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幸せになれるかどうかより、ゆるぎなく「この人だ」ってことがわかればいい。

いま、仕事の企画で恋愛小説ばかりを読んでいる。
読むのが遅い私にとってはこれが結構つらい。事務室で読んでいると、読むのが仕事とはいえ怠けているように思えてきて、どうも集中できない。帰りの電車のなかで読むぞと思っていても、仕事で気疲れしているせいか、ほんの数ページ読むと眠たくなってしまう。
でもそのなかでも、好きだなあと思える作家に出会えた。
いまさらなんだが、嶽本野ばら氏なのである。
この顔なんか知ってるなあと思ったら、うちの娘の彼氏にほんとそっくりなのだ。
『ミシン』を読んで、最初の「世界の終わりという名の雑貨店」が気に入った。
ヴィヴィアンとかヨージ・ヤマモトとか、服のことを「お洋服」と書いちゃうとことか、2000年の作品だから、クスッって笑えちゃうんだけど、たしかにユニクロを合理性で平気でばんばん着ちゃう今よりは、なんだかずっと洋服にファッションに「矜持」があった時代だったよなあと思う。自分も昔はゴルチエが好きだった時期があって、ちょっと懐かしく思い出した。
恋におちるというよりも、この世界で唯一無二の存在に出逢えたとわかった瞬間の、その心情表現はすこぶる的を得ていて共感、そして上手いなあと思った。
人魚姫の話がちょこっと出てくるけれど、「人魚姫の声を奪ったのは魔法使いの配慮だったかも」というのは私もまったく同感だし…。野ばらさんって、実は水瓶座なのね、そしてAB型。うわー、難しいお人と思うけれど…。
でも、私は小さい頃から占いの本を見るたびに、ひそかに水瓶座の男と付き合ってみたいと思ってきた。水瓶座の芸術的センスはもう天秤座や双子座とは比べものにならない。憧れなのである。現実にはおそらく私のまわりにはいないので、しばらく野ばら氏の作品を読んで浸りたいと思う。「世界の終わりという名の雑貨店」は映画化もされてるのだけど、見ても大丈夫かなあ。
イメージ壊れないかなあ、と不安。
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by zuzumiya | 2011-09-29 19:23 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

最近は、こんなこと考えてる。

自分が人に嫌われるってこともあるんだと、はじめて気づいたのはいつ頃だったか?
小学校の時ぐらいだったかな、きっと。女の子同士のグループの派閥争いみたいなやつだったんだろう。それからこのかた、大人になった今だって、仕事上でも、こうやってネットにも書いてるから、ネット上でもそりゃいろんなこと言われてんだろうな、ぐらいはわかってる。すべての人に好かれるなんてことはできない。そりゃそうだろうけど、そういうことはあんまり考えないで生きてきた。どうしたって人を憎みきれない方なんだ。文章を書いたり、絵を描いたり、何かを表現しようとする人間って、そうなんじゃないかなって思う。

でね、最近はあんまり人に嫌われるとかでは落ち込まなくなった。
人を嫌ったり、憎んだりする負のエネルギーって、やっぱり相当疲れると思うんだ。
嫌な気分どころじゃなく、確実にその瞬間はその人は幸せじゃない。
幸せになる方法は他にもたくさんあるのに、そっちを選べないんだって思う。
何かを「やり返した!」つもりで、必死に孤独に戦ってる…。ほんとに可哀想だ。
なぜわかるかって? 
自分もずいぶんと長いこと、母親を頑に恨んできたから。
恨み続けることで、自分の存在価値があると思って生きてきた。
幸せになってのほほんと笑ってるようじゃ、あの悲しみをあの辛かった思い出を忘れちまうじゃんかって。そんなことしたら、あの時ひとりで泣いていた自分があまりにも可哀想すぎるって、ムダになるって、そう思い続けて生きてきたから。
自分で自分を幸せにさせることをまず許さなかったんだな。厳しいもんだよ。

でもね、いつかはきっと、ちゃんとわかる時がくる。
それは、一緒に生きてくれた誰かのおかげかもしれないし、もしかしたら、そういう人は現れなくても、長い長いあまりにも孤独な時間というものが、今度は助けに転じるものかもしれない。
恨むこと、憎むことの精神力はやっぱり長続きしないように、負けちゃうようにできてるんだよ。幸せになりたい、安心したいんだっていう、本来人間が生きていくのに持つ素直な正しい欲求には、かなわないんだよ。
私はそうだった。
ほんとに、そうだったんだ。
だから、もう誰も恨んでいない。

