暮らしのまなざし

カテゴリ:わたしみたいなあなたへ( 3 )




白粉花

今日は敬老の日。お昼の仕事はたまたまお休みだったのですが、ホームでは紅白幕がはられ、敬老行事が無事行われたことでしょう。昔、祖父が亡くなる前に、私も幼い娘を連れて、母と一緒にその敬老行事に参加したことがあります。そのときのエッセイを自分が読みたくなって、夫に言って昔のデータから引っ張り出してもらい、メールで送ってもらいました。「白粉花」といいます。へたくそですが、家族のことを書いたものは嫌いになれません。今でも夕方に白粉花が咲いてるのを見ると、あの時の祖父の姿と電車の中の自分を思い出します。そして、今はそんな自分がホームで働いているという縁を不思議に、でも微笑ましく、思うのです。今日もこれから夕食の仕事が控えています。頑張ってこようと思います。

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白粉花

敬老の日のお祝いに娘と母と一緒に祖父のいる老人ホームへ行った。
祖父は幾つかのホームを転々としたのち、母の住居にいちばん近いこのホームに落ち着くことができた。そして、今年米寿を迎えていた。
母によると、すでに午前中には市の敬老の日を祝う式典があり、祖父がホームを代表して市長からお祝いの色紙を頂いており、私たちの着いた午後からはまた別の式典があるという。普段と違って人の出入りも多く、職員たちのばたばたとした動きもあって、「おめでとう」の声が飛ぶこの日は祖父にとっても、他のお年寄りにとっても、特別にぎやかで心せわしい一日だろう。

これまで母は一人で祖父の面倒を見てきた。ほぼ毎日このホームに通っている。洗濯物を取り替えたり、カボチャの煮つぶしをタッパに入れて持ってきたり、甘いものが好きな祖父のためにお彼岸にはおはぎを、夏の盛りには水ようかんを買ってきて食べさせたりしてきた。今まで何度か喪服を吊す危機もあったが、祖父はなんとか奇跡的に持ちかえし、そのたびに母がこういった細かな世話を繰り返し続けてきた。
遠く離れて何もできない私は母に申し訳ないと思う反面、母が幼い私を祖父母に預けて育ててこなかったのだから、祖父への恩返しは当然だと思ってもいる。

そういう私であるから、母の苦労も頭ではわかっているつもりだが、実際母を目の前にすると、祖父の口にスプーンを入れるそのやり方が事務的でぞんざいだとか、派手な格好が若作りしていて恥ずかしいとか、心の中で難癖をつけてしまう。それはきっと、母が祖父の面倒を見ているといっても、所詮は老人ホームに預けているわけで、私の中では母が全部を引き受けてないような、上手に逃げているような気がするからだ。しかし、一方では車椅子とおむつの呆け老人を身内であるというだけで、素人が家で面倒を見るより、ヘルパーさんや看護婦さんがいて、救急病院と連携態勢のあるこういう施設できちんと世話してもらった方が、本人も家族も実は幸せなのだということもわかっている。

母の開き直りのような伸びやかさは「もうどうしようもない」と自らの限界をきっぱり認めた上の潔さであり、こういうかたちでも毎日面倒を見ているんだという純粋な自負の表れなのだろう。実際の世話も経済的な援助も何もしていないのに、母の格好ややり方の粗探しをしている私は、身内というより、その日一日限りの見舞客にすぎないのだと思った。ぞんざいだとか振る舞いが優しくないと見るのではなく、祖父と母との間には私が知らないうちに出来上がったやりとりのこなれた呼吸があると捉えるべきなのだろう。スプーンで掬って口に入れてやるのでさえ、おどおどする私の方がずっと美味しくない介助をしているのかもしれない。

実際、ホームではヘルパーさんたちがびっくりするほど大きな声で、はきはき話す。最初の頃はそれがつっけんどんできつく聞こえて嫌な気がしたが、ある時ふと、耳の遠いお年寄りに対しての心遣いであることに気づいた。手をかけすぎるのも足腰を弱めることになるので、口で励ましてなるべく自分たちでやらせて、その上で褒める。年寄りをいつの間にか病人と勘違いして、優しさの意味をはき違えてしまうことは多い。だが、そばにいて一緒にやっていく人なら、決してそんな間違えはしないのだ。私は情けないが、やはり何もわかっていない傍観者、部外者なのだと思った。

