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ブログらしく近況4

最近の洋楽熱、なぜか盛り上がっております。
ヨンシー・バーギッソン&アレックス・ソマーズの『ライスボーイ・スリープス』と先ほどのルーファス・ウェインライトの歌とピアノだけの最新アルバム『オール・デイズ・ア・ナイツ:ソングス・フォー・ルル』というアルバムを聞きたいと思っております。他にもロジャー・イーノの『ヴォイスズ』、ラドカ・トネフの『フェアリー・テール』、マーク・ジョンソンの『シェイズ・オブ・ジェイド』、キャット・パワーの『ザ・グレイテスト』、ジェーン・バーキンの『フィクションズ』、ブルース・コバーン『雪の世界』、クリス・レアのベスト、レナード・コーエンのベスト、ロキシー・ミュージックの最新作も。ヨンシー&アレックスは手配しました。幻想的で美しいと評判のインストゥルメンタルなのでとても楽しみです。しかも、17日にはライブ前のぎりぎりのところで、エレファントカシマシの『悪魔のささやき』が出るんですよね。うう。

ジャパン、思わず買って読みました。写真はたしかに素晴らしい。いい表情です。内容的にはどのアルバムの頃にはどこそこに住んでいた、どんな暮らしをしていたという、どこかで目にしていたり、耳にしていた過去のそこそこプライベートな話しか憶えてません。テーマは「生活者、宮本浩次」なんでしょうが、生活、あんまり見えてませんね。なんだか、3万字もあるんだったら、もうちょっと突っ込んで、アーティストなんだけれども40男のふだんの日常を知りたかった気もします。悩みやら不安やらこれからのことやら、ほら、「憂鬱だ」って言ってたりするんだから、もっと心情的なこととか、逆に楽しみとかも。見てる映画とか、聞いてる音楽とか、本とかも、きっと追いかけて聞いたり読んだりはしないけれども「ふーん、そうなんだ」って知りたかったような。アルバムや音楽のことじゃないんだったら、ですよ。山崎さんが友人として、もっと引き出せたような気がしちゃう。なんか写真に引き寄せられて、つい買ってしまったけれど、こういう情報ほんとに欲しかったか?でした。
でも、女性ファンはすごい盛り上がってそうですね。うまいな、商売が。

遅ればせながら是枝監督の『空気人形』、DVDで見ました。現代のかわいいおとぎ話ですね。
吉野弘さんの詩が「生命は」が使われていました。あれ、とてもいい詩です。吉野弘さんは前にブログでも「虹の足」を紹介してたはず。おすすめの詩人です。ハルキ文庫から詩集が出てます。是非、買ってください。
あなたの息で私の体をふくらまして(いっぱいにして?)、でしたっけ。いいですよね。
あのおへそのところに唇を当てて、直にふうーって息を入れて、だんだんに膨らんで胸がツンと立って、意識がしっかり芽生えていったり、反対にしゅうううと抜かれて、気怠く悩ましく、くたりと力が抜けて、意識も遠のいていくシーン。なんかあれはあれですごくエロティックで、でも温かなやさしいセックスなんだなあと思ってしまいました。
市川準監督が亡くなった後、人も東京の街もこんなに血が通ってやさしく描けるのはもう是枝監督しかないよ、と思っています。
韓国映画の『母なる証明』もよかったです。監督は『殺人の追憶』のポン・ジュノ。ひたすら息子をかばう母親役のキム・ヘジャの演技がよかった。ちょっと頭の足りない息子役は懐かしのウォンビンでした。犯人探しの真実に思わず夫婦で「えーっ!」と叫びました。真犯人との面会で「あなたに母親はいるの?」と訊いて、わっと泣き出すシーン、実によかった。あの瞬間の気持ち、さまざまに交錯する想い、世の中の母親なら痛いほどわかる。いい映画を2本も見られたいい週末でした。

本は、松井冬子の画集を見て、よしもとばななと角田光代の最新作を読んで、今は江戸川乱歩傑作選を読み始めています。浅暮三文という人の『五感集』が気になっているところ。はじめての作家さんです。
コミックは新聞で読んだ『船を建てる』に興味あり。

