カテゴリ:日々のいろいろ( 633 )

ブログらしく近況4

最近の洋楽熱、なぜか盛り上がっております。
ヨンシー・バーギッソン&アレックス・ソマーズの『ライスボーイ・スリープス』と先ほどのルーファス・ウェインライトの歌とピアノだけの最新アルバム『オール・デイズ・ア・ナイツ:ソングス・フォー・ルル』というアルバムを聞きたいと思っております。他にもロジャー・イーノの『ヴォイスズ』、ラドカ・トネフの『フェアリー・テール』、マーク・ジョンソンの『シェイズ・オブ・ジェイド』、キャット・パワーの『ザ・グレイテスト』、ジェーン・バーキンの『フィクションズ』、ブルース・コバーン『雪の世界』、クリス・レアのベスト、レナード・コーエンのベスト、ロキシー・ミュージックの最新作も。ヨンシー&アレックスは手配しました。幻想的で美しいと評判のインストゥルメンタルなのでとても楽しみです。しかも、17日にはライブ前のぎりぎりのところで、エレファントカシマシの『悪魔のささやき』が出るんですよね。うう。

ジャパン、思わず買って読みました。写真はたしかに素晴らしい。いい表情です。内容的にはどのアルバムの頃にはどこそこに住んでいた、どんな暮らしをしていたという、どこかで目にしていたり、耳にしていた過去のそこそこプライベートな話しか憶えてません。テーマは「生活者、宮本浩次」なんでしょうが、生活、あんまり見えてませんね。なんだか、3万字もあるんだったら、もうちょっと突っ込んで、アーティストなんだけれども40男のふだんの日常を知りたかった気もします。悩みやら不安やらこれからのことやら、ほら、「憂鬱だ」って言ってたりするんだから、もっと心情的なこととか、逆に楽しみとかも。見てる映画とか、聞いてる音楽とか、本とかも、きっと追いかけて聞いたり読んだりはしないけれども「ふーん、そうなんだ」って知りたかったような。アルバムや音楽のことじゃないんだったら、ですよ。山崎さんが友人として、もっと引き出せたような気がしちゃう。なんか写真に引き寄せられて、つい買ってしまったけれど、こういう情報ほんとに欲しかったか?でした。
でも、女性ファンはすごい盛り上がってそうですね。うまいな、商売が。

遅ればせながら是枝監督の『空気人形』、DVDで見ました。現代のかわいいおとぎ話ですね。
吉野弘さんの詩が「生命は」が使われていました。あれ、とてもいい詩です。吉野弘さんは前にブログでも「虹の足」を紹介してたはず。おすすめの詩人です。ハルキ文庫から詩集が出てます。是非、買ってください。
あなたの息で私の体をふくらまして(いっぱいにして?)、でしたっけ。いいですよね。
あのおへそのところに唇を当てて、直にふうーって息を入れて、だんだんに膨らんで胸がツンと立って、意識がしっかり芽生えていったり、反対にしゅうううと抜かれて、気怠く悩ましく、くたりと力が抜けて、意識も遠のいていくシーン。なんかあれはあれですごくエロティックで、でも温かなやさしいセックスなんだなあと思ってしまいました。
市川準監督が亡くなった後、人も東京の街もこんなに血が通ってやさしく描けるのはもう是枝監督しかないよ、と思っています。
韓国映画の『母なる証明』もよかったです。監督は『殺人の追憶』のポン・ジュノ。ひたすら息子をかばう母親役のキム・ヘジャの演技がよかった。ちょっと頭の足りない息子役は懐かしのウォンビンでした。犯人探しの真実に思わず夫婦で「えーっ!」と叫びました。真犯人との面会で「あなたに母親はいるの?」と訊いて、わっと泣き出すシーン、実によかった。あの瞬間の気持ち、さまざまに交錯する想い、世の中の母親なら痛いほどわかる。いい映画を2本も見られたいい週末でした。

本は、松井冬子の画集を見て、よしもとばななと角田光代の最新作を読んで、今は江戸川乱歩傑作選を読み始めています。浅暮三文という人の『五感集』が気になっているところ。はじめての作家さんです。
コミックは新聞で読んだ『船を建てる』に興味あり。

