暮らしのまなざし

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二世帯住宅の使い途

いい年をして恥ずかしい話だが、いまだ夫と家庭内離婚の只中にいる。もう3週間になるか、かつてない日数である。それを難なく更新させているのはマンションではなく上下に分かれて住むことのできる戸建てであること、互いに仕事を持っているためのすれ違い生活のなせるわざである。扉を開ければリビングであり、そこを通らねばトイレにも玄関にも行けなかった昔はどうしたって相手と顔を合わせてしまい、照れ半分の気まずさから喧嘩の続けようがなかった。リビングを通らねば自分の部屋にも行けない造りにすれば、子どもの異変に気づきやすいとどこかで聞いたが、確かにそうだろうなと今こそ思う。狭かろうが、平らかに住んでトイレも風呂もひとつで一緒というのが、結局は人を繋ぎとめるものなのかもしれない。そうなると二世帯住宅っていうのはすれ違いを助長させるので、あんまりいいものじゃないのかもしれない。っていうか、あれはもともと一緒に暮らしたくないのにしぶしぶ無理に暮らせば、の発想なんだな。
二世帯住宅で思い出したのが台所である。以前、家庭内離婚をした時に自分の部屋でコーヒーやらカップ麺が食せるようにすぐにニトリに飛んでって小さなキャビネットと電気ポットを買った話を書いた。うまく(普通に)行っている時は「こんな猫の餌しか入ってないキャビネットなんか捨てて、でっかい本棚買おう」なんて思っていたが、今回も喧嘩してまずは納戸から電気ポットを探して持ってきた。キャビネットの中を整理してマグカップを並べ、猫餌の脇にこじんまりと人間の餌も買い揃えようと思っている。人間の餌の方が安いし、しみったれているのが悔しい。本棚などと洒落たことを言ってる場合じゃないのである。欲を言えば、階段脇の棚に電子レンジ、廊下の奥にミニ冷蔵庫があったらいいが、そうなったら、もうまさに二世帯住宅なのだ。で、考えたのが、こんなバージョンである。結婚した息子の家族と暮らす用に老朽化した家を既に二世帯住宅に建てかえたものの、息子がいっこうに結婚せず、二階が空いているという場合、熟年夫婦が喧嘩したら、仲良く上下に分かれて非常に便利に快適に家庭内離婚ができるんだな、と思った。世の中にはこういう恵まれた環境下での家庭内離婚中の夫婦もいるのではないだろうか。休日をむかえた今日、仲直りするのもせずに突き進むのもこの休日という二日間にかかっている。休日なのに非常にストレスフルである。しかし、心の片隅には「このままどこまで行くのだろうか」とその先を見てみたい子どもじみた興味がないわけではないから悩ましい。
とりあえず、外へ出る予定はある。入れた。失笑(もしかしたら哀れ)を買うのを承知で書くが、ひとりで『恋妻家宮本』を観に行く。その後は本を持ってかかりつけの眼科にでも行けばいい。夜はひたすら読書である。なんて書いていたら、ほうら、うまい具合に電気ポットの湯が沸いた。ひとりの朝である。





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by zuzumiya | 2017-02-18 09:20 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

読まなきゃいられん。働かなきゃ買えん。

読みたい本がたまっている。読みたくて買ったり、図書館で借りたりしているのに、時間がない。平日は夜しか読めない。あと一日、働かずに休みがあったらいいのにな。週四日働いて、三日休むがベストだが、そんなんじゃ金が足りない。本が買えない。
図書館本を優先しなきゃならないのに、そういう時に限って購入済みの本の方を読みたくなる。植本一子さんの『家族最後の日』が今日届いた。ヤバイ。帯の文章でもう読んでしまいそうだ。すげえ。

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by zuzumiya | 2017-02-13 20:46 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

