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どこかでいつも

どこかでいつも自分で自分のことをわからないと思ってきた。
こうやって書いている自分がわからない。
どこかでいつも書くことを終わりにしたいと思ってきた。
書かなくてもいられる生活が。
書かなくても不安になったり、自分を責めたりしない普通の生活。
仕事して帰ってきて、夕飯食べて、テレビ見て家族と笑って、お風呂入って、眠る生活。
もうそれで終わっていく生活。
それだけで穏やかにしていられる生活。
書くことをずうっとしてきたけれど、
それで幸せだったろうか。
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by zuzumiya | 2010-09-29 06:44 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

日常の異界

散歩好きの松浦寿輝の随筆のなかに、子供の頃遊んだ「路地」の思い出が書かれてある。あるとき、あまり通ったことのない路地をいくつか曲がったら、突然見覚えのない街角に出た。表も裏も知り尽くした近所の商店街を離れているはずはないのに、夕暮れの街の光はよそよそしく、半べそをかいて、それから先どうやって家に帰ったかの記憶がない。路地は「異界」につながっていたというのだ。

考えてみれば、子供の頃、「異界」はいくらでもあった気がする。
「路地」ももちろんそうで、ただし、私の場合は、氏とはちょっと意味合いが違う。
他人の日常のすぐ脇を走り抜ける際の、あの見てはいけないものを一瞬でものぞき見る興奮が、何よりすでに「異界」であった。

通りで会えばいつも祖母が好んで立ち話する品のいいおばさんが、網戸の向こうの薄暗い部屋では、だらしなく髪は崩れ、あっぱっぱを膨らませて、テレビを見ていた。鬼女のようだった。あの日常の無防備で、ゆるみきった人の姿、本性みたいなものを一瞬盗み見たことの優越感、秘密を知っている快楽こそ、日常のなかにひょっこり現れた「異界」の醍醐味なのだった。

そして、私の場合、そんな「異界」にはいつでも、いけないことと性的な匂いが漂っていて、惹きつけて抗しがたい魔力を持っていた。
真夏の薄暗い風呂場。神聖な儀式の生贄のように身を捧げて浸かった水風呂の水のゆるい感触。空きアパートの部屋にしのびこんで、おやつの駄菓子をもくもくと食べていたときの、友達のスカートから出た白い腿。
かくれんぼで入った押入れで、男子の膝小僧の砂の匂いとむうっと湿り来る呼気の熱。
通学路の砂利道に雨に濡れて落ちていたヌード写真……。

そして、いま思い出すのは、昼下がりの縁側で、糸切りばさみで幼い私の足の爪を丁寧に切ってくれたあの間借人の青年との艶かしいひとときだ。あの後だったか、「遠くまで行こう」と自転車に乗せられ、さらわれそうにもなった。
あれも日常のなかの「異界」だったように思う。

私の育った家はアパートをやっていて、祖父母は大家だった。大工だった祖父が建てた木造の古い2階建ては全部で6部屋あり、間取りはそれぞれ1DKで、部屋にはシャワーはあるが風呂はなっかった。家賃も安い方だったと思う。そんなところに住むのは、女も男も独り者で、みなひっそりと暮らしていた。
祖父母と私の大家一家が住んでいたのは、私の小学生の頃までは1階のちょうど真ん中の部屋だったから、今考えると上やら左右やらの間借人たちはさぞ暮らしづらかったろう。おまけに内階段で、上のお姉さん(学生のときも勤め人のときもあった)がたまに夜遅く帰ってきて、階段を踏みしめるぎしぎしという足音が微妙にずれて二人分あったりすると、床の中で祖母が薄目を開いて「男づれで帰ってきやがった」とつぶやくので、子供の私も2階へ上がった二人の足音やくぐもった話し声にじっと耳を澄ましたりした。

いろんな間借人がいた。
沿線の短大か大学の学生課と提携でもしていたのか、女子学生が入れ替わりよく住んでいたし、市役所勤めの女性もいた。道路際の1階は私がほんの小さな頃から住み続けている主のようなおばさんで、家賃を支払いに来るたびに「大きくなったねえ」と笑いかけられ、厚木の米軍キャンプに出入りしていたのか、時どきはハーシーのチョコレートや日本の味付けじゃない手作りのカップケーキなんかを持ってきてくれた。

当時、郵便ポストは門の前にひとつしかなく、私がそれぞれの間借人宛の郵便を玄関ドアのポストか、内階段の両壁に取り付けた祖父お手製の木の小箱に入れに行った。
プライバシーも個人情報もあったものではなかった。葉書なんぞはすべて読めない漢字を飛ばして何となく内容を把握してから入れに行った。主のおばさんにはよく筆記体で書かれた英語のエアメールが来ていた。小学校の女教師も住んでいて、「○○せんせいへ」と書かれた年賀状はまず私がぜんぶ見て笑ってから届けた。

