暮らしのまなざし

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家族の味覚を作っていることの覚悟と自負を持ちましょう

料理好きの祖母に育てられた私は、様々な手料理を食べて育ちました。毎日のお味噌汁も、運動会の巻き寿司も、ほどよくしんなりした白菜のお新香や沢庵も、大正生まれにしてはハイカラなスパゲティミートソースも、お萩も草餅もおせち料理の数々もみな美味しかったけれど、台所に立ってその一つ一つを教えてもらう前に祖母は70歳で逝ってしまいました。暢気に食べるだけ食べて、作り方は分からずじまいなので娘に教えてやることもできず、料理というものも死んであの世に持って行くものだと思い知りました。それでも、舌だけは繰り返し食べた祖母の味を覚えていて、売り物の巻き寿司を頂いてもどこか物足りなさが残ります。人の記憶がどんなに薄れても、育てられた味覚だけはゆるぎなくあり、人生の最後まで口にするものに美味しい、まずいの区別をはっきりとつけていくのです。味覚こそ大いなる財産と感謝しつつ、祖母の料理に追いつこうと励む毎日です。


※石垣りんさんの「儀式」という詩にあるとおり、母親は娘に包丁を持たせて料理の何たるかを教えなくてはならないのでしょう。この心がけでまな板の前に立っているかと母親である私は反省してしまいます。一読あれ。
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by zuzumiya | 2010-02-27 00:26 | 日々のことづけ | Trackback | Comments(0)

今日から「ストレスはない」と決めてしまいましょう

はっきりと病名がついたとたん、人はそれを受け入れ、落ち込んでより病人らしく振る舞ってしまいます。自己暗示にかかりやすいのが人間なのです。ストレスは私が子どもの頃にはない言葉でした。精神的な圧迫感、不快感にストレスと名がつけられてから、すべての病気や不調の原因としてストレスは認識され、蔓延してきました。しかし、悩みや不安や怒りなどストレスの素は、人がこの世に一人で生まれ一人で死んで行く絶対的な孤独と、それでも人を求めて一人では生きて行けない矛盾とを思えば、どうしようもないもの、生きているうちになくなるはずなどないものだと思えます。ストレスこそ生きている証拠たりえるもの、人生にあって当たり前のものです。当たり前なのだから騒ぐことなく、特別なストレスなどないのだと頭を切り替えましょう。これからは「ストレスはない」と決めてしまいましょう。自己暗示をかけるなら、良い方へ持続的にかけるのです。
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by zuzumiya | 2010-02-26 09:06 | 日々のことづけ | Trackback | Comments(0)

宮沢賢治 『よだかの星』

a0158124_028187.jpg44歳にして、『よだかの星』で宮沢賢治にやられてしまった。
いつだったか国語で『春と修羅』を習ったような気がするが、学校の授業というのはどうなのだろう、あのときはなぜか宮沢賢治を好きになれなかった。
でも、人生のなかで出会うべきものには遅かれ早かれきちんと出会い、向き合うことになるのだろう。この法則はほんとうに私を深く安心させる。
よくも考えず手放した宝石が巡り巡って私の手元に帰って来たかのような感動がある。
私にとって、賢治は思春期でなく、思秋期の今だったということだ。でも、なんだかそれでいいと思う。その方が賢治をずっとよくわかる、ずっとよく心で噛みしめることができると思っている。
しかし、44歳が日暮れ時に童話の一編を読んで、ほろほろ泣くのであるから、人生は面白い。生きてみなければわからない。

『よだかの星』
なんというか、せつなく悲しい話だった。
どうしようもなく、とことん孤独な話だった。
そして最後に、やはりこれは美しい話だと思った。

賢治の文章のそこここに、これでもか、これでもかというくらい徹底的によだかを孤独へ追いやる描写があって、むおむおと胸が押される。
よだかは醜い器量で、鳥のみんなに嫌われている。本当は「美しいかわせみや、鳥の中の宝石のようなはちすずめの兄さん」として同種の鳥なのに、