それから、もうちょっと現実の話に戻して、自分も含めてあらためて考えてみると「あの人何だか好きじゃないなあ」って反発して思う人って、自分には絶対ない何か、たとえばいいもの(尊敬できるもの、憧れるもの)でも、悪いもの(軽蔑しちゃうもの、人間として許し難いもの)を持ってる人なんだ。だから、無視できない。目の端にちらつく。
箸にも棒にも引っ掛からない無関心な人じゃないんだ。
で、悪いものを持ってる方の場合は、おそらく自分からはその人を遠ざけていくもんなんだ。相手が鈍感で自分に近づいて来るときだけ「やっぱ、この人とはことごとくダメだわ」ってなる。でも、自分にはないいいものを持っていると無意識に感受しちゃった場合は、その裏返しで僻みや嫉みが入って、「妙に嫌い、なんだか鼻につく」っていう感情が自己防御で生まれてくるんじゃないかと思う。
たとえ、人の悪口がまわりまわって耳に入ったとしても、「なんかあの人、私にだけ冷たいし、攻撃的だよなあ」と思えても、落ち込むことなんてしなくていい。
自分のなかにどういうわけかいいところがあって、それが見えちゃって、羨んでくれてるんだろうなと、鷹揚に思っていればいい。
そうすることで、かなり人に対しては慈悲の心になれると思う。
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by zuzumiya | 2011-09-21 20:06 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(2)

パワー・イン・ザ・ワールド、だよな

はい、もうしません。もう、ほとほといやんなりました。
ってことで、12時まで机にかじりついて仕事してました。
右手にはいつのまにか赤のサインペンがついてます。ライブなのに。
ああ、仕事ばっか…。
でも、くそーっ、やり切ってやる!って思うんだよな。負けるもんかって。
ライブなのに、ぜんぜん仕事気が抜けない。
本のことばっか、企画のことばっか考えてる。
ああ、でももう仕度せねば。
まずは、風呂はいろー。頭モサモサだー。そして、お茶碗あらおー。
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by zuzumiya | 2011-09-17 12:57 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

助けてくれてありがとう。

1階のカウンターより、事務室より、児童室にいるときがいちばんホッとする。
その理由はわかってる。
子どもたちは暑くたって文句言わないし、ちょっと待たせても嫌な顔ひとつしないし、高飛車じゃない。何より自分で選んだ本をヨイショヨイショと持って来て、カウンターで自分のカードを出して、「おねがいしましゅ」って言えて、ピッしてもらうのが、ほんとにほんとに誇らしくてうれしいんだってことが伝わってきて、にんまりくる。
そういうの見ると「ああ、子どもって救いだよな」って思う。
「○○ちゃん、今日は本借りてくの?」と何気なく母親が聞くと、「うん、本借りたいの」って遠くで答えたりして、そんな会話を耳にすると思わず笑みが出て、「そうかそうか、本が好きなんだねえ。いっぱい借りて行きなよね」って、気持ちが優しくなれる。
毎日、街道沿いに立ってるお地蔵さん2体に「今日もよろしくお願いします」って心のなかで手を合わせているせいか、子どもで嫌な目にあったことがないし、人見知りもされないし、すぐに懐かれるし、ほんとに救われてて、そのことにとても感謝してる。
助けてくれて、救ってくれてありがとうって、気持ちでいつもいる。
「本をあったところに戻して来なさい!」
「大きな声で喋らないの!」
「靴はそこで履いちゃダメでしょ!」
「階段あるから、一人で先に行かないの!」
「自分の荷物は自分で持ちなさい!」
そんなお母さんの叱責を聞きながら、今日思った。
私にとっては子どもたちはこんなにも「癒しや救いの存在」なのに、今あのお母さんにとってはただひたすらに「疲れる存在」なんだろうなあ。その違いが不思議だなあって。お母さんの手をとって言ってあげたかった。
「あのね、私、あなたのお子さんがどう騒ごうと、本をあったところに戻さなくたって、とんでもないところで靴を履いちゃったとしても、たとえ、おもらしされたとしても、それでもあなたのお子さんにこんなにも優しい気持ちにさせてもらって、見ているだけで救われてるんですよ。とてもありがたいんですよ」って。
「だから?」とか「何言ってんの?この人」ってキョトンとされそうだけど、うまく言えないけど、「お母さん、躾より何より大事なこと忘れてない?」って気がするの。
こんなふうに思えるのはまさしく今だからなんだろう。
たしかに自分の子育て中も保育士の仕事のときにも、忙しさや「○○しなければならぬ」という妙な切迫感があったけど、同じ子どもが片方の人には癒しの天使になってて、片方の人にはチビッコ悪魔になってるなんて、やっぱりヘンなんだよ。
「そこに生きているだけで、動いて笑ってるだけで、もうじゅうぶん眩しいほどにいいよなあ」って気持ち、幸福感。お母さんは忙しすぎて、どこかに置いて来ちゃったんだろうな。
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by zuzumiya | 2011-09-13 22:44 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