家賃の支払い日や盆暮れの帰省の後には、よく間借人が手土産を持ってきた。
いつだったか、2階の端に住んでいた沖縄出身の男性がハワイへ旅行して、定番のマカデミアナッツの箱チョコレートと一緒に天狗のビーフジャーキーの大袋を持って来てくれた。ジャーキーなど食べたことがないうえに、もともと牛肉嫌いな祖母は「こんな乳くさいもの持ってきやがって」とぶつくさ言って、私に食べさせることなく、袋ごとぜんぶ捨ててしまった。だから、私は社会人になるまでビーフジャーキーなる食べ物を知らなかった。今思えば、結構値の張るものだったし、あんなに美味しいものをもったいないことをしたものだ。

そんな口の悪い祖母だが、昔気質の世話焼き大家で、独り者の間借人たちの親代わりとしてやさしいところもあった。口座振替などなかった時代に、間借人全員分の光熱費の支払いをしてやったり、庭の樽に沢庵やら白菜やらを漬けては分けてやったり、柿の実がなれば分けてやったりした。
あるとき、沢庵を樽から取り出した祖母が小首を傾げていた。わけを尋ねると「沢庵の数が足りない」と言う。すぐに「味しめた誰かが盗みやがったな」ときたので、思わず吹いてしまった。真夜中、腕まくりした手に祖母の漬けた沢庵をぶらぶらさせて、そそくさと逃げていく犯人は、なぜかおふくろの味の恋しい男の人のような気がした。

祖父の方も輪を掛けて変わり者で、大工であるのを口実に年がら年中、梯子をかけては屋根に登り、トタンにペンキを塗ったり、故障を直すような振りをしながら、ベランダごしに女子学生の部屋を覗き見していた。
時には大家の権利を悪用して、合い鍵で間借人の留守の間にこっそり部屋に入ったりもした。夕飯時に「ああ見えて、女のくせに部屋ん中は汚ねえのなんのって」と見てきたままを得意そうに喋っていたから、祖母も知ってはいたのだろうが、部屋の傷み具合を気にしていたのか、それとも間借人のプライバシーのすべてに首を突っ込んでいたいのか、祖母は怒ることなく聞いていた。

話がだいぶ逸れてしまったが、そんな間借人のなかのひとりに、ある時期、ひょろりとしておとなしい気弱そうな青年がいた。
住んでいたのはうちの右隣の1階。わりと近所にビクターや日産などの工場もあったので、今思えば男の独り者はみな工場の工員だったのかもしれない。休みに女の人が訪ねてくるわけでもなく、若いのに今思えば何をして過ごしていたのだろう。
覚えているのは、洗濯物が干された窓は割と開けっぱなしのことが多くて、がらんとしたあまり物のない貧相な部屋の中が丸見えだったこと。

幼いわたしにとっては、間借人の部屋の前だろうが内階段のドアの前だろうが、どこもかしこも地続きの自分の庭で、コンクリートにケンケンパの輪や落書きをしたり、縄跳びやゴム飛びをし、夏休みとなれば、祖父にプールを出して貰ってばしゃばしゃとうるさくやっていた。おそらく青年の部屋の前でも無邪気に遊んでいて、何度となく喋ったりもしていたんだと思う。一人っ子の私は「やさしいお兄ちゃん」にすぐさま懐いたにちがいない。

ある日の昼下がり、祖母が縁側で爪を切ってくれた。
手の中にすっぽり入る糸切りばさみだったから、靴下のつま先の穴でも繕っていて、私の爪が伸びていることに気づいたか、単に爪切りが見つからなかったのだろう。
祖母が目を細めて小さな爪にはさみを入れているところへ、どういうわけか青年がやってきた。もしかしたら、私が「痛い」と騒いでいたのかもしれない。
「僕がかわりましょうか」と微笑んで、目の悪い祖母は助かったとばかりに礼を言って奧へ引っ込んだ。青年はコンクリートにひざまづいて、ゆっくり私の足指に触った。爪を選んで慎重にはさみを入れる。貧弱な体つきだったから、工員の手とはいえ、両の指も細くしなやかだったろう。

私はあのときどんな姿勢だったろう。
青年の膝のあたりに小さな足をのうのうと乗せていたのか、もしくはスカートなのに縁側に立て膝をついていたのか、もう忘れてしまったが、そのときどちらにせよ、真向かいにいる青年に対して、なんとも心地よい征服感があったことは覚えている。大人の男に爪を、それも足の爪を切ってもらう、しかも糸切りはさみで。
今考えてもかなりエロティックだけれど、子供心に何とはなしにいけないことをふたりでひそかに共謀してやっている、という愉悦の感覚があった。あのとき、たしかにふわりと日常が翻り、輪郭のぼけた白い「異界」に包まれた気がする。

自分は青年に気に入られているというはっきりした自信が芽生え、ある日、なぜそうなったのか覚えていないが、青年の気まぐれが決意か「遠くに行こう」と誘われて、自転車の後ろに乗せられた。自分から乗ったわけではなかった気がする。だから、ひょいと脇の下をつかまれて軽々と持ち上げられたんだろう。私はまだそんなにも小さく幼かった。
走っているうちに、まだ家の近所だったが、なぜだか無性に家から離れることがさびしくなって「帰る」と言い出した。最初は小声だった。青年は前を向いたまま、速度をゆるめずにいた。「帰る!」とさっきより大きな声で言う。青年はしばらくしてから「え?」と言う。「家に帰りたい。下ろして!」とまたさらに大きな声で言う。

