暮らしのまなざし

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“責任”を持つということ

<結婚すると何が良いかと言うと、もちろん安らぎはあるし、自分を守ってくれる。そして何よりも、お互いの全人格を引き受けて責任を持つ「チーム」を一緒に組む相手ができるということ。>

これは林真理子の話題作『野心のすすめ』のなかの言葉。
この部分を最初に読んだ時、これから離婚する自分のことを何だかちょっと薄ら寂しく感じた。
たぶん、“チーム”という言葉や“責任”という強い言葉に反応したんだと思う。
自転車に乗って、秋晴れのやけに澄んだ空を見上げたりすると
「ああ、そうか、もう“チーム”じゃないんだ」とか、
「私のことに“責任”持ってくれる人、もういないってことか」と思えてきて、胸の中がなんだかすうすうする。
“責任”ってすごいことだ。
考えてみれば、たしかに、私は親として子供に“責任”を感じる。それと同じ強さで夫婦のあいだにも、夫や妻として相手に対して“責任”があった、ってことなんだよな。その強く引っ張られる感じが家族の絆であって、誰かが誰かを“守る”ってことの本質なんだろう。
誰か人に“責任”を感じさせる、背負わせてるって、独り身になろうとしている今考えてみると、もの凄く心強い、うれしいことに感じてしまう。
こうやって、当たり前に思えてたことを今、新鮮に、もっと深く捉え直して行くのかな。
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by zuzumiya | 2013-10-31 23:45 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

夫のメール

なんでもない、大したこともない会話ができること。
それを話したくなること。聞いてもらいたくなること。
相槌打ったり、適当に聞き流したりしながら、でも目の前に誰かがいてくれること。
ささいなことでも、メールにすればすごい文字の量だ。
家庭という場所は、そういう場所だった。
誰かへ向かう日々のコトバは、文字にしたらとても追いつかない。
そうやって、なんの気なしにコミュニケーションをとっている。わかり合おうとしている。
そのことのいじらしさに、今日、気づいた。
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by zuzumiya | 2013-10-29 16:16 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

夫婦の週末

夫の引越しを手伝って、新居に二泊してきた。
新居は内装がすべて済んでいて、白壁、フローリング、畳はもちろん風呂、洗面台まですべて新しい。収納もひとりでは十分すぎるほどあって、おまけに南向きの掃き出し窓が二面続いて付いていて、日当たりは最高。さらに夫は日用品だけでなく、すべての家電を新たに購入したから、まさにピカピカな第二の独身生活をスタートさせた。
大型家電ショップでは、値引きの交渉までして、私はまるで単身赴任の夫の身支度を手伝う世話焼き女房のように見えただろう。
段取りのアイデアを出し、買うべきリストを作り、店をさがし、一緒に足を運び、あれこれ相談しては選び、値引きの交渉をして、荷物を運び、帰宅してひと休みして「手があるうちに済ませてしまいましょう」とまた別の買い出しに誘う。部屋では、ダンボールを潰してはまとめ、掃除をし、ゴミの分別をし、翌日は仕事の夫に代わって、家電設置の立会いもした。洗濯機が届いてからは、洗濯をして干して出てきた。
離婚を前提の別居だというのに、この甲斐甲斐しさ、まるで優秀な制作会社のADのような機転とキビキビした働きぶりのこのパワーは何なんだろうと、自分でもふと思ったりした。夫もそんな私にやたらに恐縮して、ご飯をご馳走してくれたり、タクシー代を出してくれたりした。
たぶん、夫もこれから別れるという夫婦なのにこんなにも意気投合して協力しあって、引越しにまつわるすべての問題を乗り越えていくなんて、どこかおかしいと分かってはいるのだろうけど、私の好意の力任せに最後だから乗ってくれたのかもれないし、これが妻としての私の最後の仕事だと水をささずに張り切らせてくれたのかもしれない。
こうして、今、自宅に戻って一人になって考えてみても、あの時のあのパワーの源が何だったのか、何と名づけていい感情なのかよくわからない。単純に、ほんとうに突き上げるように「一人じゃ大変だろうから、私がいるうちに少しでも進めたい」という一心だった。離婚を切り出したのが自分だったから、という後ろめたさ、申し訳なさみたいなものは一切感じなかった。そう、言ってみれば「思いやり」だったと思う。
でも、それだからこそ、家族愛なのではないかという気もしている。自分は別れていく夫をいまだ家族と思っているのか。あれこれと世話を焼きたがるあの気持ちは、家族を想う愛情の残滓なのか。
「そういう愛だけじゃ、物足りなかったんじゃないのか?」ともう一人の私が嗤っている。
私の中で“別れる”ということがどういうことなのか、まだきちんと定まっていない気がする。
きっともっと時間が必要なのだ。薄まるにしても濃くなるにしても。
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by zuzumiya | 2013-10-28 08:01 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

