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ふだんの暮らしに息づいているたいせつなもの、見つめてみませんか?


by zuzumiya
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大人になるときちんと怒られることがなくなってきたように思えます。怒られるというのは、例えば仕事で失敗をしてそれを怒られるというよりも、もっと内面的な、自分の弱さや甘えの部分、図星の箇所をしっかり突かれてはっきり怒られるということが少なくなってきたように思えるのです。人間関係の希薄さ、面倒さなのでしょうか。そんなふうに思ったのは、人ではなくて本から「怒られた」と実感することが多いからです。暮しの手帖の初代編集長の花森安治の言葉に「美しいものは、いつの世でもお金やヒマとは関係ない」があります。それから有名な茨木のり子の詩の「自分の感受性くらい/自分で守れ/ばかものよ」もあります。この二つは私にとってはショックな言葉でした。でも、紙に書いて持っておいたり、本を側に置いたりして、弱気になったとき、迷ったとき、いつでも頭を垂れてガツンと怒られようと思っています。そういう言葉、あなたにはありますか。


※花森安治の言葉です。
「美しいものは、いつの世でもお金やヒマとは関係ない。みがかれた感覚と、毎日の暮しへのしっかりした眼と、そして絶えず努力する手だけが、一番美しいものをいつも仕上げる」…お金とヒマのせいにしてしまいがちでしょう?
※茨木のり子の詩『自分の感受性くらい』、金子光晴の詩『おっとせい』なんかもガツンときます。読んでみて下さい。音楽では「エレファントカシマシ」の歌でしょうか。
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by zuzumiya | 2010-04-30 00:56 | 日々のことづけ | Trackback | Comments(0)
水木しげる夫妻の「ゲゲゲの女房」のドラマを見ては、夫婦について考えています。水木さんの場合は見合い後五日で結婚でした。良さそうな人だと思っても、交際期間なしの結婚で見知らぬ土地ですから、奥様は「この人を理解しよう、愛そう」と日々努力していたのでしょう。そして、お二人はたくさんの苦労を乗り越え、現在も幸せに暮らしています。私たちは人を好きになることと努力というものは相反するものと捉えがちです。愛することに努力なんていらず、赤い糸のように自然に強く結びついているものと思っています。でも、見合い結婚が多かった時代、女性の多くはこの愛する覚悟一つで嫁いで行ったのです。そう考えると、努力は決して外側からの不自然な圧力ではなく、人間への絶対的な信頼感をベースに「こうなりたい」という望み、憧れの力なのだと思います。「今生はこの人を愛そう」と腹を決めて、幸せな二人を思い描いて努力邁進する。教えられます。


※「愛そうと決めて愛す」「笑おうと決めて笑う」心がけひとつで暮らしも人生も変わって行くことを忘れずにいましょう。
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by zuzumiya | 2010-04-27 23:01 | 日々のことづけ | Trackback | Comments(0)
最近は娘と二人で買い物に出かけることが多くなりました。洋服の趣味、本や音楽のこと、街を行く男の子の容姿の好き嫌いなど他愛もない会話をしながら、買い物したり、食事をしたりするのは楽しいものです。でも、二人の外出を振り返ってみていちばん楽しく思い出されるのは、夕暮れ時の小腹がすいた頃にやった食べ歩きです。ある時は、ひょっこり見つけた焼き鳥屋さんで好みの串を焼いてもらい、ある時は駄菓子屋で買った駄菓子を交換して、またある時は商店街の肉屋でコロッケを一つずつ買ってほおばって帰りました。まるで少ないお小遣いをやりくりしながら、部活の帰りに買い食いをしている中学生のようです。でも、不思議と娘がそばにいるからこそ、何だか昔に戻ったような、子供っぽい気ままなことがしてみたくなるのです。たまにはお店での食事ではなく、こんな買い食い、食べ歩きで、親子で同級生になったようなタイムトリップを楽しんではいかが?
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by zuzumiya | 2010-04-26 00:29 | 日々のことづけ | Trackback | Comments(0)
雨が降っても晴れても毎朝、かかさずやっていることがあります。それは、部屋の窓と玄関の扉を開いて一気に風を通すことです。掃除を終えてから、リビングの網戸も開けて、舞い上がっているであろう埃を風で一気に吹き飛ばすのと、部屋の空気を入れ替えるのが目的ですが、大事なことがあります。心の中で「ウェルカム!」と唱えて、風神様を正式な玄関から「どうぞ」と招き入れるつもりで、扉を押さえているのです。勝手な想像ですが、風神様が淀んだ空気を押しやって、今日一日分の新しい気や幸運を部屋に運んで来てくれると信じています。そうしながら、目の前の街道を行く車や電車、広がる家々の屋根、桜並木の遊歩道を走る人々をぼんやり見つめて、始まったばかりの朝の営みの風景から活力を得ています。部屋に溜まった淀んだ気を払い、新しい気を入れ込むために朝、玄関の扉をしばらく開けておきましょう。部屋はスッキリ、気持ちはシャキリとします。
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by zuzumiya | 2010-04-24 01:33 | 日々のことづけ | Trackback | Comments(0)
電車の中で前に座って読書をしている青年が鞄から素敵なものを取り出しました。文庫本サイズの無地のノートです。ノートには本物と同じ「しおり紐」が付いています。彼はそのしおり紐の先に手帳に挟むようなミニサイズのボールペンを結びつけていました。本を読んではそのペンですらすらメモを取っています。探してみるとノートは「無印良品」の製品で「文庫本ノート」といい、150円位で買えるようです。是非、真似したいアイデアだと思いました。手に馴染みやすく、ペン先の滑りもよく、いつまでも書いていたくなるような筆記具やノートを持っていることは幸せなことです。パソコンや携帯に頼りきりは字も忘れるし、汚くなります。高価なものである必要はありません。お気に入りの文房具を揃えておきましょう。私はごく普通の百円のサインペンと極太のボールペン、それから横罫よりも無地やブロックのノートがあれば、自由な気持ちで書くことを楽しめます。