「なんで?」
「どうしても」
「なんで?」
「下ろして」
「遠くへ行くんだよ」
「いやだ。下ろして」

私はなぜだか、今自分はさらわれているんだとはっきり自覚した。このままだと怖い目や痛い目に遭うんだとわかった。半泣きになりながら、でも、なけなしの勇気でもって青年の背中に「下ろして」と訴え続けた。
これ以上大きな声で騒がれたら、道行く人に怪しまれると思ったのだろう、青年の自転車は止まった。それから青年に下ろしてもらったのか、自分で無我夢中で下りたのか、家まで走って逃げたような気もするが、それこそ松浦氏のように先の記憶がないのである。

あのときもたしかに「異界」を見た。青年のジャンパーの背にちらちらと木漏れ日が当たっていたような覚えがあり、その陽差しを見上げたような覚えもあるが、あとから付け足した記憶かもしれない。なぜなら青年のジャンパーの色がはっきりとわからないから。
大人になってからの「異界」は小説(松浦氏の)ででも映画(デビッド・リンチの)ででもこちらから心を決めて味わい、浸りきることができる。その自由は何ものにも代え難い恍惚のひとときだ。でも、幼い頃のように、不意で強烈なざわめきと甘美な罪悪感はもうなくなってしまった。それを大人になった今どうしても得たいなら、余程のことをやって、死を覚悟しなきゃならないのかもしれない。
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by zuzumiya | 2010-09-27 07:38 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

「この晴れにふさわしい自分になろう」

朝、起きてカーテンを開けたら燦々の日差し。秋晴れの休日です。空は真っ青、太陽は白く輝いて、家々の屋根瓦も木々の葉っぱも一枚一枚が光に縁取られ、通りを行く車はみな洗車したてのように角をきらめかして走っていきます。空気はわずかにひんやりして、肌に触れる日差しは夏のそれとは違って、日向ぼっこのゆるやかさでちょうどよく暖めはじめてくれます。何処かですぴりすぴりと盛んに鳥が鳴いています。すべての木々も建物も太陽の光と温もりに包まれて、夜気の冷たい緊張を解きながら、そこに立ったまま、ゆっくりと静かに弛緩していく。街の目覚めような初々しい瞬間に立ち会っている気がします。「ああ、何もかもが始まっていくんだな」そんな気になって、美しい秋の日をいかようにも使っていいと差し出してくれた何かに感謝したくなりました。「この晴れにふさわしい自分になろう」そんな言葉がふっと浮かんで、身の内に元気が湧いてきました。

※秋晴れの休日、とても気持ちのいい朝です。この一日は新たに生まれた一日。何も引き ずってなんかいません。あなたは誰からも何からも強制されることなく自由に使えま  す。どう使いますか?
※太陽を味方につけて、主婦の私は家族のためにたくさん家のことをして動こうと思って います。やっぱり、晴れの日はいいです。
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by zuzumiya | 2010-09-26 09:19 | 日々のことづけ | Trackback | Comments(0)

子どもの本でゆるゆるになる

a0158124_0201271.jpg『おさるのまいにち』(いとうひろし作・絵)という童話がある。本の裏を見ると、小学一年生からとある。小学一年生がこの本の味わいをわかって読んでいるとしたら、そりゃ、ただ背が小さいだけで仙人かもしれないぜ、と思う。この本は息子や娘に与えるために買ったのではなく、私のために買った純然たる私の本だ。私の毎日はその頃、人の出入りが激しくて、心の中が踏み固められた土のようになっていた。だから本屋で『おさるのまいにち』を見つけたとき、「おお、血が通ってきた」と思ったものだった。

おさるは南の小さな島に住んでいる。森もあって、山もあって、川もあって、仲間と共に仲良く暮らしている。おさるのまいにちは、朝、おひさまがのぼると始まる。目を覚まし、おしっこをして、ごはんのバナナを食べる。それからみんな一列になって毛繕いをし、木登りをし、かえるなげをし、水浴びをし、夜になったら木の上で眠る。次の日もおんなじ。次の次の日もおんなじ。

この辺までで本の三分の一は読めているんだから、この本の時間の流れ方はすごい。普通なら物語上いろんな事がすでに起きてしまっている頃なのに、『おさるのまいにち』は平々凡々とした繰り返しだけでここまできてしまう。大人の私はその隙間だらけのすごさを知っているので、つい嬉しくなる。線画のおさるもなで肩で、ずんどうで、毛繕いをしている背中の辺りにほっこり日向の匂いのような生き物の体臭を感じて、見ているとゆらゆらしてくる。そう、すべてが心地よく穏やかで平和である。

で、そんなおさるのまいにちにも一年に一度だけみんなが浮き立つイベントがある。青い水平線に黒い小山がぷかぷかしだすと、うみがめのおじいさんだ。このうみがめのおじいさんは世界中を旅していて、旅の話をしに一年に一度だけ、おさるの島に立ち寄ってくれる。このうみがめのおじいさんときたら、おさるのおじいちゃんが子どもだった頃からおじいさんだったので、すこぶるお年寄りである。