降ってきたコトバたち1

仕事でも恋愛でもそうなんだけど、
自分をぶっ壊す覚悟で飛び込まないとつまんないよね

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by zuzumiya | 2013-10-24 00:23 | 降ってきたコトバたち | Trackback | Comments(0)

反省と決意

机の前に貼りました。
【淋しくてもオロオロ、じたばたしないこと】
自分の不安定な気持ちで他人を振り回すのは良くないと思いました。
ここ最近の自分はものすごくブザマ。自分史上最高に珍しいくらいの情けなさ、カッコ悪さ。
この年になってもまだこういうことやらかしちゃうんだ、と自分でも驚いています。
舞い上がって、血迷っていたんでしょう。本来の落ち着いた私に戻ろうと、今度こそ決意しました。
大丈夫。大人ですから、何度もピンチは乗り越えてきてますから、うまくやれます。
自分を律するクールさと変わらぬ、分け隔てない笑顔とジョークでサラリとかわす。
仕事はばんばんやる。
頑張れ、自分!エレカシの歌のように、何度でも立ち上がれ!
もうこれ以上、自分を貶めない。キッパリとそう振舞おう。
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by zuzumiya | 2013-10-23 01:32 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(2)

48歳の誕生日に

23年夫婦をやってきて、私はどことなく愛というものを自分でわかったような気でいました。でも昨日(昨日は私の48回目の誕生日でもあったのですが)、それは違うんだと思い知りました。
以前のブログで書いたことがありますが、夕飯のおかずのポテトサラダを作るために、アツアツのじゃがいもを必死になってつぶしていた時のことを詩のような短い文章にしました。今それを書いていた頃のiBookが壊れてしまって、あの時の文章をそのままここへ載せることができないのですが、あの時ふと、「愛ってこういうことじゃないか」と確かな強さでわかった気がしたのです。
あのじゃがいもの入っているボールを懸命に押さえている手の力とか、「早くしなくっちゃ」と焦る気持ち、つぶしながら「おいしく、おいしく」とひたすら念じるあの気持ち、それらささいなことのすべてが、その繰り返しが愛なんだと感じて、光が走ったように「わかった」気がして、なぜだか無性に安心してうれしかったのを憶えています。
今、私たち夫婦は数日後には引越して出て行く夫の荷造りで忙しい日々を送っています。
昨日もそうでした。まるで単身赴任する夫の荷物をまとめるかのように、妻として私はあれこれと夫の世話を焼き、甲斐甲斐しく働きました。
思えば、私たちは引越貧乏でした。夫は何と今回で13回目の引越しになるそうです。
几帳面な夫はその度に家電やらAV機器の空き箱を捨てずにタンスや食器棚の上に取っておくので、母からは裏で“箱男”と嗤われていました。
「ああやって箱を捨てずに取っておくから、また引っ越すことになるじゃない?」
などと軽く冗談を飛ばして笑いながら、それでも「その箱はこっちに入れるべきよ」とちゃんとアドバイスもして、だんだん引越しの手順やら勘所を思い出してきて、二人はにこやかに、てきぱきと、いつも以上に協力しあって、淡々と荷造りをこなしていました。
いちばん、キツイなぁと思ったのは、ひょいと出てくる家族写真や手紙の類でした。
手紙は開く前に「読むぞ」という心構えができるのですが、重なった書類の間からかさりと落ちてくる写真は心構えをする暇もなく見つけてしまうので、防ぎようもありません。写真というのは、残しておきたい最高の瞬間を撮っておくもの。その威力たるやもの凄いです。
「ああ、こんな頃もあったのに…」
「あの頃はこんな日が来るなんて思いもしなかったなぁ」
とひどく感傷的な気分になってしまい、手が止まって、鼻の奥がつーんとしてきます。
喧嘩しいしい、それでも何とか頑張って積み上げてきた家族の歴史を、今私が壊しているんだなと、懐かしさと愛おしさで震える胸で、今ひとたび、しんしんとそう思いました。
夫は思い出を大事にする人です。学生時代のノートの走り書きからスケッチブックまで、何でも取っておきます。「あとで笑えるから」というのが理由なのですが、彼は子供たちの小さい頃のビデオ(彼が全部ナンバリングして整理したもの)を今回すべて持っていくことにしました。働いて帰ってきて眠るだけの新居で、それらを一本ずつ見直すような時間はおそらくないでしょう。
彼はただ、それらの思い出を持って、それらの温もりに護られて、一緒にこの家を出ていきたいのだと私は思っています。
今の私たち夫婦は子供たちも含めて、私の好きな永井龍男さんの小説『青梅雨』に出てくる家族のように感じます。みなで自害して明日には死ぬというのに「お風呂が沸いたから早く入って」とやさしく声を掛け合う家族たち…。
別れという最後がすぐそこに見えているから、口をついて出てくる思いやりのある言葉やジョーク、ひとつの強い感情に流されまいとする抑えた振る舞い、温かなまなざし、やわらかな微笑。このお互いへの素直なやさしさの発露があれば…という後悔にも似た瞬間を不思議に最近、幾度も感じています。
すぐ先に別れがあるから、それがお互いにわかっているからこそ澄んでいようとする心、穏やかで温かく終わりを迎えようとする気遣い。これはある意味で非常にプラトニックな愛がこの終いにきて私たち夫婦の間に芽生えているようにも思えるのです。
そういうふうに、最後の最後になっても愛の姿がまだ変われるんだということに気がついて、ひとり静かに感動しました。とはいえ、すべての事は順調に運んで、遅かりしこと。でも、勇気を持って決断してここまできたからこそ、わかり得た真実なのです。
「愛というのは形を変えていくものよ」といえば、どこか芝居の陳腐なセリフのように響いて、思わず「フン、知ってるさ」と言いたくなりますが、それは単なる知ったかぶりで、実は私は何も知らなかったんだと今、白状します。
知らなかったということを知ること。夫は占いのとおり、最後の最後まで“教師”の役割を果たしてくれたのかもしれません。
昨日は家族でケーキを囲んだ最後の誕生日でもあり、誤解されそうでうまく説明できない涙もひとしきり流しましたが、でも、ここからまた人生を歩きながら少しずつ学んでいくしかないと、今は思っています。
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by zuzumiya | 2013-10-20 15:43 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

