暮らしのまなざし

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「いつも助けてくれてありがとう」

昨日、少し残業させてもらって、ドドドーッと仕事を終わらせてきて、今日から三連休。
とはいえ、今日も最低限の家事をして、ほとんどパソコンに向かっていた。
11月の仕事の予定を書き出してみたらもの凄かった。
こんなに、一人でできるのだろうかと不安になった。
なのに、今日久々に俳句の評論、それから新たに詩の評論まで加わって原稿の依頼が来た。最初は迷って断ったのだけれど、「せっかく来た仕事を断るなんて!」と思い直し、受けることにした。これでも今月は有給をいくらかとってあるので(実は影絵製作のためなんだが…)なんとか締め切りまでには仕上げられるだろう。
毎日、いろいろ大変だったり、それゆえ落ち込んだりはあるけれど、でも、それ以上にうれしいこともちゃんとあってくれるもの。私が困ってテンパっていると、必ず誰かがすっと寄って来て助けてくれる。「大丈夫ですか?」「半分、手伝いましょうか?」
そう言って気を遣い、心を寄せて、手を貸してくれる。
うまく行かないことにばかりに囚われていると、そういう小さな優しさを芯から気づかないで、ただ流されていく。人としてそれはほんとに情けないこと。
だから、感謝をしよう。そして、感謝の気持ちを必ずことばにして相手に伝えよう。
感激屋の私は単なる「ありがとう」じゃ足らない。いつもこんなふうに言う。
「助けてくれて、ありがとうね」
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by zuzumiya | 2011-10-31 23:58 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

「隙間の時間」の贅沢。

どこかに旅行に行くとか、お洒落してディナーを食べに行くとか、そんな非日常を味わえるほんとの贅沢にも憧れるけど、生活のなかにほんのちょっとの、すうっと心が晴れてくような、そんなささいないいこと。意外とそっちの方が幸福感がある。そう、変な言い方かもしれないけど、幸せってね、レベルを下げるともっとたくさん気づいて感じられるものだよ。
たとえば、月に2回ぐらい、いつもより早めに家を出て、通勤の途中のパン屋さんでモーニングを食べる。これが結構、いい気分なんだ。
勤め人たちが等間隔に並んだガラス張りのカウンターにトレイを持ってちょこんと座る。正面はちょっと離れて駅の改札。足早に通り過ぎてくスーツの集団に「いつもならあそこに自分がいて流されるように歩いているんだよな」なんて、幻の私を見る。サンドイッチをほおばると、ふと店内に小さくボサノバがかかっているのに気づく。「ボサノバか…」
何だか忘れかけていた大事なものをすうっと思い出したかのように、とたんにうれしくなって笑みがでる。
まわりを見ると、コーヒーを片手に俯いて手帳を覗く人、口をもぐもぐさせながら携帯のメールを打つ人、電車で読んできた本の続きのページを捲る人、みんな思い思いにこの「隙間の時間」をひとりで愉しんでる。モーニングセットのゆで卵をこんこんと控えめに机に打ち付けるのさえ、なぜだか心が浮き立つ。
きっとね、日々の生活のなかに、ふっと「隙間の時間」ができること、そしてそんな時間を自由に、ひとりきりで浸れること、それってささやかだけどすごく贅沢なことなんだよな。そして単純な私は「ああ、今この時っていいよなあ」とか「こういう自分、忘れてたよなあ」とかしみじみしながら、幸せな気分でコーヒーをすする。
お手軽だけど、ちっちゃいけど、大事なひととき。
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by zuzumiya | 2011-10-29 08:27 | 日々のことづけ | Trackback | Comments(0)

日記3日ぶん

2011/10/19
今日の夕焼けはすごかったね。
仕事をしてたら窓が火事のように赤くなったんで、思わずみんなで開けてみたんだ。
今日は誕生日だから、神様からのプレゼントだったのかな。

