暮らしのまなざし

カテゴリ:日々のいろいろ( 607 )




外面のいい冷蔵庫

やりたくないのに、つい、やってしまうものがある。
冷蔵庫のドアに磁石でお知らせプリントをやたらに貼り付けてしまう。
これである。家族で撮ったビデオを見ていて、ふいに冷蔵庫が映ると、あちゃーと思う。まったくもって所帯じみている。まあ、所帯は持っているので仕方がないのだが、なんというかビンボーくさいのである。みすぼらしいのである。スタイリッシュでないのである。女性誌やインテリア雑誌なんかでは、ときどき、オシャレっぽくポストカードを2、3枚貼り付けただけの冷蔵庫が出ていたりする。しかし、うちの冷蔵庫には、もっぱら子どもたちの学校のプリントがどさどさ重ねられて、業務用のようなごっつい強力磁石で留められている。いったい何が貼ってあるのか、貼っただけで安心してしまって本人ももう忘れているので、この機会に調べてみることにした。

年間行事予定
夏休みの生活について
7月の給食献立表
防災の日の引き取り訓練について
規律ある学校生活を送るために
青少年の健全育成のために(プール開放日などが書かれてある)
M学生服立川店の電話番号
ハローワークのチラシ
M耳鼻科の電話予約のやりかた
エビグラタンの食べ方
ゴミの分別表
駅時刻表

壁にくっついている背面を除いて、冷蔵庫のすべての面にはこれら「お知らせプリント」がびらびらと貼り付けられていた。本来はシンプルな白い冷蔵庫なのだが、夥しい量のわら半紙で、遠目にはベージュに見える。
以前、ラジオかなにかで聞いた覚えががあるのだが、風水では冷蔵庫にものを貼ったりするのは縁起が悪いらしい。子どもが学齢に達してからというもの、手が離れるどころか、より一層手がかかるような気がして滅入ることが多かったり、食費やら教育費でどんどん貧乏になっていってしまうのは、もしかしたら冷蔵庫にものを貼るからかもしれない。この機会に何とか整理をし、すっきりとした元の白い冷蔵庫を取り戻そうと思うのだが、このプリントの中のどれをとってみても捨てられないものなのだ。そもそも大切であって、必要なときにすぐに見られるようにしたいから、冷蔵庫なんかに貼り付けてある。バインダーに綴じたり、ファイルに入れて、本棚にしまっておけるようなものは何一つない。

しかし、本当にそうだろうか。もう一度ここでよく考えてみる必要があるのではないか。たとえば「必要なときって、過去にどれだけあったか」という点である。
7月の給食献立表。悲しいことに重ね貼りされている中のいちばん下にあったが、かつて、給食の献立表を見て、夕食の献立をかち合わないように配慮したことがあっただろうか。なかった。
冷蔵庫から牛乳を取り出すたびに「規律ある学校生活を送るために」を見て、息子に反省を促したことがあったか。なかった。
ハローワークのチラシにいたっては、「いちおう、貼っておいた」という安心感だけで、出不精の私が職探しにエッチラオッチラ出かけていったことなどなかった。
「必要なときって、そうそうないのね」
これが私が出した結論である。

だったら、やはりバインダーかファイルに入れて、本棚に並べておかねばなるまい。しかし、本当にそれで解決できるのだろうか。新たな疑問が浮き上がってくる。
バインダーやファイルにいちいち分類して、綴じ込む行為が私に続くだろうか。
分類はできたとしても、冷蔵庫ほどに見る機会があるだろうか。
私はたぶん、分類は続かないし、ぜえ〜ったい見ない、と思う。
たぶんまた「こっちが便利よね」と冷蔵庫にぺたぺた貼りだすんじゃないか。
つまりは、こういうことだ。
だらしがない。
冷蔵庫が全面まるまる鉄なのをいいことに、磁石を両手に頼り切っているのである。分類の努力も嫌だし、かといって片っ端から情報を頭に入れるでもなく、捨て去る勇気もなく、「貼っときゃ、いつか見る」のずるずるべったの問題先送り主義のルーズな精神がいけないのだ。もう一度、言う(自分に)。
だらしがない。
もし、よそのお宅の冷蔵庫が「お知らせプリント」で埋まっていたら、そこのお宅の奥さんがケーキに紅茶にと、いくらもてなしてくれても、どんなに掃除が行き届いているように見えても、だらしがないと思ったほうがいい。「外面がいい」という言葉の「外面」はひょっとしたら冷蔵庫のそれではないのか、と思えたりする今日この頃である。


※これは数年前陥っていた「冷蔵庫面依存症」ですが、現在は透明の下敷きのようなケースに入れて、庫面に磁石で貼ったポケットにきちんと収納しております。わざわざ「日々のことづけ」には書きませんが、おすすめです。
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by zuzumiya | 2010-08-30 13:04 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

恐るべき自治会企画

今年は水着を着る機会がなくて、ほっとしている。
金がないと騒いでいたら8月は盆休みもないほどにめいっぱい仕事を入れられてしまった。子どもと夫は長野に帰省するが、私はひとり残ってひたすら働く。海にもプールにも行かない。
中年にもなると、いやがおうにも胸より腹が出てくるし、背中や二の腕にこんもり肉がついてくるし、尻はとめどなく垂れてくるしで、水着になって無様な姿を世間にさらすのはほとんど拷問である。もう腹を引っこめかげんに力を入れて、とりすまして座っているのも限界だ。あっちを隠せば、こっちがギャッという丸見え状態だから、なにをやってもムダである。プールでも海でも、すぐ脇を軽薄そうな茶髪の男と手をつないだピチピチバ〜ンの若い娘がきゃぴきゃぴとエロ気を振りまいて歩いて行く。「お〜い」と呼ばれて振り返れば、見事に腹のでっぱった夫が、娘とともに家族分の焼きそばの袋を持って突っ立っていたりする。ああ、栄枯盛衰、世は無常。そんな場所に誰が好きこのんで出かけようか。

若い頃、私のまわりの友人たちはほぼ毎年、水着を買い替えていた。
理由は「飽きちゃった」とか「今年は今年の水着でなくっちゃ」だったが、年をとった今は「毎年サイズが合わないのよ」という嘆かわしい理由で買い替えている。私も今年、水着を着なかったら来年また同じものを着られる保証はないだろう。でも、もういい。来年も、再来年も、そしてこれからずーっとプールや海には行かなければいいんだから。

