しみ!
私の中で『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』を超える恋愛映画になるかと、凄く期待してる!
                              *
よく指の長い男が女性に好まれるとか聞くけど、私は声のいい男も好き。持っているCDを調べてみても、ヴォーカルの声に拘っている気がする。宮本浩次のまっすぐで真摯な歌声もいいが、しゃべり声が渋くて落ち着いていて、でもちょっと冷ややかにも聞こえる細野晴臣さんの声が好き。余韻がじんわり耳に残る。もちろん、歌声もどこか飄々としていて素敵。先日、NHKの番組に細野さんが出ていた。アルバム『HoSoNoVa』がすごく良かったので、つい『Heavenly Music』をネット注文してしまった。でも、たぶん正解だろう。
白石一文さんの小説にたしか、匂いに惹かれて人を好きになるっていう文章があったと思うけど、当時はそんなことってあるのかな程度にしか感じなかったが、最近は、そういうこともあるのかもしれないと思い始めている。ふっとかすめる男の人の匂い。もちろん、純然たる体臭のことだけど、なぜかときどきそれが官能的にすら感じることもあって、嫌じゃない。オスの匂いで自分がメスであることを感知するようなしくみだろうか。
見た目の視覚から人を好ましく思うことはよくあるけれど、匂いという嗅覚から人を好ましく感じることは初めてで、少し驚いている。
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by zuzumiya | 2013-12-22 02:14 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

川瀬巴水の版画

先週、テレビで日曜美術館を見ていたら、版画家の川瀬巴水(かわせはすい)という人の特集がされていて、いっぺんに好きになってしまった。特に関東大震災後の東京を描いたとされる“東京二十景”が素敵。林望先生が絶賛する“巴水の夕暮れ”や“ハスイズ・ブルー”と呼ばれている美しい蒼色に魅了された。早速、ネットで作品集を調べた。穏やかでどこか懐かしい風景に、きっと息子も好きになってくれるだろうと予想して、22歳の誕生日のプレゼントとして注文した。図書館には林望先生の方の『夕暮れ巴水 林望の日本美憧憬』を予約してある。どちらも楽しみだ。って、ちょっとズルかな?!
日曜美術館の川瀬巴水の再放送は22日の夜8時~9時にあるので、興味のある方はどうぞ。
余談ですが、最近好きになった俳優、井浦新さんも出ています!
好きな映画、好きな本、好きな音楽、好きな絵画…。こうやって、またひとつ好きなものを見つけられて、人生に大事なものが増えてく。ちょっとシアワセ。
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by zuzumiya | 2013-12-17 18:11 | わたしのお気に入り | Trackback | Comments(0)

介護職の男性に思うこと

老人ホームで働いていて、ふっと心がなごむ瞬間がある。
それは、男性スタッフが自分の母親ほどのおばあさんと向き合って、ぱちんぱちんと爪を切っているのを見かけた時。あるいは、食事をあげる時、一緒になって「あ~ん」とぽっかり口を開けているのを盗み見た時。なんだか微笑ましくて、いいなあと思う。
以前は男性スタッフが福祉の世界にいることに対して、少しばかり偏見を持っていたと思う。
女性ほどに細やかに神経が行き届いて、心のこもったやさしい言葉がけや親身になったお世話ができるのだろうか、社会的に必要不可欠な仕事ではあるけれど、会社の営業職のように男子一生の仕事としての自負や矜持を本当に持てているんだろうか、などと思っていた。
特に最近はリストラや倒産などでやむなく職を断たれ、慢性的に人手不足の介護の世界なら比較的入りやすいという理由で門戸を叩く男性もいるだろう。
そういうやんわりと色の入った眼鏡で見ていたが、いやいやその実、彼らはほんとうによく働くことがわかって、いつの間にかかけてた眼鏡がずり落ちていた。
こんなことを書くのは少し憚られるが、最近は女性が強く逞しくなっているぶん、むしろ女性スタッフの方が言葉の調子がキツかったり、態度が横柄だったり冷ややかだったりもする。女同士ということで赤の他人といえども、長く接しているうちに母と娘やお嫁さんとお姑さんのような、容赦しないで言いたいことをズバズバ言う関係にすり替わってしまうのかもと思う。逆に男性スタッフの場合は関係性がほのぼのとした母と息子になれている。食事介助をしていても、女性スタッフだと口をあけないのが男性に替わるとすんなり口を開けるというおばあさんもいる。
先日、廊下を歩いていたら、トイレの介助をしている男性スタッフの声が聞こえた。
「あらま、気持ちよさそうな大きなオナラして」
ふと、こんな声掛けのできる男性介護士と熱愛なんて果たしてできるものだろうかと思ってしまった。
これも偏見にすぎないんだろうが、男性介護士はおばあさんたちのお風呂の世話や下の世話をしているわけで、そうするとつまりは、どんなに見事なボディーで美しい女性でも、老いの行き着く果てのグロテスクな姿をすべて知っているということで、そうなると、長く介護の仕事に携われば携わるほど、やっぱりどこか女性というものに対して諦念というか、ゆるやかな幻滅というか、「所詮、どんな美人も骨と皮と肉と脂肪でできた塊なんだよねえ」というような達観に陥ってしまっていて、おばあさんとはいえ女性に向かって「今日はたっぷりウンコが出てよかったね」なんてにっこり笑える世界の人であって、そういう人とテラテラした恋の駆け引きや恋愛ゲームなんてのを愉しむこと、ほんとにできるんだろうかと思ってしまう。
老いの姿の、人間の終末期の凄みに日々慣れ親しんでる人たちには、女性としての上っ面のどんな虚飾も虚栄もすべて見破られて(それこそが女心なのだけど)、見透かされてしまいそうで、ひどくこちらの行いが子供っぽくてチープな気がして、太刀打ちできなそうだ。
今度、男性スタッフと飲む機会でもあったら、介護職を始める前と後の女性観の変化について是非とも訊いてみたいと思う。うちの職場はなぜかバツイチが多いらしいが、そういうことにも関係しているのかどうかもあわせて考えてみたい。
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by zuzumiya | 2013-12-14 00:16 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