「はちすずめは花のみつをたべ、かわせみはお魚をたべ、よだかは羽虫をとってたべるのでした。」
と賢治は容赦なく書く。羽虫か…、と読んでいる私のこころはなおも俯いてしまう。
そして、鷹の言いようも酷い。

「たとえばおれは、青いそらをどこまでもとんでゆく。おまえは、くもってうすぐらい日か、夜でなくちゃ、出てこない。」

なにかもう、器量云々を超えて、すべてに嫌われ、見放された重苦しさが襲ってくる。
まるで、おまえは、間違ってこの世に生まれてきた、と言われたみたいに。
そこに追い打ちをかけるようによだかが飛んでゆく風景描写が書かれる。それは、単に夜になっていく描写なのだけれど、よだかが飛ぶと、不吉なこの世の地獄に見える。
そら恐ろしい夜を好んで飛ぶ鳥なんて、鳥じゃない、不吉そのものだと徹底的に鳥たちに嫌われる要素がここにもある。

「もう雲はねずみ色になり、むこうの山には山やけの火がまっ赤です。」
「よだかがおもいきってとぶときは、そらがまるで二つにきれたようにおもわれます。」
「雲はもうまっくろく、東の方だけ山やけの火が赤くうつって、おそろしいようです。よだかはむねがつかえたようにおもいながら、またそらへのぼりました。」

この「むねがつかえたように」なるよだかの気持ちは手に取るようだ。きっと鷹の言葉を何度も何度も反芻して、この暗い世界を飛んで生きるしかない自分は、疑いようもなく、寸分違わず、まったくその言葉通りの要らぬ存在なのだと思い詰めたにちがいない。

甲虫をよだかは二度飲み込むが、一度目に飲み込んだ時、なぜか背中がぞっとして、二度目にはのどにひっかかってばたばたする。その固い異物感、そして腑へ落ちて行った後の静かな時間。その哀しみ、虚しさがなんだか体感としてよくわかる。そして、ついに大声をあげて泣いてしまう。

「ああ、かぶとむしや、たくさんの羽虫が、まいばんぼくにころされる。そしてそのただ一つのぼくがこんどはたかにころされる。それがこんなにつらいのだ。ああ、つらい、つらい。ぼくはもう虫をたべないで飢えてしのう。」

醜いと蔑まれ、存在価値のないとなじられる自分自身でさえ、身一つ生かすためには幾匹もの虫をただ殺さねばならない。それなのに、鷹は無理難題を言いつけて面白半分に自分を殺そうとする。このどうしようもない力のからくり、生きるということのゆるぎなさ、救いのなさにつくづく嫌気がさしたのだろう。何ものをも、もうその存在を傷つけたくはない、そのたった一つの生を奪いたくはない、よだかはそう思ったにちがいない。

赤く燃えた山やけ(山火事)を登場させた賢治の感性は素晴らしい。
この赤はよだかの飛ぶ夜の空の不吉さを醸し出しているのと同時に、よだかの生きざるをえないこの世というものの酷さをも表し、よだかの芯にたぎる怒りでもあり、生命力でもあり、弟のかわせみの感じる悪い予感でもある。挿絵の赤が目に刺さる。

賢治の筆の厳しさはさらにこちらをへこませる。
よだかが死を決意して「やけてもいいからつれてってください」と星々に願い出ているのに、星々すら冷たい断り方をするのだ。
特に鷲の星は底意地の悪い人間のようだ。

「星になるには、それそうおうの身分でなくちゃいかん。またよほど金もいるのだ。」

しかし、よだかは諦めず、弱りながらも飛んで行く。諦めずとは悲しいかな、死を諦めず、なのだ。なぜなら、「わたしのようなみにくいからだでもやけるときには小さなひかりを出すでしょう。」とよだかは健気にも信じているから。