仕事場で、私の性格をひと言で言い表した「べらんめぇチキン」(江戸っ子気質なのに、実はチキン。自分で命名)が定着してしまいました。ケンタッキーみたいでしょ。

電車に乗っていて、「男性との突然の出会いの場面」について考えていた(ヒマだった)。たとえば、前に歩いていく男の子のほどけた靴ひもを踏んでしまってつんのめることでの出会いとか、電車やバスで隣の男性のワンセグを覗き見て思わず吹き出しちゃう出会いとか、電車で隣に寝ている男性がいきなり寝言で「だめだから!」と小さく叫んで、わっと腕をつかまれる、そういう出会いとか…。
恋愛ドラマの名手、北川悦吏子は病院で検尿の紙コップを間違って男性にふっかけるという突拍子もない出会いの場面を考えたことがあるらしい。さすが、凄すぎる。
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by zuzumiya | 2010-10-31 23:52 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(2)

秋の日のアントニー

a0158124_133538100.jpg肌寒い曇りの朝に、ひとり珈琲を飲みながら、久々にアントニー&ザ・ジョンソンズを聴いていた。持ってるアルバムは2ndの『I am a bird Now』だけなんだけれど、たしか最初の曲「Hope There's Someone」が私の好きな映画監督のイザベル・コイシェが『あなたになら言える秘密のこと』に使っている。素晴らしい選曲センスにいつも惚れ惚れする監督。内容もいいのでどうぞ。
話が逸れたけれど、「Hope~」はとてもいい曲なんだけれど、途中からピアノの連打になって激しく高まっていくあそこがどうしてもなぜか「怖くなって」(この「怖くなって」がわかってくれる?)私は引けちゃうところで、ピアノと一緒に静かにいつまでも波のように揺れて、たゆたって歌っていてほしいタイプなんです、個人的には。
他にも1曲のなかで途中から激しく高揚していくタイプの曲が多々あります。アントニーの魂がどうしても呼び込んでしまうんでしょうか、ドラマティックな壮大な広がりを、まるで祈りのように。「そこがアントニーの良さなんじゃない!」と言われるとそうなのかもしれませんが、ピアノとストリングスだけで両性具有の美しいファルセットヴォイスで静かに熱く、時に痛々しくレクイエムを歌うようなパターンが好きな私は、どちらかと言うと8曲目のデヴェンドラ・バンハートとの「Spiralling」や最後の「Bird Gurhl」が好き。
今日みたいなどことなくもの哀しい秋の日には特に「Bird Gurhl」の始まりのピアノはものすごく素敵。引き継いでいくストリングスも落ち着きます。エンドレスで何度聴いても、この秋の深まっていく静かな雰囲気を何一つ壊さず、飽きてもこない。始まりも美しければ終わりもまたすこぶる美しい。これは寝る前の「大人のための子守歌」にいいです。6曲目の「What Can I Do?」で歌ってるルーファス・ウェインライトの淡々とした気怠い声も好きで、もっと聴いてみたいと思う。ルー・リードもボーイ・ジョージも参加してる。アルバムジャケットはアントニーではなく、ウォーホールの映画にも出ていた女装の麗人、キャンディ・ダーリング。揃いも揃ってという感じ。「Candy Darling On Her Deathbed」という写真のタイトル(エイズで亡くなったピーター・ヒュージャーが撮影)がまたいい。
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by zuzumiya | 2010-10-31 13:38 | わたしのお気に入り | Trackback | Comments(0)

小さな再生

「泣きっ面に蜂」というように、いつでも不幸に不幸は引き寄せられて続く。
どうしてだがわからないが、そういうもんだということだけはこの人生でわかった。
でも、それでも、だ。
「不幸中の幸い」という言葉を私は信じてる。
そのとおりのことが、そうとしか思えないことが、微かに流れてくる花の匂いのようなささやかさでこの日常に混じっていることも、やっぱり私はわかっている。