仕事場で、私の性格をひと言で言い表した「べらんめぇチキン」(江戸っ子気質なのに、実はチキン。自分で命名)が定着してしまいました。ケンタッキーみたいでしょ。

電車に乗っていて、「男性との突然の出会いの場面」について考えていた(ヒマだった)。たとえば、前に歩いていく男の子のほどけた靴ひもを踏んでしまってつんのめることでの出会いとか、電車やバスで隣の男性のワンセグを覗き見て思わず吹き出しちゃう出会いとか、電車で隣に寝ている男性がいきなり寝言で「だめだから!」と小さく叫んで、わっと腕をつかまれる、そういう出会いとか…。
恋愛ドラマの名手、北川悦吏子は病院で検尿の紙コップを間違って男性にふっかけるという突拍子もない出会いの場面を考えたことがあるらしい。さすが、凄すぎる。
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by zuzumiya | 2010-10-31 23:52 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(2)

あの鳥のように

朝早く目が覚めて、蒲団のなかで本を読みだしたら、ふと外で鳥が鳴いているのに気づいた。一羽だけの、まっすぐ飛んでいく矢のようにきれいに澄んだ声。頭のなかで、どこか鉄塔か何か高いところに止まっている小さな鳥が、空に向かって嘴を上げ、身を震わせ、高らかに鳴いている、そんな画が見えてくる。
「あれは鳥の領空支配の声だ」と誰かに教えられて、「そんな味気ないつまらないことを言うな」と嘆いたのは山男の辻まことだったか。
彼はそれをつまらないことと思ったが、今朝の私はなんだかそうは思わない。
始まったばかりのまっさらの朝に「ここに自分がいる、ここが自分の居場所だ」と堂々と懸命に主張している小さな鳥。なにかとてもすがすがしく、崇高な気がする。
たとえ、ただのちっぽけな縄張り意識、自己の存在の主張だとしても、あんなに澄んだきれいな声で、聞いている私の耳を今喜ばせて幸福な気分にさせているのなら、それはもうとてつもなく立派なこと、素晴らしい奇蹟だ。
あの鳥のように、自分というものを、伝えられないものか。
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by zuzumiya | 2010-10-25 18:33 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

問いかけてくる目

さきほどロキノンの山崎さんのブログを見に行ったら、月末に発売予定のジャパンの表紙がでかでかと載っていて、びっくりした。目と目が合って、一瞬、息を飲み、その後、なぜだか「ごめんなさい」と力が抜けていった。
「素直じゃなくて、嘘をついて虚勢を張っていて、ごめんなさい」という気持ち。
どうしてだろう、このまっすぐな目にいつも射抜かれ、ひるんでしまう。
この目はいつでも「問いかけてくる」。
あるファンブログに昨日のラジオ出演のインタビューの内容が書かれてあった。
「44歳の今頃になってようやく女性を親しみのある仲間感覚で見られるようになった。だから女性目線の曲を作りたかった」と語っていたそうで、「そうか、それはよかった」とうれしくなった。早く聞かねば、と思う。
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by zuzumiya | 2010-10-24 14:41 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(5)

