カテゴリ:日々のいろいろ( 648 )

ブログらしく近況7

ちょっと悩み事があって、友人に会いに出かけていたとき、
帰り際に娘からメールが入った。
「今、外にいるからたまには一緒に帰らない?」
突然のことで、娘をずいぶんと駅のホームで待たせることになったが、
無事、会う事ができた。
「それで、どうだった?」
「うん、思い切って会ってよかった」
「そうか…。ママ、よかったね」
この「よかったね」の言葉を聞いたとき、ものすごくうれしくなった。思わず、
「お前ってやっぱり、いいやつだよなあ」
と口走っていた。
人の幸福に対して、開口一番、「よかったね」と笑って喜べること。
娘のことを、がんとして信じられるのはこういうところなんだ。
突拍子もない恰好をして、まぁ自由奔放にやっていて、父親に心配させまくっているけれど、どこかで私は娘をものすごく信用している。評価している。
この子はいいやつだよ、と胸を張って言える。
損をすることはあっても、自分を多少犠牲にすることはあっても、
人の気持ちのわかる、優しい子に育った。
娘にはそういうエピソードがたくさんある。
体の芯からむくむくと押し上げてくるようなこの確信。
これこそが絆なんだなあ、と思える。
これを感じられたら、たとえ周りがどう見ようと、
子育ては成功なんだと思える。

***********

世の中の暗いものをぜんぶ引き寄せてしまっているのでは、と思えるような日、ひょっこり友人からメールが来る。捨てる神あれば拾う神あり。これはほんとうだと思う。
きっと一日のなかでも、悪い事があればいい事だって起きてるんだと思うよ。
悪い事の方がショックだからより憶えているだけなんだよ。
よくよく思い出して探してみてごらんよ。誰かにやさしくされてるもんだ。
見つかったら、しっかり感謝すればいいんだよ。
私は今夜お風呂で、目を瞑ってアリガトウとつぶやいた。

***********

夏でもないのに、「くらげ」の写真集に癒された。七色に光る宇宙船みたいなくらげがいるんだよ。すごいよね。
それから最近は「鉱物」に興味を持ち出してる。ブラックライトで光るんだって、ブルーやピンクや黄色に。なんだか、石のなかに宇宙が見えるみたい。
図書館で何冊か本を借りてみた。面白かったらここでも紹介する。
それから人形にも興味が。鴨居羊子やハンス・ベルメール、四谷シモンの人形。
それからシュルレアリストの画家にも。リヒャルト・エルツェとかよさげ。
イラストはニコラ・ド・クレシーの『天空のビバンドム』とか。うーむ、金ない。
最後はジオラマ。『昭和ヂオラマ館ー山本高樹作品集』を図書館で借りよう。小さな人形の永井荷風が東京の街を歩いているのだ。たしか青梅に行ったときだったかな、ヂオラマ館に入って見たかも…。
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by zuzumiya | 2010-11-26 23:59 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

アイロンの絆

たいていは、日曜の夜10時すぎになってはっと気づくのである。
子ども達にせがまれて『世界の民話』の中から短いお話を二つ読み、背中をとんとんしてこちらもウトウトしかけたその時「あっ」と思い出す。アイロンがけを忘れていたのだ。明日学校へ持っていく給食の白衣のアイロンをまだかけていない。私はあわてて立ち上がる。

息子が小学校へ上がって、初めて給食当番の白衣をランドセルの横にぶら下げて持ち帰ってきた時は、嬉しいような、懐かしいような温かい気持ちになった。洗濯をするため、袋から白衣の上っ張りと中国の人民帽のような白帽子を取り出すと、かすかにカレーとあげパンの混ざったような懐かしい匂いがした。その白い小さな上っ張りに初めてアイロンをかけたとき、あの甘えん坊で、家では牛乳だって自分で注がない子が、お玉を握りしめてみんなのお椀に均等になるように、こぼさないように真剣になって注いでいる姿が見えて、鼻の先がつーんとした。きちんとやれたのだろうか。アイロンをかけながら、ちょっぴり心配したことを覚えている。

