<   2012年 12月 ( 16 )   > この月の画像一覧

一生をかけて親を知る

「最近はほんとうに動けなくなっちゃって。お掃除だって三日に一度ぐらい。掃除機も重いでしょ。埃で死んだ人はいないから。でも、思えば母はほんとうによく動いていましたね。私がお正月に着る晴れ着の直しに夜遅くまで針を持ってましてね。今になって、ほんとうによくしてくれたと思いますよ。感謝してます」リハビリの時に耳にしたおばあさんの言葉です。年をとると、なぜだか母親のことが子供の頃以上に一段と愛おしく慕わしく感じるようです。我が子を持って親の大変さを知り、年老いて人生を振り返ったときに、もう一度、親の想いを噛み締める時がくるのでしょう。なんとなく自分の魂が先に逝った親のもとへ帰って行きたくなるのかもしれませんし、もしかしたら新たに生まれ変わる準備として母というものをまた一段と乞うようにできているのかもしれません。
それにしても、人は一生をかけて親子なんだと、一生をかけて親を知っていくんだと気づかされたいい言葉でした。
[PR]
by zuzumiya | 2012-12-30 20:25 | 日々のことづけ | Trackback | Comments(0)

いつものとおりの楽しい忙しさ

最近は年末の買い物や掃除やらで忙しく、ブログの存在や文章を書くこと自体を忘れて動いています。若者がいうところの“リア充”というやつでしょうか。
今日の東京はあいにくの雨で予定が狂い、大物のお洗濯があともう少しやりたかったかな、と思っていますが、昨日はとてもいいお天気で、窓を磨いたり、カーテンを洗ったりしていつもの年末のように過ごしました。買い物もチラシを見て研究して、「安い!」と思って駆けつけてみると、数日後には同じ商品が違うスーパーで割引セールをされていたり、勝った負けたと主婦の世界も大変です。タイムセールに間に合うようにハラハラドキドキしながら首のリハビリを受けてたら、看護婦さんに笑われてしまいました。スーパーでたくさんの食材を買って、前も後ろもかごをいっぱいにして、マンションの自転車置き場へ帰ってくるとき、いつでも親鳥が巣に餌を持って帰ってくるみたいだと心で笑っています。
毎年感じることですが、こうやってあれやこれやと新しい年を迎えるために忙しく立ち動いていること自体がしあわせなことだと思います。窓が磨けること、カーテンを洗えること、玄関を掃除できること、買い物へ行けること…、「ああ、疲れた、骨が折れた」と言いつつも、いつもどおりな年末がつつがなく送れていること、この安心、年を追うごとにだんだんにうれしさが深くなってきました。

家事の休憩時間にはぶつ切れになりながらも読書したり、映画を見たりしています。
最近ではお洒落なフランス映画『世界でいちばん不運で幸せな私』と小林聡美ちゃんの『マザーウォーター』を見ました。『マザーウォーター』はまさに“クウネル女子”が泣いて喜ぶ映画でした。どのカットもクウネルの誌面のようでした。同じ監督の『東京オアシス』より私はこっちの方が断然好きです。京都らしいのですが、川の流れる町が素敵でした。
いつでもそうですが、もたいまさこさんの存在感は素晴らしいですね。歩く姿、座っている姿だけでもう、もたいさんなんです。セリフはなくても存在感を出せる女優さんって、この人の他にはいないような気がします。「今日も機嫌よくやりなさいよ」というセリフが渋くて、私も使いたくなりました。不思議なことに、この映画を見てから台所を片付けたくなって、ステンレスをピッカピカに磨き上げました。そういうことをしたくなる映画です。

おせちの準備をテレビをチラ見しながらやって、お正月は家族と猫とのんびり過ごして、映画と読書三昧です。いつものように、いつもどおり、年をつないでいきます。
[PR]
by zuzumiya | 2012-12-30 20:01 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