そういえば今日は保健所で0歳児検診の際のブックファーストの仕事だったから、たくさんの赤ちゃんを見た。誕生日に赤ちゃんっていうのもそれなりに符合を感じて、やっぱり今日は特別な日だったんだなと思う。
保健所から帰ってみると、机に「お誕生日おめでとう」とあって、職場の同僚がケーキを焼いてきてくれて、すごく感激した。
それから偶然だったけど、前の職場の友人と一緒にお昼を食べることができた。
赤ちゃんにも癒されたし、ケーキもうれしかったし、友人とのお昼もたのしかったし、
夜は夜で娘がケーキと焼き鳥を持って来てくれた。
夫が朝書き置いてくれた手紙にも「誕生日おめでとう」とひと言添えてあった。
みんなが「おめでとう」と言ってくれて、ニコニコ笑顔を向けてくれる。
やさしくしてくれる。
いくつになっても、誕生日はいい。
生まれてきて、私が今生きてることをこんなに笑ってお祝いしてくれる。

**********************

2011/10/20
またしても飲み会。館長も含めてうちの館のみ。今度はリバースに用心して臨む。カシスソーダ一杯でまっかっか。あとはコーラにウーロン茶。
みんなが誕生日の乾杯をしてくれる。ウレシイゼ!
途中から館長を含めて真剣に仕事の話へ突入。酒の勢いもあって男性同士が言い合いになる場面もあり、ヒヤヒヤ。しかし、互いの想いを言い合えてよかったのではないか。
ひとつ年下の館長から「十年後はどうするつもり?」なんて訊かれて、詰まってしまった。わからない。いや、ほんと、わからない。そんな年になってしまったんだな、としか思えない。
後輩とそのお母様さまから「日頃お世話になっているから」と誕生日プレゼントを頂く。うれしい。プレゼントのお返しはすぐにひらめいた。お母様に手紙を書こうと思う。彼女が職場でどんなに頑張って今に至るかをそばで見てきた私が丁寧に書いてあげれば、お母様もきっとよろこび、安心するだろう。それがいちばんだよな、と思う。

夫がアマゾンから誕生日プレゼントをひそかに購入していたらしいが、仕事で留守だったので不在連絡票がポストに入っているのを見逃し、誕生日当日に配達してもらえないことになり、ものすごい勢いで夫にがっくりされた。申し訳なかった。おっちょこちょいの妻ですまぬ。それにしても、夫はプレゼントの中身について絶対口を割らない。エレカシ関連か、イーノか、本か、画集? まるっきし、わからない。22日の休みに届くのでたのしみ。

2011/10/21

今度は夫が飲み会。ひとりでお菓子を食べながらのんびりTVの恋愛映画を見てた。
いつのまにか泣いていた。何度生まれ変わっても君に恋をする、そんなセリフに泣いちゃった。でも、人はきっとそうなんだろう、ってはっきり思えるから、涙が出るんだな。私もきっと何度死んで生まれ変わっても、たいせつな人は見つけだすことができるんだろう。
でも、今は生まれ変わるというより、「ああ、死んでしまうんだ」ってことの方に心がしんしんとくる。いつかは死んで別れるときがくるんだな。それってすごいことだな。その時を想像するに、できればやっぱり私の方から先に逝きたいな、と思う。ずるいけど、もう残されるのは嫌だ。
絵を描いている同僚と表現することについて、職場のおしゃべりの続きで長いメールを送る。
明日は家で仕事。影絵の準備。
山崎さんのブログで宮本くんの写真を発見。19日なのが偶然でうれしい。元気そうでなにより!
ラジオは聞けなかったから、発売日まで待つ。
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by zuzumiya | 2011-10-22 00:35 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

小さな光を掬うように。

ときどき娘を見ていると昔の自分を思い出して何とも言えない気持ちになる。
娘は母に世間一般の「おばあちゃん」を求めている。
世間一般の、孫を可愛く思う、そういうおばあちゃんだ。
そんなの無理だと何度言い聞かしてもやめない。
頭でわかっていても、求めてしまう。
遠い遠い昔の私がいる。

母の店の従業員が子どもが風邪で具合が悪いのに家にひとり寝かせて、夜働きに出てきてしまったことがあったらしい。母は酔っぱらった勢いで「あんた、ダメだよ。子どもが具合が悪いのに置いてきたりなんかして」と説教したという。
そのうち、ますます鼻息を荒げて「あたしなんか、猫を5匹も育ててんだから」と言い放ったらしい。その話を聞いた娘は、あとで涙が出てしょうがなかったという。
私のように母に置いていかれた種違いの姉が、泣いてる娘の頭を何も言わずただひたすら撫でていてくれたという。

