暮らしのまなざし

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ああ、年の暮れ。

ようやく年末気分になって、夫とふたりで買い物に行く。
スーパーはすごい人出である。みなカートにカゴを2段に積んで、正月支度の食料を買い込んでいる。毎年のことながら、クリスマスの直後なのにみんなよくお金が残ってるなあ、と感心してしまう。殊に老夫婦のカゴの中身はほんとに贅沢だ。西洋のクリスマスなんぞ知らん、日本人がめでたいのは正月じゃ、と息巻いている。
今年は息子の20歳の誕生日に大盤振る舞いしてしまったために我が家はすでに金欠。夫婦二人きりの正月の食卓は夫の実家から送られてきたお餅が加わるだけで、普段とあまり変わらない料理が並ぶことになる。「縁起物だから」と吹っかけてくる高価なかまぼこや煮豆や佃煮にも今年は手を出さない。
それでも毎年、スーパーで感じる人々のこの活気、正月を迎える昂揚感に触れるのは大好きだ。日が一日経つだけなのに、昨日と今日では気持ちがまるきり違う、新年というもののご破算感覚。押し迫る暮れの希望に満ちたどよめきが、いいよなあ。
横断歩道に立ってるおじさんのスーパーの袋から、歯ブラシのパッケージが2本透けて見えてるのなんか、もうほんとに微笑ましい。みんな新しく気持ちよくスタートしたいんだなあって。新年を前に、人ってなんて素直で可愛らしいんだろうって。みんな幸せになりなねって、やさしい気持ちになる。

今年は30日になってもインクジェットの年賀はがきがまだスーパーで買えた。
去年あたりから郵便局の「手書き年賀状推進CM」がしっとりとして、とても雰囲気がいいので、みんな手書き派になったのだろうか、と思ったりする。

夫が中折れ帽とそれに合わせて縞のマフラーを買った。
昔の男はみな帽子を好んで被ったし、銀座の街では女もみな小綺麗な鍔広の帽子や品のいいベレーを被っていた、なんていう昭和の話を道々しながら帰ってきた。
そういえば「脱帽」なんていう言葉からして、やっぱり男性が「帽子をとる」ことはマナーというよりも、相手に敬意や「あなたに心を開いています」っていう気持ちを示す最もわかりやすい行動だったんだよなあ、と思った。今の人は帽子というものを被らないから、そのぶん目に見えて気持ちを伝えられなくなった。私は映画やドラマで見る昭和の男の、夏に着る全身白の麻のスタイルが好き。今のように杖じゃなくて「ステッキ」なのがいい。
さんざん黒と迷って深いグレーの中折れ帽にしたのだが、「黒だとスパイみたいじゃん」と言ったら、夫が「そんなスパイ、映画の中だけだよ」と言って笑った。
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by zuzumiya | 2011-12-31 01:00 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

立ち向かえる力を!

職場でいろいろあったが、来年も同じ館でやっていくことに決まった。
たくさんの人に心配をかけてしまって申し訳なかった。これからメールを書きまくって謝らねば。ごめんなさい。
しかも、来年は実現可能かどうか、これからの私の情熱の維持と頑張りにかかっているが、どうしてもやりたい企画があるので今年にも増して心身ともに忙しくなりそうだ。
この企画をやりたくて館に留まったといっていい。
絶対いい企画だっていう信念はある。
でも、こんなことやったことがない。一人での勝負だ。
この正月休みは作戦に費やす。

不安や焦りで孤独になる時もあるんだろうな。ヤケを起こすこともあるんだろうな。
でも、もう知ってしまった。
この感動を一人でも多くの人に伝えていきたい衝動を消す必要なんて、あるんだろうか。
頑張らねば、ひとつの使命と思って。
頑張れ、自分。開けて、未来!

