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まずは、一発!

もっとピアノをたてて、しっとり聞いてみたいと、ふと思ったのが、飛べない俺。
好きですね、詞もメロディーも。
息子がドラゴンズドグマやってて、DVDは見れてないっす。

静かに眠りにつくでしょう。‼
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by zuzumiya | 2012-05-30 22:45 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

科学の本っておもしろいんだよ。

7、8月の夏休みの展示企画の担当になっている関係で、自然科学の児童本を読みあさっている。
それが結構、面白くて、ふんふんと集中して読んでいる。
とくに昆虫の話がすごく面白い。
最近は人間界ではイクメンとか言って囃したてているが、自然界では虫でも鳥でも魚でも、オスがタマゴを守り育てるなんてのはよくある話なんだとわかって、いやあ、感心したね。
それと、アリやミツバチ、テントウムシ、蝶の世界の謎、不思議って、ほんとに興味深い。
女王バチがオス・メスの卵を産み分けられるとか、働きバチはみんなメスで、特別なローヤル・ゼリーを与えたものだけ女王バチになれるのとか、テントウムシが集団で越冬する場所は去年の場所と同じなんだけど、どうやってそれが伝わっているのか、ばらばらに暮らしているのに、どうして一斉に「その日」に越冬場所に旅立つのか、ある種類の蝶は交尾すると二度と他のオスと交尾できないように、貞操帯のようなものをつけられちゃうとか、不思議なことがいっぱいなんだよ。
地球上にいる昆虫の種類の数もまだはっきりわかってない。一説によれば、300~500万なんていう学者もいるくらい、すごいいるんだって。誰もが、どこかで新種を見つけられる可能性があるってことじゃん。
子どもたちが絵本や読み物だけじゃなく、自然科学の本や図鑑を手にとって、凄いな、面白いなって感じて、観察してみようかなとか実験してみようかなとか、自分の興味で具体的に動きだしてくれるといい。
生命って、まわりのいろんな生命との「つながり」の上に成り立っていて、それで進化したり、うまくできてるのがわかる。文学の人たちの「人間って何なんだ」の思索を深い、尊いと思ってきたけど、自然科学の人たちのお話もまた違う意味で深い。生き物、生命という言葉の響きにほんとに、どくんどくんと温かな血が通う。
やさしく、おおらかな気持ちになったというか、なんか、とにかく新鮮だったよ。
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by zuzumiya | 2012-05-28 20:01 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

もうそういう年なんだな。

最初にナタリーからニュースが来て、びっくりした。
もう手術は終わっていて、順調に回復しているらしいから、よかったとほっとしているけれど…。
ちょうど17日の日だったか、私もどよーんと落ち込むことがあった。
6月に向けて運気が上がっていくはずなのにどうしたことだろうと思っていたら、そんなことが起きてたのか。
でもね、ふっと、思った。
もう、いつ病気になって倒れてもおかしくない年なんだよな、って。
健康であることが何より大事って、噛みしめる年になったんだな、って。

身体のことは、ほんとに毎日実感してる。
目のピントがだんだん合わせづらくなってきた。
わかっていても、若い子のようにパパッと素早く動けない。
差を感じる。年を感じる…。

でもね、ライブはちゃんと行けるんだ。講演会も終わっているし。
28日はもともと研修で休みを取っていた。4時に立川から行くから、間に合わないかもな、って思ってた。
でも、突然、今日の夕方になって、館長の予約のミスで研修が無くなった。
館長は謝っていたけど、私の顔は輝いていたんじゃないかな。
超忙しい6月なんだけど、1日でもずれたら仕事でダメだったはずなのに、すごいドンピシャで、
幸運だな、って。
まだまだ縁はあるのかな…。

「OK、トミ!」の掛け声が聞ける日を楽しみに待っています。
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by zuzumiya | 2012-05-24 23:17 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

教師と教え子

仕事は好きだ。
今、抱えてる講演会の仕事は、自分がいちばんやりたかったことであり、尊敬し、信頼し、人間としての情愛も感じている特別な先生とのタッグである。やりがいがあり、面白くないわけがない。
でも、先生とのあまりに密接な信頼関係が周囲に壁を作ってしまったのか、職場での私の仕事ぶりは実に孤軍奮闘だ。時に、判断に迷うことがあっても、ボケててすこんと抜けていても、誰も「○○じゃないの?」と指摘してはくれない。そこまでしっかり任されているといえばそうだし、贅沢といえば贅沢なんだが、ほんのちょっとだけ、寂しいときがある。