ところが先日、とんでもないチラシがポストに入っていた。
「マンションのみんなで温泉バスツアーに行きませんか」
という自治会からの誘いのチラシである。
我がマンションでは毎年8月に親睦を深めるという目的で、夏祭りを行ってきた。その年の役員が焼きそばやフランクフルト、おにぎり、かき氷などの屋台を出して、他の住民たちにふるまう。すべて自治会の費用でまかない、ビールは飲み放題、ビンゴゲームなども行われる。180世帯もあるジャンボマンションでこれほどまとまりがあるのは、いまどき珍しいことだが、役員がまわってきたらさぞかし大変だろうと気に病んできた。しかし、ここ何年かで、急速に住民の方も老朽化が進み、老夫婦だけの世帯も増えてきたので、今年は夏祭りの実施を取りやめて、そのかわりにバスをチャーターして、みんなで温泉に行こうということになったらしいのだ。

あなただったら、行くだろうか? それとも行かないだろうか?
私は迷わず「不参加」の方に丸をうった。だって、廊下ですれ違う隣の奥さんに自分の裸を見られるのは嫌だし、見るのも嫌だからだ。ぜったい、温泉から帰ったら、どこの家だって
「お隣の奥さん、ああ見えて結構太ってんのよ」
「3階の佐藤さん、おケツなんか、こ〜んなよ、こんな」
とか、食卓でおもしろ可笑しくしゃべるに決まっている。
廊下で隣の奥さんに会っても、すっぽんぽんの姿がチラついて、以前のように面と向かって挨拶できなくなるんじゃないだろうか。エレベーターの中で、まじまじと後ろ姿を見られて、
「着やせするタイプなのね」
と思われるのもしゃくである。

この話を夫にしたら、昔は銭湯だったじゃないか、と笑われた。
そういえばそうだったが、昔は家に風呂がなかったからしかたがないし、何度も行くうちにお互いの裸に慣れて何とも思わなくなったんだろう。が、今回のは違う。「年に一度のイベントで」というのは妙に印象に残りやすいような気がする。
水着すらああだこうだと文句を言っているのに、裸なんかもう、論外である。しかし、我がマンションは老人マンションだから、「温泉」の二文字には弱いかもしれない。もし、この企画が好評で、この調子で夏祭りの代わりに毎年「温泉バスツアー」を組まれたりしたら事である。おそらく3年後ぐらいには役員がまわってくるだろう。役員がツアーに参加しないことはないはずだから、なんとかして企画変更をしないかぎり、私はマンションの住民の前でとんでもない裸をさらすことになる。
宝くじでも当たらない限り、引っ越せないし、いまはただ「温泉バスツアー」に人が集まらないことを願うばかりである。



※やはりこの「温泉バスツアー企画」は無理があったのか、この年、一度限りとなりました(笑)。役員のやる気に水を差すのもなんですが、こういう大胆な企画はやっぱりやめといた方がいいと思います。現在でも夏祭りだけは無事に続いております。
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by zuzumiya | 2010-08-28 09:37 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

時間

先日、こんなことがあった。昼間、ひとり静かに仕事をしていると突然けたたましい音がしてどこかの家の目覚まし時計が鳴った。すぐに音は止められたが、時計を見ると10時。こんな時間に起きる人がいるんだ、と笑ってしまった。私の一日は6時50分からすでに始まっていて、目覚まし時計の人の一日はたった今、10時から始まるのだなと思うと不思議な感じがした。昼と夜と一日の時間の分量は誰もが同じに貰っているのだけど、それぞれ自分の生き方、考え方で時間はどのようにでも使えるんだということがなんだか新鮮に思えた。

それぞれがそれぞれの時間を持って暮らしているというようなこと。以前にもこれと同じことを感じたことがあった。

ある日の夕方、気分良く自転車で走っていたら、鼻筋の辺りに涙を光らせた若い女の子とすれ違った。人が泣いているのを見てどきんとしたが、もし、彼女が悲しくて泣いているのだとしたら、と考えて不思議な気持ちになった。一本の道の上で彼女の悲しい今と私のすこぶる爽快な今がすれ違っている。今日という日はみんなに同じ分量しかないのに、彼女のこの夕方はただもうせつなく悲しいものになっている。
彼氏とけんかしたのか、ふられたのか、それとも親が倒れたのか、いろいろを考えていて、ふと、私は彼女に流れている人生の時間の一瞬とたった今すれ違ったのだと思った。なんだかちょっとすごいなと感じた。そしてまわりを見渡すと歩道や店先に人がいて、この人達もみな自分の時間を抱えて生きているんだと思えて、今までそんなふうに街を眺めたことがなかったから、なにかすごく大事な発見をした気がして、おおと感動した。

人が人と出会うということは、その抱えている時間と時間が交じりあうことだ。一日という単位じゃなくても、一生という単位でもそれぞれの人は命という持ち時間が決まっていて、そのなかで出会い、共に過ごし、別れていく。なんだか限られたわずかな時間の中で限られた人と出会ったり、過ごしたりすることは、とても感謝すべき貴重なことのように思えてくる。ある人とは時間が交じり合い、ふたりの共通な時間として流れていくのだけれど、ある人とはぜんぜんかみ合わない。でも、その人は別のある人とふたりの時間を作って、その時間の中を着々と生きている。

なぜ、こんなことを考え始めたかというと、父のことを思い出したからだ。
父と母は私が一歳の頃、離婚したらしい。それっきり、私は一度も父と会っていない。だから父は今、生きているのか死んでいるのかもわからない。母に執着して生きてきたので、不思議と父のことはあまり考えてこなかった。ただ父の姿は幾枚かの写真に残っていて、アルバムを開くたびに「あ、お父さんだ」とは思ってきた。記憶がないので懐かしがって泣くこともできず、ただ淡々と写真を見てきたはずだった。

しかし、何度も繰り返してアルバムを見るうちに、私の頭の中でいつしか写真の父は動き、赤ん坊の私を抱き上げて乳母車に乗せたり、そして父が押す乳母車からの景色や振動をなんとなく覚えているような気になったり、雪かきをして私に雪だるまを作ってくれて、できたときにそれにぺたぺた触ってとても嬉しかったような気がしたり、ないはずの記憶が写真をもとにどんどんできていくのを不思議に感じたこともあった。
鏡を見るたび、自分が母だけでなく父にも似ていて、そういうときは私がこの世に存在しているのは母だけじゃなく、父のおかげでもあるのだとあらためて思ったりもした。
母の話によると、父は母と別れてからまた別の人と再婚し、男の子をふたりもうけたというが、それしかわからなかった。

