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ラテンは毛穴で聞くミュージック!

a0158124_1249386.jpga0158124_12472098.jpg「雨と休日」から購入したアルバム二枚、お盆の終わりかけに届きましたが、どちらもすごくいいです。
チャーリー・ヘイデンの『ノクターン』とマテオ・ストーンマンの『マテオ』。夜のキューバと昼のキューバって感じです。
『ノクターン』の方はまずジャケットの写真が「いかにも大人の夜!」って感じで、ネオンの灯る街角なんですけど、映画のワンカットみたいに渋くて。
先日、「情熱大陸」ってTBSの番組で、映画監督の紀里谷和明さんがキューバの夜を奔放に遊びまくってて、そんな彼の気取らないカッコ良さも手伝って「キューバっていいなあ」とちょっと思ってたんですよ。伏線でした。キューバって、タクシーがクラシック・カーなんです。ジャケットの写真にもありますが、それがまたさりげなくカッコイイ。
試聴してみたら、タイトル(夜想曲という意味)のごとく、大人の甘くて哀愁漂う夜なんですよ、これがまた、ベタに!
キューバのリズムの「ボレロ」というやつ、おもちゃの電子ピアノなんかにもついてきますよね、ボタンを押してもリズムはどこかで聞いたことあるけど、メロディー浮かばない、乗せられないみたいな(笑)。
でも、あの骨盤内にぼおんぼおんとこだまするようなのどかな感じ、好きですねえ。
以前に「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」が爆発的に流行った頃、映画も音楽もあの頃の自分にはなぜか響いてきませんでした。「ラテンはリズムも声も派手で熱すぎる」って感じで、敬遠してました。最近、昭和の懐メロがマイブームになって、「黄昏のビギン」とか聞くようになって、これも今思えば伏線だったわけですけど、なんとなく「ボレロ」のリズムって心地いいなあと感じてきて。プレイヤーの顔ぶれの凄さとかあまり関心ないので(凄いみたいです!)知りたい方はネットで調べてくれたらと思いますが、とにかく、テナーサックスとかピアノとかヴァイオリンとか醸し出す音色が、蒸し暑い夜気とからまって、より一層色っぽく艶っぽく変化して、皮膚全体からしっとり染み込んでくるようなアルバムです。ラテンって、毛穴で聞く音楽なんでしょうかねえ(笑)。
かたや、『マテオ』は、濃厚さがぐーんと薄まって、昼下がりに聞ける感じのアルバム。
もともとマテオ・ストーンという人はキューバ音楽好きのアメリカ人だそうで、ラテンの男じゃないので、裏声で、ものすごく優しく、時に気だるく歌ってくれてます。そうだな、たとえて言えば、キューピーマヨネーズのハーフの方のCMにでも使えそうな、ちょっと都会的なこじゃれた感じのサウンドかな。外のクマゼミのシャッシャッという独特の鳴き声が楽器の一つみたいに聞こえて、なぜか合うんですよ。洗濯物のワイシャツの袖を持って、ベランダでフラフラと踊りだしたくなるようなやさしい軽やかさ(笑)。
昼には『マテオ』で、夜には『ノクターン』で、正真正銘本物の「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」は濃すぎて素通りしちゃう偏った私ですが、この二枚はおすすめです。
昔から夏の宵はボサノバがお決まりでしたが、今年からはキューバンミュージックです。
暑いうちにどうぞお酒を片手にお試しあれ。
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by zuzumiya | 2013-08-24 12:41 | わたしのお気に入り | Trackback | Comments(0)