部屋に入ると祖父はワイシャツに赤いネクタイ、黒のベストを着て横になっていた。前日に母が家から持ってきたものだ。
「おじいちゃん、いい男になったねえ」と声をかけると目が輝いた。ヘルパーさんがすかさず私たちのところへ寄ってきて、「午前中の式典でおとうさん、いいこと言ってくださったのよ。『私はいろんな所を回ってきましたが、ここが一番いいです』って言ってくれて、みんなで嬉しいねえって」と笑って話してくれた。祖父も照れたような笑顔を見せた。

式典が始まる前、母が知り合いの女性に声をかけられた。その方は自分の母親らしき老婆の車椅子の傍らで、母に向かって「こんなの見たってわかりゃしないんだから」と軽口を叩いた。それから老婆に「私、だ~れだ」と自分の顔を指さしてみせた。
おそらくその母親は呆けてしまったのだろう、何も答えない。ちょっと見、びっくりするような不謹慎で意地悪な態度だが、ほんとうに意地が悪ければ今日のこの場に来ていないはずなのだ。そう思って見れば、情のある、微笑ましい悪たれ口である。ホームにはこういう“変化球の愛情”がいっぱいあって、ハッと驚くが、やがて笑顔になる。

会場には紅白幕がはられ、ざっと五六十人のお年寄りたちが車椅子に座って並んでいた。祖父の姿を探すと一番前で背筋を伸ばしてしゃっきりとしているので、まるで入学式で息子を見つけた時みたいに可笑しくなった。祖父以外はみんな小さな白髪頭をうなだれて式典に次ぐ式典での疲れを滲ませていた。
突然、母が私の耳元で「おしっこ臭くない?」と囁いた。私はさっきの親子の姿に胸の温まる思いでいたので、「そんなことぐらいで何よ」と叱った。しかし、時間が経つにつれ、アンモニア臭ははっきりときつくなった。母に叱ったものの、微かに鼻をヒクヒクさせてつきとめた老人の後ろ姿を私は式典の間中、じいっと見つめるはめになった。

お祝いの色紙贈呈の段になり、ホーム最年長の九十九歳の老婆が受け取り、マイクを向けられ、感想を求められた。「長生きして、申し訳ございません」か細い声で老婆はそう言うと頭を下げた。一同やんわりほころんだが、私はこの言葉に深く感じ入った。
医学の進歩と暮らしやすさで、こんなに長くは望んでいなかったのに、あの世から呼ばれることもなく生きてしまった。皆さんがよくしてくれるので、皆さんが言うように一日一日を生きていたら、ここまでになってしまった。他人様の手を借りて生かせていただき、ほんとうに申し訳なく、そして感謝の気持ちでいっぱいでございます。
こんなふうに私には響いた。

そんなに長く生きていると、朝、目が開くときにどんなふうに景色が見えるのか、そしてどんな思いで夜、目を閉じるのか。老婆の心情の深みを私など想像もつかないが、なにか自分の運命をじたばたせずにそのままに受け入れて、心静かにおさめている、そんな印象を受けた。きっとホームにいるほとんどのお年寄り達が同じ気持ちであろうし、そしてヘルパーさんも家族もみんな“天寿”というものを全うすることにただ寄り添っていくことで、心をおさめているのだと思う。

部屋に戻って祖父をベットに寝かせると、ほっとしたのか、式典が終わって私たちが帰るのがわかるのか、私の娘の名を呼んで「おじいちゃんの家が近けりゃなあ、いつでも遊びに来れるのによう」と涙ぐんだ。「おじいちゃんな、今度、女子大学をつくるんだ」いつもの呆けの突拍子のない話が始まった。
笑って話を合わせていると、それでもふいに祖父の話がどこから来たものか、何を思い出して喋っているのかがわかる瞬間がある。母でもない、娘でもない、長年一緒に暮らしたこの私にだけはわかるのだった。すると急にこちらの胸も懐かしさで湿ってきて、つい手を握り「おじいちゃんの作ってくれたプールも覚えているからね」などと突拍子のないことを潤んだ目で言い出してしまう。
わざわざ祖父の心を振るわせ涙を流させることもないのに、何でそんなことを言い出してしまうのか。でも、祖父との思い出話が私はなぜかやめられない。祖母が死んで住んでいた家もなくなり、その上祖父が死ぬのなら、私にはもう幼い頃のあの日々を分かち合える人が誰一人いなくなってしまう。それがあまりにせつないから、私は祖父が生きているうちはどんな話でもしておきたいと思うのだ。
正月に一緒に熱海に行くことを約束して部屋を出た。夫や子供の了承を取り付ける前にその場のノリで決めてしまったけれど、泣かせてしまった祖父に何か楽しみを残して去りたかった。