灯油屋のメロディ

先日ここで灯油の移動販売車との戦いのことを書いた。
現在、日曜の夕方、もうすぐ6時になろうとするところである。休日のこんな遅くの時間になっても、いつも律儀に路地のドンつきの我が家の前までバックで入ってくる灯油屋がある。この辺りの住宅街にはメロディからして移動販売の灯油屋が3社あるようで、そのうちの最も明るく、まるでパン屋のごとく軽快なメロディを鳴らして親しげにやって来るのがこの夕方の灯油屋である。
しかし、自転車や車で住宅街を走っていても、そのメロディを耳にしたことがないので、ふだんは一体どこら辺を回っているのか、私の中ではマイナーな灯油屋だ。他の2社は灯油屋にありがちな、冬らしい短調のもの悲しいメロディで回っている。昼間に一度、いちばんよく聞くメロディの最もメジャーな灯油屋がこの辺りを回ってしまうので、夕方6時にマイナーな灯油屋を呼び止める者はいないだろう。しかし、昔一度、うちが買ってあげたことを覚えているのか、念のために一応見回ってくれているようにも私には受け取れる。出窓のすぐ下まで来ていながら、うちも近所も誰もが戸を閉め切って買う気配がないことになんだか申し訳なさのようなものがこみ上げて、思わず窓を開けて「あんた、出遅れてるんだよ。もっと早くに来なきゃここはダメだよ」と声をかけてやりたくなる。この妙な親切心を掻き立てるのは何だろう。きっと、暗い夜道に軽快に響きわたる長調のメロディの、そのいたいけな善良さのせいじゃないかと思っている。
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by zuzumiya | 2017-02-12 21:59 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

中年の休日

昨日、職場の友人と新宿まで出かけてスタイリストの高橋靖子さんの仕事展「YACCO SHOW」を見てきた。展覧会(無料!)を見た後、会場がビームスジャパンの上だったので和雑貨をチラホラ見て気を良くした二人は、久しぶりにデパートでも覗こうかということになった。久しぶりの新宿で、昼頃にはだんだんと道行く人が増えてきて、50代の身には既に“人疲れ”的なものがこみ上げてきたので、帰る駅(西武新宿)に近いという理由でルミネイーストに入った。しかし、どこを見ても花の咲いたようなピンクやオフホワイトの服がいっぱいで、友人は「もうちょっと私らには茶系の色味がないと目が疲れる」とぼやいた。で、早々とエレベーターで下り、すごすご西武新宿の方面へ帰ることにした。地下のサブナードを歩きながら、またしても友人が「私らにはこれくらいの人数がホッとするね」などと言って笑う。「一万円を握りしめてきた」という友人のために「何かひとつは買って帰ろう」と田舎から出てきた中学生みたいな言葉をかけて、西武新宿の駅ビルに入った。上の階で日本、中南米、ハワイの雑貨などが置かれている不思議な空間があって、そこの和雑貨店の箸置きを覗き込んでようやく友人は安心したように「カワイイ」とつぶやいた。
私ら50代は微妙な年代である。デパートと言っても京王や小田急の百貨店に入るのはつまらない。それほどは老いていない、とでも言おうか。でも、ルミネなんぞにはもう行けないことが今回よくわかった。和雑貨の店で友人が「私、小銭入れが欲しいの」と口走った時、最近ハマっている神吉拓郎のエッセイを思い出した。

神吉拓郎は二つ折りの紙入れタイプの財布をモゾモゾと取り出して、背を丸めて札を出す一連の動作をユーモラスに描いて
<これは、中年以後の匂いを濃厚に感じさせる動作で、誰が悪いんじゃない、原因は紙入れである。紙入れがそうさせるので、誰が、どう工夫して、美しくやろうとしても、紙入れから札を出すという動作は、中年以降のものになってしまう。すくなくとも若い人のすることじゃない。
これは小銭入れにもいえることで、駅の自動券売機の前で、背を曲げて小銭入れのなかから十円玉を拾い出している格好は、お義理にもスマートとはいえない。自分のは見えないから、他人のを見ているとよくわかる。たとえば自動券売機の横に一分も立って観察していれば、人間が小銭を出すときの動作が、どんなにコッケイなものか、痛感させられる。
そんななかに、一人の男がやって来て、ポケットからざくっと小銭をつかみ出すと、てのひらの上で、そのうちの何枚かをつかみ取り、ポイポイと券売機の口に放りこむ。そういうのを見かけると、これは文句なくきわ立って見える。さわやかなのである。
あの小銭入れのなかをいじましく指先でかき廻している姿とは比較にならない。>
(神吉拓郎傑作選2食と暮らし編「カネのあつかい」より)