「そうとは知らずに」の幸福

a0158124_1544294.jpg今まで書きたくても忙しくて書けなかった、
おススメの絵本たち。

まずは『いつもだれかが…』(ユッタ・バウアー作)。
祖父の病室を訪ねる孫、その孫に祖父はいつでも話をする。
自分の幼い頃からの「何をしてもうまくいっていた」日々の話を。
「いろんなことがあったけど、まあ、運がよかったなあ…」
「わしはとてもしあわせだった」としみじみ語る祖父。


この祖父の、やんちゃな少年時代からつらい戦争を経て、結婚し、年老いて病院のベッドで寝たきりになっている今の今まで、天使がずっとそばにいる。
少年時代、バスに轢かれそうになっているところを天使が必死にバスを押さえてたり、青年時代、レンガ積みの仕事をしているとき、頭に落ちてくるレンガを天使があわてて受けとっていたり、孫と海水浴しているときには、天使がサメを捕まえて口をふさいでたり…。
すべてがうまく行っていたのは、必ずそばに天使がいて助けてくれたり、守ってくれていたから。その、何にも知らない本人に対して、天使だけがあわてて必死になってる絵がとてもユーモラスで温かな笑いを誘う。

でもね、この絵本の天使、戦争の時だけはどうにもできなかった。
ユダヤ人の友だちヨーゼフがいなくなるのを、頭を抱えてとめられなかった。
食べ物がなくなって、配給の列に並ぶ青年には、肩にそっと手を置いてやることしかできなかった。天使にもどうすることもできない、そんな「間違い」を人間は自ら選択してしまったんだ。天使の気持ちがよくわかって、読み手もここだけ心がしんとなる。

ああ、でも、いいなあ。
みんな一人ずつに、こういう天使がついていてくれるといいのになあと思う。
いや、案外、ついていてくれてるのかも。
自転車に乗ってて車とぶつかりそうになったけど、すれすれで大丈夫だったとか、ぶらっと入ったお店でずっとほしかったものを偶然見つけたとか、落ち込んだときに友だちから「どうしてる?」って以心伝心のメールがきたとか、失恋して泣いてたらお腹がすいちゃって、お菓子を片っ端から食べたらどうでもよくなったとか、思い出してみると実はいろいろあるんじゃないかな。

きっとこの絵本のように天使はいてくれるんだよ。そう思って生きていよう。
なんかいいじゃない? そのほうが。
どんなに孤独で一人ぼっちの夜でも、目に見えない天使が眉を八の字にして寄り添っているんだと想像してごらんよ。だからこんなに肩が重いのか、なんて想像してごらんよ。
悩んで考えて考えて、そのうち疲れて眠たくなってきて、「もうどうでもいいや、とにかく寝たい」と思ったら、もしかしたら、天使が青い顔して必死になって目の前で振り子を振って、催眠術かけてるのかもよ。
「一人で今まで生きてきた」なんていきがっちゃいけないなと反省したり、なんだか生かされている今にほんのり感謝したり、実に素直になれるいい絵本です。
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by zuzumiya | 2011-09-12 15:52 | わたしのお気に入り | Trackback | Comments(0)