人間はほんとに逞しい。
日々細胞が死んだり生まれたりを繰り返している。全身を巡る血液だって、心臓がばんばん休みなく動いて、古いのと新しいのとちゃんと入れ替えてる。
毎日、じりじりと爪や髪が伸びてる。傷はいつのまにかかさぶたができて治っている。
死に向かっているとも言えるけれど、最後の最後まで生きることをやめないとも言える。
そんな細かな再生をさんざん繰り返している逞しい人間が寄り集まって、エネルギーを持ち合って生活しているのに、物事がどんどん失われていくばかりで、悪くだめになって、滞って淀んでしまってもうどうにもならない、なんてわけがないと思う。
人間が暮らして行く、そのことにも大きな新陳代謝のような死と再生があるはず。
終わりと同時に何か始まりが起こっているはず。
この終わりのさなかに、まるで終わりしか続かないように感じるこの日々のさなかに、
ささやかに始まっている何かを感じとろう。
この日々にある、あまりにも小さな再生をきちんと見つけて喜びたい。
どんなに悲しみやつらさがあっても、細胞レベルでこつこつと再生を繰り返していくように、不幸のさなかにも小さな再生のつぼみはふくらんでいく。
始まり出そうと、動き出そうとする健気な勢いが必ず混じってる。
その幸いをいつでも見つけ出すこと。それを忘れないこと。信じること。
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by zuzumiya | 2010-10-30 18:25 | 日々のことづけ | Trackback | Comments(0)

食卓の花よりトイレの花

図書室整備の仕事でいろんな学校をまわっていますが、トイレの清潔な学校は廊下も階段もわりときれいに掃除されていて、何となく生徒も落ち着いている気がします。今回の学校でいいなあと感心したのは、トイレの鏡の前に一束の赤い小菊が飾られていることでした。「トイレに花など置いたって生徒が見るものか」と思う人もいるかもしれませんが、ふとした時に私のように花に気づいて心和み、誰かが飾ってくれたことにやさしい気持ちになれたりもするのです。もしかしたら、あるのが自然な食卓の花、玄関の花より、蛍光灯の寒々しいトイレの花の方が、気づいた時にはずっとやさしい気持ちでまじまじと見つめてしまうものかもしれません。そして、置かれた場所がどんな場所であれ、花は花本来の力で人を和ませるものだと感じて、思わず「トイレの花でもいいじゃん」とうれしくなりました。一束の花を枯らさないために手が入り、飾った誰かの想いとともに清潔は保たれ、やがて廊下や階段へと生徒の意識が広がっていったのではないでしょうか。

※意識してきれいにしたいと思う場所こそ、花を飾りましょう。
※どんな場所でも自分らしくあれば、いつかは誰かが見つめてくれるものです。
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by zuzumiya | 2010-10-28 21:14 | 日々のことづけ | Trackback | Comments(0)

ルー・リードの『BERLIN』

a0158124_23515414.jpgDVDで借りてさっきちょっと見ていたのだが、やっぱりいいなあと思う。
2006年にニューヨークでやったライブ映像で、『BERLIN』発売からステージでは演奏されていないんだそうで、33年ぶりらしい。監督は『潜水服は蝶の夢を見る』のジュリアン・シュナーベル。
私は高校の時代にウォーホールやらヴェルヴェット・アンダーグランドを知ったが、ソロになってからの方が好きだ。特にこの『BERLIN』というコンセプト・アルバムはやたら暗いんだけれども、でも、妙に好き。
最初のSEのハッピーバースデイの大騒ぎからぽろんぽろんと気怠くジャジーなピアノが始まって、またそのメロディが暗闇に消えていく煙草の煙のようにせつなくて、このアルバムの先行きを静かに暗示していて、ルーが「in BERLIN」って、つぶやくように歌い出すところから、もうしびれた。
あの最初のひとことでノックアウトだったんだ。
私はルーの独特な歌い方が好き。歌うというより静かに語る、つぶやく感じ。
あの抑揚のないそっけなさがいい。
しかも渋くて落ち着いた声。冷ややかだけど、艶があって、それがエロティック。
そして舞台は頽廃と歓楽の街ベルリンときてるから、いい。
レコードは実家を出てから誰かに勝手に捨てられてしまったから、これからはルー・リードも何とかCDで買い揃えねばと思う。
久しぶりに高校時代の、あの一人ぼっちの夜の、うっとりした時間を懐かしく思い出した。