“あなた”という誰かへ向かって

先日、ここで「ブログを続けるかどうかを考える」と書きました。
あれからしばらくの間、日記を書くこととブログを書くことの違いや自分がブログを始めたわけ、ブログで何がしたくて何を目指していたのかを改めて考えていました。
ネット上で文章を書くことを「全世界に発信する」とか「晒す」とか表現する人もいます。
テレビのあるコメンテーターは「通りで大声で叫ぶことだ」とも言っていました。
確かにこのパソコンの画面の向こうには見えていないだけで、顔も名前も知らない、国をも超えた、想像できないくらいたくさんの人々が存在しています。そして自由に繋がることができるのです。
でも、正直なところ、私はそのスケールの大きさや意味や恐さを頭では理解しているつもりですが、心では全然、違うことを思っています。
以前に「優れたエッセイはすべて私信の趣をもつ」と書いたことがあります。いいエッセイに出会うと、まるで旧知の友人が私に宛てて書いてくれた気軽な手紙のような親しさと懐かしみを覚えてうれしくなります。
私にとって、私の文章がたとえ全世界に通じるネットの中にあっても、書いている今この時の気持ち、あるいは「書きたい」「伝えたい」という衝動は、どこへ向かうものかと言えば、広く大きな“全世界の人々へ”ではなく、ただひとりの、画面の前にいる“あなた”という誰かへ向かっているのです。 “ものを読む”とか“何かを受け取る”ということがそもそも一対一の関係性の中にあると思っているからです。
だから、昔書いていたブログの文章に「わたしみたいなあなたへ」と題したのもそういう理由からです。結果的に全世界へ発信していることになっていても、私の心の目が捉えて、語るべき相手として今必要なのは、“あなた”ひとりしかいない。そのたったひとりのあなたへ向かって私の想いは集中し、できれば手紙のような親しさで届く何かを書いていたい。心はいつでもそう願っています。
でもこれは、私だけの特別な考えというものでもない気がします。多くのブロガーたち、あるいはもっと広げて、“ものを作る人たち”は、たぶん、同じような気持ちで臨んでいるのではないかと思います。漠然と“万人”へ、“大衆”へ向けてというスタンスでは、自分のほんとうの気持ちや想いの芯はうまく定まらず、伝えることが難しいのではないかと思うのです。
私が日記の内省よりもブログでの繋がりや通い合いを選んで書いてきたのも、きっとこの世界の何処かに「わたしみたいなあなた」がいてくれて、私の書いた文章を読んで一緒に泣いたり笑ったり、頷いてくれるはずだと不思議と信じてやまないからで、それが書くこと、書きたいと思うことの原動力であり、そういう“捨てきれない希望”をひとつ大事に持って生きていくことはいいものだと思っています。生きていれば孤独感はあるけれど、それでもきっと私は一人じゃない。そう信じられることはどこかで大きく幸福なことだと思うのです。