小学校の給食当番といえば、いつだったか私にも失敗があった。
給食当番は白衣を着てマスクをするので、それだけでみんなとは違った特別な気分で、ちょっぴりわくわくしてしまう。衛生のためとはいえ、女の子は前髪を帽子の中に全部入れておでこを見せるのが恥ずかしく、向き合ってお互いの前髪を数本垂らして、上手くごまかせたか調べっこをした。何を担当するか仲間うちで相談し準備が整うと、待ってましたとばかりに食欲旺盛な男子からだだだっと並んで、アルマイトのお盆に先の割れたスプーンを握りしめ、サラダの小皿を受け取り、おかずの椀を受け取り、コッペパンを受け取り、デザートのバナナを受け取っていく。

白衣を着てマスクをし、おでこを晒しているせいか、相対すると照れくさい。照れくさいところへもってきて男子が「サービスしろよな」と調子よく声をかけてくるので、ついその手に乗ってしまって最初からたっぷりと豚汁をお椀に注いでしまう。あとで足らなくなり、友達とふたり青い顔をしてぺこぺこ頭を下げてはみんなのお椀から少しずつ掬って返してもらったりした。両隣のクラスにも私のような間抜けがいて「すいません。豚汁余ってませんか」とからっぽの寸胴鍋をぶら下げて、か細い声をかけてくることもあった。

給食準備の廊下はせわしい。担任の先生が手を貸してくれることもあったが、大きな汁物の寸胴鍋は子ども二人で持っても重く、うまく息が合わないと汁がこぼれて廊下を汚したりした。調子づきの男子チームが浮かれておかずを廊下に全部ひっこぼしたことがあり、こっぴどく担任に怒られたこともあった。その後、我がクラスのおかずはどうなったか。給食室や職員室や学年中の教室を担任の先生と頭を下げて、巡り歩いて寄せ集めたのだろう、食べられなかった記憶はない。

もう一つの失敗もやはり小学生の頃だった。友達と学校帰り、ふざけて給食袋を手にぶらぶらと振って歩いていたら、何かの弾みで手からすっぽ抜けて、近くのラーメン屋のトタン屋根にひょいと乗っかってしまった。これにはびっくりして「どうしよう」と顔を見合わせた。ところが、友達の困った顔とトタン屋根にくったりと乗っている給食袋を交互に見ていたら「よくもまあ、あんなところに乗ったもんだ」と可笑しくなってきて、思わずふたりで吹き出してしまった。

しばらく笑った後「これはまずいことになった」と事の重大さに気づき、真面目に相談して、今度は今にも死んでしまいそうな心細い顔をしてみせ、店主に屋根の上の給食袋を取ってくれるよう頼んだ。ラーメン屋の店主はすぐさま何処からかはしごを持ってきて、給食袋を取ってくれた。可笑しなことに、今でも真っ白な給食袋が青空をバックにスローモーションで宙を飛んでいく映像が目に浮かぶ。トタン屋根は赤かった。

アイロンをかけながら、いつも不思議に思うことがある。
どんなに洗濯をしても前の人がつけたアイロンの折り目の筋が消えていないのはどうしてだろう。それぞれの子どもの母親が前の母親のつけた折り目に、忠実にアイロンを当てているからだろう。何度も何度も繰り返されたアイロンがけ。どなたか知らないが、最初にきちんと折り目を作ってくれたから、サラリーマンでない、ワイシャツを着ない夫を持つ妻の私でも簡単に仕上げることができるのだ。

申し訳ないが、PTAなど人前に出る活動には臆してしまって、子どものためにと言われても役員になるのを避けてきた。
それでも夜なか、子どもらの寝息を聞きながら、クラスの母親たちが繰り返し繰り返しつけてきた折り目に沿って、ゆっくりアイロンを当てていると、子を愛おしむ母親どうしの無言の絆のようなものが感じられて、なんだか心温かくなるのである。
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by zuzumiya | 2010-11-25 20:48 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

きっかけ

今朝、なんとなく思ったんだけれど、以前にここで書いた「バトンを渡す」とか、コメント欄の「与える、受けとるの妙」の時にもうすうす感じていたけれど、もしかしたら表現するっていうのは、メッセージの持っている世界の8割方ぐらいまでのもので、残りの2割でもって受け手は自分で考えて自分で何か答えを見つけるために歩き出せるものなのかもしれない。うまくは言えないが、どこか言葉の宿命のようなものも感じるし、やれることはどれだけきっかけになるものを与えられるか、そこをスタートとして始まらせることができるか、それこそが大事なのかもしれないな。謙虚に心しておかなければならないことなんだろうな。
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by zuzumiya | 2010-11-23 09:26 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(5)