昔、テレビのドラマで、離婚して別れた父親を慕って、歌手志望の女の子がひとり夜空に向かって「アメイジング・グレイス」をしっとり歌う場面があった。彼女が父親に会いに父親の経営する花屋へ行くのだが、父親の方はまったく気がつかず、家族と仲睦まじく働いているのを見て当惑し、結局は客として父親から勧められた花を買って、泣きながら帰ってくるというシーンがあった。これにはさすがに胸が詰まった。
今でも「アメイジング・グレイス」を聞くと、この花屋のシーンが浮かび、じわじわとせつなくなる。そして時間というものを、もうずっと交わることのない時間というものをぼんやり考える。

たぶん、そういうとき、私は天国という場所を信じたいと思っているのだ。この地上で一度は出会っても、どうしても離ればなれにならざるをえなかった男と女や、親と子や、友と友が死んだとき、この世でのすべてのしがらみから解放されて、再び天国で巡り会い、見つめ合ってほほえみ、手を取り合って抱擁する。
終わりもなく、別れもなく、哀しみもなく、痛みもなく、不安もなく、ただこみあげてくる懐かしさと愛だけに満たされて、永遠の心の平安と幸せのなかでみんながいっしょに生きられるのだとしたら……。
私は父に必ず出会えると思うのだ。たとえ、私がこの世の時間をどれだけ生きても、そのためにどうやっても父の時間と交わらなくとも、必ず出会える。見つめ合うだけで、時を越え、強烈な懐かしさと愛おしさが光のようにあふれてくる瞬間が私と父の間には必ず訪れる。だから、哀しんだり、残念に思ったり、諦めたり、忘れようとしたりせずに、ただ静かに待っていればいいのだと思う。

父は父でこの世のどこかで父の時間を生きていて、私は私でこうして私の時間を生きている。朝になれば同じ太陽を見て、夜は同じ月を見る。私たちは離れた場所でもきっと懸命に生きているのだろう。信じる宗教は何も持っていないけれど、天国のような特別の場所は心のなかに持っていたいと思う。もしそういう場所がないと決めてしまったら、この世を生きていくことはあまりにつらすぎるのではないか。人は人と出会うことをためらい、深く知り合うことを恐れて、どこかで別れを気にして不安でいなくてはならない。しかし、もし天国のような再び出会える場所があるなら、私たちはたとえどうしようもない理由で別れることがあっても、そしてその人と二度とこの世で会えなくなったとしても、何も恐れることはなく、前を向いて自分の時間をせいいっぱい生きていけるのだ。天国はきっとある。失ったものは、このうえなく完璧で幸福なかたちでまた取り戻せる。父を思うとき、私はそう信じている。
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by zuzumiya | 2010-08-28 07:37 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

死ぬ演技

たしか向田さんのエッセイだったと思う。
ドラマのなかでさっきのシーンの続きが気になって話に身が入らない、というような話を昔読んだ気がするが、あれはほんとにそうだ。
たとえば。男は死んだ昔の恋人から貰っていた思い出の手紙をひとり燃やしている。そこへ彼にひそかに想いを寄せている女性が現れる。会話が始まる。会話しながらなぜか二人は歩き出して、手紙を燃やした場所から離れてしまう。見ている私は、
「おい、そんなことより、火消したのか」
と心配になる。恋する男女の含みのある会話なんかより、火の始末の方が気になってしょうがない。
しつこい追っ手から逃げていくスリルある場面で、穴の中に味方の縄梯子が垂れてくる。それを上りきって逃げて行こうとする主人公に向かって、
「ちょっ、ちょっと待て、梯子上げとけよ!」
と心のなかで叫んでいる。
こういうことはしょっちゅうで、細かい事を気にするタイプの私は、どうもドラマにおける「手紙は燃やされた。それ以降は深く追求しないでストーリーを追うこと」という暗黙の了解、お約束に乗っていけない。お話は作り事だけど、演出としてはリアルであってほしいと思ってしまう。だいいち、なんで、話しながら歩いてしまうんだ? 
ドラマや演劇のなかではよく役者がセリフをいいながら、ぽつぽつと歩き出したりするが、日常生活ではしゃべりながらその辺を歩き回るということはない。
「話の前にお願いだから座ってくれ」と言われてしまう。
電話のシーンだってそうだ。電話が確実に切れて、プープーいっているのに、受話器に向かって何度も
「もしもしっ!もしもしっ!」
ということもないだろう。
文章の世界では、よくある比喩や表現を「月並みだ」とか「手垢にまみれた」と言って、使わないようになんとか努力するものである。なのに、ドラマや演劇の世界ではいまだにああいうお決まりの演技がまかり通っているので呆れてしまう。私が女優になったら、ぜったいにやらないぞ、と思っている演技だ(って女優にはなれんけど)。
しかし、私が女優になれたとしていちばん苦労するのが、死ぬ演技だろうと思う。
泣く演技は悲しい事を考えたり、なにより役になりきって没入してしまえば、なんとなく泣けてくるような気がする。
しかし、死ぬ演技は大変だ。
最後にひとこと言って息を吸い込み、ガクリと力つきて死んだまではいい。問題はそのあとだ。まず、息はどうしたらいいのだろう?
やっぱり止めておくのだろうか。それとも被せられている布団が上下しないように、薄くかすかに呼吸しているのだろうか。ドラマによっては親族やら恋人やらが死んだ人に抱きついて激しく揺さぶったりする。死んだ人の胸に額をあてて、泣きじゃくる場合もある。そういうとき、カメラはずっと引きでまわっているわけだから気が抜けない。揺さぶられたり、重たい額を乗せられたりして、しっかり止めていたはずの息がもれ出てしまって、それでもさらに我慢して止めていたら次第に苦しくなって、死んだはずの人の顔がなぜか紅潮してくる、なんて事があったら大変だ。
胸にすがりつかれて号泣されているときに、恋人役の髪の毛が首元にあたり、くすぐったくてたまらなくなり、ムフムフ笑い出してしまう、なんてこともありえる。
気をつけて薄く息をしようと思うばかりに、小鼻がえらくふくらんで、死人らしからぬ威張った顔になっている、ということも考えられる。
なにより、死んだ直後はぜったいカメラが寄ってアップになっているので、ミスは許されない。テレビの前で見ているときだって、
「はやくシーンを切り替えてやらないと、息が、息が」
とこちらの方が息苦しくなってしまう。
ドラマの中でいちばん大事な、クライマックスの悲しい場面で、
「ミスるなよ、まぶたピクピクさせるな、あともうちょっとの辛抱だからな」
とひとり心のなかで念じている私は、やっぱりひどく損をしているような気になる。
こういう思いを見ている側にさせないように、演出家はカメラワークなり、演技指導なりをちゃんと考えてほしい。
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by zuzumiya | 2010-08-25 18:01 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

