カテゴリ:日々のいろいろ( 651 )

ごあいさつ

考えてることはいろいろ日々、あるのですが、しばらく日常の仕事と俳句のお仕事とたまってしまった本の読書に時間をとりたいと思います。更新をしばらくお休みします。
[PR]
by zuzumiya | 2010-12-10 14:08 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(2)

ブログらしく近況8

夫と昼にラーメンをすすりながら、テレビのリモコンをカチカチしてたら、たまたまNHKの囲碁番組にぶつかった。
画面いっぱいに囲碁盤が出て、黒と白の碁石が、真ん中より右あたりをまあるく開けてぐるりと密集していた。
画面の右上と左下とには対戦中のふたりの棋士の姿が映し出されている。
私たち夫婦は囲碁をまったく知らない。
囲碁に詳しい人が見たらすぐに今どちらが優勢なのか、もしかしたら、もうそろそろ終わりが近いな、とまでわかるものかもしれない。
でも、私たちはまるきしそれがわからない。
普通ならここでつまらないからチャンネルをすぐに変えてしまうところだが、なぜか、このふたりの表情や仕草からどちらが今勝っているのかを当ててみよう、ということになった。他に面白そうな番組がなかったせいでもある。

しばらく見ていると、右上の人がやたらに落ち着きがないのがわかった。
体をひっきりなしに前後にゆすぶって、ぴちぴちとけいれんのようにものすごい速さでまばたきしている。
「あれはものすごいストレスなんだろね」
「そうだね。ありゃ、チックじゃないかね」
かたや、左下の人はじいっとうつむいて微動だにしない。
わけのわからない、ほんとに重箱の隅とでも言いたくなるような隅っこに碁石が一つ置かれた。(どちらがどの色の碁石かは忘れてしまったが、あんまり関係ない)
すると、左上の人がいちだんと大きく体を動かし、目を激しくしばたかせ、今度は気合いを入れたのか、頭を一回ぶるっと振った。
その間、しごく冷静な、冷酷とも言えるような機械的な声で、秒数のカウントがなされていく。
「あれは、たまらないね」
「数学のテストしてるその横であんなカウントされたら、死にたくなるね」
「死にたくなるね」
ようやく碁石を置き、ほっとしたのか、右上の人はくるりと後ろを振り返ってお茶を一口飲んだ。一瞬、笑った。
今度は左下の危機だろうに、左下の人は表情も変えず微動だにしないままだから、なんとも面白くない。
容赦ないカウントに気を揉むが、右上の人が自分の番でもないのに、せわしなく体を前後に揺らすたび、画面の碁盤の上からちらちらと禿げ頭が見え隠れするので可笑しい。
どうやら制限時間が近づいてくると、容れ物のなかの碁石をじゃらじゃらやりたくなるようで、左下の寡黙な人がじゃらじゃらしてからひと粒握り、またわけのわからない、効果のうかがいしれないところに、ぽつんと置いた。
すると、どうしたことか、右上の人があわあわと尋常じゃない慌てっぷりをみせた。
右手を口元に持って行き、口を開くと、爪を噛みたそうに白い歯をイーッとみせた。
いい大人なんだから、爪を噛むのはなあと思っていると、本人もそれに気づいたのか、手を引っ込めた。
「今さ、爪噛もうとしてたよ。爪、噛むなんて、尋常じゃないよね」
「そうだな。かなり苦戦してるのかもな」
「あの人、爪噛む人だったんだね…」
(私はいい年をして爪を噛む)

そのうち、ラーメンを食べ終えてしまった。
スープもほとんど飲んでしまい、満腹になると、急にどうでもよくなってきた。

「もういいか?」
「もういいよ」

ぷつんと、テレビは切られた。
結局、どちらが勝っているのかわからずじまいだったが、別にいい。
久しぶりに「ヒマつぶし」というものをした気がした。
[PR]
by zuzumiya | 2010-12-08 17:18 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

