暮らしのまなざし

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信用できない女子

私は「カエル好き」という女子をどうも信じられない。
テレビで見たが、吉祥寺だかどこだかにカエルのキャラクターばっかりを揃えたお店がある。レポーターがお店に入るなり「きゃあ、可愛い」を連発して、あらゆる商品を手に取り紹介していた。
そうだろう。そうだろう。
たしかに細っこい体で剽軽な顔をしているアマガエルのキャラクターは、どれも可愛いと思う。でも、そういうカエル好きの女子がですよ、帰宅途中、雨上がりのむわっとする公園の暗がりをとぼとぼ歩いていたら、いきなり半歩前を大きなイボカエルが飛んだりしたら、やっぱり驚くと思うんですよ。そして、その後ですよ。
「なあんだ、イボガエルじゃん。カワイイ〜」
と寄っていけるかと私は問いたいんですよ。だってそうでしょ。あなたはカエル好きなんでしょ、と私は詰め寄りたい。アマガエルが可愛いから好きって、アマガエルの皮膚が手にひっついて伸びて切れそうになったりするとき、ハタと気持ち悪くなるのを知ってんのか?田圃に行って捕まえたことあんのか?、触ったことほんとにあんのか?と、カエルグッズを手にして「私、カエル好きなんだよねえ」と目を細める女子に私は言ってやりたい。実際は言わないけれど。


※雨上がり、必ずといってよいほどいつもの舗道の暗がりで「公園の主」というようなイボガエルに出会いました。わかっていてもいつも「ひょえ〜」と飛び上がりました。
でも、先だっての朝、路上で車に轢かれてペシャンコになっている無惨な死体を発見しました。「なんでまた、公園を出たりしたかなあ」
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by zuzumiya | 2011-06-29 12:19 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

世の中というもの

帰宅途中、信号待ちで青になったと思ったら、後ろでドタッと音がした。
慌てて私と隣のおばさんが後ろを振り向くと、自転車とおじいさんが倒れていた。
「大丈夫ですかっ!」
サラリーマンのおじさんも加わり、おばさんと私と3人が駆け寄ったが、次の瞬間、おじいさんの側から「のどごし生」の缶がごろんと転がり出て、路上に泡の染みを作った。
「らいりょう〜ふ、れす」
おじいさんは完全にろれつが回っていなかった。
同じ想いが3人の頭を過ったのだろう。
誰一人、倒れている哀れなおじいさんに手を貸す者はいなかった。
自転車さえ、持ち上げてやろうとはしなかった。
点滅する青信号をチラリと見て、急かされるように、そそくさと横断歩道を渡って行った3人であった。だって、大丈夫だって言うんだもん、と心のなかで呟きながら。
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by zuzumiya | 2011-06-29 08:55 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

約束

先日亡くなった夫の財産分与のことで揉めたらしく、母が「死後は(祖父母の眠る)富士霊園へ一緒に入れてくれ」と言い出した。
なんという事だろう!
みんな死んで、ようやく、私が幼い頃あれほど望んでいた「おばあちゃんとおじいちゃんとママとわたしのみんなでくらすこと」が叶うなんて…。
複雑な気分だが、でも、どこかでやっぱりほのかにうれしいような気もする。
母がようやく私たちのもとに帰ってきてくれる、そんな約束を得た安堵だろうか。
「死んだらまたみんなに会える」
「今度こそ、みんなで1から仲良く暮らそう」
そう思うことは、何もかもままならないこの世を、あとしばらく生きるうえで不思議と大きな慰めになる。
大好きな人に会える、会いたい。
その気持ちだけで女が長時間に及ぶ出産の、あの激しい痛みに耐えられるように、
死もまた同じように、大好きな人に会える、会いたい、その気持ちだけでひとり旅立っていけるものかもしれない。私にとって必要なのは崇高な神や仏じゃなく、大好きだった人、そしてその人との思い出、そんなささやかなものだ。
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by zuzumiya | 2011-06-27 15:49 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