※何でも浮かんだことがメモできるアイデア帳の「何でも帳」を持っておきましょう。自由気ままがいいので、ノートは無地がお薦めです。上記の「無印良品」の「文庫本ノート」は彼のようにしおり紐の先にペンをつけることもできるので便利です。
※たまには文房具売り場を覗きましょう。様々なノートやペンがあって、楽しくなります。書くことを生活のなかに取り戻しましょう。
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by zuzumiya | 2010-04-23 00:23 | 日々のことづけ | Trackback | Comments(0)

啄木の変換術

落ち込む時はたいてい、人と比べて自分の至らなさを情けなく思い、自己嫌悪になっています。人にあって自分にはないものばかりに気が行き、自分の価値がどんどん小さいものに思えてきます。そんな時、本当の幸せは自己肯定にこそあるのだなあと、しみじみ思います。啄木の歌に「友がみなわれよりえらく見ゆる日よ 花を買ひ来て 妻としたしむ」があります。啄木も己の情けない現状に胸が塞がれたのでしょうが、彼の素晴らしさは、内心では誰かにすがりつきたいような荒ぶりを抱えていても逃げずに、ささやかな花束を買って、この惨めな夜を妻の笑顔と引き換えたところにあります。情けない自分にそれでも慕ってついてくる妻への申し訳なさと憐れみの入り交じった感謝の気持ちが、小さな灯りとなって読者の心を照らします。落ち込んで悲しい時は、誰かにすがって悲しみの荷を負わせるのでなく、啄木のように誰かにやさしくあればいいのだと教えてくれるのです。

※「たいていの不安や喜びが皮膚の内側の自分ではなく、外側の世界に映っている幻影の自分から生じてくるのだということは、自然の前にポツンと立ってみると思い知らされる。われわれはいかに、あやふやな他人の頭の中に生甲斐を感じているか?」
 辻まことさんの「余白の告白」から。
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by zuzumiya | 2010-04-20 12:55 | 日々のことづけ | Trackback | Comments(0)
私が勤めていた頃の話です。改札を出ると突然の雨。私は折り畳み傘を広げて行きましたが、しばらく歩くと男物の傘を握りしめたエプロン姿の奥さんとすれ違いました。駅の側のコンビニに寄ればビニール傘がすぐ買えるのに、今どき奥さんを呼びつけるとはサザエさんの漫画のような古風な家だと思いましたが、何だか懐かしい気持ちになりました。
雨は意外にもすぐに止んで、奥さんがちょうど駅に着く頃には傘など用なしになってしまいました。それでも、あの夫婦はきっと苦笑しながら束の間の夫婦の散歩を楽しんでいるのだろうと想像して、心が温まりました。それ以来、一日家に籠って仕事を片付けていたという日には、夕方駅まで夫を迎えに行くことにしています。改札の混み合う人の流れの中に疲れた夫の顔を見つけると、家の玄関で言う以上に実感を伴って「お疲れさま」の言葉が出てきます。駅に待っている人がいる夫の方も嬉しいのか、照れているようです。
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by zuzumiya | 2010-04-19 18:59 | 日々のことづけ | Trackback | Comments(0)