娘とふたり帰る電車の中で、何気なく娘の肩を引き寄せたら、髪の毛から、ふわりとあの式典の時のおしっこの匂いがした。自分も肩の辺りをそれとなく嗅いでみると、確かに匂う。隣の女性の妙な咳払いも、もしかしてと思うと、急に恥ずかしくなった。でもどうすることもできない。そのまま私は娘に身を寄せるようにして固まった。
しばらくして、自分の心の変わりようにはっとした。ホームでの式典の間はおしっこ臭さを訴えた母に「これくらい我慢しないでどうする」と内心憤っていたが、他人と一緒になる電車の中では、自分の身についた尿臭さを恥ずかしいと思って身を縮めているのである。祖父のおむつも替えたことがない私はこの匂いを甘んじて引き受けなければならないのに、恥ずかしいなんて、許されないことに思われた。

そしてまたこの匂いはなんと心痛むものだろう。老人ホームにはいつも独特な匂いが漂う。どこかすえたような匂い、温気のようなやわらかな匂い、はっきりとメニューのわからないおぼろげに漂う食事の匂い、消毒の匂いと負けずに立つ糞尿の匂い。それらが混ざりあった生暖かい空気に満ちている。
ホームの独特な匂いはしばらくいれば鼻には慣れるが、全身にからみついてしまう。身について染み込んだまま、今我が家へ帰ろうとしているその時になって、「祖父を置きざりにした」と言わんばかりにゆるゆると立って、私を揺さぶるのだ。誤魔化しようのない、振り払えないその匂いの中で私は痛む心をおさえて、ただ身を置くしかなかった。

暮れた道を娘と帰ると、線路の端に赤や黄色の白粉花がたくさん咲いていた。
「ちょっと待って」娘はそう言って種を取りはじめた。立ち止まってかがむと白粉花にいい匂いがした。白粉花はよく見かけるのに、こんなに匂い立つ花だとは知らなかった。老人ホームから帰った、へんに敏感な鼻だからこそ気づけた匂いだった。

娘の種取りに合わせて、漂う白粉花の匂いの中をゆっくりと歩いた。娘は片手に握れるだけの種を取って満足げに見せにきた。いつもは娘から貰った種をいつのまにやらどこかへ失くしてしまう私だが、なぜか今日は大事にしなくては、と思った。
「明日、いっしょに植えようか」
「うん」
私の家のベランダでも暮れ時に咲いて、きっといい匂いを漂わせてくれるのだろう。
そしてそんなとき、私は祖父と今日のこの日をきっと思い出すのだ。
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by zuzumiya | 2014-09-15 14:05 | わたしみたいなあなたへ | Trackback | Comments(0)

うちの息子もよろしく

わたしみたいなあなたへ 017
先日の卒業式の話をもうひとつ。6年生全員がステージ前にひな壇に並んで、卒業式らしい、別れと旅立ちと希望が混ざった美しい合唱曲を声高らかに歌いあげていました。わたしの斜め前の母親は三脚を立て、じぶんのこどもの歌っている姿を熱心にビデオに撮っています。いったい誰を撮っているのかとファインダーをのぞき込むと、アップになった彼女の息子の胸下には、ちゃっかりわたしの息子の顔が映っています。それを見つけて、ひとり噴き出しそうになりました。これから先、彼女とその息子たち家族は小学校の卒業式のビデオを見るたびに、必ずわたしの息子の顔も見ることになるのです。他人のビデオのなかに偶然映っていて、大切な思い出としていつまでも消されずに残っていく息子の顔。ときには母親が「この子もどうしているかしらねえ」と思うこともあるでしょうし、彼女の息子の方が「こいつ、たしか、学校であんなことしてたよな」なんてエピソードを思い出すかもしれません。いま、目の前にすまして座っている母親やその息子は、わたしが知らないところで知らないときに、ビデオを見ながら、ほんのちょっとでもわたしの息子について思いを巡らすひとたちなんだ、と思うとなんだか妙に親しみが湧いて可笑しいです。これも親ばかでしょうが、「うちの息子もよろしく」という気持ちで、母親の背中とファインダーの画面を見つめてしまいました。
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by zuzumiya | 2012-12-10 20:05 | わたしみたいなあなたへ | Trackback | Comments(0)