小さな幸せを探しながら

ここ2日ばかり、通勤や帰宅途中の公園で同じ女性を見かけます。年は30代から40代の大人の女性。何か考え事をしているように頬に手をあて、俯きながら公園の原っぱをゆっくり歩いています。ときどき歩みを止めてしゃがみ込むと、シロツメ草の表面を撫でているので、何かを落としてしまったのかと思いました。どうしたものかと遠巻きに見ていたら、ある時、はっと気がつきました。「彼女はもしかしたら、四葉のクローバーを探しているのかも?」そう思ってあらためて眺めてみると、俯く彼女の顔にもう悩ましさは飛んで、少女のような可愛らしい熱意が満ちています。だとしたら、四葉のクローバーは何に使うのでしょう。押し花ならぬ押し草にして、青々としたクローバーの素敵な栞でも作るのでしょうか。「見つけたら、絶対叶う」と信じたいような、何か願い事でも心に秘めているのでしょうか。まさに今、小さな幸せを探しながら歩いている彼女を思うと、なんだか胸が温かくなりました。
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by zuzumiya | 2011-06-23 21:23 | 日々のことづけ | Trackback | Comments(0)

公共施設に団扇はいかが?

東京は梅雨の中休みなのでしょうか。天気予報でも「今年一番の」がつく暑さになりました。これからは晴れるたびに最高気温が更新されてゆくことでしょう。本格的な夏へ向けて、街では節電が呼びかけられています。我が図書館でも冷房は気温が28度以上でないと原則的にはつけられないことになっています。そうはいっても、お客様の体調を十分に考慮しなくてはいけないので杓子定規でなく、臨機応変に対処していくつもりでいます。冷房がなかなか使えないなかで、考えついたのが団扇です。家庭に余っていたり、道端で宣伝にもらう団扇を集めて、色紙を貼ってきれいに装飾して、図書館の館内専用に使ってもらおうと始めました。児童室でも朝顔や可愛い動物の絵柄を貼ったものを作って、閲覧テーブルの上に「どうぞ、ご自由にお使い下さい」と書いて置いてあります。暑いなか、お母さんが赤ちゃんをだっこしてきて、「よっこいしょ」とソファに座るとき、団扇で少しでも涼めたら助かるでしょう。ちょっとぐずった赤ちゃんに「いないいないばあ」とやっているお母さんも見かけました。児童室だけでなく、一般の部屋の方にも団扇を置こうと考えています。美しい切り絵でもいいし、スタッフやお客様から募集した「節電川柳」などが面白く書かれたものもいいでしょう。
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by zuzumiya | 2011-06-22 00:06 | 日々のことづけ | Trackback | Comments(0)

短冊に見るドラマ

もうじき七夕です。今日、窓の外を軽トラックが荷台に大きな笹を一本積んで走って行くのが見えました。近くの幼稚園か保育所にでも届けにいくのでしょう。行った先の子供たちの笑顔を想像すると何とも微笑ましくなります。
我が図書館の児童室もすでに七夕飾りを始めています。色とりどりの短冊に書かれた願い事の数々。いちばん最初に吊るされたものが「被災地の人々に笑顔が戻りますように」だったことがとてもうれしく思いました。中学生の仲良しグループがよく勉強にかこつけてお喋りにきて困りものなのですが、彼女らにも短冊を渡すと恋愛トークに花が咲いてしまい、もう逆効果。「男子に見つかったらバレるからイニシャルにしなきゃ」とか「思い切ってキスしたいとか書いちゃえば?」とか、ああだこうだと大変な騒ぎ。でも、あの頃の気持ちが懐かしく思い出されて、つい、にこやかな顔になってしまい厳しい注意ができませんでした。後でこっそり見た短冊には「両想いになって、手がつなげるように」だったので、「なあんだ、こんな程度でいいのか」と吹き出してしまいました。
間違いを塗りつぶして必死に書いたひらがなの拙い短冊。「宿題が少なくなりますように」「テレビがもっと見れるように」「お菓子がもっとたくさん食べれるように」「サッカーせんしゅになれるように」…。いつの時代でも子供の夢は可愛らしいまま。
そして、毎年必ずどこかで見かけるものに、子供が自分のことより誰かのことを思いやるやさしい一文。「パパのからだがはやくなおるように」
胸がしんとなり、やがて暖かくなりました。小さな胸にこんな心配事を抱えて生きているのですね。私も願いましょう。パパのからだがはやくよくなりますように。
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by zuzumiya | 2011-06-20 11:07 | 日々のことづけ | Trackback | Comments(0)