私はリーダー向きじゃない。一番手より、二番手が気が楽だ。
二番手のフォローが自分にはいちばん向いてるように思う。
なぜなら、優柔不断だから。
一度でバシッと決められたことがあんまりない。いや、正確にいえば、心の中では直感的に決まっている。
でも、周りの人の気持ちを必要以上に考えてしまう。「この意見をこのまま通したら大変だよな」とか、「迷惑をかけちゃうよな」という心理が働く。
それでもって、「そうかもなあ」って人に同調しかける。で、いったんお開きになってから、夜にくよくよ悩む。

ああだ、こうだと悩んで、最終的には「いや、いちばんいいのはやっぱりこうだ!」と、当初の自分の直感に従うことになる。なんでこういうぐるぐるの時間のロスがあるのか、自分でもほんとに落ち込む。
反対意見があろうと、担当だったり、リーダーなら、一度でバシッと決めろよって、もう一人の自分がウスノロの自分を叱る。

昨日も夫に「ああ、実に今、孤独だ」と素直にこぼしたら、
「それは相談?それとも愚痴?どっちかはっきりしてくれ」とバッサリ切り捨てられ、「なんとまあ、冷たいこと!」と目を丸くした。
長年、夫婦をやっていると、「孤独」だとこんなにはっきり素直に吐露しても、スルーされるんだからな。
「共感性」はどこへ消えた?

占いによると、9歳年上の夫と私は前世では教師と教え子の関係だったという。
たしかに夫はできの悪い私を常に教え、諭してきた。
「はいはい、ごもっともです。正論です」と腹の中で何度思ってきたことか。


尊敬する講演会の先生は著書でこう書いている。
「一般論なら隣の旦那でも言える」と。
これって、多くの妻たちがコックリとうなづくところだろう。

教師と教え子なら、「そんなら、もういいかげん卒業させてくれ!」なんて、思ったりする。
でもね、卒業しても、どこも行くところがないニートみたいなもんなんだけどさ(苦笑)。
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by zuzumiya | 2012-05-18 20:58 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

その名のもとに。

息子が初任給で私と夫に箱根の旅行をプレゼントしてくれた。
凄いことだ。親の私でもやれなかったことをしてくれる。うれしいのと同時に、頭が下がる。
私は、自分のことばかり考えて、決していい母親じゃなかったと思ってる。
ただ、ものを創るという一点に関してだけは、いつでも息子に向き合い、誠実に自分の言葉で語ってきたと思う。それは、親子というより同志の感覚、心意気だろうか。何でもそうだが、切なさや哀しみのかけらを心に刺して生きてるってことが言葉の真実味を増す。
親の私がいつか死んでも、出来上がった作品を目の前に「こんなんじゃ、おカアは絶対許さねえだろうな」と苦笑いする、そんなふうでいてほしいと思う。そして、いつの日にか「これで、どうだ、おカア」と胸が張れる作品が出来上がってくれたらと思う。いつまでも、たくさんの人が幸せになるように、それだけを願ってやまない、そんなクリエイターでいておくれ。
親は祈りを込めて、その名をつけたのだから。
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by zuzumiya | 2012-05-15 14:04 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

やんわりと風に揺られながら

生きてるといろんなことに気づきのチャンスがあって…。
心に余裕がなくちゃ、気づくのにも気づけないなんて、私自身もよく書きがちなんだけれど、
ぴょんと向こうから飛んでくることもあったりして。
そういうときは、さすがに反省する。自分、ダメだなって。

館に「これはどうしようか」と処分に困っていた鉢植えがあって。
捨てるのはかわいそうだからと、玄関脇に置いて、そうじのおばちゃんと水をあげたりしてたんだけど。
仕事が忙しくなったりして、考え事なんかしていると、つい、水をあげること忘れてて。
そうじのおばちゃんがこまめに水をあげててくれるのを知ってるからどこかで平気と甘えてたんだろうな。

なんでもそうだけど、世話をしなくなってことは、存在を忘れるってことで。
頭の中から、いつしかその鉢植えの存在が消えていた。見えてても、見ていなかった。
先日、朝、出勤して、鉢植えに花が咲いてるのがわかった。紫のかわいい小花が風に揺れてた。
瞬間、ああいいなって、思う自分がいた。

