暮らしのまなざし

カテゴリ:日々のいろいろ( 596 )




節分かざり

a0158124_22252527.jpgお正月の次はひな祭り、とお店ではそういう順番になっているようだが、みんな節分を忘れている。我が家の季節の玄関飾りはきちんと節分を取り入れていく。
外国人が浅草なんかでお土産に買って行きそうな手のひらサイズの鬼のお面とお多福のお面を購入。後は豆を入れてディスプレイする枡を買い忘れたのでスーパーで売ってるかなぁ? 今年は新年からタペストリーとして、竹久夢二の紅白のつなぎ団子の柄の小風呂敷を飾ったが、おめでたい感じがすこぶるいいのでそのまま節分も外さずにいく。今年は庭に鳥たちが来ているので「鬼は外!」と盛大に豆を撒いてしまいそう。節分を終えたら立春。そしたら、タペストリーの柄も春物にかえ、ひな人形の出番だ。


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by zuzumiya | 2017-01-15 08:24 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

階下のクシャミ

さすがに寒中だ。日本列島全体を非常に強い寒波が覆っているという。日本海側はもちろん、名古屋など近畿地方でも雪が降っているらしい。東京も朝方は晴れていたが午後になってどんよりと曇ってきてしまった。日差しがないだけで寒さがずいぶん違う。
昨日から少し喉が痛んでいる。保育士の職業病か喉からまずやられる。離れて住む娘からはインフルエンザのB型になってしまったとメールが来た。午前中に駅前の眼科と図書館から帰ってきてからは電気毛布を仕込んだベッドに横になり、ファンヒーターをがんがんつけて静かなピアノ曲を流しながら、休日のお楽しみの本を読んでいる。川本三郎の『あのエッセイこの随筆』が面白い。永井荷風が焚き火を好んだとか、大佛次郎が生涯に猫を500匹飼ったというのを見つけてニンマリする。さっき立て続けにクシャミが5回も出た。どうやら本格的に風邪を引き込んだようだ。そのあと面白いことにしばらくたって、今度は階下の夫の部屋の隅からやっぱりクシャミが立て続けに3回、くぐもった音で聞こえてきた。窓の外は曇り空。ガラスの下半分の結露が朝からまだ乾かずにある。洗濯物が揺れているから外は風も吹いてますます寒そうだ。久しぶりの冬の曇天の薄暗さのなかにいて、階下の家人のクシャミの、そのくぐもった音に妙に冬らしい人の温みをのどかに感じている。

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by zuzumiya | 2017-01-14 13:34 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

蠟梅

先日、と言っても正月の二日の話だが、頂いた年賀状の返事を出しにポストを探し歩いていた時のこと。近所のアパートの駐車場の片隅に蠟梅が咲いているのを見つけた。いつもならその清楚な香りで目よりも鼻でその存在がわかるのに、鼻も正月ボケなのか、わりと近くに咲いているのに全然気づかなかった。蠟梅は金木犀と並んで香りがいいので以前から庭が持てたら植えたいと思っていた。こんなにいい香りの、私にしたらお金を出して買いたいくらいの蠟梅がなんで駐車場の片隅なんかで人々に忘れ去られ、排気ガスにまみれていなきゃならないのか。まったく物の価値がわからない奴が多すぎる。なんて内心息巻いて、花びらの香りをスンスン嗅いでいた。駐車場だし、誰からも愛情を注がれていないみたいだし、手折れるものなら手折って行きたい。が枝なので手では無理である。そういえば、最近、花を摘む人、手折る人を見かけたことがない。昔のように空き地や原っぱ、線路際のような宙ぶらりんの場所がなくなって、みんなしっかり誰かの所有地だから、勝手に入ったり、手を伸ばして季節の花をちょっとだけ手折ることもできないのかな。夜陰に紛れてノコギリでギコギコやるのはどこから見ても花泥棒である。で、どうしても欲しくなって矢も盾もたまらず、三連休の最後の日に蠟梅の鉢植えを買った。鉢植えの方は触れたらポロリと取れちゃいそうな小さな丸い蕾ばかりで花は一つも咲いていない。本当に咲くのかなとやや不安である。
ところが今日になって、道端の自家製野菜を売ってる小屋にバケツが置いてあって、その中に蠟梅の枝が挿してあるのを見つけた。二本で百円。いくつも花が咲いていて、いい香りで蕾も多い。他の奥さんたちは袋づめのミカンや柚子に手を伸ばしていたが、私だけが見向きもせずにしゃがんで蠟梅の品定めに励んでいた。後から来たお婆さんがそんな私の姿を見てぽつりと「春だねぇ」。いやいやお婆ちゃん、季節はまだ寒中ですぜ。これからいちばん寒い大寒を迎えるんでしょうが。でも、いい香りの黄色い小花はたしかに春を思わせる。春告鳥はウグイスで、春告花は梅の異名だけど、寒のさなかに咲く蠟梅こそ春告げの名にふさわしいと私は思う。