村山由佳と考える「もう一人の自分」

今、ちょっと村山由佳という作家に興味を持っている。
読んでみたいのは彼女の作風ががらりと変わったとされる『ダブル・ファンタジー』とその後の『放蕩記』だ。実は精神科医の斎藤学との対談を収めた『「母」がいちばん危ない』という本を読んで、ハッとする文章があって「これは読まなくては」と思ったのだ。
村山さんという人は、昔はなんだか鴨川辺りに住んで、野菜作って田舎暮らしを楽しみながら“青春恋愛もの”を書いていたそうだが、デビューしてから十年、仕事に理解があって家事全般をしてくれる非常に献身的な旦那さん(糟糠の妻ならぬ夫)を置いて家を出たきっかけが、一部ではエロ小説と揶揄されている『ダブル・ファンタジー』を書きたいがため、だったらしい。(たしかどこかのインタビューで「黒の村山由佳をお楽しみください」と本人も言っていたような…)
元旦那さんはものすごく協力的で献身的なのに、今の旦那さんは「気が向いた時にぷらっと帰ってくる、また何も言わずにぷらっと出て行く。でも、そばにいると何か安心感がある(本文より)」という人で、村山さんに家事もやらせる人だという。仕事するなら何でもやってくれる献身的な方がいいと思うんだけど、彼女に言わせると違った。
【本当に尽くしてくれたんです。デビューからの十年間。私もそこに甘えて、たくさん原稿を書くことができました。心の底から感謝はしているんですけど、だけれど、それも一つの「支配」であったのかなと。】(本文より)
この「心の底から感謝はしているんですけど、だけれど」という言葉の重ね方、私も同様に感じてるから笑っちゃうんだけど、でも「支配」だったっていう言葉、目からウロコだった。本を読んでいくと村山さんと私は似たところがあって、とにかく人の目を気にする。本人はそれがとにかく嫌なんだけど、どうしてもそこでがんじがらめになる。彼女のその習い性は母親からの支配で、私の場合は育ての親の祖母からの支配だ。でも、恐ろしいのは、それらの「支配」が実は母親から夫へ、私の場合は祖母から夫へスライドしたにすぎないんだってことが斎藤先生との対話でわかって、いろんなことが「ああ、そうか」と腑に落ちた。
結婚して夫を得て、ようやく母親からの支配から逃れられると思ったら、人を替えただけだったという“支配のスパイラル”。私の夫もものすごく献身的ないい夫だ。拙著を読んでくれた方は、決まって「素晴らしい旦那様ですね。羨ましい」と感想を送ってくる。でも、暮らしていくうち、強い父性だとばかり思っていたものが、ただの支配欲なんじゃないかと思うようになった。子供だけじゃなく、ペットへも、そして彼から見れば最初の子供にすぎなかった私へも…。私の母が娘に「どうして、かずみは旦那にあんなに下手に出るのか」と漏らしていたというから、男女関係に苦労してきた母には見えていたのだろう。
村山さんのように嫌だ嫌だと思いながらも、母の目、他人の目を気にして優等生を引きずって生きてきて、ある時バーンと爆発して、「私ってほんとはこんっなにドロドロでブラックなんですよ」と「もう一人の自分」をさらけ出して、「境界線を越えてゆけ」というタトゥを入れて「作家はひとでなし」と公言するまで堕ちたくなる気持ち、実によくわかる。私にも彼女のような「もう一人の自分」がいて、今はまだなんとか蓋ができているが、この先、「夫の愛は支配欲にすぎなかった…」と思いながら、何十年も一緒に暮らしてそのいちいちを確かめていくのかと思うと、果たしてその蓋がもつだろうかと思ったりする。
とにかくまずは『ダブル・ファンタジー』と『放蕩記』の中に答えになるかどうかはわからないけれど、何かを探してみようと思う。
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by zuzumiya | 2013-08-17 14:40 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

蒸し暑い夜がまたいいんです

久しぶりにオンラインCDショップの「雨と休日」を覗いてみた。「夏の夜を気持ちよく」というコーナーができていて、さすがだなと感心する。ここでいろいろ試聴しながら、のんびり夜を過ごすのが大好きなんだけど、早速、キューバ音楽でいいのを2枚見つけたので、購入しようと思っている。不思議なんだが、キューバ音楽だからか、網戸ごしの日本の蝉の大合唱も、風がそよとも吹かない蒸し暑さも全く気にならない。逆に冷房のなかで聞くのはつまらないだろうな、という気がしている。夜の熱気が濃密に甘くじんわり肌にくるなんて、ラテン音楽の力ってやっぱり凄いね。こんなふうに夏の蒸し暑い夜を楽しんでみるのもいいのでは。どのアルバムかはまた後ほど。
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by zuzumiya | 2013-08-13 00:01 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