その時流した娘の涙を思うたび、私は目をふせる。
そして、種違いの姉の無言のやさしさも、みんなみんな思うたび、ただ目をふせる。
ずっと感じてきたあの強烈な「せつなさ」にまで、だいぶ針が振れなくなった。
昔だったら、すぐに泣いていただろう。
どうしてだかわからない。
年をとったのか、もう慣れてしまったのか、諦めたのか。
でも娘はまだあの頃の私のように渦中にいる。
許せないでいる。胸を痛めている。
娘は私のために、泣いてくれた。
母に置いていかれて、なおも母を慕っていた幼い頃の私を思い描いて、
私に涙したんだろう。
そして、その想いを同じ境遇の姉はすぐにわかったのだろう。

この話を聞いたとき、娘と種違いの姉をとても小さく愛おしく感じた。
私の知らないところで、そんなことがあって、
このふたりのなかに宿っているやさしさに、
このふたりに通い合っている静かなやさしさに、
掌でそっと小さな光を掬うように、ただ感謝している。
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by zuzumiya | 2011-10-18 23:41 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

たとえば今日、受けとれるだけのものを受けとること。

今日の休みは久しぶりに休みらしく仕事を最小限にして過ごした。
掃除をして洗濯をして、布団を干して…。
干した布団にもたれて、9階からしばらく外の景色を見ていた。
高校のグランドで、生徒たちが笑いながら楽しそうにハンドボールをやっている。
新青梅を行く車は順調に流れて、月曜らしくみんな忙しそうだ。
空はもやっていて、遠く新宿のビルも池袋のサンシャインも見えないけれど、
陽射しも風もやわらかくって、そのぶん、時間がゆっくり間延びしている。
前の通りをおばさんが自転車で行くのすら、ほほえましくいとおしく思える。
「なんか、いい日だなあ…」
ほんとひさびさにそう思えた。
目をふたつ持っていても見えてこない風景がある。
こころを伴わなければ、どんな感覚も眠ったままだ。
風景がたたえているその本質までは、見通せない。
今いるこの瞬間のすごさをつかみきれない。そう思えた。
こういう自分が好きだった、とわかる。
取り戻せつつあるな、とうれしい予感がする。
そう、この世界はサインに満ちている。満ちているんだよ、やっぱり。
こころさえちゃんと開けば、受けとれるだけのシンプルなサインに…。
生きている、ただそれだけで、受けとれるたくさんのサインに…。
あの頃のように、恋愛も何もしてないのに、
どういうわけか、世界はまだやっぱりわたしにやさしいよ。
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by zuzumiya | 2011-10-17 20:22 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

ジョブズが死んで。

仕事がなんだかんだと忙しく、そのために休日も使ってのめり込み、自分のことや家のこと、家族をいたわる気持ち、すなわち「きちんと暮らすこと」(まともに「日々のことづけ」を書いてなかったし)そんなものを失いかけていることにうすうす気づいていたけれど、ずっと突っ走ってきた。
夏からもうずっと「休もう休もう、休まないと自分らしいいいところがなくなって、惰性で仕事をこなしていくんじゃないか」と思ってきたけれど、ここへきて、やっぱり糸がぷつんと切れたように、仕事への情熱が下降してしまった。
思えば、あんまり引いたことのない夏風邪なんか引いた時点でもうおかしかったんだ。
ちょっと疲れてしまった。
仕事で読まなきゃいけない本を読むために、自分の読みたい本を時間を使って読むことが罪悪感でできなくなり、本そのものを読むのも嫌になり、本屋に行くからには仕事の本を見るべきと思って、自分の好きな本を見てまわらなくなってからは、だんだん本屋にも行きたくなくなって…。要するに不器用でバカ正直なだけなんだけど。
好きなことを仕事にすると私はいつでも「好き」を手離さなければいけなくなる。
そのからくりにまた陥ってきた。
ここを越さなければ、その先が見えない。
「好き」がどうなっていくのかわからないのに。

ジョブズが死んで、テレビでジョブズの生き様やスピーチをぼんやり聞いていた。
いつのまにか涙がつーっと流れてた。
情熱を持ち続けることはほんとに難しい。
なりたい自分はほんとは自分でわかってるというが、どうだろう?