世界は続く。メリーゴーランドのように。

皆様、クリスマスは楽しく過ごせましたか?
うちは息子の誕生日も合わせて、23日に家族そろってパーティーをしました。
クリスマスは恋人時代か、子供が小さいうちがいちばん楽しいなあと思っていましたが、以前、夫婦ゲンカをしている時に娘に「この家族でいられる時間はこれからは少なくなっていくんだから、ケンカなんてしてる場合じゃないでしょ」と言われ目が覚めて、これからは家族の揃う時間こそ貴重なんだと、ハッピーに過ごさなきゃと心を改めました。
料理はタンドリーチキンとホットプレートでパエリアを作り、ケーキは娘と夫が作ってくれました。今回はすべて手作りでしたが、ぜんぶ美味しくできました。
娘は私のアドバイスでお兄ちゃんに例の瓶詰めのスイーツセット(カラフルなゼリービーンズやグミやキャンディやマシュマロを入れたもの)を誕生日プレゼントにして贈りました。甘いものが大好きな息子は何よりも喜んで、中身が少なくなったら私が買い物に行って足していく約束になっています。今年家族に加わってくれた猫のももちゃんには、スペシャルな缶詰のディナーとグルーミングブラシをプレゼントしました。

それから、来年より新しく仕事を始めることになりました。
近所の介護施設でお年寄りの食事の介助をします。今度は仕事を家に持ち帰ることのない、家事もちゃんとできる(はずの)短時間のパートを選びました。保育士時代に戻ったようなジャージにエプロンで頑張ります。年末に仕事のことで健康診断に行き、なんとコレステロールが高いことが判明!実は図書館時代に昼に必ず毎日ヘルシアを飲んでいて、健康診断では中性脂肪の数値がほんとうに半分に下がっていて、“トクホ”の通り、広告の通りだと実感していたんです。いいですよ、ヘルシア。結果が出ます!
仕事を辞めて家にいて、飲み食いするわりに動かなかったことがいけなかったんですね。来年からはまた家事やリハビリや、自転車こいでバタバタしそうなので、体重もコレステの数値も戻ってくれることを期待します。

仕事の関係で出歩いてばかりで、お正月の買い物も大掃除もまだなのに何ですが、最近朝にスープを飲むことにハマってまして、夜にコトコト作るんですが、そのからみで今こんな本を読んでいます。吉田篤弘さんの『それからはスープのことばかり考えて暮らした』(暮しの手帖社)です。吉田さんの本は『つむじ風食堂の夜』(映画も見ました)が気に入っていて、冬になると読みたくなる作家さんです。吉田さんの描く町って、なんかスノードームかジオラマでも覗いているような、独特な、時間が伸びたようなゆったりな感じとどことなく漂う上品さがチャーミングです。季節に合わせて読みたくなる本がいくつかあると人生は楽しいものです。重松清さんの“季節風シリーズ”の冬もほっこりしておすすめです。
それから、今もこれを書きながら巻いていますが、付録で評判な宝島社から出ている本『首こり・肩こりを一発解消! 首らくらくサポーター』を買って、付録の首サポーターを使っています。こういう本を買うのは初めてで、まだ装着して2日目ですが、昨日よりはだいぶラクで慣れてきました。少しでも首に負担がかからなければと思って始めています。
使っていいようなら、ここでも改めておすすめします。

それでは、今年も残りわずか。
計画を立てて、やることをきちんとやって、いつものように過ごします。ごきげんよう。
[PR]
by zuzumiya | 2012-12-26 17:38 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

すべては順番

最近、気がつくとよくお年寄りを見つめている自分がいる。
スーパーのレジでおじいさんの少ないかごの中身を見ながら「今夜はカップ酒を飲んで海苔巻きで済ますのかな。一人暮らしなのかな」と想像したり、信号を待っている時にスーパーの袋を吊り下げたおばあさんの丸い背中をぼうっと見ていたりする。
47になって体のあちこちに故障がでてきて、お年寄りの隣でリハビリもやったりするようになって、まさにこれから自分の進んでいく先は若さでなく老いの方なのだとわかってきた。緑内障で「早い人は70ぐらいで視界が消えていきますから」と医者に言われたこともずしんと心に残っている。
公園を通れば、今日もお年寄りたちが歩いている。若い頃はあの姿を見ても「そんなにも長生きしたいのか」と思っていたが、今では「あんなふうに歩いているのはなるべく人様のご厄介にならないようにしたいだけなんだ」という見方になった。そして「私だって70でもし目が見えなくなったら、何をするにも人の助けが必要になるんだな。その時は、みんなやさしくしてくれるだろうか」とちょっと心細くなる。お年寄りを見るにつけ、明日は我が身と思うようになった。
すべては順番なんだ、と思う。人はひとっ飛びにはわからない。若い時には若いんだもの、「わかれよ」と言ったってこんな気持ちはわからなくて当たり前だと思う。若い頃を知っている私は純粋に弾ける若さを楽しめばいいとこれも素直に思う。でも47の今は、だんだん近づく老いがわかってきて、わかってきたなら今のこの不安な気持ち、このうまく動かない感覚や不自由さを大事に覚えておこうと思っている。今はそういう順番で自分に物事が来ている、見えているとそう思う。きっと今のこの不安定さをちゃんと味わってから次へ行けってことなんじゃないだろうか。少しでも若作りしようとか、流れていく時間に抵抗しようとは思わない。逆に、さらに先の老いがわかるわけでもない。じわじわと明日は我が身だからと思えるようになった47の今の瞳で見えてくるものを見ていけば、またわかってくることもあるんだろう。「生きてみなければわからない」これはほんとうなんだ。
[PR]
by zuzumiya | 2012-12-18 19:07 | 日々のことづけ | Trackback | Comments(0)

