暮らしのまなざし

カテゴリ:日々のいろいろ( 587 )




ポテトサラダに降ってきた

たったひとりで、

音楽もかけ忘れた静かな部屋で、

ひたすら夕飯のポテトサラダの蒸したじゃがいもを、

木べらで細かくつぶしている。

なめらかになるように、

マヨネーズとよく混ざるように、

まんべんなくまんべんなく、

ひたすらつぶしてならしてる。

まだ誰も帰ってくるなよ、

ピンポン鳴るなよ、

ほら、はやくはやく、

あとこの一品でぜんぶ仕上がるんだから、

絶対間に合えよ、

帰ってくるなよ、

ドア開けるなよ、

味をなじませろ、

おいしくなれ、

ほらそこ、もっとつぶせ、

ボウルを押さえろ、しっかりと。

そんなとき、はっと気づく。

愛ってものが実はこんなものだったかと。

いきなり天から降ってきて、

またしてもこんな場面で、唐突に、わかってしまうなんて。

可笑しくなってくる。

家族のために、

おいしいと言ってもらうために、

いや、ただ笑ってもらうために、

「食べなよ、もっと」と言わなくてもがっついているのを、

そばで見ているそのために、

いや、そんな理由はいま考えてるからにすぎなくて、

ただもうひたすらに、ただただ夢中で、

おいしくなるように、間に合うようにで。

こんなことに、

こんなふうに、

こんなにも懸命になってるそのことが、

あの大それた、謎めいた、哲学めいた、愛だなんて。

もしかしたら、私はもうすぐ死ぬのか?なんて、

ふと手を止めて思ったりする。

神様や過去の名だたる賢人たちには申し訳なさすぎて、大きな声では言えません。

だって、ポテトサラダですよ。

あんまりにもカッコつかなくて、

ギャップがありすぎて、

それでも、愛ってそういういうもんですよね。

可笑しくてしょうがない夜。



※これもまた過去のブログの「家族の時間」のシリーズから見つけてきたもの。最近は自分が書いた過去の文章を読み返したくなっている。年だな。たしか「深夜の茹で玉子」とかいうタイトルで祖母の話を書いた記憶があるのだが、バックアップのディスクに見当たらず、もう一度書いてみようかと思っている。




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by zuzumiya | 2016-12-14 21:44 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

冬の音

夜、寝床に横になり本を読んでいると、はるか上空を飛行機が一機、静かに飛んで行く音がする。天井を透かして星空と機体の小さな赤い光が明滅するのさえ見えそうだ。
風呂場でひとり湯船に浸かっていると換気口から街道を行く車の音がゴーッと響いてくる。温まった魂が頭のてっぺんから湯気と共に換気口を抜けて音に何処かへ連れ去られてしまいそうだ。冬の冷たい空気と暗闇をかき分けて音が澄んで進んでいくのがわかると、まるで宇宙空間にひとり浮かんでいるような、孤独であることがひどく心地よい。
冬の寒夜は特別な音響装置。

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by zuzumiya | 2016-12-12 21:44 | 日々のいろいろ | Trackback(1) | Comments(0)

物欲を止めるもの

自分で書いておいてなんだが、たしかにクリスマスのある12月はあれもこれも欲しくなる物欲の月だ。ネットショップにはどこもクリスマス特集がされてスクロールする指が止まらない。読書をしていて、ちょっと言葉の意味を調べるはずが、いつの間にやら美術館のショップに行き着き、ダリの髭が動く腕時計やらマグリットやギルバート&ジョージの皿を嬉々として見ている。ああ、楽しい。時を忘れて、気づけば空が白んでいた。さほど高価でない細々とした飾り物をあれもいい、これも素敵で買い揃えても、ふと、もし私が死んだらと思うと「子供たちが遺品整理で面倒になるな」と思いついた。いや、別に死ぬ予定はないのだが。本もそうだ。いまの住居へ引っ越してくる際に思い切りよくかなりの量を売ってしまった。6段の背の高い本棚ひとつに入るだけに選別した。今となっては「画集まで売ることはなかったな」とやや後悔する日もあるが、今でも老後にこれなら再読するだろうという本しか置かないように心がけてはいる。本棚を覗けばその人物がだいたいわかるというが、そうやって選ばれた私の本棚は詩集とエッセイがほとんどを占め、漫画と絵本が少々、小説の類は読んだらよほどでないかぎりすぐに売っている。気に入った本しか置いていないのでまさに「これらの本を読んでもらえば母であり妻である私という人間がホントはどういう人だったのか、あなた方が知っている以上に見えてくるはずよ、ふふふ」と見るたびに満足して思うのだが、時々、さっきのようにふと遺品整理のことが頭を過る。「こんなに本を残されても趣味が合わなきゃただの紙屑だ。夫も子供もきっとさっさと売ってしまうか、捨ててしまうのだろうな」と。「本を読んでまで、死んでしまってもういない私のことを更に深く知ろうとしてくれるだろうか。もともと本などさほど読まない夫と子供達じゃないか」と。そして「結局は人間は自分の脳みそに蓄えた思い出だけでその人を形作ってしまうものなんだろうな」とまで思う。残されても困る、ただの自己満足のなれの果てを私は貯金を切り崩してせっせこ買い求めているだけなのかもしれない。ここに思考が至ると、悄然としてくる。本棚の本が、自慢のCDだって飾り物だって、私以外の人にとってはさほど価値のないガラクタなのかと思うと集めてとって置く意味がない。で、物欲にようやくセーブがかかる。はあ、これが生前整理ってやつに繋がるんでしょうか。