そんでもって次に、「何がいいな、だ!」って自分に突っ込んだ。
「花が咲いたらいいなって、なんなんだよ」って。
花が咲かない草は萎れようが枯れようがお構いなしで、花が咲いたら「まあ、きれい」って価値あげて…。
「雑草なんて名の草はない」って誰かが言ってて、確かにそうだよなって、その瞬間は思ってたけど、
結局、わかってなかったんじゃんって。
花が咲いて、はじめて見てるんだよ、心が。なんか、「さもしいなあ、自分」って思った。
そんなもんなのかな、って。

人や人生についても、言えやしないか。
花が咲かなきゃ、気にもとめない。花が咲いて、褒められる。
雑草なんて名の草はないんだろうけど、みんなおんなじ、ひとむらの名もなき草にしか映らない。

なんだかなあ…。考えちゃったよ。
自然っていうのは、こういうことするんだよな。
やんわりと風に揺られながらさ…。
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by zuzumiya | 2012-05-14 12:23 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

この人生でじゅうぶんなんだよな。

以前にも「日々のことづけ」のどこかにも書いたと思うけれど、この生きてる自分の人生でわからなきゃいけないことってやつはたぶん、ぜんぶ、ゆくゆくはわかって死んでいけるとなんとなく思ってる。
人はみんな物事に出会いの時差がいくらかあったとしても、出会いの表面の違いがあったとしても、いつかはちゃんとその本質に気付けて、わかって、かみしめて死ねるんじゃないかと思う。
ほんと、なんでだろ、漠然とした希望で、そう思う。
「出会うべき時にちゃんと出会う」が今回の仕事でも、またしみじみわからされたからかな。
先日、掃除してたら、10年以上まえのメモの端きれに講師の先生の名前が書いてあった。
存在を知っていたんだよ、もう10年以上も前に。メモに走り書きするほどの印象があったってこと。
でも、実際アクションとって、先生と知り合いになるには、10年以上の時を要した。
それでもさ、必要な人には会えるんだよ、絶対に。今が最高のタイミングなんだろう。
人生の不思議というか、必然というか。こうやって、私に物事を最高のタイミングで用意してくれる、教えようとしてくれるこの人生ってやつに、ほんと、希望を感じるんだよね。
だから、この年になると、「ほんとの居場所」とか「ほんとの自分」とか、もうどうでもよくなってる。
ここから、今在るここからでもじゅうぶんに「わかる」はず、と。

こんなふうに思ってるのは、たぶん、年からくる「どうあがいたって」という開き直りもあるんだろうけど、今への肯定感だろうな。「いいんだよ、これで、じゅうぶんさ」っていう肯定感。
幸せか?って聞かれれば、金も暇もないし、地震も老後も心配で不安…なんて渋い顔するしかないけど、「今日の自分をそれでもよし」と、なんとか思えるのは幸せなことかもしれない。

頑張ってやることなんだよ、すべて。
バカがつくほど正直でも、不器用でも、まじめでも、損してでも、やりたいことは納得がいくまでやるんだよ。
そうすると、周りは「あそこまで…」とか「あの人のやり方は特別…」なんて嗤うかもしれないけど、自分は「まったく自分らしいよな」って、すがすがしく笑ってられるもんだよ。

自分に嘘はつかない。物事の本質をただ見失わないようにする。それだけだ。
そうすれば、静かに目を閉じれば、自分のまぶたの裏に映像が見えてくる。
人の笑顔だ。ほほえみだ。にぎわいだ。幸福だ。
それが見えれば、大丈夫。そうやって、何度も今を確認しいしい、進むんだ。

歩くよ、歩き切る。


尊敬している先生の言葉をみんなに。

「生まれてこの世に生きているということの、一番の価値は、自分の目や口、手足を使い、他者(ひと)の心に、ほんの少しでも慰めや励ましを分け与えることができるということではないでしょうか」
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by zuzumiya | 2012-05-08 20:24 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

今日一日、どうしてたかな?

久しぶりの更新です。みんな、元気かな?今日はお休みでした。でも、朝、4時ごろに足がつって起きてからはずっとパソコンの前に座って夜まで仕事をしていました。立つのはトイレぐらい。
例の6月に行う講演会のこまごまとした資料を作っていました。たぶん、人が適当にはしょるところを私はバカだから、はしょれないんだと思う。館長からも「熱いところが良くも悪くもある」なんてまた性格的なこと言われて、カチンときた。
だってね、子育て支援の講演会やるのに、予算がなくて託児は諦めたとしても、おむつ替えのベビーベッドを持っていかずに、「長机を二つ合わせてひもで縛って、そこにベビーベッドのマットレスだけ置けばいいだろ」なんてこと言うんだもん。私は「それじゃあまりに、お粗末すぎる。子育て支援が聞いてあきれる!」と言ったら、さっきの受答えだもん。私はケンカを覚悟で、絶対譲らないつもりでいた。だって、もし事故があって、それがお母さん方の責任だとしても、「それじゃ、主催者側はどんな対応をとっていたか」とされたら、そんなお粗末な設備で対応していたなんて、ほんとに子育て支援か、と嗤われるだけ。本末転倒でしょう。私はここばかりは絶対、断固、間違っていないと思う。