そんなおそろしくスローなうみがめのおじいさんへのおさるたちの丁重な接し方がまたいじらしく、豊かなのである。特に別れ際、おじいさんがめの頭をおさるが撫でてやると、おじいさんがめがほほえみながら「うんうん」うなづいてじっと見つめるものだから、おさるが困って二、三歩後ずさりしてしまうところなんかは、子どもの頃に戻ったかのようだった。

子どもが「自分から与える」ときの、損得や駆け引きや見返りという雑念のないピュアな気持ちとはこういうまっ直ぐさでくる。受け取る側はとてつもなくしみじみしてしまうものなのだ。せっぱつまったな、という時はこの本を手にしてベランダに出る。いい陽気だし、このままござを敷いて寝ちまうか、という気になる。そういうゆるさをくれる本は、なかなかないと思う。

a0158124_0204330.jpg『どろんここぶた』(アーノルド・ローベル作)も私のための本だ。本屋で見つけたとき、嬉しくて子どものように足をばたばたさせてしまった。こういう本と巡り会えたとき、生きててよかったとさえ思う。

「こぶたは、おひゃくしょうさんのうちの、ぶたごやにすんでいました。こぶたは、たべるのがだいすき、うらにわをかけまわるのもだいすき、ねむることも、だいすき。でも、
なによりもなによりもすきなのは、やわらかーいどろんこのなかに、すわったまま、しずんでゆくことでした。」

こぶたが片足をどろんこの中に入れて「どっこいしょ」とずるずるどろんこの中に体の重みで沈んでいき、鼻の上まで埋まって気持ちよさそうに目を閉じている絵が描かれてある。実を言うと私は、三ページまでのこの文章とこの絵だけで、本を買うことを決めてしまった。その後のストーリーもきちんと読んではいるが、なんといってもこの「どろんこにすわったまま沈んでいく感覚」が震えるほど好き。「やってみたい!」と純粋に思う。

子どもが生まれて、お母さんになって、きっちりとした大人にならざるを得なくて、そういう自分に疲れるよなあとずいぶん思ってきた。子どもが食事をしたり、外遊びに連れ出せるようになった頃、忘れていた子どもの感覚、もっというと生き物の感覚というのが甦ってきたように思う。触覚である。

子どもに軟飯を出す。ぐちゃっと手で握りつぶす。指の間からにちゃっと潰れたごはんが出る。手を開いてねちょねちょの手のひらを見る。舐める。牛乳を出す。カップに手を入れる。そのまま倒してわざとこぼす。両手でワイパーのように牛乳を伸ばす。ぺちぺち叩く。手のひらを見る。牛乳が滴ってくる。舐める。

そういう食事風景を見ると、大人のお母さんの私は思わず「こらっ」となるけれど、たとえば、床に新聞紙を敷いて、食べさせる分は食べさせた後で、今日はやりたいようにやらせてみようとどっかり構えて眺めていると、必ず笑みがこぼれてくる。食べ物を粗末にして不謹慎かもしれないが、心の奥のどっかで、いいよなあ、気持ちよさそうだな、と思う。

もう少し大きくなった子どもと砂場へ行く。どこの砂場でも必ず男の子が水を持ってくる。水の入ったバケツに土を入れてどろんこにする。両手を入れる。手首あたりまで埋めて顔を上げ、ニターッと笑う。私も子どもと一緒にどろんこに手を埋める。生温かな泥水。立ち上ってくる泥の匂い。指先からゆっくり埋めていくと、手の甲に泥の温かいざらつきを感じて、胸がきゅうんとする。最後はたまらず、ほとんど反射的ににちゃっと泥を握りつぶしている。こういうとき、私も子どももやっぱりニターッと笑っているのである。小さい子どもと暮らすことは、触覚という忘れやすい感覚を生き生きと甦らせ、私たちはシンプルに感覚的な生き物なんだと思い出させてくれる。

子ども達が大きくなってしまった今、『どろんここぶた』のこの触覚に帰るたび、いつでももっと感覚的に生きようと思う。感覚的に生きるということは、単純に自分を信じることである。そして、こぶたのように自分の大好きな大切にしたいものを持っている幸福を羨ましく思うし、生きていれば私だってこの先まだまだそういうものに出会えるかもしれないと思うと、なんだかうきうきしてくるのである。
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by zuzumiya | 2010-09-26 00:21 | わたしのお気に入り | Trackback | Comments(0)

久世光彦『飲食男女』の世界2

a0158124_179294.jpg死んで欲しくなかった男の筆頭に久世光彦がいる。そして、これから死んで欲しくない男の筆頭に浅丘ルリ子の「魔性」を撮った鶴橋康夫がいる。
私のなかのデカダンの美は、この二人の昭和の演出家に育てられたと言っていい。
先日、夫に久世を読ませたら、「文章が好きだっていうけど、実は、久世の感覚とか感性が好きってことじゃないの」と指摘された。そしたら、ハッとして「そうか!」と目からウロコが落ちた気がした。
そうなのだ。私はたぶん、久世の文章のなかに映像を見て、彼の演出を見ているのだ。
そして、その演出を施された世界がもの凄く好きなのだ。