※アントニーとの「キャンディ・セッズ」が素晴らしくよかった。
※久しぶりに「The Bed」が聞けて、ほんとに泣きそうになった。それにしても繊細すぎる美しいメロディを作る人だよなあ。(28日/追記)
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by zuzumiya | 2010-10-28 01:13 | わたしのお気に入り | Trackback | Comments(0)

マインドを頂く

仕事の休憩時間にみんなで絵本や映画のなかに登場する料理のレシピ本を見ていました。『ぐりとぐら』のホットケーキとか『魔女の宅急便』のチョコレートケーキだとか、可愛くて美味しいそうなのが載っています。中の一人が「でも、実際には作らないんだよね」と言って笑いました。そうだなあ、と思いました。たしかに仕事をしていると料理にかける時間はない。いえ、時間は実はあるのだろうけれどそれ以上に心に余裕がない。暮らしをクリエイティブに楽しむための「遊び心」に血が行き届いてない状態なのです。プライベートを充実させるとは、実はこの「遊び心」に血を通わせて生き生きとさせてやればすむことなのだと思っています。たとえ、実際に作らなくとも料理本を見ているだけで、その「遊び心」が刺激される、「いいよなあ」と癒される、それだけでも十分です。そういう実際に行動にまで至れなくとも、やった気分になって癒されることを私は「マインドを頂く」と呼んでいます。マインドを頂くためには寄り道がいちばん。生活雑貨のお店や、アロマのお店、食器のお店、インテリアのフロア、本屋さん、食料品売り場ならスパイスや調味料の棚、花屋さんなどをぶらぶらして、マインドを頂いて、あれがいいなあ、これ可愛いなあとやっているだけで、本来持っているはずの「遊び心」にだんだん血の気が戻ってきます。そこには、暮らしを楽しもうとする余裕の私がちゃんといます。

※仕事ではなかなか個人の「遊び心」まで理解されたり、発揮できたりできません。暮ら しのなかでこそ、自分なりに楽しみながら発揮できるのです。心のバランスのためにも 暮らす楽しみを軽視してはいけないのでしょう。
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by zuzumiya | 2010-10-27 20:38 | 日々のことづけ | Trackback | Comments(0)

あの鳥のように

朝早く目が覚めて、蒲団のなかで本を読みだしたら、ふと外で鳥が鳴いているのに気づいた。一羽だけの、まっすぐ飛んでいく矢のようにきれいに澄んだ声。頭のなかで、どこか鉄塔か何か高いところに止まっている小さな鳥が、空に向かって嘴を上げ、身を震わせ、高らかに鳴いている、そんな画が見えてくる。
「あれは鳥の領空支配の声だ」と誰かに教えられて、「そんな味気ないつまらないことを言うな」と嘆いたのは山男の辻まことだったか。
彼はそれをつまらないことと思ったが、今朝の私はなんだかそうは思わない。
始まったばかりのまっさらの朝に「ここに自分がいる、ここが自分の居場所だ」と堂々と懸命に主張している小さな鳥。なにかとてもすがすがしく、崇高な気がする。
たとえ、ただのちっぽけな縄張り意識、自己の存在の主張だとしても、あんなに澄んだきれいな声で、聞いている私の耳を今喜ばせて幸福な気分にさせているのなら、それはもうとてつもなく立派なこと、素晴らしい奇蹟だ。
あの鳥のように、自分というものを、伝えられないものか。
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by zuzumiya | 2010-10-25 18:33 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