病院にて

待合室で待ってると、スーツにぱりっとしたワイシャツを着た、いかにも仕事ができそうなやり手のサラリーマン風の父親が、幼稚園の年中さんぐらいだろうか、多動気味の男の子の後ろをにこやかに笑ってついてまわる姿を見かけた。
男の子がロビーに置いてある自動血圧測定器を触れば、しゃがんで腕を穴に通してやり、ボタンを押す真似をしてにこやかに説明してやり、男の子の興味がすぐに移って、今度は床に座り込んで靴を脱ごうとすれば、またしゃがんで話しかけて靴のベルトをとめ直してやり、たたたんと走って行けばまたその後を微笑みながらゆっくりついて行く。
今日は奥さんに用事があるのか仕事なのか、旦那さんの方が仕事を遅刻して朝から息子を病院に連れてきているのだろう。
そんな親子の姿を見てたら、なんだか鼻の奥がつんとして涙が出そうになった。
普通に、あくまで平凡に、結婚してまわりのみんなと同じように子供を持つということが、あの男性にとっては予想だにしなかった不幸を連れてきたのだろうなって思った。
ただでさえ、子育ては大変だ。子供は時に「親のすべてを奪って大きくなる」と思えるほどだ。きっと障害を持つ子の子育てはもっとずっとさらに大変で、親の体力も気力もうんと絞り取られていく日々だろう。
「普通であること」「みんなとうまくやっていけること」「まわりの大勢の人の思考や行いや様式に別段、苦もなく合わせられること、外れていないこと」
普通であることの、まずこのどうしようもない必然さ、執着が不幸を連れてくる。でも、
「ロボットじゃないんだから、みんな同じであるわけがないんだ」
「人はひとりひとり違うから出会えたり、互いに惹かれたりできるんだ」
「この子にしかないこの子の素晴らしさを見つけて、伸ばしてあげたらいいんだ」
普通への呪縛から解き放たれたとき、我が子が輝ける大切なひとつの命として、もう一度夫婦のもとに誕生するのだろう。
そしたらきっと、それこそ「普通」の子育てではささやかすぎて、当たり前すぎてサラリと行き過ぎてしまう成長の瞬間も見逃さず、驚きと喜びと感謝にかえて家族の日々を生きていけるのじゃないかと思う。
そしてそれもまた予想だにしなかった、深く沁み入る幸福なのだ。
あのサラリーマンの父親がゆったりとした歩みと絶え間ない微笑みを勝ち得た裏には、わたしの想像を超えた夫婦の涙と苦悩と葛藤と、そしてまた同じぐらいの喜びと思いやりと感謝の愛の歴史があるのだろう。
それを思うと人間の絆のいとおしさに、胸が熱くなった。
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by zuzumiya | 2010-08-25 17:59 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

朝の新聞

息子が小石川の新聞販売所へ入ってからもう2ヶ月になる。
入った当初はちょうど天候が不順の頃で、ほどなくして神様の意地悪と思えるほどの大雨と大風を経験した。新聞配達をしながら専門学校に進学することが決まった頃から、すでに夕方出会う新聞屋の姿がしのびなくて、まともに見る事ができなくなっていたが、夜になって雨が降り出したりすると、自然と夫婦の口は重くなって、机の前に戻ってもカーテンを端を引いてしきりに外ばかり窺ってしまう。そんな私の姿に夫は
「雨だからって、いつまでも気にしていてもしょうがないだろう。これからは雪だって経験するんだ」
と言った。わかってはいても、どうしても心配してしまう。そんな夜は、深夜寝る段になっても眠れず、思い切って立ち上がって外を見ると、街灯の下の路面は滝のように水が流れていて、罪悪感で胸がいっぱいになった。

春の嵐の晩はもっと悪かった。
古いマンションだから歪みがあるのか、サッシを閉めてもあるかなきかの隙間があるようで、ひゅうひゅうとひっきりなしに笛のような風の音がする。それが弱まったり、時にこちらの弱気を見透かしたように強く鳴ったりして、ふだんでもそんな音を聞いていれば、遥か原始の昔、洞窟で身を寄せ合ってうずくまっていた頃の不安と心細さを思い出して居たたまれないのに、この嵐のなか、息子が免許をとったばかりのバイクに乗って、重たい数百部の新聞の配達を一人でやっているのだと思うと横にもなれなかった。
見つめる闇の中に自然と、息子がバイクを倒してビニールに包まれた新聞が無情にもするすると流れ落ちて行く様が見えて、どうにも可哀想で、でもどうしてやることもできず、せめてもこの不穏な風が早く止んでくれたらと願うばかりで、蒲団の上に幽霊のように座っていた。
かといって、夫や娘を揺り起こすわけにもいかず、好きな音楽でも聞けばいいとイヤフォンを探すも、それでは息子の最後の叫びの「お母さん」が聞こえないと思い直してやめた。以前から春という季節は天候が定まらず好かなかったが、この大雨と大風の夜を経験してからは大嫌いになった。

4月の入学式で久しぶりに会った息子は上気して仕事のことを話してくれた。
わざわざポケットに配達ルートの地図をコピーしたのを小さく折り畳んで持って来ていた。明治神宮の砂利道を長く歩きながら、昼食をとる店に着くのを待ちきれないのか、A4の紙が上下左右に何枚もテープで貼られた手製の大きな地図を広げては、夫と私に
「ここからここまで配るんだよ」
と自慢気に話した。夫は感心してふんふんと聞いていたが、私はその広げた紙の大きさにまず涙が滲んで、これを小さく小さく折り畳んでいた朝の息子の姿が見えて、涙の玉がこぼれそうになった。
食べ盛りの息子のために表参道の焼き肉屋へ入ったが、そこでも地図を広げて話すものだから、息子はコップに手が当たって水を床にこぼしてしまった。一瞬何が起こったかわからなかったのか、
「水、こぼれたじゃない。はやく拭きなさい」
と私がハンカチを差し出すまで、息子はただ下を向いてぼんやりと水を見ていた。あれはきっと寝不足なのに久しぶりに両親に会って嬉しくて、調子が狂ったせいだと思う。声を荒げはしなかったが、息子にそのことを気づかせてしまったのではないか、何となく恥をかかせてしまったようで、今でも少し後悔している。