このよだかの死ぬために繰り返される努力たるや、すさまじい。
賢治も何十行にも渡ってここをしっかりと書き込んでいる。このよだかの飛翔の努力が行を追ううち、生きるための努力のように錯覚してきて、でもそうだった、死ぬための努力なのだった、とあらためて気がつくとき、胸は震え、よだかの叫び声の「キシキシキシキシキシッ」が鋭い錐のように胸に突き刺さってくる。
これほどの健全さで、生命力漲る強い飛翔の力を持っていて、しかも、醜いからだでも放つことのできる光を信じるような美しい魂を持つよだかが、今どうしても死のうとしていることへの理不尽さ、もはやこの世にはその死を誰も止められないことへの無力感、無情さに、本当に胸がえぐられるのだ。
賢治はよだかの飛翔で生命力を繰り返し書き込んで、こんなにも惜しい尊いひとつの命を生かすのではなく死なせてしまうことで、差別と偏見の恐ろしさを語った。

よだかの、光になるため死んでいく痛ましい努力と一途な想いに対して、どんな言葉がふさわしいかといえば、やはり「美しい」しかないだろう。
醜いと嫌われていたよだかが、きっとひそかにもっとも憧れていただろう言葉、
「美しい」を捧げたい。
死にゆく姿ではなく、死に臨んで最後に見せた生きて飛ぶ真摯な姿がどれほど眩しかったか、美しかったか、よだかに語ってやりたくなる。
地上の誰もが、そして、天上の星々すら誰もよだかを助けなかった。
よだかはひとりで飛んで、ひとりで逝って、ひとりで星になった。
よだかがその後どうなったのか、そして天上によだかの美しい星がきらめいてあることを、結局、地上の鳥たちは永遠に見ることはないという虚しさ。
あのよだかの持つ生命の本来の美しさを、生きてきた日常において、ひとひかりも輝かせることなく、誰もそこを見ようとも知ろうともせず、よだかが死に向かうことでしか、生命のありのままの美しさを発揮できなかったことが、厳しくもあり、しみじみと悲しい。
死ぬことでなく、生きることでこそ、あの凄まじい飛翔をさせたかった、と切に思う。
たとえ、星になって永遠の命として輝くのだ、という理屈があるにしても。

「そしてよだかの星はもえつづけました。いつまでもいつまでももえつづけました。
今でもまだもえています。」

この余韻に、心がしんとする。
人の心がときに暗闇に覆われるとき、
その奥の奥に、よだかの星がひとつ、きらめいてあってほしい。
そのひかりがたとえ、弱々しくも小さくとも、燃え続けてありますように。
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by zuzumiya | 2010-02-25 00:29 | わたしのお気に入り | Trackback | Comments(4)

台所で立てる音はやわらかに、まろやかにを心がけましょう

休日に体を壊して家事を夫に頼み寝ていたら、ふいに台所の音が気になりました。幸田文に「台所の音」という随筆があります。父露伴に教えられた、鍋釜や瀬戸物などの当りの穏やかさ、動き回るその気配の優しい気遣い。病気で寝て、客観的に台所の物音や気配を感じてみて、ようやくこれだったのかと思い知りました。食器への水当りの音、水切り籠へ置く時のかち合う音、棚に仕舞う皿の音、ガラス戸の開け閉め、極めつけはペットボトルを踏みつける音…。夫が怒りに任せて荒々しく家事をしているのではないか、あてつけではないかと思ったら、ふと心細くもなりました。同時に、台所に立つ私によく息子が後ろから「何、怒ってんの」と声をかけてきたことも思い出しました。露伴が父なら私の荒っぽさはもはや勘当もの。文さんは後に「台所」という随筆で女の心の業をこなす場所、教室だったと書き残しています。自分の立てる台所の音は心の波の音と解釈します。