二階の女

 昭和五十年代のそのころは、いまのように手ごろなマンションというものがなく、女一人があまり大っぴらではなく棲むところと言えば、商店街の外れの通りから、露地風の細い道を入った奧の、モルタル二階建てのアパートと相場が決まっていた。その町も、都内なら駒込とか、高円寺とか、私鉄の沿線で言えば、奥沢や洗足池辺りが、いかにもそうした女の棲家には似合っていた。店屋はそう遠くないし、物価は都心に比べてかなり安い。だから、女はさほど不便を訴えない。一方、通う男にしてみれば、そうした町はさして特徴や風情がない代り、任意の町とでもいうのだろうか、容易に辺りの風景に紛れ込んでしまえる安心感があった。つまり、自分が架空の町の、虚構の人物になることができそうな気がするのだ。
 アパートの周辺は、ほとんどが静かな仕舞屋である。露地へ入る角が婦人科の個人病院で、その向いは貸し本屋、女のアパートまでの三十メートルばかりの道は、舗装がしてなくて、雨の午後には婦人科から出てきた赤い傘の若い女が、足元を縺れさせて、水溜まりで足を濡らしてた。-----これはこれで、忘れがたい風情だった。
 ぼくは二階にこだわった。細い露地を見通せる窓が、二階のその部屋にあることにもこだわった。それに-----商店街からあまり距離があってもいけない。ぼくは二階の窓から見送られたいのである。背中に女の視線を感じながら歩いて、程よいところで、程よい角度で振り返りたいのである。その気持ちを説明しろと言われると、ちょっと困る。
-----もちろん時間は夜である。たとえば、程々の雨が降ってる。傘のないぼくは、小走りにやってきて振り返る。女の窓の灯りが濃い藍色の夜に滲む中に、女の影が揺れて見えるのは、女が胸の前で小さく手を振っているからだろう。ぼくはほとんどこの数秒のために、二階の窓にこだわった。
 男と女の間の切なさや、情けなさは、そんなところにある。泣いたり、喚いたりしたことは、三年もすればお互い忘れてしまう。いつまで経っても、苦く、甘く憶えているのは、二階の窓を振り返ったとき、目に沁みた秋の雨滴の痛さだとか、女の白い顔の上で風に吹かれていた、洗濯したハンカチの水色だとか-----とるに足りないものばかりなのだ。
けれどそのころは、いま思い出すために、そうしていたわけではなかった。うまく言えないが、そうでもしなければ、今日が明日にうまく繋がらないように思っていたのだ。ぼくは四十そこそこで、疲れていた。誰かに激しく囁きつづけていないと、不安でならなかった。身勝手な話だが、そういう意味で、桜子は、いてくれなくてはいけない女だった。
                   (久世光彦著『飲食男女』より「二階の女」)

この「二階の女」は大好きな『飲食男女』という本に入ってる。エッセイの体裁をとりながらまったくのフィクションでもありそうな、あわいの世界をいつでも久世は上手にたゆたう。こういう昭和のデカダンや哀愁やエロスがたまらなく好きで、向田邦子シリーズや寺内貫太郎なんかの実際のテレビの久世ワールドよりも(放送コードがないだけに)ずいぶん影響を受けた。
もうアパートの立地条件の云々から、雨の日に婦人科から出てくる女の傘が赤いところ、傘のない男が小走りで途中振り返るところ、女の白い顔の上で風に吹かれていた洗濯したハンカチが水色のところなど、もう絶対そうでなければならなくて、このどのひとつも欠けてはならなくて、違っていてはならなくて、神は細部に宿るというが、このこだわりの重なりこそが久世ワールドなんだと言える。馬鹿みたいだが、これを読んで、女には絶対赤い傘が必要だと思って、赤い傘を買い求めたことがあった。

先日、『オリオン座への招待状』という映画をたまたまテレビでやっていたので見た。
監督も脚本家も忘れたが、そのなかになかなか粋な演出があって、印象に残った。

宇崎竜堂演じる映画館の無骨で朴直なおやっさんが、夕暮れ時の縁側で、くわえ煙草ですいっすいっと鰹節を削っている。

こういうシーンはストーリーとは直接関係ないから重要じゃないかといえば、そうじゃない。おやっさんの人間的なあったかみを出すために、夫婦の絆を出すために、台詞で言わせてはベタでクサくなりがちなところを姿だけでさりげなく見せているのである。
とかなんとか言うより、ひとえに沁みるいいシーンじゃないか。
話は逸れるが、このシーンで、うちのおばあちゃんが、やっぱり夕方、大工だったおじいちゃんの鉋を裏返して、毎日鰹節を削っていたことを思い出した。小さくなってもう削れなくなった3センチばかりの鏃のように尖った鰹節を祖母から貰って、しゃぶっていたことも同時に思い出した。
たしか作家の重松清が「人の記憶をいかに引き出すか、いかに刺激を与えるかも小説の力のひとつ」と言っていたが、文章でも映像でも優れたシーンはなるほど人の記憶にじんわり作用するものなんだな。