話を聞くと、真面目で誠実な息子らしく、午前2時の目覚ましが鳴る前に起き、集合時間に一度も遅れたことはないという。店長も新聞奨学生だった人で、人質のような自分の辛い経験から「これは奨学生にやらせる仕事ではない」と時にははっきり守ってくれるそうで、息子が新聞を配りきれなかった時も手伝いにきてくれたり、バイクを倒したときも(やはり、あったのだ)一緒に新聞を拾って「あとはやっておくから、先に行け」と言ってくれたり、何かと助けてくれるそうで、親としては両手を握りしめて、深々と頭を下げたい気持ちである。
百戦錬磨の先輩たちもみな専門学校に通う者ばかりで、男だらけの気安さが楽しそうでもあり、食堂の食事についても
「こんなに大きなハンバーグが出るんだぜ」
と笑って話すので、満足しているようだった。鼻風邪を引いて、すぐに販売所近くの医者へ自分で行ったというのには驚いたが、せつなさはすぐに頼もしさに変わってくれた。
「なんとか、400部を2時間で配りきれないとなあ、学校に遅刻しちゃうんだ」
朝、他の新聞販売所と取り合いになる一台しかないエレベーターの話、ここの場所に何時までに来ないととてもここまで回りきれないなど、天候だけではない時間との戦いもあって、そしてそこにさらに学校が始まってくるのかと思うと、私はつい暗くなり、溜め息が漏れ出てしまった。

入学式の日は息子は店長に頼んで休日にしてもらっていたが、これから高校の友達とカラオケに行くというので、久しぶりなのに案外そっけないなとは思ったが、たしかにこれ以上一緒にいても情が移るばかりで連れて帰ることもできない。息子の方でも帰りたい気持ちが湧き上がれば辛いだろうから、食事をしてすぐに別れることにした。
帰りの電車のなか、人に押されて、迂闊にも私だけ夫と息子いる所から離れて立つはめになった。最後の最後に話もしないで他人のように澄まして立っているのが勿体ない気がした。昔は恥ずかしがって、親といても極端に他人の振りをしたがる息子だったが、この日ばかりは降りるとき、私に向かって笑って大きく手をあげた。

夫は始終、無口だったが、そして男親とはそれほど情が薄いものかと私が責めると
「お前がひっきりなしに訊いているから、俺はもういいと思ったんだよ」
と言った。それを聞いて考えた。息子を辛い新聞奨学生にしなくてはならなかった情けない親の負い目は夫婦二人にあるのに、母親は子を想う情のようなものでそれをうやむやにしてしまう。それはずるいことなのかもしれない。
そうはできない男親というものの、息子の笑顔に決して許されてはいけないんだと思う夫の気持ちがわかった。
その後、数日してメールで「ついに400部の新聞を2時間で配ることができた」と息子は知らせてきた。「凄いじゃないか」と誉めてやったが、無理をしているのだろうと思った。

学校が始まり、午後の授業のほとんどを夕刊配達のために出られない息子は、後ろ髪引かれる思いで学校を後にしているのだろう。想像以上に焦りが出始めたようで、すぐにメールが飛んで来た。
「パソコンを買わないとどうしてもついていけない。すぐにでも買って遅れを取り戻さないと怖くてならない」
もちろん普通のパソコンは持って行っていたが、忙しいなかで3Dの技術を学ばなければならない息子は、それでは学校の補習ができないし、課題提出もままならない。新聞奨学生は新聞配達しながら勉強もするという偉さはあっても、作品勝負の世界ではそんな裏事情はまったく加味されない。良い作品だけがひとり歩きして、更なる運を持ってくる。
夫はどうやって貯めていたのか、3Dの作業ができるパソコンと必要なソフト一式を買うための大金をすぐに送ってやった。自分のパソコンはモニターが寿命で、時々、画面全部が嘘のように真っ赤になってしまうが、買い替えることができないでいる。それでも息子のここぞという時に手助けができて、夫はほっとしているのだろう。

毎朝、家を先に出て行く者が新聞受けから朝刊を抜きとって、玄関に投げ入れておくのがうちのいつものしきたりだった。いつの頃からか、7時に夫が出て行っても、廊下に新聞が投げ込まれていない。問題の多い娘の高校入試のために、思い切って仕事をやめてから私は家にいるので、主婦である私が新聞を取ればいいと思っているのかもしれない。そうは思っていても、どこかでそれだけではないような気がしている。
私自身が毎朝の新聞に触るとき、少しためらいがあるのだ。不思議と食卓に置かれた新聞には何も思わない。読み終わった新聞をばさりと乱暴に新聞置き場に放ることだってする。ただマンションの廊下の、玄関のドア横の新聞受けに差し込まれているあの朝の新聞を取り出すときにだけ、心が揺れる。
もう2ヶ月にもなるというのに、新緑の気持ちのいい季節になったというのに、パソコンもきちんと買ってやったというのに、だ。

朝のあの新聞だけは、正直言えば手にしたくない。
逃げているとはわかっていても、ぴしんという痛みがくる。特にもう晴れているのに、ビニールがかかった新聞が差し込まれているとき「ああ、雨だったんだな」と思えて、そして、昔はあんなにも眠れなかったのに、いつのまにか雨を気にせず眠れている私の薄情さを思うと、最初に触れる新聞の角は指先に痛いし、引き出した掌にはぐっと重い。
夫も新聞に触るのが嫌で、その作業を故意に私にさせているのではないかと、何だか思えるのである。そうだとしたら怒るか、と言えば、そうではない。
私は怒らない。文句も言わない。真相も確かめない。
ただ、ただ、夫もあわれだと思うだけである。
行き場のない気持ちを私はこうして書くことができる。ここでこうして収めて行くことができるのだから、私は何も言わない。
そして、母親が息子を想うあの情のずるさを知っているから、私が毎朝の新聞をこの手で抜き取っていかねばならないと思っている。
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by zuzumiya | 2010-08-25 17:52 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