ブログらしく近況3

a0158124_2321240.jpg『十三人の刺客』で注目の三池崇史監督の『殺し屋1』(R-18指定)をDVDで見たが、ぶっ飛んだ。殺し屋パート1ではなく、「イチ」だったのですね。
この監督の作品はグロいと聞いていたが、やっぱりそうか、もう凄いなっていう感じ。
子宮内膜症でお腹が痛かったが、あまりの内容に見ている間は痛みを忘れていた。見終わったとたん、キリキリキュウウと倍痛くなった。
キャストがよかった。大森南朗と浅野忠信のサイコぶりがいい。松尾スズキを双子のイカれたサディスト刑事にしたところは素晴らしい。漫画っぽいなと思ったら、原作は『ホムンクルス』の山本英夫の作品らしい。台詞や小道具にユーモアもあって、グロいのに笑えたりもした。というか、わざと笑ってホッとしていた気がする。
どうして人間はこんな暴力的でグロい映画を作ったり、見たりするのだろうと思ったが(三池監督はヨーロッパでは北野監督と並んで人気がある)、見終わった後にそこらへんのホラーより背中がゾクゾクして怖ええと思いつつ、「ああ今、何事もなく、普通の平凡な日常を生きてることにものすごーくホッとして、ありがたがっている私」を感じて、ほんとに生きててよかったあ、と深く息がつけた。
これなのだろうか。つめていた息をふううと吐き出せた後、今度はすうーっと吸えるこの感じ。呼吸を繰り返して現実に少しずつ戻って、なじんで、「なんでもなかったじゃん」とおさまっていく感じ。命を誰からも狙われていない、誰も踏み込んでこない、血なんか見ない、刃物もさっき味噌汁を作った時の台所の包丁しか見ない、何にも起こらず外界からちゃんと守られている、いつもの家のいつもの部屋のしっかりしたこの安堵。犯罪から限りなく遠ーくにいる私。バカみたいだけど、何事もなく生きてることをよかったと、ひとしきりささやかに思えること。
これをわからせたい、わかりたいためにこういう映画は存在しているのだろうか? 
なんて、分析はいらないか。
とにかく、久しぶりにこんなにも痛くて酷くてうわっと引くほどこのうえなくグロい映画を見ました。ふー。
  
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by zuzumiya | 2010-10-23 23:04 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

ブログらしく近況2

先日買ったENOのアルバム、『Thursday Afternoon』『Neroli』は1曲がなんと60分なんだそうだ(測ってみていないが)。私は文章を書いたり、読書をしているとき、音(特に日本語)が鳴るのが邪魔で、どうしても耳が拾ってしまって集中できないのだけど、ENOのアンビエントのシリーズだけはかかっていてもぜんぜん苦にならない。眠るときもアンビエントのシリーズをかけて寝る。夫は湯船で『鏡面界』を聞いている。というわけで、一日中、アンビエントが繰り返し普通にかかっている部屋に家族といる。
来春の武道館とファンクラブの更新、アルバムの発売、ライブ当日の交際費と金が出て行く。アルバムに入るというシングルを買わないのは致し方ないだろう。
ドラマ「黄金の豚」の篠原涼子のファッションは実に私好み、というか、あれ、サングラスは抜きにして私の普段着そのまんまだ。
昼をカロリーメイトとヘルシアにして、間食をせず、毎晩ジョギング&歩きを1時間してたら、ちゃんと痩せてきた。でも若い頃のペースでは痩せないことに愕然としている。
「例えば、天災や乗り物の大事故なんかで大量の人間の死体がばらばらになったとしたら、私のことを認識できるか」と夫に訊いたら、「たぶん、無理だ」というので、「そんなら、右手の甲のここんところに黒子があるからね、ほら」と一応、見せておいた。不謹慎でも笑いごとでもなく、どこに黒子があるとか傷があるとか、家族の体の特徴は意外と知らないで暮らしているものである。でも「日々のことづけ」にはうまくまとまらない。
職場でいい話を聞いた。赤ん坊の我が子が可愛くて可愛くて、添い寝をしながら「生まれてきてくれてありがとうね」と言い続けて頭を撫でていたら、赤ん坊が最初に口にした言葉が「あいがと」だったという。私はこういう母親になりたかった。
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by zuzumiya | 2010-10-23 01:13 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(2)

ブログらしく近況

昨日は新宿のタワレコで友人と一緒に見てきました、例のエレカシのビデオ。
エレカシにまつわるいろんな著名人が思い出などコメントを寄せていましたが、なかでも「エレカシのファンをどう思うか」の質問が面白かったです。ロキノンの山崎さんと渋谷さんのコメントの違いがなんとも人柄を表していていいなあと笑ってしまいました。会場でも吹き出す男性がいましたし…。渋谷さんの意見、よくわかります。まさに図星だと思いました。ああいうインタビューは今度のアルバムのおまけの方に入るのでしょうかねえ。入らないなら、いいものを見た気がします。
結局、もう一つ上の階で、欲しかったB・ENOのアルバムを2枚(60分で一曲です)とニール・ヤングの新譜、ダニエル・ラノワがプロデュースしたやつを買って帰りました(今聞いてますがやっぱり凄くカッコいい)。ということでファンのくせに「彼女は買い物の帰り道」はいまだ聞いていません。得意の転調部分、まだ聞けていないので感想も書けませんが、歌詞だけは見ました。「負けない心で」という歌詞に「…」です。
アルバムのタイトルも「ほほう」。私は「good morning」のアルバムがガチャガチャ、キーキーしていてあまり好きではないのですが、あっちにまともに行かれると「う〜む」でしょうね。「脱コミュニケーション」というからにはコミュニケートできない歌詞が楽しみです。あんなにファンやお客さんとの「つながり」を意識していたのに、何か心境の変化でもあったのでしょうか。アンビエント好きの私としては、SEの「朝」が実はいちばん楽しみだったりします。蔦谷さんがついていてくださるので。
最近はまた少しずつ洋楽の方に戻っていってる気がしますが、ライブには行きます。
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by zuzumiya | 2010-10-21 20:12 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(8)