統合されていく力

いつの頃からかブログのレポート内に“記事別アクセス”というのが載りだして、今まで書いてきた文章の中の何が今好まれて読まれているのかがわかるようになりました。
ここに挙がっているのは別に最新の記事というわけではないようです。自分が書いたことも忘れてしまっていたような昔の文章が挙がっているので、最近では自分でもどれどれと改めて読んでみるのが楽しみだったりします。
それで、ほんとうに不思議で、ありがたいことなんですが、昔書いた自分の文章で今の自分が救われる、励まされるということが多々あります。
昨日でしたか、ランキングに挙がっているもののなかに「祖父の家庭菜園」だとか「しらちゃんとたまごパン」、それから「玉葱の味噌汁」や「今日のことづけ」なんかがありました。それらの文章は私のブログの中で一定して読まれている茨木のり子さんや宮沢賢治さん、鶴橋康夫さんの記事よりも個人的にはずっと好きで、思い入れも強いものです。自分で書いていて自画自賛みたいで嫌なんですが、実に私らしいというか、いいも悪いも私という人間の一面がよく出ている文章だと思っています。
選んでくれた見ず知らずの人たちにまずここで感謝したいと思います。
読んでくださってありがとうございます。
それからもうひとつ、最近、よく思っていることなんですが、年をとって、昔の自分にすごく励まされるというか、自分がやってきたことに何一つ無駄はなかったんだ、これでよかったんだとようやく実感として思えるようになってきたことをお伝えしたいと思います。
なんでこんなこと思うようになったかというとブログだけのことじゃなく、職務経歴書を作る機会があって、自分の経歴を振り返ってみて、あれもした、これもしたと書いているときに、最後に勤めた図書館で子育て支援の講演会を自分の企画でやったんですが、そこにすべての仕事の経験の蓄積がぜんぶ生かされて発揮されていたことに気づいたんです。「ああ、生きていくと人間の力ってうまいこと統合されていくもんなんだな」って思いました。選挙のスローガンみたいだけど、人間力だなと思いました。
年齢を重ねた今だからこそ、わかるんです。かつての自分がいて、いろんなことやってきて、試練もいっぱいあって、今の自分になっていることのありがたみがうれしく思えます。それってすごく幸せなことじゃないかって思えています。
年をとって、年齢だけで履歴書の段階で落とされたりするわけですけれど、それでもみんなへこまないでね、って思います。自分の中にいろんな過去の力がちゃんと蓄積されて、統合されて今のあなたを作っているよ、と。伊達に長いこと生きていないよ、って。そこにちゃんと自信持って、堂々としていていいんですよ、って思います。これからも生きているかぎりはいいことも悪いことも起きてきて、そのなかで自分をどんどん作って練り上げていけるんだってことに、今とても希望を感じています。
カテゴリーが“40代のブログ”なので、今一度、皆さんにお伝えしたかったことです。
[PR]
by zuzumiya | 2012-12-17 11:19 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

「寒いですね」の暖かさ

今朝、エレベーターで下りて行ったら、途中の階で年配の男性がひとり乗ってこられました。入ってすぐに「寒いですね」と私に微笑みかけてこられました。私ははっとして「寒いですね」とそのまま鸚鵡がえしに答えていました。1階について軽く会釈して先に下りましたが、何だか後からじわじわとうれしくなってきて、気持ちがほっこりしてきました。
エレベーターのような狭い空間に二人きりになると、多少気詰まりでも少しの間だからとお互いが人間ではなく石のようになって相手を無視し続けます。それが暗黙の了解で普通なのですが、でも、「寒いですね」のひと言でここにいるのはやっぱり人間なんだと、寒い日に人から「寒いですね」と言われることってなんて暖かいんだろうと思い出しました。
[PR]
by zuzumiya | 2012-12-17 10:03 | 日々のことづけ | Trackback | Comments(0)