著者近影ごっこ

高校時代に写真部だった私がカメラマンになって、夫のポートレイトを撮ってやる遊びを夫婦の間では「著者近影ごっこ」と言っている。
「愛ある写真を撮ってやろうじゃん」
「妻の私が愛情込めて撮ってるから、いいのがとれるんだからね」
などと言って、私に言われるがままに武蔵野の雑木林をそれらしくゆっくりと歩く夫は素直で可愛げのある男である。
家に帰ってから夕飯のあとに、テレビにつないでスライドショーをする。
昔は子供たちも興味を持って見てくれたが、最近はすっと消えてしまう。
食卓には夫婦ふたりが湯のみを持って、にこにこ顔で待っている。
あらかじめ機能のなかについていてくれるのか、いつでもやさしいオルゴールの音楽が流れてくる。写真一枚一枚がふうわりと出てくる。
それらしく樹にもたれ、わざと目線をそらした顔、画面の端で眩しいように目を細める渋い作り顔に思わず夫婦で吹き出し、涙が出るほど笑ってしまう。
その涙を拭き拭き、腹をさすりながら、夫の撮った風景写真で人心地つく。
公園でシートの上に背中合わせに寝転がっている夫婦。
「まいまい池」でパンツ一丁で水遊びをしている子供たち。
花壇に咲き揃ったチューリップ。キャッチボールする父と子。
夫の見つめていた風景を見つめる。
ふいに私の振り向きざまの顔が一枚があらわれて、
「いやだあ、いつ撮ったの、削除して」
などと騒ぐこともある。
それでも最後はいつでも
「もう、これで終わり?」
と声が出る。なんとはなしに名残惜しさでいっぱいになる。
やさしくて切ないオルゴールの演出のせいなのか、さっき見た景色、生きていた時間がすべて過去になって、思い出になっていることを突きつけられるせいなのか、もの寂しさが立ってくる。いつでも、少しだけ空気がしゅんとなる。
「フィルムじゃないんだから、どんどん撮ればいいんだよなあ、俺」
「貧乏性はこれだから、ダメだねえ」
「葬式の写真はこの中から一枚と思ったが、」
「だめだよ、お線香あげるとき吹き出すから」
と言って、もう一度笑い合う。
そうして私は洗い物に立ち、夫はコードの後片付けをして、いつもの二人に戻っていく。
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by zuzumiya | 2010-08-25 17:49 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

車と持ち主

夫と住宅街をぶらぶら散歩していると、ふいにこんなことを言う。
「車ってさ、番犬みたいだね」
言われてみると、そう見える。家々の玄関付近にいつも鎮座していて、ライトである目をキリリとつり上げ、バンパーの上のギザギザがキッと歯を剥いて威嚇しているように見える。車種によってはバンパーの下がさらに突き出て、まるで下あごを突き出したブルドッグのような、ものものしい面構えである。ガレージは犬小屋、蛇腹の柵がぴったり閉じられて、まさに猛犬注意の趣がする。
「いつの頃から、車の目がこんなにつり上がったんだろうね」
「いやだねえ。こんな怖い顔ばっかで、どけだの、遅いだのって走ってるんだから」
金喰い虫の車を手放して、もうずいぶんと経つ。
「でもさ、わたし、車の後ろのテールランプがへの字になってて、ニッコリ笑っているようなのも見かけたよ」
ああいう車の正面の顔はやっぱり笑い顔だったか、垂れ目だったかは覚えていない。
もし、後部だけ「いい顔」しているとしたら、「頼むから、オカマは掘らないでくれよ」と言って、取り繕った笑顔を振りまいているようなものである。ずるい。
それにしても、家々の住民は皆そろってつり目の車を選んでいる。
まあ、それが車の顔の流行ということだろう。しかし、対向車線につり目の車ばかりを無意識に何台何台も見ていると、人間の心も荒んでくるのではないかと思える。
うちの初代の車は、カローラで、ボディーの横に黒い線が走ってるようなものすごく古いタイプのセダンであった。しかし、子供の小さいうちは保育所の送り迎えや病院や行楽や帰省の長旅と、家族の足となってずいぶんとよく働いてくれた。
あれはおそらく母から譲り受けた車だったと思うが、夫が選んだものではなかったのに、ひどく夫にふさわしいというか、いかにも夫の車、夫が持ち主で正解!という風情を全身から漂わせていた。
横に細長い目の、どこまでも涼やかな優しいまなざしは、公明正大、清廉潔白、理知的で争い事を好まない平和主義者といった趣で、悪く言えば、何と言うか主張のない、欲のない、毒気の欠片もない、影の薄い顔であり(あまりに格差がありすぎる言い方だが)、実は私はこのカローラに「万年平社員」というあだ名をつけていた。聞いた夫も吹き出すほどに、ぴったりであった。
スーパーの駐車場で遠くから見ると「万年平社員でも、僕はしあわせです」と微笑んで、私たち家族の帰りを静かに待っているそのいじらしいほどの柔和な佇まいに、思わず「そうだよね」と言いたくなる。何かあの澄んだ落ち着いた瞳で、見栄をはらない白い平凡なボディーで、いつでも無言で私たちに「清貧」を指し示してくるのである。あの目で見つめられると、いつでも私と夫はいろんな意味で心のなかで頭を垂れてしまうのであった。
この「万年平社員」のカローラはその控えめなつつましい風情のために、路上では常に割り込みをされた。というか、乗り手の夫がきちんと車間距離を守って走るために、他の車が入り込もうとするのである。そして、それをいつでも夫はすんなり譲ってやる。挨拶もされずに。
世の中には家族を乗せていても、いちいち右に左に進路変更して、5分でも早く目的地に着こうとするせせこましい男もいるが、夫はそういう男ではない。うちのカローラの「万年平社員」もその精神を「善きこと」「美しきこと」として大いに喜んでいるように感じた。
高速で流れに乗ったために、たまに「ピコンピコン」と激しく警告音がなると、子供たちはウルトラマンの3分間タイマーを思い出してヒヤヒヤし、私は働かせすぎでいつエンジンから煙が上がって過労死するかとヒヤヒヤする。「万年平社員」は猛烈社員の器ではなく、出世レースなど似合わないのである。「清貧」の旗を風になびかせて、のんびり持てる力で走って行けばいいのだ。
その後、ややガソリン喰いのファミリーワゴンに変わったが、その車も横長の一重の涼やかな目をしていた。夫の選ぶ車はどうも、ギラギラとして他を威嚇するようなつり目でなく、おとなしく控えめで温和な目つきである。でも、その乗り手と車の素晴らしい相性のおかげで、事故にもあわず、危ない目にもあわず、家族はこうして今でも元気に散歩ができているのである。
「車に乗るとどうも性格が荒っぽくなるのよねえ」という男は、横長の一重の涼やかでおっとりとした目つきの車に、一度乗り換えてみるといいのではないか。
貧乏になるかどうかは、知らない。
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by zuzumiya | 2010-08-25 17:46 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