おひさまにほめられてる

実はもっと若い頃から不思議なこととして感じていたのですが、ソファでブランケットをすっぽりかぶって寝ちゃいたくなるような曇りの日に、何か一生懸命に頑張って家事をして忙しく立ち動いたりしていると、だんだんに窓の外が明るくなって晴れていくんです。「ああ今、おひさまにほめられてるんだな」と感じて、俄然うれしくなる。今日もそんな日でした。ふと掃除の手を止めて空の青を見上げながら、みんながこんなふうに誰かのために頑張って動いたら、その想いは空へ届いて重たい雲を散らすのかも、なんて子供っぽい想像をしました。主婦のする家事は洗濯や布団干しなど天気に左右されるものも多いので、おひさまだけがいつでも味方で、誰からも評価もお礼もない仕事だけれど、ちゃんと空から見ていてくれると思いたいのでしょう。秋というのは意外と曇りの日や時間が多いもの。動くの面倒だな、という日はこの話を思い出して「ほんとか?」ぐらいの気持ちで動きだしてみて下さい。晴れてきたら、それはほめられてることです。
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by zuzumiya | 2010-10-25 12:26 | 日々のことづけ | Trackback | Comments(0)

問いかけてくる目

さきほどロキノンの山崎さんのブログを見に行ったら、月末に発売予定のジャパンの表紙がでかでかと載っていて、びっくりした。目と目が合って、一瞬、息を飲み、その後、なぜだか「ごめんなさい」と力が抜けていった。
「素直じゃなくて、嘘をついて虚勢を張っていて、ごめんなさい」という気持ち。
どうしてだろう、このまっすぐな目にいつも射抜かれ、ひるんでしまう。
この目はいつでも「問いかけてくる」。
あるファンブログに昨日のラジオ出演のインタビューの内容が書かれてあった。
「44歳の今頃になってようやく女性を親しみのある仲間感覚で見られるようになった。だから女性目線の曲を作りたかった」と語っていたそうで、「そうか、それはよかった」とうれしくなった。早く聞かねば、と思う。
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by zuzumiya | 2010-10-24 14:41 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(5)

ブログらしく近況3

a0158124_2321240.jpg『十三人の刺客』で注目の三池崇史監督の『殺し屋1』(R-18指定)をDVDで見たが、ぶっ飛んだ。殺し屋パート1ではなく、「イチ」だったのですね。
この監督の作品はグロいと聞いていたが、やっぱりそうか、もう凄いなっていう感じ。
子宮内膜症でお腹が痛かったが、あまりの内容に見ている間は痛みを忘れていた。見終わったとたん、キリキリキュウウと倍痛くなった。
キャストがよかった。大森南朗と浅野忠信のサイコぶりがいい。松尾スズキを双子のイカれたサディスト刑事にしたところは素晴らしい。漫画っぽいなと思ったら、原作は『ホムンクルス』の山本英夫の作品らしい。台詞や小道具にユーモアもあって、グロいのに笑えたりもした。というか、わざと笑ってホッとしていた気がする。
どうして人間はこんな暴力的でグロい映画を作ったり、見たりするのだろうと思ったが(三池監督はヨーロッパでは北野監督と並んで人気がある)、見終わった後にそこらへんのホラーより背中がゾクゾクして怖ええと思いつつ、「ああ今、何事もなく、普通の平凡な日常を生きてることにものすごーくホッとして、ありがたがっている私」を感じて、ほんとに生きててよかったあ、と深く息がつけた。
これなのだろうか。つめていた息をふううと吐き出せた後、今度はすうーっと吸えるこの感じ。呼吸を繰り返して現実に少しずつ戻って、なじんで、「なんでもなかったじゃん」とおさまっていく感じ。命を誰からも狙われていない、誰も踏み込んでこない、血なんか見ない、刃物もさっき味噌汁を作った時の台所の包丁しか見ない、何にも起こらず外界からちゃんと守られている、いつもの家のいつもの部屋のしっかりしたこの安堵。犯罪から限りなく遠ーくにいる私。バカみたいだけど、何事もなく生きてることをよかったと、ひとしきりささやかに思えること。
これをわからせたい、わかりたいためにこういう映画は存在しているのだろうか? 
なんて、分析はいらないか。
とにかく、久しぶりにこんなにも痛くて酷くてうわっと引くほどこのうえなくグロい映画を見ました。ふー。
  
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by zuzumiya | 2010-10-23 23:04 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)


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