またしても煮込んでます

曇っていて外が寒そうな今日もストーブでのんびり煮込み料理を作っています。
私が図書館に勤めていた頃、展示されていた本『作ってあげたい彼ごはん』が気になっていて(タイトルが可愛らしいでしょ?)なんとなく頭の隅にあったのですが、その著者であるフードコーディネーターのSHIORIさんがブログをやっていらっしゃることが最近わかり、献立に迷った時はクックパッドより彼女のブログの方をまず見て参考にさせてもらっています。参考にというのは、私はだいたいいつもレシピどおりには作れないからです(苦笑)。
今日は彼女のレシピをいくつか書き写して午前中を過ごしました。なんだかしあわせなひとときでした。今現在で、7枚のメモが机の前に貼ってあります。
またしても料理に目覚めていますが、たぶん、いつも言っているように、料理にこだわる時はきっと心に余裕があるんでしょうね。ありがたいことです。
どうせストーブつけているんだし、一石二鳥的な、経済的な理由もありますが、ストーブの火でひたすらコトコト煮込むというのがなんだか精神的に安らぐ(原始の記憶?)というのがあって、冬はストーブでの煮込み料理にハマってしまいます。最新のオール電化にして停電したら暖もとれないし料理もできないという話も聞くので、昔ながらの石油ストーブ(上に鍋を置いて料理できるやつ)を一家に一台持っておくのがいいと思います。
さて、今日は彼女のレシピの「鶏のほろほろ煮」を自分流にアレンジしています。手羽元を醤油やお砂糖やお酒と生姜のスライスとゆで玉子と一緒に煮込む簡単な料理です。鶏肉の身がほろほろにほぐれるほどやわらかくなるそうなので「ほろほろ煮」なんだそうです。
彼女のレシピはいつでも2人分ですが、分量など家族4人分に単純計算して作るんですが、どうも煮汁の量が多い感じがして、「ええい、それなら」とゆで玉子以外にも大根の輪切りを入れちゃいました。味付けもなんとなく主婦の勘で“お酢”を加えてしまいました。
それで、どうなるかわかりませんが(現在、煮込んでいる最中)たぶん、煮汁が少なくなるまで煮込んでいけばいい感じに材料に色がついて、美味しくなるような気がします。
もちろん、料理しながら、読書したり、リラクゼーションのCDを聞いています。
胎教に音楽がいいといいますが、子育てにも音楽はいいと思います。猫のももちゃんを見ているとそう思います。もともと静かな音楽が好きな私ですが、そういう曲を流しているとももがへんに荒ぶらず、おっとりしてきたように感じます。睡眠も深いような気がします。音楽で猫の性格が変わるのかわかりませんが、人間がゆったりして心地いいことは猫にもいいんだろうと思います。さて、読書に戻ります。
[PR]
by zuzumiya | 2012-12-15 15:05 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

スープと読書と音楽と

今日はリハビリに行ったあと(現在9キロで吊り上げ中)、午後の3時過ぎから料理をすることにしました。昨日は疲れてできなかった“まるごとキャベツとコンビーフのスープ”。簡単なんです。キャベツを1個買ってきて、4つに切って芯を取って、葉と葉の間にコンビーフを詰めて、コンソメでとろとろと煮ていくだけ。本来のレシピはこれだけなんですが、我が家ではスライスした玉ねぎとかざく切りのセロリ、まるのじゃがいもなんかも入れて、ヨーロッパの田舎のスープみたいにしちゃいます。お鍋はパスタ鍋とか寸胴鍋で、石油ストーブで暖をとりながら煮込むんです。
煮込みながらするのは、もっぱら読書。それから、料理に合いそうな音楽も選んでかけます。今日の本はよしもとばななさんの新刊エッセイ『人生の旅をゆく2』を、音楽はアイスランドの女性シンガーのエミリアナ・トリーニ(ロード・オブ・ザ・リングで『ゴラムの歌』を歌っているとか)の『フィッシャーマンズウーマン』。スープから出た湯気で気がつくと、ガラスが薄く曇っていて、窓辺のクリスマスツリーのイルミネーションがぼわっと反射して素敵でした。スープはおいしくできたし、本も音楽もよかった。
今日も一日、いい感じに過ごせました。満足です。感謝。
[PR]
by zuzumiya | 2012-12-14 17:29 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