※お皿の当たるカチャンという音は意外に響くものです。静かにていねいに置きましょう。こういうことの一つ一つが人のやさしさにつながるそうです。
※洗い物を楽しくするためにハミングを口ずさむのもいいものです。台所から流れてくるお母さんのハミング。聞いている家族も穏やかな気分になれそうです。
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by zuzumiya | 2010-02-23 07:31 | 日々のことづけ | Trackback | Comments(0)

自分専用の机を持っていますか

女性の皆さんへ。あなたはいつ頃、自分の机を持ちましたか。私は小学校へ上がったときに母に買ってもらったと思います。今も昔もおおよそ小学校入学に合わせて、子どもたちは自分専用の机を買ってもらうのではないでしょうか。そしてあなたはいつ、自分の机を失いましたか。結婚で実家にそのまま置いてきたというのがよくあるケースではないでしょうか。自分の机を持たずに、あなたはきっと食卓を机としてずっと暮らして来たのではないでしょうか。別段、不自由さも覚えずに。あなたが一人になって、自分と向き合える場所はどこでしょう。もはや化粧台の前だけでしょうか。それなら寂しいです。模様替えをして、もう一度、自分専用の机を持ちましょう。母親でも妻でもない自分自身と向き合うのなら、食卓のいつもの席ではなく自分専用の机の前です。毎日、一定時間、机の前に座って、食卓ではできないことを思うさまやるのです。さあ、あなたは何をしますか?
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by zuzumiya | 2010-02-22 12:20 | 日々のことづけ | Trackback | Comments(0)

大切な誰かとお茶にしませんか?

春からは一人暮らしで家を出る息子と、もうすぐ高校受験で家にいる娘と、二人を見守るしかない私と夫と。最近は家族のそれぞれが、別れを控えた旅立ちの春に向かって、残された家族の時間をより濃く持とうとしている感じがします。昔なら仕事や読書の合間に喉が渇いても、私も夫もセルフサービスのように自分でインスタントコーヒーを注いで戻っていましたが、今では「お茶にしようか」とひと声かけることで家族がリビングに集まってきます。インスタントコーヒーや紅茶のティーパックは一人でも楽しめますが、急須でいれる緑茶は一人では勿体ないので、家族が集まるいいきっかけになることを今更ながら思い出しました。緑茶など食事の後ですら飲まなかった息子が、揃って湯のみを手にする姿に彼なりの家族への想いが伝わってきます。家族の4人分の大小の湯のみが頬寄せ合って並ぶ中に春のようなさわやかな緑を注いでいく瞬間。うれしいような、切ないような。


※一人で飲めるインスタントコーヒーやティーパックはやめて、急須やティーポットで入れるお茶にして、大切な誰かをお茶に誘いましょう。
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by zuzumiya | 2010-02-21 10:25 | 日々のことづけ | Trackback | Comments(0)

エプロンのポケットには何が入っていますか?

以前に編集者の男性からこんな話を聞きました。奥様に今度出す本だから読んで感想をくれと頼んだのですが、厚い本でもないのに奥様がなかなか読み終わってくれません。彼が怒ると「小さな子どものいる主婦が仕事の合間を見つけて読むのは大変なのよ」とピシャリと言われ、その時初めて、本一冊まともに通しで読めない主婦の仕事の大変さがわかったというのです。小さい子どもや世話をしなければならない家族がいればなおさら、主婦の自分の時間は細切れになってしまいます。お金だけでなく、時間のやりくりにも知恵を絞らねばなりません。家電製品の助っ人の力を借りて、仕事の段取りを考えて、束の間の時間でも自分を磨くチャンスにしていきましょう。あなたのエプロンのポケットには何が入っていますか? 私は付箋とリップクリームと小さなメモセットが入っています。台所にはすぐ読み切れる章の短いエッセイや短編を、ベッドサイドに長編が置いてあります。
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by zuzumiya | 2010-02-20 10:42 | 日々のことづけ | Trackback | Comments(0)