ブログらしく近況7

先日、NHKのテレビを見ていて、素敵な言葉に巡り会った。
「想像してごらん。今このままが幸せだって」
これはNHKアーカイブス『ジョン・レノンの世界』から、ひとりの少女が発した言葉。
「現実のなかで夢をみること」
『心の糸』というドラマのなかで、聾唖者の女性が手話で発した台詞。
どちらも心に残った。いい言葉だ。

***************

夜の公園での夫婦のジョギングは今も続いている。
地面はもう落ち葉でこんもりとして、ガサガサ蹴散らし走っていく。
走っているときは前方1、2mの地面しか見ていないので、外灯の薄暗いのなかで見る地面はまるで森のなかの道のようで、ドイツの深い森を彷徨っている気分になる。
グレーテルや赤ずきんの心細さがちょっとわかる気がするな、と思う。
落葉樹の植わっていないところへ出ると、落ち葉のないレンガ模様のいつもの道が続く。
ガラスの粉でも混じっているのか、外灯から外灯までの暗い道はちらちら光の粒が光って、まるで足元にも星空が広がっているような気分になる。
落ち葉の道も星空の道も大好きだ。
こうやって、夜にジョギングにわざわざ出てこなけば味わうことができなかった。

***************

夕方、窓の外がいちだんと明るくなったような気がして近づいてみると、前の高校の木々の紅葉、黄葉に夕日がいちめんに差している。
紅い葉っぱは燃えるようにさらに紅く、黄色い葉っぱは鮮やかに光輝いている。
なんとよくできた世界だろうか、と感嘆する。
ものの10分もないほんのひとときだったが、最高だった。
紅葉は夕日のなかの方がいいのかもしれない。

***************

久しぶりに俳句の仕事。
17文字に凝縮された想い。あらためていいなあと思う。

***************

読書は、細谷亮太さんのエッセイをいくつか。
写真集「光の音」中村ハルコさん、がいい感じ。
[PR]
by zuzumiya | 2010-11-29 17:06 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

ブログらしく近況7

ちょっと悩み事があって、友人に会いに出かけていたとき、
帰り際に娘からメールが入った。
「今、外にいるからたまには一緒に帰らない?」
突然のことで、娘をずいぶんと駅のホームで待たせることになったが、
無事、会う事ができた。
「それで、どうだった?」
「うん、思い切って会ってよかった」
「そうか…。ママ、よかったね」
この「よかったね」の言葉を聞いたとき、ものすごくうれしくなった。思わず、
「お前ってやっぱり、いいやつだよなあ」
と口走っていた。
人の幸福に対して、開口一番、「よかったね」と笑って喜べること。
娘のことを、がんとして信じられるのはこういうところなんだ。
突拍子もない恰好をして、まぁ自由奔放にやっていて、父親に心配させまくっているけれど、どこかで私は娘をものすごく信用している。評価している。
この子はいいやつだよ、と胸を張って言える。
損をすることはあっても、自分を多少犠牲にすることはあっても、
人の気持ちのわかる、優しい子に育った。
娘にはそういうエピソードがたくさんある。
体の芯からむくむくと押し上げてくるようなこの確信。
これこそが絆なんだなあ、と思える。
これを感じられたら、たとえ周りがどう見ようと、
子育ては成功なんだと思える。

***********

世の中の暗いものをぜんぶ引き寄せてしまっているのでは、と思えるような日、ひょっこり友人からメールが来る。捨てる神あれば拾う神あり。これはほんとうだと思う。
きっと一日のなかでも、悪い事があればいい事だって起きてるんだと思うよ。
悪い事の方がショックだからより憶えているだけなんだよ。
よくよく思い出して探してみてごらんよ。誰かにやさしくされてるもんだ。
見つかったら、しっかり感謝すればいいんだよ。
私は今夜お風呂で、目を瞑ってアリガトウとつぶやいた。