涙のポイント

「おはよう。早いねえ」
「おはよう。今朝もゲゲで泣いちゃったよ」

ここのところ、土曜の朝はこんな会話で始まる。ゲゲとは「ゲゲゲの女房」の略である。
仕事を辞めてから、朝の時間にせき立てられなくなったので、毎朝、NHKの連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」を見ている。
やはりNHKだったと思うが、ドラマがこれから始まる宣伝のために、水木しげるさん布枝さん夫婦にインタヴューした特集番組を見た。
その時の水木しげるさんの話し方が良かった。老人だからスローモーなのだけれど、時々何か強調する際に片目をきゅっとつぶったりして、とても表情豊かで、おじいさんなのにえらく可愛らしかった。話す内容も気取りはなく、ユーモアにあふれて、且つ含蓄があった。
隣で夫の水木さんに言いたいように言わせてみて、あまりにハメを外した発言があると、布枝さんが笑って水木さんの膝を叩いて、「○○でしょう?」とやんわり嗜める感じが、実に自然な感じでほのぼのとしていて楽しかった。
いい夫婦だなあと思った。見ている誰しもがきっと「こんなふうに仲良く年をとれたらいいなあ」と羨ましく思うような、穏やかで和やかな空気があった。
それで水木さん夫婦がいっぺんに好きになったので、初めて連続テレビ小説なるものを見始めることにしたのだ。
それともうひとつ、見てみようと思った理由がある。『ゲゲゲの女房』は奥様である布枝さんが書いた夫婦のエッセイで、水木さんは昔は売れない漫画家で、二人は実に貧乏だった。その設定が私の書いた『夫婦いとしい時間』と相通じるところがって、いや、もちろん、向こうは押しも押されぬ大漫画家として成功していくのだが、何だか同じ「フリーランスの夫を持った夫婦の苦労話」として見ておきたくなったのだ。

「ゲゲゲを見てると、あなたのフリーの頃を思い出すから」

そう言ってからだと思う。夫も興味を持ったらしく、土曜日だというのに、朝9時半に間に合うように起きてくる。9時半からはNHKの衛生第2放送で、さっき終わったばかりの今朝の放送分までの今週6日分の話を一挙に再放送で見ることができる。

「年をとると、不思議に大河と連続テレビ小説にはまるもんだねえ」
「ほんとよねえ。若い頃は『絶対、こうはなるまい』って意気込んでたけど」

夫が再放送を見ている間、私はそばで新聞を広げている。
読んではいるが、テレビの音もちゃんと耳に入っている。ドラマの筋がわかっているから、「もうすぐ泣きの場面がくるな」と思っていると、ややあって決め手になる台詞が飛び込んでくる。せつない音楽の効果もあって、新聞の字がじんわりと滲んでくる。
夫はというと、横顔のまま画面を微動だにしないで見つめているが、耐えられなくなったのか、そっとティッシュを一枚引き抜いた。
「やっぱり、泣いちゃったか」と思う。
思いながら、同じところで泣いている夫にやさしい気持ちになる。なぜなら、そこで泣いたということは、二人の生きてきた人生のなかで、たぶんいま、同じようなことを思い出しているにちがいないから。
その先も、次の回も、私と同じところで夫は目頭をティッシュで押さえた。

「年をとると、涙腺がやたらゆるんで困るねえ」

そんな冗談を言わないと、二人とも鼻水を堂々と音をたてて啜れないからだった。
窓際の机では娘がパソコンをやりながら、さっきからこちらに聞き耳を立てている。

今週はふみえ(布枝さん役)の
「うちの人はほんものの漫画家ですけん。夫婦だからいちばんよくわかってます」
の切々たる台詞がよかった。しげるさんの
「お互い苦戦を強いられますな。まあ、大らかにやっとりましょう」
も良かった。ふみえの父の
「夫婦が40年、50年と連れ添うなかではいい時も悪い時もある。いい時は誰でもうまくやれる。悪い時こそ、その人間の本質が問われるのだからな」
も良かった。それから何より、その後のふみえの
「おとうさん、私、貧乏だけど笑って暮らしとるよ」
の台詞は心にしみた。
再放送だから台詞はみんな知ってはいたが、まんまと2度とも泣かされてしまった。

「でも、水木しげるはいいよ。これから成功していくからなあ」

番組が終わって、夫が珈琲を啜って苦笑する。私だって世間様にとっては『夫婦いとしい時間』なんかより『ゲゲゲの女房』の方がドラマになるべきいい話だってわかっている。
でも、もう今さら、成功、不成功の話ではないように思う。一緒に生きてきた私たち夫婦の間にだって、水木さんのところに負けないくらい、濃い時間が流れている。
同じ気持ちで生きてきたからこそ、分かち合ってきたからこそ、私たちは涙するポイントが同じだったのではないか。
そんな言葉は気恥ずかしくて言えなかったが、長く連れ添っていれば、一緒にいまここに座っているだけで、なんとはなしに伝わっているようにも思う。

朝っぱらから二人とも感情を湯水のように使ってしまったので、午後は何もしても頭がまわらず、散歩がてら買い物に行こうと夫の部屋に誘いに行ったら、夫は本を伏せて昼寝をしていた。私もそれではと自分のベッドに寝転がって本を読み出したが、いつのまにか眠ってしまった。
4時すぎにそれぞれがのそのそ起き出して、のそのそと支度をして、夕飯の買い物に出かけた。年をとると泣いてはいけない。泣いたら眠ってしまって、一日がパアになる。

そんな私たち夫婦も来月の2日に、無事に結婚20年目を迎える。
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by zuzumiya | 2010-08-25 17:42 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