久世の文章でもオリオン座でも、こういういいシーンに巡り会うと、もの凄くうれしいのと同時にもの凄く落ちこむ。きっと私の分は、わかる、感じる止まりなんだと思う。
作品のいいところは身が震えるほどに強烈にわかっても、そういう作品を自分では生み出せない。私が映画「アマデウス」に惹かれるのは、あのなかのサリエリの哀しみがよくわかるからだ。「好きこそものの上手なれ」という言葉があるが、実際は「好きこそもののあはれなれ」なのだと思う。


※久世さんの『飲食男女』はほんとに大好きな本なので、つい世界観をわかってもらおうと何度も長く引用してしまいます。隅から隅まで凝りに凝った久世ワールドなんです。
最近、新聞で俳優の竹中直人さんが漱石の『行人』を久世さんと映画にする約束だったというコメントが載っていて、見たかったなあと思いました。私は久世さんに向田作品ばかりでなく、作家や詩人や画家の伝記物をもっと2時間枠のドラマにしてほしかったです。いつでもドラマや映画を見るたびに、久世さんだったらどう演るか、頭のどこかで考えています。鶴橋さんが生きていて下さっているので、まだうれしいですけど。
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by zuzumiya | 2010-09-25 17:09 | わたしのお気に入り | Trackback | Comments(0)

久世光彦『飲食男女』の世界1

a0158124_1714398.jpg自堕落でふしだらでわがままで、薄情で貪欲で浅はかな女が、たしかに私のなかにはいる。刹那的で盲目的で、破壊趣味で快楽主義な小さな獣。神様は私に白い肌と豊満な胸とくびれた腰を与えないで正解だった。そう、私は小さい頃から、ちょっとませていた。
それを思い出させてくれたのは、久世光彦の『飲食男女』のなかの「山茱萸(やまぐみ)の秋」を読んだときだ。

父の客のなかに、家族連れの客があって、9歳の「ぼく」はマコとミコという姉妹に出会う。マコはひとつ年上で10歳、ミコはひとつ年下の8歳。「ぼく」はふたりを動物に見立てる。姉のマコの方が大人の前ではおとなしく振る舞いはするが、目をキラキラと光らせたすばしっこい猫で、妹のミコの方はまだまだ母親の蔭に隠れてしまうような幼い兎。興味ははじめからマコの方にあった。
お茶の時間になる。姉妹の家は紅茶にブランデーをたらして飲むという。早速、「ぼく」の両親が試してみる。ピリッと舌を刺す大人の刺激と強い香りに「ぼく」は驚く。その姿をマコが笑って見届けている。
夏の雨降りの午後。子供部屋で子供たちはすることなく、動物図鑑や冒険小説を見てやり過ごしていた。手元の本をのぞき込むマコのブランデーの息と髪の香り、湿った雨の匂いに「ぼく」はくらくらとする。突然、マコが床にひっくり返り、白い片足をこれみよがしに上げる。一瞬、マコの大人びた黒いパンツが見える。
またある日の昼下がり。「ぼく」は母親から食べることを禁じられている庭の山茱萸の実をマコと一緒にこっそり食べている。食べながら、わけ知り顔のマコから大人の色恋の話を聞く。
「わからないかなあ—しちゃったのよ、男の人と」
「子供ね」
「パジャマのボタンが外されていて、あたしの裸の胸にポタポタと涙が降っているの」
「ぼく」の動悸は激しくなる。そのうち、マコはすばしっこい猫のように逃げ、別の山茱萸の群れに隠れた。
「何しているか、わかる?」
「—」
「オシッコよ」
「ぼく」を見て笑うマコの唇が山茱萸で赤い。

幼い頃、たしかに私にも覚えがある。
友達と遊んでいる最中に、友達と示し合わせて、薄暗い庭の茂みの蔭やブロック塀の隙間でよくかわりばんこにおしっこをした。
今思い出すのは、日陰の黒い湿った土の上に蟻んこが一匹歩いていて、その蟻んこを目がけて熱いおしっこをじょろじょろとひっかけて、蟻んこを仰向けに溺れさせたことだ。私の口は半開きで、「あ」となったまま、最後にはたしかよだれがひと筋、赤いスカートに垂れてしまっていた。
あの頃、なんであんなにも外でおしっこをしたのか、よくわからないが、たぶん遊びに夢中でトイレへ行くのも惜しいということより、子供心にもっと官能的な、いけないことへの秘密の愉悦があったのだろうと思う。外で、もしかしたら誰かに見られるかもしれない外で、パンツを下げて無防備なお尻を出し、土の上におしっこをしてしまうなんて、なんて伸びやかで強烈にエロティックな行いだろう。
たしかに人には見せることはは憚られても、土やその上を歩く蟻には自分のものを広げて見せている。私にはどこかで「惜しげもなく見せつけている」という大胆な支配欲があって、よだれを垂らすほど我を忘れて、ある種の艶めかしさに頭のなかがくらくらするほどだった。男の子がミミズという軟体生物におしっこをびしびしひっかけるというあれも、きっと同じ支配欲という陶然とした心持ちを感じているのだろう。だから、両方とも「いけないこと」なのだ。大人になってそのことのほんとうの意味がわかるのだけれど。
外での隠れたおしっこも、お医者さんごっこも、子供心に事の妖しさと危うさを私はなんとなくわかっていた。子供とはいえ、エロスにちゃんと感応し、大人の女の官能の芽をひそかに内に宿していたのだと思えてならない。