立ち向かえる力を!
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by zuzumiya | 2011-12-30 11:08 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

布団のなかに久世といる。

a0158124_13545357.jpg久世光彦さんの『歳月なんてものは』を読んでいる。
やや高価な本だが、やっぱりすごくいい。
こういうエッセイがいいんだと、しみじみ思える自分を誇りに思う。誇り、だ。

年の暮れに風邪を引き込んだ。
今日も家にいる。
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by zuzumiya | 2011-12-27 13:57 | わたしのお気に入り | Trackback | Comments(0)

鬼よ笑え。

来年からは少し時間がとれそうだ。好きな自分に戻れそうである。
やってみたかったことに挑戦したいなと思う。
でも、毎年、年末には来年の抱負めいたことを書いているなあ(笑)。
13年はついに巳年である。年女だ。12年に一度のチャンスが巡ってくるような気がする。勝負に出よう。その準備に来年は費やさなくては、と思ったりして。
前向きに頑張ろう。

明日は息子の誕生日。20歳になる。
夫は体調を崩して何処にも行けないが、私と娘と三人でカラオケに行く。
エレカシをたくさん歌って発散して来よう。
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by zuzumiya | 2011-12-25 23:52 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

心はぐるぐる地平線

夫が仕事を辞めろ、という。
私の努力をいちばん身近で見ていたからである。
ああ、どうしたものか…。


孤独だ。
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by zuzumiya | 2011-12-21 00:42 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(3)

真っ赤なピラカンサの実に。

ここのところずっと仕事のことばかり考えてきて、ずっと走ってきて、当初このブログでやろうと思っていたこと、その志みたいなものがだんだん薄れてきてしまっていることに実は気がついている。

仕事の内容が受け身というより、自分で企画したり、工夫したり、やりたいことをやらせてもらっているせいか、やはり苦労はあっても面白いんだろう。やりがいはある。
大きなイベントが終わったあとの休日なのだが、ソファに寝っ転がっているだけで、ふと、次のアイデアが浮かんできて、忘れないようにメモっている自分をつくづく馬鹿だなと嗤う自分がいる。子どもから手が離れて40代後半に入った今は、再び20代に戻ったくらいの勢いで仕事ができている。自分のなかにまだこんなに情熱とパワーが残っていたのかと驚いてもいる。
保育と広告と文章と、自分が携わった職種のいいところだけを生かして、図書館の仕事ができている。趣味的な要素が多分に生かせるところもあって、のめり込めばすべてが仕事一色になってしまう。頑張れば頑張っただけ、(たまたま今は)数字にも出て、達成感もある。

だが、私のプライベートはこれでいいのかとやはり悶々としてしまう。
今日、買い物の帰り、澄んだ青空に赤くピラカンサの実が照っているのを見かけた時、年末へ向かっていることを思い出した。
スーパーでは正月飾りが売っていても、目には入っていても気持ちにおりては来なかったんだろう。不思議なものだ。不思議というか、ありがたいというべきか。
いつだって私の「外」は私に向かって何か発信してくれているのに、受けとれない時はまるきし受けとれず、すべての感覚を閉じて(閉じざるをえないんだろうな)生活している。ふとした瞬間に、ほんとに今日みたいに何も仕事をしなくていいような休日の時に、突然、世界があらわになる。そうして、やんわり後悔と反省が襲ってくる。
「何やってんだ、あたしは…」と。

人生の持ち時間を考えると、実は独身でもあった20代の頃のようにこんなふうに仕事に突っ走るべきではないんじゃないかと思う。仕事に突っ走ってる私は、ほんとは「仕事しかないから」じゃないか、仕事が「自分を生かすのにてっとりばやいから」じゃないか、すなわち「日々を安易に過ごしてやしないか」と考えたりする。
ほんとはもっと豊かに生きたいのだ。
受けとって感謝して、作って返せるような、丁寧な暮らし方をしたい。
そういう願いをもって、このブログを始めたのに、これでは何も返していない。
しかし、真面目ではあってもこの不器用な私がどうすればいいのか…。

来年こそはもとに戻りたい。
頭のなかを仕事だけでいっぱいにしないように。


※クリスマス会も大盛況で無事終わりました。思っていたとおり、影絵の評判も良かったです。館長は私に「迷惑」と発言したことを謝ってきました。いまだこちらの気持ちは悶々としていますが…。
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by zuzumiya | 2011-12-19 20:45 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