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by zuzumiya | 2017-01-11 23:59 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

開けたら閉める

寒い日が続く。
我が家の飼い猫のももは、揃えた両足をぐいと横に引いて、襖を開けることができる。
その礼儀に則った開け方は、まるで「失礼します」と挨拶して入ってくる旅館の女中さんを連想させ、見つけると笑ってしまう。ただ、ももは襖を開けることはできても閉めることができない。これが実に厄介なのである。リビングで夫と二人、映画を見ている。暖かな部屋にすーっと一迅の冷気が走る。「なんか、さみーなぁ」とぼやく夫。もしやと思って見に行くと、台所の襖が10センチばかり開いている。「ももだった」と報告するやいなや「ももーっ、開けたら閉めろよな!」とリビングの何処かに隠れているももに怒鳴る夫。「まあまあ、空気の入れ替え、空気の入れ替え」といなす私。続いて夫が決まって「気が利かん猫だ。あいつも閉めることを覚えなきゃならん」とくる。誰が覚えさせるねん。こういう会話がこの冬何度交わされたことか。
ももよ、開けたら閉めてくれるとものすんごく助かるんだけれど。でも、そんな猫この世にいるんだろうか。

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by zuzumiya | 2017-01-09 19:50 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

人類はみなナチスか

年末に庭の木にバードフィーダーを2タイプ吊り下げた。ひとつは傘を裏返したような形で細かく刻んだリンゴやみかんを置いて枝に引っ掛けている。もうひとつはワイヤーの筒に餌の団子(小麦粉やひまわりの種などをラードで固めて団子状にしたもの・既製品)を入れて吊るしてある。
最初は傘の方にヒヨドリがきて、果物ばかりをガツガツ食べて一羽で全部平らげていった。やがて、ヒヨドリのいない時を見計らうように山茶花の間からメジロが顔を出し、控えめに啄んでいった。ヒヨドリもメジロも味をしめると毎日庭に来るようになった。ただ、どういうわけか果物ばかりをつついて飛び去り、すぐそばに吊るしてある栄養満点の餌団子の方に全く気づく様子がなかった。息子いわく「ワイヤーの方は罠に見えるのかもよ」なるほど。5日目ぐらいにとうとうしびれをきらして、餌団子を割って果物と一緒に傘の上に置いてみた。それでダメなら潔く団子は捨ててしまおうと思っていた。そしたら翌日、黒帽子に黒ネクタイが目印のシジュウカラがつがいでやってきた。シジュウカラはワイヤーに器用に捕まって盛んに団子をつついている。よほど空腹だったのか餌団子が旨いのか、長い時間逆さにぶら下がって頭に血が上るのではと心配になるほどの食欲である。やがて、つがいが吹聴したのか、3羽4羽と仲間を連れてきた。貪欲で図々しいその食べっぷりに、ついにはメジロまでつがいで来て、俄然、庭木は賑やかになった。「ほらね、旨いだろう?」内心ほくそ笑む私。ようやく報われた思いがした。人間でも猫でも鳥でも魚でも、生き物ががっついて食べる様子をそばで見守るのは楽しい。心が潤んでくる。
我が家の猫はちょうど庭木が見える出窓のクッションに寝転がるのだが、チビの方は微動だにせず見事にバードウォッチングを楽しむことができるが、やんちゃなももの方は鳥が来るたびにじっとしていられず、窓に飛びかかるのでパッと逃げられてしまう。それでもシジュウカラは願ってもない豊富な餌場から遠く離れようとせず、猫の隙をついてちゃんと舞い戻ってくる。そのあたり、飼い猫よりはるかに生きるための肝が座っている。
私が小鳥たちのためにリンゴを細かく刻んでいると、夫が言った。
「いいよな、人間に気に入られる生き物は。かいがいしく餌なんか用意してもらっちゃってさ。ゴキブリなんか、ちょっと出てきてフラフラ歩いてただけなのに、いきなりスリッパで叩き殺されるんだぜ。巣まで持ち返って根こそぎ全滅とか、考えてみりゃ、恐ろしいことするよなぁ、人間って」