哀しみの先にあるもの

テレビでバッハの「マタイ受難曲」を少し聞く機会がありました。人間には喜怒哀楽の感情があることがとても幸福に思えます。そして、中でも特に哀しみの感情が実は人間の人間たる情感を最も強く深く育んできたのではないかと思えました。哀しみをなければいいものとして忌み嫌うけれど、こういう美しい宗教音楽を聞くと、実は古の昔から哀しみこそ、最も人間が執着して手放さず、時には溺愛さえしてきた感情ではないかと思えるのです。叙情という言葉にはどこか拭いきれない切なさがあります。人間の生と死のように、出会いと別れのように、一方が光り輝くほどにもう一方の存在も強まってしまう切なさの中に生きて、無常ゆえに永遠を乞い願ってしまう。その悩ましさ痛ましさが宗教や芸術に託され、特に芸術には叙情の美を与えてきたのでしょう。哀しみをただ怖れてはいけない。哀しみこそ、何か美しいものを心に生み出す種になるような、そんな思いがします。

※いろんな芸術作品に触れましょう。音楽でも絵画でも美しさを支えているもののなかに憂いや苦悩、哀しみのような一抹の陰りがあって作品を深いものにしていることがわかります。喜怒哀楽、どの一つも要らない余計な感情などないのだと、人間らしい豊かさに立ち帰って、あたたかな気持ちになります。
※哀しみがたとえ負の感情であっても、負のままで何も生み出さずに終わることはないのだと信じましょう。
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by zuzumiya | 2010-04-18 16:14 | 日々のことづけ | Trackback | Comments(0)
電車の中で座っていたら、斜め前の女性が懸命に外に向かって手を振っています。人の視線も気にせず伸び上がって手を振り続けるので、思わず後ろを振り返ってしまうほどでした。ドラマでも、若い男女が電車の中とホームでやはり手を振り合うシーンを見ました。そういえば、最近誰かに手を振るということをしていません。いつから手を振らなくなったのかと考えて少し寂しくなりました。電車が発車する前から、そして相手の姿が見えなくなるまでずっと手を振り続けていたいような、別れるのが惜しくてたまらない、その事を伝えたくてたまらない、そういう濃密な人と時間のなかに自分は生きていないのかと思う寂しさでした。今日という日はもう戻らない、この瞬間のこの人も同じです。まさに一期一会の積み重ねの中にそれとは意識せずに日常を生きています。だからこそ、別れの際は別れを惜しんで、心惜しみなく手を振る。そういう単純さが時には輝いて見えます。


※朝、家族が出かけていく際も、時には玄関から一緒に出て「いってらっしゃい、頑張って」と手を振って送り出してみてはいかがでしょう。出かける方は背中に温かい眼ざしを感じてうれしいものです。
※笑顔と同じように、まずあなたから手を振りましょう。そして、手を振られたら、照れて会釈するのではなく、手を振り返してあげましょう。
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by zuzumiya | 2010-04-17 14:34 | 日々のことづけ | Trackback | Comments(0)
部屋着は何を着ていますか? 動きやすいジャージの上下やお腹とお尻をふんわりカバーしてくれるチュニックにレギンスでしょうか。そして、それはもしかしたらパジャマとも兼用だったりもしませんか? 先日、あんまり天気がよくて風が気持ちいいので、なんとなくシャツブラウスを着てみたくなりました。シンプルでオーソドックスな形の細いブルーのストライプのシャツです。他にギンガムチャックや小さい男物の白い無地のシャツを持っています。それにジーンズやチノパンを合わせて一日家で過ごしたら、背筋がしゃきっと伸びて、気分も溌剌としてきました。やはり、衿のあるものというのは適度な緊張感を生みます。家に居るときはのんびりとしていたいわ、というのもわかりますが、家と外の姿に差があり過ぎるのは、自分を演じて疲れているということ。家の気もどんより沈んでしまいそうです。休日でも衿のついたものをサラリときて、行動的に楽しみましょう。
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by zuzumiya | 2010-04-16 13:16 | 日々のことづけ | Trackback | Comments(0)