ものの見方、発想の転換をしてくれるものをそばに置きましょう

まど・みちおさんの『いわずにおれない』を読んでいます。まどさんは谷川俊太郎さんに「望遠鏡と顕微鏡の目を持つ人」と言われています。その面白がり、不思議がりの徹底さ、自由さには驚かされます。見過ごしてしまいそうな葉っぱや蟻んこから遠く宇宙の果てにまで思いを馳せて「なんでだろう」と常に問い、我が身をわきまえ感謝できるその資質は、私に言わせたらもはや地球人を超えて「宇宙人」であり、「宇宙眼力の人」ではないかと思います。まどさんの詩やお話を読むと、まどさん的な宇宙眼力でものを感じられるので、気がついたり、感動したりすることが格段に多くなります。例えば、布団に潜り込んであったかいなあと嬉しくなる時、人間が裸で進化しないことは、人間に弱いとか恥ずかしいという慎み深さを残しておくためだと思えて納得します。小さな感動や発想の転換をしてくれる味方を少しでも多く持っておきましょう。生きることが楽しくなります。
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by zuzumiya | 2010-02-19 12:06 | 日々のことづけ | Trackback | Comments(0)

今いる大人に合わせて子どもを育てていませんか

不況で働き盛りのリストラや派遣切りが進むなか、大学生も就職できすにいます。幼い子どもを育てている母親たちもきっと不安になっていることでしょう。食べていくために子どもに資格や手に職を持たせようと思っている方も多いでしょう。中高生までもがとにかく数年後、就職していたいというのが今や夢になりつつあるのかもしれません。理想論だと笑われるかもしれませんが、もしかしたらこの不安と焦りのなかで忘れてしまっているのではないかと思うことがあります。子育てとは、今いる大人に合わせて受け入れてもらえるように子どもを育てていくことではないと思います。親の信じる「理想の大人」を目指して、子どもを育てていくことではなかったでしょうか。今いるこの歪んだ社会に合わせて、子どもの持っている良さを曲げたり、打ち消していくことではなかったはずです。親は常に「新しい大人」を作っていくんだという気構えを忘れてはいけないと思います。
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by zuzumiya | 2010-02-18 07:36 | 日々のことづけ | Trackback | Comments(0)

努力家とはどんなときも楽しむことができる遊び人だと思います

仕事で単純な入力作業をひたすら続けなくてはいけない時がありました。しばらくして、何とかしてこの退屈な作業が面白く楽しくならないだろうかと考えている自分に気づき、人間はやはり「ホモ・ルーデンス(遊ぶ種)」なのだと笑ってしまいました。脳というのは単純を嫌って、変化を好むようにできているらしく、自分で面白味を見つけて満足しようと創意工夫しだすのです。そもそも留まって滞ることを嫌う脳なのだから、人間はやはり「前向き」に生きられるように作られているのでしょう。楽しむことはラクとは違います。面倒だけど楽しいものもあります。ラクだけだとそのうち飽きてしまい、次を探すことで進歩も成長も促しているのです。どんなときにも楽しもうとする、そのためにあれやこれやと考え工夫することこそ、頑張るということです。真面目や努力家というのは、どんなときにも楽しもうと貪欲になれる、いちばん「遊ぶ」に近い人のことだと思います。


※新聞に本多静六氏の言葉が載っていました。「人生の最大幸福は家庭生活の円満と職業の道楽化にある」この「職業の道楽化」こそ、笑って目指していきたいものです。
※自分の一生の時間の多くを仕事をして暮らしているのです。「楽しくない」のは「楽しまない」から、かもしれません。変化を、少しずつでも、自分から働きかけましょう。
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by zuzumiya | 2010-02-17 10:06 | 日々のことづけ | Trackback | Comments(0)

ふだんの暮らしに息づいているたいせつなもの、見つめてみませんか?
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