ほんとうに、ありがとう。

今日はとてもいい日だった。
捨てる神あれば拾う神ありで、ちっぽけな私に手を差し伸べて、勇気づけてくれる人たちもいた。
それはそれはもう言葉に言い尽くせないぐらい、ほんとうの感謝で、手を握りしめて思わず涙した。あの手の温もり。うんうんと頷いてくれたあの瞳のやさしさ。
あのやさしさに私はこれから何か返せるだろうか。
「ありがとう。ほんとにうれしい」とただただ心を込めて言うことしか、できなかった。
私の前に降り立った女神のような二人。
神様、ありがとう。今日という日を与えてくれてありがとう。
私のいのち、生きながらえて今日を迎えたこのいのち、ありがとう。
そして私たちを今日巡り会わせてくれた君、大切な君に届けたい。
「心配していたけど、大丈夫だったよ。信じてよかった。ありがとう」
生きてみなくっちゃ、わからないんだね。
どんなことがあっても、今日のような一日がくることを、希望を、これからも信じていかなくっちゃいけない。すべてをだめと決めつけちゃいけない。もう一日、もう一時間、生きてみなくちゃわからないんだ。悪い事も起こるかもしれないけれど、素晴らしいいい事だって起こるかもしれない。生きてみなくちゃ、信じてみなくっちゃ、わからない。
人は人を苦しめることもしてしまうが、助けることもできる。
文章を書いていてよかった。
文章を書いていなければ出逢えなかった幸福だった。
心を込めてまた書こう。
何かが届けられるように、あのやさしさを受けとった私が私のなかだけで留めずに、
今度は誰かに手渡せるように、書くんだ。
言葉は武器ではない。武器にしたくない。
それを信じていてよかった。
今日はとても、とても、いい日だった。この日を忘れない。

ほんとうに、ありがとう。
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by zuzumiya | 2010-11-22 23:40 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

手紙

芸術家の心の闇は作品として昇華されるのに、そうではない信奉者がそこを考えもせず、心に巣喰う闇を自分なりの解釈の仕方で肯定、全開してしまうのはとても危険なことのように思える。
「悪魔のささやき」は誰の耳にも聞こえるだろうが、問題はそこから先だ。
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by zuzumiya | 2010-11-22 13:18 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(2)

夜の音

冬がいい。冬じゃなきゃだめかもしれない、と思うほどだ。
夜の音の話である。空気の澄んだ冬の夜に一段とよく聞こえる、漠然とした夜の音のことである。私はときどき、夜更けのベランダに立つ。と書くとまるで幽霊のようだが、単に昼も夜もベランダにいるのが好きなだけだ。昼はベランダからよその庭の花を見たり、布団を叩いてはぼけーっと雲を眺めたりしているのだが、夜は断然、夜の音を聴きに出ている。そのついでに月が出ていればうっとりと月を見て、星が出ていれば「おお、こんなに」と感動する。

土曜日の夜、子どもを寝かしつけてから、夫とちょっと無理をして遅くまでかかって借りてきた映画をみる。丑三つ時と言われる時間にようやく見終わって、夫が洗面などをしている間に、ふらりとカーディガンを羽織ってベランダに出る。
夜の音がする。目の前の視界全部からごーっとわきあがってくる音がある。耳をすますと同時に息も止めてしまい、血流に乗ってぐわんぐわんと響いてくる。この夜の、闇全体から地響きのように一様ににじみ出てくる音。たしかに存在する音。何にたとえたらいいだろう。そう、夏場に辺り一面じいいと虫が鳴いている、そんな曖昧で茫洋な響き方に似ている。単調すぎて気がつかないような存在音。

夜の音が大地から空高く宇宙まで放たれていくような、そんな心持ちになって見上げると影を含んだ神秘的な雲が遥か彼方へ吸い寄せられるように一様に先を向けて並んでいた。何となくあの遠い彼方から音が湧き出ているのではないかと想像して、少し前のめりになる。時折、遠くでぶおおおんとバイクが走り去る音がする。バイクが行ってしまえば、あとはただ、ごーっと夜が音をたてて存在しているだけだ。