***********

夏でもないのに、「くらげ」の写真集に癒された。七色に光る宇宙船みたいなくらげがいるんだよ。すごいよね。
それから最近は「鉱物」に興味を持ち出してる。ブラックライトで光るんだって、ブルーやピンクや黄色に。なんだか、石のなかに宇宙が見えるみたい。
図書館で何冊か本を借りてみた。面白かったらここでも紹介する。
それから人形にも興味が。鴨居羊子やハンス・ベルメール、四谷シモンの人形。
それからシュルレアリストの画家にも。リヒャルト・エルツェとかよさげ。
イラストはニコラ・ド・クレシーの『天空のビバンドム』とか。うーむ、金ない。
最後はジオラマ。『昭和ヂオラマ館ー山本高樹作品集』を図書館で借りよう。小さな人形の永井荷風が東京の街を歩いているのだ。たしか青梅に行ったときだったかな、ヂオラマ館に入って見たかも…。
[PR]
by zuzumiya | 2010-11-26 23:59 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

アイロンの絆

たいていは、日曜の夜10時すぎになってはっと気づくのである。
子ども達にせがまれて『世界の民話』の中から短いお話を二つ読み、背中をとんとんしてこちらもウトウトしかけたその時「あっ」と思い出す。アイロンがけを忘れていたのだ。明日学校へ持っていく給食の白衣のアイロンをまだかけていない。私はあわてて立ち上がる。

息子が小学校へ上がって、初めて給食当番の白衣をランドセルの横にぶら下げて持ち帰ってきた時は、嬉しいような、懐かしいような温かい気持ちになった。洗濯をするため、袋から白衣の上っ張りと中国の人民帽のような白帽子を取り出すと、かすかにカレーとあげパンの混ざったような懐かしい匂いがした。その白い小さな上っ張りに初めてアイロンをかけたとき、あの甘えん坊で、家では牛乳だって自分で注がない子が、お玉を握りしめてみんなのお椀に均等になるように、こぼさないように真剣になって注いでいる姿が見えて、鼻の先がつーんとした。きちんとやれたのだろうか。アイロンをかけながら、ちょっぴり心配したことを覚えている。

小学校の給食当番といえば、いつだったか私にも失敗があった。
給食当番は白衣を着てマスクをするので、それだけでみんなとは違った特別な気分で、ちょっぴりわくわくしてしまう。衛生のためとはいえ、女の子は前髪を帽子の中に全部入れておでこを見せるのが恥ずかしく、向き合ってお互いの前髪を数本垂らして、上手くごまかせたか調べっこをした。何を担当するか仲間うちで相談し準備が整うと、待ってましたとばかりに食欲旺盛な男子からだだだっと並んで、アルマイトのお盆に先の割れたスプーンを握りしめ、サラダの小皿を受け取り、おかずの椀を受け取り、コッペパンを受け取り、デザートのバナナを受け取っていく。

白衣を着てマスクをし、おでこを晒しているせいか、相対すると照れくさい。照れくさいところへもってきて男子が「サービスしろよな」と調子よく声をかけてくるので、ついその手に乗ってしまって最初からたっぷりと豚汁をお椀に注いでしまう。あとで足らなくなり、友達とふたり青い顔をしてぺこぺこ頭を下げてはみんなのお椀から少しずつ掬って返してもらったりした。両隣のクラスにも私のような間抜けがいて「すいません。豚汁余ってませんか」とからっぽの寸胴鍋をぶら下げて、か細い声をかけてくることもあった。

給食準備の廊下はせわしい。担任の先生が手を貸してくれることもあったが、大きな汁物の寸胴鍋は子ども二人で持っても重く、うまく息が合わないと汁がこぼれて廊下を汚したりした。調子づきの男子チームが浮かれておかずを廊下に全部ひっこぼしたことがあり、こっぴどく担任に怒られたこともあった。その後、我がクラスのおかずはどうなったか。給食室や職員室や学年中の教室を担任の先生と頭を下げて、巡り歩いて寄せ集めたのだろう、食べられなかった記憶はない。