物静かな葉書

文房具売り場にはクリスマスカードと共に来年の賀状が並んでいる。
日本人らしく、賀状の方に目が行って、「ああ、来年は辰年か。すると今年は兎だったか」と忘れていた干支を思い出し、そして巡る年の速さに少し驚く。
家へ帰ってポストを開けると、これまたクリスマス用のチキンやピザや食べ物屋の派手なチラシにまじって、ひっそりと喪中の葉書が届いている。
「○月○日、父○○が○歳で永眠いたしました。
喪中につき、お年賀の礼差し控えさせていただきます」
葉書の主は夫の友人で、私は顔も知らないが、律儀な夫が毎年の賀状のやりとりだけは続けている人だった。そうか、お父様が亡くなられたのか、と思う。
エレベーターの蛍光灯の白で色味のない喪中葉書は水の手紙のように透き通る。
それがなぜか今日は心をしんとさせる。
この一年、自分のことで精一杯で、忙しい忙しいと嘆きながらも、病気や事故もなく、仕事を満喫していた。夫も同じだった。
そんななか、この葉書の主は肉親を失って、家族とともに悲しみにくれていた。そのいちばん辛い時はこちらには何も知らせずに、ひっそりと内々だけで悲しみをやり過ごしていた。ポストに入っている喪中葉書は、そういうものが多いように思う。
受けとるたびに、その家族にあったたしかな悲しみのことを、ふと思う。
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by zuzumiya | 2011-12-13 20:06 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

占いで気持ち下げてどうすんの?

先日、職場に行ったら掃除のおばさん(といっても、私より二つ三つぐらい上にすぎないと思う)が私の顔を見るなり話しかけてきた。うちの館の掃除の仕事の前に、睡眠時間を削ってもうひとつ仕事をしているんだけれど、そっちが契約が終わったらいきなり解雇されたという。おばちゃんが会社側と話してみると、実は前任者に事情があって休みの間だけ穴埋め的に彼女が雇われていたことが判明した。「長いことできるような口ぶりだったのに、ずるいよねえ」と、いつもは物静かな彼女がちょっと声を荒げていた。そのあと、彼女は「今年は大殺界の最後の年だったんだけど、やっぱりいい事何一つなかったなあ」とつぶやいた。大殺界といえば細木数子さんの占いである。「やっぱり、そういうのって当たるの?」と聞くと、「うん、もちろん! ものすごい当たってるのよ」と悪い事なのに急に目を輝かす。大殺界…。この恐ろしい字面からいっても、最低最悪の運気の時なんだろう。でも、私が「うちだってもう何年も何年も何年も人生しゃがみっぱなしだよ。今じゃ足が痛くて立てないくらいだもん」と笑わせてから、「がんばってるじゃない? 人のためにいつもこんなにきれいに掃除してくれてるんだもん。これからも誠心誠意お掃除していれば、きっと悪い気も清められて、またいい運がまわってくるよ。大丈夫だよ」と言った。でも彼女は「だめなのよ、大殺界のときっていうのは、へんに悪い運気を吹き飛ばそうとしてもがくと逆にダメなんだって。大人しく受け入れておくのがいちばんなんだって」とこれまた強く反論してきた。これを聞いて「なんたることか!」と悲しい気持ちになった。占いも困りものだ。マイナスなイメージをこんなにも頑に信じ込ませて、人のモチベーションを下げてしまうなんて、罪なことじゃないか。
占いなんて、いいことだけ信じて悪いことは忘れてしまうに限る。占いを見たくなるのは迷いながらも「前へ行きたい」その気持ちの強さの現れなんだから、背中を押してくれる手であってほしい。おばちゃんだって、ほんとうは大殺界だとか言っていても、毎日暮らしていくなかでささやかな愉しみが生まれたり、「こうしたいなあ」なんていう希望が生まれているはずなのだ。ならば、「消せやしないだろう、胸の奥の希望は」と歌ってくれる人の方がずっと正直で親切だ。(←エレカシオチですまん)
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by zuzumiya | 2011-12-13 11:19 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