あなたのまわりの「やんわり自慢する人」

例えばこういう人はいませんか?「最近、こういう仕事を任されちゃって参っちゃうよ」と始まる人。話を聞いていくと、表面的には面倒さや迷惑さを装いながらも、実はそういう厄介でちょっと困難な役目を「自分に任された」ことをスゴイだろ?と言わんばかりで、「でも、悔しいからなんとか頑張ってやり遂げてやったんだけどね」という話に落ちつきます。
私はこういう話を聞くと、すぐに誉めてあげます。それもかなり大げさに誉めます。
「そんなスゴイこと任されてやり遂げられるのは、やっぱり○○さんしかいないよ。私なんかダメだなあ。大変だったけど、そういう仕事は誰がやり遂げられるか、意外と上司はちゃんと見てるものなんだね」という具合に。そうすると相手はもう照れながらも満面の笑みで喜んでいます。さらにモチベーションが数段上がったかもしれません。
なぜここまで言うかというと、そういう話を普通に仕掛けてくる人というのは本人が意識しているいないに関わらず、誰かに「認めてもらいたい」「誉めてもらいたい」と強く飢えている人だと思うからです。仕事でも、おそらくプライベートでもそうじゃないかと想像できます。きっとあるがままの自分にはどこか満足できない劣等感や思い込みがあって、たとえどんな場に置かれても「私には○○がある」という自分勝手でもいいからゆるぎない価値を心に持てて来られなかったのかもしれません。その場その場で他人と比べることでしか自分の価値を得られなかった可哀想な人のような気がします。相手が喜んで満たされて、モチベーションが上がり、さらに前向きに頑張れるなら、誉めることなどなんでもありません。ただ私はその人の真の器というものがわかって、少し残念に思うだけです。
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by zuzumiya | 2011-06-15 08:08 | 日々のことづけ | Trackback | Comments(0)

笑顔が育てるものは

公共図書館に勤めていますが、この仕事は司書としての専門職というより、つくづく接客業だなと思うことが多いです。以前、益田ミリちゃんの『すーちゃん』本だったか、「接客業をやっていると、今度は自分がお客さんのときに店員さんが困らないようにちゃんと気をつけて注文する」という内容のセリフがあったと思うのですが、最近では私もそれと全く同じ気持ちで店員さんに接するようになりました。特に自分でも面白いなと思うのは、店員さんに向かって笑顔が出てしまうところ。「ありがとうございました〜」と言われると自然とこちらも笑顔になっています。「○○をおつけしましょうか?」と言われると「だいじょうぶですよ」と言ってまた笑顔になっています。考えようによっては愛想笑いが板についてきたのかもしれませんが、別の意味ではやはりいいことだと思っています。
仕事で日々「おはようございます」「こんにちは」と声に出して挨拶しているとお客さんも会釈ではなく、声に出して挨拶してくれるようになったと以前書きました。
とにかくいつでも笑顔を心がけ、「暑いなか、ありがとうございます」と時にはちょっと会話をしかけてみたりすると、お客さんも笑顔で言葉を返してくれます。司書としての専門知識もなく、偏った読書経歴で、検索にもいまだにもたつくオバサンの私がカウンターに立つ時には、お客さんのやわらかな笑顔だけが心の拠です。言葉を交わせたり、笑顔で帰られたときはほんとにホッとします。お客さんの笑顔を心底求めているからこそ、自分がお店でお客さんになった時に笑顔がすっと出るのでしょう。つまりは、私の笑顔は図書館のお客さんみんなが育ててくれた、そういう笑顔なのです。
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by zuzumiya | 2011-06-14 00:08 | 日々のことづけ | Trackback | Comments(0)

Happy Birthday!