玄関読書

暑さにうなされて目を覚ます。タオルケットからはみ出た足を冷気にさらされ、朝方いったん冷房を切ったのだった。見上げると遮光カーテンの裾から恨めしくも白い日差しが漏れている。サッシの向こうではミンミン蝉のけたたましい合唱。日曜日。朝の八時半。
寝室からよろよろと出ると猫が待ち構えていた。見ると、玄関の扉が少し開いている。夫はリビングのソファに移動して二度寝をしていた。網戸に扇風機だけだが、玄関からの朝風のおかげで思いのほか部屋は涼しい。猫がいるのに大丈夫だろうかと、念のため扉の開き加減を見に行く。慎重な夫らしく猫の頭が出ないほどの隙間を作ってあった。
新聞を取って食卓に戻り、足元にまとわりつく猫に餌をやる。新聞を開きかけたが、思い直して新聞を持って再び玄関へ。廊下の端にどたんと腰掛けて新聞を広げる。「猫は家の中でいちばん涼しいところを知っている」と思い出した時、後ろからそろりと猫がやってきた。脇の下から小頭を出すと、そのまま広げた新聞にダイブした。どこであっても飼い主に新聞は読ませるつもりはないらしい。怒ると声に驚いて、居慣れない玄関から一目散にリビングへ駆けもどる。それでも新聞の擦れる音に引き寄せられ、やってきてはまた怒られて逃げる。そのうち、新聞ダイブも飽きてきて、そこらに脱ぎ散らかしてある家人の靴の匂いを嗅いだり、下駄箱へ飛び移る距離を見測ったりして、知らぬ存ぜぬの風情を漂わせながら、それでもしっかりお目当ての扉の隙間に近づいている。でも、自慢の長いしっぽは見事にしなびて垂れている。マンションの前の街道を走る車の音が怖いのだ。
僅かな隙間からは街道の向こうの遊歩道を行く自転車やウォーキングする人々がちらちら見える。そよそよと流れてくる風は薄暗さも手伝って冷たくて気持ちいい。扉を全開できればどれほど電気代の節約になるだろうと思う。猫は鼻先を風に向けて目を細めながら、そのまま地べたにぺたんと伏せた。どうやらここが気に入ったようだ。
急に思い立って、本を取りに行く。平松洋子のエッセイで『小鳥来る日』。図書館で借りたが、数ページめくってすぐに購入することにした。休日で、家族はまだ寝ていて静かで、場所はあろうことか薄暗く狭い玄関で、投げ出した足で息子の靴を踏んづけたりしているが、朝の涼しい風を一人占めできて、なんだかすごく幸せな気分だ。こういう時はチャンスである。日頃、大事に読みたいと思っている本を読むのがいい。
平松さんといえば、今まで料理関係のエッセイが多かった。最近になって書評も素晴らしいことが分かって賞もとった。料理について書いている頃から、この人はごくごく日常の身の回りのことを書いても上手いだろうと思っていた。そういう本が出たら、迷わず買おうと思っていた。
はじめの一篇、「八角蓮ふたたび」の冒頭七行は石田千を思わせるやけに古風な語り口で借り物のようだと引っかかったが、そこを超えればスムーズに読めた。「○○といえば△△を思い出す」エッセイの書き手には豊富な知識を引けらかすように詩歌やら小説の文章やらを引用してくる人は多いが、あれもひとつのエッセイの“型”なのだろうな、などとあらためて思いながら、有名すぎる在原業平の桜の歌を読む。
良かったのが二番目の「五月の素足」。足の裏は季節の移り変わりを捉えるから、実は足の“表”ではないかという視点、面白いと思った。しかも、素足でいることは五月をすぎればしだいに普通になっていくから「素足がうぶなのは五月、青嵐の吹き渡るわずかないっときだけである」という感性、この結び方、マイッタと思った。
日常のなかの個人的な些細な気づき。でも読み手には、言われて初めて気づく、つまらない何でもない日常がひっくり返ってハッとする瞬間だ。この日常に生き飽きるにはまだ見足りていない、聞き足りていない、感じ足りていないんだ、そんな気にさせる。些細であれば些細であるほど、そこに気づいた感性に驚かされ、人としての豊かさに惹かれていく。だから、エッセイは面白い、などと感激していたら、いつの間にかもう風は止んで、目の前の猫もいなくなっていた。
「お父さん、風が止んじゃったよ」
暑さで白く靄った遠くの空を眺めながら、サッシを閉め、冷房のリモコンを押す。時間にしておよそ三十分。たった三篇。
休日といえども、主婦の私にはあんな満ち足りた時間はもう巡ってこない。
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by zuzumiya | 2013-08-11 16:15 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

仕事があること、仕事をするということ

職場の老人ホームでのことです。昼食が終わって、あるおばあちゃまが同じテーブルについているお仲間に「あの人はあれでお金を貰ってるんだから」と喋っているのを偶然、耳にしました。彼女の目線の先にはお膳を下げる係が立ち働いていましたが、歯磨きを担当している私のことを言っていないともかぎりません。いったいどういう意味でそんなことを言ったのか、話の流れがわからないので真意はつかめませんが、認知症のさほど進んでいないしっかりした方だったので、痛烈な皮肉に聞こえて、心にちょっと引っかかりました。
食べさせてもらったり、お風呂に入れてもらったり、下の世話をしてもらったり…。よほど認知症が進んでいないかぎり、お年寄りというのは誰かの手を借り煩わせると、恥入って申し訳なくありがたく感じるようです。私もよくテーブルを拭いているだけで「ありがとうね」と感謝の言葉をかけられます。
反対に、介護士というのは毎度毎度の仕事の慣れから、どこかで世話を「してあげている」という気になりがちではないでしょうか。「世話をしてもらう」「してあげる」の関係は、立場の強弱を際立たせ、時々、される側の気持ちや尊厳というものを忘れさせてしまいます。孫ほど年の離れている若者にお年寄りが、悪気はなく親しみだとしても、あからさまな命令口調で指図されているのを耳にすると「なんとまぁ、横柄な」という気もします。
私自身もおばあちゃまに「おめめを開けて」と幼児語で話しかけてしまって、はたと気づくこともあります。
あのおばあちゃまの痛烈なひと言は、たとえば私なら食事の介助と歯磨きで、介護スタッフなら下のお世話や入浴などで(もちろん、その他いろんな仕事がありますが)、給料を貰っているんだ、だからごはんが食べられているんだとあらためて気づかせてくれる力がありました。仕事に慣れてきて、甘く見がちだったこの頃。反省を込めてそう思います。
仕事があること、そこで力を発揮できるチャンスがあること、そのことに感謝する気持ちを再び思い出させてくれました。
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by zuzumiya | 2013-08-08 00:11 | 日々のことづけ | Trackback | Comments(0)


ふだんの暮らしに息づいているたいせつなもの、見つめてみませんか?


by zuzumiya

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