ヒロト&マーシーの歌

いま、某有名洗濯洗剤のCMでクロマニヨンズの曲が流れていますが、あれが好きです。「はじめから、全開で〜」は本当にその通り。仕事にとりかかるとき、私のなかでこのフレーズが鳴りだして、今日も力の出し惜しみなく頑張ろうと心底思えます。調べてみると『ひらきっぱなし』という面白いタイトル。ヒロトとマーシーにはブルーハーツの時代からいつでも励まされたり、慰められたりしてきました。あのシンプルで覚えやすいメロディラインと、ヒロトのぬくもりのある、まっすぐな真摯な声と、人としての痛みもやさしさも抱えた正直で素直でそのまんまの、時に爽快で笑いだしたくなるほどストレートな歌詞。ぶっきらぼうに歌っていても、ぜんぜん嫌みじゃなく、そこに愛すべき永遠の少年がいる。しんみり歌われるとせつなくなって、でもどこかで同じ人の弱さをあたため合う気持ちになる。いろんないい曲があるけれど、嫌なことがあるたびによく台所で洗い物しながら聞いていたのは、ハイロウズの時期の「スーパーソニックジェットボーイ」でした。「どうでもいいじゃないか、そんなこたぁどうでも〜」を繰り返し歌っていると、ほんとに世の中の大半のことがささいなことで、地球の方がだんぜん可哀想で、どうでもいいじゃないかと思えてきます。まっすぐ、正しい力で、明るい方へよい方へ、強く引っ張られるというのは、ヒロト&マーシーの歌にはある気がします。
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by zuzumiya | 2010-10-21 08:36 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

黄色い傘

かれこれもう、ひと月以上になるだろうか。我が家の窓から見える駐車場のブロック塀に子ども用の黄色い傘がぽつんとかけられている。誰かの忘れ物なのか、捨てていった傘なのか、毎朝カーテンを開くたびに、あるかどうかをなんとなく確認している。

もうずいぶんと見慣れたその黄色い傘のことを、今朝になって書きたくなったのはどうしてだろう。梅雨の小雨の降るなか、黒く冷たい道路の上に今朝は倒れているせいかもしれない。傘の黄色が雨に打たれてやけに浮き立って見える。心のなかで、あんなところに倒れてしまったら、捨てられてしまうかも、と心配している私がいる。車の車輪で折れてしまわないか、と心が痛んでいる。なのに動けず、私は黄色い傘の黄色をただ見つめている。誰かがまた塀にひっかけてくれるさ、ひと月以上も捨てられなかったのだから、大丈夫だ、そんなふうに自分で自分を慰める声もする。

私にはわかっている。駐車場を使うマンションの住民も、ブロック塀の民家の隣人も、ゴミを出しに孫と歩いてくる近所のおばさんも、大きな犬の散歩にくるご婦人も、子どもを幼稚園に送り迎えする若いお母さんも、みんなあそこに黄色い傘が一本かけてあることを知っているのだということを。そして、私のようにそこに「ある」と確認して、なんとなく心落ち着いているのだということも。

ぽつんと残った子ども用の黄色い傘を誰が捨てられようか。なにかもの哀しいような、せつない温かみのあるような、そんな雰囲気を漂わす黄色い傘を誰もどうにもできなくて、そのままにしてあるだけなのだ。紳士用の黒傘なら、婦人用の柄傘なら、ビニール傘なら、とっくに捨てられていただろう。もしかして、同じ子供用でも青い傘や赤い傘なら捨てられていたかもしれない。黄色い傘だからこそ捨てるに捨てられないのだろう。