もう一つの失敗もやはり小学生の頃だった。友達と学校帰り、ふざけて給食袋を手にぶらぶらと振って歩いていたら、何かの弾みで手からすっぽ抜けて、近くのラーメン屋のトタン屋根にひょいと乗っかってしまった。これにはびっくりして「どうしよう」と顔を見合わせた。ところが、友達の困った顔とトタン屋根にくったりと乗っている給食袋を交互に見ていたら「よくもまあ、あんなところに乗ったもんだ」と可笑しくなってきて、思わずふたりで吹き出してしまった。

しばらく笑った後「これはまずいことになった」と事の重大さに気づき、真面目に相談して、今度は今にも死んでしまいそうな心細い顔をしてみせ、店主に屋根の上の給食袋を取ってくれるよう頼んだ。ラーメン屋の店主はすぐさま何処からかはしごを持ってきて、給食袋を取ってくれた。可笑しなことに、今でも真っ白な給食袋が青空をバックにスローモーションで宙を飛んでいく映像が目に浮かぶ。トタン屋根は赤かった。

アイロンをかけながら、いつも不思議に思うことがある。
どんなに洗濯をしても前の人がつけたアイロンの折り目の筋が消えていないのはどうしてだろう。それぞれの子どもの母親が前の母親のつけた折り目に、忠実にアイロンを当てているからだろう。何度も何度も繰り返されたアイロンがけ。どなたか知らないが、最初にきちんと折り目を作ってくれたから、サラリーマンでない、ワイシャツを着ない夫を持つ妻の私でも簡単に仕上げることができるのだ。

申し訳ないが、PTAなど人前に出る活動には臆してしまって、子どものためにと言われても役員になるのを避けてきた。
それでも夜なか、子どもらの寝息を聞きながら、クラスの母親たちが繰り返し繰り返しつけてきた折り目に沿って、ゆっくりアイロンを当てていると、子を愛おしむ母親どうしの無言の絆のようなものが感じられて、なんだか心温かくなるのである。
[PR]
by zuzumiya | 2010-11-25 20:48 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

きっかけ

今朝、なんとなく思ったんだけれど、以前にここで書いた「バトンを渡す」とか、コメント欄の「与える、受けとるの妙」の時にもうすうす感じていたけれど、もしかしたら表現するっていうのは、メッセージの持っている世界の8割方ぐらいまでのもので、残りの2割でもって受け手は自分で考えて自分で何か答えを見つけるために歩き出せるものなのかもしれない。うまくは言えないが、どこか言葉の宿命のようなものも感じるし、やれることはどれだけきっかけになるものを与えられるか、そこをスタートとして始まらせることができるか、それこそが大事なのかもしれないな。謙虚に心しておかなければならないことなんだろうな。
[PR]
by zuzumiya | 2010-11-23 09:26 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(5)

ほんとうに、ありがとう。

今日はとてもいい日だった。
捨てる神あれば拾う神ありで、ちっぽけな私に手を差し伸べて、勇気づけてくれる人たちもいた。
それはそれはもう言葉に言い尽くせないぐらい、ほんとうの感謝で、手を握りしめて思わず涙した。あの手の温もり。うんうんと頷いてくれたあの瞳のやさしさ。
あのやさしさに私はこれから何か返せるだろうか。
「ありがとう。ほんとにうれしい」とただただ心を込めて言うことしか、できなかった。
私の前に降り立った女神のような二人。
神様、ありがとう。今日という日を与えてくれてありがとう。
私のいのち、生きながらえて今日を迎えたこのいのち、ありがとう。
そして私たちを今日巡り会わせてくれた君、大切な君に届けたい。
「心配していたけど、大丈夫だったよ。信じてよかった。ありがとう」
生きてみなくっちゃ、わからないんだね。
どんなことがあっても、今日のような一日がくることを、希望を、これからも信じていかなくっちゃいけない。すべてをだめと決めつけちゃいけない。もう一日、もう一時間、生きてみなくちゃわからないんだ。悪い事も起こるかもしれないけれど、素晴らしいいい事だって起こるかもしれない。生きてみなくちゃ、信じてみなくっちゃ、わからない。
人は人を苦しめることもしてしまうが、助けることもできる。
文章を書いていてよかった。
文章を書いていなければ出逢えなかった幸福だった。
心を込めてまた書こう。
何かが届けられるように、あのやさしさを受けとった私が私のなかだけで留めずに、
今度は誰かに手渡せるように、書くんだ。
言葉は武器ではない。武器にしたくない。
それを信じていてよかった。
今日はとても、とても、いい日だった。この日を忘れない。