名付けようのない気持ちを抱えて生きてみる

年さえとれば、もっといろんなことがはっきりとわかって、自分の中できちんと整理がつくものだと思ってきたけれど、最近はそうではないなと思うようになった。
何でも白黒つけたがる性分だったのに、ま、それが一種の若さなのかもしれないけど、今の私はグレーのまま曖昧のまま生きることをなんだかよしと思っている。なんでもかんでもはっきりくっきりさせることに躍起になって起きてくる不幸、波風っていうのもあるんじゃないかと思う。名付けてしまうことで枠をあてがって「ああ、こういうことなんだ」って安心することもたしかにあるけれど、枠におさめてもう考えなくなるのも、今の私はなんか違う気がしている。
母の一生を時々考えてみる時があるのだけれど、年をとってみて「もしかしたら、母もその時こんな気持ちだったのかなぁ」って思うことがある。
じゃあ、それは即“同情”とか“許す”とかの言葉にいちいち置き換えられるのかっていえば、そうでもない。うまく言えないが、その枠には入らない、収めたくないような、収めてしまったらもったいないような気持ちなのだ。“同情”でも“許す”でもなく、じゃあ、何かといえば、語彙が少ないからうまく言えない。
でも、名付けようのないやんわりした気持ちがただぼわぼわっと湧きあがってきて、なんとなく母に寄っていって添っているっていうイメージも、いいんじゃないかと思う。もしかしたら、私がさらに生きていくうちに、ぴったりする言葉に出会って、今の私の気持ちを振り返ってうまく説明できるかもしれないし、この気持ちがどうなっていくのか曖昧なまま一緒に抱えてもっと生きてみたいなと、それは未来の自分に楽しみな感じがして、なんだかいい。
[PR]
by zuzumiya | 2012-12-14 16:48 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