小銭入れを求む人というのは、たいへん几帳面な人なのだと思う。札と小銭を別にしていれば財布は無様に膨らまず、支払いもスムーズと思えるのだろう。実は我が夫も長年、小銭入れを愛用している。でも、私は夫と一緒に買い物をしていてずっとひそかに思ってきたのだが、小銭入れというものは逆に面倒で周りに迷惑に見える。
夫はポケットから札入れ(前出の紙入れ)を出して札を出し、今度は反対側のポケットから小銭入れを出して小銭をかき回す。レジで一緒に並んでいて、その二度手間の動作にヤキモキしてしまう。いちいちポケットから出すからではない。両方を片手に持っていたとて、どうしたって二つの財布から出すから二度手間になってしまうのである。レジのお姉ちゃんも私も私らの後ろに並んでいるオバチャンもじっと立って、夫のかき回す指先に「金があるのか、ないのか」とヤキモキさせられているのが分かって、私としては恥ずかしいことこの上ないのである。この一連の動作が二度手間だけにやけにのろったく思えて、神吉拓郎のいう中年っぽさが漂い知れて、夫にしてみれば小銭を出すのが親切心だとしてもなぜかひどく情けない姿に映ってしまうのだ。夫だって視線の圧を感じて、内心、早く早くと焦っているのではないかと思う。だったら、小銭入れなどやめるべきなのだ。
友人の彼女もどちらかというとおっとりとした性格で動作が機敏な方ではない。レジや券売機の前で本人も周りもハラハラ、ヤキモキさせられるに違いなく、周りに中年のオバチャンの情けなさをただ披露するだけなのである。本気で買うとなったら、彼女にこれらの話をとくと聞かせてやろうと思っていたが、気まぐれだったらしく、フラフラと小銭入れの売り場から離れて行った。
結局、買い物は私がチチカカ(中南米の雑貨店)で極楽鳥のような鮮やかな鳥のぶら下げるガラス細工をどうにか買っただけで、彼女は何も買わずに、喋りたおした喫茶店2軒分の飲み食い代だけ使って帰っていった。そういうところもほんと私ら50代の、中年のオバチャンの休日らしい気がした。
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by zuzumiya | 2017-02-12 13:35 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

龍見物

今日は風が強かった。これから春になって暖かくなっていくのはうれしいが、自転車こぎの私にとっては風の強い日が多くなるのがつらい。でも、今日は面白いものを見た。
道にパトカーが止まっていて、お巡りさんが二人、無線機で話しながら上を向いている。学校帰りの小学生も後ろ歩きをしてまで空を見上げている。見ると、マンションの4階くらいに相当するような大木に(後で“万年けやき”だと同僚が教えてくれた)黒い長い帯のようなものが巻きついて、鯉のぼりの吹流しのように悠々と風にたなびいている。どうやらどこかの畑の苗に被せてあった黒いビニールが風に飛ばされて引っかかってしまったらしい。黒くやたらに長いのが風に乗って大いにのたうち回る姿はまるで龍のようで勇壮だったりするから、なるほど見甲斐がある。住民からの通報でお巡りさんが呼ばれたのだろうが、大木の上空はごうごうと風が鳴り、人なんぞ弾き飛ばしてしまいそうな猛々しい勢いでビニールの龍は自由自在に泳いでいる。どうしていいものやら困り果てている姿は申し訳ないが可笑しかった。お巡りさんは市民生活を守るためにこんな仕事もしなければならないのである。消防のはしご車でも呼んでくるのだろうかと思いながら、事の顛末を見届けずに職場に行かねばならないのが惜しまれた。
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by zuzumiya | 2017-02-07 21:57 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