でも、ふと、
人間関係が面倒になって仕事に影響が出てきた後輩に「お客さんの存在を忘れてないか」とアドバイスした自分を思い出した。
先日、講演をしてくれた絵本作家の先生に「すごいねえ。どうしてそんな手遊びがうまいの?」と訊かれたときに「子どもにウケることしか考えてませんから」と笑って答えた自分を思い出した。
子どものために、ひとりでも多くの子どもを笑顔にするために…。
私が児童担当である最大の理由はここにある。
この一点でわたしは仕事をしなければいけない。
この一点にわたしの存在理由がある。この一点を捨ててはいけないのだ。
あとのことはわたしじゃなくてもぜんぜん事足りるのだろう。それでいい。
ジョブズの「ハングリーであれ」には至れないけど、
「愚かであれ」なら、今ちょっとはわかりそうだ。
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by zuzumiya | 2011-10-17 00:03 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

なんかあっという間に金木犀の香りが終わっちゃったね

風に乗って、街じゅう、いい香りだったのに、儚いもんです。

ライブの後は駒込のカラオケで「エレカラ」だった。気持ちよかった。
面白かったのはふと覗いたボックスでも同じ歌を歌っててね。笑っちゃったよ。
それから最近、昔の同僚たちと神楽坂でお酒を飲んで、久しぶりに深酒でリバースしたよ。
飲めもしないのに80年代のノリで飲んじゃって、「ばかになれ〜!」とか騒いで、みっともないけど、ストレス溜まってたのかな。でも、そのあと、一緒に連れてった後輩から「あの館は飲み会のあとからぐっと仲良くなったんですよね。私も見習って、飲み会の時は、ばかになります。すごく楽しかったです!」だって。良かったのか、悪かったのか。ニュアンスはわかるんだが、私の素な騒ぎ方が「うれしかった」ってことか!?
それで、我が館も新人が入ったから歓迎会をやることにした。誰も音頭とらないから私がやるんだけど、はじめてみんなで集まるという飲み会だ。ばかになって盛り上げることにやぶさかでないが、リバースだけはやめようと思う。あれから食欲が戻らない。
ま、リセットされたと思って、ダイエットと思えばいいか。

仕事で『100回泣くこと』(中村航)を読んだ。
死んだおばあちゃんを思い出すことが少なくなって、でも、なんか困ったときに「おばあちゃん、助けてよ」って神様にお願いするみたいにして、そんな都合良く思い出す自分に昔は罪悪感があったけれど、ふと、「ああ、これでもいいんだな」と思えた。
生きていくこと、この毎日に懸命に忙しくしていること。
それこそ死んだおばあちゃんが喜ぶことなんじゃないかって、今は思える。
だから「人は二度死ぬ」って言葉は好きじゃない。
「忘れ去られることでもう一度その人が死ぬ」なんて、なんて冷ややかな言葉だろう。
少なくとも私が死んで、夫や子どもたちがいずれ思い出す回数が少なくなっていっても、それは懸命に日々を生きていることだから、それはそれでいいと私は思うんだ。
生きていくことはほんとにすごく大変じゃないか。
淋しいとは思わない。「がんばれよ、上から見てっからなー」って思う。
愛する者を残して死ぬってことは、そういうことなんじゃないか。
この本はいわゆる「愛する人が死んでしまう物語」だけど、生きていくことって、そこまで大きくなくとも小さな喪失の連続だと思う。喪失を抱えて時にぐちゃぐちゃになっても、それでも生きていくこと、生きていかなきゃならないこと。
そこにはただ、人って生き物が健気で愛しいって想いばかりが浮かぶんだよね。

おばあちゃん、今日も私はがんばっています。見ててください。それじゃ、また…。
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by zuzumiya | 2011-10-11 11:29 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(4)

ふだんの暮らしに息づいているたいせつなもの、見つめてみませんか?
by zuzumiya
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