老いの語り方

たまにパソコンの中身の整理をするのですが、ついつい昔の文章を読んでしまいます。
2004年から始めていた以前のブログに「わたしみたいなあなたへ」という日常を書くミニエッセイのコーナーがありました。その中に懐かしい文章があったのでちょっとここで紹介したいと思います。今読んでも好きだなぁと思えるものです。当時私は毎朝、職場へバスで通っていて、バスで通うひとときがことのほかうれしかったようです。

【バスに乗り込むとすぐあちらこちらで乗客たちが財布を広げて小銭をちゃりちゃり数え出す、あの鈴の音のような朝の音。私は好きでした。運転手さんは毎朝この音を聞いているんだなと羨ましくなりました。
リュックに毛糸の帽子、軽いので重宝なフリースのジャンパー、少年のようなスニーカーを履いて、必ず4人のグループで乗ってくる小さくて陽気なおばあさんたち。彼女たちもかわいらしくて好きでした。バスには運転手と同じ正面むきではなく、電車のような横向きの座席が4人分ばかりあって、杖をつくような足の悪いお年寄りなどは、バスの階段をのぼるとすぐやれやれとそちらへ座ります。
まだまだ元気のいいおばあさんたちは遠慮してそこへは座りません。2人ずつに分かれて後方の2人席に陣取ってさっさとおしゃべりに精をだすか、2人は後方、もう2人は「よっこらしょ」と互いに言いながら、運転席の真後ろの両側にある一段高い席によじのぼるのです。たぶん見晴らしがいいのと、降車ドアに近いのがいいのでしょう。そして、1人がすかさずリュックのポケットから飴玉の入った袋を出して、通り越しにもう1人に向かって「飴、舐めなさいよ」なんて差し出すのです。片頬を飴でふくらませ、出発をいまかいまかと待っている2人の姿はまるで遠足にいく女の子のようで、かわいいやら可笑しいやら。ほのぼのとした空気がながれます。今度、バスに乗ったら試しに見てみてください。運転席の真後ろのあの席には不思議とお年寄りが座っていますから。ときどきは、例の横向き座席で、知らないお年寄りどうしが袖振り合うのも他生の縁と、おしゃべりを始めます。
隣り合った他人同士が笑顔でことばを交わすなんて、近頃は電車の座席ではほとんど見かけなくなりましたが、バスの中では座席数が少ないおかげでまだ残っているのです。聞くともなしに聞いていると、どこかを「痛めた」とか「よくは動かない」とか、だいたいはお互いの老いについての話です。だけれど、哀しさだとか侘しさだとかは不思議と伝わってきません。会ったばかりの知らぬどうしということもあるのでしょうが、老いを語るその口調が愚痴っぽくなく、「仕方ないですねえ」とほほえんでひざを撫でたりして、まるでいたずらっ子ではあるが憎めない孫を語るような甘やかさがあります。そして、降りぎわには互いに「おだいじに」「そちらさまもおだいじに」と丁寧に頭を下げ合います。そうなるともうバスの横向き座席はなんだか昔の縁側のようにぽかぽか、のんびりとしてきます。バスがお年寄りの社交場になっていることにうれしくなりました。私も40近くになって、自分の来し方行く末をぼんやりと考えることが多くなり、いまは若者とお年寄りの両方がバランスよく目に入るようになりました。自分の老後を考えるとバスで出会ったお年寄りたちのように、人にあたたかなものを残せるようなおばあさんになりたいなと思っています。】
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by zuzumiya | 2012-12-10 19:46 | わたしみたいなあなたへ | Trackback | Comments(3)

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