だから、こうしてブログで書くことを止めないでもいいのではないか。そう思いました。
ある人は「まるで依存症だね」と揶揄するかもしれません。
でも、私にとって書くことをやめることは、心の中の目をそっと閉じること。うつむいて見て見ぬふりをすること。感じることをやめること。考えることをやめること。
そして、誰かと繋がろうとする素直さと人間的な温かみを捨てて、頑なに閉じること。
信じることをやめること。
すべて自分自身を削り取られ、生きていくうえでの大切な何かを失っていってしまうことのように思えます。

またここで「わたしみたいなあなた」へ向かって書いていきます。
長く続いたブログで、私の人生にもいろんな出来事がありましたが、48歳にして今度は離婚というものを経験しようとしています。自分が決めたことなのに、何か大きな運命の流れに乗ってしまって、あれよあれよと流されていく感じがします。夫婦が人生のテーマと思ってきた私が「さぁ、どうしよう」と困ってもいます。
これから何をどう感じて、私がどう変わっていくのか、変わらないのかわかりませんが、すべては心の赴くまま書いて、確かめてみるしかないようです。

そこに“あなた”が見えているから、見てくれているとそう信じられるから、
私はまた、“あなた”へ向かって書いていきます。ありがとう。
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by zuzumiya | 2013-10-20 10:53 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

皆様へ

以前、このブログでも取り上げた白石一文さんの小説『ほかならぬ人へ』。
その中にこんな文章があります。

<この世界の問題の多くは、何が必要で何が不必要かではなく、単なる組み合わせや配分の誤りによって生まれているだけではないだろうか。これが必要な人にはあれが、あれが必要な人にはそれが、それが必要な人にはこれが渡されて、そのせいで世界はいつまでたってもガチャガチャで不均衡なままなのではないか。どうやったらそれぞれが「ちゃんとした組み合わせ」になれるのだろう?>

それから、こんな会話もあります。

<「うん。ベストの相手が見つかったときは、この人に間違いないっていう明らかな証拠があるんだ。」
「それ本当?」
「たぶんね。だってそうじゃなきゃ誰がその相手か分からないじゃないか」
「だからみんな相手を間違えてるんじゃないの」
「そうじゃないよ。みんな徹底的に探してないだけだよ。ベストの相手を見つけた人は
 全員そういう証拠を手に入れてるんだ」
(中略)
「だからさ、人間の人生は、死ぬ前最後の一日でもいいから、そういうベストを見つけられたら成功なんだよ。言ってみれば宝探しとおんなじなんだ」>


はじめてこの本を読んだ時、これらの文章が妙に心に焼きつきました。
どこかで「そういうものなのだろうか」と思いながら、でも、「そうかもしれないなあ」とぼんやりわかっていたのだと思います。
このたび、長年、二十数年ですか、連れ添った夫と離婚することになりました。
『夫婦いとしい時間』に登場したあの夫とです。
読んで頂いた多くの方から「素晴らしい旦那様で、あなたは幸せ者ね」と誉めて頂きました。今でもそのお言葉はありがたく思っています。
夫婦二人のことで、長年にわたることで、皆さんにうまくわかるように説明はまだできないのですが、どういうことかとあらためて考えた時に、ふうわり胸底から浮かんできたのが、ずるいようですが、白石さんの上の文章でした。
すべては組み合わせと配分…。私もそう思います。
子を育て上げるための組み合わせとしての二人をとにかく無事に終えられて、これからはそれぞれがいったんそれぞれに戻って、新たに生きてみようとそう決めました。
このブログはこのまましばらくは残しておこうと思います。
これから先のことは、何かを書いているのかいないのか、よくわかりません。
公開するブログである必要がほんとうにあるのかも考えています。

金木犀が香っています。もうすぐ誕生日。
始まったものには終わりが訪れるもの。でも、その終わりはまた何かの始まりにつながっていく。
それだけは信じています。
今まで多くの方に読んで頂き、コメントも頂けたこと、本当にうれしく思います。
ありがとうございました。
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by zuzumiya | 2013-10-09 00:22 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(1)

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