最初に夜の音に気がついたのは、中学の頃だった。夜遅くまで受験勉強をしていて、気分転換にベッドの上の窓を開けた。すると、しんとした冬の冷気と一緒にごーっという音が流れてきた。じっと耳を澄ませた。静寂という音を聞いていた。この夜の夜中に一人で起きていること、そして夜を見つめていること、問題集が予定通り進んでいること、すべてに満足していた。一人ぼっちが案外気持ちいいものと感じたのは、あの時が初めてだったと思う。だからなのか、どこか夜の音には懐かしさが混じる。聴いているとあの頃と同じ夜の懐に抱かれているような、でもそれは遥か原始の昔から人を包んできたもののような、そんな不思議な安心感がある。実のところは、遠くを走る車の音、街全体から発せられるすべての人造音なのだろうとわかっていても、私には夜そのものの気配、夜の存在音なのだ。

夫がびっくりして「どうしたの。寒くないの?」と顔を出す。「夜の音を聞いているの。夜の音って昔から好きなんだ」夫ははてなという顔をして、じっと耳をすます。はてなという顔のまま「寝るよ」とひとこと言って首を引っ込める。夫に「寝るよ」と言われると、とたんに寒さが強烈に身に染みてきて、もう一時も立ってはいられないという気になる。一人ぼっちもいいものだと思ったあの頃は、今よりずっと一人だった。部屋に戻ると夫が子どもの布団をかけ直していた。

※毎年冬になると空気が澄んでくるので、音までもがよく聞こえてきます。清少納言流に 言えば、私は「冬は夜の音」だと思っています。うんと初期のHPに載せていた文章で すが、今でもお風呂上がりにバスタオルを干しながら、夜の音に耳を傾けています。
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by zuzumiya | 2010-11-17 19:37 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

佐藤雅彦さんの「0655」と「2355」

仕事の同僚に教えてもらって、つい先日知ったのだけれど、NHKの教育テレビの「0655」と「2355」という5分間の映像番組。あれ、面白いですねえ。
「0655」は朝の6時55分に「2355」は夜の23時55分に始まります。
民放にもありますよね、番組と番組の間の隙間番組。日テレの「音のソノリティ〜世界でたった一つの音〜」なんか、日本の自然の風景を音を切り口に撮ってきて、とてもいい番組です。5分とか短い時間でも面白いことってできるんですね。
教えてもらった翌日の朝日新聞の朝刊に「0655」と「2355」が取り上げられて、人気がある、とちょうど書いてありました。
実は「ピタゴラスイッチ」の佐藤雅彦さんが番組監修なんです。
「ピタゴラ」の時も新しくってシンプルで洒落てて面白いなあと感心しましたが、今回の企画もいいです。コンセプトがちゃんと伝わってくる。
特に「2355」なんて、今日の終わりにすごくのんびり癒されてしまいます。
今日から明日へと移って行く、その最後の最後の瞬間にご一緒しましょう、っていうフレンドリーな感じが好きなんです。
「明日もいい日でありますように」って毎回文字が出るんだけれど、いろいろあった今日をきちんとおさめて終えて、明日を迎える準備をしようというこころがけが、シンプルに面白く愛らしく伝わってくる、そこが新しいと思うんです。
佐藤雅彦さんといえば『暮しの手帖』でも「考えの整とん」というコーナーでエッセイを書いているけれど、編集長の松浦弥太郎さんが『暮らしのヒント集』や『今日もていねいに。』なんかの著作で展開している考え方と同じところから、この映像番組の企画も発生している気がします。松浦弥太郎さんが文章で、佐藤雅彦さんが歌や映像で表現しているだけのように思えるんです。
どちらも「一日一日をだいじに暮らそう」っていう根っこがあって、そのことをそれぞれのやり方と興味で提案している気がします。そして「明日も(「0655」の場合は今日も)いい日にしようね」っていう希望もちゃんと与えてくれている。
こういう考え方いいよなあ、まっとうだよなあとしみじみうれしく思います。
そういう志を持って、互いの得意分野で表現するクリエイティブな二人に、とにかく拍手を贈りたいです。
私も刺激を受けて、何かまた新しいことをブログ内で始めたくなる。
さあ、今夜もこれから「2355」を見て、トビハゼのトビーのつぶやきに癒され、John Wood and Paul Harrisonの「1ミニッツギャラリー」のおかしな現代美術に吹き出して、真心ブラザーズの歌う「今日をのりこえる歌」にしみじみしようか。
そんでもって「2355が、明日がくるのをお知らせします」に、ほっとしようかなあ。
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by zuzumiya | 2010-11-11 23:48 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