思わず吹き出し、「そうだよねぇ。人類って他の生き物に対してはまるでナチスだよね」と私。
たしかに我が家の庭木に小鳥を狙ってカラスが来たりしたら、確実に追い払うだろう。夫は団地に住んでいた時、鳩の糞害で巣を作ろうとするつがいの鳩と戦い、撃退させた経歴を持つ。小型の鳥の集まる最近では大型で大喰らいのヒヨドリがなんだかもう可愛げがない気がする。鷹揚に餌なんかやりつつも、実は同じ鳥類に無意識に好き嫌いの選別を行っている。力を持つって、選べるってことなのよねぇ。夫の始めたゴキブリ話からナチスなんかが飛び出て、いつのまにかシュンとしてしまった。変な夫婦である。
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by zuzumiya | 2017-01-08 08:59 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

仕事始めはゴミ収集始め

午後から出社するという夫とふたり、ようやく初詣に行くことができた。
今日は新年初のゴミ収集の日。住宅街を歩いていくと、どちらの家の玄関先にもビールの缶や日本酒やワインの瓶がごろごろ入ったビニール袋が置いてあって、笑いを誘う。そうか、そうか、みんな、見事に飲んだくれたんだね。クリスマスでも正月でも、大きなイベントのあったその後に出されるゴミって、なんだか微笑ましい。「みんな、しあわせに過ごせたかい?」って思う。いや、外から見てる分には、ね。
年末年始はゴミ収集がないから、もうほんとにゴミがたまる。ゴミを収集してくれる人がいるってことに、たぶん、全国の主婦は心からありがたいと手を合わせているだろう。
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by zuzumiya | 2017-01-04 13:52 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

明るい未来

とても賑やかでせわしい一日だった。
息子と娘の彼女と彼氏が両方とも我が家に遊びに来たのである。
ふだん、来客などない家である。スリッパからクッションカバー、お皿、台所の照明まで取りかえ、隠せるものは隠し、家中を入念に磨き上げて準備した。昼食は息子の10代(!)の若い彼女に合わせてイタリアンにした。失敗の少ないチキンのトマトクリーム煮である。率先して陽気にしゃべりまくり、気さくに振舞ったが、実はひどく緊張していて、お客が二組とも帰って初めて料理を口にできた。来客慣れしていない夫はいっとき居なくなったことがあったが、実はトイレではなく、人疲れのために洗面所を磨いて心を落ち着かせていたという。ご苦労さんであった。
台所で山のような洗い物を片付けている時、ふと思った。
「ああ、これがうちの未来なんだ。未来を今日、少し垣間見たんだ」
子供が巣立てば、長年連れ添った夫と二人きりの静かな余生になるものとばかり思っていた。それはまだ51歳の身にはちょっとつまらないような、でも結局、楽チンな相手は夫だけだからと諦めに染まって、何か明るい物事がこの先の人生にはもうないように思えていた。でも、今日のように、子供たちの連れ合い(今の彼氏彼女と結婚するかはわからないが)、そして子供が生まれれば孫たち(!)も、一家総出で盆や正月に我が家という実家にワイワイ集まってくることもあるのだということに、ふと気づいた。
静かで穏やかで、それゆえちょっと退屈なのかもと悲観的に捉えていた人生が、こんなふうに賑やかしくせわしく華々しく続いて行くことに、ほんとだ、いのちは繋がって人生は繋がって行くんだなと、新鮮な驚きを感じた。なんか、ちょっと楽しみかも。
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by zuzumiya | 2017-01-03 20:48 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