*久世光彦『飲食男女』文春文庫
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by zuzumiya | 2010-09-25 17:02 | わたしのお気に入り | Trackback | Comments(0)

秋の物寂しさは…

あれだけ猛暑の続いた夏も「暑さ寒さも彼岸まで」の通りに、さらりと冷たい秋風が吹いて、すとんと終わってしまいました。ベランダで風に吹かれて遠くを見ると、新宿のビル群の赤い灯りの点々がくっきりと見えて、空気が澄んでいることがわかります。この秋から冬の澄んだ空気の中で見るビルやマンションの小さな灯りは、何度見てもなぜか胸を締めつけてきます。このせつなさの源は何だろうと考えて、ひとえにより遠くが見えてしまうからだと気づきました。空も澄んで遥かに高くなり、風景がみな遠くまですっかり見えて、気持ちが此処ではなく彼方へ、もっと遠くの何処かへと吸い寄せられてしまうのでしょう。そして、そんな彼方には何かが私を待っているような、あるいはもう一人の自分がそこで生きているような、そんな気にもなるのです。今此処にない人生を遠くに見ている感じ。秋の物寂しさのすべては、澄んだ空気が見せてしまう手の届かない「遠く」。

※今年は夏のこっぴどい暑さとの落差のせいか、秋の夜の冷ややかさ、物寂しさがひとし おです。そんな年もあってもいいのかな。
※でも、秋の夜長には読書と音楽と映画(ふだんと変わらず?)の楽しみが待っていま  す。今年は新しい作り手のものに挑戦したいです。
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by zuzumiya | 2010-09-25 10:59 | 日々のことづけ | Trackback | Comments(0)

家族がいる人は強い?!

独身の友人がしきりに「家族がいる人は強い」という。
守るべきものがあるとか、守られてるとか、堂々と家族優先で排他的に振る舞えちゃうとことか、いろんな意味でそう言っているのはよくわかるんだけれど。
私にも家族があるから、こんな私でも「強い」ということになる。
ええ? そうなのかな? どこからそう思えるんだろう。不思議だな。

私の「○○してあげたい」という気持ちの発端は、やっぱり自分の家族との暮らしの中から生まれてきたものだと思う。
若い頃は自分が7で他人が3ぐらいの比重で生きてて、家族を持ってる今はいつの間にか自分が3の時だってあって、それでもいいやって生きてて。そういうことが許せるというか、あって逆にうれしいとか幸せな時もある。凄い転換なはずなのに。

自分ではない誰かのためにこんなにも動きたくなる自分、褒めてもらったり好かれたりするのはうれしいけど期待もしちゃうけど、それだけで動いていない自分、めんどくさい事もつまらない事も誰かにとって必要だというなら辛抱できる自分、若い頃や独身の頃には生まれてもなかなか根付かなかったそういういろんな自分がどうにか育って、しかも、そういう自分がへこたれなくなったというか、「そういうものだな」とか「そうしなきゃ進まないよね」というふうにシンプルに物事を受けとれて、足腰を鍛えるみたいに地道にせっせと自分をやってこれたことは、何より身近な家族のおかげだと思う。

自分自身ではなく、いちばん側にいた家族が、そういういろんな自分を引き出してくれたんだろうし、一緒に生きることで知らず知らずに日々鍛えてもくれたんだろう。ずっと一人でいたら、3になる喜びは知らなかったかもしれないし、自分を0にするぐらい難しいことと思い込んだままだったかもしれない。

自分ではない誰かのために何かをして、喜んでもらってそれで自分がうれしいなんて、究極の善性だと思う。こういう凄いことを宗教の教えとかじゃなく、「洗濯物出しときなさいよ」とか「歯磨き粉買っといたからね」ってのがぽんぽん飛び交う日々の普通の暮らしのなかで自然と意識もしないで互いにやってのけているところが家族の凄いところなんだろう。

それから、この家族の誰かが急に死んでいなくなってしまったら、がっくりきて、生きていくべき明日など見えなくなって、命があるから生きているはずなのに、その命すら死んだ誰かに会いに行くために捧げたくなる、ないがしろにしたくなる、そんな気持ちを心から作ってしまえるんだろうな、とも想像する。

そういう人間の持つ善さや凄さや深みが、普通の人にも、難しい本をいっぱい読まなくても、偉い学者先生の話を聞かなくても、学歴や特別な才能なんてなくても、家族とともにああだこうだ言って暮らすってだけで、時間はかかってもちゃんとぜんぶ気づいていけるように人生はできてるんだな、というのが喜ばしい。最終的にはどんなに長く生きても、この家族のなかで生きてきた歴史の中から得たエッセンスみたいなものだけを持って、死んでいくんだろうなあ、と思う。

そういうこと、つらつら考えてはみるけれど、家族がいてくれてよかったことにはなっても、それが自分の「強さ」につながっているのか、どうもよくわからん。
それよか「今日は薄ら寒いからおでんにでもしてやるか」って決めて、買い物行って、ビール買ってジュース買って、もうそれだけでにんまりできるのが、案外強さなんじゃないかと、ふと思ったりして。
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by zuzumiya | 2010-09-24 15:58 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