視界の悪い雨の中、車から我が子を守るために、親が最初に子に持たせる傘の色は、黄色だろうと思う。傘の黄色には他の色が持ち得ない、可愛いだけでないメッセージがこもっている。いっちょまえに傘をさして、前を見ているんだかどうだかわからない調子で離れて歩く幼な子にやきもきしながら「ドライバーさん、ここに子どもがいるんです。気をつけてやって」とめいっぱいの注意信号を送っているのが黄色なのだ。それをどこかで知っているから、私たちはなんとなくあの黄色い傘を捨てられないのだろう。

子どもの傘はふざけて「おちょこ」にされたり、戦いごっこの剣にされたりで、寿命はそんなに長くはないものだが、黄色い傘の寿命はことのほか短いように思う。小学校に入学したての頃は男の子も女の子も、ランドセルカバーと同じ黄色い傘の子が多い。ところが、1年生の後半頃には骨が曲がっていたり、てっぺんに穴が開いていたりと傘のいたみが目立ってくる。玄関で黄色い傘をくくりながら「それでも友達と楽しくやってるのならいいや」と苦笑したりする。次に傘を買うときは、もう子どもが黄色を幼がって、ピンクやら青色の傘を選ぶ。黄色い傘は一年も保たずに、子どもの順調な学校生活を親に知らせて役目を終えるのである。

雨の中、母親がかばいきれない幼いいのちを守って、雨上がりには幼いいのちと戯れて、大抵は骨が曲がって薄汚れて、てっぺんに穴があいて、ごくろうさまとなる黄色い傘。我が家の傘立てにも実は一本、残っている。面倒だからとばかり思っていたが、なんとなく捨てきれずにいたんだな、と今わかった。
不思議だが、私が我が家の黄色い傘を捨てたら、道路に落ちているあの黄色い傘も誰かに捨てられてしまうような気がする。どちらの傘にもさわれずに、気持ちはただうろうろとしている。
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by zuzumiya | 2010-10-13 20:42 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

ブランコ

娘が一緒に乗ろうというので久しぶりにブランコに乗った。ふたりはまるで同級生の女の子同士になって、ブランコの板にお尻を軽くかけた状態で立つ。「せーの」という娘のかけ声で一気に板に飛び乗る。一瞬、気持ちがふわっと浮く。足をまっすぐ伸ばしておでこを晒して空気に切り込んでいく。先へ、もっと先へという気持ちが漲ってくる。てっぺんで足を折って、空気をかき、そのまま背中で後ろの空気を押しながら滑り下りていく。ブランコは風を押していく遊びであることをひさしぶりに思い出した。

私はブランコが弧を描いて高みから降りていくときの、あの、ふわっと気持ちが浮く瞬間が嫌いだ。なんというか胸がどきんとしてしまい、魂だけがふわっと浮いて、体とずれてしまったような感覚がたまらない。大人になってからのブランコはこの感覚が余計にひどくなったように思える。しかし、勝ち気な娘は隣で「お母さんより、高いもんね」と言い放ち、本気でブランコをこいでいる。負けてはならじと、高みから下りていくときはわざと「わー」と気合いを入れた声を出す。挑むような気持ちに切り替えて「乗られる」のではなく「乗る」ことができれば、だんだんと慣れてくるのを私は経験から知っている。そう、ブランコは実に精神的な乗り物であった。

娘が小さい頃、公園へ行くたび、私は娘の背を押してやらねばならなかった。しばらく押してやって、その揺れが続いているうちは娘は満足でおとなしくしているが、やがて揺れが収まってしまうと「ママ、押してよう」とだだをこねる。なんとかブランコを自分でこげるように教えてやりたいのだが、「はい、足を伸ばして」「はい、足を折って」だけではブランコは思うように振り子運動をしてくれないのだ。

「空気をかいていく」「こぐ」というニュアンスを幼い子に言葉でわからせるのはなかなか難しい。結局は体でコツを覚えてもらうしかないのだが、「自分で乗りたいんだ」という気持ちが本当に湧き上がって、じらじらしてこないうちはダメなのだ。ブランコの上のお人形さんではダメなのだ。その後、保育所に通っていた娘は友達の刺激もあってか、ある日突然、ブランコが「わかって」しまって、自分でこげるようになった。