昨日はわかっていましたが、仕事で疲れて眠ってしまい、おっとっとでした。
加齢臭漂うオジサンになっても、よぼよぼのジイサンになっても、
いくつになっても誕生日はお祝いしなくちゃいけません。
出会えてよかったです。
お誕生日、おめでとうございます! 
恐るべき45歳!
また、何かやらかしたら、ライブに行かせてもらいます。

すっとこどっこいのファンから、極楽大将へ。
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by zuzumiya | 2011-06-13 12:18 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

エプロン一枚で

昔『玉葱の味噌汁』という文章のなかで書いたコウちゃんがいつのまにか再婚していた。
女性連れのところを私にちょくちょく目撃されていて、挨拶をするたびに照れくさそうに笑っていたし、いつだったかエレベーターにコウちゃんと二人で乗り合わせた時は、「相手の事情」で今は一緒には住めないことをさらりと話してくれてもいた。

コウちゃんと彼女が連れ立って歩いている時、コウちゃんの陰から彼女も私にそっと微笑んで会釈してくれていた。きっとコウちゃんは私のことも話してあるから、そういうちょっと親しみの込められた笑みのような気がした。
私とそんなに年のかわらない、つまりは前妻のゆみちゃんともかわらない年の女性だった。離婚の原因が彼女の存在だったかどうかはわからないけれど、難しい年頃の子供もいて離婚するぐらいなら、何となく若くてとびきり美人な女性をゲットしたような気がしていて、実はそうでもなかったのは「ふーん」という感じだった。お酒が好きで、冗談を言って楽しいけれど、姉御肌のちょっと気の強かったゆみちゃんとは違う何かが彼女にはあるんだろう。

エレベーターホールからはコウちゃん家のベランダが見える。離婚して独身に戻った頃のゴミ置き場のような荒れ具合から、どんどんきれいに片付けられ、プランターに花が植えられたり、夕暮れ時には早くも灯りがついていたり、天気のいい日に布団がちゃんと干されてあったりして、女手によって暮らしがどんどん整えられていく様子に、他人事ながら「コウちゃん、よかったね」と思ったものだった。

ある時、廊下でコウちゃん家の玄関から高校生ぐらいの男の子が出てきたのを見かけた。
瞬間、「一緒に住めない事情はこれだったのか」とわかった。
コウちゃんには前妻ゆみちゃんとの間にうちの息子よりひとつ年上の息子シュンくんがいる。「またもやコウちゃん、息子の父か!」と思った。
実の息子のシュンくんはようやく高校を終えて、大学へ進学したのか、就職したのかは知らないけれど、再婚相手が連れてきた新たな息子のためにコウちゃんはまたもや頑張って学費を稼がなきゃならなくなった。
コウちゃんは新しい家族を前に今度はどんな父親をやっているのだろう。お酒もあんまり飲まなくなったらしいから、仕事熱心で真面目な父親をやっているのだろうか。幼い頃から運動が得意のシュンくんには絶対言わなかったような「勉強しなさい」なんてセリフ、時には言っているのだろうか。それとも昔のように陽気でお茶目な面白い父親のままだろうか。

先日、エレベーターで下に降りる時、コウちゃんの新しい奥さんと一緒になった。
奥さんはエプロンをかけていた。ゆみちゃんはエプロンをかけて料理をしない人だったので、何となくほんとにもう、新しい家庭が始まっているんだなと思った。
エプロン一枚でそれを実感した。

コウちゃんとゆみちゃんの知り合いでなかったら、同じ階のご近所さんで年も近いのだから、もっと気軽に話せただろう。ここへ引越してきても、コウちゃんの再婚相手という目で周りに見られるのだから、知り合いもできていないのではないか。そう思ったら、この奥さんもちょっと気の毒なような気がしてきた。
そんな気持ちで奥さんの行方を見ていたら、マンションの前の自家栽培の野菜売り場で楽しそうにオバサンと笑って話していた。
何の事情も知らない話し相手がひとりここに居てくれたか、と思った。
働いて帰ってくるコウちゃんと息子のために、新しい家族で囲む食卓のために、「今度こそ」の幸せのために、もう一品作ろうとしているのかもしれないな、なんて想像したら、微笑ましくなって、エプロン姿の彼女をしばらく眺めていた。
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by zuzumiya | 2011-06-13 09:54 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

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