授乳コーナーだって、館長は「お母さん方が自分でバスタオル持参すればいい」っていうから、それもやさしくないなって思って、「衝立のようなものが借りられないんですか?」って聞いたら、無理だっていう。そんなら「私が掛け合いましょうか? 誠意をこめて話せばわかってもらえるはずです」って言ってやろうと思ったが、私の顔色が変わったのがわかって、「それなら机で衝立の代わりを作ろう」と譲歩してきた。ひとつ年下のふたご座の館長とは非常にノリが合う反面、猛烈に頭にくる時もあって、私もキレそうになる。

でも、しばらくたつと「口が悪いのが頭にくるが、しょうがねえな」「憎みきれないやつ」となって、お互い笑って許しちゃう。スタッフからは「なんだかんだいっても仲がいい」と言われてる。私が落ち込んでいると「どしたの、元気ないけどなんかあったでしょ?」と寄ってくるし。顔見ると、お互い冗談言ってなんか笑わせたくなる変な間柄だ。若いスタッフがかなり館長をバカにして、みんなで寄ってたかってキツイ言い方をするのを知っているが、そんなときは館長はやけにオドオドしている。私にだけ、結構な口をきいてくるのも、ひとつ違いのオジサンオバサンの仲だから言いやすいのかと思えば、どこかで笑っていられる。

まあ、ぺーぺーの私にこんな大きな仕事を任せてくれてるのだから、やっぱり感謝してる。
私がブックリストを作るのに、「先生の本をすべて読みます」と宣言したら、地元の図書館で借りてきてくれたし、いいところもあるんだよな。館長、やりたいようにやらせてもらいます。私のやり方はバカ正直すぎるかもしれないけど、誠意のある仕事がしたいんです。尊敬している講師の先生も情の人です。私も同じ情の人。子どもや母親に接する児童担当は、そうでなくっちゃいけないんですよ。きっとうまくいきます。

今日は雨上がりの夕方に虹がでた。マンションの9階から、2本見えた。息子が写真を撮っていた。
虹は吉兆。うれしくなった。

実は先日、同僚たちとおふざけでタロット占いに行ってきた。いい年して、こっそりはるかなる想い人との恋愛運を占ってもらった。縁はあるし、6月からは想い人も私もツキが回ってくるらしい。アタックせよと占い師は言うが、やれることなどせいぜいが手紙を書くぐらい(笑)。遠くからいつでも空を見上げて「がんばれよ」とか「ありがとうな」って、ふうわり想っている。それくらいしかできない。でも、それでも世界はさりげなく美しくやさしく輝くもんだ。生きてるってことが、前にしか進めないってことがじんわりしみてくる夜もある。だから、彼は私の希望。私をすっくと立たせてくれる光。いいじゃん、今生はそれで。

夕飯たべながら、パラレル・ワールドを扱った映画を見た。もし、この世界とは別なところで、もう一人の私が生きているなら、すごくワクワクする。なんだかしらないが、やけに希望を感じる。もう一人の自分に心のなかで「ヘイ、そっちはどうだい? 元気でやってるかい? 会えないけどがんばれよな、幸せにな」って言いたくなる。パラレル・ワールドを考えついた人ってのは楽観主義者か、悲観主義者か、どっちなんだろうな。
私は瞬時に希望を感じた。そして、そっちにいる私は絶対幸せだろうと思った。お互い、そう思ってたらおもしろいけどな。

娘が傘がなくて困ってたら、知らない人が傘をくれたとメールが来た。
どこの誰かはわからないけど、すごくうれしい。ありがとう、娘にやさしくしてくれて。
いいことも悪いことも流れていく。そういう世界に生きている。やっぱ、おもしろいのかも。

私も自分との約束果たそう。
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by zuzumiya | 2012-05-04 22:52 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)


ふだんの暮らしに息づいているたいせつなもの、見つめてみませんか?


by zuzumiya

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