便利になると性格が変わる

最近、図書館の仕事で字を書くことがたびたびあります。そうすると、困ったことにびっくりするくらい自分の字が汚いのです。もちろん、字も忘れています。どうしてこんなに字が汚いのかと考えたら、おそらく、字を書くのが当たり前だった昔と比べて性格が「せっかち」になっているからだと思います。パソコンで言葉を入力すると一瞬で変換されて文字が出てきます。違った文字が出て来ても、キーをぽんぽんと押して行くだけですぐに正確な文字に出会えます。この一瞬変換の積み重ねが私を「せっかち」にしているのかもしれません。パソコン入力に慣れきってしまった今となっては、紙の上にせっせと画数のある字を、しかもバランスをとって書いていくのは根気が要り、億劫です。頭の中にはぽんぽんと字が出ているのに手がそのスピードに追いつかないから、急ぎすぎて汚くなるのでしょう。便利になって知らず知らず「せっかち」になっている。ちょっと怖いです。

※字を書く時は一度深呼吸して、急がずに丁寧に書こうと気を引き締めます。
※広告のコピーもずっとサインペンで書いてきたし、ヘタでも味のある自分独自の字を書 きたいと思ってきたはず。そう、作家の手書きの原稿の文字のような。
 井上ひさしさんの字はとてもいい感じで好きです。
※手帳を持って、字を書く習慣を忘れないようにするのもいいです。
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by zuzumiya | 2010-09-24 11:45 | 日々のことづけ | Trackback | Comments(0)

みっともないから、恥ずかしいから、止めればいいものをどうしても止められない。
癖というものは男の煙草のように止められない。40過ぎての爪を噛む癖、それから、本を読んでいるときの髪をいじくる癖。しないとどうにも落ち着かないのだから、どこかきっと心の深いところで、私自身がそれを強烈に乞うているのかもしれない。

夏休みの絵日記帳が残っているから、それは小学校1年のときだ。
私は母の家に泊まりにいっていた。あの頃、祖母は子守歌に「浜辺のうた」や「星影のワルツ」を歌って、私を寝かせつけてくれた。母は、若い頃歌手を目指してクラブで歌っていた人なのに子守歌を歌ってくれた記憶がない。あまりに早く私は祖母へ預けられたので、あったとしても憶えていないのだろう。かわりに憶えているのは、添い寝をしながら髪をやさしく触ってくれた思い出だ。
泊まりにいって、夜寝るたびに母は添い寝をして私の髪を指で梳いてくれた。風呂上がりの幼い子供の髪の毛はせせらぎに手を浸しているようで、母も気持ちがよかったのだろう。億劫がることもなく、額から毛先に向かって、すうっと、何度も、何度でもやさしく梳いてくれた。それがものすごく気持ちよくて、このまま眠ってしまうことがもったいなくて、重いまぶたを何度も懸命にあけては母に笑われた。たしか泊まっている間中、毎晩せがんで母にやってもらっていたと思う。

あの頃、母はスナックとディスコのふたつの店のママさんで、夜中働いていたはずだが、店はどうしていたのだろう。私が泊まりに来るから母も夏休みとして休んでいたのだろうか。いや、もしかしたら、あの頃は妹を妊娠したばかりで大事をとっていたのかもしれない。だとしたら、母は子育てをしたかったんだろう。
毎晩私の髪を触りながら、今度こそ母親になろうと、平凡な家族のささやかな幸せを作ろうとひそかに思っていたのかもしれない。いつのまにか静かな吐息をたてて眠った私を見つめて、母はきっと母親として満たされていたにちがいない。こういう幸せがあるってことを、普通にあるんだってことを、母はきっと思い出していたのだろう。不思議に今の私は、私を捨てた懺悔の気持ちで母が私を見つめていてくれなくてもいいと思っている。眠った私を見て「ごめんね」などと涙ぐんでいてくれなくていい。むしろ、この添い寝の思い出のなかの母は静かに微笑んでいてほしい。この親子のふたりともが、ただ永遠に満たされていてほしい。

絵日記帳にはあきらかに大人が描いた上手すぎる絵があって、その絵は母が芝生の庭に洗濯物を干してる絵で、たしかにそんなテレビのCMのような、明るくてまぶしくて幸せすぎる光景を私は見ていた気もする。
あのとき、私の母への怨み心はどこへ行っていたんだろう。祖母と母との板挟みで気を遣い、苦しんでいた幼心はどこへ行っていたんだろう。絵日記を見ると、母の娘として純粋に夏の日々を楽しんでいる私しか浮かんでこない。
幼い頃の母との思い出などつらいものしかないと今まで思ってきたが、考えてみればそうでもなく、この添い寝の思い出のなかにはただひたすらに幸福で美しい親子がいる。
あのとき以来、髪を触る心地よさを私は覚えてしまったのだろう。
たぶん、爪噛みも髪いじりも、無意識の領域にはいまだに母恋しの幼い私が棲んでいて、爪を噛み、髪をいじっては忘れまいとしている。
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by zuzumiya | 2010-09-23 13:28 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)


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