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by zuzumiya | 2016-11-27 09:16 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(1)

12月はショッピングの月

もうすぐ12月だ。毎年、12月になると「そろそろ来年のカレンダーや手帳を買わなきゃな」という気になる。「来年1年間、なるべく楽しい事が起こりますように」の希望を託すわけだから、見た目のデザインや桝目の大きさ等、選ぶのも慎重になる。だが、だからこそそんな買い物はワクワクしてうれしい。最近はカレンダー選びのためにわざわざ休日に家族で出かける。それぞれ自分の部屋のものは好き勝手に自分のセンスで選ぶのだが、リビングに吊るすものは一応家族それぞれの意見をうかがう。でも、最終決定権は主婦であるこの私にある。あれやこれや悩んで息子にうんざりされるが、それもまた家族の良き思い出になるだろうと笑って飲み込む。
車のなかで「年賀状どうする?」と夫に訊くと、年々、送る枚数が少なくなっていく。「昔は親父に来た年賀状が分厚くて、それだけで凄いなって尊敬してたのにな」と懐かしむ夫の話も今年もまた繰り返されるだろう。
カレンダーや手帳を買い終えると、次はクリスマスのプレゼント購入に家族それぞれが秘密裡に動いて忙しくなる。

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by zuzumiya | 2016-11-26 11:20 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

居心地のいい部屋でゆったり読書する

カーサブルータスの特集は「居心地のいい本屋さん」。素敵な表紙に吸い寄せられて手に取る。うん。観葉植物が其処彼処にあって、ディスプレイもお洒落で素敵な本屋さんばかり。でもね、こういうお店にいるとほんとに本がどれもこれも良さげで買いたくなるけど、で、実際2、3冊奮発して買っちゃうんだけど、服と同じで家に持ち帰るとなんだかお店でのあのワクワクやキラメキがもう失せちゃってるのよねえ。そういうこと、本でもある。あの場所にあったから、あそこに置かれていたからこその、全体の調和としての輝き、魅力みたいなの、あるんだよねえ。だから、私は考えた。自分の部屋をなるべくあの素敵な本屋さんのように近づけたらいいと。自分なりでいい。自分が心地よくなる部屋で好きな本のページを捲るゆったり落ち着いた幸せ。灯りや音楽やアロマの香りにもこだわって。最近、欲しいものは、読書に浸れる一人掛けの椅子。欲を言えば、本棚だって北欧調のいいものが欲しい。そうなるとデスクだってそれに揃えなきゃならない。考えてみればベッドもちゃちいじゃないか。ああ、物欲がまた首をもたげてきた。いつでもそんなこんなでページを捲る手を止め、iPadをスクロールしてしまうから肝心の読書の方が全然進まないのだ。
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by zuzumiya | 2016-11-21 21:57 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

出会いはラジオで。

思えば、ハナレグミの「家族の風景」という曲もラジオで知った。
忙しい朝は支度をしながらラジオを聞く。時々はハッとするような曲に出会う。
今朝もラジオで素敵な曲に出会った。通勤の自転車に乗りながら、頭の中で歌詞の「ずっと君を想っていた」がリフレインした。年を重ねて渋く淡々と、でも何処か艶っぽさのある大人の男性の声だった。大人の恋。大人だけが味わえる、大人だからこそ浸れる恋。歌い手は誰だろう。そこは運悪く聞き逃してしまった。「ずっと君を想っていた」あんな素敵な声で何かの拍子にサラリとまっすぐ言われてみたいな、なんてちょっと思ったりして、冬の朝の澄んだ日射しが気持ちよかった。
でも、すぐに年のことを考えた。あの渋い声にそんなふうに言われる相手の女性はいったい何歳だろうか。30代なら言われることもあり得るだろう。40代前半ならギリギリセーフ。でも50の声を聞いたら、さすがにオバサンである。老いらくの恋っ気が出てきてしまう。あり得ない。自分は気持ちばかりは若いが、実はもう50代の押しも押されぬオバサンなのだ、ついにとうとうオバサンになってしまったのだ、とあらためて思った。
夜になって、ラジオ番組の過去のオンエア曲の中からその歌を見つけ出した。
佐野元春とザ・コヨーテバンドの「或る秋の日」。恋の歌なのに気取りのない、こざっぱりした、でもだからこそ洒落たタイトルではないか。佐野元春はあまり好きじゃなかったはずなのに、と不思議に思う。ラジオだとこういう出会い方があるから面白い。






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by zuzumiya | 2016-11-17 23:32 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

季節に合わせて

最近になって本の再読をするようになった。
昔から季節に合わせた小説を選んで読むのが好きで、今もずいぶん前に買った小川糸さんの『ツバキ文具店』の秋をようやく読み終えて、冬の章の冒頭がお正月から始まっているのを確認して本棚に戻してある。小説の進行に合わせてお正月の休みにでもまた読み始めるつもりだ。冬になると読みたくなる本に『つむじ風食堂の夜』がある。夜が舞台で静かであたたかい小説が恋しくなるのだ。吉田篤弘さんはピッタリだ。風呂上りに小さくバッハのピアノを流してベッドに寝転んで読んでいる。

赤いテーブルランプ、購入しちゃいました!