つい、「丁寧に暮らす」に挫けてしまうあなたへ

たしか、イラストレーターでエッセイストの益田ミリちゃんだったと思う。
どの本だったか忘れたけれど、主人公(すーちゃん?)がだらんと床に寝転びながら<雑誌の『クウネル』を見ると正しい生き方の見本みたいに思える>というようなセリフをつぶやいていた。私もまったく同じで、思わず笑ってしまった。
忙しさに流されて「自分がなんだかちゃんとしてないなぁ」と感じる時がある。そんな時はベッドでそっと『クウネル』を開いて「こういう暮らしがしたいのに」とひとりごちていた。
『クウネル』の人気ですぐに雨後の筍みたいに、同じようなコンセプトと佇まいの雑誌が書店に並び、私も『クウネル』や大橋歩さんの『アルネ』を気に入って読んでいた。その後、COW BOOKSの松浦弥太郎さんがあの歴史ある『暮しの手帖』の編集長になられたりして、若い女性から大人の女性まで、何となく生活意識の中に「丁寧に暮らす」が目指すべき良きこと、まっとうなこととして、位置づけられるようになった。
「丁寧に暮らす」この当たりまえのまっとうさ。実はこれがけっこう難しい。頭ではわかっていても行動に移せない、そういうことが「丁寧に暮らす」の陰には多い。
私も忙しい時は「一食ぐらいいいや」とインスタントやレトルトや惣菜なんかでぱぱっと食事を済ませることもある。『クウネル』には著名な料理研究家さんがたとえインスタントの塩らーめんでもちゃんと野菜と牛乳を加えて美味しくて栄養のあるお洒落な一品にしてみせているのに、私は読んでいても実行しない。食事をおろそかにすることは「丁寧に暮らす」に最も反しているんだろうなと、どこかで反省しながら何も入ってない塩らーめんをすする。
私だけじゃなく、おそらく多くの女性が華やかな女性誌の「シロガネーゼ(←古いか)の装いで素敵にランチ」の夢も叶わないが、真逆にある『クウネル』の「地に足のついた、シンプルで、しっかりポリシーのある暮らし」からも振り下ろされてしまうんじゃないかと思う。『クウネル』や一連の似たような生活雑誌のやってきたことは「シロガネーゼ」の夢物語の代わりに「丁寧に暮らす」のような“当たりまえのまっとうさ”をひとつの流行に押し上げた、ということかもしれない。ちょっと怖いのは「シロガネーゼ」より「丁寧に暮らす」の方がそれができない人は「人格的に残念」な感じを与えてしまうことだろう。だからこそ、反省をしてしまうのである。
「丁寧に暮らす」この地味で当たり前のよき事は、これにとらわれて「丁寧に暮らしてないな、丁寧に暮らさなきゃ」と思うたび、暮らし全体を反省や自己嫌悪ばかりにしてしまう。そこで、私はあえてもう一度考えてみた。ほんとうになんでもかんでも丁寧に暮らさなくちゃいけないものなのかどうか…。
今朝、ちょっと早くに外出する用があって、家事をあたふたやっていて、ようやくできた隙間の時間に遅めの朝ごはんを食べた。昨日の冷やごはんに生姜の味噌漬けのスライスを乗せて、熱湯をかけてサラサラサラ。またもや食をおろそかにしたわけだ。でも、今朝は食卓にラジカセを置いて音楽をかけてみたのだ。
最近、仕事で過労気味の息子はいわゆる“リラクゼーションCD”ばかりを買ってくる。
歯医者さんなんかでかかっているような控えめなBGMで、静かな音楽の背後に小鳥のさえずりや波の音が入っているようなやつだ。私はもともとインスト曲が好きなので、よく机に出ているのを貸してもらって聞いている。今朝聞いたのは『Woodland Harp』というCDで、ハープの演奏の背後に小鳥のさえずりがピヨピヨと聞こえた。朝の明るい光のなかで聞いていると、ハープの音がやさしく心地よく、小鳥のさえずりで辺りの空気が透明に澄んでくるような気がした。茶碗の中の白いご飯が湯気を立ててほろほろとほぐれて、上に乗っている味噌漬けの橙色が目に冴えてとてもきれいだ。ベランダの向こうの空も「今日は何かいいことがあるかも」と淡い期待を抱かせるほど真っ青で清々しい。
息子が「こういうの聞いてるといろんな景色が浮かんでくるからいいんだよ」と言ったことがうれしく思い出される。私にもたしかにいろんなものが見えてきたのだから。「ああ、何かいい感じだなあ…」手元を見ればお粗末な食事だが、音楽ひとつですこぶる幸せな気分になった。
この時ふと「丁寧に暮らす」ということの意味が私なりにわかったような気がした。
「私、今、丁寧に暮らしているかも…」といううれしい実感があったのだ。たぶん大事なのは、心にふっとゆとりが生まれたってことなんじゃないかと思う。何から何まで「きちんと手作りしたものじゃなきゃダメ」は考えてみれば「どこそこのブランドじゃなきゃダメ」と同じ拘束力を持っている。たとえ、スーパーで買った味噌漬けと残り物の冷ごはんでも、今朝のようなあんなに新鮮で豊かな気持ちで食べられたのなら、今の私は十分「丁寧な暮らし」をしていると言える。朝食に素敵な音楽をかけたこと、ここのところで私は実に“暮らすということに丁寧だった”ということなのだ。何もかもを頑張ってきちんと丁寧にしなくたっていい。そんなに生きることに優等生にならなくても、「ああ、今いい感じだ…」と心から味わえるひとときを持てるようにちょっとだけ工夫する、ってことでいいんだと思う。
「丁寧に暮らす」の語感が与える“当たりまえのまっとうさ“に挫けて、「手作りせず惣菜で済ませてしまった自分」「のんべんだらりとテレビを見てしまった自分」「家ではラクな万年ジャージの自分」に情けなさを感じて自分を責めてしまう多くの女性たちへ、これで肩の力が抜けるんじゃないかと思う。
[PR]
by zuzumiya | 2012-12-12 18:30 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(2)


ふだんの暮らしに息づいているたいせつなもの、見つめてみませんか?


by zuzumiya

プロフィールを見る
画像一覧

S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30

※このブログの無断な転載はご遠慮願います。

最新の記事

保育士あるある3
at 2017-09-24 12:22
CMに物申す
at 2017-09-23 17:30
一緒にいる理由
at 2017-09-23 14:14
ただでさえ怖いんだから
at 2017-09-23 13:45
私の母はカッコイイ!
at 2017-09-19 20:34

最新のコメント

検索

ブログジャンル