ブログらしく近況6

最近、イーノ先生がまた凄い注目されててびっくり。
「Small Craft On A Milk Sea 」がオリコンでも洋楽の20位以内に入ってるってどういうこと? それになんだ、あのタワレコ宣伝の「エレガントのススメ」って文字は…。
私はアンビエント大好きだけど、エレガントなんて思ったことはない。
あれ、なんだか嫌だなあ、あの売り方。お洒落みたいじゃん。
しかも、よく見たら元JAPANのデヴィッド・シルヴィアンもいるではないか!
イーノ先生の新作の解説だかで、ニーノ・ロータ(!)の映画音楽ばっか聞いていた時期があるって書いてあったけど、私も高校の頃からフェリーニのファンだから嬉しかった。
それで先生との繋がりを感じてしまうのは、私も最近はサントラに聞きたいものがあって、お金が出来たらほしいと思ってたとこだったこと。まずは『脳内ニューヨーク』のサントラと『死ぬまでにやりたい10のこと』のサントラ、そして『ノルウェーの森』のサントラ。
『脳内〜』はDVDに入ってる予告編で知ったんだけど、女性ヴォーカルの曲がすごく良くて、すぐにメモをとった。Deanna Storey(ディーナ・ストーレイ)っていう人なんだけどYou Tubeでも聞ける。お話は『エターナル・サンシャイン』の脚本家チャーリー・カウフマンの初監督作品なんだけれど、人気劇作家が自分の頭のニューヨークを実際のニューヨークの中に作ってしまうというそれなりに風変わりなもので、DVD見るかどうかはわからないけど、音楽はいいと思う。1曲だけしか聞いてないけど、たぶんいいんじゃないかという勘が働く。音楽監督のジョン・ブライオンという人物にも興味ある。
『死ぬまで〜』は以前から欲しかったもの。「GONZALES」や「ANTONY&THE JOHNSONS」を使うイザベル・コイシェ監督だから、絶対選曲がいい。以前にDVD見てるときにすぐサントラを買おうと思ってたから。
それから『ノルウェーの森』は夏がくるたびに見ちゃう『青いパパイヤの香り』や『夏至』のトラン・アン・ユン監督作品だし、レディオヘッドのギタリストのジョニー・グリーンウッドが音楽監督なんだって。良さげじゃないかと、公開前なのにこちらも勘が働く。イーノ先生も映画は見てないうちから純粋にサントラを楽しんでいたとも言ってたし。先生の「ミュージック・フォー・フィルムズ」は、たしかうんと前に私が高校か大学の頃、『エゴン・シーレ』という映画の終わりに流れてきて、当時すこぶる喜んだ憶えがある。しっかし、CDに興味が行くとほんとにお金が飛んでいく。ビンボー人は厳選しなきゃな。

『音楽と人』をビンボーで買えないので立ち読みしてきた。
「彼女は買い物の帰り道」の歌詞の出来に満足がいって、その後「悪魔メフィスト」など
ある意味、光に対しての影や闇にあたる楽曲が立て続けに生まれたとか。「彼女は〜」という曲がなにかしら大きな区切りというか、吹っ切れたというか、ターニングポイントになったのかな、と想像した。「彼女は〜」の歌詞がとにかくちゃんと書けてよかったんじゃないかと思った。最近のなかの、光の方の部類の、最高の出来なんだろうなあ。本人も何度も聞いていたっていうから、さぞかし思い入れのあるいい曲なんだろう。アルバムが出て、私はようやくきちんとゆっくり聞ける。ライブ直前だけれど(苦笑)。
あと「ジレンマ」発言もやっぱりそうだったのか、という感じ。「いつか見た夢を」の歌詞にはたしかに「…」状態だったので。
それにしても、今更ながら針の振幅の大きい人だ。自分に嘘はつけないっていうけどそうなんだなあ、と思う。面白い。でも、次の次のアルバムは堂々とポップ路線で真っ向から売りに行くらしいから、それも楽しみだ。