今、いちばん読んでみたい本

テレビやDVDやらで歌う宮本浩次を見るたびに、ああ、ほんとは私はもの凄く野生的な、オスなる男を求めていたのだなと感じる。
昔からずっと私の好みはインテリで物腰の穏やかな中性的な優男、今でいう草食系男子で、どちらかというとそういう男子を私がSっ気まんまんに自由奔放にリードしまくるのが愉しいと思ってたはずなのに、結婚生活を経て40も過ぎて、ふと気づいてみたら、宮本浩次のあの危ういギラギラした野性的な瞳に心臓を射抜かれてる。歌っているときの彼の姿は刃のように鋭く冷酷で、野蛮な艶気もあって、オスという強靭な獣性で迫ってくる。なんだろう。若い頃、男の理想を語るのにいちばん重要視していた「やさしさ」が、長い結婚生活でいつしか「ぬるさ」のようなものに変わり果ててしまったのだろうか。彼は単なる「刺激」なのか。それとも、私の中身は私が思ってる以上にいつでも女性的だったのか。わからん。でも、強烈に惹かれている。
井上荒野さんの最新作『誰かの木琴』が今いちばん読みたい本だ。
荒野さんは江國香織さんと親交もあり、同系の作家として位置づけられていて、おそらくライバルでもあって、年も互いに40代であり、夫婦関係のゆらぎや危うさみたいなものをいつでもそれぞれ互いの特徴を生かして上手に書いてくれるけれど、私はどちらかというと、荒野さんの方がそのへんの話題については上かな、と思ってる。江國さんはどんなに年をとってもご自身のように少女っぽい甘やかさがあって、夫婦の話にもそこがベースとしてあるから、ちょっとオブラートに包まれたやわらかな世界のような感じがいつもする。恋愛小説なのだし、それが江國さんの江國さんらしさだとは思うが、いつもどこかふわふわしている感じがする。個人的には、荒野さんの方がそこはもっと硬質で、リアルに確かに揺すぶってくる感じがする。
『誰かの木琴』という話は、夫も娘もある普通の40代の主婦が、近所の美容院からの営業メールに返信したことから、だんだんに20代の美容師の男の子にのめり込んでいき、ストーカーになっていってしまうというもの。雑誌『ダ・ヴィンチ』のインタヴューで、荒野さんは結婚生活の怖さについて「破綻するわけでも、仲が悪くなるわけでもないけれど、長いこと連れ添っていると、何かがずれていく感じというのはやっぱりあると思うんです」と語っている。
この「怖い」と言われる「何かがずれていく感じ」は、本の中身をまだ読んでないからよくはわからないが、私が個人的に思うに、はっきりとしたすれ違い(これなら簡単なんだが)というよりも、長い間、共に暮らしていくなかでささいなことを少しずつ譲歩して諦めざるをえない、それが和であって、幸福へつながると信じ込もうとすることの積み重ねによって、生まれてしまった副産物のような感情、なんじゃないか。幸せになろうとすることも、相手を大事に思うことも、実は努力や勤勉さがいるものであり、すでにそこに生じてしまう微かな違和や疲労。家庭の維持と平和を願うなかにこそ生まれて、澱のようにたまっていく何か。そういう不穏さがもし描いてあるのなら、非常に興味深いと思う。
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by zuzumiya | 2011-12-12 00:47 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(2)

「余白の作品」

朝、起きたらなんだかもの凄く疲れていて、椅子に座ったらずぶずぶと沈み込んでしまい、立ち上がれなくなってしまった。
しかたなく、今日はお休みをもらった。
昼頃までよく眠って、自分のためにパスタを作りながらラジオを聞いていたら、私の好きなジョン・レノンの「#9DREAM」がかかった。誰かがリクエストしてくれたのかな、なんてニヤついてたら、DJが今日が12月8日であることを教えてくれた。
ジョンは生きていたら71歳だそうだ。71歳のジョン…。
ジョンの死のことを考えると、いつもするすると向田邦子さんのことを思い出す。
どちらもこれからどんなふうになっていくのだろう、どんなものを生み出していくのだろう、というところで亡くなってしまった。
神様はときどき残酷な方を選ぶけれど、二人の死後のこれまでを考えると、偉大な人が亡くなって、生きている方はこうやって毎年毎年、命日がくるたびに、二人が生きていたらいったい今の何をどう見て、どんなものを作っただろう、どう生きていただろうというような想像、もっと言うと、二人が果たせなかったもの、宿題のようなもの(もしかしたらプレゼントや希望のようなもの、なのかもしれない)をいつも与えられているような気がする。二人が実際に作ったものはもう届かないけれど、でも、二人はずっと「余白の作品」と呼べるようなものをずっと手渡してくれているのかも、と思う。ジョンの、向田さんの時間はあの日から止まってしまったけれど、止まってしまったからこそ豊かに流れ続けて止まらないものってあるんだなあ、と不思議に思う。イミ、ワカリマスカ?
それにしても、この曲のもつ甘くとろけるような「幸福な浮遊感」はいいなあ。レースのカーテンがやわらかい風に揺すられ、寄せたり引いたりするような、単純で終わりのない時間、懐かしくやさしい場所にいつでも連れて行ってくれる。音がもうLOVE&PEACEでいっぱい。恋人とのクリスマスにどうぞ。絶対、けんかにならないから(笑)。
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by zuzumiya | 2011-12-08 14:45 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

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