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by zuzumiya | 2016-11-15 22:48 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

間接照明って大好き。

冬になると何故か赤い色のものが欲しくなる。コートやセーターや帽子、マフラーなど身につけるものはもちろんのこと、インテリアにおいても赤い照明が気になりだす。
私の部屋の出窓はサンキャッチャーやガラス細工のモビールと共に茶色やベージュの抑えた色味のコットンボールのガーランドライトを吊るしてある。その下には赤やオレンジを基調とした暖色系のモザイクライト。猫の寝床や観葉植物3鉢や小さな置時計もあってぎゅうぎゅうだが、なんとか整理してここに赤いテーブルランプを置きたい。外から帰ってきた時に、冬場の窓越しの赤い光はいっそう暖かく部屋を素敵に見せるだろう。夫も帰宅時に家の灯りが見えると見えないのとでは気持ちが違うと言っていたっけ。ただ、赤いランプにシンプルで素敵なのが見つかってない。ランプシェードだけ赤にする手もある。さあ、どうしようか。クリスマスまでには決めないと。
自分の部屋をきれいに飾って心地よくして、アロマの匂いと静かな音楽に包まれながら傍に猫をはべらせ、読書したり、文章を書いたりしてるのがいちばんリラックスする。



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by zuzumiya | 2016-11-14 22:21 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

クリスマスソングの魔法

次の約束まで時間がぽっかり空いたので手近なファストフード店に入った。
こういう時、文庫本があればいいが、あいにく仕事帰りの鞄には最低限の携帯しかない。
しかも私はいまだにガラケイ。ネットもゲームも音楽も何もできない。
でも、メールできる相手はいつも何人かは思いつくものだ。
「久しぶり、元気?」だの「昨日はどうも」だのの書き出しで二人とやりとりする。
店内は早くもクリスマスソング。流れてくるのは毎年お馴染みの曲ばかりだが、耳にするとそれでも心が浮き立つ。ぽっかり空いたひとりの時間に本でもゲームでもネットでもなく、仕方なくメールを選んだはずなのに、いつの間にか誰かを想って言葉を綴ることにあたたかで安らかなものを感じている。
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by zuzumiya | 2016-11-13 11:08 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

夜のドライブ

先日、久しぶりに夜のドライブに連れて行ってもらった。夫の運転で息子も一緒に。
向かった先は彼らの仕事場がある新富町や豊洲方面。東京タワーもスカイツリーも見られるきれいな夜景が広がっていた。
都心はコンビニにトイレを借りに入るにも大変なのだった。郊外のように店の前に駐車場がないので路上駐車しかできない。息子のいつも行っているコンビニの前にちょっとだけ停められる場所があるというので(もちろん運転席に運転できる人を置いて)交代でトイレに行くことにした。息子の案内で来たこともない、そしてこれからも来ることはまずないであろう道を車は進む。「そこの角を曲がって」と指示をしている道の先に、ふっと、昼間の、私の知らない見たこともないまるで他人のような息子の歩いていく後ろ姿が見えた。「あぁ、お前は昼間はここでこんなふうに私の知らない日常を一人で頑張って過ごしているのか」と思うと、なんとなく切なくなって胸が締めつけられた。
夫の職場のビルを見上げて「休日なのにまだ明かりがついてる」と感心しながら、よく一人で昼食をとりに来るという傍のビルの中に入って、「ここから噴水が出るんだ」とか「昼はこの辺いったい人で埋め尽くされるんだ」などと説明を聞くと、喧騒の中でやっぱり私の知らない見たこともない他人のような昼間の夫が一人、背を丸めて弁当を食べているのが見えてきて、その姿にふっと切なくなる。なんだか私は彼らを残してもう死んでしまって、霊魂だけになって、彼らの日常をやさしいまなざしで眺めているといった感じがした。息子も夫も、私はなんだか全てを知っているような気になっているが、実は昼間の、他人の中にいる彼らだけの日常を私は知らない。見ることができない。それはふだん考えたりしない当たり前のことだけど、どこか不思議な寂しさがあって胸に沁みる。こんなにもそれぞれが離ればなれで、一人だけで頑張っているのかと思うと。
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by zuzumiya | 2016-10-30 23:26 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

ふだんの暮らしに息づいているたいせつなもの、見つめてみませんか?
by zuzumiya
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