だからブランコは、おそらく自転車よりも先に、子どもが最初に出会う精神的な乗り物だ。ブランコには一人で乗る。板の上に乗ることは単に座ることなので誰にでもできる。しかし、満足する揺れを作り出すのは難しい。ひとりでなんとかブランコを揺すって、自分で自分を楽しませることを学ばなければならない。自分の思いと体とがうまく繋がらないことを学ぶ、たぶん最初である。自分の内面と話をすることの、たぶん最初である。友達の姿に「ああなりたい」という憧れを持つ、たぶん最初である。そして自分で自分を越えていくことの、たぶん最初であるのだ。

ブランコには意欲が不可欠だ。先へ、もっと先へ行きたいという気持ちしか揺れを増進させない。しっかり前を向いて「桜の木のあの枝まで」と目標を決める。その熱意が足先にまで伝わって、空気を裂いていき、ブランコを我が物にする。自由を感じる。自分で獲得した自由だった。そしてまた一段、目標が高くなる。「今度はあの枝まで」

しかし、なんと多くの子ども達が「空まで飛んでいけ」という高望みをしたことだろう。空はそばにあるようでいて、はてしなく遠かった。多くの子どもたちが空に焦がれて、その焦がれた分のスピードで振り戻されて下りていった。そして、だんだんと諦めていったのかもしれない。ブランコが鎖で繋がれている乗り物だということに子ども達は気づいてしまった。ほんとうの自由ではないことを気づいてしまった。

最初にひとりの男の子が飛び降りた。勇敢でクリエイティブでロマンチストな彼は、ブランコに振り戻され下ろされる前に、てっぺんのところでひょいと飛び降りた。空まで飛んでいかれないのならいっそ自分で自分を解き放してやりたかったのだろう。彼は手を放して一瞬の自由を味わった。

子どもというものは遊びのために生きている。自由のために生きているものだ。どんどん、男の子達が真似をしだす。着地に失敗して弾みでブランコの柵にあたって鼻血を出す子もいた。ずるりと膝小僧をすりむいた子もいた。危険だと教師や親達は注意したが、やめる者はいなかった。あの宙を舞う感覚、あれこそ空と一体になって得られる最高の自由だった。最高の自由を手にするための代償は当たり前だとみんなどこかでわかっていた。危険を冒してまで味わってみたい自由。そしてそれを達成できた自分への満足。みんなからの賞賛。

ブランコは大人の私を今また、かき乱していく。ふわっと魂がずれる感覚は気がゆるむといつでも襲ってくる。こころから挑戦していく、自分を自分で高ぶらせる、楽しませる気概を持って臨まないとすぐ恐怖に飲みこまれてしまう乗り物だ。こげばこぐほど高くなって、スピードも出るし、世界を味方につけたような開放的な気分になる。しかし、自分でこぐのをやめてしまえば、スピードは落ち、やがては止まって、ただの椅子になり下がってしまう乗り物だ。ブランコによって私たちは人生の本質に子ども頃から触れていたのかもしれない。乗るのも自由、乗らないのも自由。ただひとつ、こがなければ動かない。
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by zuzumiya | 2010-10-12 23:22 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