猫から学ぶ。

いつもじゃれてはケンカばかりしてる二匹の猫が、毎朝、猫タワーのてっぺんに並んで両足を揃えてきちんと座り、木立の向こうから朝日が昇って来るのを微動だにせず静かに見つめている姿は、映画『シティ・オブ・エンジェル』の海辺に集まって太陽の調べを聴く天使たちのようで、なんだか神聖で崇高なものを感じる。猫って、こういうことするからすごい。
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by zuzumiya | 2016-12-29 07:08 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

小さな宇宙をまもれ

雲ひとつない澄み切った晴天。紙パックの野菜ジュースのストローを噛みながら、BLUES EXPLOSION!を朝っぱらから聞いている。ベランダの手すりと屋根瓦がまばゆい光を放っている。ヒヨドリが悲鳴のような声で鳴いて飛んで行った。
世間はクリスマスイヴ、だってさ。

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by zuzumiya | 2016-12-24 10:01 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

ポテトサラダに降ってきた

たったひとりで、

音楽もかけ忘れた静かな部屋で、

ひたすら夕飯のポテトサラダの蒸したじゃがいもを、

木べらで細かくつぶしている。

なめらかになるように、

マヨネーズとよく混ざるように、

まんべんなくまんべんなく、

ひたすらつぶしてならしてる。

まだ誰も帰ってくるなよ、

ピンポン鳴るなよ、

ほら、はやくはやく、

あとこの一品でぜんぶ仕上がるんだから、

絶対間に合えよ、

帰ってくるなよ、

ドア開けるなよ、

味をなじませろ、

おいしくなれ、

ほらそこ、もっとつぶせ、

ボウルを押さえろ、しっかりと。

そんなとき、はっと気づく。

愛ってものが実はこんなものだったかと。

いきなり天から降ってきて、

またしてもこんな場面で、唐突に、わかってしまうなんて。

可笑しくなってくる。

家族のために、

おいしいと言ってもらうために、

いや、ただ笑ってもらうために、

「食べなよ、もっと」と言わなくてもがっついているのを、

そばで見ているそのために、

いや、そんな理由はいま考えてるからにすぎなくて、

ただもうひたすらに、ただただ夢中で、

おいしくなるように、間に合うようにで。

こんなことに、

こんなふうに、

こんなにも懸命になってるそのことが、

あの大それた、謎めいた、哲学めいた、愛だなんて。

もしかしたら、私はもうすぐ死ぬのか?なんて、

ふと手を止めて思ったりする。

神様や過去の名だたる賢人たちには申し訳なさすぎて、大きな声では言えません。

だって、ポテトサラダですよ。

あんまりにもカッコつかなくて、

ギャップがありすぎて、

それでも、愛ってそういういうもんですよね。

可笑しくてしょうがない夜。



※これもまた過去のブログの「家族の時間」のシリーズから見つけてきたもの。最近は自分が書いた過去の文章を読み返したくなっている。年だな。たしか「深夜の茹で玉子」とかいうタイトルで祖母の話を書いた記憶があるのだが、バックアップのディスクに見当たらず、もう一度書いてみようかと思っている。




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by zuzumiya | 2016-12-14 21:44 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

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