灯油屋との戦い

さっき、久しぶりに灯油の移動販売車から灯油を買った。
いつもなら夕飯の買い出しのついでに、夫と一緒に例の安いガソリンスタンドで買うのだが、今はまたしても家庭内離婚の真っ最中でここ数日間は口もきいていないのである。夫は夫で何を考えているのか知らないが、今さら漢字検定の試験だそうで今日は午後から外出している。ま、人それぞれ価値観が違うわけだから、私は何も言わないでおく。
灯油の移動販売車とは苦い思い出ばかりである。
彼らは通常、玄関先に置いてある赤いポリタンクを目印にやってくるので、何も置いていない路地は運ちゃんが一瞥してスッと行ってしまう。私のようにいつもは買わないけれど、今日は急に必要になった人にとっては販売車を捕まえるのはひどく難しいのである。遠くからキンコンカンとメロディが聞こえたら何をおいてもすぐにポリタンクを持ち、玄関から飛び出る。音を頼りに走って販売車を見つけるや、ポリタンクを高らかに掲げてサイドミラーに恥知らずな姿を映し、ミラー越しに運ちゃんと目が合わないと前出のようにスッと行ってしまうので買えないのである。
9階に住んでいたマンション時代はひどかった。メロディが聞こえて、私がベランダへ飛び出てマンションの下で給油を始めたのを確認し、「お父さん、灯油屋が来た!」と夫に知らせるやいなや、夫はポリタンクと財布を握りしめて慌ててエレベーターに乗る。1階に着くと、既に車は先の交差点の角を悠々と曲がって行く。膝の抜けたジャージとサンダル姿で手には赤いポリタンクを握りしめた夫は道の真ん中でどれほど落胆したことか。帰るなり「タンクをぶん投げてやりたくなった」と嘆いた。夫だけじゃなく私も挑戦したが、余裕があるように見えてエレベーターが曲者でまんまと逃げられた。なるべく多くの住宅街を回って早く灯油をさばきたいのか、10階建てのしかも老人が多いマンションの前に止まっておきながら、彼らはほんとにあっさりしていて客につれなかった。
今回は音が聞こえてすぐに(音の遠近を判断しているとまんまと逃げられることが多い)読んでいた本をほっぽり投げて玄関から飛び出たために無事、車を捕まえることができた。が、金の用意をしていなかった。18リットル1580円はここのところ変動なしだが、玄関先にタンクを置いたまま、部屋に戻って「1000札2枚かな、いや待てよ、どっかに500円玉があったはずだ」と親切心で探して玄関に戻ったら、もう既に運ちゃんが「まいど~」とニッコリ笑いながら灯油の入ったポリタンクを置きに来ていた。いつもの18リットルのあたりに灯油が透けて波立って見えた。しかし、今回はポンプで吸いきれなかった少しの量が残っていたはず。だとすれば、もう少し上のあたりまで灯油が来ていてもいいのでは。さては、私が金を取りに戻っている隙に17リットルあたりで給油を止めてしまったのではないか、と疑念が湧いた。灯油屋との過去の苦い思い出から、私はどこか彼らを信じていない。買う時には必ず運ちゃんの傍に付いて18リットル入ったか、メーターの数字を確認するようにしている。ところが不覚にも今日はそれができなかった。せっかく車を捕まえても、運ちゃんにまたしてもしてやられた気がして、なんだか落ち込んでいる。
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by zuzumiya | 2017-02-05 15:41 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

お疲れ様、誰かさん

毎晩、帰宅して自分の部屋の雨戸を閉める時、家々の軒の間から坂下のアパートの二階の窓のひとつが煌々と輝いて見える。もちろん、住人は知らない。見たこともない。ただ、私の想像のなかでは年若い女の子の一人暮らしのような気がしている。そして、いつも心のうちで「ああ、あなたもまた帰ってきたのね。お疲れ様でした」とその見ず知らずの誰かに向かってやさしく労う言葉をかける。こういうのが、一日の終わりのこれから数時間を過ごす自分への温かな励みのようなものになっている。




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by zuzumiya | 2017-01-29 19:10 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

見守る気持ち

テレビを見ている時、読書をしている時、台所で立ち働いている時、パソコンに向かっている時、ふと、視線を感じて顔を上げると飼い猫のももと目が合う。ももは、私のいろんな時を座ってじっと見つめている。なぜだかはわからない。でも、人間でも誰かが誰かをじっと見つめている時というのは、何かしら気持ちがこもっているものだ。
私は思う。愛しいものだから、ただじっと、いつも、見つめていたい。そんな気持ちをももが私に持ってくれているんじゃないかと。私はそう願いながら、微笑んでももを見つめ返す。ももよ、いつも見守ってくれてありがとう。