ほんとうに、ありがとう。
[PR]
by zuzumiya | 2010-11-22 23:40 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

手紙

芸術家の心の闇は作品として昇華されるのに、そうではない信奉者がそこを考えもせず、心に巣喰う闇を自分なりの解釈の仕方で肯定、全開してしまうのはとても危険なことのように思える。
「悪魔のささやき」は誰の耳にも聞こえるだろうが、問題はそこから先だ。
[PR]
by zuzumiya | 2010-11-22 13:18 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(2)

夜の音

冬がいい。冬じゃなきゃだめかもしれない、と思うほどだ。
夜の音の話である。空気の澄んだ冬の夜に一段とよく聞こえる、漠然とした夜の音のことである。私はときどき、夜更けのベランダに立つ。と書くとまるで幽霊のようだが、単に昼も夜もベランダにいるのが好きなだけだ。昼はベランダからよその庭の花を見たり、布団を叩いてはぼけーっと雲を眺めたりしているのだが、夜は断然、夜の音を聴きに出ている。そのついでに月が出ていればうっとりと月を見て、星が出ていれば「おお、こんなに」と感動する。

土曜日の夜、子どもを寝かしつけてから、夫とちょっと無理をして遅くまでかかって借りてきた映画をみる。丑三つ時と言われる時間にようやく見終わって、夫が洗面などをしている間に、ふらりとカーディガンを羽織ってベランダに出る。
夜の音がする。目の前の視界全部からごーっとわきあがってくる音がある。耳をすますと同時に息も止めてしまい、血流に乗ってぐわんぐわんと響いてくる。この夜の、闇全体から地響きのように一様ににじみ出てくる音。たしかに存在する音。何にたとえたらいいだろう。そう、夏場に辺り一面じいいと虫が鳴いている、そんな曖昧で茫洋な響き方に似ている。単調すぎて気がつかないような存在音。

夜の音が大地から空高く宇宙まで放たれていくような、そんな心持ちになって見上げると影を含んだ神秘的な雲が遥か彼方へ吸い寄せられるように一様に先を向けて並んでいた。何となくあの遠い彼方から音が湧き出ているのではないかと想像して、少し前のめりになる。時折、遠くでぶおおおんとバイクが走り去る音がする。バイクが行ってしまえば、あとはただ、ごーっと夜が音をたてて存在しているだけだ。

最初に夜の音に気がついたのは、中学の頃だった。夜遅くまで受験勉強をしていて、気分転換にベッドの上の窓を開けた。すると、しんとした冬の冷気と一緒にごーっという音が流れてきた。じっと耳を澄ませた。静寂という音を聞いていた。この夜の夜中に一人で起きていること、そして夜を見つめていること、問題集が予定通り進んでいること、すべてに満足していた。一人ぼっちが案外気持ちいいものと感じたのは、あの時が初めてだったと思う。だからなのか、どこか夜の音には懐かしさが混じる。聴いているとあの頃と同じ夜の懐に抱かれているような、でもそれは遥か原始の昔から人を包んできたもののような、そんな不思議な安心感がある。実のところは、遠くを走る車の音、街全体から発せられるすべての人造音なのだろうとわかっていても、私には夜そのものの気配、夜の存在音なのだ。

夫がびっくりして「どうしたの。寒くないの?」と顔を出す。「夜の音を聞いているの。夜の音って昔から好きなんだ」夫ははてなという顔をして、じっと耳をすます。はてなという顔のまま「寝るよ」とひとこと言って首を引っ込める。夫に「寝るよ」と言われると、とたんに寒さが強烈に身に染みてきて、もう一時も立ってはいられないという気になる。一人ぼっちもいいものだと思ったあの頃は、今よりずっと一人だった。部屋に戻ると夫が子どもの布団をかけ直していた。