ついに鴨居羊子をじっくり読もうと思っている。
私はなぜかヨーコと名のつく人に縁があって、憧れを持つ。オノ・ヨーコ、荒木陽子、山本容子、久坂葉子、そして鴨居羊子。新聞記者から下着デザイナーへ転身、カラフルなスリップ、ガーターベルトなど日本の女性下着に革命を起こした人だ。画家でもあり、人形作家でもあり、魅惑的なエッセイを書く文筆家でもあった。
この人のことは江國香織さんがエッセイだったかインタビューだったかで、素敵な文章を書く人だと紹介していたと思う。ヘンな話だが、下着デザイナーというだけで私はちょっと敬遠していて、今まで知っていてもきちんと読んでこなかった。
今回、細江英公さんの写真絵本『花泥棒』に巡り会い、鴨居羊子さんが作ったちょっとブラックなテイストの人形を見て、その美意識がテリー・ギリアム監督の「不思議の国のアリス」をモチーフにした映画『ローズ・イン・タイドランド』の世界観に似ている気がして、再び縁を感じた。『鴨居羊子コレクション1〜3』(国書刊行会)で彼女の文章はまとまって読める。解説の早川茉莉さんによると森茉莉、武田百合子の好きな人はおそらく鴨居羊子も好きだろうという。それならば今度こそ、と私はうれしく思う。
不思議なものだけど、知っていることと芯から出会うこととは違って、私と鴨居羊子さんとの出会いは今なんだろう。たぶん、人生をすごく貪欲に愉しもうとする人で、しかもアバンギャルドな女性だったんだろうな。
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by zuzumiya | 2010-11-09 19:48 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

「おいしいね」「おいしいね」

いっしょうけんめい仕事して、
いっしょうけんめい自転車こいで、
好きな人の待ってる家へ帰る。
好きな人は大好物を作って待っていてくれる。
好きな人と真向かいに座って、大好物の夕飯を食べる。
「おいしいね」「おいしいね」「これも食べなね」
笑って、感動して、もくもく食べる。
そんでもって、ばか話をして、好きな人が笑う。
お腹がいっぱいになる。

やり込める力なんて、なくていい。
奪われないほどの力があれば、それでいい。
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by zuzumiya | 2010-11-08 10:41 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

まつげに持ってる虹のからくり

先日、またもやNHKで詩人のまど・みちおさんの番組「ふしぎがり」が放送された。
たぶん、再々放送ぐらいじゃないかと思う。反響がいいんだろう。
それでまた見直して、発見して、また感動できた。
尻もちをついて入院していた奥さんとまどさんがしばらくぶりで再会したときに、思わずうれし涙がにじんでしまったまどさん。
そのときの気持ちを込めて、パステルの色をぜんぶ使ってきれいな虹の絵を描いてみせた。その時のインタビューでまどさんが
「まつげのところに虹があって、涙が出るときれいな虹がかかります。」
ああ、素敵だなと思った。まどさんの言葉にもっと言葉を足して拡大解釈すれば、きっとこういうことなんじゃないかな。
人はみんな、まつげのところに虹のもとを持っていて、涙の水分が加わると目の前にきれいな虹ができて見えるようになっている。
うれし涙にかぎらず、どんな涙を流しても、まぶたをぎゅうっと結んで再びあけたその先にはやっぱり虹ができていてほしいな、と思った。
きれいで、みんなきらきら光っていて、なんか新鮮で、こんなところに生きてるんだあと思える世界が見えていてほしいなって、ちょっとそう思った。
吉野弘さんが「虹の足」という詩で、虹の足元にある家々が虹の中にあるんだってことに気づかずふだんどおりに暮らしていると書いているけど、まどさんに言わせれば、私たちはまつげに持っている虹のからくりを知らずに暮らしている、ってことかもなあ。
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by zuzumiya | 2010-11-08 09:48 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)


ふだんの暮らしに息づいているたいせつなもの、見つめてみませんか?


by zuzumiya

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