『いつか読書する日』

a0158124_16302595.jpg私の日々のだいたいは低迷しているから、本や映画に楽しみを求めることが多い。
最近は目の老眼化が進んでいるのか、日によって本の字がぼやけてしまって、ものすごく本を近づけないと読めない。単行本は持つのに重いから、内容がよほど面白くなければ疲れて嫌になって放り投げてしまう。末井昭さんの『自殺』もほんとうは“読めた”内容なのに中途で挫折したのは目のせいだと思う。保坂和志さんの『人生を感じる時間』は文庫本だが、今度は内容が濃いので、肉体労働をして帰ってきた体には読書の姿勢を維持してるだけで辛く、寝転んで読むうちにうつらうつらしてしまう。
ここ最近は、本も映画もクリアな目で頭で、見られたことがないような気がする。
そうなると楽しみがなくなるので、さらに欲求不満で落ち込んでくる。
すると、ふっと思いだす映画がある。
『いつか読書する日』という非常にマイナーな映画。
主演の田中裕子がとにかくよく働く。地元から一歩も外に出ず、50も過ぎてるのに結婚もせず、もちろん浮いた噂もなく、坂の多い町を毎朝日が昇る前からひたすら走って牛乳配達をし、昼間はスーパーのレジ打ちをして、唯一の楽しみは読書という平凡すぎる毎日を淡々と生きている。ほんとうは心の中に学生時代に付き合った想い人がいて、両親の都合で二人は別れなければならなかったのだけれど、彼もまた地元を離れないで、末期ガンの妻の世話をしていて、町で見かければお互いに自然に目で追う仲なんだけど、そういう秘めた恋物語は何故か置いといて、私はこの映画の田中裕子の見事な働きっぷりと淡々と繰り返される彼女の静かで芯のある日常が妙に好きなのだ。
この映画を見るたびに、「働こう!」と思う。カレンダーにバツ印をつけるように「一日一日をこなしていこう!生きていこう!」と思う。
たしかスーパーの同僚で子持ちの出戻りが店長と不倫してて別れた時に、田中裕子に「寂しくないですか?夜とか」って話しかけて、田中裕子が「いいのよ。クタクタになれば」と返すシーンがあるのだけど、あのセリフが昔も今も身にしみる。
落ち込んで、寂しくなって、人恋しくなったとき、あるいは、月曜日また一週間が始まるという朝、まだ夜も明けない暗い坂道を牛乳瓶をカチャカチャ言わせて石段を上っていく田中裕子が見える。スーパーへ向かう道を必死に自転車こいで走っていく田中裕子が見える。疲れて読書の最中に寝入ってしまう田中裕子が見える。
一人で生きていく日常がぜんぶそこにある。頑張らなくっちゃな、という気になる。
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by zuzumiya | 2013-12-09 15:52 | わたしのお気に入り | Trackback | Comments(2)

美しい猫

猫のももは、毎日、机の横の棚に座って、明けていく空と暮れていく空をじいっと眺めている。そういう時のももは、近寄りがたく、何だか神々しい。
映画「シティ・オブ・エンジェル」で、天使たちが海岸に集まって昇ってくる太陽を見つめるシーンがあるけれど、あれを思い出す。
今日はフィリッパ・ジョルダーノの歌声をももと一緒に聴いた。ももは美しい音楽が好き。
だから、とても美しい猫だと思う。
しばらく、ほんのしばらくだが、一人と一匹は見つめ合った。
泣きそうになって目が離せなかった。
そしたら、ももが尻尾を動かして、私の肩をぽんぽんと優しく叩いた。
ももは、ももだけは、いつだって、私のそばにいて、私のほんとうを見つめてくる。
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by zuzumiya | 2013-12-07 19:24 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)


ふだんの暮らしに息づいているたいせつなもの、見つめてみませんか?


by zuzumiya

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