ささやかなる詩情

昔から俳句と言えば久保田万太郎が好きなのだけれど、そして万太郎にもいろいろな句があって、何処がいちばんに気に入っているかと言えば、
「短日やうすく日あたる一トところ」
「ものの芽にかがめばありぬ風少し」
の句の持っている、ひと言で言ってしまえば、「こんなものを詠んで、句になるものなのか」というほどの「ささやかさ」である。「ささやかな詩情」というべきか。
私の中では万太郎の凄さというか、この人間を好んでやまないのは、この「ささやかなもの」にまず目をつけて、「詠みたく」なって、その後、何ともいえぬ情感と余情の漂う詩にしてみせるところである。そういうささやかなものに惹きつけられる万太郎という人間の心根がどうにも愛らしくてしょうがない。

先だってから、随筆で井伏鱒二、小沼丹と読んできて、その流れで今は庄野潤三を読んでいる。それも初期の随筆の『自分の羽根』や自選随筆集『子供の盗賊』から読んでいる。庄野さんといえば、老夫婦の穏やかな暮らしのなかに、孫や子供たちや友人が関わってくるあの一連の日常の記録のような、私小説のような作品群が良いものとして知られているが、実は私はあまり好まなかった。
手に取って数ページ読むと、関係のない人の日記を読まされているような気がしてきて、その静けさや穏やかさがだんだんつまらなくなって飽きてくる。30代に買った『うさぎのミミリー』はそんな理由で読み終わらずに本棚にある。
ものには本当に芯から出会う時期というのがあって、庄野さんも40過ぎて漱石の作品にそう感じていたらしいが、私と庄野さんとの本当の出会いは40代のこれからなんだろうと思う。
『自分の羽根』のなかで庄野さんは、こう書いている。

<私は自分の経験したことだけを書きたいと思う。徹底的にそうしたいと考える。但し、この経験は直接私がしたことだけを指すのではなくて、人から聞いたことでも、何かでよんだことでも、それが私の生活感情に強くふれ、自分にとって痛切に感じられることは、私の経験の中に含める。
私は作品を書くのにそれ以外の何物にもよることを欲しない。つまり私は自分の前に飛んで来る羽根だけを打ち返したい。私の羽根でないものは、打たない。私にとって何でもないことは、他の人にとって大事であろうと、世間で重要視されることであろうと、私にはどうでもいいことである。人は人、私は私という自覚を常にはっきりと持ちたい。
しかし、自分の前へ飛んで来た羽根だけは、何とかして羽子板の真中で打ち返したい。ラケットでもバットでも球が真中に当たった時は、いちばんいい音を立てることを忘れてはならない。そのためには、「お前そんなことを書いているが、本気でそう思っているのか」と自分に問うてみること。その時、内心あやふやなら、その行は全部消してしまい、どうしても消すわけにはゆかない部分だけを残すこと。
どうせ大したことは見も、感じも出来るわけではないということを胸に刻むこと。
その代り、「当り前のことで、何も珍しいことではないかも知れないが、自分はいっておきたいことがある。どうもよくは分からんが、自分には話すだけの価値があることのような気がするから。別に誰が聞いてくれなくてもいいことだが」ということは、しっかりと書きたい。つまり、そいつこそ私の打つべき羽根に間違いないだろうから。
以上が子供と羽根つきをしたことから得た私の文学的感想である。>


これを読んで「一連のあの作品群が生み出された背景というのはこれだったか」と、とても合点がいった。私は特に、

<当り前のことで、何も珍しいことではないかも知れないが、自分はいっておきたいことがある。どうもよくは分からんが、自分には話すだけの価値があることのような気がするから。別に誰が聞いてくれなくてもいいことだが」ということは、しっかりと書きたい。つまり、そいつこそ私の打つべき羽根に間違いないだろうから。>

というところが大好きなのだが、ここを読んでひとり心の中で快哉を叫んだ。そして、庄野潤三という人間とようやく「初めまして」と握手をしたような気になった。
この『自分の羽根』は庄野さんが「文学的感想」などと珍しく堅苦しく書いて、はっきりとその意図するところを伝えているが、庄野さんの随筆のほとんどは、どちらかというと、ふだんの日常であり、身辺雑記的で、こんなに主張することは珍しく、何がどうということはないものである。どういう話か、筋などを言っては「はあ?」という顔をされそうで、逆効果である気もする。
しかし、私のような文章のへたくそに「何がどうということはないことのなかにある凄さ」は非常に説明するのは難しく、野暮のように感じもして、良さをわかってもらうためには引用に次ぐ引用で、「ほら、ここ」「ほら、そこ」と言ってまわるしかないのだけれど、あえて言うならば、先ほど書いた久保田万太郎のような「ささやかな詩情」が、庄野さんの文章世界にも満ちているのだ。

昔の随筆には「そこはかとなさ」「なんということもない面白み」みたいなものの良さを
滋味や豊かさといって、読み手には掬いとって楽しむゆとりがあったように思う。食べ物でいったら、落雁のような淡い上品な甘さだろうか。そして、逆に言えば、書き手にとっては、いかに目立たない、何気ないもののなかに何かを見つけて書くか、というのを競い合っていたふうがある。そういうもののなかに哀歓を見つけることに随筆における人間味を賭けていたように思える。
そしてそのことに、私も40代になって、しみじみ共感を覚えるようになってきた。
たとえば、庄野さんの「家風」について書かれた「あわれときびしさ」という随筆のなかで、

<外房の或る小さな漁村では、夜村の中を歩いていると、電燈のついた部屋で家族が食事をしているのが見える。(中略)男はみんな、立て膝をして御飯を食べている。これが何だか、おかしい。おかしくてあわれである。 >

と書いているが、私はその「おかしくてあわれ」がわかって、居ても立ってもいられない。ここでも庄野さんの手を強く握ってしまう。
見過ごしてしまいそうな何ということはない風景なのだが、ここをおかしくてあわれと感じる庄野さんという人間の眼を「短日やうすく日あたる一トところ」と詠んだ万太郎の眼と同じに、私はとても信頼できると思えるのだ。

文学や音楽や芸術の分野でも血筋という言葉を使うなら、私はやはり万太郎や小沼や庄野
さんの血筋と思いたい。一読して「だから何なの?」と真顔で問われても、静かに微笑んでいられるような「ささやかな詩情」を見つけたい。そういうものを愛でたい、慈しみたい。
そういえば、私の筆名の名字はひらがなで「しょうの」であった。
これもささやかな縁なのかもしれない、と今思い直している。
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by zuzumiya | 2010-08-25 17:33 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

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