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by zuzumiya | 2017-01-28 11:13 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

Eテレが攻めていく

教育テレビ(Eテレ)を見る率が高い。美術番組やら園芸番組、料理番組、ドキュメンタリー、ベニシアさんもそうだし、文芸紹介などの教養?番組。先日、たまたま番宣で目にした「趣味どきっ! 幸せになる暮らしの道具の使い方」のテキストの表紙の感じが松浦弥太郎さん時代の暮しの手帖社から出ていた「暮らしのヒント集」に似ていて、あれれ?と気を引いた。表紙の雰囲気もそうだが、テーマの方も「暮らしの道具の使い方」ときている。なんかテレビの番組が雑誌の真似事をしはじめた、と思った。で「そうか!」と感じるものがあったので見てみることにした。
そしたら番組の進行が、モデルで女優で自らも雑誌の編集をしている菊池亜希子ちゃんがなんと「ライフスタイルマガジンの編集部員」という設定で出てくるのである。まんま、である。内容も映像の撮り方もまるで「クウネル」や「アルネ」の世界である。
ふーん。雑誌で今まで受けた(受けている)ことを映像化するだけでそのまま番組になっちゃうんだ、これからはと思った。雑誌は近年ほんとに売れなくなってしまったらしいが、ならば同じテーマ、内容のものを媒体をこえて映像でやってしまえば新たな番組企画になるとテレビ側が気づいちゃったらしい。テレビが雑誌を追いかけて喰っていこうとしている。今のEテレの実力ならなんとか上手に出来てしまうようだ。「美の壺」なんて番組も考えてみれば実はすごく雑誌っぽいのである。
ならば「カーサブルータス」や「Pen」みたいな雑誌のお洒落なインテリア、お宅拝見的な番組も作って欲しい。乙女が喜ぶ雑貨屋さんとか、カフェでなく純喫茶を巡る東京のお店発見や街歩き番組、大人の男のための下町居酒屋巡りの番組とか、個人的には絵本紹介の番組があったらいいなと思う。雑誌の企画になりそうなものをテレビがどんどんやっちゃう。Eテレならやれちゃう気がする。




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by zuzumiya | 2017-01-22 22:45 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

冬のお楽しみ

土日のうち、明日が仕事という日曜くらいは何処にも出かけずにいたいものだ。
先日、感染性胃腸炎でダウンしてからは、夫が「週一日でいいので本気で運動してみませんか」などとメールを寄越したため、日曜の今日はそんなに急ぎでなくともよかったが図書館に行く用を拵えて、夫と二人で散歩に出ることにした。歩いたことがない道を選んで随分と遠回りをして、ようやく辿り着いた図書館で本の受け渡しをし、休憩のつもりで久しぶりに座席に座って雑誌を読んだ。図書館からは井伏鱒二や永井龍男の随筆、尾崎一雄の短編集に、いま新宿で仕事展をやっている日本のスタイリスト第一号、高橋靖子さんのエッセイを借りる。ヤッコさんの展覧会にはこの本を読んでから臨もうと思っている。散歩にも何かお楽しみがないとつまらない私は図書館近くのショボいスーパーで一個45円のどら焼きを二つ買って、夫とふたり住宅街をくねくね歩いて食べながら帰った。家に帰ってもまだ4時。夕飯の支度にはまだ少し早い。スキマの時間だ。台所の石油ストーブに火を点け、アルミホイルに包んださつま芋を二つ乗っける。そうしてからポットに湯を沸かし、珈琲をいれる。準備は整い、借りてきた本の頁をどれどれと捲る。これがほんとに冬の楽しみ。ストーブの上の煮込み料理、あるいは焼き芋と、読書。本の頁の白にじんわり黄味が差してくる。電灯の光が強まったように感じて顔をあげると、出窓の外はもうすっかり薄墨色だ。

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by zuzumiya | 2017-01-22 17:35 | 日々のいろいろ | Trackback | Comments(0)

ふだんの暮らしに息づいているたいせつなもの、見つめてみませんか?
by zuzumiya
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