机の上が汚い裏には…。

ひとつ任されていた仕事が終わり、今日はちょっとだけブログが書ける。
今までヒジョーに仕事が忙しく、仕事にかまけて掃除をおろそかにしてきた。
いつもの私なら、必ず自分の机の上だけは整理整頓していたはずなのだが、いま見ると、ノートパソコンのまわりには、何冊もの絵本や雑誌や資料の紙きれが山積していて、飲み薬のシートやガムのボトル(爪を噛んでしまうので)、いつ飲んだのか覚えがないコーラなのかアイスコーヒーなのかわからない怪しげな薄茶色の水が溜まっているグラス、ペンの類い、辞書、大小の付箋、メモ帳、耳かき、小銭などが散乱している。ああ…。
この机を見て、ハッと思った。振り返り、夫の机を見て、なるほどと合点した。
そうなのである。
パソコンを使うようになって、人はどんどん机の上が汚くなる。
いやいや、もとから机の整理ができていない人なんているじゃん、と思うだろう。
たとえば原稿を書くような人たち。とりあえず原稿用紙やレポート用紙の分だけスペースが空いてればいいという人たちが、たしかにいた。
でもね、今はもっとすごいことになっているんじゃないかと思う。
原稿用紙やレポート用紙なんてもんじゃなくて、「マウスの動く範囲」さえ確保できればあとはごちゃごちゃのままになっていやしないか。そんでもって「マウスの動く範囲」ってやつはそんなに要らないわけで、縦横10センチくらいか?。
私の机も夫の机も見てみるとそうなっていた。
マウスの動く分だけぽっかり空いている。
ということは、マウスをうまいこと動かせなくなって、すなわち残されたわずか10センチ四方に物が傾れ込んできて、はじめて事の重大さに気づき、机の上を見渡し、チェッと舌打ちして、しぶしぶ整理をしだすのだろう。
その点、iPadみたいな便利なものは積み上げた資料の上でも、膝の上だってできるのだから、さらに机の上はどうしようもなくひどい状態になってしまうんじゃないかと想像する。
ああ、ほんとに持っていなくてよかった。負け惜しみでなく…。
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by zuzumiya | 2011-09-12 10:07 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

咳が止まらない。

近況を少し書かせていただきますと、まだ咳が抜けません。
夏風邪はあまりかかったことがなかったんですが、今年の風邪はほんとに厄介です。
35歳の時にぜんそくを患ったことがあるので、気管支がもともと弱いんでしょう、咳が一度出始めるともうコンコンコンコン、そりゃあ深いのが出て止まらず、肋間神経痛になって、脇腹と心臓のあたりを押さえて、痛い痛いと目に涙をためて咳込んでいます。
聞くところによると、咳だけでも肋骨にヒビが入るとか。
でも、抱えてる仕事があるので休むわけにはいかず、マスクして、消炎沈痛剤を貼って何とか出社しています。自宅でこうやって集中して作業しているときは咳が出ないので、どうやら精神的なことも作用しているみたいです。接客業なので、気遣いはしかたがないんですけど。
咳をすると体力がひどく消耗して疲れて、「ああ、咳さえ出なければもっとガンガンいくのになあ」と悔やまれます。時には「何もかんもみんな投げ出して出てったろか!」とヤケを起こしたくなります。

気がつけば、公園の蝉時雨がいつのまにか虫の声にかわっています。
暗くなるのも少しずつ早くなっているようです。「ああ、仕事だらけでまた夏が終わってしまった」と今年は本気で思いました。音楽も聞いていないし、さほど欲してなかったし、野音のことも忘れて仕事に熱中してたので、たまたま入ったコンビニで「今宵の月のように」を耳にした時には、ふっと笑みが出ました。
がんばれよ、と言われているみたいで…。
店から出て、夜空を見上げるとほんとに月も出ていて…。
いつのまにやら心に余裕がなくなっている自分がほんとに情けなくなりました。

今は野音だけが楽しみです。
野音の日だけは仕事を忘れて、心から楽しもうと思います。

明日はお話会、咳をがまんして、どこまでやれるかしらん。
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by zuzumiya | 2011-09-10 00:49 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)


ふだんの暮らしに息づいているたいせつなもの、見つめてみませんか?


by zuzumiya

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