※毎年冬になると空気が澄んでくるので、音までもがよく聞こえてきます。清少納言流に 言えば、私は「冬は夜の音」だと思っています。うんと初期のHPに載せていた文章で すが、今でもお風呂上がりにバスタオルを干しながら、夜の音に耳を傾けています。
[PR]
by zuzumiya | 2010-11-17 19:37 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

佐藤雅彦さんの「0655」と「2355」

仕事の同僚に教えてもらって、つい先日知ったのだけれど、NHKの教育テレビの「0655」と「2355」という5分間の映像番組。あれ、面白いですねえ。
「0655」は朝の6時55分に「2355」は夜の23時55分に始まります。
民放にもありますよね、番組と番組の間の隙間番組。日テレの「音のソノリティ〜世界でたった一つの音〜」なんか、日本の自然の風景を音を切り口に撮ってきて、とてもいい番組です。5分とか短い時間でも面白いことってできるんですね。
教えてもらった翌日の朝日新聞の朝刊に「0655」と「2355」が取り上げられて、人気がある、とちょうど書いてありました。
実は「ピタゴラスイッチ」の佐藤雅彦さんが番組監修なんです。
「ピタゴラ」の時も新しくってシンプルで洒落てて面白いなあと感心しましたが、今回の企画もいいです。コンセプトがちゃんと伝わってくる。
特に「2355」なんて、今日の終わりにすごくのんびり癒されてしまいます。
今日から明日へと移って行く、その最後の最後の瞬間にご一緒しましょう、っていうフレンドリーな感じが好きなんです。
「明日もいい日でありますように」って毎回文字が出るんだけれど、いろいろあった今日をきちんとおさめて終えて、明日を迎える準備をしようというこころがけが、シンプルに面白く愛らしく伝わってくる、そこが新しいと思うんです。
佐藤雅彦さんといえば『暮しの手帖』でも「考えの整とん」というコーナーでエッセイを書いているけれど、編集長の松浦弥太郎さんが『暮らしのヒント集』や『今日もていねいに。』なんかの著作で展開している考え方と同じところから、この映像番組の企画も発生している気がします。松浦弥太郎さんが文章で、佐藤雅彦さんが歌や映像で表現しているだけのように思えるんです。
どちらも「一日一日をだいじに暮らそう」っていう根っこがあって、そのことをそれぞれのやり方と興味で提案している気がします。そして「明日も(「0655」の場合は今日も)いい日にしようね」っていう希望もちゃんと与えてくれている。
こういう考え方いいよなあ、まっとうだよなあとしみじみうれしく思います。
そういう志を持って、互いの得意分野で表現するクリエイティブな二人に、とにかく拍手を贈りたいです。
私も刺激を受けて、何かまた新しいことをブログ内で始めたくなる。
さあ、今夜もこれから「2355」を見て、トビハゼのトビーのつぶやきに癒され、John Wood and Paul Harrisonの「1ミニッツギャラリー」のおかしな現代美術に吹き出して、真心ブラザーズの歌う「今日をのりこえる歌」にしみじみしようか。
そんでもって「2355が、明日がくるのをお知らせします」に、ほっとしようかなあ。
[PR]
by zuzumiya | 2010-11-11 23:48 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)


ふだんの暮らしに息づいているたいせつなもの、見つめてみませんか?


by zuzumiya

プロフィールを見る
画像一覧

S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31

※このブログの無断な転載はご遠慮願います。

最新の記事

再び検査へ
at 2018-01-17 12:49
院内妄想
at 2018-01-16 19:05
山本ふみこさん、読んでます。
at 2018-01-08 16:54
あけましておめでとうございます。
at 2018-01-04 16:25
今を歌え!
at 2017-11-18 15:32

最新のコメント

検索

ブログジャンル

画像一覧