いつの間にかこんな風に

最近、時間というものをぼんやり考えています。
私は事情があって幼い頃から母親と離れて暮らしてきました。そのことでずっと母親を恨んできました。自分の欠点はすべて彼女の仕打ちのせい、自分の歪んだ考え方や生き癖ようなものはみな幼い頃受け続けた理不尽な悲しみのせいと思って生きてきました。若い頃はもう、事あるごとに絶対母を許さない、この苦しみを忘れるものかと自分に誓って日々を生きてきたのです。
でも、40代半ばになってふと気がつくと、悩み事や辛い事は相変わらずあっても、昔のように母のことを憎々しく思い出さなくなっています。いったいいつの間に自分がこんな風になったのかと不思議に思います。母を許したのかと自分に問えば、やっぱり彼女のやってきたことは人間として許せません。
ただ、ほんとうにいつからか、徐々になのだろうけれど、私のなかで優先順位が変わっていったのだろうと思うことができます。母の子である私より、子の母である私が心を占めていかざるをえなくなって、そうして、自分の家族がより自分のもの、家族として強まって、私の唯一の居場所として、心のなかに安定していったのだろうと想像できるのです。
若い頃から母への怒りを母の代わりに一身に受けてきてくれた夫の存在。愛憎からまって複雑な私を「悪いところばかりじゃない。いいところだってあるから」と離婚もせず、「一人にしたらいけない」と見放さないでくれました。
母親として全身で頼ってきてくれた子供たちの存在。その瞳は「この子にとって今私はどんな風に映っているんだろう」とふいに冷静にさせて、私を母親というものに引き戻してくれました。幼い頃をもう一度生き直す経験をくれて、祖父母に愛されていた日々を輝かしく思い出させてくれました。
そんなことをつらつら考えてみると、今、しみじみと「誰かとともに生きる」を選んだことがすべてだったと思います。ただ長い時間の経過だけではなかったなあと思うのです。

若い頃、連れ立って歩く夫婦を見て、自分の旦那さんが禿げていくのを奥さんはどう感じているんだろう、なんて不思議に思っていました。
ふとした瞬間、夫の頬や喉のたるみが目立って、若い頃よりひとまわり小さく縮んで、男としてはだいぶ情けなくなってしまったなあとしみじみ思うけれど、なんだかそれだからって別に嫌じゃないんです。不思議なことに自分も老いてきたからという観点ではなく、「ああ、一人の男が生きて、家族のために生活して、自分を費やしてきたのだなあ」と感じて、なんだか無性にそんな姿が愛おしくなってしまいます。
たまに夫と模様替えや本棚の大整理をします。「自分のものだけだったら、絶対きれいなお洒落な部屋に住めるのに」といまだに一瞬カチンとくるけれど、すぐに「これが一緒に暮らすってことだったよなあ。こうやってごちゃまぜになって、埃をかぶって一緒に暮らしてきたんだよなあ」とあたたかい気持ちが込み上げてきます。
知らないうちに戸棚に私の好きなお菓子が入ってる。
スーパーの袋からぽろりと歯ブラシが落ちて、「取り替え時だろ」と夫の声がする。
夫の「珈琲にチョコレート」がいつの間にか私の習慣になってしまった。
たまに一人で外出しても、子供のものを買って帰ってしまう。
家族のなかの誰かが嫌いな食材は食卓にあがらない。
天気がいいと、まず蒲団を干したくなる。
愛なんてものは、ほんとうに大げさなものじゃないんですね。
言葉にするとなんてことはなさすぎて、あまりに自然だから、みんなすうっと読み飛ばしてしまうんでしょう。
そういえば、写真家のアラーキーさんの亡くなった奥様の陽子さんがこんなことを書いています。

「あー夫婦だなあ、とシミジミと感じてしまう時がある。どんな時かというと、それは夫のすぐ後に自宅のトイレに入った時である。トイレの中にはモヤモヤーンとした夫のウンコさんの臭いが漂い、便器に腰をかけると、便座カバーには夫の体温の温もりが残っている。しかし私はそんな事が一切気にならない。それどころか、その臭いに一種のナツカシサを感じてしまうほどである。何年も一緒に棲み、全てといっていいほど曝け出して暮らしている夫婦の、当然のナリユキ感覚なのかもしれない。これがもし、ボーイフレンドだったりしたら、こうはいかない。(面白いけれど後は略)」
                       『愛情生活』荒木陽子より

なんとも微笑ましい文章で、私はここがほんとに好きで憶えていました。
若い頃には愛ってものがこんなささやかさで普通に繰り返されるものだとは、わからなかった。私と同じ40代のみなさんもそうじゃなかったですか?
でも、こんな肌寒い静かな曇りの日に一人で外を見てると思うんです。
ああ、人はこんなふうに年をとっていくんだなあ、って。
そして、こんなふうにゆっくりと思えていくものなんだなあ、ってうれしくなるんです。
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by zuzumiya | 2010-10-10 11:17 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(4)


ふだんの暮らしに息づいているたいせつなもの、見つめてみませんか?


by zuzumiya

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